2016 03/16 22:03
澤あづさ
▼るるりらさんへ。
>だいぶまえに、ここ現フォのメールボックスに、単文ラブレターを投函しておいたよー。
メールボックス。
というのは私信のこと?
(゚Д゚≡゚Д゚)
見つからない。・゚・(ノД`)・゚・。
***
▼カイトへ、あたしが思うテクスト至上主義の箴言。
†エリオット『四つの四重奏』岩崎宗治訳より。
●引用────────────
すべての句と文は、その一つ一つが終りであり、また初め。
すべての詩は墓碑銘。
────────引用ここまで●
※エリオットがテクスト至上主義者だとは言ってない。
テクスト至上主義について説明するのは厄介だけども、「自分の読解を、作品および作者のせいにしない。」というのが最重要なのは確実だ。
たとえばあたしは、以前、
http://bungoku.jp/monthly/?date=201204#a06
↑この詩を「児童ポルノの推奨」とのたまう曲解やろうの、とんでもねー粘着を受けたことがある。それにはさすがにブチ切れた。解題したらあっさり謝ってくれたし、いままで食らってきた粘着のなかでは、ぜんぜんましな事例だけど。
あたしの詩をどう曲解しようが、もちろんそいつの自由だ。が、そいつの曲解はそいつの内心の問題であって、あたしの作品の問題ではない。ましてやあたしの人格の責任ではあり得ない。だというのに「自分の責任を他人に転嫁する」という愚行を、徹底して避けるということなのよ。「作者を作品から切り離す」というのは。
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▼ハァモニィベルさんへ。
※チャン・ツィイーそっくり18歳より。
むかし葬儀屋でバイトしてたので、葬式のやり方のもめごとには実体験があります。たとえば上司がある日「赤ちゃんのお葬儀を、パパとママにがんばってもらおうと思って企画したのに、坊さんがしゃしゃり出てきやがってヌッコロそうかと思った。」って怒り狂ってましたけど。坊さんも坊さんの自負があってしゃしゃり出たのかもしれないし、難しいところですね。
ネット詩壇などは、むしろ伝説的最弱のイタリア軍。(伝説なので真相は知りませんが。)郷里の祭日だからって、ある都市出身の兵士が全員勝手に帰郷しちゃったり、「おまえの祭のやり方は、おれの郷里のと違う。」って大げんかになったり。畢竟「イタリア国民なんてものは実体として存在しない。各都市の市民の、結局のところ個人の、集合体にすぎない。」と。治安を考えると、これまた難しい問題です。