批評しましょ[117]
2004 08/14 18:14
一番絞り

佐々宝砂さん、吉増はわたしも嫌いです。
てか、既成の詩人はすべて全否定してます。(笑)

ぼくは大阪の某、詩の学校に三年ほど通ったんですけど、
一年目は若手哲学者で詩人の細見和之が講師でした。
で、この学校は、もともと合評主体の授業なんです。毎回、生徒が
書いた詩を持ち寄って、批評して欲しい人が提出し、全員に配る。
それを批評したいものが批評する。そういうシステムでした。
ところがこの人は、他の講師と違ってその前に三十分ほど、
有名詩人の詩を読んで、それを解説するんです。
これがわたしには苦痛で苦痛で仕方がなかった。いらいらした。
どれほど凄い詩だ、凄い詩人だといわれても全然面白くない。
全然ピンとこない。
べつに反発しているのでもなければ、ひがんでいるのでもない。
ほんとうに面白くないのです、既成の有名詩人の詩が。
これは何故だろうと思いました。
ひとつには既成の詩人の詩は「もうすでに書かれそこにある」ということ、
それがなぜか「死体」のように思われたんです。
ぜんぜん新鮮じゃないんです。
そういう意味では、同じ教室の数十人の素人玄人入り混じった「目の前の」
人たちの、「今書かれた」詩がとても新鮮で、
それがいくら稚拙でも巧妙でも、上手さに関係なく、すべてに、
ドキドキするほどの興奮を感じました。
その興奮に比べれば既成の詩人たちの詩のなんと色褪せたことか、とぼくには映ったのです。
それはポエトリーリーディングというやつの否定にもつながってます。
すでにして書かれたものを舞台に持ち寄って朗読したって、それは演劇行為以外のなにものでも
ないよ、という考えです。
ポエトリーリーディングというのなら、ぼくが「マンドリンのスネカジリ」を書いた
ように、
その場で、即興で書かなきゃ。即興で頭に描いたものを舞台上で朗読しなきゃと思います。
だからそういう演劇行為をポエトリーなにがしといって「闘わせて」いる
谷川らの姿勢が気に入らないことも「エセ詩人」発言のなかにあったのです。
(*そういえば数年前、谷川がアメリカの詩人たちを前に演台上から「ポエトリーリーディング」した映像を見ましたが
これはまさに強烈に印象に残っているほんものの「ポエトリーリーディング」でした。
谷川は突然、演台上で即興詩の朗読を求められ、即興で詩を作りつつ謳いあげたんですが、
まるでそれは知能障害者のように
「かー。か・か・か・かっか、かー、かー」というひどくテンションの高い吃音の繰り返しでした。
ひとまとまりの詩句になってないのです。
ぼくは、「やった!」と思いました。初めて谷川が詩人をあらわにした瞬間でした。
満座は谷川が緊張のあまり気が狂ったのかと、シーンと静まりかえりました。
でも、これが谷川のほんとうの姿なんです。
書斎で気の利いた台詞ばかり書いていたひとが、即興で詩をその場で謳えと要請されて出てくるのは
ほんとうに押し迫ったぎりぎりの「圧力」だけなんです)
ともかくも、
あいや、おまえのような素人には詩がわからんのだよ、と言われれば
それまでですが、ぼくには、ぼくの詩に対する姿勢があってしかるべきだと
いまでも思っているのです。

そうですね、近々、吉増のパロディでも上梓しましょうか。
批評詩ってことで。
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