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詩ヌマデアイ詩テ (雑談系)スレッドオペレーター:たこすけ
ここは詩の公園
大きな池があってひとつの川、たくさんの大きな木。
滑り台、砂場、ぶらんこもご用意しました。
みんなで鬼ごっこやかくれんぼができます。
野球やスケボーもできる大きな公園。
朗読している少女がみえます。
夏にはカラオケ大会だって演説や選挙もあるかもしれません。
ひとり川をながめてため息つくのも公園

もし詩や詞を構成する成分表があるとしたら人ひとり、もしくは大勢の人が絡んでいる無限の成分表なのかもしれません。
詩の多様性は人の生き方やり方の多様性を映しているのでしょう。


君が書きたいと思ったことはなに?
Twitterみたいにぼやくこと?
昨日見た映画のブログみたいに感動を分かち合いたい?
詩のことで別の人間の視点がほしかったのかい
もしかして、それは行き場のない言葉かしら

答えはなくたっていい。
ただ、聞いてほしかったのならそういってね。
もう少しそばにいるからね。

書きたいことを書いてみて
描けないことを描いてもいいんだよ。

ルールは公園らしく後からみんなで増やしていこう。
これ以上書けません。

[489]たこすけ[2016 05/04 22:21]
それでいいじゃないか。べるたん。ふふふ。
掘れる時と掘れないときはあるさね。

うっかり、土偶を発見するときもあれば、
偽物かもしれなかったじゃすまされないときもでてきちまう。どのみち化石を掘ることに近い。
じゃあ、特に期限も決めていない。
お休みの間、ふっくらと考えさせてもらったよ。
ふふふ。



世代の壁か、こどもひとつの言葉に対して抱くものってのは、ぜーんぜん、違うし、俺みたいになんにもなかったりする。答えはないな。

ここで出てきた言葉と、実際のこどもをみると
その差違はどこで生まれているのか。それがなんなのか。
抽象的にとらえようとらえようとする、それが高慢なのだな。自然を前にして、どうにもできないのとおなじだけさ。それは、責めないでくれよ。ふふふ。



菫ちゃん、やぁ、久しぶりだね。

父も母も、こどものときおもっていたことは
自分を育てるために、たくさんのことを教えてくれるために

たくさんの知識を教えてくれていたが、どうも、俺が物わかりが悪かったのか。

両親が歪んでいたのかわからないが、たぶん、どちらもだろうな。
 

[488]ハァモニィベル[2016 05/04 20:38]
>>487 はじめまして。

ご質問は、人によっては答え難い質問になるでしょうね。尋ねるなら
まずご自分の抱いていた「気配」を語るのが先だろうと思いますが、

何となく乗れない気がするのは
(この公園の特徴ですが)
仮に、意味のあること、あるいは己の痛みを誰かが述べても、
他のひとがお体裁の、ごくありふれた発想の話しかしないなら
馬鹿らしい、ということです。

>>486 がいう
>漠然としており、なかなかつかめず、土台無理な話

という馬鹿げた認識しかないなら、どんなテーマも
掘り下げて語る価値がない。
というのが此処に関する私の感懐です。
 

[486]たこすけ[2016 05/04 00:12]
さてさて、4月はお疲れさまでした。
ゲロ吐いて本当に死ぬかもとおもったぜ。

こどもを語る上で、どうやら研究熱心な先輩たちの意見に抗うことは難しいが

ぽやんと、みえるものは、子どもをとらえるまでの式という物が漠然としており、なかなかつかめず、土台無理な話であり、無意味なことかもしれないのだが、どうも、彼らの姿がとらえてはなさない。
結局、答えを先輩の言葉であてはめて、それ以上の言葉いうことを黙らせられてしまう。黙って、先人の言葉に頼る。


まるで、頭よくぶってると子供に思われるであろうという現状を再認識したよ。あっははは!!

おっ、文ごくの連チューがなんか騒いだの?
あははっ!!悪口かましたからな。
悪口をかますと、騒ぐ連中ってのはどんな連中か。
よく、観察するにはいい機会だな。
よくよく、見るといい。お洒落な奴はいないかもなー。
ふふふ。どーやら、言葉を勉強なすっても、ついてでてくる魂とやらはそんなもんだ。



文句は二三個くらいは聞いてやらなきゃ、いけないだろうなぁ。
あとは、お互い様なんだから、そのうち、よい言葉に出会えりゃなんとかなるさ。
 

[485]たこすけ[2016 05/03 00:41]
おっまたせー!!ごめんねー!!
いろっいろやってたら、死にそーになっててよー!!
あっははは!!

よしゃ!!
で、なんだ?

なんでこんなことになってんだ!!
うむ。なかなか、すごいな。

まぁ、いいや。そのうち、もとどおりだな!!
 

[483]るるりら[2016 05/01 01:03]
渚鳥さん、進展しましたね。
ごめん、わたしは 突然のスランプで 感想がかけそうもない。自信を失っているので1ヶ月くらい書き込みはしないつもり、ゆっくり読んでメールしますね。\(^_^)
 

[481]ハァモニィベル[2016 04/30 22:11]
>>480「涙の詩」なるもの、読みました。

連を下から逆に読むと、良い所と悪い所が明瞭になりますね。

 

[478]るるりら[2016 04/29 18:12]
はーい。爽やかな公園のままにしときましょ。
 

[476]るるりら[2016 04/29 07:44]
おはようございます。テーマから
はずれてない場合のほうが、すくないし

ここは、公園ですし
書きたいことを書いてみて
描けないことも 描いていいんだよ。って、いうのがこの公園の看板だしね。ちょっとした 疑問があると、待っていられたよ。そんだけよ。
 

[473]るるりら[2016 04/28 17:46]
渚鳥さん
お久しぶりです。よかった なにせ 渚鳥さんの最後の書き込みが 女性の損な特性についてだったでしょ。そして、たまたま参加者で 女性なのは、
私と渚鳥さんだけのですよ。

もちろん、わたしたちにはいざこざは無いのですけど、
それは私の勘違いなのなあ。そんなバカなことはないですよね。
私たちは 喧嘩は してないですよねー。

と、仲良しオーラを出してみました。あぁあよかった。笑えました。

文極さんのなかに「なかよしごっこ」と言っておられる方がいましたかあ。
そういやー 私が 仲良しオーラを出してましたねえ。わっはは。
いやー。笑える。

では、またね。
 

[471]るるりら[2016 04/28 09:20]
★蛾兆ボルカさんへ

 異世界の住人の視線でこの四月にしたかったけれどできなかったことがあったのです。
このスレッドでは
様々な方が様々な企画を提案さました。
実現できなかった企画のひとつに
「いちじかんめ りか」として 理科的な作品を投じるというものがありました。
そして、あのあとで ほかの単元(国語など)についても、やっていこうというものでした。

それで、以前 蛾兆さんに教えていただいた 国蝶であるオオムラサキは昆虫でありながら
手足が六本ではなく四本に見えるというお話から 描きたい詩が漠然とあったのです。
自然をちゃんと観察すると きっと 異世界の住人の視線が獲得できるような気がしています。

★皆さまへ

企画倒れの作品提案をふくめて わたしとしては このスレッドは宝の地図満載の一か月でした。
わたしの至らなかった点が多数ある一か月でしたが、参加してくださったみなさま ありがとうございました。わたしのいけなかったところは、水にながしてください。もし流せない場合は「燃やせるゴミの日まで待ってよ」とか、「いやあなにマイナスなこと言ってんの? なかなかの醍醐味だったよお。 またやろうよ。るるりらさんも いっしょにやろうよお。」と、お知らせいただけたらなあと 思っています。
 今月の私の最大の収穫は、今 私は、すべてのことはエトワールのように中心があるような気がしていることです。すべてのことには透明な縁のない球のようなものがあるような気がしていることです。それが、この四月のこのスレッドでの最大の収穫でした。はい、そうです。わたしは、まるくおさめたがっているのですよ。
 わたしはこのスレッド主のカイトさんに 植木係をして良いと言われているので、また水遣りにきます。これからも「やあ」と声掛けしてやってください。
 

[469]るるりら[2016 04/25 17:28]
蛾兆さん。

正直いうと、死んだ子供ではなくて
死んだ人の視線のつもりも、入ってました。

ちょっと おもったのは、風の又三郎とか 星の王子様みたいに、もっと 話者がキャラとして異世界を感じさせらるまで生きて描写できると、詩というより童話の発想にまで、持っていくことができたのかもしれないです。
 

[467]るるりら[2016 04/25 11:37]
蛾兆ボルカさん 真摯に作品を読んでいただいて感謝しています。
私の「喰う寝るトコロに住むトコロ」は、三篇からなるオムニバス作品なのですが、読解を拝見して別の私の作品を 思い出しました。少年よ 【三篇からなる オムニバス】という作品です。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=278470&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25E5%25B0%2591%25E5%25B9%25B4%25E3%2582%2588

同じ少年をあつかった三篇のオムニバスなのですが、二つの作品を比べると
話者に血が通って感じられるのは、「少年よ」の方です。今回の作品は、話者は 誰なのかよく解らない感じに書きました。だから、
[466]で蛾兆ボルカさんが書いてくださっている設定の混乱が読者のおひとりに沸き起こったことは、私としては 書き手冥利に尽きます。(読者には、申し訳なかったのかも)

『僕は天空だよ 』というフレーズについても、私としては「僕は天空にいるよ」であり そして「僕イコール天空」なのです。北風と太陽という童話では、北風さんと 太陽さんが登場しますが、わたしの場合は天空を擬人化する発想をしてみようとしています。北風さんであり太陽さんである存在です。死者と感じる読者もいらっしゃると 良いなあと、おもいながら書きました。 
 つまり、すべての「喰う寝るトコロに住むトコロ」という場所に対峙できる大きさのモノを、擬人化したいと私としては、考えたのでした。

さの結果、少年よ 【三篇からなる オムニバス】の話者と比べると、今回の、私の「喰う寝るトコロに住むトコロ」の話者は いろんな意味で判然していません。前者は人であり、後者は擬人でしかも地に足がついてないです。

なんでこんなトライがしたくなったかと云うと、
>>391の投稿で「星とたんぽぽ」というのがあります。>>391は、「喰う寝るトコロに住むトコロ」の前に書いた詩です。 たんぽぽを実際に観察して【中空】を書きたいと思ったのがきっかけで
空の擬人化を思いつきました。
 全体的には、中空を書くぞの意気込みで私は書いてますので、マトリューシカだとおっしゃっていただいて嬉しかったです。

女イコール穴で怒らないです。だって、その通りです。「喰う寝るトコロに住むトコロ」の前作の>>391の中芯って、女(母)イコール穴の意味で書きました。男の子が穴を発見する、というのは、特にそこに通じやすいですよね。女の子には しなかったのは、そういうことです。
 
ふと、河合隼雄という人が「古事記神話における中空性」とかいって 
日本の神話の神々はいつも三人で構成されていて、二人はキャラクターが濃いのだけど、かならず 存在意味の解らない【無】を示すような神が居ることに 着目していたなあと。おもったのです。

イザナギから 生まれた天照(アマテラス)、月読(ツクヨミ)、須佐之男(スサノオ)。
アマテラスと スサノオにはたくさんあるけれど、月読(ツクヨミ)には 言い伝えもないのに、なぜかそんな神が居る。そんなかんだの理由で『僕は天空だよ 』という、お話を書いてみました。


「仮説1 子どもの認識した世界は単純、大人のは複雑」だと思います。そして
「仮説2 その逆」も正しい

「 仮説1 子どもの世界把握は大人より本質的、または深い」だから、神の話なんかなくても子供には解っていることがあるような気がします。
でも
「仮説2 その逆」も正しい。 でないと人間は学習する生き物であるのに、子どもが大人より優れているなんて絶望です。昔の人(つまり私たちにとっても大人に該当する人たち) が、ずっと
『僕は天空だよ 』と 語りかけてくれている気がして、それで 書いてみました。
書いてはみましたが、詩文としては、表現が閉じた。内容を殺し合っている仕上がりに なりました。

精進しようと 思えました。ほんとうに、ありがとうございます。
 

[463]澤あづさ[2016 04/23 19:17]
蛾兆さんへ。

早急のお返事ありがとうございます、比べて張本人のわたしの返信が遅れて申し訳ありません! 公開に問題ないとの許諾、本当にうれしいです!

それでもう自分の矜持とその他の概念の板挟みで、頭痛がするほど考えたのですが。おっしゃる通り投稿です、目的は選考への挑戦です。選考に挑むという趣旨の投稿に、他サイトにおける付帯事項をご精査くださいと言わんばかりの付記を添えるのは、おそらく盛大に筋違いだろうというところに、いま思い至りました。

それで蛾兆さんのご厚意に甘え、自分としては相当な思い切りですが、「文学極道へ投稿する版に限っては、蛾兆さんのお名前をクレジットしない。」という手段を採りたいと思います。

とは言え「詩中で自分が最も高い訴求性を見込んでいる部分(話題の詩形)が、人様の返詩の丸パクリだ。」という事実を隠蔽するのは、わたしの信条として表現者失格です。だのでその旨はむしろ、「得がたい交流を得たことの自慢」を趣旨として、ブログに書きたい所存です。

***

当該の丸パクリ詩形は、本当に、自力ではスペースひとつ改変することができませんでした。いまさらどう考えたところで「あの文脈の趣旨が、あの詩形を欠かしても読まれる」と見込むことができません。当の文章を書いた本人が、そのように確信したのだから、どうしようもありませんでした。

※上記は一見愚痴に見えるかもしれませんが、感動ですし自慢です。

***

それにしても、いま思い出しましたが、あの『箒木イヴ』という題名は、ボーカロイドの初音ミクとか鏡音リンとかのノリだったのでした。すなわちいわゆる中二病の極致、セカイ系の絶頂を駆け抜けるみたいな。

で、いま、ボカロってどうなんですかね(・∀・;) 三年も前の作なので、社会情勢との齟齬が最も心配だということに、いまさら気づきました。以上は四月にふさわしい残酷です。

そして五月がまいります。花水木の街路に木香薔薇の生垣、三色の藤そして大輪の牡丹。いよいよ春の絶頂ですね。(まあわたしの最も好きな花は、沈丁花と梅と蝋梅なんですが。)公園の皆様もよい詩をお書きください。
 

[462]ハァモニィベル[2016 04/22 23:26]

そろそろ四月も終わりです。
 (みなさんありがとうございました)

 

[460]澤あづさ[2016 04/22 20:11]
※いらっしゃいましたら、蛾兆ボルカさんへ。(重要)

http://mb2.jp/_doudoujou/1711.html-6
上の作品は三年前、拙作への蛾兆さんのお返詩を参考して制作したものですが、今月三十日にその改訂版を文学極道へ投稿したいと思っています。それに関係して、蛾兆さんに相談のうえお願いしなければならないことがあったと、いま思い出したのでまいりました。唐突な、それもおそろしくわがままな申し出で申し訳ありません。

上記作品には、「拙作の詩文を蛾兆さんに書き換えていただいた結果成立した、わたしの独創ではない詩形」が含まれます。投稿する予定の改訂版でも、その部分には、スペースひとつの改変も加えておりません。(本当は独創物として成立させるために改変したかったんだけれども、完璧すぎて改変しようがなかったというのが、実際の本音です。)

詩文自体はわたしの独創なので、著作権はわたしに帰属するだろうと考えますが、詩形の意匠権のようなもの(法律に詳しくないので、認識があいまいで申し訳ありません)は、もちろん蛾兆さんに帰属すると考えます。当該部分は、自分の見込みとしても、「詩文の内容より詩形の効果が重要」ですので、その重要な効果が自分の独創でないことを、表現者として沈黙するわけには行きません。

それで、相談の上お願いしたい事柄は、下記のことです。

「蛾兆さんのお名前を、なんらかの形でクレジットしさえすれば、当該作品を『澤あづさの著作物』として公開することが認められるか否か。認められる場合には、どのような形で蛾兆さんのお名前をクレジットすべきか。」

蛾兆さんの許諾を得られなかった場合、当該作品の投稿を中止しますが、その中止に関して蛾兆さんに一切の責任のないことを、念のためにここで明言します。また「蛾兆さんのクレジットなしに作品を公開する」ことは考えておりません。独創でない表現を独創と主張するのは、表現者としてあらざるべき無様と考えるからです。

作品のテーマ上、投稿日は「四月三十日」と決めておりますので、ご覧でしたら四月三十日までに、上記の相談にお返事をいただきたく思います。重ねて、唐突なわがままで申し訳ありません。公園の皆様、流れをぶったぎり通りすがり失礼しました。
 

[458]るるりら[2016 04/22 09:08]
おはようございます 蛾兆さん

雑巾は、すてきな詩ですね。

汚れて なにかを綺麗にして生きてゆくことが
わたしにもできると良いです。
ちいさなことからはじめてみようと思い
あれから おもわず 家にある雑巾を洗いなおしました。
 

[456]るるりら[2016 04/21 13:14]
渚鳥さんは、猫っぽいですね。

いつでもきてね。渚鳥さんに この詩を贈ります。
**************
 『もうすんだとすれば』

 もうすんだとすれば これからなのだ
 あんらくなことが 苦しいのだ
 暗いからこそ 明るいのだ
 なんにも無いから すべてが有るのだ
 見ているのは 見ていないのだ
 分かっているのは 分かっていないのだ
 押されているので 押しているのだ
 落ちていきながら 昇っていくのだ
 遅れすぎて 進んでいるのだ

 一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ
 やかましいから 静かなのだ
 黙っている方が しゃべっているのだ
 笑っているだけ 泣いているのだ
 ほめていたら けなしているのだ
 うそつきは まあ正直者だ
 おくびょう者ほど 勇ましいのだ
 利口にかぎって バカなのだ
 生まれてくることは 死んでいくことだ
 なんでもないことが 大変なことなのだ

              <まど・みちお>


突然ですが、 まど・みちおさんの詩で
こころを ゼロにさせていただいたので
ここに報告します。前に、わたしは まどさんのぞうさんで
詩を詩ともしらずに 育てられていたことをお話しましたが
また 育てられている気がするのです。なので、みなさんにも照会させていただきます。
 

[455]るるりら[2016 04/21 10:30]
先日、ハァモニーベルさんが まどさんの素晴らしい「 消しゴム 」の詩を、雑巾にかえても成り立つという 主婦が聞いたら生活に張りがでるような お話がありましたが、
ネットの実態は、醜いです。消しゴム⇔雑巾どころではないです。
 
 先日から、私は まどみちおさんの 消ゴムを 先日からなんどか検索にかけて味わっていましたすると、どうも大人じゃあなさそうな上手とは言えない文字でつづられた「 消しゴム 」が出てくるので、なんだろうかと首を傾げていたのですが、その画像は小学生が 鉛筆で模写したものでした。そして、それを見たネット内の一部の人々は あの まどさんの「消しゴム」という作品を 小学生の作品と思った人がいるようです。

いやー。これは消しゴムで消すべき事態だなあと思いました。。

ネットという媒体って ほんとコミュニケーション革命ですよね。すごいことです。あっという間に 情報のきれはしだけが流通するのです。そして、
まどさんの作品が 小学生の凄い子が書いたことに なってしまう。

ネットというものは一事が万事でしょうから、ネットだけをながめていたのでは 現実と乖離するばかりです。ネットというものは あたかもリアルな情報のように思わせる即時性があるし、おそろしいことだと思います。

このような環境におかれている こどもたちの心は、そして私たちの心は どんなものだろうかと 思いました。こどもたちが集団でいるところ良く見るのですが、ゲームをよくしています。私も携帯ゲームも好きです。人を殺す物語とかは仮想空間では普通です。しかしフィクションが成立するためには 作家による背景描写というお膳だてが とっても大切で、作家の名前や題名を踏まえることで わたしたちはリアルとリアルでないことの境を やっと持っているのだと思います。

まどさんの文が小学生と誤解されてネット内でうわさされていた件を通して、こんな世の中だからこそ 文がどのような背後で掲示されたものかを わたしたちはとても注意するべきだと思いました。
 

[454]るるりら[2016 04/21 00:40]
まどみちおさんの ことり
も、好きです。

では、おやすみなさいませ
 

[453]ハァモニィベル[2016 04/20 23:51]
蛾兆さん

おお。 まどみちおに『ぞうきん』という詩もあったんですね。
私の方がありがとう、という感じです。
また、違う視点(存在する位置の移動)で捉えられてますね

渚さん ケバブ御馳走様でした。
 

[450]ハァモニィベル[2016 04/20 21:15]
渚さん 

私の話を受けてくれてありがとう。
(女性同士)の大変さ、はまた一大テーマですね。それに私の異見を加えると、相手がクリンチばかりしてくるボクサーだと困るということがありますね。勝てる見込みがない場合の姑息な戦法として姑息な人間がよくやります。私は剣道家なので、執拗に鍔ぜり合いをして引き技をねらうゲスがそういうタイプです。恥知らずな輩で、少なくとも武士道はない人達です。

蛾兆さん

 『悪童日記』論を提出してもらったので、私からもコメントできます感謝。『グレートギャッツビー』と並べて出されたので、そうすると、「理想」のような「何か」は、
 私の言葉で敢えて言ってみれば、《ぞうきんの夢》です。

 まどみちおの「消しゴム」という詩が私は好きですが、あれを読んで
わたしは、ぞうきんに置き換え変えてもあれは成り立つと思いました。
そんな、《雑巾の夢》です。

 こんな風に書くとすぐ、この詩情をパクって詩を書く二流の輩がいるんでしょうが、じつに姑息な限りで、私の軽蔑リストに載ることになるでしょう。

 きちんと相手の発言を受けて、オリジナルの見解が出せる人は、そういう心配は少ないので、愉しく会話できると思います。

 お二人の「意見」に触発されて、私も同じ話題について自分の意見を述べました。一言余計なところは図星でないことを祈りつつ。


 
 
 

[448]るるりら[2016 04/20 18:52]
●渚鳥さん 貴重な気づきをありがとう。
対話って常に 想像力が ためされますね。
可能かどうかは べつとして、もしも想定外の反応があったとして、それがクリアできたら
そのときは ワンランクアップの瞬間かもしれないです。


●人生デザイン。をお、クリエイティブな発言ですね。蛾兆さん、ありがとうございます。
人生デザインと云う意味での読書は 魅力的ですね。『悪童日記』も良さそうだと思えました。
私もクリエイティブの師として、アンネの日記をあげます。悲惨な話としてではなくて 私は アンネの日記を子供のときに味わいました。あれから 架空の親友にあてて手紙を書くという形式の日記を書いていました。創作の楽しみを教えてくれたのは アンネです。

『悪童日記』を読んでいない私なのですが どうもみなさんの話をきいていると
私は 読書量に おおきな問題があるようです。大抵の場合は、読んでないことが おおくて。どうも すみません。でも、賢い人ばかりだと それはそれで大変だと思うので ゆるしてください。。『悪童日記』って 双子の話みたいですね。ごく最近 アンネフランクの義理の妹さんのでドキュメント番組をみました。重層的に物事を伺えてよかったです。

先日 私は、「個性的でありたいと私は考えたことがない」なんて言いましたが、そう云いつつも私が
時代背景などについて反応しがちなのは、私の行動の様々な判断は
境遇に起因しているのであろうと思っているからです。そうでなくて
年号に反応しすぎたのは、私の個性かもしれないです。

だって 【はだしのゲン】は わたしの御近所のおっちゃんおばちゃんにも ふりかかったリアルですよ。私の近所のおっちゃんおばちゃんは どう人生をデザインしてきたかという話と 近いです。

私が ある会社に勤めていたとき、勤め先の敷地内に、元小学校があったと記す碑がありました。それに気が付いた時は休憩時間でしたが、その碑の前で 涙がとまらなくなったことがあります。この位置に小学校があったなら ゼンメツだなと 解ったからです。年号と場所は大きくものをとらえるとき はずせないです。
実体験にしろ こどものころの読書経験も、自分をデザインするのに役立ちますよね。
わたしの読書量には問題がありますが、私の見識を みなさんでデザインしてほしいです。
 

[443]るるりら[2016 04/20 11:51]
蛾兆さんようこそ

作品への感想をのちほど書かせていただきたいです。
歓迎のしるしに
このコーナーに既に投稿していた作品と
蛾兆さんの作品をきっかけに書いた私の拙作品を
http://mb2.jp/_ska/2949.html
改編したものを 今、投稿しました。題名は「喰う寝るトコロに住むトコロ」です♪
 

[441]るるりら[2016 04/19 21:22]
自分に様をつけちゃてます。まちがえましたあ。あちやー。
 

[440]るるりら[2016 04/19 21:02]
わかりました。私自身には、歴史的に子供を想像しようとすることは、意味のあることなので、お礼を言いました。お疲れのようなので、以後は自習で過去のこどもについて、調べてみます。
それは私自身様には役に立つと思います。だって、私は昔、子供だったんですよ。
過去を知れば、今が見えるはずです。しかし、
個性的でありたいとおもったことがないので、普通に詩作して、普通に自習します。ベルさんにお礼がいえてよかったです。その時期の3つの発見のことを ゆっくり紐解いてみます。お邪魔しました。

ザリガニかあ。なんの、おもいでもないなー。
 

[439]ハァモニィベル[2016 04/19 18:40]
本質とあまり関係のない
表面を撫でて触り合うだけの会話

わたしの場合、そういうのは疲れるだけです。

何かの本質に触れ、それなりに深い会話を求めます
そのためには、話者の片側だけがそうしても続かない
ということです。

るるりらさんが言う
>1960年代のこどもの概念のお話

というのがすでに大分ズレているので
ちょっと白けます。

60年代ということに何か意味を持たせて提議はしていません。
そのとき、3つの深層的人間の発見があった、というだけのことです。
自分自身のオリジナルの感性がなくて、どうして、
歴史や社会的な知識を考察して意味がありますか(詩に関するこの場で)。

皆さんそれぞれのユニークな視点を出してもらったら、
わたしも、私の視点について述べることができるのに残念だということです。

まあ、公園の主人が、カレーの詩を書かせておいて、
自分は知らんぷりですから、
皆さんもザリガニの詩を書いたほうがいいのかも知れませんよ。
 

[437]るるりら[2016 04/19 15:31]
●渚鳥さん
推薦図書は、ネットでよめるのですね。すごいなあ。でも私には どこにあるのか解りませんでした。
でも ざっくりはあらすじは解りました。よさそうですねー。

●ベルさんへ
わたしは どうも1960年代のこどもの概念のお話が気になってます。 1960年ということは
その時に生まれた人は 現在 五十代のはず。半世紀で子供の概念は どう違うの?ってことが きに なってきたのです。

それで昨日は、キムバートン監督作品「ビッグアイズ」という実話をもとにした映画を レンタルしてきました。一世を風靡した目の大きな子どもの絵ばかり描いてきた実在した女性がモデルの話です。
当時は こどもと存在の認識があらたまった時期だったと同時に、女性の地位も 変化していた時代だった実例をモチーフにした映画だと思いました。1960年代の世相って興味深いです。

日本での子どもの認識が法的に明確にされたのは その十年前の1951年5月5日に制定された児童憲章。
日本で児童福祉法が制定されたのは1947年。それまでは、児童の健全な成長を害する事件はそれが是正される法律すらなかったようです。
これより前のこどもを想うなら とうぜん戦前戦中戦後のこどもとの対比のなります。そりぁ子どもをとりまく環境は違うに きまっているのですが、

童話を読むとき そのお話が製作された年代を踏まえて読むのに、1960年という年号を頭に置くと、読み方が深まるような気がして ありがたい知識を得たと思っています。

●カイトさんへ
たぶんカレーを 食べたんだろうなあ。いいよね。カレーって
 

[435]るるりら[2016 04/18 11:33]
[415]渚鳥さんの企画

]お題目
”ケバブ”
”ウリム”
”剣”で詩を書く


  【露天ブース ブルース】



けばぶけばぶ ししかばぶー
きんきら やいばで 削ぎ落とせ
火の子があがる煙の匂い

目を閉じれば
夕暮れに走る幌馬車隊
目を開ければ
火傷を気にする大男

ぎんぎら アルミにウリムに包まれた
肉汁のおどる たなこごろ

知らない大地の知らないメランコリア
削ぎ落とされて喰われて消える
けばぶけばぶ ししかばぶー
 

[434]るるりら[2016 04/18 10:09]
題名は【かれこれのカレー】です。

卒業式の練習の日
あいつが嬉しそうな顔をして
指さしたのは 
体育館の柱の下のほう

「みてみて...」の指先のさきに何か
文字が掘られていた

【夕暮れ時の平和台 あっちは焼き肉 こっちはカレー】

それは、授業の課題に提出した私の句のようなもの
あんなに馬鹿みたいに 笑われたあげくに刻印された私の句
のような 句でないような
かれこれいくとしの永遠のカレーの匂いが

春になると
母校の周辺に ただよってくる あれは、
ヤツの掘った文字のせいだ
 

[433]たこすけ[2016 04/17 11:22]
おおっ!!煮えにえ、グツグツしておりますなぁ。
よし、こーゆーときはカレーの詩をかこうぜ。
ついでに、今日の夕飯はカレーだ!!
みんなもカレー食え!!

絶賛土日出勤中で、ゲロ吐きそうだけど、ふふふ。
うっすら、見えてきたぜ。
みんながどんなこどもだったのか。
どんな、三つ子の魂だったのか。アッハハ!!
いやいや、参加率悪くてすまんねー!!


べるたんもうちょいキャッキャ、ウフフするために、
とろん、としてみてよ。
とろーん。分かる?ヒヒヒ。

おおよそ、俗世の話し合いなわけです。
メールの速度の返信ではなく、
手紙の書く速度で、待ち時間を楽しめ!!


ふふふ。待ちくたびれてしまったか?
でも、まだ、4月終わってないからね。
べるたんはフェラーリのエンジンさ。
俺は軽トラのエンジン。

ついでに、べるたんは高速道路。
俺は一般道。

レースをしたら、離れるだけだから、
たまには並走してくれ。

アッハハ!!



明日はやすみだー!!
よーやく、ちとよめるよ。

てな感じなわけです。
 

[432]るるりら[2016 04/17 07:29]
おはようございます。おかげさまで
わたしのなかの大人と子供の部分が
明確に、いい具合に、あやふやに
なりました。窓の外は お天気雨。

この詩ヌマデの公園の冒頭文章も
冴えざえとしております。
参加者の皆さんの 脇腹をこしょこしょしたくなり、やり残しの宿題の言葉全部をラップか、ポケモンモンスター数え唄の替え歌にしてしまいたい衝動にかられます。ここは、ひとつ、カイトにガッハハと 笑って欲しい。欲しい欲しい。デスル言葉すら欲しいとなく涙だって、お天気雨の中の花のようなものです。雨が飴となり メルモちゃんのように、自在になれるための 洗礼をありがとうございます。笑うところですyo
 

[431]ハァモニィベル[2016 04/16 14:33]
渚鳥さんへ

 作品の紹介ありがとう。どれも繊細な作品ですね。とくにクラバートは良いですね。
 私からは「わがままな大男」(オスカー・ワイルド)を挙げましょう。

 渚さんの投稿作品は、私に、ある傾向の水準を伝えてくれるので貴重です。私がなぜ詩誌に投稿しないか(意志的に投稿しないのではなく、何となくしようと思わない)その自分の失われた(かくされた)記憶に気づきます。

皆さんへ

 今回、わたしは、『主体をこども目線にする創作上の意義』について、
 事例を挙げながら自身の小論を展開する準備が整ったところでしたが、
 それは私が名のある物書きになった(なれた)ら、まとめて別の場所に発表することにします。
 ここだと、私が論じたい内容にいきつくまでが大変そうなので、遠慮することにしました。

 さて、子ども時代のエピソードにチラリと触れて頂きましたので、わたしも思い出したことを一つ。

 子供の頃、キャッチボールをよくしました。そのとき、相手がこちらのボールを取れないと、相手は後ろまでボールを拾いにいかねばなりません。場合によっては、道路の向こうや、小川や溝があればその中まで。
 一方、相手の返球が暴投だと、今度はこちらが後ろまでいちいち取りに行かねばならない。そんなわけで、キャッチボールを愉しく遊ぶためには、双方のコントロールや緩急が適切な範囲を超えない者同士でないと、なかなか面白くやりつづけることは難しい。そんな忘れていた記憶が蘇りました。
 
 渚さん紹介の作品について語るなど、話題を転じて、雑談にし、あとはカイトにおまかせします。

ありがとうございました。


# 渚さんまたプチ企画お願いしますね。


 
 

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