批評しましょ[300]
2004 09/20 01:53
チャオ

>>298
石川さん早速のお言葉ありがとうございます。
もしかしたら、石川さんはすごい才能がある人なのかもしれない、けど、ない人なのかもしれない。だから、きっと、勉強するんですよね。
評論家は嫌われるってのはちょっと言い過ぎかもしれないですが、でも、それは、少なくとも、あたらずとも遠からずです。たぶん。
ただ、僕が言いたいのは、評論家は創作が出来ない(簡単にという意味を込めて)人たちだと思うんですよ。もちろん例外的な人もいますけど。

単純に言葉への不信って感じたことありますか?
僕は、すごくあるんです。で、何で、僕の感じる思いは「愛」なんだろうとか「憎しみ」なんだろうって。まあ、普通に感じますよね。で、そこを乗り越える経験、もしくは、放棄してしまう人もいるだろうし、とにかく、今の現状がどうなのかってことが問題だとは思うんです。

才能があるってのはやっぱり、感性が鋭い分いろんな痛みを生じるとは思うんです。だからこそ、その痛みと富に言葉が生まれて、そこへ言葉への不信が消えていく。単純に考えればそんな感じだと思うんです。

でも、批評家は違う。彼らは才能がない。だが、彼らには、根気と、熱意がある。不信感を抱いたままの言葉の群れを、彼らは用いて、表現する行為を好んで選び、その言葉たちが、真実であるように示さなければいけなかったとき、やっぱり、個人的な感情は、極力排除してやろうと思うんです。

僕が好きな言葉なんですが、「文学のゼロ度地点」。そこへ、意識が向かうんです。ただの記号としての言葉、そこに、何らかの意味が入る。っていう作業。そうすることで、ようやく、彼らは、ことばを作り出していくのです。
(というよりも、言葉だけに限らず、その人自身もそんな感じだったりするとは思うんですが。)そうやって作り上げた言葉を、なぜ簡単に使うのか?それが批判ですよね。本当にそうだったのか考えてみた?っていいたくなって当然です。でも、それが僕には才能だと思う。

個飛べの意味を、自分の体ひとつで受け入れられるってのはすごい。それが出来ないから、やっぱり批評家は作品がなかなか出来ない。僕もそう。言葉への畏敬が強すぎて、引っ込み思案になってしまう。

そこが、物足りなさを感じたところだと思います。
はっきりいって、臆病な人間でも、何とか一歩を踏み出す意志はあるのです。気持ちが強い弱いは、才能の問題だと思う。気持ちの問題こそが決して敗れぬ問題でもある。
そうみていけば、僕には、山田さんのあのちゃかした言い方は嫌悪を覚えるが同時に、尊敬さえも抱く。

弱い犬ほどよくほえる。
だから、僕は、いつまでもほえ続けたいのです。強い犬と戦いたいけど、臆病な心が邪魔する。だから、強い犬をいらだたせようとしていっぱいほえる。

ちなみに、石川さんが書いて、一助になったというのはほんとうに偶然だと思う。でも、偶然の半分は意志によって決められることなのだから、もちろん自慢すべきものだと思う。だから、山田さんの批評と石川さんの批評は第三者から見れば全く同一のものに過ぎないのです。だけど、それらの行為はすべて、結果が判断してしまう。
僕は、それだけで世の中が動くのはいやだ。だから、どうしても、批評という形で言葉を発し続ける人たちに同情してしまう。

絶対に、感情論へ走りたいはずなのだから。だとしたら、結構、違う見方も出来るような気がする。
嫌な事スパって言う評論家だけじゃなく、とりあえず、命令する上司だったり、いうことの聞かない部下だったり。
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