2004 09/17 01:04
田代深子
>石川さん
ニヒリズムというものを、私は実に通俗的な意味でしか理解していません(勉強不足で
すみません)。ニーチェも読んでいない。それで石川さんの「生きている虚しさ」という
最初の発言にムっとしたわけです。それはチアーヌさんの作品に対する評としてよりは、
ここで起きている〈出来事〉への、石川さんの嘲笑に感じられたからです。
しかし少しずつ書いていただいたことで、わかってきました。だが、さらにやっかいだ
と思うわけです。そこへいってしまったら抜け出すのは困難だということしか今はわから
ない。それを持ち出されてしまったら、もう何も言えない、という最終的態度でもある。
しかしニーチェは「よしわかった、もう一度!」と書きもした人ではなかったでしょうか
?
私は現在、岡真理の『記憶/物語』という本を読んでいます。彼女が模索しているのは、
物語の(不)可能性−語ること、表現することの〈出来事〉からの乖離−を自覚しつつ、
いかにその〈出来事〉を当事者と分有し、語っていくことができるのか、ということです。
物書きとしては、まさに歩くだけで血まみれになる針の山を進んでいる。(この私の書き
方もあまりにいい加減な物語ですが。)
かつて岡真理の『彼女の「正しい」名前とは何か』を読んだとき、こうした態度に、私
は目から鱗が落ちたような気がしたし、同時に、それはあまりに困難で、自分を縛り、必
要な行動をすることすらおぼつかなくなるのではないかとも思ったものです。が、その自
覚は彼女を動けなくしてはいないわけです。彼女がひとかたならぬ強さを持っている、と
いう個性にのみ依拠することがらなのでしょうか? あるいは私が、彼女に対し「物語」
を勝手に作っている? そうかもしれない。しかし諦めている場合ではない、ということ
は、これは切らなくてもいい気がしている…これが物語であったとしてもです。
だから「わかんないから無視しとこう」とは思えませんでした。いまだとて、石川さん
の苦痛を、私は何一つ理解していない。しかし、書いていただけたことは本当によかった
と思います。