批評しましょ[301]
2004 09/20 06:36
一番絞り

このところ、『批評しましょ』で取り上げられた二作品を振り返ってみると、いわゆる戯曲の中からモノローグだけを取り出したようなものだったように感じられる。
べつに詩なんだからどのような形式だろうとかまわない。
ただ、テーマがあって、ストーリがあって、モチーフがあるようなものを詩として書き込むなら、最低限そのような書き方について
しかるべき敬意というものを払ってもいいのじゃないかと思う。
散文だって斬れば血が流れるのだ。
そういう詩の場合、テーマ、モチーフ、ストーリーが同じであるという単調なものは賞味するには退屈なのである。
しかもそのうえ、この二作品、発話者のキャラクター(性格)とシチュエーション(場面の特性)が、作者を越え、勝手に動き出す気配さえないというていたらくだった。
何度もいうが散文だからってバカにしてはいけない。
標識やスローガンじゃあるまいし、
ことばを使って書かれたものは斬れば血が流れるべきだ。そういう詩を書いて欲しいものだ。
と、北村想『高校生のための実践劇作入門』を読みながら考えたのだけど、じゃあおまえはどうなんだ、とおのれを振り返れば情けない限りだ。
批評するひとをさして実作者のほうから「ひょーろん家」という揶揄の仕方がある。しかし、そうだろうか?
ちょっと早急に結論だけをいうけれど、
批評というのも作品=詩ではなかろうか。わたしの場合はまだまだ「もどき」だが、斬られれば血の流れ出るような詩や批評を書きたいものだと神様にお祈りする日々であります。
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