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なぜ脳無駄さんは公の場所であるこの雑談スレッドにああいったことをお書きになったのでしょうか?スレッド形式の掲示板に何かを書く場合、一般に人はその発言に対する何らかの反応を期待するものですが、脳無駄さんは一切の反応を期待していなかったのでしょうか?期待していなかったとしたらそれは私の最も嫌うところの書きっぱなし、書き逃げというやつで、それをやったら最後ネットは「便所の落書き」という巷間よく言われるところの最低のメディアに堕するわけですが、まさか脳無駄さんはそのようなことはなさいますまい、いや、なさいますまいというのは私の最後の期待ですけれど。 さて脳無駄さんがここに書き込みをなさることで何かの反応を期待していたのだとすれば、脳無駄さんにとってもっとも好ましいと思われる反応はどれですか?>>4ですか?>>7ですか?少なくとも私の>>3はまったくお気に召さなかったようですけれども(苦笑)あるいは脳無駄さんを満足させる反応はまだこの掲示板上には現れてませんか?あと類型として私が考える反応には「だったら詩を書くのやめちゃえば?」というのも(実は私は最初はそう書こうかとも思ったものですから)ありますが多分それもお気には召さないでしょうね。 私が>>3で「ちょっと人に甘えてみたかった」などと書いたのはもしかしたら脳無駄さんが求めておられた反応が>>4のパターンではないのかと推測したからなのですが、それは違うと仰るのならば訂正します、申し訳ありませんでした。 詩作は孤独な作業ですし、ことばに対する感性や美意識が高ければ高いほど、脳無駄さんのようなお悩みは尽きないことでしょう。そういう意味では、いくつか前から拝見している脳無駄さんの作品を通してそのような懊悩に苦しまれる脳無駄さんのことは想像が容易につきます。でも、だからこそ、それを公の場で語らないという矜持こそが今の脳無駄さんにはもっとも必要なものではないのでしょうか?弱音を吐いて見せて、激励をしてもらってそれで詩作を続ける、それはある種美しい光景なのかもしれませんが、そんなことはあるはずがないこともまた脳無駄さんは知っておられるはずだし、もし万が一脳無駄さんがそんなことを願っていらっしゃるのだとしたら詩作は徹頭徹尾孤独な作業ですよ、という最初の原則を今こそ思い返していただきたい。何のかんの言っても言われても誰も脳無駄さんの作品のことばを脳無駄さんの代わりに選んでくれる人はいないのだし、選んでもらっちゃったらそれはもう脳無駄さんの作品じゃなくなってしまう。 誰だってそんなことは考えます、でも誰もそれを口にして他人に救いを求めても仕方がないし、第一そんなところに救いなぞないのだということをどうか考えていただきたかったと。とりあえずそういったところでしょうか。 by 山田せばすちゃん 以前別の場所にも載せたけど、松井さん情報として(笑)。 http://www.aloalo.co.jp/nakazawa/method/ by いとう 参照先不明 ボイジャー1号、太陽系の端に到達http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031106-00000501-yom-soci 1977年出発。太陽風の末端衝撃波面に到達。2030年までは交信可能だそうで。 日本の衛星技術はどうだとか、中国はどうだとか、アメリカは、とか、そういう細かいナショナリズムは無粋。 #なんて時事ニュースを差し挟みつつ、スレを上げてみたりする。。。 by 片野晃司 最近テレビや新聞を賑わしているものたち。 そのなかでも私のイチオシは「どいた過去」でも「アルカイダ」でもなく「超巨大くらげ」である。 てゆうかあの「超巨大くらげ」の「ニュース」である。 「東京湾危うし!」とか「謎に包まれた生態」とか「海のモンスター」とか。 漁業関係の方々にはまことに申し訳ないが、トラックの荷台やらポンプの排出口からどかどかと滝のように流れ落ちるイカめし色のくらげの映像を見せつけられるたびに、TVの前の私は腹を抱えて笑いころげてしまう。 まったく21世紀のここ日本において、故フランク・ザッパ師もマッツァオのB級ホラーの大繁殖である。 by 石原大介 参照先不明 参照先不明 まあ、なんでもいいです。 僕にとって新しければそれで。 などと都合良く唯識主義者になってみるほうが、 いち作者としては詩は楽しめるのかもしれませんね。 もちろん、そこで『あたらしいぞわたしは』なんつってそれを発表するのとは、 また別のおはなし。 by れつら はじめまして。 新しさについての雑文。 新しさを見出すのが難しいのもあるのだけど「新しい」ってみんな言いたくないからな、というのもネックだ。つまりなんか見つけましたといっても禿げしくガイシュツ藁と返ってくるのであって、新しいものを見つけた手柄をお前にはやらんつーのがあってめんどくさい。僕はガイシュツ文化などどうでもよいのだけど、ガイシュツ文化は根付いていてわりと普通にみんな持ってる文化だ。根付いてるので「新しいでしょ」と胸を張っていえないところがあって、まぁ胸を張って言う必要はないってことで、誰かが「新しいね」と言ってくれるのを待つのだ。言わせるようにしむけられるならしむけたい。 この新しさというものが真面目に求められるのものに「特許」があるのだけど、あれは絶対に「新規性」がなくてはいけなくて新規性を主張しないと出願すらできない。なぜ新規性を実証できるかというと特許は特許の枠がありそこで特許化されいない事項は全部「新しい」から実証が可能だ。単純化された枠組みというものはこういうときにえらいと思う。 というわけで詩で特許をとればよいわけで、このマヨネーズという言葉の使い方はMonkさんに特許があるとかなればいいわけだが、残念なことに特許というものは(日本において)自然科学を用いて人間生活の改善、役にたつ装置でなければならないので、詩は役に立たないからだめだ。 こまった。こまってない。だから雑文なんだってば。 by Monk この「現代詩フォーラム」という場所、ここのシステム、雰囲気。 とってもすきになってしまいました。 居心地がいい、すきなものに包まれてるしあわせなかんじがします。 by ukiha こんにちは。ワタナbシンゴです。 たぶん、アダルトサイトへのリンクの件は、 ぼくのおすすめの件のお話だと思ったので、書き込みました。 このリンクについては、この話題がこのスレッドに出る前に 閲覧が有料になってしまったことを理由に 削除させてもらいました。 掲載に際して、アダルトサイトということで、未成年の方を含め 不快に思われる方もいるだろうと思いましたので リンクの下に、AV作品であるということへの注意を ただし書きさせてもらいました。 カンパニー松尾さんの作品をリンクしたことに関しては もちろん真摯な気持ちからのものですが (AVという形態だからこそ表現できた作品で、見るべきものがあると思ったので) やはり、性的表現を多分に含むものに関しては みなさまがおっしゃるように、 「配慮」をした上での掲示を心がけることが最良だと思います。 また、ぼくがカンパニー松尾さんの作品をリンクしたことと 片野さんがあげられている遺体のリンクへの可能性は、 また全く別次元のお話ですが、 その掲示の意図が、「単なる興味本位だけからくる」暴力表現へのリンクについては 削除するべきだと、ぼくは思います。 by ワタナbシンゴ 参照先不明 奥主さんの意見を読んで、ふむなるほど、そういうこともあるのだろうから私はもっと発言の奥をくみ取らなくちゃな、と反省しました。とりわけ「発言の趣旨を汲み取ろうとする方は汲み取り、スタイルへの反感といったことで相手の意見を拒否してしまう人は、何がどうあろうと拒否するものなのだなと感じたからです。」という発言にものすごく納得し、私は猛省しなくちゃならんと考えます。 しかし、いとうさんの意見には、どことなく気持ちの悪いものを感じます。方法論的には納得しますし、私もいとうさんと似たような手法をとっているのですが、なんか気持ちが悪いのです。 お断りしておきますけど、私が「吐け」と言ったのは「暴論」です。「暴言」ではありません。一般常識からかけ離れた感覚でもって、普通は思いもよらないような視点で、乱暴に世界をぶったぎるような暴論、脳みそフル活用で考え込んでからでなくては書けないような暴論です。ひとがいやがる言葉をひとこと吐き捨てれば済む「暴言」なんて、そんなもの、世の中にはあふれかえっているでしょう? そんなもの、詩人でなくても吐けますよ。私のいう「暴論」は、別段「暴言」スタイルをとっているとは限らないのです。 最初はなんていい意見だろうと思ったものが、「よく読んでみたら暴論だった」ということだってありえます。丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、実はおっとろしい暴論だった、なんてことは歴史上珍しくもなんともない。暴論の具体例は、戦中の新聞雑誌のたぐいを読むといっぱいでてきます。今現在の新聞にも載ってます。人殺しなんかしないよ、という顔をして。発言する本人ですら、自分の発言の暴論性に気づかずに。 狸亭さんのおっしゃるようにスタイルと内容は不可分だと、私も思います。いとうさんがおとりになる、また私自身も実行しているどこか気持ちわるいスタイルは、どんな内容をはらみ、どこに続いていると思いますか。なんとなく、ガスの匂いがしてきませんか。私は、自分自身の過去の文章を読んでガスくさいなあと思うことが多くなりました。ガス室行きはいやです。ガス室に誰かを送り込むのも、いやです。なんとかこのガスの匂いをとりのぞきたいのですが、うまくいきません。私は自分のスタイルを変えなくてはならないと考え始めています。 by 佐々宝砂 佐々宝砂さんの言うように、私は私の中の暴論性を把握していないのかもしれない。 読んでいて、佐々宝砂さんが例に挙げた事例と、私の前述の発言は、 私の中でどのように考えても結びつきません。 私もガス室行きはいやだし、ガス室に誰かを送り込もうとも思わない。 もちろんそういうつもりで書いた文章ではない。 そのような匂いが前述の文章のどういった点から感じられるのか、 もしできればもう少し詳しく説明したもらえると、 私自身、何か気づけるきっかけになるかもしれません。 その匂いは文章のスタイルから出てきているのでしょうか。 それとも内容についてでしょうか。 それともそれらが不可分な何かからでしょうか。 最初はなんていい意見だろうと思ったものが、「よく読んでみたら暴論だった」ということだってありえます。丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、実はおっとろしい暴論だった、なんてことは歴史上珍しくもなんともない。 これは確かにそのとおりです。 と同時に、 丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、そのとおりまっとうな理論であることだって珍しくなんともないと思っています。 一見暴力的な文章が内容面で正論であることだってよくあるし、見たとおり暴論であることだって珍しくもなんともないですよね。 そしてまた、暴言と暴論の違いには納得しました。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4680 ↑を見たら、確かに私は暴言と暴論を混同しています。 それに対して何か不満な点などがあるのなら、 それはすべて私のミスです。 また、その意味では、私自身は「暴論」ではなく「暴言」について語っています。 さらに、何度も書いていますが、 佐々宝砂さんの件の文章に対しては批判的な印象を持っていません。 スタイルで内容を判断するのは、私自身もそれはおかしいと思っています。 まず、私の中では、「スタイルへの反感」と「内容への反感」は同一にはなりません。 スタイルの反感はあくまでもスタイルに対してのみの反感であって、 スタイルに反感を持ったからと言って即時的に内容への反感へはつながりません。 と、前述の文章にもはっきりと書いています。 私が言いたかったのは、 スタイルにも気を遣ったほうが、 スタイルで判断する、あるいは、スタイルを重視する人にも その内容を判断してもらえる可能性が高くてよいのでは? という、私自身の考えです。当然それを他者に押し付ける気などさらさらありません。 これは、ガスの匂いがしますか? どうでしょう? by いとう 参照先不明 人間に下劣も高貴もないゆえ、142はスルーの方向で。 sage by 片野晃司 はじめました(w。 >>145 >>146 金持ちと貧乏人がいるように、下劣な人間と高貴な人間はいるでしょう。ようは定義の問題ではないでしょうか。同じ言葉を使うとどうしても、自分の固定観念でものを考えてしまうでしょうが、そこは一歩退いて冷静になられてはいかがでしょう。ときには、相手の言いたいことをしっかりと理解することも必要では無いでしょうか。たとえ時間がかかっても。この場が相手をやりこめる場であるならば、別でしょうが。 >>142 ひかる様は、たとえば、「麻原が罪も無い人を傷つけてよいことにはならない」という趣旨のことしかおっしゃっていません。 「下劣」とは、たとえば麻原の卑劣に対する怒りの表現であり、「高貴」とは、「多くの」からもうかがえるように、殆ど全ての人間をさすものだと解釈すべきでは無いでしょうか。 それらを、総合すれば、「傷つける」方式に対して、一定の配慮を欠いてはならぬという趣旨と私は考えましたが、皆さんはいかがでしょう? Thank you 追記:言葉を操る人間が、その武器にあまりに教条主義的になるのはいかがなものかと、思ったり。 by ポロリ >>148 管理者様が「スルー」といってるのに、まずい入り方だったなと反省(w。すいません。 >>116 から読み始め、非常に面白い議論だと思いました。 ただ、次の点が気になります。それは、「誰が裁定者であるのか」です。暴言・暴論は誰が決めるのか。その点が不明確この上ないように感じます。概念上は非常に明確ですが、実際にはどうでしょう?もちろんその点も内容とスタイルの話で出てきています。 具体的に論争や言い合いとなる場合、ある発言はどちらかに加担します。そして、その加担が増加すればするほど、対立者は不快になります。 私は真理など無いという立場です。であるので、ある議論に際してはどちらも真理で無いと予め決めています。しかし、私はどちらかの立場をとります。 ある議論はたいてい表現者の能力によって決しますが、問題は突き詰めて考えるとどちらにも容易に決しがたいことがわかります。 私は議論の争点を明らかにすることが、議論の本質と考えています。民主主義は、その決定に本質があるのではなく、議論が出来る場を作り出すことにその本質があり、よって世界的に評価された論理だと思います。 もっとも良いプロセスをたどる議論は、良い裁定者が場の均衡を保つことにあるでしょう。しかし、ネット上で常にそれは出来はしない(現実もそうですが)。そして、ネット状の議論は、垣根なく、個人が討議できることに本質があると思います。つまり、実空間に対するサイバー空間の優越点は、より広範な意見が集積されるということだと思います(正論から暴論まで)。しかし、116からの議論で明らかなように、個人への道徳観念は、その優越性を抑制することになります。 では、この優越を保持しつつ、場の均衡を図ることが出来ないか?その答えは、116でしょう。特定個人が公平な裁定者としての地位を保持して振舞うこと以外になしえはしないと私は思います。個人的規制でも、サイト管理者による規制でも、法律でもないのです。 でも、自己犠牲の精神が必要でしょうし、持続性が必要でしょうから、パワーのいることでしょうね。私には出来ないです。 Thank you by ポロリ と思ったのですが、まだ弁解が足りなかった。 父性的・母性的守護については、確かにまた別な問題です。「暴言」から自分を守ったり他人を守ったりするためには、母性的父性的守護の話が不可欠になると思うのですが、まあ、「暴論」とは別な話といえば別な話ではあります。 でも私、そろそろ別な話がしたかったのでした。そろそろ話を収束させてもいいんではありませんか。これ以上やっても、私がいとうさんをよりいっそう怒らせてしまうだけです。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 未来への参照
スレッドが重く(内容が、じゃないですよ、システム的に、という意味で)なってきたので、雑談スレッド3を立てますね。 日本語といえば、斎藤孝「声に出して読みたい日本語」が出た時、なんて怪しい本なんだ、と思ったものです。言葉にはその時代、思想が伴ってくるものだし、それを暗誦させるというのはある意味洗脳させようとするものかと思ったりもしたんですが、どうも、その後の斎藤孝の著作を見てみると、「声に〜」というのは、単に、著作権切れのテキストを中心においしく稼ぐという目的だけの本だったのかも、と気楽に思いなおしたりしています。 ほんと、ここ、開くのが遅くなってきましたね。などとおずおずと顔を出す私は佐々宝砂です。お騒がせしております。 「国」という話が出るときに思うのは、私にとって「国」とか「母国」というものは「日本語」そのもの……厳密に言うならば、私が使うのは少し崩れた東京弁に遠州弁が混ざったような言語ですが、ともあれ日本語……なのだろうということです。日本神話でもなく、もちろん日の丸でも君が代でもなく。日本という国家がどういうことになっても、「最後の授業」みたいなことになって日本語を禁じられても、私は日本語を使うでしょう。日本語を口にできなくても、たぶん日本語で考える。思考方法まで変えるのは困難です。「日本語を使う人間」というのが私の基本アイデンティティです。それを自覚しながら、過去の日本が他国にしでかしてきたことを思うとき、私は背中が寒くなるような気がします。 奥主さんがおっしゃるように「国=日本国」という意識自体、近代に生まれたものだと私も思いますが、「日本語」というものも、「日本国」と同様に、近代の産物かもしれません。井上ひさしの小説なんかを読むとそう思います。たとえば仲程さんが使う沖縄のことば。旅先の青森で耳にした老婆のことば。私にとっては英語以上にわかりにくいそうした言葉は、私が使う日本語とは全く異なる響きをもっている。少なくとも、「日本の歴史・伝統・文化の継承」として国が認めたがるような日本語ではない気がする。でも私はそうした主流でない日本語が好きです。私は静岡の生まれでほぼ標準語に近い言語を操りますが、できればもっと方言のきつい地区に生まれて標準語と○○語のバイリンガルになりたかった、せめて関西弁くらい操れるようになりたかった、とへんな夢をみたりします。 TAKEさん、ありがとうございます。 日本国憲法の改正について自民党案が出たりしてますけれども、その中で「日本の歴史・伝統・文化の継承」という項目があって、これは(条件付きで)結構な話とは思うんですが、たとえば、短歌・俳句については日本の伝統文化として奨励されて、でも自由詩については無視されたりするんだろうか、などと思ったりして。でも、国が認めるような詩なんか書いてたまるか、みたいなことも思ったりします。 だいぶページを開くのが遅くなってきましたね。発言番号200くらいで雑談スレッド3を作りましょう。 片野様ご自身がおっしゃられるように、あらかじめ定義していただけると、ありがたいです。広義・狭義とも。とても関心のあるところなので、よろしくお願いいたします。 詩とイデオロギーの距離をどのくらいおくのがいいのか悩みます。詩はイデオロギーから開放されるべきと考えるべきなのか、それとも、イデオロギーを忌避すべきでないのかどうか。勿論作者個々の自由ではありますけれども。 しかし、「イデオロギー」という言葉を、広く、人間や社会をどう見るか、どう考えるか、どんな世界観をイメージするか、というところへ広げると、詩とイデオロギーは切っても切れないのではないか、とも思えます。 1 2 3 4 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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