エリオットしとりあそび(18)(450) 食べているかい?(411) 【petit企画の館】/蝶としゃぼん玉(769) ながしそうめん9軒目(825) 「そんなこんなでいい一日でした」スレッド2(128) 連座 萬草庵 参軒目(120) 現代詩を書くのにどれぐらい時間をかけますか。(28) これは否定したい!6(541) お酒スレ(921) これはめでたい!(259) ロックって何ですかね(788) 集まれ!!,山梨県民・甲信越地方の人。(7) 詩集・詩誌のスレッド(362) 実は・・・こんな夢を持っています。(355) 題名だけのスレ12(681) 雑談スレッド7軒目(494) びっくり報告スレ(793) 生贄合評スレ(459) ☆の♂ろ♀け♂ス♂レ♀ッ♂ド☆(802) ことことひとこと。その2。(883) [分類別リスト] [過去ログ倉庫] [すべてのスレッドを表示] Home

批評しましょ (創作系)スレッドオペレーター:白糸雅樹
 えっと、ひとの批評に対して、別の読みを書きたくても、スレッドタイプで書きこめる場所、あまりねーなー、感想スレで議論しづらいなー、と思ったのでスレッド立てました。議論OK。よっぽどの誹謗中傷でない限り、削除はしません。晒しもんにしますので注意してください。「未詩・独白」および他のスレッド会議室の発言で、作者が批評を期待していない発言への批評はなるべくご遠慮ください。
 一つの読みに対して、他の多くの異論が交わされることを願って。。。。。。
 評を書く際は、該当発言(または作品)のURLを明記してください。

[89]汰介[2004 08/10 22:20]
>>88
ゴメンなさい。「知っているふりをしているが」
実は、谷川俊太郎氏は殆ど読んだ事無いのです。

しかし、「詩人のふりはしているが」と言う言葉ははありましたね。
思い出しました。

私も色々な人の間に交じって「詩人(芸術家)のふり」をしていますが、
いったい詩人(詩人に限らず芸術家は)は、どうすれば自称で無くなるのか?

そう言う作者自身の詩に対する厳しさもあるのですかね?

「詩人のふりはしているが」
この言葉で中和されて柔らかくなって冗談にも見えますが、、、、

多分作者に直接聞いても本当の答えは返ってこないのでしょうね。

多分厳しさを隠す厳しさ、なんでしょうかね。

まあ、何れにせよ、見た目以上に複雑な感情がありそうです。
それとも、私の考えすぎか、どっちかです。
 

[88]石川和広[2004 08/10 22:01]
>>78及び>>82の方、失礼します

の引用の二行の間に「詩人のふりはしているが」
という行が入ってました。

あんまり、谷川について、こだわる方がいて、僕もそうかな。
で、議論になっているんだけど、既に、谷川や、それを取り巻く世界
について、語られていて、谷川について、これだけ、「現代詩フオーラム」
で語られているのは、すごいなあと。

谷川はすごいなあ!まだまだ、詩人だねえ。

「詩人のふり」して、「詩人ではない」という作品を書く。

この作品を安易に、詩だと思うなという、概念化するなという
変な詩読み?たち、への警告と。

そして、いろんな人に、もっと詩は、詩よりすごいもの、ここでは、自然とか
家族への、自虐スレスレの賛歌が語られている。

谷川は、詩に敬意を払っていて、暗いけど、きもちいい。
でも、そんなこともどうでもいいやって感じにさせる力が怖い。
 

[84]一番絞り[2004 08/10 18:20]
>81
石川さん。
80の続きを言うならば、〈世間〉というコトバには巧妙なカラクリがあると思うんです。
ずいぶん昔、差別についていろいろ初歩的な勉強をしているとき、
「差別とたたかうことは隣近所とたたかうことだ」ということばにぶつかりました。
どうして隣近所とたたかうことが,
ほんとうに差別とたたかうことなのか。
権力が相手じゃないのか。天皇制が相手じゃないのか。国家権力が相手じゃないのか?
そう思いましたが、そうじゃないという。
反差別を訴えるとき、アピールするとき、天皇制や国家権力などを槍玉にあげるほどラク
なことはないのです。
それをいくら批判し、非難し、ぼろくそにいっても
現代の社会構造では、相手も傷つかないし、己も絶対に傷つくことのない馴れ合いの言説なのです。
ためしに、天皇制やブッシュ政権をクソみそに非難してみなさい。いまでは賞賛が待ち受けているばかりです。
それによって急に給料が減ったり、人間関係がぎくしゃくしたり、友人をなくしたり、投獄
されるようなことはまず考えられない。
現在、一番、強烈にきつい行為とは、差別や権力に対抗するため、隣近所の無知や偏見とたたかうとき
そこに生ずる軋轢に耐えることなんです。
ふだん差別反対を唱えている人が、自分の娘が黒人や朝鮮人と結婚するとなると急にしかめつらをしだすことがある。
あるいは近所に精神障害者の施設やホームレスの避難所ができたとたん、かれらの擁護をしないで沈黙する。
かれらの擁護にまわったとたん、〈世間〉の風圧が待ち受けており、子供は学校でいじめを受けるかもしれない。
それでもこういった無知偏見に挑むことのできる反権力標榜者や反差別標榜者が何人いることか
怪しいものです。
それは、そういった〈世間〉が実はもっとも具体的に怖ろしい反撃力をもっており、じつは
それに歯向かうときに、はじめてその奥深くに生成させているところの権力や権威の反映があるからです。
これはそれこそ、骨身にしみる戦いでしょう。
だから、賢い人は〈世間〉との戦いを回避する。そして、天皇制や国家権力やブッシュを批判して
安全で無傷のまま〈世間〉の賞賛を得るという図式があるわけです。
こういった〈世間〉受けのする言説を、わたしは「ジャーナルな言説」と呼んでいます。
わたしが谷川を詩人もどきというとき
かれがジャーナルな詩人であるということが無条件に非難の要素として含まれています。
これは上記のような考え方から直感的に降りてきた知覚かもしれませんが、
ジャーナルであることには必然的に権力に擦り寄っている側面を内包せざるを得ないのではないかと思っているからです。
もし谷川が「わたしは詩人ではない」といったとすれば
(実際、あの詩を読んだ感想としても)
それは「ジャーナルな詩人」である立場を否定したかったのではないかと、わたしは受け取ったのです。

それから
>本気って何でしょうか?あなたは、ホンネとタテマエみたいなもので、言葉について考えてるの?

本気とホンネはまるで意味は違うのだけど、いずれにせよ、
「自分で問題を出しといて、途中で放り投げる」気はもうとうありません。
これからだということでは、あなたと同じ気持ちですよ。
あまり、焦らないでじわーといきましょう。
 

[83]汰介[2004 08/10 17:14]
結局何を以って「詩人」とするのか?
と言う問いなのかなあ、と思います。

どうでも良いが、雷がなってる。

地震、雷、火事、親父。
 

[82]汰介[2004 08/10 17:09]佐々宝砂一番絞り山内緋呂子
「本当のことを言おうか/私は詩人などではない」

これ自体がある種の化粧っ気とでも言うのか、詩的な表現だと思います。
かと、思うと満更嘘でもなく本気だぞ。とも見える。
或いは何らかの怒りにも悲しみにも見える。

言葉の後ろで、感情がぐるぐる動いている、と思いました。
 

[81]石川和広[2004 08/10 17:00]佐々宝砂たかぼ
>>80

そうかなあ。
太宰治がね、人から「世間は、それを許さないよ」といわれた時
間髪いれず
「世間って何だ?それは君の意見じゃないのか」

言い返したらしい、そういう記憶があるんだけど
どう思いますか?


それと
>>79
>本気
って何でしょうか?
あなたは、ホンネとタテマエみたいなもので、言葉について考えてるの?
山田さんは自白といい、あなたは告白という。
しかし、その、谷川の述べるところの、記号の受け取り方が、言葉を書くものとしては、
そんな簡単に本気だとか、嘘気だとか、今までのやり取りはどーなるとか、、よくいえますな。
そこから、谷川のことを考えるスタートじゃない?今まで、谷川は、何考えてるかわかんないとも言われてきた。だから僕は、谷川が本質的な批判者をもたないと言ったんだ。
あなたは、自分で問題を出しといて、途中で放り投げるんですか?
 

[80]一番絞り[2004 08/10 14:20]
>77
>別のスレッドでの細かいいさかいの経緯とかを持ち込まれてもよくわからないけれど、
>批評の方法とかスタンスの話として、「世間」っていう見方は面白いと思うので、
>もう少し話を続けて欲しいなぁ。

小生も細かい、いさかいの経緯抜きに、このスレッドでは〈世間〉ってものを真面目くさって云々したかった。
基本的に〈世間〉てのを、だれかが、だれかを諌めるために口にするとき、
それは自分が所属するところの権威のことなんだよね。
しかも権威てのは威力によって守られ、威力によって支えられているものだ。
つまりは権力そのものだよ。
その辺をもうちょっと展開したかったが、能力不足もあるし、
ランラン乱入者が車に乗って「ぶー」とやってきたから、ちょっと興ざめた。
ま、しかし、自業自得か。パロディみたいな詩書いてしまったものね〜。
 

[79]一番絞り[2004 08/10 14:09]
>78

ありゃあ、そうでしたねー。ありましたね。
あの詩で谷川は本気の意味で告白してますよ。
少なくともわたしはそうとりました。
とすると、こりゃまあ、いままでのやり取りはどーなるんでしょうかね。
 

[78]山田せばすちゃん[2004 08/10 13:52]いとう佐々宝砂
すいませーん
谷川俊太郎自身が「本当のことを言おうか/私は詩人などではない」と自白している、というネタはガイシュツでしょうか?
 

[77]ボッコ[2004 08/10 13:20]佐々宝砂
>>67

別のスレッドでの細かいいさかいの経緯とかを持ち込まれてもよくわからないけれど、批評の方法とかスタンスの話として、「世間」っていう見方は面白いと思うので、もう少し話を続けて欲しいなぁ。

世間の意見に一致するとか一致しないとか、べつにどっちが「正しい」っていうのを決めるのが批評の目的じゃないだろうし(一つの見方としては)。一石を投じればいいのなら、その投じ方にどのような表現方法をとっても良いわけだし(どれかのレベルの「世間」の常識を尊重しながら論じても、最初からそれに反するようなことをずばっと言ってしまっても)。色々計算した上でそれをする人もいれば、殆ど本能的にやるひとも、単にずれてるだけの人もいるだろうけれど。発言してる人が実際そのどれかなんて、ただ傍で聞いているだけの人にはあんまり関係ないし。

価値を評価して、決定するのが批評の目的だというのなら、批評はあるレベルの「世間」の暗黙の合意を探り出して、それを言葉にするだけのものになる(一つの見方としては)。そんなことなら投票制にでもしてしまった方が早いわけだし。

個人的には、作者を論じるにせよ、作品を論じるにせよ、批評の基準は「価値」でも「世間」でもないような気がする(勿論批評家として固定的な読者を得たい場合に、特定の価値の擁護者や、特定の世間の価値観に通暁することはあるだろうけど、たんにそうでないアマチュアがする場合には)。

じゃぁ何か?って言われたら、私にはよくわからないけれど。作品に対する二次創作のような形で、自分の経験とかを作品に投影して別の読み方みたいのを出していくのもありだろうし、或いは自分自身で十分明確化されてない自分の思想とか体験をはっきりさせる、それを表明するための手掛かりとして作品を読むようなことをしてもいいのかもしれない。或いは、他の作品や作者と比較して、どのへんに特徴があるのかをいかにも文「学」のように客観的に論じてみてもいいのかもしれない。或いはそんな崇高じゃなくて、もっと単に、自分の好きな作品とか売りたい作品を読んでくれる人を増やすための、CMとして、上手くその作品の良さとか素晴らしさを語りまくるような形でもいいのかもしれない。他にも何か多分あるんだろう。
 

[75]一番絞り[2004 08/10 12:25]
>70

>対話なんか全然成立していませんよ。
>品性下劣ですね、まったく。

ボルカさん、対話は成立してないというけれど、
わたしに関して、ひとつの認識に達したじゃないですか。
品性下劣。
浄土真宗では下品下性(げぼんげしょう)っていうんですね。
そういう人がだれよりも早く浄土へいけると。
とてもうれしく思います。
 

[74]石川和広[2004 08/10 11:16]
>>73
安藤さんの発言の引用を間違えました。申し訳ない。

>世間を尺度にするのでなく

でした。訂正します。
 

[73]石川和広[2004 08/10 11:10]
>>71
>世間を尺度にするのに、違和感を覚えました

そのとおり、だと感じます。

そして、また、谷川は、鉄腕アトムの作詞もしているから、世の人も、あのうたを知る人は、例え、谷川作だと知らずとも、多いと思います。


安藤さんではなく、他の論者の方が、権威主義に反感を覚えるのは、日本の世間というものが、そう動いてる部分、例えば、二世議員等、ありますから、わかります。僕も疑問がある。
 
 だけど、作品をどう味わうかは、この国の個々人、そして、わたしたちが、つくる文化に任せられていると考えます。
 もちろん、世間の影響の中に、私たちは生きてもいますが、その中で感じる思いは、ひとりひとりあるはずです。

 一番絞りさん、権威批判は、読みましたから、きちんと谷川の作品を論じてみてください。その中で、あなたが、どう感じたかを聞きたい。

 たとえば、葦書房の、「樹林」の433号に、谷川と木澤豊氏の対談が出ていて、谷川の作品の一語一語を引用しながら、質問していき、谷川の言葉に対する考えを、彼自身の言葉から、明らかにしていくという方法もあります。ご参考まで、、
 

[72]佐々宝砂[08/10 04:14]たかぼ
私は、どうしても世間のことをうまく考えられないタイプなので、レスを避けてきましたが、安藤そらさんの指摘は大切なものだと感じました。詩人そのものがエセかどうかを問題にするよりは、詩そのものを問題にするほうがいいような気が私にはします。

谷川俊太郎の詩、確か落首99に(うろおぼえ)、ニセとホンモノとどこが違うんだというような内容の詩がありました。限りなくホンモノに近いニセモノはニセモノなのか、限りなくニセモノに近いホンモノはどうなのか? そんなような詩でした。少なくとも、骨董の世界においては、ニセモノとホンモノをきっぱり決めてしまって「いい仕事してますねー」と断言しちゃう人がいます。そういう「断言しちゃう人」は世間一般というより、権威そのものです。詩の世界では、そういう権威がいるのかどうか、私には知ることができません。そもそも詩人というものは割に権威を嫌う傾向にあります。私も実はあまり好きではありませんが、ほんとに詩の権威というものがいるなら、反抗の矛先がきっぱり決められるのでラクでいいかもなあと妄想したりもします。

私個人は詩人を名乗っています。谷川俊太郎も詩人を名乗っています。私の大好きなロック・アーティストであるジム・モリソンの死亡届には、「歌手」とは書かず「詩人」と書いてあったそうです(彼自身が書いたのではないと思いますけど……)。もちろん世間認知のレベルは甚だしく違います。私なんかこのリストに載ってはいかんと思います(当たり前か)。

最近なんかやけに正直になっているのでどんどん書いてしまいますが、エセ詩人って、わるい存在でしょうか。寺山修司は、中井英夫に「贋物の金貨」と称されました。寺山は基本的に書き替え作家ですから、「贋物の金貨」と言われても怒らなかったでしょうし、もしかしたら、むしろ喜んだかもしれません。私も書き替え作家の部類なので、エセ詩人と呼ばれても別段怒る気にはなりません。「そのとーりよ」とほざいてしまいます。しかし谷川俊太郎はどうでしょうか。谷川俊太郎の詩作は、他の詩人と較べた場合、ものすごくバラエティに富みます。「ことばあそびうた」から「おまんこ」まで、「定義」のような前衛詩から「落首」のような社会諷刺詩、さらには鉄腕アトムの作詞まで。書き換え作品も多少はあると思うのですが、作品だけを読み返してみると、谷川俊太郎はエセ詩人という言葉にふさわしくないタイプの詩人のように思いますし、また、権威という言葉がふさわしい詩人とも思えません。単に知名度が高く、人気があるので、一番絞りさんのターゲットになっているような気がするのです。

ただ、私にはうまくまとめられません。さらに話がずれちゃいました。ごめんなさい。
 

[66]一番絞り[08/09 22:02]
以下の文章は「山田せばすちゃんの大根斬り」スレッド[78]あをの過程[08/08 23:32]
さんのものです。
これはわたしが谷川俊太郎のことを「エセ詩人」といったことにボルカさんが反論され、
それを「あをの過程」さんがわかりやすく書き直したものです。

  ごく簡単なことなんですが、谷川も寺山もやなせたかしも中島みゆきも
  松任谷由美も、僕やあなたの個人的意思にかかわらず、詩人だと僕は思
  います。なぜなら、彼らは<世間>に詩人として受け入れられているか
  ら。あなたが彼を詩人と思わなくても別にいいけど、それとは関係なく、
  詩人であるかどうかは結局<世間>がきめることであって、あなたとか
  僕とか誰か個人が決めることではありません。

これ、ぼくにはちょっと面白いので、にんしき論的に考えてみたいと思います。
私的な視点からの断定は唯我的であり、客観性がなく無効だということですが、
では客観的な世界を記述するとはどういうことでしょう。
私を離れて、私が正確な客観性を記述できるものといえば〈数〉のみでしょうか。
みかんの数、帯の長さ、ビルの高さ。などなど。
客観的にある事柄を事実として発言するには、定量的関係を複数の私的意識の主体の間で確認する手続きが
与えられている必要がある。
谷川を「詩人」と決めるのは、私ではなく〈世間〉というのならば、「谷川は詩人である」という認定が
〈世間〉の間で数量的に確定していなければならない。
さて、こうなると疑問が残る。
〈世間〉とはグローバルな世界のことではないだろうことはすぐにわかる。
世界規模で谷川俊太郎といってもだれも知らないに等しい。
また日本的な世界でもない。
日本人の全人口のなかで「谷川俊太郎は詩人である」と、ほんとうに心の中で認定する人
はどれくらい居るのものだろうか。
詩というものに親しみが無い人が多い今日の傾向性からみれば、詩に親しむ人は人口比的に
かなり少い詩ファンに限られる。
また極少数の詩ファンのなかにもわたしのように「あんなのは詩人とは認められないよ。人気はあるみたいだけど」
という人もいるには違いない。
とすると、私を離れて、谷川を詩人と決定する〈世間〉とは、案外とても狭い世界ではないか。

たとえば、わたしが私的に「谷川は詩人ではない」と考えているとする。しかし、それはわたしの勝手な想念であり
〈世間〉の評価の外にあるものであるというのならば
では、わたしと同じように考えている人とわたしが意気投合して互いに同じ認識を共有しあった場合、
そこには最小単位の〈世間〉が発生していることはどう説明するのだろう。
翻って、
谷川が詩人であることは〈世間〉が認めていることだ、というのはじつは谷川は詩人だと思い込んでいる人の
強固な手前勝手ではないだろうか?
蛍は科学的、客観的には昆虫の一種だが、ある人が墓参の帰りに見れば死者の魂の移りかわりと
見ることもある。
この場合、「おまえが蛍をいくら死者の魂の移りかわりだ」と主張しても、〈世間〉は蛍としか見ないぜと
〈世間〉論者は言うのだろうか。
そうならば、詩人とはいったいなんなのだろう?
そういう世間論者が詩を書いているということが、わたしには不思議でしょうがないのだ。
 

[65]石川和広[08/09 21:56]
>>64
誰の、何について、言われたものなのか、わかりませんが、、、??
 

[64]山田せばすちゃん[08/09 20:11]
だから痴話喧嘩だって言ってるじゃん、あ、ここは嘘専用スレッドではなかったか(笑)
 

[63]佐々宝砂[08/09 20:05]
―なぜ、有るものがあって、無ではないのか?
という言葉が確かハイデガーのものだったと思います。
一番絞りさんが書きたかった本は、んーと「存在と時間」でしょうか?
 

[62]一番絞り[08/09 20:03]
>あと、わざとかもしれないけど、「存在と無」ってサルトルの本ですよね。

そうなんですか、それは知りませんでした。
ほんとうに。
即興のおもしろさをねらって今日のお昼にぱっぱと書いてしまったので
隠し味を入れるのを忘れたりいろいろ悔いが残ります。
かといって推敲していると即興のテンポが
台無しになると思いました。
さて、ハィデッガーの著書はなんなのでしょうかね。
 

[61]石川和広[08/09 18:56]
>>60

そうだね。やっぱり、落ちの表現の工夫が、ないのが、惜しいね。

逆にかっこつけるならつけまくって、歌手で言うと、ガクトくらいまでいくとか。
ああなると、楽しめるね。
 

[60]ボッコ[08/09 18:43]たかぼ
>>57
批評詩ってよくわからないけれど、パロディ?

たまたま目に入ったので読んだ感想を書いてみます。
なんか色々語呂が良くて好きです。マンドリンのスネカジリってちょっと語呂的に楽しい。
でも硬い文章並んでる中で見るから面白いのかなぁ。単品で読んでどう思うのかはわからない。
ラストはかなりイマイチな気がするなぁ。やっぱり最後は自分がコケて終わるのが王道じゃないだろうか。それか、最後止めないで勢いだけで突っ走っちゃうか、そんな感じで。

あと、わざとかもしれないけど、「存在と無」ってサルトルの本ですよね。
 

[59]石川和広[08/09 18:27]たかぼ佐々宝砂
>>54 ご意見拝聴。

一番絞りさん、あなたの状況把握は、ある程度、妥当なものに思われる。

ボルカさんとのことも、私が見ても、そう思う。

ただ、私がわからないのは、<予定調和 という言葉の意味です。

私は、言い方は、混乱していたけれども、同じ穴の狢、といった。
私が気になったのは、彼らの、天皇制議論や、(それに端をほっした)批評論争が、見事なまでに、五十五年体制式の、懐かしの二項対立にしか、見えなかったことだ。
まさに、それが、予定調和的なのだ。
 私は、彼らが、これから、関係修復するかどうか、あまり関心は無い。
 異質な意見を持ったものが、本質的に対立することが、ちがいを確かめ合うことが、議論だと私は考える。

 ひとつ言いたいのは、悪い部分を、指摘しあうだけでなく、いいところは、ちゃんと褒めることも、批評の力だと思う。
 日本の映画批評を確立した淀川長治は、どんな悪い映画でも、いい所は、ひとつあるから、そこから批評を始めるといっていた。
 その点から、あなたの愛という言葉には、理があると思う。感情や印象も、深いところで、何らかの論理、その人なりのものの掴み方があるからね。

 あと、ひとつ、谷川は、あまり本質的な批判者をもたないから、あなたの詩には、理があると感じるが、谷川がある種の権威から、デビューしたのは、事実だとしても、谷川が
あの当時、独力で、書いたことは間違いないし、その孤独の深さは、やはり心打つものだったと思う。
 
 世間知ラズは、ぼくの買った初めての詩集だった。あれが、朔太郎賞を取ったことを、
あなたは、書いているのかもしれないが、谷川の、孤独は、お坊ちゃんならではの、孤独は、朔太郎に匹敵すると思う。しかし、ぼくだって谷川の嫌いな詩だって、たくさんあるからな。
 ただ、あの詩集の始まりが、父の死の影から逃れられない谷川の、裸の情けなさと、不安だったことはいっておきたい。まさしく見苦しさをまた、文にしてしまうかっこ悪さ。
これも文学だと私は感じる。

 
 

[58]佐々宝砂[08/09 17:09]石川和広たかぼ
>>57
社交辞令抜きで言います。あんまり面白い詩ではないと思います。この詩が自由詩として投稿されていたら、私はポイントを入れません。強いて言うなら、谷川シュン太郎(あえてこう表記しておきます)の台詞部分は面白いです。ええ、「おもしろい」と叫んでいるところは気に入りました。でも「ミツバチもどきどもの運ぶ養分を食らって」という部分はつまんないです。なぜここでまた「もどき」が出てくるのでしょうか。一人の印税生活者としての谷川シュン太郎は、本を買った読者やらテレビ出演を依頼したテレビ局やらからお金(養分)を頂いて暮らしてるのであって、ほっといても養分を運んでくるようなミツバチに養われているわけではありません。ミツバチまたはミツバチもどきという比喩は的確な比喩ではないと思います。谷川シュン太郎最後の台詞は、面白いと言えば面白いけど、この台詞、一番絞りさんの自己弁護だなと気付いてしまうと面白く感じられません。

私憤として書かれたにしては、誰に憤っているのかこれまでのレスを読んでも不明です。ま、実言えば名前が出てる部分はわかりますけど、私憤を抱くほどの被害を一番絞りさんが受けているかどうか? いえ、こういう詩に登場させられた面々の方こそ憤ってしかるべきなのでは? しかし私憤を抱くかどうかは個人の性格によりますので、私はどうこう言う立場にありません。「マンドリンのスネカジリ」という言葉から私が連想するのは「谷川俊太郎」ではなく、また谷川を擁護している掲示板の常連でもなく、むしろ「萩原朔太郎」だったりします。詩人は数おりますけれども、萩原朔太郎ほど「マンドリンのスネカジリ」という言葉が似合う人はおりますまい。

私憤でブンガクを書くタイプというのは日本のブンガク史上まれではない、と思います。たとえば佐藤春夫など私憤のカタマリのような人だし、こないだ亡くなった中島らもが某作家をめちゃくちゃ嫌っていたのも有名な話。要は、私憤であろうと義憤であろうと悪口雑言罵詈誹謗であろうと、面白ければいいのではないかと私には思われます。しかし悪口雑言罵詈誹謗でひとさまを喜ばせるのは非常に困難ですし、一番絞りさんの詩作>>57を読む限りでは、ひとさまを喜ばせる精神を拒んでいるようにも思えます。なにしろ「世間に媚びる快楽」を批判なさっていますから。では一番絞りさんは、こうして私憤を詩にすることによっていったい何をしたいのでしょうか。ご自分を表現したいのでしょうか。私憤をあからさまにしてすっきりしたいのでしょうか。この掲示板の読者を不快な気分にさせることで、溜飲を下げようというのでしょうか。そのあたりが私にはわかりかねます。あるいは私の読解力が足りないのかもしれません。

どうでもいい話をつけくわえておきます。あまりにどうでもいいことですけど。私は田舎の公立高校の出で、それも出席日数がやばかったので、センセーに頭を下げ学期末にレポートを提出し追試をいくつか受けた上で、どーにかこーにか卒業したのです。小学校高学年〜中学校二年までは不登校でほとんど学校に行ってません。さらに無関係なことを言えば私の夫は中卒です。谷川俊太郎は確か高卒でした。学歴や知識に関するコンプレックスは、私も充分にもちあわせております。かつては私もそうしたコンプレックスをさらけ出していたものです。あとで自分でみても格好いいものではないと気付いたので、そうしたものを出さぬよう気をつけることにしたのですが、今も気を抜くと劣等感丸出しになります。ああ気を付けねばと自戒するワタクシです。
 

[57]一番絞り[08/09 16:37]ボッコ
さて、詩による批評というものを試みてみよう。それも私憤にもとづく批評詩というものを。(笑)
そうだな...表題は「マンドリンのスネカジリ」。(爆笑

   マンドリンのスネカジリ

 舞台裏からマンドリンのスネカジリ登場
ぽろん〜と楽器を爪弾く

 ご大! ご大さま! どこにおいでですか、ご大さま!
 ああ、昏くてよくみえませぬ
 昏くてよくみえませぬ
 蛍光灯もこれだけ暗ければ世も末
 いや、もはや法滅
 何も見えませぬ 何も感じられませぬ
 そうだ! ...テツガクせねば!
 マンドリンのスネカジリ、ポケットからハイデガーの
 『存在と無』を取り出し、膝の上において
 マンドリンを
 「ぽろ〜ん」
 
 谷川シュン太郎 天幕の上より 
  (顔面神経痛に耐えながら)
  親のスネカジリ、いや七光りでこの壇上に出現したおれは
  おまえらミツバチもどきどもの運ぶ養分を食らって 
  もはや単純に詩人なんかぁーじゃないのだ
  だれにも届かぬところへ押し上げられ変容してしまった
  このおれを それでもけなすものがこの世ににいるとは
  おもしろい!
  おもしろいことだ!

 マンドリンのスネカジリのマンドリン、舞台の板張りに落ち
 マンドリンのスネカジリの頭が天に向かって仰がれるや
 ぼるカ、四輪車のオモチャに乗って横手より現れる

  「ぶー」
  黙らせたいんだ
  夜もおちおち眠れんのよ
  許せないなんだ
  あんな愚劣な詩論の持ち主がぬけぬけとあなた様の悪口をいい
  ぬけぬけと詩の批評なんかするなんて
  どうしても許せないんだ
  これは
  詩への冒涜です
  だからつきまとってやるんだ
  消してやる きっと
  ぼくのディスプレイの液晶画面上から
  あいつを

  ぼるカ 「ぶー」と去る

   一番絞りを捕まえた〜♪
   一番絞りを捕まえた〜♪

 お初、舞台右手より登場。
 《シュン太郎さま、詩に神さま、ついにこのアホを捕まえました》
 マンドリンのスネカジリ、瞠目する さっそくマンドリンを構えて
 「ぽろ〜ん」
 《ハイデッガーも理解できぬ無学なアホが〜 
  ご大さまの悪口をいいふらすなんて〜
  気の利いた返事のひとつも〜
  返せぬ間ぬけが!

   一番絞りにやにやしている

 お初、にじりより、にじりより、一番絞りのほおをハッシと打ち

 《世間様に歯向かって 世間様に背を向けて 世間様を嘲笑って
  それでおまえはまだ詩を書こうってのかい!
  このトウヘンボク!
  この成り上がり!
  この世間知らず!
  この大甘ちゃん!
  詩はおまえのような
  詩はおまえのような
  ノータリンのアホがやるもんじゃーないのよっ!
  さあ世間様にお詫びしな
  さあ世間様に頭を垂れな
  世間様がみとめるご大さまにひれ伏しな

   一番絞りにやにやしている

  谷川シュン太郎突如顔面神経痛激しく、天井より顔しかめて
  あいたいたいたー あいたたたたー
  おれは詩人だ あいたたたたー
  おれは詩人に間違いないのだー あいたたたー
  どうしておまえはそれを認めぬ
  世間が怖くないのか
  世間に媚びる甘味な快楽をしらぬか
  権威だぞ
  権力だぞ
  あー、なんだその目は なんだその目は
  おまえ、ゆるせぬ 殺す たたき出すぞっ!
  この世から!
  マンドリンのスネカジリ! 
  こやつにスネをカジる愉悦を説いてやれ!
  親のありがたさを説いてやれ!
  権威のすごさを説いてやれ!
  その上でまだわからねば

  「まだわからねば?」

  追放だ

  一番絞り
 「あー、つまんねー。出演者がつまらなさすぎる」
 「おれはこの舞台、途中で降りるぜ」
 
 谷川シュン太郎
 「や〜んぺだと? おいおい、けなすお前がいなければおれはどうなる」
                 


  
 

[56]一番絞り[08/09 15:04]佐々宝砂
>でも、わざわざ喧嘩腰になる必要もないのでは、と思います。[55]ミント

ミントさん、このご発言、よく承りました。
たしか羊羹なんか作るときにも、少し塩を入れますよね。
でも、塩が多すぎると不味い。
隠し味は、ほんの少しがいいのですよね。
ハンセイ。
 

[54]一番絞り[08/09 14:42]佐々宝砂たかぼ
石川和広さん
>同じ穴の狢なので、平行線をたどるの当たり前だよ。対話不成立!

ぼくはこういう断定がよくわからんのですよ。
あなたとだれとの間の対話が不成立なんですか?
他人のあいだに対話が成立しているかどうか、そんなことを第三者が断定するのは
余計なことじゃないでしょうか。
というのは、じつはわたしは※さんと山田さんの間には、なごやかな対話はそりゃ無いけど
底流には関係修復を求めて対話を交わしているのだなと思えるところがあるのです。
確かに、山田さんは「つばをかけてやる」と※さんに発言し、※さんはそれに対して当然の
感情的反応を返した。
しかし、もしもほんとうに山田さんが※さんを相手にしたくないのなら、詩の批評をしたりしない。
それも※さんにとって一番程度の悪い詩をわざわざ選んで批評するというのは、逆に言えば
相手の感情を逆撫でして関心を向けさせる所業でしょう。関心があるのですよ。
また※さんも、もう山田さんに関心がないのならいちはやくその批評に反応はしたりしない。
そこには底流になんらかの修復を求める動きがあったのだと思う。
だから、なんだかんだといいながら、わたしは両者のやりとりを微笑ましく眺めていた。
対話というのはなあなあムードで、予定調和的になごやかに進むものばかりが対話とは限らない。
現にわたしは山田の大根斬りでしつこくボルカさんらに、からまれている。
わたしもそれなりに、からみ返している。
傍目から見ればなんて低劣なやり取りをしているんだろう、と見えるだろう。
しかし、わたしは内心、考えている。
ボルカさんはわたしをクソみそに言いながら、どうしてこうもしつこく関わってくるのだろうか? と。
そこで、じつはかれがわたしにとても関心をもっていることがわかる。
おそらくかれは憎しみと同じくらいにわたしに一種の愛情を抱いているのだろう。
それがわかるから、わたしもそれなりに対応している。これは決して「対話不成立」ではないと思っているからですよ。
対話なんてのはそんな奇麗事ばかりでは済まない事もある。
もしも、和やかムードの対話ばかりが要求されるのだとすれば、そこにはうそが混じることになるだろうと
思う。

話は変わるが、私憤としての批評があるのなら、私憤としての詩作ってのもあるだろう。
一度、そういう詩を書いてみようと思っている。
 

[53]佐々宝砂[08/09 03:58]
対話を拒否されたら、ほとんど何も言うことができない。多くの場合、相手が求めるものつまりは賞賛か慰めか共感だけを聴いてもらえる。そのほかには、何を言っても聴いてはもらえまい。それでも、黙ったまま相手の話を聞いていることはできる。なので私は黙ろうと思うのだが、私は黙っているのが得意ではない。

私は口を半分ふさがれたお喋り機械だ。
 

[51]一番絞り[08/09 01:47]
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=3878
「LOVE SONG」あをの過程

世の中には「詩みたいなもの」というのがある。
「詩みたいなもの」というのは何だろう?
たぶん、それは歌と未分化なものだとわたしは思う。
いや、歌そのものといってよい。
多少の世界との違和があるからといってなにがなんでも現代詩などに
手をそめることもないのだ。
このように、マンドリンを鳴らし、歌を口ずさむのもよいではないか。

 おいおい、マンドリンを抱えた親の脛かじりさんよ。
 おれだって真面目に議論したいのはやまやまだよ。
 しかしねえ、発端がいいがかりにもとづくものだったものに、
 途中でまともな議論をせよと強要するのは、ちんぺらの所業だぜ。
 わだかまりの残ったまま肩に手をまわして、ま、いいから話を聞けよと、
 そんなわけにいくか、ぼけ。
 てめえのように、てめえでメシを食ったこともねえ〈世間〉知らずが
 おれに一端のクチをきくのは100年早いんだよ。
 てめえのこの詩をみてみろ。
 そんなことだから、抽象的な箸にも棒にもひっかからねえ
 生活実感のないものしかけねえんだ、ぼけ!

 出直して来い!

なんてことを言ってはダメだ。
この[詩みたいなもの]を読んで、深く反省するのだよ、ぼくは。
 

[48]石川和広[08/08 23:59]たかぼ
※さん、山田さん、あんたがた、いい加減になさい。

批評が、私憤から始まってるか、どうかなぞ、議論の体裁めいたものを言うておるが、
単なる意地の張り合いにしか見えませんぞ。

※さんも、山田さんも、硬直した自分の正義をぶつけあって、

単なる言いがかりの付け合い!

こういう不毛な議論は、つらい。そんなしてても、昔の与党と野党の関係みたいで、なんか堂々巡り。

 山田さんの「唾」云々もそう。皇后に、代理母を使ったらと提案した※さんもそう。
ふたりとも、他人事だと思って、酷いことばかりいってる。

 同じ穴の狢なので、平行線をたどるの当たり前だよ。対話不成立!
 

[47][08/08 23:05]
追記。
 山田さん、私は貴方の批評を私憤まみれなどとは思っていない。ただ、発端にそれがあったのではないかと睨んでいる。勿論これは想像の域を出ない。発端は批評に根ざすところにあるべきだと思っている。が、これは「終わりよければ〜」の考え方を否定し兼ねないので、絶対悪とは言えない。・・・結局グレーの話だな。これも。
 

[46][08/08 22:58]
 部分、訂正すべき個所があったので、ここに記す。
 以前「批評とは私憤を含むものであってはならない」と書いたが、これを「批評とは私憤が主であってはならない」に訂正する。
 勿論、実際にそれを主として書かれておりながらも高い評価を得るものがあるのも承知の上。それは何故か。読みへの偏りが出る怖れがあるからである。これに関してへの反論に何が出るのかは想像に難くないが、敢えて申し上げておく。
 フォーラムが山田さん特有の罵声や切り捨ての批評に対して開かれた場であることは承知しているが、ともすれば余計な「いさかい」の一因ともなりかねないのであれば、本末転倒だと思っている。それは過去に私自身が批評を行ってきた上で身を以って体験していることだし、これによる圧轢に苦心された方も大勢いると思う。こんなこと書いたところで、彼からしてみれば「発表することへの覚悟の無さ」で片付けられるような問題なのだろう。が、皆、今一度「批評することに無駄な傲慢さが出てはいないだろうか」を問いただす必要はあると思う。たとえ強く自覚しているつもりであっても、だ。
 (私は以前、自分のサイトで批評を行っていた経緯がある。批評の〆に、親しみを持たせた言葉(それでは、を、ほいたら、と記したように認識している)で締め括ったところ、それを「不真面目で不謹慎な行為」だと激怒されたことがあった。言葉とは、かように難しいものなのである。また、添削又はそれに順ずる行為も、同程度かそれ以上の危険性を有している。)

 最後に繰り返すが、これはグレーの話である。彼は黒ではないので、この話をすればするほど、私が損をするだけである。自分がどんどん落下しているのが分かる。それでも敢えて言っている、この意図について考えて戴けたら、と思う次第である。(以上で、これに関する話は終わりにする。勝手に終わって申し訳無いが、これ以上は反芻にしかならない為である。)

 安藤さんへ。彼の意見の中にも、私のイメージを下げるものは含まれております。それに対して、私も反論しない。この問題は彼にとっちゃ解決してるようなもの(論じること自体がどうでもいいレベルなもの)ですから、それ以外の方々に対して発信したいのです。
 

[45]一番絞り[08/08 22:22]
>43
>一方的な主張ならよそでやってください。

どうもこういう言い方ってのはカチンとくるな、他人事ながら。
一方的な主張というけれど、読み手が必ずいるんだろう?
読むということは、つまりは交流だ。返答を返す人がいるかもしれないし
いないかもしれない。それはだれにもわからない。
しかし、何事かが、一方的であろうと書かれたということは一方的ではない。

かならずだれかの反論なり、反証なりに返答することを義務付けるべきでないし
一方的だとかどうだとか、それこそ一方的な価値判断だ。
じゃあ、いままでわたしがここに書いた批評は一方的なものだけど、メールでやれと
いうのか?
こんな意見に同意するひとちたも含めてちょっとおかいしんじゃないか?
どうして場というものを、そう息苦しく息苦しくしてゆくんだい?
まったく、気がしれないよ。
 

[44]山田せばすちゃん[08/08 02:44]
どうしても俺の評論を私憤まみれのものだと決め付けたいのね、少なくとも疑惑は拭い去れないってその線だけは死守したいのね?
んじゃ、俺は最初に取り上げたミントさんにどういう私憤があるの?君の詩の批評もミントさんの詩の批評も同じスタイル、同じ手法だぜ?
どうして君の詩にだけ私憤をこめてる、と君は確信できるの?こめられてなくちゃならないという哀しい負の自覚があるの?
つか、私憤をこめるも何も俺は最初っからそんなめんどくさいことしなくったって君のこと差別者め!って糾弾して唾はきかけてるんだからさ(笑)私憤は私憤で健全に吐き出させてもらってますよ。なのに今更なんでそんな巧妙な技をつかわなくちゃならないのよ(笑)
別にもういいよ、君の非論理的な返答は。
天皇制擁護のときと一緒じゃん、どうしてもそうでなくちゃいけないものなのだって、それで終わりなんでしょ?それで押し通すんでしょ?
こっちはフォーラムの中での君の立場まで考慮して、忠告してるのに、どう受け止めるかだけの問題だって、↓安藤君みたいに受け止められてますよーそれでいいんですかー?
 

[41]石川和広[08/07 23:08]
ボルカさん、僕は、実際かつて有井さん見たこともしゃべったこともあるけど、作品に対する姿勢はきびしかったー! 一番搾りさんのいうように、かっこいいかった。でもガハハしたりもして不思議な人だった。 ここは、批評をするところだから、これぐらいにして。 一見肉感的にみえて、タッチは繊細で淡い。抽象と具体の微妙なあわいを描いてるけど、実は、一貫して、分裂よりは、葛藤や対象への戸惑いを痛みを描く、関係性の詩ではないだろうか?彼の生を賭けた…
 

[39][08/07 22:04]
>36
 いかに挑発されようと、そこに印象操作までされようと、貴方と重箱の隅の突っつき合いをする気など、更々ありませんので。ましてや、これは黒ではなくグレーの話なのですから、尚のことでしょう。

 貴方が公的な問題だと理解している部分は、そのスタイルに依存することで私憤をぼやかしているのではないのか。私には、そう思えてならないのだが。ま、それは受け取る側の見方に任せよう。

 繰り返し言うが、貴方からの回答など要らない。このような出来事があった、それを提示したいだけであり、あとは読んだ方々がどう受け止めるかの問題だと思っている。
sage
 

[38]片野晃司[08/07 17:10]
作品の一番下にあるカメラのアイコンをクリックすると作品そのもののURLがわかりますよ〜>一番絞りさん
sage
 

[37]一番絞り[08/07 15:52]
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=9786「ひとふさの乳房を」
苦情、苦笑、罵倒、怒号の嵐のなか、[22]のつづき。

大阪にある、その詩の学校に入ってすぐのことだった。
有井いずみさんの作品の合評があった。作品はここにも掲載されている
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=9245「水母市」だった。
これまた難解な詩です。
わたしはそれまで現代詩を読んだことがないし、書いたことも無かった。
読み込めるわけがないのだ。
しかし、偉そうに振舞っていた手前、そうそうたるメンバーを前に、いかにもそれらしいことを
言わねばならなかった。
発言の順番が巡ってきて、内心汗をかいているわたしは突如、この作品の助詞に注目した。
それは天啓のひらめき? ともいえる苦肉の策だった。
そして、無知が幸いして口からでまかせを滔滔と並べ立てた。
いまでは何を喋ったかよく覚えてないが、よくもまあ、まるっきりの素人がプロを前にあれだけ
出鱈目をぺらぺら喋れたものだと自分で感心している。
助詞というのはもちろん、「てにをは」(「てにはを」?か)のことだが、この助詞がかれの詩表現を
固く縛っており、ふわふわとした表現が勝手にどこかへとんでいかないように
強引に方向性をもたせようとしている(多分)
ことに注目した。
で、わたしは大勢の前で宣言したのだった。
「かれは、何かわからないけれども、どっちつかずの意識にふたつに引き裂かれており、非常に不安定な
股裂きの精神状態の中にいる」と。
まったくのあてずっぽうだったが、これは詩の批評を離れてある意味的を射ており、少
なからず有井いずみさんの表情を青ざめさせるものがあった。
当時、有井いずみさんは豊川悦司そっくりで、スマートで男らしく、頭はよく、歌は上手いし
踊りはうまいしで
女にモテモテだった。
わたしは大阪の「トヨエツ」にあやかりたいと、かれのあとを金魚の糞のように付いて歩き、
ときどき、といっても二、三回だが酒席を同伴させてもらう栄与にあずかった。
しかし、多分わたしの批評の一撃によって、かれは自らのなかにある女性性にはっきりと目覚めたのである。
この合評のあとから数年してかれはジェンダーであることを表明し、厳しい逆風に耐えて女性になってしまった。
男のなかの男として畏敬し、また、現代最高の詩人として尊敬していた方が、あれまあ、妙齢の女性に
孵ってしまったのだ。
これは、まったく何も気がつかなかったわたしにとっては衝撃だった。
詩からはたしかにそういう分離を感じてはいたが、まさか、だった。
翻って思うと彼女のかつての詩にはそういう個的な肉体と精神の相克という主題がいつも
精神の破綻の瀬戸際に危うく存在していたのだ。
そういう位置からあらためて「ひとふさの乳房を」を読むと、やはり「生理」と「ことば」の綱引きが
相変わらず行われており、しかし、とうとう彼女の詩のコトバは書き手から離れてゆくのだなと
感慨深いものがある。
つまりこの詩は、書き手の、かの詩のコトバとのお別れの歌ではないかと思われる。
(続く)

                               
 

[36]山田せばすちゃん[08/07 15:41]
>貴方に逐一の反論など求めていない。
出たよ(笑)
自サイトでは削除すれば済むけれどもさすがにここではそうもいかなかったが故の「お前のいうことなんか聞く気はない、一方的に書き込むだけだ」攻撃ってやつですか?

>事実を示す必要性があると実感したので
事実誤認を指摘しているんだが、確認してくれたかね?確認してくれたら訂正を入れてくれたまえ。いや別に謝罪をしろとまでは言わないよ、俺は寛容だから(笑)

で結局なんだね?
みんな誤解のないように気をつけて評論書こうよ、とその程度の公的問題だったのかよ、疲れるなあ、まったく(苦笑)
そんなことは多分みんなわかってるよ、俺だってわかってるもん。
俺はわかった上でスタイルの問題としてこういう書き方を選択してるの。もちろんこのスタイルに伴うリスクだって覚悟の上で、の話だけどね。このスタイルが気に入らない人も、面白がってくれる人も両方いるであろうことも認識してます。で、このスタイルが気にいらねえという意見にはいちいち個別で対応していくんだよ、今回みたいに。だから君にご納得いただくまで説明はやめねーぞ(笑)見ないのはそっちの勝手だが、書くのもこっちの勝手ってもんさ。
俺としてはこのあと批評に私憤が含まれているとどうしていけないのか?という話についてもやりたいのだが、どうやらそっちは君の言う「公的」な問題ではなかったみたいなのね、残念だわ。

それでもって※くん。
>何よりも、状況ってのは刻々と変わるんだから、昔のプロフを持ち出してきて今を論じるなよ。
と賜った君だから、最新の発言に基づいて提案するんだけどさ、だったら正しい異議の述べ方は、「山田さん、あなたが意識的にやってるそのスタイルで、私は傷ついたから、今後は私の作品を扱わないでくれ。」なんじゃねえの?
全然公的じゃねえじゃん(笑)下手すりゃ私信で済む問題だぜ?

私はこんな目にあった、あんな目にあったって、そんなことでピーピーピーピー騒ぐなよ、みっともない。そんなこと言っても誰も同情してくれねえぞ?つかもしかしたら同情されたくってここで書いてるのか?山田にこんな目にあった、こんなにも言われたとか書いといて、俺からの直接の回答はいらない、ってことはどういう了見なんだかねえ。
 

[35]田代深子[08/07 13:34]一番絞り
有井いずみ「ひとふさの乳房を」について


 自分の身体の一部に、違和を感じる場合がある。たとえば痺れ
きった足や切ったばかりの髪など、いくども指で触って確かめる。
それが自分の輪郭の一部だということは承知のうえで、むしろその
違和感を確認する。
 乳房の重さとはいかなるものであろうか。それを持たなければ手
に余る大きな存在であろう。が、湯に浸かり、自分のそれを両手で
持ち上げるとき、むしろ軽さ、それから掌に乗るほどの小ささに、
すなわち自分の身体に収まる程度の存在であることに驚く。指は身
体の輪郭をいくどもなぞるだろう。エロティシズムが、この違和感
にともなって生まれてくる。
 指が触れていると思っている乳房は、愛撫する女のそれではない
が、自分のものであるとも確信できない。確信できない身体は、で
は何者なのか。「自意識の器」か、最初の性愛対象か。いずれで
あったとしても、違和感を確認したのち同一化を図るためには、エ
ロティシズムは経由せざるをえない。


  ぼくの/は/女の/息子に/抱きしめたい。
  その毛髪にしたたる精をしたたか吸っただろうに、掬いあげただろうに
  てのひらを合わせ、接吻をくりかえすので、母のようでした
  最中には、やわらかな指が
  指もまた唇の、わたしの行方でした


しかしここには倒錯、もしくは錯誤がある。乳房を持つ母として息
子を抱き、違和を感じる息子として母の身体を指でなぞり続ける。
観念は女=母、男=息子という近代の構造にいまだ深々と囚われて
いることを露呈しながら、すでにしてその身体はとうに男女の性、
そして自己の同一性の混迷の場と化しているのだ。(だからこそエ
ロティシズムは過剰に存在する。)違和へ同一性をもたらすため
に、たとえば夢に描くような美しい乳房を導入しもしよう。だが、


  傷みをともなうけれども、破かれる終章など
  ありはしなかった


のである。カタストロフィはなく、むしろ乳房は違和感のかたまり
として「ぽっかりと浮か」び続ける。
 「コトバ」「モノガタリ」と片仮名で表象されるところの言語が、
この乳房に似ているようだ。それらは「やわらかい」、「雲のよう
に」「浮かべられ」るものであって、「わたしをはなれ」てしまう。
異物をなぞって「これはこれこれです」と形=言葉にしてみれば、
とたんにやってくる違和感。言語とはそのようなものだ、と言い放
つこともできる。言語は、おのずから発したのちは、他者との間隙
に立ち、他者の言語としても共有されるはずのものであるのだから、
同一性にくみするものではありえない、と。
 だがこの作者は逃れがたく希求している。その違和する身体が、
そして言語が、やわらかくしっかりとした重みと熱を持ち、「自己」
を確たる存在たらしめることをである。あるいは、初めて発見され
ることをか。しかし希求が悲哀を帯びるのも事実だ(それこそが有
井作品に美と品格を与えるところのものでもあるのだが)。現にな
いもの、ありえないかもしれないものを求める、その欠如のなかで
こそ想念は分岐し、さまざまに言語が変容し、ときに詩となる。
 詩を欠如の表象だなどと言ってしまったら、有井いずみは怒るだ
ろうか、笑うだろうか。

                          2004.8.7




(有井作品評なんて...びびるって...)
 

[34][08/07 13:29]
 ということで、どうぞ、有井いずみさんを続けて下さい。お目汚し失礼しました。
 

[33][08/07 13:26]
>32
 貴方に逐一の反論など求めていない。
 貴方も理解している通り、これは自衛手段の宣言である。
 それを宣言すると共に、非常にグレーな批評が起きていた事実を示す必要性があると実感したので、掲載に至ったまでのことだ。
 貴方は繰り返し黒じゃないことを主張するが、今までの一連の出来事がある以上、貴方の批評姿勢から、それを演出と見るか私憤と見るかは難しい判断となる。(繰り返しになるが、だからこそ構造さんの「これは、どうしようもない」旨の発言が出ていた。)

 で、結局のところ何が言いたいのかと言えば、もうちょっと考えて批評すべきでは、と。安易に疑われるような文章(部分)の書き出し方は控えるべきなんじゃないのか、と。勿論これは山田さん個人に向けた言葉ではなく、この出来事を見知った皆様方に自覚して貰いたい言葉(批評姿勢)である。(・・・これ、私が書けば要らぬ誤解を招くだろうから、書きたくなかった部分なんだけどね。)
 

[32]山田せばすちゃん[08/07 10:32]
有井いずみ進行中だが、すまん!
白糸氏がこっち使ってもかまわん、といってくれた上に※君もここを離れたくなさそうなので雑談スレッドの発言をこっちに移動する。

やれやれ、まず発言19のほうの
>しかし、ただ一人、山田さんだけが、彼を援護し続けていた。非難や難色、嫌悪等は一切表していない。
についてはニューススレッドの俺の発言[371][373][547][567][568][571]を参照していただきたいのだが、俺は一貫して作家論そのものを規制するような真似に反対しているだけであって一番絞り氏を擁護した覚えは一切ない。非難や難色を一切示してないというのも事実誤認である。

>己ずから関係を絶っておきながら、何故、私の詩を批評し始めたのか。そこに私憤が一切無かったと、誰が言い切れるだろうか。(ちなみに山田さん、唾吐き行為に対する謝罪が無いので、私のサイトへの書き込みが禁止されていることも、付け加えておく。)

己ずから、はいうまでもなく、自ら、の誤用だと思われる。一切なかった、とは誰にも言い切れないだろうけれど、じゃあ、あった、と言い切っているのは誰なのか、君だけだよ(笑)俺は目の前に突っ込みどころ満載の詩があったのでつい飛びついてしまいました、といってるじゃないか、ついでに言うと俺は君に評価されてもうれしくはないのでやめてくれ、とは言ってるが君の詩を批評しないとは言ってないけどね。ああ君の作家論をやるつもりはないと明言してるか、でも俺は君の詩を単品で取り上げて、しかも批評に当たっては君の幼稚な思想等になるべく言及しない、と「自ら」ルールを設けているんだが、「赦す」の解釈に天皇を持ち出したのがそんなに気に入らなかったか?俺は字義を明らかにしただけで、君の天皇制擁護の思想の是非には一切触れてない、批評中に君を差別者と糾弾してもいないし、それどころかわざわざ天皇という言葉を権力と言う言葉に読み替えた上で、字義からしても作中の「赦す」の定義には違和感を覚える、その違和感の内容はたとえ話をすればこれこれだ、と述べているに過ぎない。作品の機能分析においては、触れるべきではないことには触れないのだ。なんかこの「赦す」の字義解釈については白糸女史が辞書引いて、ついでにてぐすね引いて何か言うべくスタンバってるようなので俺としてはそちらにちょっと期待もしてるんだが。で、「ちなみに」以降の括弧書きを俺の批評が私憤に満ちているという傍証にしようというのだろうが、俺が君のサイトで書き込みを禁止されていることが、なぜ、俺の批評が私憤に満ちていることの論理的証拠となるのかわかりやすく説明してはくれないか?君のサイトに書き込めないことを俺がそんなに憤っているとでも言うのか?だから、意趣返しに君の書き込みを制限できる自身がスレッドオペレーターを務めるスレッドで君の悪口を書いているのだ、とでも?ゲスのかんぐりはやめてもらいたいものだ。大根斬りスレッドは、印象批評ではなくて、詩の作品における言葉の機能について論評することを目的としている、俺自身にとっても非常に重要なスレッドであり、重要であるからこそ、サイト管理者を含めた議論を重ねた上で創設したのだ。いちいち君の悪口を書くためにあるスレッドではないので、そこのところをよく承知してくれ。

以降は俺が「有罪」(苦笑)であることの確証がないことを自ら認めた上で、自衛のためにこういう手段をとる、と宣言しているようだが、そんなもんなぜわざわざ白糸スレッドまで出張して宣言しなくちゃならないのか、その必然性はなんなんだ?もともとの土俵である大根斬りスレッドでさえ、俺は未詩には手を出さない旨明言しているのだし、実際に当該作品の批評を公けにすることは中断している。
これが公的な問題であるというのならば君は「思想糾弾を目的とした詩の批評には承服できないので、以降、批評を制限される未詩カテゴリーにおくことにする」と宣言すればいいだけではなかったのか?俺がどうしたこうした、だの、一番絞り氏がどうしたこうしただのと書き出した時点ですでにそれは君の私的な問題でしかなくなっているし、むしろ、そういうことを書くこと自体が君の私憤の現れである、ということになぜ気がつかないのか、俺には不思議でしょうがないんだが。

> 詩への批評がどのような形態にあっても構わないが、個人的な私憤を含むものであってはならないと思っている。

ってじゃあ全然どのような形態であっても構わない、とは思ってないんじゃん(笑)
ついでに言うと「個人的な私憤」というのも表現が重複してるよ。
批評が私憤を含んでいいのかいけないのか、という問題に関する俺の見解は先ほどの発言[547]ならびに[567]を参照されたい。などと書くと、それが今回の批評に私憤が入ってることの間接的証拠だ!なんて鬼の首とったみたいにはしゃがれても困るのだが、俺は批評の動機はいかなるものも等価であるから認めねばなるまいよ、という一般論を申し上げているだけなのでそこのところ誤解ないようにね。

あー忘れてた。
>あと、人様のサイト運営を揶揄するのは止めて貰いたい。貴方が自身の唾吐き行為を謝罪すれば、書き込み削除は解除される。それだけのことだ。

って、君自分自身のこと「人様」って書くんだ?やーね(笑)尊大にして、権力的だわ(笑って感じで、俺が揶揄したい点といえばそれだけだね。ところで俺のその前の発言のどこがサイト運営を「揶揄」してる部分になるのかな?俺は「禁止されています」といういかにも客観性を装ってるような物言いに「反発」してるだけで別段そのことを「揶揄」してるつもりは全然ないんだけど・・・ところで君、「揶揄」ってどんな意味だか本当にわかってる?

やゆ 1 【▼揶▼揄】


(名)スル
からかうこと。なぶること。
「政治を―した戯評」



三省堂提供「大辞林 第二版」より

だよ?
ちゃんと辞書引いてねって、何回目だろうね、君にこれ言うの。
それからね、別に書き込み削除されてても俺はなんら痛痒を感じてはいないし、はなっから謝罪しないよって言ってるじゃん、そんなに俺が君のサイトに書き込みたがってるとでも思ってるの?本当はね、いやだけど、一回一回それぞれの必要性に駆られて口出ししてただけのことなので、別に削除措置を解除してもらおうなんて思ってません、したがって繰り返しになるけれど、俺が君のサイトで書き込み制限をされているという事実は、俺が君の詩の批評に私憤をこめたことの傍証とはなりえませんので、念のため。
 
 

[30][08/07 08:51]
>28
 一方的な非難ではなく、ニューススレでの一連の出来事を拾いあげただけですよ。

>25
 批評の在り方への議論であり、発端も批評なのだから、決して場違いでは無いと思われますが。
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 
 
スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
Home
0.32sec. ver 050714.4.0
スレッドニュース

現代詩,詩,poem,comic,掲示板,投稿,本,詩集,CD,DVD,出版,音楽,短歌,俳句,印刷,芸術,漫画,アート