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(まだ、私も含めて作品の構想がないと思いますので、いろいろ投げておく方がよいでしょう。何となくざっくりしたものを最初は出しておきますね。思いついたらまたレスします。) (本日夜、これしか出てないときは、これだけが確定します。ご注意) ★本日中は、この【舞台/人間関係】設定は、どんどん投げ込んで構いません。 ★★【創作ルール確認】 一、確定した語群32個のうち30個をすべて作品中に盛り込むこと。 一、確定した【舞台】の中から最低1個を作品中に盛り込むこと。 一、【舞台】は、【人間関係】でもよい。 一、必ず一本目は、幻想詩とする。二本目からジャンルフリー(複数投稿可) 一、本日(4月5日)夜12時に語群と設定は確定する。翌日より創作スタート。(13日締切) * by ハァモニィベル 参照先不明 >読解パーティー って何? >べるたん、感想と批評について >君の違いはどこにある? 簡単だよ。ごんぎつねを撃つのが感想で、ごんぎつねだと洞察するのが批評だよ。 この自分の洞察に自信がない輩が、批評という銃器を弄る真似事をすると、暴発まがいの暴言を吐くんだろーな。 どこかの「読解パーティー」なんて聞くと、 きっと、むかしの子どもが正月にやった、《福笑い》のようなものだろうと、 俺が予測批評したりするのはマズイかな? それにしても、 変だな メビのときより、俺はカイトの姿を見ないぞ。 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ● ベルさんへ 深層的人間ってなんでしょう? ベルさんの企画でテーマがエトワールで、題を掲示してから詩を書くというのがありましたが、 そのうちのひとつに、ハァモニィベルさんの『深層放射路』というのが有りました。 「深層」って言葉がお好きなのかなあ。情報には二通りあって デジタルと アナログが有ると思うんです。 ウィキでパソパソとパソコンでデジタルな情報を集めるのは簡単なことで 「1960年」「深層的人間」で下記のようなことがあがってきました。これらをアナログになおさないと知識には ならないので、深層的人間ってなんなのか 教えてほしいです。 フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』(1960年)、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』(1961年)、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%82%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 by るるりら 参照先不明 「星とたんぽぽ」 ねぇエトワール 見て御覧 中芯は 中空に在るよ 精一杯 背伸びする風の最果て つかめぬものを つかもうする指先 いちめんに咲く たんぽほのロゼットが地面をつかむ すべてのこどもだちが 飛べる空は まっすぐだ 天空だよ 嗚呼エトワール いつだって見ているよ 君が示しているのは あの空だね 雨の日も 心の中で見ていたよ 放射状にまとわりついている こどもたちの行く末を どの子もいとし子だ どの子も 中空に居てくれた 背筋を伸ばして まっすぐに立つよ 空が晴れたら きっと 子らは 旅立つ 子どもたちよ どうぞ思い出しておくれ きみらはみんな 中空に居た 光の一切さしこまぬ場所に行こうとも 思い出すことが辛くとも 思い出しておくれ 選ばれた晴れの日の今、君は 空に舞い上がる psハァモニィベルさんへ お誕生日おめでとうございます。 ハァモニィベルさんの一年が幸と稔の多い一年でありますように祈ります。 尚、 書きこみ量制限オーバーのため 過去の書き込み欄を訂正した形で、こちらに詩を置きました by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 渚さん さっそくプチ企画ありがとう。 >これらからイメージするもの だから、むしろそれらの語を繰り込まない方がオシャレでしょうね。 いま、冷蔵庫が空なので餓死しない内に食料をGETしに行ってきます。 食事と買い物をしながらあれやこれやイメージしてみます。ではまた。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 # 蛾兆さんの『1時間目、理科』について 読んだ感じでは、1時間目というより「五時間目」という感じなのは、 次の点が、構成上疑問だからです。 >説明する、とは何ですか とあり、結局 >では説明とは何か、宿題にします とあり、そして、 提出されたレポートが >〔○○」の説明 となっているのは、何なのだろう。という疑問です。 説明とは何か(という質問に)―→○○についての説明(で答える) という作りでしたが、 ここには、 私としては、(説明についての説明)と来るか、 あるいは、(ベンチの説明=ベンチが語る説明についての説明) というようになってないと、しっくりこないわけでした。 この点は、明らかに、ベンチ以下項目についての説明になっています。 この構成上の捩れを、説明する必要のある作品かも知れません。 * # 作中の趣向については、マグネシウムについて述べたように好印象なのはいうまでもありません。 by ハァモニィベル >>535 渚さん 私のコメントは私の考えや印象を表明してるだけのことに過ぎないから 気にしないでね。ピンと来なければ、無視してください。 例えば下のようなコメントね まあ、おっしゃるように 単純な羅列ではなく、思いや意味があるんだろーなと感じたので そこは詩があるわけだから、むしろ、そこを丁寧に詩にするか、 まったく隠した表現にするほうが、作品を壊さないかな、と私的には感じた。 といったことなど、コメントに凹むことはないし、凹む人は面倒だよね。 渚さんの「詩歴が浅」いって言葉に傷つく、詩歴が長いヘタな人もいるんじゃないかな。だから、そこまで気にしてたら、こっちがヘタになっちゃう気がするな、(私はね)。 こう言うのは、私が自分をウマイと自惚れてるわけじゃないよ。 凹んだり自惚れたりする人ってのは、 他者の言葉を、他者の意味で理解できない人だから。 ま、これも、私の言葉を私の意味で理解して欲しいけどね。 私の勝手な意見に 傷つく場合は、るるりらさんみたいに、コメントを拒絶してくれれば 問題起こらないよ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>540 蛾兆さんへ(追記です) 「より」で、レポートの一部から抜粋 というニュアンスを読み取ることができましたが、 散文詩であって、なおかつ、「説明とは」という主題を 作品の中で含んでしまったので、 その(一部より)だけだと、(曖昧な詩の場合と違って) 捻れ感を払拭するには弱い、というのが私の読んだ感触でした。 先生の設定如何で、スムーズな流れの作品になるかもしれません(賢治にするとか) 蛾兆さんのニュアンスを活かすなら、タイトルは、「一時間目、理科」 より、「理科、一時間目」のが雰囲気が増すように思いました。 * by ハァモニィベル # 黒髪さん、渚鳥さん 参加ありがとうございます。 黒髪さんの四行の印象: 一行目は、対象感覚が率直なときの表現で疑問もあるが良い 二行目は、そのまま分析的な表現のみなので紋切りな感じ 三行目が、黒髪節という感じの表現。もう少し詩にしたい所。 四行目。「不安」という言葉が安易に使われているのが残念。 *「不安」は黒髪さんのキーワードというべき詩情だが、いつも、 単にこの語で処理してしまっている印象があります。 渚鳥さんの四行: 「みんな」という語から、例示される「ひと」たちが 明るい人がいないので、嫌味と取られてしまうかもよ。(取り込もうとして疎外される) 《みんな》という語でくくられた世界観の中でどういうマッピングなのか この作品だと疑問を感じてしまうわけ。 ―→笑ってない皆んな、さあ笑おうよ (なら解るけどね)*ツマンナイけど。 むしろ、渚さんが書いた四行をコンセプトに、読者が自然とそうなるような 作品を書いてこそ詩人だと思うな(僕はね)。 ああ、二人に毒があるから、つられて僕までこんなの書いちゃうよ。 ダメだよ。もっと心のこもった作品を書かなきゃ。 * :べるの四行詩(2): 「迷宮入事件」 詩の、死亡推定時刻に、 あなたは、いったい何をしていましたか? 偶像崇拝?異端審問? えっ、罪の無い作文を書いてた? みんなやってるだって?笑わせちゃ困るよ。 * by ハァモニィベル # 黒髪さんへ >指定する必要 それは、ミステリの謎のようなもので、探偵だけに解るもの ということでも別にいいのです。ここで言っている死んだ詩に該当する ものを全人類が書いちゃいけないと言ってるわけでもないですしね。 どうやら改題というのを言い訳だと誤解する阿呆もいるようなんで ここでは、二重の含意ということには触れずに、 私の四行詩(2)では、黒髪さんが仰言るような「指定」は不要だと私の感覚では 思っている、とだけ伝えておきます。《死んだ詩》、《詩を殺すもの》というのは、文脈から推定可能だから、です。 偶像崇拝者が書くようなもの、異端審問する側が書くようなもの、ただの作文、といった文脈の限定の中で。 少なくとも、中島らもの作品は、生きてる詩、つまり詩でしょうね。 詩がいきるかしぬかは、個人のレベルでもあるし、 「文学の終焉」というのと同じ次元で国や時代レベルでの「詩の死」というものが あるのではありませんか。そこは読者の語感や認識にお任せします。 * by ハァモニィベル >>563ハァモニィベルさんへ そうか、生きている詩と死んでいる詩という批判精神をユーモラスに語った作品なんで しょうね。面白いなあと、思いました。初読で僕は、詩全体が死んでしまったよと書いて あるのかなあと思ったので、範囲を限定、規定して ほしいという気持ちになったので、「指定」をしてほしいと言いました。 でも、死んだ詩にならないように、不断の前進と、批判から学ぶことなくしては、おまぬけさんになって しまうということを、わかったような気がします。面白い詩だと思いました。 詩を殺すことは、自分を殺すことなんでしょうか。そうすると、自分を 殺そうとする者は、必然的に詩も殺しますから、精神の死の緩慢な 停止において、死と詩が相即であることになった場合には、そのentanglement を解きほぐすなら、最強の力を手に入れられます。そのようにして、詩人は 自らに課せられた重荷を、おろしてほっとできる。 もちろんそのようなことが、あらゆるレベルにおいて成立しているのだ という分別はしなくてはなりませんが、本当に死に近い人を、 救いたいと思うならば、自らが生きていないと、そういう行動をとったり、 発言したりすることが、不可能です。そのことが、ますます 我々に必要だということが、近年、明らかになってきています。 なぜある詩は死んだようなのか、書いた人はなぜ死を作り続けるのか、 と言った視点は、広く当てはまる見方でしょうし、詩の中で生き生きと した生命を、与え続けるということは、すなわちそれで良い詩、意味ある 詩です。そしてそれこそは心の問題です。探偵のように、心と詩を解読 するとしたら、それは一人の生きている人間として、人が人らしく あるための、願い続けてきた祈りの果てにある、現在と言うものが 心なぶること、生命の慰撫であると思います。 へたりこんでいないで、自分で立ち上がらなければならないとは、僕自身 にとっての、鼓舞です。死んでいてはだめだ、感覚器の助けもある、 そうした決意がもたらされた、ということこそ、この詩から僕なりに 導き出した、人から人への美しさです。 by 黒髪 渚さん 最近楽しかったことは何ですか? by ハァモニィベル 537のリンクがあり、そこには 私の名前もあるので、ひとことだけ。 わたしには、ベルさんを 拒絶する気持ちは、ありません。あのときのゲームルールの改定をお願いしただけです。一文ごとに点数の査定するゲームルールを 改定していただきたかっただけです。 by るるりら 参照先不明 # @プチ企画@【自動筆記】 :条件: (以下の語句群から、スタートに使用する語句を選んで書き出して下さい。(変更可) そのあとの展開は自動筆記で勢いにまかせて自由連想で書きます。 本スレの扉が430文字なので、だいたいそのくらいの字数の目安で。 尚、 推敲はとくに禁止しません。誤字を修正するしないも任意です。) <語群> 川が流れている / 半魚人の鱗だった / 車窓から見えたのは 瞳に爪が突き刺さったまま目が覚めた / 傘がどうしても開かない /「パンorライス?」 / 扇風機が探してるのは ※以上は変型しても構いませんし、 ご自身作成の語句をここに追加していただいてもOKです。 ~自由参加です~ * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * カイトは、寺山修司のことばから、このスレの題を引いた とかつて言っていたようにおもいますが、 寺山に『さらばハイセイコー』という詩がありますね。 わたしは、キャッチボールを例に苦言を呈しましたが、 想像力の届く距離が短すぎるひとにはいまも唖然とするばかりです。 また、 スローボールのやりとりばかり見せられるのも、 飽き飽きするだろうな、と観衆の気持ちもつい「想像」してしまう。 ボードレールの言った「詩人の特権」ということを 考えたほうがいいでしょう。 >詩人は、思いのままに自分自身でもあり他者であることができるという、この比類なき特権を享受している・・・ わたしが出したキャッチボールが出来るできないという比喩は、そんなに軽いものではありませんよ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 沈黙する詩行参加 「沈黙の判断」 沈黙には嘘なものとそうでないものがある。沈黙の中では、人は自らのみの思考をするのであり、意見表明のためにと 一生懸命に、励む。分かるか、虎よ。人の畏れは、力強いものなのだぞ。 心の中の言葉を隠し通す沈黙は嘘の沈黙であり、心の中に言うべき言葉が見つからない場合のことを嘘でない沈黙と言うだろう。 いつだってなんにだって、嘘つきは力があり、正直者は騙される。 そしてその区別が大事であるのは、嘘と正直が、混乱しているからなのだ。ある場合は嘘は効力があり、正直は力がない。 襲い襲われる時、沈黙が大きくかかわる。行動に移すことは、電光石火であったりもする。居合いだ。 意味のある沈黙は全て嘘である。沈黙するときにだけ嘘つきは輝き出し、沈黙するときにだけ正直者は失敗する。 つまり沈黙とは世界の転換である。沈黙を尊び、他人に話さない。なぜ話さないのか?それは、嘘つきが内省の中で自己を改め、 正直者が自らの限界を知り越えようとするということなのだからだ。お互いを受け入れないときにそうなる。嘘つきと正直者が、 一つの物事に一緒に取り組もうとしたとき、嘘つきは全くきれいな正直者を見て、正直者は羽目を外すことが嘘のないことを知る。 つまり嘘つきにとっては沈黙ほど大きな修業はなく、正直者には、沈黙はただの当り前なことだ。 正直者にとっては、新しい世界を夢見て、それを知っている嘘つきに習うことが出来て、嘘つきはやすやすとつける嘘のことを知る。 ここで言う嘘つきの嘘は、人をだますための嘘ではない。むしろ自分を──。 沈黙は全ての人に問うている。嘘を話さず、正直な言葉を探ることを。 嘘や正直と言った心のあり方に、それら二つの心の働きに、敏感であることだ。贖罪も懺悔も、沈黙の中心部から、 周りを温めるようにして、穏やかさを泣かせていくだろう。 心と現象は、お互いを必要としている。嘘と正直はちょっとしたいきさつの故のものである。 代理人の責は重く、皆で分担せねばならない。そして、僕は僕の中の嘘を、どこかへ向けて、寧ろ自分に向けて、 輝きの中に放り込みたい。すると誰かを喜ばせられるだろうか。僕は偽善者として嘘ばかり抱えてきた。 嘘を言わざるを得ないことが、僕の正直であり、他人の癇に障る憎しみの否定が、知り合った多くの人が指摘したところから、 許されざる行動への誘惑を断ち切らねばならない、僕の懺悔である。 悲しいということは、嬉しいということが乗り越えなければならないことだ。 怒りということは、現実と心情の両方に関わり、多くの怒りは自分だけの気持ちでなく、希望への祈りを含んでいる。許せないとして。 許すと許せないがお互いに顔を合わせたとき、きっと沈黙の後に何かが輝き出して、本当の気持ちがわかるだろう。 ねえ、聞いていてよ、沈黙した正直者のあなた。僕はあなたの徳をうらやましく思うけど、あなたの心が広いから──とてつもなく ──荷物を背負ってみるよ。少しでも力がついたから、少しでも知ったから。批判は当たっているようだったんだ。 そう、せめて、あなたのことを忘れない。 僕の身体の細胞も、頭の働きも、みんなあつかましいものかもしれない。 詩が正直者のためにあり、しかもその詩が嘘でできているなら、僕は詩と相性がいい。 詩が嘘つきのためにあり、しかもその詩が正直でできているなら、あらゆる子供が詩の天才であるだろう。詩は僕と子供のためにある。 この通りに全ての詩が見つめている目は悲しそうだったり嬉しそうだったりする。透明な瞳。 あつかましさを持ってもう三十数年が過ぎた。 ふてぶてしく生きていくのだと思った子供のころのことを、今なぜか思い出す。一粒の米くらいの希望を、心の中に持っている。 きっといつか、きっと誰かが、この短い生の中で、否定ばかりしないだろう。僕にとっての全ての幻を、 完全な形で僕自身が理解できるだろう。 夕方、影が差している。僕はそれを見る。それは僕の一部だ、決してまやかしなどではない。結局のところ、倫理的であるという ことは、個人によって違う意味のものなのである。倒れて砂を噛んだら、また自分の沈黙の中で、耳鳴りの中で思考するのだ。 立ち上がれ汝、虎である汝。 by 黒髪 参照先不明 参照先不明 沈黙する詩行をどう書こうかなあと いろいろ考えて食べるときの沈黙という発想を 思いつきました。 «姫たちのお茶会»嚥下の巻 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=318979&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0 by るるりら 参照先不明 >>700石村 利勝さんの「かへる」 つい草野心平を想いましたが、我が家のまわりの田んぼは 水を張ったばかりです。 もうすこしすると うるさいほどなくのですが、 耳をそばだてる 静かな やさしみのような心を頂きました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 【蛾兆ボルカさんへ】 プチ企画 わたしにとって とても実りあるものでした。雷鳥みたいな鳥が 五芒星を描いて 人間を威嚇してくるだなんて 凄いですね。わたしは、自宅の玄関先で なにか猛禽類が鳩を捕獲するのをみて以来、鳥に心を奪われています。鳥瞰されているという実感って、モノの見方のひとつとして 人が持っていると良い物の見方ですよね。それで さまざまな詩に触れたいという原動力に私の場合は なっているのかも。 あと、私の質問のコメントに誤変換がありました。「立山」の詩は「立山」という場所の詩ですか?なのに「館山」にしてしまってました。ごめんなさい。 それはそうと、五月はプチ企画、私にとって実になりました。一日は すぎたけど、私の詩に いただいたコメントに対するお礼を ちゃんとは 言ってないので書かせてくださいね。 「姫たちのお茶会 下」についてなのですが。 石村さんが気にいってくださった。下記の箇所は、蛾兆さんの詩文の影響があります。 「影の縁には複数の色が滲んでいて」蛾兆さんの詩作品「五月下旬の葉色について」に書かれていることは ほんとそうだと思います。ついでにいうと この時期、森の中で咲く花は、白い花がおおいです。それにしても「緑」って みどりって読みますけど、「えん」とも読みますよね。 人間の関係をしめす語を 新緑の気持ち良い時期に 共有させていただきたかった、そんな気持ちで書きました。 蛾兆ボルカさんが、>>709で 「沈黙を纏うと、それらの意味が変わることが意識されてるのかもなあ、と、僕は思いました。 あるいは、意味の洋服を脱がされて、存在や行為そのものが裸で現れる、みたいな」 と 言ってくださってくるのですが、まさしく そんなことが書きたかったのです。だから、レスが零だと もう ほんと 恥ずかしかった。やらかした。と思って ちょっとだけ へこんでました。 ろうあ者の方が登場する映画のお話、興味深かったです。字幕も音楽もないだなんて、どういうことでしよう。なんという沈黙映画でしょうか?すごすぎます。 「シェークスピアの『ロミオとジュリエット』でも、相手が死んでると思うからこそ、あるいは不在だと思うからこそ、沈黙する恋人と語らう名台詞が飛び出します。 青春ってのは、いくぶんかは沈黙でできてるのかもね。」by蛾兆さん。 をお 金の言葉いただきました。【 青春ってのは、いくぶんかは沈黙でできてるのかもね。】 薔薇の瓶詰に入れて 持ち運ぼうと思います。宝にします。 今日から、私が沈黙するとき、私は 青春なんです。そういうことで、よろしく おねがいします。 【石村 利勝さんへ】 最後の連に対して 「すごいなあ、こりゃ。」と思ってくださって、嬉しいです。 自分でジャッジなんてできないので、詩人の勝ちだと言っていただいて、安心しました。 表の掲示板では どなたもなにもおっしゃらないものですから 読み手を 屈従の沈黙にしてしまったなー。と、思ってました。 アメリカからのご参加とても嬉しいです。どこかで方言を書いておられましたが、ご出身は西日本の方のような気がしています。わたしは 広島です。あらためまして こらからも よろしくお願いします。このたびは おかげでとても楽しい時間になりました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 石村 利勝さんへ 立原道造のパスティーシュ作品を 拝読いたしました。 わたしの場合は、立原道造の良き読者といえるほどには 彼の作品群を 読み込んではいないので、投稿させた作品が もと立原道造の詩集の中に あの作品があったら どのように感じるかについては、わたしには判断のしようがありません。 ただ、実は わたしも 立原道造の影響を受けて書いた作品があります。わたしのは、 パスティーシュとは言えない 立原道造オリジナルにあるような喪失の陰影をひっそりと感じさせるような詩とは 全くの別物となっております。 類似させている点は、ソネット形式であることくらいですが、照会させていただきます。 *********** 【飛行模型】 露草の花は ひかりをうけて翼のようだから おだやかな 面もちで 飛び石を踏み外さないように歩く 縁側で 竹ひごが 飛行機雲のように しなやかにのびている そのなかでも 軽量に飛行荷重に耐えられる強度の竹ひごを 選ぶ 細い腕からは もっとも うつくしい雫のような円が現われ もっとも うつくしい直角から、シンメトリーの翼が生まれる 暗い雲をも押し広げるにはプロペラより むしろスクリューと呼ぶのが相応しい 死の島の上を 渾身のゴム動力の一機 白い模型飛行機が 旋回するのだ 漏斗状にへこんだ 彼の胸は 高鳴る 島には 廃墟となった建物が 屋根を失い 雨風を受け入れ 死者も そこにいる さびしい魂のその島へ 彼は、飛行機を飛ばす by るるりら 参照先不明 * パスティーシュに関して一言だけ。 石村さんの言う「パスティーシュ」は、 >私自身が「パスティーシュをかく」と言った時 >念頭に置いていたのは、水村美苗氏の『續明暗』や >シャーロック・ホームズ物のパスティーシュ作品でした。 とあり、 それはそれで(高度な試みとして)いいと思いますが、 (わたしが)念頭に置くパスティーシュは、 最近、創作入門で奥義公開されているような創作技法のことです。 一例を上げれば、 辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』で、 その、「第十講義」=「ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を どう読み、どうパスティーシュするか」 に見えるような、手法です。 以上は、パスティーシュに関して参考までに注記しました。 突然失礼しました。でわ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 蛾兆ボルカさん パスティーシュを、ジャンルとして分類してしまうと、二次創作的なものに なってしまい、書かれたものはどうしても、オリジナルの魅力に劣ることが多い(そこに 挑戦するのでしょうが)ような気がします。性質上、オリジナルの魅力を超えててもマズイわけですから。 私のように、パスティーシュを、作品ジャンルとしてではなく、 創作上の実践技法として実用的な立場で捉えた場合、 オリジナルはただのキッカケであるにすぎず、元の作品から飛躍したものが いかに書けるか、むしろ、独創性と発想力が問われることになります。 原型を全く感知させないほどならば、もうそれは純創作と言ってよいでしょうが、 敢えてオリジナルの手がかりを(わざと)残すとすれば、その場合は、 多少オマージュの気持ちが込められているか、あるいは、間テクスト性で原典の意味を含 ませたいが為の、教養ある読者へのヒントのつもり、といったことがあるかな、と思いま す。 また、別の意図として、 私がメビウスリングでスレ建てしている 「前の人の作品を、『自分の詩』に翻訳する」スレッド における私が書いた実践例はみな、創作技法としてのパスティーシュという立場で書か れていますが、 其処では、前の作品と後の作品を対照することで、後作品を書いた人の発想力や独創性 が明らかに示されるという狙いがあります。 * 私の立場(発想力と独創性を重視する)だと、 たとえば、 デュシャンの『泉』―→ これは泉である に対して、 マグリットの『これはパイプではない』 に至るほど捻ってこそパスティーシュと言えるわけです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 文学極道に限らず、すべてのネットサイトは、使用上の注意をよくお読みになってご利用くださいませ♪ 蛾兆さんへの酷評コメントを小学生に見せたいと思っておられる レスの書き手はいないと 思います。 それより、漢字ドリルが作品になるなら、ほかの活字媒体のなにかが 新聞記事も 作品に成りえると、私は おもったのでした。それで、おもいついたのはバーチャル達川君。https://tats.jp/vtatsu.html バーチャル達川君というのは、様々な文章を 広島弁に翻訳するという翻訳ソフト搭載サイトです。 そして、それを利用して書いたのが下記のものです。 ******* 尻を振って 腰をくねらせる。 中米ジャマイカじゃぁ レゲェに合わせて、踊るんが習わしらしぃんじゃ。 先ごろ訪れた安部信三首相も、誘いに乗ってダンスしたんじゃ。 ぎこちのぉても 笑顔を忘れず、波長を合わせる腰つきゃぁ「努力賞」もんじゃったんじゃ。 ******** 元ネタは、中国新聞2015.10.5の天風禄の記事を、バーチャル達川君という広島弁翻訳ソフトにかけました。この記事をセレクトしたのは、ジャマイカという国名が良いと 思っただけです。このスレッドで子供の話がでたので、よほど 児童憲章とかを翻訳させようかしらと おもったけど、 どうにも躍動感が なくて残念なので、こちらにしてみました。 by るるりら 渚鳥さん え?渚鳥さんの意見は、 一、「 小学生が見ていると思うと なぜだか罪悪感にかれらるけど、 その反面、小学生の意見を ちゃんと聞いてみたい気がする。」 何を、渚鳥さんが 小学生に 見せたいたいような 見せたくないような気持ちかは、ソレは 蛾兆さんの作品かもしれないし 文学極道かもしれない。 わたしの意見は、 「すべてのネットサイトは、使用上の注意をよくお読みになってご利用くださいませ♪」って いいました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 »766石村 利勝さんへ 贋作文太兄ぃの場合が最高です。文章を読んだあと声を出して笑ったのは、ひさしぶりです。 何年か前に 日本では「カバチタレ」というドラマが放映されたのですが、 個人的には、(カバチタレいうても意味は わかるんかいの)と、思っていたのですが だからといって 翻訳できずにいたのですが、そーそーそういうニュアンスだなあ。 と、おもいあたり なんだか 心が 軽くなりましした。 バーチャル達川君は、ずいぶん昔からあるようです。ですが、達川さんは どうしておられるんでしようね。最近は、テレビでは おみかけしませんよ。でも、カープは 大昔のカープ全盛期を上回る人気ですよ。試合がある日の広島駅には 他県から カープの赤い服をきた大群が降りてこられます。なぜだか 全国的にカープファンが増えているようです。その調子だと広島弁がこの国の公用語になると思いますので、達川君は 伝説のサイトになると思います。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 ●石村 利勝さま そうでした。詩の研鑚のために集っているのでございました。 作品を投稿させていただきます。 初夏の刹那 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=319554&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ●>>786石村 利勝さんへ おはようございます。返信が遅れて 申し訳ありません。 「春と修羅」っていう龍みたいな詩魂に飛び乗って縦横無尽に飛び回っているさまだなんて、 それこそ 踊るくらいに嬉しい言葉をいただきました。関係あるかないか解りませんが、わたしは辰年うまれなのです。思い込みからか 蛇だの竜だのといった生き物は こどものころにずいぶん夢にでてきました。 この詩をアップしようとしていた頃に、渚鳥さんが 突然、 渚鳥さんも竜のようなものを感じておられる気がしないでもないのです。>>771 渚鳥さんは まだわたしの詩を御覧になってないのに わたしの詩が読めたのかと思いました。ケーリュケイオンの杖のデザインって、蛇のような竜のような生き物が くんずほぐれつ登っている図なのですが、わたしは 竜みたいなのに つきうごかされて書いただけだったのかもしれないです。 ああ びっくりしあぁ! どういったらよいかわかりませんが、なんだか すごいです。←わたしがというより、なにかが来てる気がします。 もっと書かねば! ●>>745 渚鳥さんへ 今は朝なんだけど こんばんわ(←作品に あわせたよ) 「夢一夜~第三夜」拝読しました。 以前拝見したパーションのもののは、たしか 一夜が三つではなく一夜、二夜、三夜という表記だったように記憶しています。 夏目漱石の『夢十夜』は この機会に再読してみました。 夏目漱石の『夢十夜』の場合は、全然違うお話の十個で作られていたと思うのですが、 渚鳥さんのこの作品は、別々のお話ではないような気がしました。同じ日におきたことが別の角度で描かれているととってもおかしくはないつくりになっていると 感じました。 たとえるなら以前お話しの出たケーリュケイオンの杖は 二匹の生き物がからまっているのですが、この三つの作品は 三つ編みのように 三様の詩魂(石村さんの言い方の真似ですぅ)が からまっていると読んでもおかしくないように おもいました。 へんな発言になるかもしれないのですが、物事を把握するのには三つの目が必要だと聴いたことがあるのを思い出しました。 それは、【鳥の目】【虫の目】【魚の目】の三つで、鳥というのは鳥のように広く全体を眺める。虫というのは足元の細部を見る。魚の目は、微妙な変化の流れを見るというものなのですが、渚鳥さんの本作品の構造と符合すると、個人的には思いました。 ●蛾兆ボルカさんへ 「作品『漢字の練習』」、について(贋作)」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=319538&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D150 に、ついて。 わたしは、この作品について「おもしろいです」とだけ書いてます。あとで、ちゃんと書きたいとおもっていたので、超短文感想としました。 まず、自分の作品をパスティーシュする。もうこの時点を おもしろいです。 蛾兆さんが蛾兆さんという未知の詩人の作品をパスティーシュし、 未知の詩人蛾兆とかいう詩人の息子さんの漢字練習帳をパスティーシュ(とも言えると思います) している。 鶏が先か卵が先かじゃないですけど、 卵が詩を書いたのか! 卵の親が詩が書いたのか。卵の教師が詩を書いたのかもしれない。 卵が詩を書いた!のか 卵の親が詩が書いた!のか。 はたまた教師的ななにものかが詩を書いたのか! むむむ むむむ!これって 「啐啄同時」なのじゃあないかしらん。卵の中のヒナドリが内側から殻を破ろうとしていて、それを保護する親鳥も外側からつついている。 この詩には複数の愛が からみあっていて、ああ 人が成長するのは、ひとりじゃあないんだなあ。と思いました。 正直もうしまして 作品そのものより 自作の作品をパスティーシュする おわりなき詩作への情熱こそが、私としては とても勉強になりました。ありがとうございます。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 みなさん おはようございます。 夏目漱石の草枕で思い出したのですが、そういえば 私も 草枕を真似したことがあります。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=283203&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25E7%2582%25B9%25E5%25AD%2590 「点子が、行く。」という作品です。読んでいただくと どなたでも 「吾輩ハ猫デアル」だと お考えだとは思うのですが、詩の中にある明治男のセリフが 草枕の模倣です。わたしが真似させていただいたときに 草枕って、随所に読者の 目を開かせる箇所があるのだなあと ちらと感じたのですが、まさか まるでそのまま作品としておられる方がいたとは!おどろきです。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 遊びにきましたよ~ 「商店街にて」 http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=11348&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D1 室生犀星さん。 なにかで魚を赤と青と言っているのが印象的で 色彩はここから来た気がします。 楽しいねーっ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 はっ。先生はどこー!! 先生ー!!(よく迷子になる) >>818蛾兆ボルカ さま 中島みゆき懐かしいー!! 愉快な方でしたね。テープにとっておけばよかった。 チョコ夫人と中島みゆきさんとマザーグースがかぶるとは~。 すごい発想だ!! >>823石村さん 詩は、犀星のから入りました!! 赤と青。だれだったかなぁ? デカダン的な誰だったかも。 技というものはあまり意識していないかなぁ、真似するだけ もう一回勉強しなおそう~ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 ニューフェィスtanakaさん、ようこそ。 今月は、火ですか。あついですね。暑いので、この季節は 考えたくないこともあります。そこで距離がある火という意味で、星も良いのではないでしょうか? by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>るるりらさん 言葉に旬、ありますね~。美味しい火星ジュースの季節!! >>石村 利勝さん じゃ、ちょっくら牛を褒めてくるでよ。 >>843いいな~なんだかいいな~。 >>渚鳥さん はじめまして~ 数いる田中のうちのローマ字のやつと覚えていただければ...... 発音はタナーカーで。 by 田中修子 参照先不明 全くの余談です。カープの試合を見に行きます。天気予報は、よくなかったのに 今は、晴れてます。なにとぞともに雨乞い、お願いします。 by るるりら 参照先不明 おっはようございます。 あのカープの大声援のただなかに身を置いた私は 人生がかわってしまった! どうしよう。ちょっと前の 辛気臭い自作詩が 他人の詩のようだ。わっはは ベートーベンでいうなら第九の気分! 試合当日は雷も予想されていたというのに、オペラの『ある晴れた日に』の歌詞が描いている理想の天気!いやあ おめでとう! 石村さん ごめんなさい。あの日の私は 愛でできていたので、 お弁当もお友達が むさしのお弁当の券をくれてたので カープうどんは食べれなかった。 でも 席がブースに近くて あの匂いは 味は 絶対落ちてない感じでしたよお! ごめんねごめんねー。 by るるりら 皆さんに、もし年号の決定権があったら、どんな年号をつけますか?漢字二文字の題名で詩を書いてみませんか? by るるりら わたしったら、とても まずいことを、いいましたか? なにか、いい企画は、ないかしら? by るるりら 参照先不明 旧かなは、正直 使ったことがないので、 祖父の書いたものを、読んでいるきがしています。厳密には、発音にも違いあるはずのに、わたしは、これまで、しらずにきました。 二文字課題は、「百合」にしようとおもってて、そのときに、旧かなで書いて 添削してほしいなあなんて、おもってました。 by るるりら * >>880 は、「旧仮名遣い」というもの一般についての、 教養の有る人、無い人、各人の持っている印象ということをご質問ですか? それよりも、「文極」の評価の精度の不足についてでしょうか? また、あるいは、御作品への感想・批評でしょうか? (こちら>http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=471;uniqid=20160514_774_8825p#20160514_774_8825p) 以上について、1つにまとめてお答えすると、 もっと流麗に書けるはずだ ということです(「率直に」わたしから見ると、です)。 尚、〈歴史的仮名遣い〉については、契沖以後に一定ルール化されたもので、むしろ明治期の文章で厳格であったものの、平安時代からずっと、実際は仮名遣いはアバウトだった、という専門家の指摘をどこかで読んだような気がします。そうだとすれば、旧仮名遣いを几帳面に一定に適用する必要があるのか疑問である、という議論もできそうで、実際に厳格一律にしない方が、文章を味わい深いものにできるかも知れないなどと無邪気な私なんかは思います。 旧仮名遣いの味わいを活かして、より流麗に書くべきであった というのが私の感想で、そうでないと籠められた折角の優しいメッセージまでがぎこちなくなってしまうと思うからです。 * by ハァモニィベル 「旧仮名遣い」とは少し異なりますが、文語口語の混用の問題 もあります。詩はもちろん、短歌や俳句でも同じですが、例えば 俳句の切れ字の問題があります。「や」「かな」「けり」を使う と、口語 ではないと指摘され、これにかわるものを探すと 、ろくなものがなく困ってしまい、俳句の投稿をやめました。 現代の俳句でも、これらを使ってもよいという説もあり、文語 と口語の混用はありふれたものであり、歴史的に見て正当な 用語法であるという説もあります。---現代短歌の口語化はめ ざましく、老巧新鋭を問わず口語の歌、文語口語を混用した歌を 詠んでいる---という事なので、文語口語を混用してもよいような 気がします。従って、代わる表現がない場合「旧仮名遣い」も問題 ないと思います。 by st 参照先不明 >>885 ああ、そっちでしたか。例の所の評価力について率直に話していいのかなあ、とわくわくしてしまいました。(笑)。 私もかつて、彼処でどなたかから、私の〈けっこうな自由詩〉に対して、使われてる言葉に季語の意識が足りない的な、的外れな意見をもらったことがありますよ(一気に疲れましたね)。 * そっちの話ではなく、 一般にある印象、という話だと(保守が云々といった政治論議を除けば)割合、予想がつく話になりそうですね。 例えば、中学生とか高校生レベルの頭なら、歴史的仮名遣いで旧漢字とか使われてたら、読めないし、読みたくないし、読まないでしょうね。よしんば、表面の言語表現がたどれたとした場合でも、彼らの年齢では古典の内容を深く捉えられないので、退屈な古典と同じようなものという印象で括られてしまうでしょう。 古典風まで行かずに、読みやすい文章の中に、旧仮名だけ混じっているのを見たら、何のためにそれを散りばめているのか不可解な不快現象として映るのではないか、と思います。(これをCとしましょう) 一方で、古文が読めるような人、擬古文が面白いと思える人は、露伴だろうと、鏡花だろうと苦もなく読めるので、擬古文調ならかえって新鮮な感じで愉しめるということがありますね。鏡花の古典風モダンな感じや、北村透谷の魅力が愉しめる人、そういう人は、そういうものが書かれていたら単に仮名遣いがどうの、という反応はしないでしょう。 * いずれにしても、旧仮名じゃなければ評価しているというのであれば、それが旧仮名だからダメ、というのは、上記の中学生・高校生レベルでの(C)から来る印象評価と同じだ、と私などは感じます。 * ちょうちょ と てふてふ は同じでしょ? っていうのと、違うでしょ?っていう感覚論争になるんでしょうが、 そんな所では、私だと ちょうちょ と てふてふ が飛んでいる って書いちゃいますね。 まあ、そんな感じです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 ゆうか、渚鳥さんの詩に、すくわれました。 ありがとう。 by るるりら 【じぬんを ぐろぐろ】 突然、ブリッジぃと 言ふとき 身体を まげたり 「見ててぇ」と 言ひますと 一拍おいて 側転したり 【じぬんを ぐろぐろ】と 画用紙に文字を据ゑながら 「じめんを ぐるぐる」と云ふ 発音どほりには、書いてなひ なんと おどけて ゴム毬のよふ その横で 長い海外生活から帰国直後の友人が 「し」って どちらに曲がるかを おもゐだせんでね と言ふときの聡明な美人顔の、なんと すっきりしてゐること 「し」の形を 真剣に考えへる人が、わたしは好き こどもの真剣さと すこしもひけをとらない人が、わたしは好き ゆびさきで じぬんをぐろぐろしながらも 好きが あふれてゐます きようも たくさん 私は まちがへた あの人も すこしは なにかを まちがへた まちがへる人と まちがへない人 あなたは どちらが好き? わたしは まちがへる人が好き 真剣さが なんだか おかしくて 好き ************** ※おまちくだっているなんて 幸せです。 でも 百合は ちょいと おまちを、構想あるのに なぜか描けない by るるりら 旧仮名はポリシーのある人にこそ似合うという面もなくはないので 「真剣」な人にこそ好かれるべきかも知れませんね。 私は言語表現の幅として捉えていますが。 るるさんへ >>902 >※おまちくだっているなんて 幸せです。 待っているというより、自分で言ったことを忘れているんだろうなと 思っていると受け止めて頂ければ幸いです。 >ちょいと おまちを 確かに、「真剣さ がなんだか おかしく」思えますね。 * 漢字二字の題 ということでは〈タイトルの選択がいい〉と思う例はこれです。 http://uonomekikaku.sakura.ne.jp/foryou/poembbs/poembbs.cgi?mode=res&no=91344 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 「静笑」せいしょう 「穏淡」おんたん 「譲命」じょうめい 「聴声」ちょうせい 「座待」ざ、ざたい? のほほんといこうよのほほんと 怒っても泣いてもはじまらないよー みたいな年になったらいいなぁと思うます。 by 田中修子 参照先不明 参照先不明 カイトの表題と表紙を読めば、 ここは、空気を一色にする処じゃないでしょ。 一方で、軽妙・ほのぼの 。他方で、堅く、険しい。 又、 一方で、知的。他方で、愚劣。 それでいいわけだけど、日記を見せ合うだけの場所にしたいならともかく、 他人に書いたものを読んでもらおうとする場所なんだったら、 説得力のある言葉を使いたいかな、と僕は思う。 まあ、それだけです。(だから、変だな、と思ったら変じゃない?、って言うだけ) 此処の人たちが、みな、僕の方を変だと思うなら、僕が消えます。 ま、僕はこう書きながら、常に心穏やかですよ。 此処に書きに来てくれる人が皆、親切なのがわかってるから。 * by ハァモニィベル * 燃えて消えていく 遠ざかる川の 遠い後姿の原景に 1羽の鴨が泳いでゐる 昨日にそつと おいて行かれて ただ1羽の 何を犠牲にしたら 追ひつけるだらう 散亂した 觸れられるはずのない 意味のない貨幣のやうな 狂つた正常の手が伸びてくる * by ハァモニィベル こんばんわ石村さん、 わたしは、石村さんの詩に たすけられました。 「地球の上でうたふ歌」を、ある詩の掲示板で、最悪の気分になっていたに、嘘のように気分が晴れました。ありがたかったです。暗唱したいです。 ベルさん、こんばんわ。すごく、いい詩だなあ。って思いました。関係ないことを、いうようだけど まえに教えていただいたケストナーの人生処方詩集を買いました。照会していただいた「絶望第一号」を思いだし、今 買いたての本を開いています。うまく言えないけど、ベルさん、ありがとう。 うわあ、参加者増えてきましたね。 元号も、増えてる。いい作品が、いつぱい!。 テンションあがる。たかっぱしから、いいたいけど、寝たほうがよさそう。嬉しいな。ではおやすみなさい。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * 『MAIN STONE 』 ストラスブルグ美術学校で出会った彼女は、変わったものを描いていた。A3の画用紙49枚を使った大きなブリティッシュ・プディングの絵で、そこに描かれた何かに、いや、そこに彼女が描こうとしている何かに、きっと、誰にも解らない何らかの何かに、こそ、彼女が強いコダワリをもって伝えたい何かがあるんだと僕は思った。彼女がその絵を描いている間中ずっと番犬のビリーは爆睡中で、僕もやることがないから、彼女のアパルトマンをチェックアウトし、その頃暮らしていた屋根裏部屋にもどって数日寝転んで過ごしていた。ブリティッシュ・プディングのどの辺りにまで差し掛かった頃だったのだろう、突然、彼女から電話がかかって来た。 * by ハァモニィベル 参照先不明 * つまりね、 >>960 に私が書いた作中の彼女のように、 MAIN STONEを描き伝えようとするところに 作品の価値が生まれるのに、 ありもしないMAIN STONEを、いかにもあるように書いた 詩が多いんだよね。 (難解を解きほぐすとタワイモナイものも含めて) そういう贋せ物を書いてる人というのは、 詩を読む側にまわっても読めないんだよね。 ただ、そういうことだと、私は思っています。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>969 うーん、「嘘」って、どう捉えてるんです?(そこが不明) ニュアンスを区別してほしいな。 >作品になっていれば、嘘だろうと本当だろうと、いいのか これは、かなり粗雑な思考じゃないの? まず、「作品になっている」という点が、すでに高度に曖昧だしね そして「嘘」「本当」ね。 ---------------------------- 虚構でも、その方が真実が描かれていれば、―→本当の意味で「本当」では。 事実を扱っていても偏見で切り取ったものは、捏造にもなるのでは。 とかとか、色々疑問が出てくるんですけど、大丈夫?? 昔の「私小説」の「精神」を肯定してるからそもそも、「嘘」って評言を使うのか、 わたしにはよく解らない話ですね、その感想は。 * 昔、「一杯のかけそば」なるお話があったけど知ってるかな。 当初、実話ということで話題になった。ところが、作り話だと露顕して叩かれた。 あれなんかは、感動実話として騒がれたときに、一読して作り話だと私は感じたけど、 世間では話(作品)を鑑賞しただけでは見抜けなかったわけでしょ。 私から見たら、作品になってないレベルだけど、 世間には、(実話なら感動的だ)と、(恰も新仮名ならよいみたいな感覚でもって)通用してたわけだけれど、一体全体 そういうのはどうなの? 鑑識力、鑑定眼 という話になっちゃうんだけど、 渚鳥さんの話だと、その辺りが抜け落ちてるんじゃない??? ---------------------------- ともかく、最も重要だと思う点を最後に補足しておきます。 詩情の「嘘」はダメ ってことです。作品世界は虚構でも事実でもいいと思いますが、 〈詩情〉は、その作者の本物でないとダメだと思います。 (まあ、詩情不要論者という人達もいるんでしょうから、その立場だと コトバを捏ねてそれらしき詩情を誂えるわけだろうから、もしそうなら 私のように、自分の詩情を伝えるために言葉を紡ぎ出すのとは正反対ですね) 渚さんの感想だと、 詩情の「嘘」(パクったり誂えた詩情ね)も作品になってりゃいいってことに聞こえちゃいますが、まさか、どう考えてるのか、心配になりました。 まあ、そんなところです。(これ以上論じません) * by ハァモニィベル 参照先不明 まっくろで苦くてこんがりなコーヒー 喉をひんやりすべって 詩も男もできないときはできないさ それってダメなんかなぁ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 >>978 (Syuukoさん) >>980(渚さん) >>981(石村さん) みなさん、Thanks ! 、「翻訳」という言葉に引きずられたのか、なんとなく原詩にひきづられている感が。まあ、丁寧に訳そうとした感なのかな。 わりと翻訳の文章が読みにくいというあの現象の秘密に通じる何かがあるような・・・。 ただ、普通に作品を展示されるときには見えない表情が垣間見えてナイスです。 (取組んで頂いたので) *** *私も書いてみました* * そんな瞳(め)で見ないでくれ。 男の背中を。 黙って ブラックを飲み干してる 俺の背中があるだけ だから。 見える? 何が? 何も無いさ。 やさしい詩なんてないんだ。 「幸福」にも汗ばむこの背中には。 * by ハァモニィベル 参照先不明 * 「冠は濡れて」 ユアーン及びユヨーンが、それこそ ユヤユヨン、ユヨユヤンと、往復し交錯していた。 ぼくの心だ Ho!Ho!Ho! 胃袋をはく 吐いたものは 幾時代かをへて また一つのメルヘンとなる 銀の雨のなか さらさらと 砂のように命が 流れ落ち 僕のボーヤは (硬い粘土の小さな溝を) (きららめきつつ) さらさらと 流れていく 悪魔のおじさんの 靴の先が かすかに濡れる所まで * by ハァモニィベル
大きな池があってひとつの川、たくさんの大きな木。 滑り台、砂場、ぶらんこもご用意しました。 みんなで鬼ごっこやかくれんぼができます。 野球やスケボーもできる大きな公園。 朗読している少女がみえます。 夏にはカラオケ大会だって演説や選挙もあるかもしれません。 ひとり川をながめてため息つくのも公園 もし詩や詞を構成する成分表があるとしたら人ひとり、もしくは大勢の人が絡んでいる無限の成分表なのかもしれません。 詩の多様性は人の生き方やり方の多様性を映しているのでしょう。 君が書きたいと思ったことはなに? Twitterみたいにぼやくこと? 昨日見た映画のブログみたいに感動を分かち合いたい? 詩のことで別の人間の視点がほしかったのかい もしかして、それは行き場のない言葉かしら 答えはなくたっていい。 ただ、聞いてほしかったのならそういってね。 もう少しそばにいるからね。 書きたいことを書いてみて 描けないことを描いてもいいんだよ。 ルールは公園らしく後からみんなで増やしていこう。 るるりらさんへ まど・みちお を取り上げるのは「良い」と思います。マインドのある詩の名作が多いので。しかし、どういう切り口で関心を持つのか?も明確にしたいですね。数ある名作のなかで、何故「一年生・・」なのかもよくわかりません。(私は『消しゴム』が好きです) 「まど・みちお と エーリヒ・ケストナー」 と二人並べて考えてみる、というのなら、結構わたし好みです。 (ケストナーは詩も書いています。『絶望』というのが好きですね。) 私は、予定より一日早く、月曜から大丈夫です。 さて、3つめが揃いましたね。 [167]ハァモニィベル 『透明な距離へのクラージュ』 [168]渚鳥 「雲は鏡となり」 [175]鈴木 海飛 【絶対領域のファシズム】 [176]るるりら 『つまり最高峰』 (では、評と点をつけます) ◇『雲は鏡となり』・・・これは「は」の意味ががっかりさせなければ成立してる。10点から77点。「も」じゃなくて「は」なのは、ってところが焦点になる詩、という感じ。私なら【雲鏡と・な・り】だな。 ◇「絶対領域のファシズム」・・・題が濁ってるな。スタイリッシュな詩にするならいいがコケる確率92%。少女つながりだろうか。初印象22点。【ファシズムをポチッとな】なら95点。/【聖のマニフェ】なら100点。 ◇『つまり最高峰』・・・11点。これは捨てに来た感じ。【よってつまり】なら90点。最低点酷すぎは、罰ゲームである場所にその題で書くという案もあったくらいなのでご注意を。(まあ、るるりらさんはオチをつけてちゃんと書きそうだが)。 ~~~~~~~~~~ では、評点終了後、いよいよお題決定となります。 (集計点によるとは限りませんのでお楽しみに) おはようございます。 勉強会ですが『一年生になったら』まどみちおで、なにかできないでしょうか。 題名は『つまり最高峰』で、いかがかなあ。 ★大ニュースです★ カイトさんが お友達に声をかけてくださって 私の詩に素敵な声で 朗読をしてくださいました。 http://youtu.be/2dWtuADvFDQ 紫の菫さんによる るるりらの作品『めるふぇん』の朗読です。 紫の菫さんへ はじめまして るるりらです。ゆめにみた 人魚の声を はじめて聞いた気分です。 最初は、アイフォンを耳にあてて聞いたのですが、脳天が昇天しました。 音質的にパソコンのほうが良いとおもって 聞きなおしたのですが、やっぱり いいです。 感激してます。紫の菫さん、どうもありがとうございます。 では、3つめ行きます。3つめが出てから、どうするか考えましょう。 私からは―→『透明な距離へのクラージュ』 渚鳥さん。 かなのほうが、いいかなあ。とも 感じたのです。えーっと、他の方に聞きたいのですが、もし選ばれたら 他の方は、微妙なニュアンスを変えて良い。って、ルールでしたでっけ? その方が いいかなあ。って 思います。てにをは。とかも ね。 澤さんへ もっと現実的な例として、 ●ポチットナー氏制作「詩人の辞書」 http://pochitto.s7.xrea.com/ これで制作された詩の著作権は、だれに帰属するのか??? **表題コンテスト*とだけ 入力したら なかなかエトワールな結果がでましたが、著作権が解らないというお話なので コピーをしません。(滝汗) エトワールによせての表題コンテスト ●[108]ハァモニィベルさん 『深層放射路』75点 わたしだったら、「深層」か「放射路」に分断しちゃいそうです。 「放射路」で思いついたのは 宝塚スターをとりまく人々の相関図みたいなものがうかんで 脳内で 社会がたちあがってきて、悲鳴をあげそうになったので コアな作品が書ける人は書けるのかもしれないです。 カイトさんのアイディアの「深層深層放射」だと 具体性が曖昧になるので すこしラフに挑めるかも。 ★[156]御題二個め『風のタブロー』86点 タブロー(仏: tableau)とは、壁画ではなく、板絵やキャンバス画を指す。また、絵画に於いて完成作品を指す言葉でもあるそうで 風の又三郎的な音の並びも好きです。ただ 自分が書くとしたら なにを書くのかは 今のところ なにも浮かんでないけど、魅力的だと思いました。 ●[109]鈴木 海飛さん 「空に降ってゆく少女」70点 ラピュタの 飛行石 ペンダントがうかんでしまいました。少女ってつく表題は、男性には憧れかもしれないけれど 私は苦手です。だから点数が低くなっちゃいました。「少年」とつく表題なら 書いたことがありますけど むむむ。 ハァモニィベルさんの御意見の【空を喰う女】⇒【空喰い女(め)】は、横溝 正史ばりの長編小説にありそう。女といいきられると なんとなく 書ける気がせんでもないです。 ★「偶発的奇術のためのオセロ」85点 シェークスピアの戯曲に「オセロ」ってあることだし 広がりのある好い題名だなあと思いました。 ●[146]渚鳥さん 私のお題は「空へたたずむ時計」です。 「に」にしますか? 「へ」だと 風を感じました。86点 「に」だと 所在を感じました。84点 [147]のハァモニィベルさんの意見の【空が佇む時計】は、サルバドール・ダリにゆがんだ時計が描かれている絵があったのを 思いだしました。 ●私の「「指おり数えて」をお これまた点数に開きがありますねぇ。私にとって楽しい反応だなあ。 ハァモニィベルさん65点。作品によっては10点か もしくは80点。かあ。すごいひらきですねぇ。 選ばれる選ばれないにかかわらず。書きなさいと言われたような気がします。をっほほ [159]渚鳥さん 80点は難くない。5点加算して、85点でもいいよね。をお すごい!良い評価ありがとうございます。 ★わたしの 二つ目は、「クリノリン セレナーデ」で よろしくです。 ※またもお題バトルの流れをぶった切って通ります失礼。 ▼るるりらさんへ。 >動物が創作した作品は、そりゃ >その動物を所有している人物のもんでしょうね。 そこが日本で、その動物がペット(所有物)だった場合は、そうなるんじゃないかとわたしも思います。が、アメリカだと、そのような判断にすら、動物愛護団体等から文句が来ても不思議ないような気が微妙にします。 ※注記※ 先述の事例では、自然写真家が野生の(だれにも所有されていない)サルの自撮りに対し、「撮影されたカメラが自分の所有物である」という理由で著作権を主張したので、ああいう結論になりました。 ところで先述のウィキの注釈に、「アメリカの著作権庁が、著作権の対象とはならない例として、「サルの撮影した写真」と「象の描いた壁画」を挙げている」旨が書かれています。だれの所有物でもない野生のゾウが描いた絵には、だれも著作権を主張できないようです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%92%AE%E3%82%8A#cite_note-Compendium313.2-10 >あと、生き物ではなく >人工知能も進化しているから、人工知能で書かれた詩作品なんて、どうなるんだろうか? >そのメカを購入した人に著作権があるのかしら? それは。。。どうなんだろう。。。 たとえば(架空の事例ですが)「ドラえもんが書いた詩の著作権」はだれに帰属するか。「ドラえもんの所有者」よりは「ドラえもんの開発者」と考えるほうが、個人的には合点が行きますが。。。 もっと現実的な例として、 ●ポチットナー氏制作「詩人の辞書」 http://pochitto.s7.xrea.com/ これで制作された詩の著作権は、だれに帰属するのか??? *** ▼ベルさんへ。 >「不当評価」(くらさん)と言うと、そこに既に評価が含まれているわけですが、 そっそれは。たしかに言われてみればその通りですが。 しかし不当であるような評価を、評価と認めてやるわけには、(錯乱。 >帰国子女がクラスに転校してきてね、先生、先生の英語、英語と違います、って言ったら、英検2級の教師にイジメられたりする、 ぐぬぬぬぬぬ。その場合おそらく本来その英検2級には、その生徒(たとえばUKの帰国子女である場合)の大学入試を心配する義務が生じるでしょう。ぜひその生徒に「きみのクイーンズイングリッシュは高度すぎて、英検2級(高卒程度アメリカ英語)の域を超えているのだよ。採点者が知らない高度なイディオムを、入試で使ってはいけないよ。」などと、やさしく言い聞かせるべきでしょう。 その義務を遂行もせず、 「英検2級を超えてるこいつ最悪。」 なんて嫉妬でいじめるとしたら、まさに、 >人柄とか人格が欠落 以前どこかで、「ネイティヴの発音をしている小学生に、和風英語の発音を強制した教師」のことが話題になりました。その件を「教師が論外のあほ」で終了するのも、現実的には難しいのでしょうね、その児童が、ほかの児童やその父兄にいじめられる蓋然性は、たしかに高いでしょうから。 まさに、不当評価者たちの、 >人柄とか人格が欠落 ぐぬぬぬぬぬ怒りで頭痛がしてきた。 *** ▼カイトへ。 以上、通りました。 また通りに来るよ( ・∀・)ノ 「指おり数えて」 ・・・女流の落ち着いたエッセイ風な詩という感じですね。題としては65点。中身を見て判断という感じ。コケた時は、反動で全体が10点になってしまうが、ヒットなら80点になるでしょう。 では、このお題への寸評と一緒に、皆さん 2つめのお題を出していきましょう。 私の2つめは:『風のタブロー』 私も、参加しても良いかしら お題。指おり数えて 書き込めないらしいので、 本人の依頼により伝言します。 (以下、鈴木海飛の文章、全文) ~~~~~~~ あづさー。ここは公園だよ。ベンチに座ってキャッキャっ♪してるときに、元気よく「よぉ!!」ってやらなきゃね。 うん、それでいいのさ。 白い掲示板にお前の化粧で、styleをぶちかませ!! いやっほい!!あっはは!! 深層放射路 青ーい路にね。あまり、言葉をもたないけれど、強い言葉で歩く人がうかんだよ。 でも、意味がよくわからないから75点 空へただずむ時計 いいねー。ぽややんとする。ねー。80点!!海と空なのかなぁ、ほんのり青いイメージが皆にあるのかなー。 面白いねー!! エトワールって星とか、バレエの花形を意味するんだっけ? よく耳にするけど、あまり、深く考えなかった言葉だなー。 詩の提出は明日の夜くらい。飛び入り、推参、おーけ!! ~~~~~~~~ (鈴木海飛より) 空へ。でした。 すみません。 何となく今、チャン・ツィイーが通り過ぎたような気がするので、一言。 「不当評価」(くらさん)と言うと、そこに既に評価が含まれているわけですが、例えば、これまでの高校の英語教育なんかどうですか。帰国子女がクラスに転校してきてね、先生、先生の英語、英語と違います、って言ったら、英検2級の教師にイジメられたりする、とします。そこには不当評価というのも随分飾り過ぎな、不当反応とでもいうべきものがある。そこには、「読解力」(理解力と感受性)のほかにも、人柄とか人格が欠落してますね。教師としてどうか、あるいは、だから教師なのか、評価は難しいといえば難しいですね。私なら一言ですが(笑)。 ~~~~~~~~~~~~ さて、お題バトルへ戻ります。 渚鳥さんへ 空にたたずむ時計。素敵です♪ 澤さん。 動物が創作した作品は、そりゃ その動物を所有している人物のもんでしょうね。 ゾウの書いた絵を 売ってる話をテレビでみたことあります。売るからには、そのゾウの書いた絵の場合は飼い主に権利があるにちがいないです。 あと、生き物ではなく 人工知能も進化しているから、人工知能で書かれた詩作品なんて、どうなるんだろうか? そのメカを購入した人に著作権があるのかしら? ※お題バトルの流れぶった切って通ります失礼。 ※渚鳥さんこんばんは。いつか文学極道でもお会いできますように! *** 某のスレにくらさんのカキコがあったので(投禁でレスできないから)ここに雑感を書く。 http://mb2.jp/_poem/305.html-17 ▼先立って。 ※文中に出てくる「猿が撮った写真の著作権を巡って裁判」はこれだな。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%92%AE%E3%82%8A ※このニュースが話題になった当時、「このサルがその写真家のペットだった場合、著作権はどうなるんだろ?」って考えたけど、結局どうなんだろ。日本の法律上、ペットは所有「物」だから、「写真家が自分の道具を利用して撮影した→著作権はサルの所有者である写真家に帰属する」ってことになるんだろうか。 ▼以下雑感。 なるほど評価と読解は別の行為だ。それはあきらかなことなんだけれども、わたしは「文芸に関して、読解を公表するという行為は『高く評価した』という意思表示に等しい。」と確信している。なにせ読解したということは、その作品に「読解する価値」を認めたということだから。 その読解の内容が、作品の表面的な内容に対して否定的なものだったとしても、「読解する価値を認められたので読解された。」という事実は変わらない。賛否のいずれにせよ「人に関心を持たれる」こと、これが文芸のほとんど唯一の価値と言えるんじゃなかろうか。 もちろん、だからと言って、わたしが「読解を公表していない作品を低く評価している」わけではない。(なにせ読解は、うかうか公開できるものでない。)評価と読解は、あきらかにまったく別の行為だ。こういう所信を語弊なしに説明するのって難しいね。 「空へたたずむ時計」・・・融合性が甘いので76点。(カイトの題と空が被るので-20点。よって56点) 因みに、/空へ佇む/と/佇む時計/はいい。一緒にするとダメなのは、空と時計の関係性かな。 私なら【空が佇む時計】だな。 澤さん、レスありがとう。澤さんの信頼できるマインドを確認できました。 渚鳥さん、はじめまして。宜しく。 カイト、私からのお題は『深層放射路』だよん。 「エトワール」というテーマに絡めて、お題をどうぞ。 『空に降ってゆく少女』は、「少女」に捻りが足りないので77点。 わたしなら、【空を喰う女】⇒【空喰い女(め)】にする。 と、いう感じで寸評と評点を付けます。 あるいは、題から思い浮かぶ内容をざっと語るのも面白いです。 「深層放射路」→ さあ、どうぞ。 ようこそ。公園の植物の管理担当るるりらです。私は、鈴木という名前の尊敬してる詩人さんいて、内心 心臓ドキュンなんですよー。 ベルさんへ。 ▼最後のお話について。 >ま、これは私の勝手な印象批評です。(これは、わたしが澤さんを斬る目的じゃなくて、澤さんが他の人に斬られないよう、敢えて砂を投げてみました。これだけで、30倍強化されるのが澤さんだろうと、チャン・ツィイーに幻想しているが故です。 そうですね、ネット詩壇でわたしの批評は(盲目的感情論の粘着や2ちゃんを除き)ほとんど斬られたことがありません。それは文学的に、非常に不健全なことです。対してたとえば、わたしが入沢康夫氏についてあほな誤解をつぶやいたときには、ご本人から反論がありました。さすが「現代詩」は文学的に成熟していると感服したものです。 「批評を批評の対象にできない」というその文学的な不健全は、文学極道に顕著です。その文学極道に感化された派閥(ほとんど若者)が、一時期のプロ詩に一方的に持ち込んでいたこともあり、その時期のプロ詩はひどいありさまでした。「こんな無根拠な罵倒ごっこが、だれのなんの役に立つのだろう。」以外の感想がなにひとつ出てこないような。 わたしはそうした風潮を、ブログ等で長らく批判していましたが、ネット詩が自明として強いられる「書き手同士の交流の域を出ない」という現実を鑑みれば、文学極道のモットーが限界だろうと考えています。であればこそ、文学極道を書き手として訪問する際には、菊西夕座氏のようなレッサーを目指したいと思います。文学極道で、氏以上に生産的なレッサーを、わたしは見たことがありません。 ▼以下、最初から。 >テクスト至上主義は、私の言う「バナナ」を、食品だと読解してしまうんでしょうか? そうなると興味深くなってきます。。。(バナナと表現されたこのテクストに対して)生産物=制作物として高次に括って認識するのではないわけですね。 テクスト至上主義ではなく、国語のルールそして詐術への対策です。議は論理で書かれなければならない形式ですから、文章を「書かれている通り、論理的に」理解する能力がない者に、その先への勝手な飛躍は許されません。比喩だと説明されていない文面に対して、勝手な想定を当て込むことは「曲解」であり、誤読よりひどいものです。 また、人に話をするのに、必要最低限の情報を述べず、あと付けの理屈で相手を責める行為は、「詐欺」に相違ありません。カルト宗教等の洗脳に典型的な手口でもあり、世間的に許されないことです。詐欺師の見極めも(テクスト至上主義とは関係なく本来)批評家の重要な役割でしょう。 詩において曲解や詐術が起こりやすいのは、その文章が論理的に正しくなく、精確な情報でないからです。それは詩が「言語芸術」だから、言語の特性を利用しているからとしか、判断しようがありません。批評は詩であってはならず、あくまで「再現性のある精確な情報」でなければなりません。。。と断言すると「じゃあデリダ先生のあのエクリチュールはなんだよ」って話になってしまうのですが! >また、「みにくいアヒルの子」だと周囲から盲目的にみなされているものを、正確に、それは《白鳥の子》であると、看破するわけでもない、ということになるのでしょうか。 これも上記の「詐欺」に留意して判断する必要があるでしょう。 >掘り出し物より、値段の確定したものを追うとなると、その至上主義の素顔は詩情ならぬ市場功利主義の匂いがしてしまう気もしました。 わたしはネット詩などを批評するより、歴史的名著の再評価・再読解に挑むほうが、よほど勇気のあることだと思います。なにせネット詩と違い、読者が成熟しているので、自分の身の丈に合わないような反論ががっしがし来るでしょうから。 ちなみにわたしがメビで発掘した掘り出し物のひとつに、文極の2012年最優秀抒情詩賞の紅月さんという人がいます。わたしはかれが低評価にやさぐれていた2010年のころから、かれの詩に一目惚れしてずっと追っていたので、その価値が文極で確定したとき本当にうれしかったですね。この感覚は、評者でなく読者として、「人間感情」として大切にしたいと思っています。 澤さんへ テクスト至上主義は、私の言う「バナナ」を、食品だと読解してしまうんでしょうか?そうなると興味深くなってきます。。。(バナナと表現されたこのテクストに対して)生産物=制作物として高次に括って認識するのではないわけですね。 また、「みにくいアヒルの子」だと周囲から盲目的にみなされているものを、正確に、それは《白鳥の子》であると、看破するわけでもない、ということになるのでしょうか。 私は自分が何主義かはわかりませんが(まあ面白さ乃至説得力至上主義ですかね)、そんなことが自然に気になる感性の持主なんで、ふと感じた疑問を語って相手の感性を観察してみたりします。 私の場合、ソクラテス的な趣味なので、育成というよりは「産婆」的な効果があるかも知れません(自分の身を的にするサンバ海猫ほどじゃないでしょうけどね)。掘り出し物より、値段の確定したものを追うとなると、その至上主義の素顔は詩情ならぬ市場功利主義の匂いがしてしまう気もしました。 ま、これは私の勝手な印象批評です。(これは、わたしが澤さんを斬る目的じゃなくて、澤さんが他の人に斬られないよう、敢えて砂を投げてみました。これだけで、30倍強化されるのが澤さんだろうと、チャン・ツィイーに幻想しているが故です。 ▼るるりらさんへ。 ただいま帰りました(´∀`*)←超絶遅い。 *** ▼カイトへ。 >俺は批評しないと投稿させませんよってときに、無理矢理な批評をやって、どうも不毛な気持ちに陥った。あれか。あれをやめればいいんだな。 それはもちろんやめるんだ。詩はほとんどが抒情、つまり作者の魂とか分身とかわが子とかに等しい代物。そんなのうかつに罵倒したら怒られるに決まってる。 それがなぜネット詩壇で平然とおこなわれているかと言えば、 「詩には読者が詩人しかいない。」 そして話が下記に戻る。 http://po-m.com/forum/thres.php?did=316267&did2=116 ※現フォの安価ってどう書くんだっけ。 ところで例の蛹だけど、田中恭平氏も「とけてしまえ!」ヨシと述べてるにゃ。 http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8690#20160315_258_8690r つまり下記の最後の話は妥当だった。安心して参考せよ。 http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=8690#20160314_228_8690r *** ベルさんへ。 >主義には功罪があり罪と罰があるでしょうが、澤さんは自覚してますからね。 テクスト至上主義がどれほどの罪であるかは、「世界中にパルマコンの毒を撒いた」と名高い『プラトンのパルマケイアー』で知れ渡ってますからね。。。わたしもあれは(『パイドロス』を読んでいたので)最初はぜんっぜん理解できなかった。いまでも読解はできてない。 >例えば、バナナがあるときに、~ テクスト至上主義はあくまで「テクスト」つまり文芸批評の姿勢なので、食品の批評に用いることはできません。またたとえば「そのバナナの歴史」に関するテクストを論ずるとなると、そういうものには「情報の真贋を見定める批評」のほうが、はるかに需要があるでしょうから、テクスト至上主義の出る幕はないでしょうね。 身の程(できることとできないこと)のわきまえも、テクスト至上主義者には重要だと思っています。できないことを無理やりやるのが論外なのは、どんな分野のどんな主義でお同じですが。 >みにくいアヒルの子が混ざってる時に、それが白鳥になるまでは気づかないということになってしまう恐れ そうですね、テクスト至上主義は「作品」への関心ですから、アヒルであれ白鳥であれ「作者」は領分外です。わたし自身、未熟な作者には、関心がまったくありません。ほかに関心を持つべき書き手(主にはすでに歴史に残っている偉人)が山ほどいるので、余裕がないというのが正直なところ。 ※また「そもそも人材養成は、批評家の負うべき役割ではない。」という考えもあるだろうと思います。作り手と癒着した批評家なんて、いかにも信用に値しません。対象への思い入れがあれば、その真贋を見極めるなんて冷酷なことは、人間感情としてできないのがふつうでしょうから。 それでわたしは、プロ詩では技術の話しかしない(つまり書き手同士として交流する)と決めていましたけど。詩作がうまいこと行き自信がついて文学極道を訪問したあかつきには、菊西夕座氏のようなレッサーを目指したいなと思っています。文学極道へ評価を仰ぎに来ているほどの人に、プロ詩レベルの話なんて、ほんと失礼だと思いますからね。 泪さんへ。 泪さんと、私だけが、知っているメールの、やりとりについて です。 ごめんよー。ごめん。 それから、ハァモニーベルさんが ご自身の作品の中で、いっておられた 『嫌花』という作品を読ませて欲しい。 時々、あなたは 私に えも言われる詩の世界を見せてくれてた。その事を、どうして 忘れられるだうか? 連絡ください。 澤さん。 そーだったんだ。_(^^;)ゞいやー。本当に、短い文で、澤さんがいないと、さびしいという文だったんですよ。 「テクスト至上主義」というのは、それなりに面白いと思いますね。 主義には功罪があり罪と罰があるでしょうが、澤さんは自覚してますからね。 >「自分の読解を、作品および作者のせいにしない。」 これは、 >曲解やろうの、とんでもねー粘着 に対抗するのには、いいですね。(とくにイタリア軍では(笑)) たぶん問題になるのは、 例えば、バナナがあるときに、 あるバナナは美味しい。これは、その農家の努力と工夫の成果だと、 そのとき、あるバナナはどうも美味くない。と、そのときに、 テクスト主義だと、不味いのはそのバナナのせいになってしまうかも知れませんね。イタリア軍以外では、農家の在り方が問題になるのが順当な場合もあるわけです。 テクスト主義だと、そこに触れずに済むのかもしれないけれど。 また、みにくいアヒルの子が混ざってる時に、それが白鳥になるまでは気づかないということになってしまう恐れがあるかも知れないですね。 ▼るるりらさんへ。 >だいぶまえに、ここ現フォのメールボックスに、単文ラブレターを投函しておいたよー。 メールボックス。 というのは私信のこと? (゚Д゚≡゚Д゚) 見つからない。・゚・(ノД`)・゚・。 *** ▼カイトへ、あたしが思うテクスト至上主義の箴言。 †エリオット『四つの四重奏』岩崎宗治訳より。 ●引用──────────── すべての句と文は、その一つ一つが終りであり、また初め。 すべての詩は墓碑銘。 ────────引用ここまで● ※エリオットがテクスト至上主義者だとは言ってない。 テクスト至上主義について説明するのは厄介だけども、「自分の読解を、作品および作者のせいにしない。」というのが最重要なのは確実だ。 たとえばあたしは、以前、 http://bungoku.jp/monthly/?date=201204#a06 ↑この詩を「児童ポルノの推奨」とのたまう曲解やろうの、とんでもねー粘着を受けたことがある。それにはさすがにブチ切れた。解題したらあっさり謝ってくれたし、いままで食らってきた粘着のなかでは、ぜんぜんましな事例だけど。 あたしの詩をどう曲解しようが、もちろんそいつの自由だ。が、そいつの曲解はそいつの内心の問題であって、あたしの作品の問題ではない。ましてやあたしの人格の責任ではあり得ない。だというのに「自分の責任を他人に転嫁する」という愚行を、徹底して避けるということなのよ。「作者を作品から切り離す」というのは。 *** ▼ハァモニィベルさんへ。 ※チャン・ツィイーそっくり18歳より。 むかし葬儀屋でバイトしてたので、葬式のやり方のもめごとには実体験があります。たとえば上司がある日「赤ちゃんのお葬儀を、パパとママにがんばってもらおうと思って企画したのに、坊さんがしゃしゃり出てきやがってヌッコロそうかと思った。」って怒り狂ってましたけど。坊さんも坊さんの自負があってしゃしゃり出たのかもしれないし、難しいところですね。 ネット詩壇などは、むしろ伝説的最弱のイタリア軍。(伝説なので真相は知りませんが。)郷里の祭日だからって、ある都市出身の兵士が全員勝手に帰郷しちゃったり、「おまえの祭のやり方は、おれの郷里のと違う。」って大げんかになったり。畢竟「イタリア国民なんてものは実体として存在しない。各都市の市民の、結局のところ個人の、集合体にすぎない。」と。治安を考えると、これまた難しい問題です。 チャン・ツィイーといえば、私は、「初恋の来た道」という映画の印象がまず思い浮かぶかな。 死んだ父親の葬式の出し方を、母親が頑として拘って聞かない。年寄りの頑迷さだと思って金もない息子は辟易とするのだけれど、実は、そこには、愛そのものの歴史が刻まれていた。 人間とはそういうものだ、というのが私の感覚です。 蛹と蛸について 私は、ごく最近のある時に、 ネット落ちしようと考えたことがあって 詩誌に転向にしようとしていた。そのときにひそかに書いていた詩は「蛹」に関係する詩だった。 だから、ハァモニーさんが カイトさんに「大きな蛹」で書いてほしいと哀願しておられたとき、どきっとしたし、澤さんのおかげで 蛹のまつわる詩編のいくつかを読めて感謝だった。それを踏まえたうえで 詩誌に投稿してボツになろうと思う。(汗) わたしがカイトさんにお題に「凧あげの糸の先は蛸」 ハァモニーさんへ「恍惚の唯識」と出題したのは 二つとも同じような発想だったのですよ。 ●「凧あげの糸の先は蛸」は、凧はカイトさんで 蛸とは私自身のことで 自身の足を喰らうようなマヌケなところもある私は なんだかカイトさんに引き上げられているような気がしてます。なにやら、プレゼントまで用意してくださっているの?ありがとう。わくわくしてます。 ●「恍惚の唯識」は恍惚は ハァモニーさんの文を読んでいるときの私の状況で、唯識とは 私の深層心理をハァモニーさんの文はいつも誘発してくださっているような印象だったから題として提出したのでした。 澤さん。おはようさんです。 だいぶまえに、ここ現フォのメールボックスに、単文ラブレターを投函しておいたよー。 ※バレンタインにチョコあげた覚えがないのに なぜお返しが来るのか、いまひとつわからずにいる。 でもありがとう。 ※ツェランが好きだって述べたのにそっちはどうしたのか。 ※ちなみにあたしは下ネタ100%許容派。 「澤あづさはチャン・ツィイーそっくり18歳」 と300回唱え幻覚に陥った状態で、好きなだけ下ネタおいで。 *** ni_kaさんはものすげーちゃんとした人よ。 エキセントリックな振る舞いのツイッタラーとは違うよ。 現今詩で食える日本人は、谷川俊太郎だけと有名だしね。 金を儲けたくて詩を書いてる人はいない気がする。 >ふふふ。我々の残す財産が、新技術のために残ったものは「神経症と精神病」だけだったとしても、 >逆にその方が価値があるのかもしれないなぉ まあ、この時勢に詩なんか書いてるという行為自体、 ある種の疾患とも言えるからな。 いいのよ。疾患でも障碍でも。あたしも軽く障碍者だから言うんだけど。 障碍を持ちながらそれにふさわしい人生を拒むことこそ問題だ。 *** わたしは「他人の気持ちなど、どうしたってわかるわけがない」派で、 「作者の気持ちを、勝手にわかったつもりになる。」 この愚鈍を避けるため、テクスト史上主義をやってる側面もある。 すると自然、 「どんな詩を読んでも、似たようなことしか思いつかない。」 という陥穽が訪れる。 自分の限界を超えない自分の読解に飽き飽きしたとき、 田中宏輔さんのようなフォルマリズムがとても心地よい。 とにかく「見るのが楽しい」類ね。 *** さあ、いい加減寝るとしよう。 現フォはなぜWiFiだとログイン状態を保持できない。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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