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批評しましょ (創作系)スレッドオペレーター:白糸雅樹
 えっと、ひとの批評に対して、別の読みを書きたくても、スレッドタイプで書きこめる場所、あまりねーなー、感想スレで議論しづらいなー、と思ったのでスレッド立てました。議論OK。よっぽどの誹謗中傷でない限り、削除はしません。晒しもんにしますので注意してください。「未詩・独白」および他のスレッド会議室の発言で、作者が批評を期待していない発言への批評はなるべくご遠慮ください。
 一つの読みに対して、他の多くの異論が交わされることを願って。。。。。。
 評を書く際は、該当発言(または作品)のURLを明記してください。

[270]田代深子[2004 09/17 00:41]
>268
ここで言われる「emotion」とはどのようなものなのだろうか?
言葉を尽くして語ろうとすることの後ろに、どれだけの精神的格闘があるか。
そのような愚直さに、むしろ涙ぐましいほど「emotional」を私などは感じるのだが......
しかし独自の「emotion」を振りかざし高踏的に言い捨てていくやりかたは、
どうも納得がいかない。そう言いたいなら、そう感じる理由を書けばよい。
 

[269]山田せばすちゃん[2004 09/17 00:26]山内緋呂子
やれやれ。
順番に行こうね、つか、すでにチアーヌさんは今後俺と言葉を取り交わすつもりもあんまりないだろうけどさ、こんな感情的なそれこそ「暴言」に、星入れちゃってる大向こうのためにも、言わなくちゃいけないことは言っとかなくちゃね。

まずは
>>「この程度」などと、嫌味な前フリをつけてまで・・・・
ここら辺から行っとこうかな。
どこが「嫌味な前フリ」なんでしょう?
ってか、「この程度」という言葉のどこが「前フリ」なのか俺にはわかりません。「前フリ」という言葉の語義にあってない気がします。「この程度」の「この」の内容はそれまでのお話の中にあったものばかりなので繰り返す必要もないかな、と思って指示語をおいて省略したのですが、もしチアーヌさんが指示語の指し示す内容がわからなくって、このような意味不明の抗議をなさるのなら、指示語をなくして、きちんと内容を明示した上で、この文章を再掲いたしますので、よくお読みになった上で、嫌味なのかどうかをもう一度ご自分の胸に手を置いてお考えになることをお勧めいたします。

ああ、この人は人前に自分の書いたものを投稿して載せるという行為については、「10分くらいで書いたものなので、自分で読んでも、あちこち直せるかな?直したほうがいいかな?とは思いますね。もう少し、書き込んでもよかったのかな、と。」って自分で思ってる作品でも平気で作品として投稿できちゃうくらいに無責任で、批評が載ったら載ったで今度はその作品としての成立の過程がいい加減であることを言い訳にしたがるくらいに覚悟のない人なんだなあ、ってところですが、むろんその感想と投稿された作品の評価を連動させるつもりもありません。

これで如何でしょうか?
たとえば、どこかに食事をしに行って、頼んだ料理が美味しくなかった、とします。んでもって「この料理は美味しくないなあ」といったら奥から料理人が出てきて「これは今大急ぎで、有り合わせの材料を使って作ったものなのです、私ももう少し手をかけて出せばよかったと思うんですよ」なんて言ったとしたら、どうです?それに対して「そんなの言い訳にもなってないじゃん、無責任だなあ」とこちらがそう言ったら「そう思うんだったら、もう私の料理は食べないでください!」って逆ギレしちゃうんだもん。それでもってそう言った口で「私は料理人一筋で、ここまでやってきたのです、料理には責任を持ちます」って言われても、それはどういう類の責任なんでしょうね?そんな責任とか覚悟とか、果たして信頼していいもんなんでしょうかね?
確かに俺とチアーヌさんとでは「責任と覚悟の種類が違う」のでしょう、それでもって俺はチアーヌさんの言うところの責任と覚悟、なんてもんは絶対に信じません。それを「私に対する侮辱」だと受け取ったのだとしたら、チアーヌさん、あなたの自我は間違った方向に向かって肥大しています。俺だけでなく田代さんもおっしゃってるとおり「心してお書きください。そして思い切りよく手放す。」それが俺の言う責任と覚悟です。
んで揚げ足取ったと書かれてますが、揚げ足取るというのは人の言葉尻を捕らえてその人の意図していない解釈をするとか、茶々を入れる、とか言うことだと思うのですが、私がいつどこでどういう風にあなたの言葉尻を捕らえて意図してない解釈をしたり、茶々を入れたりしたのか、できればきちんと提示してください、それこそ、「何でも言っていいのだ」ってもんじゃありませんよ(ってこういうのを揚げ足をとる、というのです。)

次に「作者だからと出てくるな、とか一読者として参加すればいい、とか」の「意見の押し付け」についてですが、別にあなたが思ったことを言うのは自由ですよ、俺には書き込みをさせない権限も削除する権限もこのスレッドでは持ってませんから。押し付けはしませんよ。私や田代さんが言ってるのは「批評に対して作者がのこのこと言い訳しに出てくるな、みっともない。」ってことです。批評家の「読み」に異論があるのなら、「作者」ではなく「作品の一番最初の読み手」として、つまり「読者」として異論を述べなさい、と。しかしその「読み」はほかの読み手の「読み」と等価にして並列だよ、と。
そんなもん時間がたってないから客観視できないとか何とか、そういう問題じゃないでしょうが。自作を客観視できないのは、書き手としての自我が肥大しすぎているからです。
私は前回の「ドトールに行きたい」のときにもその問題についてそれとなくご注意申し上げたつもりですが、もしかしたらあんまりそれとなさ過ぎてお見逃しになったのかもしれませんね。あるいは俺の書いたもんなんか斜め読み、で終わらせてるのかもしれませんけど、どっちにしてももう一度申し上げておきます、わかるようにして。
前回あなたはいくつも並んだそれぞれの「読み」に対して、よせばいいのにコメントつけるような愚考を犯しましたね。曰く「はい、そういう心情もあったと思います。」「あ、これもありますね。なかなかスルドイです。」「そうですねえ、そういうこともあるかもしれませんね。」…何様のつもりなのですか?チアーヌさんは「作者」がその作品の一番の理解者だと、そう思い上がっていらっしゃる。そうでなければこのような一つ一つの読みについてまるで学校の先生が丸つけるみたいにして、これも正解、これも正解に近い、などと判断する根拠もないのにできるわけがない。いいですか?あなたの「読み」もほかの人の「読み」も読者の「読み」として等価なのです、あなたに○×つける権限などありません。俺が「批評のあるべき姿は、作者の知らなかったことまで作品の中から紡ぎだしてみせる事の成否とその手際とにかかっているのですから。」と書き、田代さんが「あなたがどういうつもりで書こうと、作者の「つもり」よりもっと面白い読み方を、われわれ読者は力を尽くしてすべきなのです。」と書いた、その意味を、残念ながらチアーヌさんはまったく理解していらっしゃらなかったみたいだ。
それでもって今回は同じように、作者として一段高い位置がご登場なさる、何が「わたしからもひとこと」ですか。その尊大な物言いもまた、「読者がどんな読みをしようとも作者の解説が一番作品の正解に近いのよ」という肥大した自我むき出しの醜悪さです。

以上が>>263に対する俺からのご返答です、何か一言でもあなたの中に突き刺さって、後にそれがあなたの作品の向上につながればいいな、と、俺は「勝手に」願っておきます。
 

[267]石川和広[09/16 20:13]山内緋呂子
言葉は少なからず相手の心にショックを与えるとは一般的なもの云いにすぎるだろか。批評の衝動はかなり本人にとっても、訳の分からないうずきのように私感じる。私もいつも冷静なわけでなく合評等で注意を受ける時もある。しかし私は根が馬鹿なのか、どうしても伝えたい時理を尽しても相手を傷付ける時がある。それは私は愛なのだが相手にはウザい時もある様だ。ガードの固い人もいて私の無神経とも取れる言葉に引っ掛かる方もいる。しかし、うずきは私の中にある、そこで悩みまた、同じ失敗を繰り返す時、私は絶望する。失語に固執。私はしつこいっす
 

[266]チアーヌ[2004 09/16 18:47]砂木たもつ木葉 揺(このは ゆり)
>石川さん

わたしもそう思います。

>山田氏は彼の感受をもう少しく明らかにした後読みに入って欲しいと願う。

正直言って、山田さんがわたしの詩をここで「ドトール」「チャームポイント」と続けて取り上げている意味をわたしは判りかねていますし、また、わたしはここに詩を多数、投稿していますが、わざわざこの二つを取り上げる意味が判らない。
まぁどれを取り上げようと、それは山田さんの自由だから、かまいませんが、理由を説明してもらえると、意図がわかりやすくなります。
わたしは、「ドトール」「チャームポイント」での一連の山田さんの発言から、山田さんはわたしの詩など殆ど読んでいないか、または読んでいても嫌っているのだろうと思っていますが。それはもちろんちっともかまいませんけれども。でも理由は知りたいです。

あと、この際ですから、もうひとつ、過去にスルーできない発言がありましたので、ここに書いておきます。
以前「ドトール」の批評の際、
>いや、大体、俺が出入りしてる同人誌のレベルがどうだ、とか、こんな詩が同人誌に載>ってるのだとしたらその同人間の見識がどうなんだとか、いろいろ突っ込みどころもあ>るでしょうがね
の発言を読んだときは、かなり不快さを感じました。しかしそれを書くのは、そのときの本題からずれていると思い、あのときは書き込みはしませんでしたが、今この場で申し上げておきます。山田さんは、わたしだけでなく、過去の同人仲間まで侮辱してくれたのですよ。山田さんがどんなに敷居の高い同人誌にいらっしゃるのか知りませんが、わたしは過去の仲間を今も大事に思っていますし、そのときの同人の主催の方を今も尊敬しています。そして、わたしがいた同人誌は、けしてレベルの低いところではなかった、と自負もしています。小説がメインの同人誌でしたが、詩を載せたこともあります。「こんな詩」を。
何でも言っていいのだと、思っていませんか?
わたしだけでなく、過去の同人仲間まで侮辱することはやめていただきたいです。

わたしは山田さんと「議論」も「会話」もしたくありません。さきほどの発言の最初にそう書きましたでしょう?それに、山田さんにとっては「議論」も「会話」も同じものなのでしょう?わたしにとってはまったく違うものです。大体、言葉の意味が違うじゃないですか。「どうせ同じなので」という方とは「会話」はできません。
それに、「会話」というのは、あくまでも「会話」であって、山田さんのいつものスタイルでなさるお話はわたしにとって「会話」とは100万キロくらい離れています。
それに、わたしが言ったことは「文句」なのでしょうか?
あれを「文句」と受け取るのであれば、その時点でお話はできません。わたしはわたしの姿勢にかかわることだけをお話しました。これだけはスルーできない、と思いましたので。山田さんに対して「文句」など言っていませんよ。批評についてはご自由にどうぞ、と言っているじゃないですか。今回は批評の内容にも触れていませんし。
でも、わたしとしては、山田さんからみて「こんな詩」を、わざわざ批評なさらなくても、と思いますけれど。それこそ、時間の無駄、でしょう?
山田さんにとって批評しなければならない詩は、もっとほかにあるのでは?
わたしは侮辱されたことに対しての怒りを述べているだけです。そして貶められたわたしの創作に対する姿勢を表明しました。まぁでもそれを、山田さんは「文句」というのでしょうね。

そもそも、「会話」というのは、こじれていない状態でするものです。ニュートラルな状態で行うものです。わたしは山田さんに対して、考えや姿勢を固めつつあります。心無い発言について怒りの念も持っています。それに、批評のスタイルも、好きではありません。今後、「会話」が成り立つとはとても思えません。わたしと山田さんとの間で、発言がかわされるにしても、それは「会話」とは違うものであるとわたしは考えます。
 

[265]石川和広[09/16 16:59]
私は、事実として仲間と実際に会って詩の合評をやる時には、作者本人の言葉も聞きます。まあ時間の関係上、読者の評をメインとする。もちろん云いたくない人もいる。しかし時に創作過程での興味深い話が聞けたりそうじゃなかったりする。 これは、ごく基本的なことだけど、作は一度様々な読みに晒される。だが、作はその後、作者読者を含め交流対話の土台になると思う。私は山田、チアーヌ両氏の話を聞いて、肩を持つ訳でもなく作者のレスは単純に読みを深めるに役立つ。山田氏は彼の感受をもう少しく明らかにした後読みに入って欲しいと願う。
 

[264]山田せばすちゃん[2004 09/16 14:40]
さて。と。
チアーヌさん、お答えを差し上げたいところではありますが、私信がよろしいですか?
それともここで公開で「会話」でも「議論」でもどっちでも、俺にはかまいませんが(どうせやることは同じなので)やりますか?
まさか、文句いうだけ言っといて、「私は議論する気はありません」って耳塞いで眼をつぶるというのは、なし、でお願いしますよ。
 

[263]チアーヌ[2004 09/16 14:03]砂木たもつ木葉 揺(このは ゆり)
議論するつもりはありません。だから、他のスレッドに書き込もうかとも考えましたが、話の流れからそれもおかしいと感じましたので、ここへ書き込みます。

作者だからと出てくるな、とか一読者として参加すればいい、とか、意見の押し付けはやめていただけませんか?批評も自由ですが、この場所(ここ現代詩フォーラム)はわたしも共に参加する場所です。わたしが思ったことを言うのも自由なはずです。
ついでに、わたしはわたしの詩の、一読者ではありません。あくまでも書いた本人です。
考えや感覚は、違って当たり前ですから、自分の詩の「一読者」になれる人もいるのでしょう。しかしわたしは違います。とりあえず、今は違います。わたしの詩は、最近書いたものが多いですから、もしかして年数がたてば、心境も違うかもしれませんが。

それから。わたしの姿勢に関することにだけは、きちんとしておかなくては、と思いましたので、これだけははっきりと申し上げておきます。

>ひとつだけ個人的な感想を言わせてもらっていいならば、ああ、この人は人前に自分の>書いたものを投稿して載せるという行為については、この程度に無責任で、この程度に>覚悟のない人なんだなあ、ってところですが、むろんその感想と投稿された作品の評価>を連動させるつもりもありません。

わたしはこの発言を読んで、非常に嫌な思いをしました。
簡単に人を侮辱するのはやめてください。
「この程度」などと、嫌味な前フリをつけてまで・・・・。
わたしも、長く文章を書いています。「何か」を書くことを、やめられずにここまできた人間です。その場その場で、真摯に書いてきたつもりです。
批評は自由ですから、ご勝手にどうぞ。しかし、人を貶める発言はご遠慮ください。山田さんの言う「責任と覚悟」とわたしの思う「責任と覚悟」の種類は違うかもしれませんが、それを議論するつもりはありません。
わたしは自分の産み出した詩や小説に責任を持っています。
人のあげ足を取るような発言はやめてください。

最後に。
山田さんが本気で、わたしのことを無責任で覚悟のないもの書きだと思うのであれば、どうぞわたしの詩など読まないでください。わたしはどの詩もわたしなりに本気で書いていますが、そう感じられないのでしょう?だからそんな風に言うのでしょう?それならば、そんなもの読んでもしょうがないでしょう?


本当は、こんなことこんな風に書いて書き込むのも嫌です。
わたしは詩についてだったら、「議論」なんかじゃなく「会話」がしたいです。感想だけじゃなく。わたしの好きな詩人の方のサイトで、「会話」をしているのですが、文章のことを、話したり、聞いたり、話し合ったり、それでいろんな風に感じたりして、「会話」はすごく、有意義だと思いました。たとえ、最初は意見が合わなくとも、相手の言っていることの意味がわからなくとも、わかりあえるようになることがあるし、もしわからないとしても、「会話」したことが、後で、自分の腑に落ちてきたりする。
そういうことは、山田さんとのこんな風なやり取りでは、わたしは生まれてこないような気がする。山田さんのスタイルは、結局のところ、詩評した相手に対し(読者に対しても)嫌な気分を残すだけなのではないだろうか?(例外もあるかもしれないけど、大抵の場合。)同じことを話すのでも、もう少し、(せめてもう少し)静かに、穏やかに、話せないのだろうか。
(わたしだって、本当は穏やかな人間だとは言えませんが、でも。)

なんだか、嫌な書き方になってしまったと、自分でも思います。
少し過敏な反応だったかなとも思います。
しかし、わたしはそれぐらいショックでした。
我慢しようと、一度は思いましたが、我慢がなりませんでした。
きつい書き方をしたことで、不快な思いをされた方がいれば、本当にすみません。

話は変わります・・・。

奥主さんの、一連の発言、こころに残りました。考えさせられました。わたしはわたしの思うものを書いていくしかありませんが、「考えること」を続けるうちに、いつか腑に落ちて、自分の血肉になればいいと思います。わたしは、何かを考えるとき、頭だけで考えただけでは理解ができず、腑に落ちるまで時間がかかります。
考えるヒントを与えてくださったこと、感謝いたします。

石川さん
一連の最初のご発言、興味深く読みました。無意識の部分を指摘されたような気がしました。ただ、時折、自分は無意識を言葉にしているのではないか、と思うこともあります。少し説明が変ですけど・・・。うーん、むずかしいです。ごめんなさい。
 

[262]石川和広[09/16 10:11]
補足。 自己の否定というのは当然自分の受け入れに難渋し、苛立つことであり、これは、外界や具体的な他者の受け入れを困難にすることがあると思う。 あまりに過敏だったニーチェは、たぶんそういう自分に耐えきれず三十才で教授になって、わずか五年で辞めて年金療養生活に入りました。通説では学会から追放なのですがニーチェの難しさが出たと思います。その後も自分に鞭打つように書き続けた彼。私は、病気を知る前から、彼をそう見ていました。
 

[261]石川和広[09/16 09:56]山内緋呂子木葉 揺(このは ゆり)
昨日精神科を転院することになり医師に大分怒っていた。そして今日になり僕は今このスレでの僕の発言が対話になっているか思い返していた。僕は医師に怒ってたし意味はあったのかもしれないが、果たして自分に苛立っていただけではないかと。同様に、僕の読みにも自分への異和が先にあり自分のニヒリズムを相手の作や発言に投影するのではないか?ニヒリズムは、まさに自己の否定であり、否定を通して生きていく。それをチアーヌさんや山田さんに読み込んでしまったかもしれない。しかし、その葛藤に飲まれながら赤面し読み書きする自分がいるのでした
 

[259]石川和広[09/15 16:26]
先の言葉は「畏怖する人間」という初期論集でみずみずしいです。僕も人の言葉を借りて情けないばかりですが、でも、あの言葉は先行する批評に学びながら独自に放たれた感じがして、言葉のとどかなさを噛み締めた者にとっては比較的わかると勝手に推測します。批評はどこかで自他の本質をこすりあわせます。僕はチアーヌさんの作品を、ニヒリズムと読んだのは、相対的な価値秩序を奥主さんの言葉を借りれば、小咄にしてる感じ。つるつる滑る。でも鈍感なのか、そんな時代もあったので終わり。手応えなさはあまり興味なし。山田さんの違和の所在は?
 

[258]石川和広[09/15 16:09]
僕は最近、あるサイトに、詩人の神尾さんの詩集について書いた。だが拙文が批評かは自難しです。>>255の「違和」という言葉大切と思った。柄谷行人が、前書いてたことを自戒を込め引用したい。「批評においても、いかに書くかということが問題である。例えば、怒りや悲しみがいかに真率なものであってもそれを言葉にすれば凡庸であり他人を感動させないのはそれらが本来伝えがたい失語の溝を一挙に飛び越えて社会化されたクリシェに頼ってしまうからだ」これは感受の核を残念な事に受取り難くすると…僕も固い言葉使い勝ちだから言葉を開く事かな
 

[256]山田せばすちゃん[2004 09/15 11:42]
追記
通常「正常位」と言われる、あの男性が上で女性が下になる性交時の体位が「正常」であるとされたのはビクトリア王朝における性の抑圧期だったと思います。俺は決してフェミニズムが「正常」であるとは思っていません、俺にあってると思ってるだけのことです。ちなみに俺は騎乗位が好きですが(笑)それとフェミニズムとは基本的にはあんまりかかわりがないと思っています。
 

[255]山田せばすちゃん[2004 09/15 11:25]
>>自分がひっかかった作品に関して、自分が言いたいことを便乗して書いているだけのような気がして
俺の感じた「違和」を、作品世界に即して言語化する過程で、俺の世界認識が提示されてるということですよ、奥主さん。俺があくまでもやりたかったのは「違和」の分析と言語化で、フェミニズムのプロバガンダじゃなかった・・・とは言うものの、所詮フェミニズムも「イズム」ですから、そう受け取られてもしょうがないっちゃあしょうがない類の物件ではありましたけどね。

>>「こういう発想を受け止めてくれる社会というものが厳然として存在しているに違いない」という弱さが、やっぱり漂っていると思うのだ。
ええ、それを「弱さ」というか「鈍感さ」というかはそれこそ個人的な語彙の問題ではないでしょうか?

ついでに言えば奥主さんに「無理やり捩じ込んで」といわれた俺の批評態度は、かつて佐々宝砂に「強姦魔」といわれたこともあったりするのですが(苦笑)、たとえそれが「無理やりに捩じ込む」もんであろうと「優しく口説き落として、前戯おさおさ怠りない潤滑な挿入」であろうとも、小倉千加子http://www.logico-philosophicus.net/profile/OguraChikako.htmに言わせりゃ「すべてのヘテロセックスは強姦である」わけですし、大体俺は前提として作者そのものを強姦しようと企てたことは一度としてなく、作品を強姦してるのですが、ついぞ作品そのものからの「痛い」という悲鳴は聞いたことはありません。
 

[253]佐々宝砂[2004 09/15 00:35]
くそ忙しくて、なんか書くヒマがございません。
☆入れることで、私の意見にかえさせていただきます。
 

[252]田代深子[2004 09/14 23:23]佐々宝砂
> 251
> 「こういうのは萎える、こういうのが好き」という自身の意見を述べているだけであって、
> 言語化を妨げようとしているわけではない

 好悪を表明しているだけ、というのはその通りだろうと思う。しかしそれこそ問題のよ
うな気がする。つまり「私はこれが好き」「えー俺はこっちが好き」「あたしどっちも嫌
いだなー」というような言いっぱなし、そしてもうその先はお互い干渉しないが善き振る
舞いなのだ、という態度は言葉を借りるが「萎える」。議論すること、紛糾しながら批評
をとりかわすことを馬鹿馬鹿しい、とするならば、そもそもこのスレッドすら存在理由が
ないではないか。
 山田氏のチアーヌ氏への噛みつき方が不快であったなら、そのことをきちんと追及すれ
ばよいのだ。妙な緩衝材を入れ、「べつにあなたがそう思うならいいけどね」的な逃げを
うち、相手の言語を無化したりせずに。
 それが議論における、最低限のモラルではないのだろうか。
 まあ、むろんどっちにしろ、山田氏は気紛れに怒ったり黙ったりするのだろう(笑)
それは彼の責任でやってもらおう。

 ああ! しかし上記文章は己にもはね返る!
 > 246
 石川さん、ニヒリズムとシニシズムの違いはなんですか?
 

[251]いとう[2004 09/14 12:01](1+1)/4
あ。自分で書いててなんだけど、
奥主さんの発言、そうでもないような気がしてきた(笑)。
「理ばかり先に立って、セックスに理屈をつけるような批評というのは」とあるんで、
ちょっと違うかも。
でもまぁ、それでも、「こういうのは萎える、こういうのが好き」という自身の意見を述べているだけであって、
言語化を妨げようとしているわけではないと、感じます。俺は。

ニュアンスが難しいんだけど、
嫌いなものを嫌いって言うことと、その嫌いなものの存在を否定することは、
必ずつながっているわけではない、と思う。
 

[250]いとう[2004 09/14 11:07]ピッピ石川和広角田寿星
おずおずと首を突っ込んでみる。。。コワイヨーーーw

とまぁ、冗談はさておき、

山田せばすちゃん氏の批評の内容については、
あー、この人はそういうふうに読んだんだなぁ…程度の感想です。
少なくとも、彼の批評でこの作品が決定付けられるわけではなく、
作品の持つ、とある側面を、彼は浮き彫りにしたのだなぁと。
俺は俺で、件の作品に対しては少し異なった感触を持っている部分もあるし、
そのくらい目くじら立てずに許してあげなよ〜(笑)、みたいなところもある。
基本的に女の子には甘いのですよ(笑)。
山田せばすちゃん氏とは女の子の趣味がまるっきり違うとも言う(爆)。

奥主さんの発言は、たぶん、
山田せばすちゃん氏の発言の傾向、あるいは方法に対して、「萎えてしまう」と言っているのであって、
「これが正上位だぁ」とする、その内容に対して萎えているわけではないと、読んでいて思います。
「正上位だろうがなんだろうが、気持ちが良いのが好き」という意見の表明。
(さらに言えば、そんなことするなとは一言も言っていない。)

ま、そんな感じなので、
田代さんは奥主さんの発言に対して

>山田氏のチアーヌ氏に対する書きっぷりは、明らかに頭ごなしでそれこそ暴力的だった。しかし少なくとも真摯に何かを読みとり言語化していくという態度に、やんわりと素手で口を塞ぎにくるような、それこそエロス的接触によるからめとりは、ものを考えるということすら罪悪のように周囲を黙らせる。

と述べてますが、俺が言うなら、

山田氏のチアーヌ氏に対する書きっぷりは真摯に何かを読みとり言語化していくという行為の現れである。しかし明らかに頭ごなしでそれこそ暴力的な態度に、やんわりと素手で口を塞ぎにくるような、それこそエロス的接触によるからめとりは、ものを考えるということすら罪悪のように周囲を黙らせることはない。

となるのかなぁ。ちょっと違うけど(笑)。
んと、要は、真摯に何かを読みとり言語化していくという態度に対してではなく、
明らかに頭ごなしでそれこそ暴力的な態度に対する反応であって、
それは、口を塞ごうとする行為とは結びついていないと考えます。
言語化を妨げようとしているわけではないと思う。
山田せばすちゃん氏の(暴力的な)批評が、あくまでも作品に対する反応であって、
作者の詩作を妨げようとしているわけではないように。

ま、実際、こんなんで山田せばすちゃん氏の口が塞がれるわけはないしね(爆)。
 

[249]田代深子[2004 09/14 07:40]佐々宝砂
くそう、出遅れた。

> 244
> 外面であろうとも内面であろうともその好ましいとされている属性を規定するのは属性の
> 持ち主である女ではなくって、属性の買い手である所の男が勝手に決めているのだ、とい
> う更なる欺瞞が待ち受けている

 うん、そう。そうなんだけど、でもがらんどうさんの読みはかなり面白かった。てゆー
か痛快だった、わたし的に。ここらへんとか。

> 243
> これは「女もまた男を選別する」「男も商品である」という当たり前の事実が可笑しかっ
> たんですよね。


 さて、チアーヌさん、あははははははははーしょうがないやねー まあ山田氏の言うと
おり、作品というものは作者の手を放れてしまえばもう取りもどしようはない。持ってい
ていいのは社会的経済的利権としての著作権くらいのもので、「正読」なんてありえない
し、書かれたいきさつなんて、一部マニアにしか関係のないものなんですよ。私は少なく
ともあなた個人がどんな仕事をしていたかなどにはまったく興味がない。あなたがどうい
うつもりで書こうと、作者の「つもり」よりもっと面白い読み方を、われわれ読者は力を
尽くしてすべきなのです。だから心してお書きください。そして思い切りよく手放す。こ
こに名乗りを上げるなら、自分も一読者として解釈してみればいいだけのことで。

> 246
> 上に見るとか、下に見るとか。そういう視線だって、あるようでないんじゃないかなぁと、
> わたしは思います。そのときの状況があるだけ。場面があるだけ。

 「あるようでない」と言ってしまえばだから、「ないようである」ということもまた事
実となる。その二重性を意識することは、おそらく「倫理」のうえで重要だし、作品にもっ
と多層性を与えることを可能にするだろう。べつに倫理的になれというわけではない。こ
の倫理というやつはクセ者なのだ。なにしろ他者最優先なのだから。
 「状況があるだけ。場面があるだけ。」という自己防御の言い訳のなかに、さまざまな
暴力が隠蔽されているのだ、その隠蔽に荷担することによって、自分も暴力を行使してい
るのだということを、常に自覚していく。自覚しながら書き続けていく。それがせめて、
ものを書く人間には必要な覚悟だと私は考えているが、どうだろうか。

 たとえば「理ばかり先に立って、セックスに理屈をつけるような批評というのは、痛がっ
ている相手に無理やり捩じ込んで…」というような、いかにも情緒的な物言いで、言語化
を妨げようとする態度は暴力ではないのだろうか? たしかに山田氏のチアーヌ氏に対す
る書きっぷりは、明らかに頭ごなしでそれこそ暴力的だった。しかし少なくとも真摯に何
かを読みとり言語化していくという態度に、やんわりと素手で口を塞ぎにくるような、そ
れこそエロス的接触によるからめとりは、ものを考えるということすら罪悪のように周囲
を黙らせる。
 セックスは理論ではないかもしれない。しかし作品を読むことは作者とセックスするこ
とではない。それはどんなに望んでも言語によって妨げられる。だから、言語で作品の奥
深く入っていくより他にないのだ、ということを、私は考えている。

 これはロゴス偏重なのか。どうしてもそうなるのか。…こうしたトラップにいつも引っ
かかるから、私はフェミニストではない、といつも言うしかないのだ。

(こうしてばたばたみっともなく生きることは虚しいか? ふん。「虚しくない」と決め
るのは自分しかいないのだから、自分でそれをできなければ、ただもう虚しくなるだけだ
ろう。そうしたらもう「虚しい」なんて言葉も出やしない状態だ。指一本動かす気にすら
ならないだろう。どっちにしろ「虚しい」なんてありきたりで手垢のついたこっ恥ずかし
い言葉、冗談としてしか口にしないし、詩にも使わないけどね!)



ああ まとまりのねぇ文章だなぁ とりあえず仕事に行かねばならん
ここで書いた人! お利口さんに黙って引っ込んだりしないでよねっ
 

[247]山田せばすちゃん[2004 09/13 22:46]佐々宝砂
>>なんか漠然としてますが、こんなところで。

本当に漠然としてますこと。
で結局何をおっしゃりたいのでしょう?

たとえば三行目「この詩は」以降のこの詩の成立過程を綿々と書いた上で、で結局何なんですか?そういう過程を経ている、いうなれば粗雑な作品なのだから、大目に見ろ、とか、まさかそんなことはおっしゃいますまいね?チアーヌさんの中でどのような紆余曲折があったかなんて別に俺は興味はないので、なぜここにこんなこと書かれるのかが理解できませんでした。ひとつだけ個人的な感想を言わせてもらっていいならば、ああ、この人は人前に自分の書いたものを投稿して載せるという行為については、この程度に無責任で、この程度に覚悟のない人なんだなあ、ってところですが、むろんその感想と投稿された作品の評価を連動させるつもりもありません。

で、「解説」以降ですが、「人間」には「いろんな面が」ある、というのはチアーヌさんに言われるまでもなく、みんな知ってると思いますよ、で、だからどうだというのですか?俺をはじめ田代さんも、かの寿星さんも誰も「この詩には人間のいろんな面が書けてない」なんて批評はしていませんよ?つかそんな要求を詩にするほうが間違っている、と俺は思います。そういうのは自然主義小説かなんかの大長編でやるにふさわしい作業であって、むしろ詩はその「いろいろな面」の一部を如何に鮮烈に切り取ってくるか、というタイプの文芸なのではないでしょうか?チアーヌさんご自身も
>>この詩は、実際に何度か経験した「こういう場面」の、切り取り貼り付け切り張り、で出来上がっています。
とおっしゃっているのだし、俺はその切り貼りされたひとつの側面に関して、批評を行っているわけだし。それともチアーヌさんはそういういろんな側面があるということで、俺が「鈍感」と断罪した、詩の語り手であるところの「彼女」を擁護なさりたいのですか?それは「心の動き」は「たくさんある」でしょう、親父思考にシンクロしながら、そうじゃないことを考えている事だって容易に想像は尽きますよ、でもだったらなぜ、この部分、この側面をチアーヌさんは詩に書こうと思ったんでしょうか?どこかにこれを書くべき必然性が、チアーヌさんの中にはあったということなのではないでしょうか?その必然性の根拠をこそ、俺は見据えた上で批評書こうとしているわけですよ。話がちょっとずれますけれど、俺は最近寝しなに「鬼平犯科帳」を読みながら寝ちゃうのが癖になってるんですけど、その中で火盗改方長官長谷川平蔵は「悪いことをしながらどこかで善行を積もうと思っているのが人間だ」なんてことをおっしゃるのですが、でもそういう「いいこともする悪い人」はまさに悪いことをしたという一点で鬼平に斬られちゃうわけでね、たとえそれが一面に過ぎないとしても、「鈍感」な部分があったらそこは「鈍感」であると非難されるのは理の当然ってもんでしょう?
でさっき書いた必然性ってやつですがね、チアーヌさんはこうも書いていらっしゃる。
>>、「今日はこっちの面で行こう」と、意識はしなくても、自然に面が動いていく。
さてここですよ、「自然に」動いちゃうこと。
自分もまた「モデルちゃん」たちと同性であって、その限りにおいては「親父思考」の対象であることをきれいさっぱり忘れて「自然に」シンクロしちゃうこと、意識しないこと。そういうところをまさに俺は「鈍感」と呼びたいわけでね。

んで
>>。チャームポイントなんて、非常に流動的なもので、あるようでないんです。
っておっしゃってますが。流動的だから、ないなんていうのは明確に嘘ですね。正確には流動的だから「確固とした万古不易のチャームポイント」がないというだけで、チャームポイントなるものはその場その場にきちんとあるんです、しかも、流動的だけれど、変わらないものもある、それは、チャームポイントが男側のリクエスト、もしくは男がこれをリクエストするであろうと女たちが想定したコンセプトによって成り立っているということです。もしそれが本当はない、のならなぜ、本当はないものをあるようにして、モデルちゃんたちはチャームポイントを申告させられねばならないのですか?ない、ということと、ないのかもしれないけれどあることにされちゃってること、とは明確に状況がちがいますし、ましてや、ないのかもしれないけれどあることにされてるという状況そのものをないことにしたがっている、なんていうのは論外です。

あとね、作者だから、という理由で批評の場に踏み込んでくることはできればやめていただきたい。作者だから作品については誰よりも詳しくてその意見がどんな批評家よりも作品の本質に近い、などというのは迷妄です。批評のあるべき姿は、作者の知らなかったことまで作品の中から紡ぎだしてみせる事の成否とその手際とにかかっているのですから。
 

[246]石川和広[2004 09/13 16:40]
>>245 生きている虚しさ 虚しいのに、なんか仕事して生きる。まあ、少し、変わった現場ですが、そうでもないかもしれない。

笑いという点から、いうと、ニーチェのいう最高度のニヒリズム。信じてないものを、それでも生きるということかな?そこから、生じるなんだかなあという笑いというか。

ああ!関係ない評だったかも。そうでもない??
 

[245]チアーヌ[2004 09/13 13:49]
いちおう、この詩についてのこと、わたしからもひとこと、入れておきますね。
せっかく取り上げていただいたようなので・・・。
この詩は、ポエニークの中の即興詩のコーナー「即興ゴルゴンダ」http://poenique.jp/からお題をいただき、書いたものです。
タイトルが先で、そこからの発想で書きました。10分くらいで書いたものなので、自分で読んでも、あちこち直せるかな?直したほうがいいかな?とは思いますね。もう少し、書き込んでもよかったのかな、と。ただ、わたしとしては、それほど掘り下げたいテーマでもなかったので、そこまでするつもりはないのですけれど。書くとしたら、別のかたちで、別の詩で、似たテーマで書くと思います。

解説、じゃないですけど、わたしはむかし、こういう現場で働いていました。
この詩は、実際に何度か経験した「こういう場面」の、切り取り貼り付け切り張り、で出来上がっています。
で、そうだなあ、何から書こう。
人間というのは、いろんな面がありますよね、「今日はこっちの面で行こう」と、意識はしなくても、自然に面が動いていく。
オーディションの場での、最初のいやぁーなイジワルな突っ込み、そういう突っ込みをしちゃう面があれば、それとは別に、冷静に仕事のことを考えてふさわしい人を選ぼうとする面があって、またまたそれとは別に、この子とは友達になれそうだな、とか思う同じ女の子としての自分がいて。それは男女関係無く、みんなそうなのだと思います。ルービックキューブ(古い例えかしら・・・)をがちゃがちゃ言わせる感じでね。
上司の思考にシンクロする場合もある。ただそれは同じ仕事をするスタッフとしてね。それとは別の思考も「別の面」として同時に存在しているだけで。
最後の、「見えないところにあるんですよ」というのは、完全に冗談で、見えないところだろうが、見えるところだろうが、わたしはそんなことどうだっていいと思います。どこだっていいのです。冗談、というか、この場合「見えないところ=無い」ということがニュアンスとして伝わるといいなぁと思いました。チャームポイントなんて、非常に流動的なもので、あるようでないんです。わかりやすいところで言ったら、わたしが中学生くらいのころって、眉毛が太い方がかっこよかったのに、ちょっとしたらみーんな細い眉にしちゃったりね。化粧法なんて、すぐに変化しちゃう。体型だって、少し前までだったら「痩せすぎ」と思われていたような体型が、今はきれいに見えるでしょ。わたしだって、痩せたいし(笑)あと、内面的な面も、田辺聖子さんのエッセイで読んだのですが、戦前までの「やまとなでしこ」っていうのは、女から見ると非常に気持ち悪い存在だったようです。なぜかというと、みんなで「我慢合戦」状態になっていたから。でもその当時は、やっぱりその当時の「いい女」といわれたくて、みんながんばっていたらしいです。だから、チャームポイントの概念や価値観なんて、そんなものじゃないのかな。
男目線とか、女目線とか。そんなの影響しあって変わっていくことじゃないのかな?それこそ面をがちゃがちゃ言わせるみたいに。
だから、最後、二人とも笑ってる。
どっちも本気で尋ねてないし、本気で答えてない。男も女も上司も部下も。

「チャームポイント全調査」というタイトルから浮ぶもの。
それは「オーディション」だったんです、わたしの場合。
だって、調査しちゃうんですから。履歴書みながら。それも、普通の履歴書じゃない。めんどくさいので、詳細は省きますが。
鬼畜のような突込みだって、冷静な視線だって、気の合いそうな女の子を捜す気持ちだって、同時に存在してる。その中で「チャームポイントってなんでしょう?」
「そんなものはないんです。」(あるんだけど、ないんです。)そんな、複眼での自問自答。誰にでもある。きれいごとですまない心の動き、たくさんある。

上に見るとか、下に見るとか。そういう視線だって、あるようでないんじゃないかなぁと、わたしは思います。そのときの状況があるだけ。場面があるだけ。

なんか漠然としてますが、こんなところで。
 

[244]山田せばすちゃん[2004 09/13 02:12]佐々宝砂
243
だから俺が「シンクロ」といい、田代さんが「エロス的関係」と規定したところの、虚構の価値観を共有しているというもしかしたら一方的な、あるいはかりそめの、「合意」、という読みは落とすなよ。

「彼女にするんなら性格もよくないと」って、君もまたオーディションの持つ虚構性が俺に指摘するような二重底になっているという構造を理解できないで、男目線の内に着地しちゃうんだよな、いい加減気づけ、この虚構性はチャームポイントが外面か内面かという倫理的な着地点のまだ下に、外面であろうとも内面であろうともその好ましいとされている属性を規定するのは属性の持ち主である女ではなくって、属性の買い手である所の男画勝手に決めているのだ、という更なる欺瞞が待ち受けていることにって、そういうことに気がつかないからこそ、男は男としてやってられるんだろうなあ、などと、男にしてフェミニストという非常に不便なところにいる俺としてはそう思うのだった。
 

[243]がらんどう[2004 09/13 00:36]佐々宝砂
田代さんの読みからいくと、この語り手は「男」と読んだ方が自然な気がします。
オヤジの価値観に同化した女ではなくて。
田代さんが書くように
>(このさい上司が男で部下が女とは限らない)
わけではありますが。

>すなわちこの語り手は公的場に私的価値観を持ち込んで悦に入っている

これは「自分の女」を選別する目線ですよね。
見えないチャームポイントが、目に見えるものに優先するというのは。
「公的な選別の基準はわかってるけど、俺の好みじゃないなあ」
という感じではないですか。
「彼女にするんなら性格もよくないと」

>調べたりするもんじゃないだろう

つまりは、他人から評価されるもんだろう、という。
それは「モデルとしての商品価値」を評価されるのと同時に、
「女としての商品価値」を買い手である「男」に評価されることである。
で、その買い手である男っていうのは、つねに主観的な俺であるわけで、
公的な基準がどうあろうと、オレ流なわけです。
「選ぶのはあくまで俺なんだから、俺の好みも内面も知らないお前が調べたりすることは出来ないだろ」と。
(当然、公的な選別の基準にもとづくチャームポイントは調べることが出来る、というのを踏まえた上で)

>モデルちゃんたちが帰ると
>みんなで話し合う

にしたって、
「お前はどの女が好みよ?」「ヤルだけなら3番すね」的な、
それこそ私的な方向での話し合いも同時に行われていることでしょう。

そういう方向で
>「お前のチャームポイントはどこだろう?」
>不意に話しかけてくる上司の声に、
>「見えないところにあるんですよ」
>と笑って答えてみた

>上司も笑った
を読んでみると、
これは「女もまた男を選別する」「男も商品である」という当たり前の事実が可笑しかったんですよね。
それが当たり前ではない公的な選別の場が前景に再び現れることによって。
「そりゃ、俺の商品価値は<みえないところ>にしかございませんが、ここはそういう場ではないでござんしょ」と。
 

[242]田代深子[2004 09/13 00:20]
>フェミニズムは負け犬の遠吠えとか言われちゃうんだろうって、そういう話ですかい?

いやいや そんなかたるには落ちないぜー(笑)
だって上司が男で部下が女とは限らないしさ
わたしはフェミニストでもないしさ
ここで「鼻持ちならない」し「妬ましい」のは
権威を盾にした無頓着さなんだからさ
ふふふーんだ
 

[241]山田せばすちゃん[2004 09/12 23:55]
>なるほど鼻持ちならない。
>が、これは幸せそうで妬ましいからなのかもしれない(笑)
 
わははは、田代さん、うかうかとそういうこというからさ、フェミニズムは負け犬の遠吠えとか言われちゃうんだろうって、そういう話ですかい?
 

[240]田代深子[2004 09/12 23:42]佐々宝砂
よっしゃ 乗ってみようか

チアーヌ「チャームポイント全調査」について

 「お前のチャームポイントはどこだろう?」
 重箱の隅をつつくようなことだが、あまり会社の上司が女性社員に向かって「お前」と
呼ぶことはないと思うし、この質問自体がすでにセクハラ発言として訴訟にかけられても
おかしくないものだ。まあべつに、この詩にセクハラが含まれているとかいないとかはまっ
たく問題ではなく、ある種、作者も意図していないであろう下世話な読み方ができてくる
ことに気づく。
 すなわち、この上司と語り手の部下(このさい上司が男で部下が女とは限らない)はデ
キている。

  「お前のチャームポイントはどこだろう?」
  不意に話しかけてくる上司の声に、
  「見えないところにあるんですよ」
  と笑って答えてみた

  上司も笑った

 とすると、ほら、エッチな感じに読める。「よし、見せて、付け根までね」といやらし
く突っ込みたくなる。と、いうところで、山田氏の《絶対に思考が親父とシンクロしてるっ
て。で、シンクロしてる自覚がない分、やはり鈍感なんだという結論は変わらないと思う
よ。》という指摘が効いてくる。ここで表象される「親父」は、壮年の男性を指すもので
はない(と、私が勝手に決める)。家庭や企業における主要な経済活動の担い手、それゆ
えに発言力と(建前であれ/小規模であれ)権威を有する者である。この権威者と私的エ
ロス的シンクロを果たし、その結びつきにより自らに権威を付与することができればこそ、
語り手は審査され篩にかけられる「モデル」たちを、まったく筋違いな価値観で計ること
に耽りこみ、自己肯定的な結論をつけて満足していられるのだ。
 そもそもこの「オーディション」の目的は何か。商品広告のイメージガールか、企業イ
ベントのキャンペーンガールなのか。チャームポイント「目」「足」と並んで「天然ボケ」
が登場するのは何故なのか。そのオーディションで、モデルがモデルとして職を得るため
に強調するべき「チャームポイント」は、その美的イメージなのである。それは細い足、
大きな目、また全体として醸し出される小賢しさのない雰囲気、どのようなものでも構わ
ないが、絶対にメディアの表層=平面として理解されやすい「時代的美」でなければなら
ない。

  「性格がいい」なんてことや
  「思いやりがある」なんてことは
  二の次三の次

なのは、まさに「当たり前」であり、

  チャームポイントってなんだろう
  とりあえず
  調べたりするもんじゃないだろう
  ふつうは

「ふつう」に理解される微細な「チャームポイント」である必要はない、職業的条件とし
ての「チャームポイント」なのであって、だから「キビシイ」審査の目にさらされる。
 くり返しになるが、この上司と部下はデキている、と考えるのは、語り手(部下)の職
業的・社会的無頓着さによる。すなわちこの語り手は公的場に私的価値観を持ち込んで悦
に入っているわけだが、なぜ私的価値観がモデルたちの冷徹な商業的美に優ると信じてい
られるかと言えば、彼女たちの持っていない「権威(山田氏風に言うなら親父)」の後ろ
盾を、エロス的に確保している(と本人が信じている)からだ。しかもモデルたちにとっ
ては現在まったく関係ない、内面的美によって(と本人は信じている)。
 なるほど鼻持ちならない。
 が、これは幸せそうで妬ましいからなのかもしれない(笑)
 

[239]角田寿星[2004 09/12 02:14]石川和広
わかりました。この詩から感じとったことは、ぼくも山田さんも大差はないようです。
ただ、そこからまったく逆の結論を導いていることは興味深い。

確かに前半の叙述は悪意に満ちています。ほとんど人でなしといってもいい(ゴメン
ね、チアーヌさん)。
ただ、それと上司との対話は別個だと思うんだよね、ぼくは。心に麻酔をかけるのは、
自覚的ではなくむしろ無自覚的な処世だから。優越感とか侮蔑(というよりぼくは羨望
の裏返しだと思うけど)に混ざって、「たく、なにやってんだろーなーおいらは」的な
感情もありますよ、人間なんだから。それが笑いの真相だと思います。
山田さんの仰るとおり、その二重構造を深く突っ込んで書けてはいないよね。本当の意
味では自覚はしてないのかもしれないね。

うーん、あとは、自覚してないことを「鈍感」と取るかどうかの論点になっちゃうのか
な?それはあまり面白くなさそうですね(苦笑)。ありがとうございました。
 

[238]山田せばすちゃん[2004 09/12 01:41]
俺は別にポリティカルコレクト目指して批評かいてるわけじゃないので、嫌悪感の正当性を保障してもらおうとは思わないんだが(苦笑)
いや、かの寿星さん、だったら、それぞれのチャームポイントに対する彼女の悪意とセクハラの混じった突っ込みは何なのよ?まさに親父が憑依してますって(笑)これで「モデルちゃん」を馬鹿にしてないって言うんだったら、それは喧嘩売ってるの?っていいたくなるくらい、しっかり、彼女は侮蔑してる。選別の過程を詳らかにすることで明らかに自らが選別する側にいることに変な優越感みたいにを抱いてる、じゃなかったら、「厳しい」を「キビシイ」なんてカナ書きするもんですか。
俺が言うオーディションの欺瞞の二重構造に、確かに彼女はうすうす気がついているのかもしれないし、別にはなっから「モデルちゃん」って馬鹿ねー、がこの詩のキモではないとは思うよ。でもなんていうんだろう、二重底なのかもしれないのは気がついているけれど、二重底の底まで検証してるとは俺には思えない。着地した先が見事に親父の倫理性の中にあることも、自覚的な処世術であるとは俺は思えないもん、絶対に思考が親父とシンクロしてるって。で、シンクロしてる自覚がない分、やはり鈍感なんだという結論は変わらないと思うよ。
あなたが言う「乾いた大人の笑い」も俺には「反省のない親父の空虚な笑い」に思えるし。
 

[237]角田寿星[2004 09/12 01:21]
>>236 補足だ補足。

確かに、かなりイジワルな詩ではあります。モデルちゃんに対するツッコミとか、けっ
こう品物扱いしてて、まあこりゃ「仕事だからシビアに」つーよりも、同性ならではの
ヤッカミとか、いろいろ入っていそうだねえ。
ただ、世の中を上手に渡るには、心のどっかに麻酔をかけておかないとやってけないん
だよね、実際。だから答えを合わせたり、笑ってみたり、「鈍感であることを演じてみ
せる」、そっちの方にぼくは着目したんだよね。

だから、「彼女は鈍感」つーのは言い過ぎです、山田さん。これがぼくの結論ね。
 

[236]角田寿星[2004 09/12 01:09]
>>235 反論。こういう批評は山田さんの芸風なのかねえ…。

この詩に対して、山田さんが嫌悪感をあらわにするのは正しい。
なぜなら、そういう意図を持った詩だから。

最終部での彼女と上司との笑いはけして調和的なものではなく、ヨソ行きの御愛想と皮
肉が混じった、乾いた「大人としての」笑いなんですよ。
つまり彼女は鈍感ではなくて、山田さんの言及しているオーディションの欺瞞に気付い
ているんです(アウシュビッツ云々まではよう知らんが)。
だから上司のセクハラまがいの質問に答えて「みた」んです。上司の考えてる(だろ
う)ことに答えを合わせた。それはいわゆる「結論」ではなくて、もちろんのこと品定
めをする側の優越感でもなくて、まあせいぜい、ちょっと謙遜の混じった処世なんで
す。
彼女が「モデルちゃん」をバカにしてるとはぼくは思えないけどなあ。
 

[235]山田せばすちゃん[2004 09/11 23:32]佐々宝砂
んだば、そろそろ次の詩でもやるべえか。
というわけで、チアーヌさんの「チャームポイント全調査」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=19252&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D764

のっけからもう言っちゃおう、あーやだ。

何がやだといって、モデルオーディションという現場自体がやだ。
それってまるで奴隷市場みたいなもんでさ、売り場に並んだ奴隷たちがそれぞれの用途にどれほどふさわしいかを語らされるように、「モデルちゃん」たちは自らの「チャームポイント」について語っている/あるいは語らされているわけで、それは「商品」としての「モデルちゃん」たちには至極当たり前のことではあるのかもしれないけれど、その「商品」としての美点であるそれぞれの属性、つまりは「目がきれい」だとか、「天然ボケ」だとか「足」がきれいだとか言うのは、実は彼女たちが己が身に備えていると信じている、「女」として好ましいとされる属性で、その虚構性をいちいちこの詩の語り手はさも得意げに突っ込んで見せているわけだ。でも実はこの「チャームポイント」の持つ虚構性は、「モデルちゃん」たちが自らそう思い込んでいる、あるいは自らを商品にしてしまうことでそう言わされている、というだけの問題ではなく、それらの属性が「女」にふさわしいとされている事自体にあるのだけれど、狂言回したる語り手の彼女がその点にまで思いが至ってないことは明白だったりするのでそこで俺はがっかりしちゃうんだよなあ。

「チャームポイントは」「ふつうは調べたり、申告したりするもんじゃないんだ」というフレーズから、かろうじて彼女はチャームポイントを申告させるということ自体の虚構性に気がついているようには見えるのだけれど、そこから導き出されるのは「チャームポイントは見えないところにある」というつまんねー結論だけであって、つまりは「チャームポイントは外面ではなく内面なのだ」という、虚構性をさらに誤解して、内面という「見えないところ」に美徳を求める退屈な倫理に着地するところまでしか、彼女の考えは及ばない。及ばないからこそ、彼女は「上司」が自分に向けた質問に対して笑って答えてしまえるわけだ。

要はこの「彼女」は徹頭徹尾上司=「おっさん」の思考に自らをシンクロさせてしまってるわけだな。んでもって、自分がそうなっちゃってることに対して何も考えないくらいに鈍感なんだ。だからこそ、「足」が自信の「モデルちゃん」に(よし、見せて、付け根までね)なんて、てめえがいわれたら寒気がするであろうに違いないようなセクハラまがい、いやセクハラそのものでしかないような突込みができちゃうんだろう。んでもって平気でおっさんたちの品定めに参加ができて、「世の中はキビシイ」なんておっさんそのものの感想を漏らして、着地地点は「チャームポイントは見えないところ」だなんて、これまたおっさん好みの倫理性だ。

実は構成からいうと、「上司」が「ふいに」彼女のチャームポイントはどこだ?なんて聞いてきたときに、この詩はすごい展開をすることだってできたはずなんだ、と俺は思う。

たとえばこのシーンは、アウシュビッツの収容所でドイツ兵の下働きをさせられている小利口な(でも決して利口ではない)ユダヤ人が、ガス室に連れ込まれるユダヤ人たちを一列に並ばせて選別してる場に立ち会わされて、ドイツ兵があれこれと価値判断して「こいつはガス室」、「こいつは収容所」、「こいつは農場」とか選別したのをその通りに列を作って並ばせて、「「全員足踏み。前へ進め!」なんて号令かけた後でさ、さて今日も一仕事終わりましたね、なんていってドイツ兵にお愛想笑いかなんかして見せてるときに、「ふいに」当のドイツ兵から「お前も明日からあっちの列に並べよ」って言われたに等しいんだぜ?(かなり長いたとえになったけど、ごめん)

おっさんの思考にシンクロして、おっさんと同じ品定めに参加して、で最後の最後に「お前だって女じゃん?」って当のおっさんから突きつけられてやがんの、笑ってる場合じゃないでしょう?何で気がつかないんだろう?どうして自分は「モデルちゃん」(大体この「ちゃん」付けがすでにあれだよな、小馬鹿にした物言いだったりするよな)とは違う人種なんだって勝手に決めちゃうんだろう、同じ女なのに。

これがフェミニズムの間違った到達点である「女性にも男性並みの職権を」の帰結点なんだ、とか言うと、話が大きくなりすぎちゃうのかも知れないし、どっちにしたって彼女が鈍感であることには違いはなかったりするのだ、あーやだやだ。
 

[234]山内緋呂子[09/07 22:59]
>233
>ご自身の力で乗り越えていただきたいというのはそういう意味です。

わかりました。私は口外してしまいましたが、おそらく石畑さんは私信の件で傷つかれていただろうにも関わらず、お一人で抱え込ませてしまい申し訳ありませんでした。

今後のやりとり、この件でのこと、了解致しました。
疲労させてしまい申し訳ありません。
 

[233]石畑由紀子[2004 09/07 21:57]
はじめに。スレッドの趣旨とは離れているので恐縮ですが、今時点で別の作品が批評対象として挙がっていませんので、これまでの話題との関連性・引用したい記事の都合上、雑談スレッドではなくこちらに記させていただきます。スレオペの白糸さん、どうかご了承願います。

>>231 川元さん
お返事が遅れました、失礼しました。
> 出来ればその石畑さんの周囲での状況を、私信がご無理なようでしたらどなたかあなたの信頼できる方に
> 伝言いただけませんでしょうか?
申し訳ありませんが、いたしかねます。第三者を通じての伝言は考えておりません。信頼している方はいますが、その方を川元さんとの問題に巻き込みたくないというのが率直な気持ちです。
仮に私の周囲の状況をお知らせするとなると、今回ご心配・ご迷惑をおかけした方(かつての私信の内容や事情を熟知している方です)と私とのやりとりを川元さんに口外することになります。それはその方のお心遣いを“売る”行為です。いたしかねます。
その方がどういういきさつで川元さんと私の事情をお知りになったのかはあえてお聞きしませんでした。又聞き(こんなことは成されていないと願いたいです)ではない限り、川元さんがその方に直接口外したはずです。その方が、あなたにではなく、口外されたことを知らずにいた私に連絡を下さった。どちらにしてもその方のお心遣いです。ご配慮への感謝と、本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私がこの場で川元さんに伝えられることはそれだけです。

正直、川元さんが何人の方に口外したのか私は存じません。すべての方を教えて欲しいとは思いませんし、むしろ関わらせてしまったことを申し訳なく思っています。しかしそれとは別に、“知られている”こと自体にはやはりショックを隠せません。川元さん、今後、どんな理由があっても前回の件をこれ以上口外することはなさらないで下さい。

> もし私の知らないところで、その石畑さんの周囲の多くの方々にご迷惑おかけしているのであれば、善処したく思います。
最終的に受け入れるか否かは川元さんの自由です。その上でもう一度伝えさせてください。
できることなら今後は、ご自身で起こしたことは、結果どんな状況に陥ったとしてもきちんとご自身の力で乗り越えていただきたいです。
迷惑をかけてしまった方と、いつの時も連絡がとれるとは限りません。迷惑をかけたという事実だけが残ることもあります。そういう時、川元さんが思うところの善処で、前回のようにまた誰かにお手間を取らせることにはなりませんか。また新たな既知者を作ることにはなりませんか。
あの頃と今の川元さん、月日が経っていますから変化もあったでしょう。ですが、当時の川元さんがおとりになった言動の影響が今も広がっていて、川元さん自身も感知できないところで何かが起こっている、というのは紛れない事実のようです。ご自分がなさったことの延長上の出来事としてきちんとお一人で受けとめ、お背負いください。
先日私が記した“ご自身の力で乗り越えていただきたい”というのは、そういう意味です。


正直、今回のやりとりも前回と同じくらい神経を削りました。
前回のことに関する川元さんのお気持ちは伝わりました。ので、これ以上お話がないのであれば、しばらく川元さんとのやりとりはご遠慮したいです。我がままを言いますがどうか心境をお察しください。
 

[232]田代深子[2004 09/04 14:40]佐々宝砂和泉 輪
> 229

> つまり これを作品と呼ぶのならその作品性は撮影された映像の中に
> あるのではなく、「女性が自らの生理を自らの手によって撮影した」
> という事実 その一点に集約されるのではないか。

 まさにその通りであって、だとするとその作品に対しては「完成度」云々という批判が
与えられはするでしょう。しかしそれ以前に、やはりどうしたって驚いてしまうし、その
禁忌を侵犯した行為と意識そのものを「芸術」というふうに言ってしまうことは、できま
す。
 その映像作品を私は観ていませんが、つまりそのように、端的に「血」「傷」のエクリ
チュールを多用する傾向は、しかしやはり変わってきている。むろん個々人にとって「性
の苦しみ」は常にあるでしょう。が、それは男も同様であるという、むしろ男の側からの
主張も聞かれるようになっています。
 「女が表現する女の性」について、現在と、それから80年代以前との違いを考えるとき、
最も大きな違いは女の「痛ましい性」というイメージが薄れつつあるということではない
かと思います。かつて女たちが自らうち出した「痛ましい性」の姿は、近代において作ら
れた「女の性=受容する性もしくは魔性・淫性」という幻想に対しての、諸刃の剣として
の反論でした。実際、「女が表現する」ことに対する社会的・心理的な抑圧と闘い、それ
を実行するまでには、心身ともに傷だらけだったはずです。その自画像が血と傷にまみれ
れるのも無理はありません。(本当に彼女たちはよく闘ったのです。フェミニズムが下火
になってもう長いこと経ちますが、しかし逆にフェミニズムは展開するグローバリゼーショ
ンと世界の再編成への批判の視点として、いまあらゆる分野に介在します。)
 本当の自己表現に到る前に「女の性」を意識させられ捕らわれてしまう、どうしてもそ
れを表現し克服しておかなければ次へ進めない、という時点での「女の性の表現」が、ひ
とつのモード、ムーヴメントになっていた頃があった。それが80年代頃。ようやくそれが
変わりつつあるのかもしれない、と、私も思ってはいるのです。しかし「変わりつつある」
というのはつまりすぐには変わらないということで、しかも私自身のようにかつての「痛
ましい性」…ある種のルサンチマンを、いまだ払拭しきれずにいる女がまだ結構いて(笑)
それがちょっと調子に乗ってきて「驚かせてやろうじゃん」ということになるのです。
(駄目じゃんそれ!)
 しかし本来的に「女が表現する女の性」もいずれ「男が表現する男の性」と同じように、
それぞれの生のさまざまな局面において現れる、麗しく恨めしく情けなく愛おしく暴力的
で根元的な、普通のエロティシズムに(笑)なるのではないかな、と思います。あるいは
「男が表現する男の性」に、もっと多様性が現れてくると面白いですね。

 さて、調子こいて書いてますが、私はフェミニストではなく、フェミニズムやセクシャ
リティの勉強をやめて久しいので、以上に書いたことはあくまで私見であり、誤謬が含ま
れている可能性があります。もし何かお気づきの方がいらっしゃいましたら、最新の批評
シーン情報など、がしがしご報告ください。先日もお断りしましたが「ここで」。
 では。
 

[230]山内緋呂子[09/04 12:14]
>224
石畑さん、全くよく考えもせず、公の場を乱したことは、反省しております。出来ればその石畑さんの周囲での状況を、私信がご無理なようでしたらどなたかあなたの信頼できる方に伝言いただけませんでしょうか?
勝手で未熟かもしれませんが、公の場を大切にするあまり一個人に深いダメージがあるのは好みません。石畑さんがそういうつもりであったという意味ではありません。
喧嘩ではありませんでした。もういろいろお考えをめぐらせなくて結構です。ただ端的にお知らせください。
>226

こちらこそありがとうございました。
また、もし落ち着いてお話しできる機会があれば光栄です。どうぞご自愛ください。
 

[229]和泉 輪[2004 09/03 16:43]
田代さんの文章を興味深く拝見しました。

女性が自らの性を禁忌の果実として利用する
というのは、言語作品だけに限った話ではない。
新進気鋭の映像作家を特集した番組をTVで見た
ことがあったのだが、そこで紹介されていたのは
ただ血が滴っているところを撮影しただけの映像だった。
白い画面の中で上から下に向かって血が滴っている
ストーリーも特殊な映像効果も無いただそれだけの映像。
しかしそれは作者である女性自身が、自らの生理を撮影した
ものであるという。(作者は映っていない。「血」のみ)

つまり これを作品と呼ぶのならその作品性は撮影された映像の中に
あるのではなく、「女性が自らの生理を自らの手によって撮影した」
という事実 その一点に集約されるのではないか。

撮影した女性が何を表現したかったのか(からくりを暴露して
驚かせたかったのか、或いは性の苦しみなどがあったのか)
私には断言することが出来ないが、もし前者であるとしたならば
その効果は絶大だったと言えるだろう。
 

[228]佐々宝砂[2004 09/03 15:17]
>>227
おもしろい。もっと書け。
という命令口調ではいけないな、どうか続きをもっとお書きくださいませ。
 

[227]田代深子[2004 09/03 07:40]佐々宝砂和泉 輪蒼木りんふるる
 セクシャリティのお話。
 (先にお断りしてしまうが、以下に書くのは批評ではなさそうだ。しかも思いつきだ。
御甘受あれ。もしくは無視する方向で。)

 かつて「女性詩」なるものがもてはやされて以来、ではわれわれの性のとらえは何も変
わっていないのか、というと、否そんなことはないのである。なぜというにたとえば

「奥主氏の言うように〈「やらせたくない」女とか「やりたくない」女が存在するのが別に構
わないのと同じように、「やらせてくれる」女とか「やりたい」女がいても良い〉程度のこと
は普通に言えるしあたりまえじゃん」

というような言説もまた流通しうるし、それを女が言っても、言う女を無効化する傾向の
「倫理」はもはやない。嫌悪する向きはあるであろうが、嫌悪を「倫理」にすり替えて発
言者を責めようものなら、むしろ責めた人間が「偏狭」と見なされるほどに。
 性が禁忌の領域に追い込まれたのはたかだか近代じゃねーかと怒っていたのはフーコー
だったと思うが、しかし彼が暴き、そして死に、 21世紀に到っても、詩を書く女同士の間
で性を「露わに書く」態度に対するせめぎ合いがあり、そしてそれに強い関心を抱く私(詩
を書く女)がまた存在する。われわれはいまだ近代に生きているのか。あるいはセクシャ
リティの禁忌は、やはりもっと根深いのか。 バタイユのいうエロティシズム? それは
死につながるから禁忌なのだ…というあの話を思い出す。
 どちらかというとこれは昔馴染みのジェンダーの発現だ。女が、性的描写を言語作品(と
いう言い方に逃げておく)に著すことと、自身で発語することの違いは何か、あるいは違
いなど存在するのか、ということを考える。酒の席でのエロ話はいくらでもかまわないが、
詩に性的描写を入れるのは疑問だ、という意識を持つ者がいる。逆に、作品に書くのはO
Kだがエロ話はやめようぜ(聞くに堪えない)、という向きもある。どちらも御免こうむ
るという場合も、どっちも気になんないけどなー…てか好きだけど、という場合もある。
むろんそこに善し悪しなどない(とポストモダン風に言っておく)。そして、ぶっちゃけ
どの立場であっても、所詮は近代の性享受のからくりの手中にある。というか、多くの場
合、女物書きはそれを利用するのだ。
 女の言葉に含まれる性的描写は、その内容よりも、「女によって語られる女の性」とい
う妙な磁力によって付加価値を得る。禁忌とされているがために、負の力にさからって引
きずりだされた「女の性」は、禁忌の力を得てエロティシズムを帯びる。いやむしろ「女
が(主として)語る」ということにこそ禁忌のフィルタはかけられており、語る女も、聞
く男たち女たちも、ここに産まれたエロティシズムを、中空に結ばれたエロスの幻影を、
最重要視する(だから「女教師もの」の人気が高いし女子アナはもてはやされる)。驚き
と罪悪感と隠微さ。いまとなっては、セクシャリティ発現の禁忌の各段階は、プレゼント
にかけられたリボンと薄紙のようなものだし、意外にも話題となる「女の性」のスタイル
は限定的だ。つまり私的であるような描写、日常的であり、一般的ヘテロセクシャリティ
の嗜好から大きく外れていないこと…要は市場は大きいほうがよいというネオリベラリズ
ム…「表現の自由」(笑)と引き替えに、新しい性の禁忌が産まれつつあるのだろうか。
(おかしなことに、書店にずらりと並ぶ「女が書いた架空の男の性」−いわゆるBL系−
については、多くの男は関心を示さないし、そのような女の性の発露の、さらなるねじれ
を気にしない。)

 あ、疲れた。

 自分の立場を表明しないのはフェアでないかもしれないので、ちなみに私は「言ってし
まえ」派である。からくり利用だ。驚かせてやりたいと思い、驚くという近代人の反応を
アテにしているに過ぎない。「視線」にまじる下劣さなどは、こちらも持ち合わせている
程度のもので、作品は作品として屹立していてくれれば、卑小なる私など置き去りに、エ
ロティシズムという至上の力を、わずかにでも帯びるのである。まあそんな作品を書けれ
ば、いいね、みたいな。

 いろいろ見落としていることがあるはずだ。何か思いついた方はここでご指摘ください。
この件で私信をいただいても、当方がここでまるごと曝すことを前もってお断りしておき
ます(笑)
 

[226]石畑由紀子[2004 09/02 20:08]
追記です

>>223 川元さん
> その、自分が禁じていた言葉を当時使ってらっしゃった石畑さんに、矛先を向けてしまったこと、
> 大変もうしわけ有りませんでした。

これを伝えてくださったこと、私にとって大きな救いでした。

> 今回、気をつけたつもりでしたが、他の問題で精神的に参っていたこともあり、冷静になれず、
> 石畑さんを傷つけてしまい、申し訳ありませんでした。

当初、質問の真意を誤解していたこと、私のほうも申し訳ありませんでした。雑談スレッド等での川元さんのお気遣いにも感謝します。ありがとうございました。
 

[224]石畑由紀子[2004 09/02 01:35]
>>223 川元さん

話してくださったことで、川元さんの問いかけの真意がやっと理解できました。と同時に、
> 逆に女性を辱める危険がないですか?
という問いが私の人格への中傷にあたるという見解は私の早合点だったこともはっきりと解りました。このことについては私からも謝ります。申し訳ありませんでした。

その上で改めてお願いです。繰り返しますが、こういった認識の食い違いを避けるため、今後どなたかとやりとりをする際は、ご自分の考えや伝えたいことをきちんと整理してからにしていただけたらと思います。相手を混乱させないためにも。

そしてもうひとつ。これこそ本来なら私信でお伝えするべきことなのですが、申し訳ありませんがまだ私にはその気持ちが湧きません。どうかご理解ください。
先の、私と川元さんとの間で交わされた私信の内容に関して、熟知なさっている方がフォーラム内にたくさんいらっしゃることに、正直かなりショックを受けています。そして今回の批評をきっかけにその方々に今現在もご迷惑・ご心配をおかけしてしまっていることを知り、これは放置できないことだと思いましたので伝えさせてください。
今後は、ご自身で起こしたことは、結果どんな状況に陥ったとしてもきちんとご自身の力で乗り越えていただきたいのです。私も川元さんも同じこのフォーラムに籍を置く身です。どんなことがあったにせよ、相手(この場合川元さん)があることだからと誰にも口外していなかったにもかかわらず、これだけ知れ渡っていることの意味、そして先々月『TOKYOポエケット』で上京した際、初対面の方に『喧嘩したんですってね』と言われた私の心情をどうかお察しください。川元さん、しかもあれは喧嘩ではなかったはずです。あなたからの一方的で執拗な誹謗中傷でした。

ご迷惑・ご心配をかけてしまった方々には私からもお詫びいたします、申し訳ありませんでした。そしてさまざまなご配慮いただいたこと、感謝いたします。ありがとうございました。
 

[223]山内緋呂子[2004 08/30 18:48]
>210
>狙いととられることは私が意図するところではありません。
>ちなみに、どうして書かれないのかなあ、というのは川元さんの読みを通じて浮かび上>がった疑問である

そうですね。私は「これは日記ととれる」と、断定して言うことが、怖かったのだと思います。自分の批評がつたないものであること、また、過去の石畑さんとの私信のやりとりから、使う言葉に気を使わなければならないと思ったこと。それで、「作者に聞く」という誠に方向外れな書き方になりました。また、「狙いなんですか?」という私の言葉もどこか「狙いのつもりでもそれにしてもなっていない」だとか、「日記程度のものしか書けない」というようにもしかしたら石畑さんは受け取られたのかもしれません。しかし、そういう気持ちではありませんでした。あくまで私の不安からです。

>“言葉の飛躍”が感じられないことが詩にとってよくない要素だとは必ずしも思ってい>ません。もちろん作者の個性は大きな魅力のひとつです。しかし詩作において・また読>み手としても私はそこだけに終始するつもりはないので

同感です。私も、「言葉の跳躍」が見られないことがいい詩か、よくない詩であるかに、大きく関わっているとは思いません。

>暗に表現することもあれば文字そのままを用いることもあり、さまざまです。

それは理解しているつもりです。また、「視姦」という言葉が出てきた詩が、「未詩・独白」であったこと、きちんと確かめもせずに、言及してしまい、もうしわけありませんでした。

>文字そのままであることのインパクトという点をおっしゃっているのかと受け取りつつ

そうです。

>暗に表現されたものでも現にそこに“表現”されているのならば危険は同様であると私>は考えています。

これは意見の相違です。これについては後に述べます。

>想いを言葉にする際、また構成上、作中に必要な言葉ならば私は使います。

それは私もそうです。皆さんそうだと思います。(←これも嫌味で言っているのではありません)

>衝動に任せるのではなく、できることならきちんとご自身の中で思考をまとめてからに>していただきたかったです。互いの認識が異なるままその枝葉の部分でまた議論をしな>くてはならないような状態はなるべく避けたいのです。

全くその通りです。精神的に参っていたことを理由にして申し訳ありませんが、感情的なままで、意見を述べ、申し訳ありませんでした。

少し長くなります。
>文字そのままであることのインパクトという点

これは、女性の作者が作中で「セックス」「濡れる」「ヤル」等、文脈からではなく、はっきり「性」と受け取られる言葉、インパクトのある言葉を使って書いた作品の読者の中に、
「こういう言葉を使う女はヤラせてくれる」「ヤリタイんだろ」という稚拙な感想を持つ方がいらっしゃることは事実です。そして、私が言った「女性を辱める」というのはこういう読者が「結局女というものは、エロいんだ。薄汚い」→「女なんて下劣」という狭い意見に達する読者が実際にいるのです。これは、ごく一部のことかもしれません。それで、「女性を辱める危険性がありませんか、とお聞きしたかった」という言葉を使いました。それで、「暗に表現されたもの」よりも、「インパクトのあるもの」の方が、その危険性が高いという意味で使いました。しかし今は、単に、「こういう読みをする読者もいる」というだけのことであると、私は考えています。

>確信できる要素は、しかしどこにもないのではないでしょうか。人の心とは、表現する>者の想像範囲内にいつでもあるものとは限りません。

全くその通りです。私もそう考えます。自分の作品コメントにも書いていますが、(これも、「あなたは何も読んでいない」という意味ではありません)書いて発表したら、読んだ方のものになると考えています。これも、書いたものに責任を持たないとか、修正をしないという意味ではありません。読まれた方の感想が、全く自分の範疇外であることは、とても興味深く、嬉しいものです。

また、説明する為に、私的なことをお話しなければなりませんが、ご了承ください。かって私は「書く時」に使う言葉をとても選んでいました。自分にとって許せない言葉がありました。それはとても細かいこと、例えば助詞、過去形か、そうでないか、といったものから、名詞までありました。それは、自分が書く上で、禁じていればよかったことです。ただ、石畑さんにもかっての私信でお伝えした通り、諸事情により、その、自分が禁じていた言葉を当時使ってらっしゃった石畑さんに、矛先を向けてしまったこと、大変もうしわけ有りませんでした。

前述のおかしな感想を持たれる読者のように、「作品」=「作者」と捉える方がまだまだ多いのです。そして、私自身も、「書く時」に、使う言葉を非常に選んでいたこと、また、「書かない時」でも、言葉に敏感でした。簡単な例でいうと、ラジオで好きな歌手が、リスナーに対して「うるさーい」と言うのを聞いて、もう好きではないと思ったりしていました。しかし、「書く時」はある程度作者の制限があるとして、「書かない時」の「作者」というのは「人」です。言葉は動いています。現在は、人がどんな言葉を使ったからと言って即、その人を嫌いになったり、好きになったりすることはありません。また、そう考えることで私自身も「作者」と「作品」をはっきり独立して、やっと考えられるようになり、最近では、書く時に使う言葉、言い回し、が随分自由になってきた、と自分なりに考えています。

石畑さんは、「書く人」である前に「人」です。それで、今回、気をつけたつもりでしたが、他の問題で精神的に参っていたこともあり、冷静になれず、石畑さんを傷つけてしまい、申し訳ありませんでした。
私に対する書き込みを拝見する限り、感情を高ぶらせてしまっているようで、全く、自分のしたことからによるものですが、早く、精神的に落ち着いてくれることを願います。

また、この件に限らず、何か、私の発言で石畑さんが、疑問に思うことがございましたら、遠慮なく、お聞きください。その際、私信はお控えになりたいということですし、私も私信でお答えするのは恐縮ですので、雑談スレッド等、お使いくださるとよろしいと思います。白糸さん、片野さん、度々の失礼、お許しください。
 

[221]山内緋呂子[2004 08/23 17:39]
今現在、石畑さんからの、ご返答を読み、よく考えなければいけないのですが、そちらを読む前に書いていた文章をこちらにのせさせていただきます。

なぜ私が「足」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=12200
を批評しようと思ったのか。それは「足」という作品へ向けてというより、
>それを、ふくらませたりとか、笑いに変えたりとか、で、性的なことはありふれてい
> て、もっとふくらますことで、楽しいことだったり、残酷だったり、そういうように読めれば、なんて考え
> ていました。最初にかいた、「もっとたくさんおききしたい」という中の一番おききしたかったのはここで
> あって、例えば「視姦」された女性が、その「文字」そのままを見た場合に、思い出して傷ついたり、もう
> 考えるのをやめたりするのでは?と。それで、逆に、「文字そのまま」を出すのは、逆に女性を辱める危険
> がないですか?なんておききしたかったです。
という疑問から起こったことです。

これは、私信でお聞きすべきことでした。しかし、過去の石畑さんとの私信のやりとりから、それはできませんでした。
なぜ私が「足」を批評しようと思ったのか、それは、先の疑問からなのですが、それを私信でお聞きすることができず、批評をするしかないと思いました。石畑さんによく見られる「説明的・小説的文体」であって、読後、日記のようだと思いました。私はそれを人に一番説明しやすいと考えました。つまり、私の性悪による理由からでした。
石畑さん、申し訳ございません。
同じ批評をするならば、私はまず、すばらしいと考える「上海された」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11699
を選ぶべきだったと思います。
これは、小説的文体が、5連それぞれでいかされていると思います。連という短さにその文体が凝縮されていること。その連が5つに別れていること。さらに5連通して、つながっているように読めること。

私は自分の姿勢がそうであるために、「詩は人だ」と以前、思っておりました。石畑さんの表現全体に対する私の考えは、「作品」に対するものだけれども、私信で
>逆に女性を辱める危険
> がないですか?

と、お聞きするのは、きちんと会ってお話したことのない石畑さんの人格への、中傷、脅迫になる気がしてできませんでした。
今は「詩は人だ」とは、けして断定できないと思っています。しかし否定もできません。

このような私情により、批評しましょスレッドを使ってしまい、白糸さん、片野さん、石畑さん、申し訳ございませんでした。読んでくださったすべてのみなさま、失礼いたしました。ありがとうございました。尚、私がパソコンを持たなくなった理由は、以前私信で石畑さんにお話したことが、直接の原因です。
尚、「詩は人だ」と完全に信じ切っている方に対して、また自分自身に対しても「詩は人か」について文章を書かせていただきたいと考えます。その際こちらでの私の発言を引用すること、ご了承下さい。パソコンを使える時間がわずかしかないこともあって、不十分ですが、投稿させてください。

また、石畑さんお忙しい中、詳細なお答えをありがとうございました。申し訳ありませんが、今はまだ、きちんと考えられる状況にありません。考えられる余裕のある特にきちんと考えさせていただきたいと思います。
 

[220]汰介[2004 08/23 13:25]
と言うか、何時の間にか幼児退行している自分を発見した。

振り返って見て、自分の行為創作はいかにもガキっぽい(笑)。
ガキっぽさが必要な時もあるが、始終もガキでは駄目だろう。

不思議とその中にいると分からないんですが。
感覚でふと分かった。
 

[219]汰介[2004 08/22 23:14]
>興味ないことはまるでダメですね。

興味のツボが分かれば、早いんですけどね。
何が面白いんだろう、と思っている内は、どうしてもそれが滲み出てしまう。
現実は厳しいと言い聞かせて無理にやるが、無理にやっているな、と分かっているから、なお効率が悪いし、失敗する。
どんなにケツ叩かれようが、なにされ様が、都合良いと言われようが、ワガママと言われようが、そっちの拒否の方が強い。

結果、ヤサグレテ行く(笑)。
まあ、自分自身の心の何処かにも不条理な不信感でもあるんでしょうね。

そんな気がします。
 

[217]汰介[2004 08/22 12:27]
>>215

>今そういうものってのは練習すれは直るっていうのが俺の好きな方向で

まあ、確かに練習する事で発見や良かったという事もあるんですが、
それも限度はあると思います。

現実との兼ね合いを考えると、やはり、優先順位は決まってしまいますので。
それはただ単に私自身のバランスの問題か、
あれもこれもと一度に纏めてしまうのが悪いんでしょうが。

ただ、噛みあう時間の流れと噛み合わない時間の流れはあると思います。
そこまで、甘えて言っているつもりもないのです。

まあ、世の中はデタラメと言えばデタラメなので、
断然イイカゲンを私は目指しますが(笑)。
 

[213]汰介[2004 08/22 10:41]
>>212

いい例があった。
>嫌いな課目の授業は、もう全く頭に入らないし(これは今でもそうですね)

例えば、これは今でもそうですね、とすると、
今も学生なのか?とも取れる訳で、
言いたいのは興味の無い事が今でもちっとも頭に入らない、
と、言う意味なのですが、
これをやっている内にだんだんイライラしてくる。
気にしなけりゃいいんだが、学歴などで、ピリピリしている人間は
(学歴学歴うるさいんじゃボケと言いたくなります)、
いちいちガタガタ言うのではないかと言う苛立ちもある
(単なる冗談かそうでないのか、まではネット上では判断しにくいですし、
流れるのが早いのでそれは、見当違いな事に陥りやすいのも無理はない)。

結局何が言いたいのか分からんなってしまった。
つまり、事務とか細々した事には、向いていない。

と、言う事ですな。
 

[212]汰介[2004 08/22 10:24]
>>211

>事務仕事に似ている作業は、僕にはもともと体質的にできないんだな。

これよく分かりますわ。
嫌いな課目の授業は、もう全く頭に入らないし(これは今でもそうですね)、
部屋も昔はもう凄まじかったですし。
それを支えるのだけで、他人にとっては当り前の事が倍気力を使う、と言う。
流れに乗るとか意識しなければ割合大丈夫なんですけどね。

事務的な事は殺人的に嫌いですね(笑)。
まあ世の中、事務的な事が多いので、その適正に気付いていない人が、
病気を悪化させる事もあるんでしょうし。
余計な揉め事も起きるんでしょう。
まあ、そこの感覚が分からないと、結果全体にとってもマイナスになるんでしょうね。

まあ、それを私は無理矢理やってみましたが、
やはり陰惨な結果になりましたし。

まだ、ボーっとしている方がマシ、と言う(笑)。
要は、こまごまと動きたい人は元々そう言う性格なだけで、
それが適正だし好きなんだ、と言う事で。
 

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