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(まだ、私も含めて作品の構想がないと思いますので、いろいろ投げておく方がよいでしょう。何となくざっくりしたものを最初は出しておきますね。思いついたらまたレスします。) (本日夜、これしか出てないときは、これだけが確定します。ご注意) ★本日中は、この【舞台/人間関係】設定は、どんどん投げ込んで構いません。 ★★【創作ルール確認】 一、確定した語群32個のうち30個をすべて作品中に盛り込むこと。 一、確定した【舞台】の中から最低1個を作品中に盛り込むこと。 一、【舞台】は、【人間関係】でもよい。 一、必ず一本目は、幻想詩とする。二本目からジャンルフリー(複数投稿可) 一、本日(4月5日)夜12時に語群と設定は確定する。翌日より創作スタート。(13日締切) * by ハァモニィベル 参照先不明 >読解パーティー って何? >べるたん、感想と批評について >君の違いはどこにある? 簡単だよ。ごんぎつねを撃つのが感想で、ごんぎつねだと洞察するのが批評だよ。 この自分の洞察に自信がない輩が、批評という銃器を弄る真似事をすると、暴発まがいの暴言を吐くんだろーな。 どこかの「読解パーティー」なんて聞くと、 きっと、むかしの子どもが正月にやった、《福笑い》のようなものだろうと、 俺が予測批評したりするのはマズイかな? それにしても、 変だな メビのときより、俺はカイトの姿を見ないぞ。 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ● ベルさんへ 深層的人間ってなんでしょう? ベルさんの企画でテーマがエトワールで、題を掲示してから詩を書くというのがありましたが、 そのうちのひとつに、ハァモニィベルさんの『深層放射路』というのが有りました。 「深層」って言葉がお好きなのかなあ。情報には二通りあって デジタルと アナログが有ると思うんです。 ウィキでパソパソとパソコンでデジタルな情報を集めるのは簡単なことで 「1960年」「深層的人間」で下記のようなことがあがってきました。これらをアナログになおさないと知識には ならないので、深層的人間ってなんなのか 教えてほしいです。 フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』(1960年)、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%80%89%E3%81%AE%E8%AA%95%E7%94%9F ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』(1961年)、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%82%E6%B0%97%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 by るるりら 参照先不明 「星とたんぽぽ」 ねぇエトワール 見て御覧 中芯は 中空に在るよ 精一杯 背伸びする風の最果て つかめぬものを つかもうする指先 いちめんに咲く たんぽほのロゼットが地面をつかむ すべてのこどもだちが 飛べる空は まっすぐだ 天空だよ 嗚呼エトワール いつだって見ているよ 君が示しているのは あの空だね 雨の日も 心の中で見ていたよ 放射状にまとわりついている こどもたちの行く末を どの子もいとし子だ どの子も 中空に居てくれた 背筋を伸ばして まっすぐに立つよ 空が晴れたら きっと 子らは 旅立つ 子どもたちよ どうぞ思い出しておくれ きみらはみんな 中空に居た 光の一切さしこまぬ場所に行こうとも 思い出すことが辛くとも 思い出しておくれ 選ばれた晴れの日の今、君は 空に舞い上がる psハァモニィベルさんへ お誕生日おめでとうございます。 ハァモニィベルさんの一年が幸と稔の多い一年でありますように祈ります。 尚、 書きこみ量制限オーバーのため 過去の書き込み欄を訂正した形で、こちらに詩を置きました by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 渚さん さっそくプチ企画ありがとう。 >これらからイメージするもの だから、むしろそれらの語を繰り込まない方がオシャレでしょうね。 いま、冷蔵庫が空なので餓死しない内に食料をGETしに行ってきます。 食事と買い物をしながらあれやこれやイメージしてみます。ではまた。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 # 蛾兆さんの『1時間目、理科』について 読んだ感じでは、1時間目というより「五時間目」という感じなのは、 次の点が、構成上疑問だからです。 >説明する、とは何ですか とあり、結局 >では説明とは何か、宿題にします とあり、そして、 提出されたレポートが >〔○○」の説明 となっているのは、何なのだろう。という疑問です。 説明とは何か(という質問に)―→○○についての説明(で答える) という作りでしたが、 ここには、 私としては、(説明についての説明)と来るか、 あるいは、(ベンチの説明=ベンチが語る説明についての説明) というようになってないと、しっくりこないわけでした。 この点は、明らかに、ベンチ以下項目についての説明になっています。 この構成上の捩れを、説明する必要のある作品かも知れません。 * # 作中の趣向については、マグネシウムについて述べたように好印象なのはいうまでもありません。 by ハァモニィベル >>535 渚さん 私のコメントは私の考えや印象を表明してるだけのことに過ぎないから 気にしないでね。ピンと来なければ、無視してください。 例えば下のようなコメントね まあ、おっしゃるように 単純な羅列ではなく、思いや意味があるんだろーなと感じたので そこは詩があるわけだから、むしろ、そこを丁寧に詩にするか、 まったく隠した表現にするほうが、作品を壊さないかな、と私的には感じた。 といったことなど、コメントに凹むことはないし、凹む人は面倒だよね。 渚さんの「詩歴が浅」いって言葉に傷つく、詩歴が長いヘタな人もいるんじゃないかな。だから、そこまで気にしてたら、こっちがヘタになっちゃう気がするな、(私はね)。 こう言うのは、私が自分をウマイと自惚れてるわけじゃないよ。 凹んだり自惚れたりする人ってのは、 他者の言葉を、他者の意味で理解できない人だから。 ま、これも、私の言葉を私の意味で理解して欲しいけどね。 私の勝手な意見に 傷つく場合は、るるりらさんみたいに、コメントを拒絶してくれれば 問題起こらないよ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>540 蛾兆さんへ(追記です) 「より」で、レポートの一部から抜粋 というニュアンスを読み取ることができましたが、 散文詩であって、なおかつ、「説明とは」という主題を 作品の中で含んでしまったので、 その(一部より)だけだと、(曖昧な詩の場合と違って) 捻れ感を払拭するには弱い、というのが私の読んだ感触でした。 先生の設定如何で、スムーズな流れの作品になるかもしれません(賢治にするとか) 蛾兆さんのニュアンスを活かすなら、タイトルは、「一時間目、理科」 より、「理科、一時間目」のが雰囲気が増すように思いました。 * by ハァモニィベル # 黒髪さん、渚鳥さん 参加ありがとうございます。 黒髪さんの四行の印象: 一行目は、対象感覚が率直なときの表現で疑問もあるが良い 二行目は、そのまま分析的な表現のみなので紋切りな感じ 三行目が、黒髪節という感じの表現。もう少し詩にしたい所。 四行目。「不安」という言葉が安易に使われているのが残念。 *「不安」は黒髪さんのキーワードというべき詩情だが、いつも、 単にこの語で処理してしまっている印象があります。 渚鳥さんの四行: 「みんな」という語から、例示される「ひと」たちが 明るい人がいないので、嫌味と取られてしまうかもよ。(取り込もうとして疎外される) 《みんな》という語でくくられた世界観の中でどういうマッピングなのか この作品だと疑問を感じてしまうわけ。 ―→笑ってない皆んな、さあ笑おうよ (なら解るけどね)*ツマンナイけど。 むしろ、渚さんが書いた四行をコンセプトに、読者が自然とそうなるような 作品を書いてこそ詩人だと思うな(僕はね)。 ああ、二人に毒があるから、つられて僕までこんなの書いちゃうよ。 ダメだよ。もっと心のこもった作品を書かなきゃ。 * :べるの四行詩(2): 「迷宮入事件」 詩の、死亡推定時刻に、 あなたは、いったい何をしていましたか? 偶像崇拝?異端審問? えっ、罪の無い作文を書いてた? みんなやってるだって?笑わせちゃ困るよ。 * by ハァモニィベル # 黒髪さんへ >指定する必要 それは、ミステリの謎のようなもので、探偵だけに解るもの ということでも別にいいのです。ここで言っている死んだ詩に該当する ものを全人類が書いちゃいけないと言ってるわけでもないですしね。 どうやら改題というのを言い訳だと誤解する阿呆もいるようなんで ここでは、二重の含意ということには触れずに、 私の四行詩(2)では、黒髪さんが仰言るような「指定」は不要だと私の感覚では 思っている、とだけ伝えておきます。《死んだ詩》、《詩を殺すもの》というのは、文脈から推定可能だから、です。 偶像崇拝者が書くようなもの、異端審問する側が書くようなもの、ただの作文、といった文脈の限定の中で。 少なくとも、中島らもの作品は、生きてる詩、つまり詩でしょうね。 詩がいきるかしぬかは、個人のレベルでもあるし、 「文学の終焉」というのと同じ次元で国や時代レベルでの「詩の死」というものが あるのではありませんか。そこは読者の語感や認識にお任せします。 * by ハァモニィベル >>563ハァモニィベルさんへ そうか、生きている詩と死んでいる詩という批判精神をユーモラスに語った作品なんで しょうね。面白いなあと、思いました。初読で僕は、詩全体が死んでしまったよと書いて あるのかなあと思ったので、範囲を限定、規定して ほしいという気持ちになったので、「指定」をしてほしいと言いました。 でも、死んだ詩にならないように、不断の前進と、批判から学ぶことなくしては、おまぬけさんになって しまうということを、わかったような気がします。面白い詩だと思いました。 詩を殺すことは、自分を殺すことなんでしょうか。そうすると、自分を 殺そうとする者は、必然的に詩も殺しますから、精神の死の緩慢な 停止において、死と詩が相即であることになった場合には、そのentanglement を解きほぐすなら、最強の力を手に入れられます。そのようにして、詩人は 自らに課せられた重荷を、おろしてほっとできる。 もちろんそのようなことが、あらゆるレベルにおいて成立しているのだ という分別はしなくてはなりませんが、本当に死に近い人を、 救いたいと思うならば、自らが生きていないと、そういう行動をとったり、 発言したりすることが、不可能です。そのことが、ますます 我々に必要だということが、近年、明らかになってきています。 なぜある詩は死んだようなのか、書いた人はなぜ死を作り続けるのか、 と言った視点は、広く当てはまる見方でしょうし、詩の中で生き生きと した生命を、与え続けるということは、すなわちそれで良い詩、意味ある 詩です。そしてそれこそは心の問題です。探偵のように、心と詩を解読 するとしたら、それは一人の生きている人間として、人が人らしく あるための、願い続けてきた祈りの果てにある、現在と言うものが 心なぶること、生命の慰撫であると思います。 へたりこんでいないで、自分で立ち上がらなければならないとは、僕自身 にとっての、鼓舞です。死んでいてはだめだ、感覚器の助けもある、 そうした決意がもたらされた、ということこそ、この詩から僕なりに 導き出した、人から人への美しさです。 by 黒髪 渚さん 最近楽しかったことは何ですか? by ハァモニィベル 537のリンクがあり、そこには 私の名前もあるので、ひとことだけ。 わたしには、ベルさんを 拒絶する気持ちは、ありません。あのときのゲームルールの改定をお願いしただけです。一文ごとに点数の査定するゲームルールを 改定していただきたかっただけです。 by るるりら 参照先不明 # @プチ企画@【自動筆記】 :条件: (以下の語句群から、スタートに使用する語句を選んで書き出して下さい。(変更可) そのあとの展開は自動筆記で勢いにまかせて自由連想で書きます。 本スレの扉が430文字なので、だいたいそのくらいの字数の目安で。 尚、 推敲はとくに禁止しません。誤字を修正するしないも任意です。) <語群> 川が流れている / 半魚人の鱗だった / 車窓から見えたのは 瞳に爪が突き刺さったまま目が覚めた / 傘がどうしても開かない /「パンorライス?」 / 扇風機が探してるのは ※以上は変型しても構いませんし、 ご自身作成の語句をここに追加していただいてもOKです。 ~自由参加です~ * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * カイトは、寺山修司のことばから、このスレの題を引いた とかつて言っていたようにおもいますが、 寺山に『さらばハイセイコー』という詩がありますね。 わたしは、キャッチボールを例に苦言を呈しましたが、 想像力の届く距離が短すぎるひとにはいまも唖然とするばかりです。 また、 スローボールのやりとりばかり見せられるのも、 飽き飽きするだろうな、と観衆の気持ちもつい「想像」してしまう。 ボードレールの言った「詩人の特権」ということを 考えたほうがいいでしょう。 >詩人は、思いのままに自分自身でもあり他者であることができるという、この比類なき特権を享受している・・・ わたしが出したキャッチボールが出来るできないという比喩は、そんなに軽いものではありませんよ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 沈黙する詩行参加 「沈黙の判断」 沈黙には嘘なものとそうでないものがある。沈黙の中では、人は自らのみの思考をするのであり、意見表明のためにと 一生懸命に、励む。分かるか、虎よ。人の畏れは、力強いものなのだぞ。 心の中の言葉を隠し通す沈黙は嘘の沈黙であり、心の中に言うべき言葉が見つからない場合のことを嘘でない沈黙と言うだろう。 いつだってなんにだって、嘘つきは力があり、正直者は騙される。 そしてその区別が大事であるのは、嘘と正直が、混乱しているからなのだ。ある場合は嘘は効力があり、正直は力がない。 襲い襲われる時、沈黙が大きくかかわる。行動に移すことは、電光石火であったりもする。居合いだ。 意味のある沈黙は全て嘘である。沈黙するときにだけ嘘つきは輝き出し、沈黙するときにだけ正直者は失敗する。 つまり沈黙とは世界の転換である。沈黙を尊び、他人に話さない。なぜ話さないのか?それは、嘘つきが内省の中で自己を改め、 正直者が自らの限界を知り越えようとするということなのだからだ。お互いを受け入れないときにそうなる。嘘つきと正直者が、 一つの物事に一緒に取り組もうとしたとき、嘘つきは全くきれいな正直者を見て、正直者は羽目を外すことが嘘のないことを知る。 つまり嘘つきにとっては沈黙ほど大きな修業はなく、正直者には、沈黙はただの当り前なことだ。 正直者にとっては、新しい世界を夢見て、それを知っている嘘つきに習うことが出来て、嘘つきはやすやすとつける嘘のことを知る。 ここで言う嘘つきの嘘は、人をだますための嘘ではない。むしろ自分を──。 沈黙は全ての人に問うている。嘘を話さず、正直な言葉を探ることを。 嘘や正直と言った心のあり方に、それら二つの心の働きに、敏感であることだ。贖罪も懺悔も、沈黙の中心部から、 周りを温めるようにして、穏やかさを泣かせていくだろう。 心と現象は、お互いを必要としている。嘘と正直はちょっとしたいきさつの故のものである。 代理人の責は重く、皆で分担せねばならない。そして、僕は僕の中の嘘を、どこかへ向けて、寧ろ自分に向けて、 輝きの中に放り込みたい。すると誰かを喜ばせられるだろうか。僕は偽善者として嘘ばかり抱えてきた。 嘘を言わざるを得ないことが、僕の正直であり、他人の癇に障る憎しみの否定が、知り合った多くの人が指摘したところから、 許されざる行動への誘惑を断ち切らねばならない、僕の懺悔である。 悲しいということは、嬉しいということが乗り越えなければならないことだ。 怒りということは、現実と心情の両方に関わり、多くの怒りは自分だけの気持ちでなく、希望への祈りを含んでいる。許せないとして。 許すと許せないがお互いに顔を合わせたとき、きっと沈黙の後に何かが輝き出して、本当の気持ちがわかるだろう。 ねえ、聞いていてよ、沈黙した正直者のあなた。僕はあなたの徳をうらやましく思うけど、あなたの心が広いから──とてつもなく ──荷物を背負ってみるよ。少しでも力がついたから、少しでも知ったから。批判は当たっているようだったんだ。 そう、せめて、あなたのことを忘れない。 僕の身体の細胞も、頭の働きも、みんなあつかましいものかもしれない。 詩が正直者のためにあり、しかもその詩が嘘でできているなら、僕は詩と相性がいい。 詩が嘘つきのためにあり、しかもその詩が正直でできているなら、あらゆる子供が詩の天才であるだろう。詩は僕と子供のためにある。 この通りに全ての詩が見つめている目は悲しそうだったり嬉しそうだったりする。透明な瞳。 あつかましさを持ってもう三十数年が過ぎた。 ふてぶてしく生きていくのだと思った子供のころのことを、今なぜか思い出す。一粒の米くらいの希望を、心の中に持っている。 きっといつか、きっと誰かが、この短い生の中で、否定ばかりしないだろう。僕にとっての全ての幻を、 完全な形で僕自身が理解できるだろう。 夕方、影が差している。僕はそれを見る。それは僕の一部だ、決してまやかしなどではない。結局のところ、倫理的であるという ことは、個人によって違う意味のものなのである。倒れて砂を噛んだら、また自分の沈黙の中で、耳鳴りの中で思考するのだ。 立ち上がれ汝、虎である汝。 by 黒髪 参照先不明 参照先不明 沈黙する詩行をどう書こうかなあと いろいろ考えて食べるときの沈黙という発想を 思いつきました。 «姫たちのお茶会»嚥下の巻 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=318979&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0 by るるりら 参照先不明 >>700石村 利勝さんの「かへる」 つい草野心平を想いましたが、我が家のまわりの田んぼは 水を張ったばかりです。 もうすこしすると うるさいほどなくのですが、 耳をそばだてる 静かな やさしみのような心を頂きました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 【蛾兆ボルカさんへ】 プチ企画 わたしにとって とても実りあるものでした。雷鳥みたいな鳥が 五芒星を描いて 人間を威嚇してくるだなんて 凄いですね。わたしは、自宅の玄関先で なにか猛禽類が鳩を捕獲するのをみて以来、鳥に心を奪われています。鳥瞰されているという実感って、モノの見方のひとつとして 人が持っていると良い物の見方ですよね。それで さまざまな詩に触れたいという原動力に私の場合は なっているのかも。 あと、私の質問のコメントに誤変換がありました。「立山」の詩は「立山」という場所の詩ですか?なのに「館山」にしてしまってました。ごめんなさい。 それはそうと、五月はプチ企画、私にとって実になりました。一日は すぎたけど、私の詩に いただいたコメントに対するお礼を ちゃんとは 言ってないので書かせてくださいね。 「姫たちのお茶会 下」についてなのですが。 石村さんが気にいってくださった。下記の箇所は、蛾兆さんの詩文の影響があります。 「影の縁には複数の色が滲んでいて」蛾兆さんの詩作品「五月下旬の葉色について」に書かれていることは ほんとそうだと思います。ついでにいうと この時期、森の中で咲く花は、白い花がおおいです。それにしても「緑」って みどりって読みますけど、「えん」とも読みますよね。 人間の関係をしめす語を 新緑の気持ち良い時期に 共有させていただきたかった、そんな気持ちで書きました。 蛾兆ボルカさんが、>>709で 「沈黙を纏うと、それらの意味が変わることが意識されてるのかもなあ、と、僕は思いました。 あるいは、意味の洋服を脱がされて、存在や行為そのものが裸で現れる、みたいな」 と 言ってくださってくるのですが、まさしく そんなことが書きたかったのです。だから、レスが零だと もう ほんと 恥ずかしかった。やらかした。と思って ちょっとだけ へこんでました。 ろうあ者の方が登場する映画のお話、興味深かったです。字幕も音楽もないだなんて、どういうことでしよう。なんという沈黙映画でしょうか?すごすぎます。 「シェークスピアの『ロミオとジュリエット』でも、相手が死んでると思うからこそ、あるいは不在だと思うからこそ、沈黙する恋人と語らう名台詞が飛び出します。 青春ってのは、いくぶんかは沈黙でできてるのかもね。」by蛾兆さん。 をお 金の言葉いただきました。【 青春ってのは、いくぶんかは沈黙でできてるのかもね。】 薔薇の瓶詰に入れて 持ち運ぼうと思います。宝にします。 今日から、私が沈黙するとき、私は 青春なんです。そういうことで、よろしく おねがいします。 【石村 利勝さんへ】 最後の連に対して 「すごいなあ、こりゃ。」と思ってくださって、嬉しいです。 自分でジャッジなんてできないので、詩人の勝ちだと言っていただいて、安心しました。 表の掲示板では どなたもなにもおっしゃらないものですから 読み手を 屈従の沈黙にしてしまったなー。と、思ってました。 アメリカからのご参加とても嬉しいです。どこかで方言を書いておられましたが、ご出身は西日本の方のような気がしています。わたしは 広島です。あらためまして こらからも よろしくお願いします。このたびは おかげでとても楽しい時間になりました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 石村 利勝さんへ 立原道造のパスティーシュ作品を 拝読いたしました。 わたしの場合は、立原道造の良き読者といえるほどには 彼の作品群を 読み込んではいないので、投稿させた作品が もと立原道造の詩集の中に あの作品があったら どのように感じるかについては、わたしには判断のしようがありません。 ただ、実は わたしも 立原道造の影響を受けて書いた作品があります。わたしのは、 パスティーシュとは言えない 立原道造オリジナルにあるような喪失の陰影をひっそりと感じさせるような詩とは 全くの別物となっております。 類似させている点は、ソネット形式であることくらいですが、照会させていただきます。 *********** 【飛行模型】 露草の花は ひかりをうけて翼のようだから おだやかな 面もちで 飛び石を踏み外さないように歩く 縁側で 竹ひごが 飛行機雲のように しなやかにのびている そのなかでも 軽量に飛行荷重に耐えられる強度の竹ひごを 選ぶ 細い腕からは もっとも うつくしい雫のような円が現われ もっとも うつくしい直角から、シンメトリーの翼が生まれる 暗い雲をも押し広げるにはプロペラより むしろスクリューと呼ぶのが相応しい 死の島の上を 渾身のゴム動力の一機 白い模型飛行機が 旋回するのだ 漏斗状にへこんだ 彼の胸は 高鳴る 島には 廃墟となった建物が 屋根を失い 雨風を受け入れ 死者も そこにいる さびしい魂のその島へ 彼は、飛行機を飛ばす by るるりら 参照先不明 * パスティーシュに関して一言だけ。 石村さんの言う「パスティーシュ」は、 >私自身が「パスティーシュをかく」と言った時 >念頭に置いていたのは、水村美苗氏の『續明暗』や >シャーロック・ホームズ物のパスティーシュ作品でした。 とあり、 それはそれで(高度な試みとして)いいと思いますが、 (わたしが)念頭に置くパスティーシュは、 最近、創作入門で奥義公開されているような創作技法のことです。 一例を上げれば、 辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』で、 その、「第十講義」=「ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を どう読み、どうパスティーシュするか」 に見えるような、手法です。 以上は、パスティーシュに関して参考までに注記しました。 突然失礼しました。でわ。 * by ハァモニィベル 参照先不明 蛾兆ボルカさん パスティーシュを、ジャンルとして分類してしまうと、二次創作的なものに なってしまい、書かれたものはどうしても、オリジナルの魅力に劣ることが多い(そこに 挑戦するのでしょうが)ような気がします。性質上、オリジナルの魅力を超えててもマズイわけですから。 私のように、パスティーシュを、作品ジャンルとしてではなく、 創作上の実践技法として実用的な立場で捉えた場合、 オリジナルはただのキッカケであるにすぎず、元の作品から飛躍したものが いかに書けるか、むしろ、独創性と発想力が問われることになります。 原型を全く感知させないほどならば、もうそれは純創作と言ってよいでしょうが、 敢えてオリジナルの手がかりを(わざと)残すとすれば、その場合は、 多少オマージュの気持ちが込められているか、あるいは、間テクスト性で原典の意味を含 ませたいが為の、教養ある読者へのヒントのつもり、といったことがあるかな、と思いま す。 また、別の意図として、 私がメビウスリングでスレ建てしている 「前の人の作品を、『自分の詩』に翻訳する」スレッド における私が書いた実践例はみな、創作技法としてのパスティーシュという立場で書か れていますが、 其処では、前の作品と後の作品を対照することで、後作品を書いた人の発想力や独創性 が明らかに示されるという狙いがあります。 * 私の立場(発想力と独創性を重視する)だと、 たとえば、 デュシャンの『泉』―→ これは泉である に対して、 マグリットの『これはパイプではない』 に至るほど捻ってこそパスティーシュと言えるわけです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 参照先不明 文学極道に限らず、すべてのネットサイトは、使用上の注意をよくお読みになってご利用くださいませ♪ 蛾兆さんへの酷評コメントを小学生に見せたいと思っておられる レスの書き手はいないと 思います。 それより、漢字ドリルが作品になるなら、ほかの活字媒体のなにかが 新聞記事も 作品に成りえると、私は おもったのでした。それで、おもいついたのはバーチャル達川君。https://tats.jp/vtatsu.html バーチャル達川君というのは、様々な文章を 広島弁に翻訳するという翻訳ソフト搭載サイトです。 そして、それを利用して書いたのが下記のものです。 ******* 尻を振って 腰をくねらせる。 中米ジャマイカじゃぁ レゲェに合わせて、踊るんが習わしらしぃんじゃ。 先ごろ訪れた安部信三首相も、誘いに乗ってダンスしたんじゃ。 ぎこちのぉても 笑顔を忘れず、波長を合わせる腰つきゃぁ「努力賞」もんじゃったんじゃ。 ******** 元ネタは、中国新聞2015.10.5の天風禄の記事を、バーチャル達川君という広島弁翻訳ソフトにかけました。この記事をセレクトしたのは、ジャマイカという国名が良いと 思っただけです。このスレッドで子供の話がでたので、よほど 児童憲章とかを翻訳させようかしらと おもったけど、 どうにも躍動感が なくて残念なので、こちらにしてみました。 by るるりら 渚鳥さん え?渚鳥さんの意見は、 一、「 小学生が見ていると思うと なぜだか罪悪感にかれらるけど、 その反面、小学生の意見を ちゃんと聞いてみたい気がする。」 何を、渚鳥さんが 小学生に 見せたいたいような 見せたくないような気持ちかは、ソレは 蛾兆さんの作品かもしれないし 文学極道かもしれない。 わたしの意見は、 「すべてのネットサイトは、使用上の注意をよくお読みになってご利用くださいませ♪」って いいました。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 »766石村 利勝さんへ 贋作文太兄ぃの場合が最高です。文章を読んだあと声を出して笑ったのは、ひさしぶりです。 何年か前に 日本では「カバチタレ」というドラマが放映されたのですが、 個人的には、(カバチタレいうても意味は わかるんかいの)と、思っていたのですが だからといって 翻訳できずにいたのですが、そーそーそういうニュアンスだなあ。 と、おもいあたり なんだか 心が 軽くなりましした。 バーチャル達川君は、ずいぶん昔からあるようです。ですが、達川さんは どうしておられるんでしようね。最近は、テレビでは おみかけしませんよ。でも、カープは 大昔のカープ全盛期を上回る人気ですよ。試合がある日の広島駅には 他県から カープの赤い服をきた大群が降りてこられます。なぜだか 全国的にカープファンが増えているようです。その調子だと広島弁がこの国の公用語になると思いますので、達川君は 伝説のサイトになると思います。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 ●石村 利勝さま そうでした。詩の研鑚のために集っているのでございました。 作品を投稿させていただきます。 初夏の刹那 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=319554&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D0 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 ●>>786石村 利勝さんへ おはようございます。返信が遅れて 申し訳ありません。 「春と修羅」っていう龍みたいな詩魂に飛び乗って縦横無尽に飛び回っているさまだなんて、 それこそ 踊るくらいに嬉しい言葉をいただきました。関係あるかないか解りませんが、わたしは辰年うまれなのです。思い込みからか 蛇だの竜だのといった生き物は こどものころにずいぶん夢にでてきました。 この詩をアップしようとしていた頃に、渚鳥さんが 突然、 渚鳥さんも竜のようなものを感じておられる気がしないでもないのです。>>771 渚鳥さんは まだわたしの詩を御覧になってないのに わたしの詩が読めたのかと思いました。ケーリュケイオンの杖のデザインって、蛇のような竜のような生き物が くんずほぐれつ登っている図なのですが、わたしは 竜みたいなのに つきうごかされて書いただけだったのかもしれないです。 ああ びっくりしあぁ! どういったらよいかわかりませんが、なんだか すごいです。←わたしがというより、なにかが来てる気がします。 もっと書かねば! ●>>745 渚鳥さんへ 今は朝なんだけど こんばんわ(←作品に あわせたよ) 「夢一夜~第三夜」拝読しました。 以前拝見したパーションのもののは、たしか 一夜が三つではなく一夜、二夜、三夜という表記だったように記憶しています。 夏目漱石の『夢十夜』は この機会に再読してみました。 夏目漱石の『夢十夜』の場合は、全然違うお話の十個で作られていたと思うのですが、 渚鳥さんのこの作品は、別々のお話ではないような気がしました。同じ日におきたことが別の角度で描かれているととってもおかしくはないつくりになっていると 感じました。 たとえるなら以前お話しの出たケーリュケイオンの杖は 二匹の生き物がからまっているのですが、この三つの作品は 三つ編みのように 三様の詩魂(石村さんの言い方の真似ですぅ)が からまっていると読んでもおかしくないように おもいました。 へんな発言になるかもしれないのですが、物事を把握するのには三つの目が必要だと聴いたことがあるのを思い出しました。 それは、【鳥の目】【虫の目】【魚の目】の三つで、鳥というのは鳥のように広く全体を眺める。虫というのは足元の細部を見る。魚の目は、微妙な変化の流れを見るというものなのですが、渚鳥さんの本作品の構造と符合すると、個人的には思いました。 ●蛾兆ボルカさんへ 「作品『漢字の練習』」、について(贋作)」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=319538&filter=date&from=menu_d.php%3Fstart%3D150 に、ついて。 わたしは、この作品について「おもしろいです」とだけ書いてます。あとで、ちゃんと書きたいとおもっていたので、超短文感想としました。 まず、自分の作品をパスティーシュする。もうこの時点を おもしろいです。 蛾兆さんが蛾兆さんという未知の詩人の作品をパスティーシュし、 未知の詩人蛾兆とかいう詩人の息子さんの漢字練習帳をパスティーシュ(とも言えると思います) している。 鶏が先か卵が先かじゃないですけど、 卵が詩を書いたのか! 卵の親が詩が書いたのか。卵の教師が詩を書いたのかもしれない。 卵が詩を書いた!のか 卵の親が詩が書いた!のか。 はたまた教師的ななにものかが詩を書いたのか! むむむ むむむ!これって 「啐啄同時」なのじゃあないかしらん。卵の中のヒナドリが内側から殻を破ろうとしていて、それを保護する親鳥も外側からつついている。 この詩には複数の愛が からみあっていて、ああ 人が成長するのは、ひとりじゃあないんだなあ。と思いました。 正直もうしまして 作品そのものより 自作の作品をパスティーシュする おわりなき詩作への情熱こそが、私としては とても勉強になりました。ありがとうございます。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 みなさん おはようございます。 夏目漱石の草枕で思い出したのですが、そういえば 私も 草枕を真似したことがあります。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=283203&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25E7%2582%25B9%25E5%25AD%2590 「点子が、行く。」という作品です。読んでいただくと どなたでも 「吾輩ハ猫デアル」だと お考えだとは思うのですが、詩の中にある明治男のセリフが 草枕の模倣です。わたしが真似させていただいたときに 草枕って、随所に読者の 目を開かせる箇所があるのだなあと ちらと感じたのですが、まさか まるでそのまま作品としておられる方がいたとは!おどろきです。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 遊びにきましたよ~ 「商店街にて」 http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=11348&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26cat%3D1 室生犀星さん。 なにかで魚を赤と青と言っているのが印象的で 色彩はここから来た気がします。 楽しいねーっ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 はっ。先生はどこー!! 先生ー!!(よく迷子になる) >>818蛾兆ボルカ さま 中島みゆき懐かしいー!! 愉快な方でしたね。テープにとっておけばよかった。 チョコ夫人と中島みゆきさんとマザーグースがかぶるとは~。 すごい発想だ!! >>823石村さん 詩は、犀星のから入りました!! 赤と青。だれだったかなぁ? デカダン的な誰だったかも。 技というものはあまり意識していないかなぁ、真似するだけ もう一回勉強しなおそう~ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 ニューフェィスtanakaさん、ようこそ。 今月は、火ですか。あついですね。暑いので、この季節は 考えたくないこともあります。そこで距離がある火という意味で、星も良いのではないでしょうか? by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>るるりらさん 言葉に旬、ありますね~。美味しい火星ジュースの季節!! >>石村 利勝さん じゃ、ちょっくら牛を褒めてくるでよ。 >>843いいな~なんだかいいな~。 >>渚鳥さん はじめまして~ 数いる田中のうちのローマ字のやつと覚えていただければ...... 発音はタナーカーで。 by 田中修子 参照先不明 全くの余談です。カープの試合を見に行きます。天気予報は、よくなかったのに 今は、晴れてます。なにとぞともに雨乞い、お願いします。 by るるりら 参照先不明 おっはようございます。 あのカープの大声援のただなかに身を置いた私は 人生がかわってしまった! どうしよう。ちょっと前の 辛気臭い自作詩が 他人の詩のようだ。わっはは ベートーベンでいうなら第九の気分! 試合当日は雷も予想されていたというのに、オペラの『ある晴れた日に』の歌詞が描いている理想の天気!いやあ おめでとう! 石村さん ごめんなさい。あの日の私は 愛でできていたので、 お弁当もお友達が むさしのお弁当の券をくれてたので カープうどんは食べれなかった。 でも 席がブースに近くて あの匂いは 味は 絶対落ちてない感じでしたよお! ごめんねごめんねー。 by るるりら 皆さんに、もし年号の決定権があったら、どんな年号をつけますか?漢字二文字の題名で詩を書いてみませんか? by るるりら わたしったら、とても まずいことを、いいましたか? なにか、いい企画は、ないかしら? by るるりら 参照先不明 旧かなは、正直 使ったことがないので、 祖父の書いたものを、読んでいるきがしています。厳密には、発音にも違いあるはずのに、わたしは、これまで、しらずにきました。 二文字課題は、「百合」にしようとおもってて、そのときに、旧かなで書いて 添削してほしいなあなんて、おもってました。 by るるりら * >>880 は、「旧仮名遣い」というもの一般についての、 教養の有る人、無い人、各人の持っている印象ということをご質問ですか? それよりも、「文極」の評価の精度の不足についてでしょうか? また、あるいは、御作品への感想・批評でしょうか? (こちら>http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=471;uniqid=20160514_774_8825p#20160514_774_8825p) 以上について、1つにまとめてお答えすると、 もっと流麗に書けるはずだ ということです(「率直に」わたしから見ると、です)。 尚、〈歴史的仮名遣い〉については、契沖以後に一定ルール化されたもので、むしろ明治期の文章で厳格であったものの、平安時代からずっと、実際は仮名遣いはアバウトだった、という専門家の指摘をどこかで読んだような気がします。そうだとすれば、旧仮名遣いを几帳面に一定に適用する必要があるのか疑問である、という議論もできそうで、実際に厳格一律にしない方が、文章を味わい深いものにできるかも知れないなどと無邪気な私なんかは思います。 旧仮名遣いの味わいを活かして、より流麗に書くべきであった というのが私の感想で、そうでないと籠められた折角の優しいメッセージまでがぎこちなくなってしまうと思うからです。 * by ハァモニィベル 「旧仮名遣い」とは少し異なりますが、文語口語の混用の問題 もあります。詩はもちろん、短歌や俳句でも同じですが、例えば 俳句の切れ字の問題があります。「や」「かな」「けり」を使う と、口語 ではないと指摘され、これにかわるものを探すと 、ろくなものがなく困ってしまい、俳句の投稿をやめました。 現代の俳句でも、これらを使ってもよいという説もあり、文語 と口語の混用はありふれたものであり、歴史的に見て正当な 用語法であるという説もあります。---現代短歌の口語化はめ ざましく、老巧新鋭を問わず口語の歌、文語口語を混用した歌を 詠んでいる---という事なので、文語口語を混用してもよいような 気がします。従って、代わる表現がない場合「旧仮名遣い」も問題 ないと思います。 by st 参照先不明 >>885 ああ、そっちでしたか。例の所の評価力について率直に話していいのかなあ、とわくわくしてしまいました。(笑)。 私もかつて、彼処でどなたかから、私の〈けっこうな自由詩〉に対して、使われてる言葉に季語の意識が足りない的な、的外れな意見をもらったことがありますよ(一気に疲れましたね)。 * そっちの話ではなく、 一般にある印象、という話だと(保守が云々といった政治論議を除けば)割合、予想がつく話になりそうですね。 例えば、中学生とか高校生レベルの頭なら、歴史的仮名遣いで旧漢字とか使われてたら、読めないし、読みたくないし、読まないでしょうね。よしんば、表面の言語表現がたどれたとした場合でも、彼らの年齢では古典の内容を深く捉えられないので、退屈な古典と同じようなものという印象で括られてしまうでしょう。 古典風まで行かずに、読みやすい文章の中に、旧仮名だけ混じっているのを見たら、何のためにそれを散りばめているのか不可解な不快現象として映るのではないか、と思います。(これをCとしましょう) 一方で、古文が読めるような人、擬古文が面白いと思える人は、露伴だろうと、鏡花だろうと苦もなく読めるので、擬古文調ならかえって新鮮な感じで愉しめるということがありますね。鏡花の古典風モダンな感じや、北村透谷の魅力が愉しめる人、そういう人は、そういうものが書かれていたら単に仮名遣いがどうの、という反応はしないでしょう。 * いずれにしても、旧仮名じゃなければ評価しているというのであれば、それが旧仮名だからダメ、というのは、上記の中学生・高校生レベルでの(C)から来る印象評価と同じだ、と私などは感じます。 * ちょうちょ と てふてふ は同じでしょ? っていうのと、違うでしょ?っていう感覚論争になるんでしょうが、 そんな所では、私だと ちょうちょ と てふてふ が飛んでいる って書いちゃいますね。 まあ、そんな感じです。 * by ハァモニィベル 参照先不明 ゆうか、渚鳥さんの詩に、すくわれました。 ありがとう。 by るるりら 【じぬんを ぐろぐろ】 突然、ブリッジぃと 言ふとき 身体を まげたり 「見ててぇ」と 言ひますと 一拍おいて 側転したり 【じぬんを ぐろぐろ】と 画用紙に文字を据ゑながら 「じめんを ぐるぐる」と云ふ 発音どほりには、書いてなひ なんと おどけて ゴム毬のよふ その横で 長い海外生活から帰国直後の友人が 「し」って どちらに曲がるかを おもゐだせんでね と言ふときの聡明な美人顔の、なんと すっきりしてゐること 「し」の形を 真剣に考えへる人が、わたしは好き こどもの真剣さと すこしもひけをとらない人が、わたしは好き ゆびさきで じぬんをぐろぐろしながらも 好きが あふれてゐます きようも たくさん 私は まちがへた あの人も すこしは なにかを まちがへた まちがへる人と まちがへない人 あなたは どちらが好き? わたしは まちがへる人が好き 真剣さが なんだか おかしくて 好き ************** ※おまちくだっているなんて 幸せです。 でも 百合は ちょいと おまちを、構想あるのに なぜか描けない by るるりら 旧仮名はポリシーのある人にこそ似合うという面もなくはないので 「真剣」な人にこそ好かれるべきかも知れませんね。 私は言語表現の幅として捉えていますが。 るるさんへ >>902 >※おまちくだっているなんて 幸せです。 待っているというより、自分で言ったことを忘れているんだろうなと 思っていると受け止めて頂ければ幸いです。 >ちょいと おまちを 確かに、「真剣さ がなんだか おかしく」思えますね。 * 漢字二字の題 ということでは〈タイトルの選択がいい〉と思う例はこれです。 http://uonomekikaku.sakura.ne.jp/foryou/poembbs/poembbs.cgi?mode=res&no=91344 by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 「静笑」せいしょう 「穏淡」おんたん 「譲命」じょうめい 「聴声」ちょうせい 「座待」ざ、ざたい? のほほんといこうよのほほんと 怒っても泣いてもはじまらないよー みたいな年になったらいいなぁと思うます。 by 田中修子 参照先不明 参照先不明 カイトの表題と表紙を読めば、 ここは、空気を一色にする処じゃないでしょ。 一方で、軽妙・ほのぼの 。他方で、堅く、険しい。 又、 一方で、知的。他方で、愚劣。 それでいいわけだけど、日記を見せ合うだけの場所にしたいならともかく、 他人に書いたものを読んでもらおうとする場所なんだったら、 説得力のある言葉を使いたいかな、と僕は思う。 まあ、それだけです。(だから、変だな、と思ったら変じゃない?、って言うだけ) 此処の人たちが、みな、僕の方を変だと思うなら、僕が消えます。 ま、僕はこう書きながら、常に心穏やかですよ。 此処に書きに来てくれる人が皆、親切なのがわかってるから。 * by ハァモニィベル * 燃えて消えていく 遠ざかる川の 遠い後姿の原景に 1羽の鴨が泳いでゐる 昨日にそつと おいて行かれて ただ1羽の 何を犠牲にしたら 追ひつけるだらう 散亂した 觸れられるはずのない 意味のない貨幣のやうな 狂つた正常の手が伸びてくる * by ハァモニィベル こんばんわ石村さん、 わたしは、石村さんの詩に たすけられました。 「地球の上でうたふ歌」を、ある詩の掲示板で、最悪の気分になっていたに、嘘のように気分が晴れました。ありがたかったです。暗唱したいです。 ベルさん、こんばんわ。すごく、いい詩だなあ。って思いました。関係ないことを、いうようだけど まえに教えていただいたケストナーの人生処方詩集を買いました。照会していただいた「絶望第一号」を思いだし、今 買いたての本を開いています。うまく言えないけど、ベルさん、ありがとう。 うわあ、参加者増えてきましたね。 元号も、増えてる。いい作品が、いつぱい!。 テンションあがる。たかっぱしから、いいたいけど、寝たほうがよさそう。嬉しいな。ではおやすみなさい。 by るるりら 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 * 『MAIN STONE 』 ストラスブルグ美術学校で出会った彼女は、変わったものを描いていた。A3の画用紙49枚を使った大きなブリティッシュ・プディングの絵で、そこに描かれた何かに、いや、そこに彼女が描こうとしている何かに、きっと、誰にも解らない何らかの何かに、こそ、彼女が強いコダワリをもって伝えたい何かがあるんだと僕は思った。彼女がその絵を描いている間中ずっと番犬のビリーは爆睡中で、僕もやることがないから、彼女のアパルトマンをチェックアウトし、その頃暮らしていた屋根裏部屋にもどって数日寝転んで過ごしていた。ブリティッシュ・プディングのどの辺りにまで差し掛かった頃だったのだろう、突然、彼女から電話がかかって来た。 * by ハァモニィベル 参照先不明 * つまりね、 >>960 に私が書いた作中の彼女のように、 MAIN STONEを描き伝えようとするところに 作品の価値が生まれるのに、 ありもしないMAIN STONEを、いかにもあるように書いた 詩が多いんだよね。 (難解を解きほぐすとタワイモナイものも含めて) そういう贋せ物を書いてる人というのは、 詩を読む側にまわっても読めないんだよね。 ただ、そういうことだと、私は思っています。 * by ハァモニィベル 参照先不明 参照先不明 >>969 うーん、「嘘」って、どう捉えてるんです?(そこが不明) ニュアンスを区別してほしいな。 >作品になっていれば、嘘だろうと本当だろうと、いいのか これは、かなり粗雑な思考じゃないの? まず、「作品になっている」という点が、すでに高度に曖昧だしね そして「嘘」「本当」ね。 ---------------------------- 虚構でも、その方が真実が描かれていれば、―→本当の意味で「本当」では。 事実を扱っていても偏見で切り取ったものは、捏造にもなるのでは。 とかとか、色々疑問が出てくるんですけど、大丈夫?? 昔の「私小説」の「精神」を肯定してるからそもそも、「嘘」って評言を使うのか、 わたしにはよく解らない話ですね、その感想は。 * 昔、「一杯のかけそば」なるお話があったけど知ってるかな。 当初、実話ということで話題になった。ところが、作り話だと露顕して叩かれた。 あれなんかは、感動実話として騒がれたときに、一読して作り話だと私は感じたけど、 世間では話(作品)を鑑賞しただけでは見抜けなかったわけでしょ。 私から見たら、作品になってないレベルだけど、 世間には、(実話なら感動的だ)と、(恰も新仮名ならよいみたいな感覚でもって)通用してたわけだけれど、一体全体 そういうのはどうなの? 鑑識力、鑑定眼 という話になっちゃうんだけど、 渚鳥さんの話だと、その辺りが抜け落ちてるんじゃない??? ---------------------------- ともかく、最も重要だと思う点を最後に補足しておきます。 詩情の「嘘」はダメ ってことです。作品世界は虚構でも事実でもいいと思いますが、 〈詩情〉は、その作者の本物でないとダメだと思います。 (まあ、詩情不要論者という人達もいるんでしょうから、その立場だと コトバを捏ねてそれらしき詩情を誂えるわけだろうから、もしそうなら 私のように、自分の詩情を伝えるために言葉を紡ぎ出すのとは正反対ですね) 渚さんの感想だと、 詩情の「嘘」(パクったり誂えた詩情ね)も作品になってりゃいいってことに聞こえちゃいますが、まさか、どう考えてるのか、心配になりました。 まあ、そんなところです。(これ以上論じません) * by ハァモニィベル 参照先不明 まっくろで苦くてこんがりなコーヒー 喉をひんやりすべって 詩も男もできないときはできないさ それってダメなんかなぁ by 田中修子 参照先不明 参照先不明 >>978 (Syuukoさん) >>980(渚さん) >>981(石村さん) みなさん、Thanks ! 、「翻訳」という言葉に引きずられたのか、なんとなく原詩にひきづられている感が。まあ、丁寧に訳そうとした感なのかな。 わりと翻訳の文章が読みにくいというあの現象の秘密に通じる何かがあるような・・・。 ただ、普通に作品を展示されるときには見えない表情が垣間見えてナイスです。 (取組んで頂いたので) *** *私も書いてみました* * そんな瞳(め)で見ないでくれ。 男の背中を。 黙って ブラックを飲み干してる 俺の背中があるだけ だから。 見える? 何が? 何も無いさ。 やさしい詩なんてないんだ。 「幸福」にも汗ばむこの背中には。 * by ハァモニィベル 参照先不明 * 「冠は濡れて」 ユアーン及びユヨーンが、それこそ ユヤユヨン、ユヨユヤンと、往復し交錯していた。 ぼくの心だ Ho!Ho!Ho! 胃袋をはく 吐いたものは 幾時代かをへて また一つのメルヘンとなる 銀の雨のなか さらさらと 砂のように命が 流れ落ち 僕のボーヤは (硬い粘土の小さな溝を) (きららめきつつ) さらさらと 流れていく 悪魔のおじさんの 靴の先が かすかに濡れる所まで * by ハァモニィベル
大きな池があってひとつの川、たくさんの大きな木。 滑り台、砂場、ぶらんこもご用意しました。 みんなで鬼ごっこやかくれんぼができます。 野球やスケボーもできる大きな公園。 朗読している少女がみえます。 夏にはカラオケ大会だって演説や選挙もあるかもしれません。 ひとり川をながめてため息つくのも公園 もし詩や詞を構成する成分表があるとしたら人ひとり、もしくは大勢の人が絡んでいる無限の成分表なのかもしれません。 詩の多様性は人の生き方やり方の多様性を映しているのでしょう。 君が書きたいと思ったことはなに? Twitterみたいにぼやくこと? 昨日見た映画のブログみたいに感動を分かち合いたい? 詩のことで別の人間の視点がほしかったのかい もしかして、それは行き場のない言葉かしら 答えはなくたっていい。 ただ、聞いてほしかったのならそういってね。 もう少しそばにいるからね。 書きたいことを書いてみて 描けないことを描いてもいいんだよ。 ルールは公園らしく後からみんなで増やしていこう。 >>487 はじめまして。 ご質問は、人によっては答え難い質問になるでしょうね。尋ねるなら まずご自分の抱いていた「気配」を語るのが先だろうと思いますが、 何となく乗れない気がするのは (この公園の特徴ですが) 仮に、意味のあること、あるいは己の痛みを誰かが述べても、 他のひとがお体裁の、ごくありふれた発想の話しかしないなら 馬鹿らしい、ということです。 >>486 がいう >漠然としており、なかなかつかめず、土台無理な話 という馬鹿げた認識しかないなら、どんなテーマも 掘り下げて語る価値がない。 というのが此処に関する私の感懐です。 渚鳥さん、進展しましたね。 ごめん、わたしは 突然のスランプで 感想がかけそうもない。自信を失っているので1ヶ月くらい書き込みはしないつもり、ゆっくり読んでメールしますね。\(^_^) はーい。爽やかな公園のままにしときましょ。 おはようございます。テーマから はずれてない場合のほうが、すくないし ここは、公園ですし 書きたいことを書いてみて 描けないことも 描いていいんだよ。って、いうのがこの公園の看板だしね。ちょっとした 疑問があると、待っていられたよ。そんだけよ。 渚鳥さん お久しぶりです。よかった なにせ 渚鳥さんの最後の書き込みが 女性の損な特性についてだったでしょ。そして、たまたま参加者で 女性なのは、 私と渚鳥さんだけのですよ。 もちろん、わたしたちにはいざこざは無いのですけど、 それは私の勘違いなのなあ。そんなバカなことはないですよね。 私たちは 喧嘩は してないですよねー。 と、仲良しオーラを出してみました。あぁあよかった。笑えました。 文極さんのなかに「なかよしごっこ」と言っておられる方がいましたかあ。 そういやー 私が 仲良しオーラを出してましたねえ。わっはは。 いやー。笑える。 では、またね。 ★蛾兆ボルカさんへ 異世界の住人の視線でこの四月にしたかったけれどできなかったことがあったのです。 このスレッドでは 様々な方が様々な企画を提案さました。 実現できなかった企画のひとつに 「いちじかんめ りか」として 理科的な作品を投じるというものがありました。 そして、あのあとで ほかの単元(国語など)についても、やっていこうというものでした。 それで、以前 蛾兆さんに教えていただいた 国蝶であるオオムラサキは昆虫でありながら 手足が六本ではなく四本に見えるというお話から 描きたい詩が漠然とあったのです。 自然をちゃんと観察すると きっと 異世界の住人の視線が獲得できるような気がしています。 ★皆さまへ 企画倒れの作品提案をふくめて わたしとしては このスレッドは宝の地図満載の一か月でした。 わたしの至らなかった点が多数ある一か月でしたが、参加してくださったみなさま ありがとうございました。わたしのいけなかったところは、水にながしてください。もし流せない場合は「燃やせるゴミの日まで待ってよ」とか、「いやあなにマイナスなこと言ってんの? なかなかの醍醐味だったよお。 またやろうよ。るるりらさんも いっしょにやろうよお。」と、お知らせいただけたらなあと 思っています。 今月の私の最大の収穫は、今 私は、すべてのことはエトワールのように中心があるような気がしていることです。すべてのことには透明な縁のない球のようなものがあるような気がしていることです。それが、この四月のこのスレッドでの最大の収穫でした。はい、そうです。わたしは、まるくおさめたがっているのですよ。 わたしはこのスレッド主のカイトさんに 植木係をして良いと言われているので、また水遣りにきます。これからも「やあ」と声掛けしてやってください。 蛾兆さん。 正直いうと、死んだ子供ではなくて 死んだ人の視線のつもりも、入ってました。 ちょっと おもったのは、風の又三郎とか 星の王子様みたいに、もっと 話者がキャラとして異世界を感じさせらるまで生きて描写できると、詩というより童話の発想にまで、持っていくことができたのかもしれないです。 蛾兆ボルカさん 真摯に作品を読んでいただいて感謝しています。 私の「喰う寝るトコロに住むトコロ」は、三篇からなるオムニバス作品なのですが、読解を拝見して別の私の作品を 思い出しました。少年よ 【三篇からなる オムニバス】という作品です。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=278470&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25E5%25B0%2591%25E5%25B9%25B4%25E3%2582%2588 同じ少年をあつかった三篇のオムニバスなのですが、二つの作品を比べると 話者に血が通って感じられるのは、「少年よ」の方です。今回の作品は、話者は 誰なのかよく解らない感じに書きました。だから、 [466]で蛾兆ボルカさんが書いてくださっている設定の混乱が読者のおひとりに沸き起こったことは、私としては 書き手冥利に尽きます。(読者には、申し訳なかったのかも) 『僕は天空だよ 』というフレーズについても、私としては「僕は天空にいるよ」であり そして「僕イコール天空」なのです。北風と太陽という童話では、北風さんと 太陽さんが登場しますが、わたしの場合は天空を擬人化する発想をしてみようとしています。北風さんであり太陽さんである存在です。死者と感じる読者もいらっしゃると 良いなあと、おもいながら書きました。 つまり、すべての「喰う寝るトコロに住むトコロ」という場所に対峙できる大きさのモノを、擬人化したいと私としては、考えたのでした。 さの結果、少年よ 【三篇からなる オムニバス】の話者と比べると、今回の、私の「喰う寝るトコロに住むトコロ」の話者は いろんな意味で判然していません。前者は人であり、後者は擬人でしかも地に足がついてないです。 なんでこんなトライがしたくなったかと云うと、 >>391の投稿で「星とたんぽぽ」というのがあります。>>391は、「喰う寝るトコロに住むトコロ」の前に書いた詩です。 たんぽぽを実際に観察して【中空】を書きたいと思ったのがきっかけで 空の擬人化を思いつきました。 全体的には、中空を書くぞの意気込みで私は書いてますので、マトリューシカだとおっしゃっていただいて嬉しかったです。 女イコール穴で怒らないです。だって、その通りです。「喰う寝るトコロに住むトコロ」の前作の>>391の中芯って、女(母)イコール穴の意味で書きました。男の子が穴を発見する、というのは、特にそこに通じやすいですよね。女の子には しなかったのは、そういうことです。 ふと、河合隼雄という人が「古事記神話における中空性」とかいって 日本の神話の神々はいつも三人で構成されていて、二人はキャラクターが濃いのだけど、かならず 存在意味の解らない【無】を示すような神が居ることに 着目していたなあと。おもったのです。 イザナギから 生まれた天照(アマテラス)、月読(ツクヨミ)、須佐之男(スサノオ)。 アマテラスと スサノオにはたくさんあるけれど、月読(ツクヨミ)には 言い伝えもないのに、なぜかそんな神が居る。そんなかんだの理由で『僕は天空だよ 』という、お話を書いてみました。 「仮説1 子どもの認識した世界は単純、大人のは複雑」だと思います。そして 「仮説2 その逆」も正しい 「 仮説1 子どもの世界把握は大人より本質的、または深い」だから、神の話なんかなくても子供には解っていることがあるような気がします。 でも 「仮説2 その逆」も正しい。 でないと人間は学習する生き物であるのに、子どもが大人より優れているなんて絶望です。昔の人(つまり私たちにとっても大人に該当する人たち) が、ずっと 『僕は天空だよ 』と 語りかけてくれている気がして、それで 書いてみました。 書いてはみましたが、詩文としては、表現が閉じた。内容を殺し合っている仕上がりに なりました。 精進しようと 思えました。ほんとうに、ありがとうございます。 蛾兆さんへ。 早急のお返事ありがとうございます、比べて張本人のわたしの返信が遅れて申し訳ありません! 公開に問題ないとの許諾、本当にうれしいです! それでもう自分の矜持とその他の概念の板挟みで、頭痛がするほど考えたのですが。おっしゃる通り投稿です、目的は選考への挑戦です。選考に挑むという趣旨の投稿に、他サイトにおける付帯事項をご精査くださいと言わんばかりの付記を添えるのは、おそらく盛大に筋違いだろうというところに、いま思い至りました。 それで蛾兆さんのご厚意に甘え、自分としては相当な思い切りですが、「文学極道へ投稿する版に限っては、蛾兆さんのお名前をクレジットしない。」という手段を採りたいと思います。 とは言え「詩中で自分が最も高い訴求性を見込んでいる部分(話題の詩形)が、人様の返詩の丸パクリだ。」という事実を隠蔽するのは、わたしの信条として表現者失格です。だのでその旨はむしろ、「得がたい交流を得たことの自慢」を趣旨として、ブログに書きたい所存です。 *** 当該の丸パクリ詩形は、本当に、自力ではスペースひとつ改変することができませんでした。いまさらどう考えたところで「あの文脈の趣旨が、あの詩形を欠かしても読まれる」と見込むことができません。当の文章を書いた本人が、そのように確信したのだから、どうしようもありませんでした。 ※上記は一見愚痴に見えるかもしれませんが、感動ですし自慢です。 *** それにしても、いま思い出しましたが、あの『箒木イヴ』という題名は、ボーカロイドの初音ミクとか鏡音リンとかのノリだったのでした。すなわちいわゆる中二病の極致、セカイ系の絶頂を駆け抜けるみたいな。 で、いま、ボカロってどうなんですかね(・∀・;) 三年も前の作なので、社会情勢との齟齬が最も心配だということに、いまさら気づきました。以上は四月にふさわしい残酷です。 そして五月がまいります。花水木の街路に木香薔薇の生垣、三色の藤そして大輪の牡丹。いよいよ春の絶頂ですね。(まあわたしの最も好きな花は、沈丁花と梅と蝋梅なんですが。)公園の皆様もよい詩をお書きください。 * そろそろ四月も終わりです。 (みなさんありがとうございました) * ※いらっしゃいましたら、蛾兆ボルカさんへ。(重要) http://mb2.jp/_doudoujou/1711.html-6 上の作品は三年前、拙作への蛾兆さんのお返詩を参考して制作したものですが、今月三十日にその改訂版を文学極道へ投稿したいと思っています。それに関係して、蛾兆さんに相談のうえお願いしなければならないことがあったと、いま思い出したのでまいりました。唐突な、それもおそろしくわがままな申し出で申し訳ありません。 上記作品には、「拙作の詩文を蛾兆さんに書き換えていただいた結果成立した、わたしの独創ではない詩形」が含まれます。投稿する予定の改訂版でも、その部分には、スペースひとつの改変も加えておりません。(本当は独創物として成立させるために改変したかったんだけれども、完璧すぎて改変しようがなかったというのが、実際の本音です。) 詩文自体はわたしの独創なので、著作権はわたしに帰属するだろうと考えますが、詩形の意匠権のようなもの(法律に詳しくないので、認識があいまいで申し訳ありません)は、もちろん蛾兆さんに帰属すると考えます。当該部分は、自分の見込みとしても、「詩文の内容より詩形の効果が重要」ですので、その重要な効果が自分の独創でないことを、表現者として沈黙するわけには行きません。 それで、相談の上お願いしたい事柄は、下記のことです。 「蛾兆さんのお名前を、なんらかの形でクレジットしさえすれば、当該作品を『澤あづさの著作物』として公開することが認められるか否か。認められる場合には、どのような形で蛾兆さんのお名前をクレジットすべきか。」 蛾兆さんの許諾を得られなかった場合、当該作品の投稿を中止しますが、その中止に関して蛾兆さんに一切の責任のないことを、念のためにここで明言します。また「蛾兆さんのクレジットなしに作品を公開する」ことは考えておりません。独創でない表現を独創と主張するのは、表現者としてあらざるべき無様と考えるからです。 作品のテーマ上、投稿日は「四月三十日」と決めておりますので、ご覧でしたら四月三十日までに、上記の相談にお返事をいただきたく思います。重ねて、唐突なわがままで申し訳ありません。公園の皆様、流れをぶったぎり通りすがり失礼しました。 おはようございます 蛾兆さん 雑巾は、すてきな詩ですね。 汚れて なにかを綺麗にして生きてゆくことが わたしにもできると良いです。 ちいさなことからはじめてみようと思い あれから おもわず 家にある雑巾を洗いなおしました。 渚鳥さんは、猫っぽいですね。 いつでもきてね。渚鳥さんに この詩を贈ります。 ************** 『もうすんだとすれば』 もうすんだとすれば これからなのだ あんらくなことが 苦しいのだ 暗いからこそ 明るいのだ なんにも無いから すべてが有るのだ 見ているのは 見ていないのだ 分かっているのは 分かっていないのだ 押されているので 押しているのだ 落ちていきながら 昇っていくのだ 遅れすぎて 進んでいるのだ 一緒にいるときは ひとりぼっちなのだ やかましいから 静かなのだ 黙っている方が しゃべっているのだ 笑っているだけ 泣いているのだ ほめていたら けなしているのだ うそつきは まあ正直者だ おくびょう者ほど 勇ましいのだ 利口にかぎって バカなのだ 生まれてくることは 死んでいくことだ なんでもないことが 大変なことなのだ <まど・みちお> 突然ですが、 まど・みちおさんの詩で こころを ゼロにさせていただいたので ここに報告します。前に、わたしは まどさんのぞうさんで 詩を詩ともしらずに 育てられていたことをお話しましたが また 育てられている気がするのです。なので、みなさんにも照会させていただきます。 先日、ハァモニーベルさんが まどさんの素晴らしい「 消しゴム 」の詩を、雑巾にかえても成り立つという 主婦が聞いたら生活に張りがでるような お話がありましたが、 ネットの実態は、醜いです。消しゴム⇔雑巾どころではないです。 先日から、私は まどみちおさんの 消ゴムを 先日からなんどか検索にかけて味わっていましたすると、どうも大人じゃあなさそうな上手とは言えない文字でつづられた「 消しゴム 」が出てくるので、なんだろうかと首を傾げていたのですが、その画像は小学生が 鉛筆で模写したものでした。そして、それを見たネット内の一部の人々は あの まどさんの「消しゴム」という作品を 小学生の作品と思った人がいるようです。 いやー。これは消しゴムで消すべき事態だなあと思いました。。 ネットという媒体って ほんとコミュニケーション革命ですよね。すごいことです。あっという間に 情報のきれはしだけが流通するのです。そして、 まどさんの作品が 小学生の凄い子が書いたことに なってしまう。 ネットというものは一事が万事でしょうから、ネットだけをながめていたのでは 現実と乖離するばかりです。ネットというものは あたかもリアルな情報のように思わせる即時性があるし、おそろしいことだと思います。 このような環境におかれている こどもたちの心は、そして私たちの心は どんなものだろうかと 思いました。こどもたちが集団でいるところ良く見るのですが、ゲームをよくしています。私も携帯ゲームも好きです。人を殺す物語とかは仮想空間では普通です。しかしフィクションが成立するためには 作家による背景描写というお膳だてが とっても大切で、作家の名前や題名を踏まえることで わたしたちはリアルとリアルでないことの境を やっと持っているのだと思います。 まどさんの文が小学生と誤解されてネット内でうわさされていた件を通して、こんな世の中だからこそ 文がどのような背後で掲示されたものかを わたしたちはとても注意するべきだと思いました。 まどみちおさんの ことり も、好きです。 では、おやすみなさいませ 蛾兆さん おお。 まどみちおに『ぞうきん』という詩もあったんですね。 私の方がありがとう、という感じです。 また、違う視点(存在する位置の移動)で捉えられてますね 渚さん ケバブ御馳走様でした。 渚さん 私の話を受けてくれてありがとう。 (女性同士)の大変さ、はまた一大テーマですね。それに私の異見を加えると、相手がクリンチばかりしてくるボクサーだと困るということがありますね。勝てる見込みがない場合の姑息な戦法として姑息な人間がよくやります。私は剣道家なので、執拗に鍔ぜり合いをして引き技をねらうゲスがそういうタイプです。恥知らずな輩で、少なくとも武士道はない人達です。 蛾兆さん 『悪童日記』論を提出してもらったので、私からもコメントできます感謝。『グレートギャッツビー』と並べて出されたので、そうすると、「理想」のような「何か」は、 私の言葉で敢えて言ってみれば、《ぞうきんの夢》です。 まどみちおの「消しゴム」という詩が私は好きですが、あれを読んで わたしは、ぞうきんに置き換え変えてもあれは成り立つと思いました。 そんな、《雑巾の夢》です。 こんな風に書くとすぐ、この詩情をパクって詩を書く二流の輩がいるんでしょうが、じつに姑息な限りで、私の軽蔑リストに載ることになるでしょう。 きちんと相手の発言を受けて、オリジナルの見解が出せる人は、そういう心配は少ないので、愉しく会話できると思います。 お二人の「意見」に触発されて、私も同じ話題について自分の意見を述べました。一言余計なところは図星でないことを祈りつつ。 ●渚鳥さん 貴重な気づきをありがとう。 対話って常に 想像力が ためされますね。 可能かどうかは べつとして、もしも想定外の反応があったとして、それがクリアできたら そのときは ワンランクアップの瞬間かもしれないです。 ●人生デザイン。をお、クリエイティブな発言ですね。蛾兆さん、ありがとうございます。 人生デザインと云う意味での読書は 魅力的ですね。『悪童日記』も良さそうだと思えました。 私もクリエイティブの師として、アンネの日記をあげます。悲惨な話としてではなくて 私は アンネの日記を子供のときに味わいました。あれから 架空の親友にあてて手紙を書くという形式の日記を書いていました。創作の楽しみを教えてくれたのは アンネです。 『悪童日記』を読んでいない私なのですが どうもみなさんの話をきいていると 私は 読書量に おおきな問題があるようです。大抵の場合は、読んでないことが おおくて。どうも すみません。でも、賢い人ばかりだと それはそれで大変だと思うので ゆるしてください。。『悪童日記』って 双子の話みたいですね。ごく最近 アンネフランクの義理の妹さんのでドキュメント番組をみました。重層的に物事を伺えてよかったです。 先日 私は、「個性的でありたいと私は考えたことがない」なんて言いましたが、そう云いつつも私が 時代背景などについて反応しがちなのは、私の行動の様々な判断は 境遇に起因しているのであろうと思っているからです。そうでなくて 年号に反応しすぎたのは、私の個性かもしれないです。 だって 【はだしのゲン】は わたしの御近所のおっちゃんおばちゃんにも ふりかかったリアルですよ。私の近所のおっちゃんおばちゃんは どう人生をデザインしてきたかという話と 近いです。 私が ある会社に勤めていたとき、勤め先の敷地内に、元小学校があったと記す碑がありました。それに気が付いた時は休憩時間でしたが、その碑の前で 涙がとまらなくなったことがあります。この位置に小学校があったなら ゼンメツだなと 解ったからです。年号と場所は大きくものをとらえるとき はずせないです。 実体験にしろ こどものころの読書経験も、自分をデザインするのに役立ちますよね。 わたしの読書量には問題がありますが、私の見識を みなさんでデザインしてほしいです。 蛾兆さんようこそ 作品への感想をのちほど書かせていただきたいです。 歓迎のしるしに このコーナーに既に投稿していた作品と 蛾兆さんの作品をきっかけに書いた私の拙作品を http://mb2.jp/_ska/2949.html 改編したものを 今、投稿しました。題名は「喰う寝るトコロに住むトコロ」です♪ 自分に様をつけちゃてます。まちがえましたあ。あちやー。 わかりました。私自身には、歴史的に子供を想像しようとすることは、意味のあることなので、お礼を言いました。お疲れのようなので、以後は自習で過去のこどもについて、調べてみます。 それは私自身様には役に立つと思います。だって、私は昔、子供だったんですよ。 過去を知れば、今が見えるはずです。しかし、 個性的でありたいとおもったことがないので、普通に詩作して、普通に自習します。ベルさんにお礼がいえてよかったです。その時期の3つの発見のことを ゆっくり紐解いてみます。お邪魔しました。 ザリガニかあ。なんの、おもいでもないなー。 本質とあまり関係のない 表面を撫でて触り合うだけの会話 わたしの場合、そういうのは疲れるだけです。 何かの本質に触れ、それなりに深い会話を求めます そのためには、話者の片側だけがそうしても続かない ということです。 るるりらさんが言う >1960年代のこどもの概念のお話 というのがすでに大分ズレているので ちょっと白けます。 60年代ということに何か意味を持たせて提議はしていません。 そのとき、3つの深層的人間の発見があった、というだけのことです。 自分自身のオリジナルの感性がなくて、どうして、 歴史や社会的な知識を考察して意味がありますか(詩に関するこの場で)。 皆さんそれぞれのユニークな視点を出してもらったら、 わたしも、私の視点について述べることができるのに残念だということです。 まあ、公園の主人が、カレーの詩を書かせておいて、 自分は知らんぷりですから、 皆さんもザリガニの詩を書いたほうがいいのかも知れませんよ。 ●渚鳥さん 推薦図書は、ネットでよめるのですね。すごいなあ。でも私には どこにあるのか解りませんでした。 でも ざっくりはあらすじは解りました。よさそうですねー。 ●ベルさんへ わたしは どうも1960年代のこどもの概念のお話が気になってます。 1960年ということは その時に生まれた人は 現在 五十代のはず。半世紀で子供の概念は どう違うの?ってことが きに なってきたのです。 それで昨日は、キムバートン監督作品「ビッグアイズ」という実話をもとにした映画を レンタルしてきました。一世を風靡した目の大きな子どもの絵ばかり描いてきた実在した女性がモデルの話です。 当時は こどもと存在の認識があらたまった時期だったと同時に、女性の地位も 変化していた時代だった実例をモチーフにした映画だと思いました。1960年代の世相って興味深いです。 日本での子どもの認識が法的に明確にされたのは その十年前の1951年5月5日に制定された児童憲章。 日本で児童福祉法が制定されたのは1947年。それまでは、児童の健全な成長を害する事件はそれが是正される法律すらなかったようです。 これより前のこどもを想うなら とうぜん戦前戦中戦後のこどもとの対比のなります。そりぁ子どもをとりまく環境は違うに きまっているのですが、 童話を読むとき そのお話が製作された年代を踏まえて読むのに、1960年という年号を頭に置くと、読み方が深まるような気がして ありがたい知識を得たと思っています。 ●カイトさんへ たぶんカレーを 食べたんだろうなあ。いいよね。カレーって [415]渚鳥さんの企画 ]お題目 ”ケバブ” ”ウリム” ”剣”で詩を書く 【露天ブース ブルース】 けばぶけばぶ ししかばぶー きんきら やいばで 削ぎ落とせ 火の子があがる煙の匂い 目を閉じれば 夕暮れに走る幌馬車隊 目を開ければ 火傷を気にする大男 ぎんぎら アルミにウリムに包まれた 肉汁のおどる たなこごろ 知らない大地の知らないメランコリア 削ぎ落とされて喰われて消える けばぶけばぶ ししかばぶー 題名は【かれこれのカレー】です。 卒業式の練習の日 あいつが嬉しそうな顔をして 指さしたのは 体育館の柱の下のほう 「みてみて...」の指先のさきに何か 文字が掘られていた 【夕暮れ時の平和台 あっちは焼き肉 こっちはカレー】 それは、授業の課題に提出した私の句のようなもの あんなに馬鹿みたいに 笑われたあげくに刻印された私の句 のような 句でないような かれこれいくとしの永遠のカレーの匂いが 春になると 母校の周辺に ただよってくる あれは、 ヤツの掘った文字のせいだ おはようございます。おかげさまで わたしのなかの大人と子供の部分が 明確に、いい具合に、あやふやに なりました。窓の外は お天気雨。 この詩ヌマデの公園の冒頭文章も 冴えざえとしております。 参加者の皆さんの 脇腹をこしょこしょしたくなり、やり残しの宿題の言葉全部をラップか、ポケモンモンスター数え唄の替え歌にしてしまいたい衝動にかられます。ここは、ひとつ、カイトにガッハハと 笑って欲しい。欲しい欲しい。デスル言葉すら欲しいとなく涙だって、お天気雨の中の花のようなものです。雨が飴となり メルモちゃんのように、自在になれるための 洗礼をありがとうございます。笑うところですyo 渚鳥さんへ 作品の紹介ありがとう。どれも繊細な作品ですね。とくにクラバートは良いですね。 私からは「わがままな大男」(オスカー・ワイルド)を挙げましょう。 渚さんの投稿作品は、私に、ある傾向の水準を伝えてくれるので貴重です。私がなぜ詩誌に投稿しないか(意志的に投稿しないのではなく、何となくしようと思わない)その自分の失われた(かくされた)記憶に気づきます。 皆さんへ 今回、わたしは、『主体をこども目線にする創作上の意義』について、 事例を挙げながら自身の小論を展開する準備が整ったところでしたが、 それは私が名のある物書きになった(なれた)ら、まとめて別の場所に発表することにします。 ここだと、私が論じたい内容にいきつくまでが大変そうなので、遠慮することにしました。 さて、子ども時代のエピソードにチラリと触れて頂きましたので、わたしも思い出したことを一つ。 子供の頃、キャッチボールをよくしました。そのとき、相手がこちらのボールを取れないと、相手は後ろまでボールを拾いにいかねばなりません。場合によっては、道路の向こうや、小川や溝があればその中まで。 一方、相手の返球が暴投だと、今度はこちらが後ろまでいちいち取りに行かねばならない。そんなわけで、キャッチボールを愉しく遊ぶためには、双方のコントロールや緩急が適切な範囲を超えない者同士でないと、なかなか面白くやりつづけることは難しい。そんな忘れていた記憶が蘇りました。 渚さん紹介の作品について語るなど、話題を転じて、雑談にし、あとはカイトにおまかせします。 ありがとうございました。 # 渚さんまたプチ企画お願いしますね。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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