批評しましょ[104]
2004 08/12 09:45
一番絞り

>この人の発言は
>「みんな」読んでないと思うよ。反応してる人たちって優しいな。見習わなきゃ。
>いつまでもお利口なお子ちゃまですみません。
[99]クリ

ひまだから、このコメントに含まれている「いやったらしさ」の本質を分析してみよう。
結論から先に言うと、
「みんな」が読んでいるか、いないかが重要だと思う感性には、かなり危ないものがあると
わたしは「思う」(笑)
もちろん、できれば自分の主張は「みんな」が読んでくれるほうがいいだろう。ぜんぜんだれも読まないよりは
できるだけ多くのひとに読んでもらったほうがいい。
しかし、たとえ一人でも読んでくれる人がいてくれるなら、そのために書くということも大事だ。
「みんな」に同化させようという空気は、それに同化できないものを排除するという点において
異者・異形排除の論理につながる。
しかし、いまの世の中では同化しない者の排除は表立ってやりにくい。
そこで「みんな」が読んではいけない奴のレスを、読んでいる人に向かってこう恫喝するのだ。
>反応してる人たちって優しいな。見習わなきゃ。いつまでもお利口なお子ちゃまですみません。
「いつまでもお利口なお子ちゃまですみません」←これは、言い換えると、
「読んでいる奴はお利口でない」=「バカだ」と言っているのだ。
暗に「読むな」といっている。
つまり最初の「〈みんな〉読んでないと思うよ」につながることばだ。
この、いやったらしい「村八分の論理」はどこかで見聞きしたことがあるだろう。
わたしは幸いガキ大将だったからイジメに会ったことはないが、いま学校で行われているイジメの
異者排除の幼稚なテクニックのひとつと相似形である。
もっといえばここで使われた「みんな」は、まさに、(偶然としても異様なのだが)
「世間」のことなのだ。

最近の自称「詩人」の方々は「世間」なしでは生きられないのかね〜?
金鐘時ともこないだ会って話をしてきたが、つくづく嘆いていたよ、最近の自称詩人には。
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