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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=30825&from=menu_d.php?start=0 by 北村 守通 「武装放棄」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=37600 よろしくですー。 by いとう >>138 合評スレがあるのはいいことだと思うので、そのことに関して批判はしないけど、 未詩独白に投稿しといてここに投稿する理由がよくわからないので、 もしよかったら説明してください。 by 佐々宝砂 なぜ未詩・独白に投稿するかの説明にはなってないと思います。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 はいさ、またおじゃまします・そして贄します、 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=35315 これはどう見てもらえるのでしょうか、… by (1+1)/4 参照先不明 お願いします http://www.po-m.com/forum/i_doc.php?did=106351&from=10 by 黒い鴉 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>271 別に削除する必要はまったくありません。 と管理者としてコメントを残しておきます。 ヘンな前例を作りたくないので。 「2.誰でも好きなことを好きなように。基本的に何でもあり。」 とあるように、好きなように書いてください。 それに対して文句あるなら最初からここに作品持ってくるなと、作者に言っとく。 ここはそういうふうに規定された場ですので。 by いとう よろしくおねがいします http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=176204 by 光井 新 >>289 光井さんの「名前のない少女」読みました。 僕には2つの箇所が良いように思いました。屋上、少女、いじめ、自殺というとなんとなくそういう物語が思い出す方もいるかもしれません。 しかし意外とそうではないように思いました。一つは押し花のストラップです。これは男の子があげたものですが、大事に持っていた。その思いの強さが男の子をおののかせます。一見単なる片思いにすぎない。しかし、それをちゃんと身につけていることに、自分が誰かに求められていたという責任に少女が死んでから気付くのです。これは苦しい。なぜか。自分がサプライズをつまりいたずらをするようなガキなのに、思いを寄せられた一人の人間だったことが事後的に迫ってきているようです。まだまだはっきりとは書けていないとしても私はその可能性を感じたい。 また「名前のない」とはデスノートに名前がないから、少女自身は死にたくない。殺される側にまわりたくない。しかし憎んでいる。でも殺すか殺されるかの選択に陥り自らを殺すことにしてしまった。 耐え難い殺意や憎しみの中に少女もいたくない。好きな男の子も死んでほしくない。その葛藤の中でそういう世界から脱出したくて死んでしまう。男の子を置いて。 これを男の子へのいかなる感情と捉えればよいか。一生男の子の心の中にいたいという。 男の子はたぶん少女が死ぬことも、自分を好きだったことにも気付いていなかった。死んでから彼女とはじめて会えたのです。 この誰かが死に追い詰められるほどに逼迫が常態化している世界で、それを救う術があるとしたら何か。 ヒントがあるのは、名前がないというのは男の子にとって名もない少女だということで、裏を返すと誰かの存在をどこかで、感じつづけることです。 誰かが死んでからでは遅い。しかしどうしたらいいのだろう。その問いがタイトルにあると思います。 描写はシンプルで粗い感じですが、大きな骨格を読むなら実は詩のもつテーマ性自体は大切な問いだと僕は考えます。 by 石川和広 こんにちは、よろしくお願いします。 「ハミング」なのですが、投稿されている時に読みましたが、「男女の性交」 について書かれているということはわかりましたが、引っかかる部分がありま せんでした。こちらにURLを貼られてもう一度読んだのですが、同様でした。 今回、黒葉かものさんの批評を読んで、そういうことが書かれているのかと もう一度読んだのですが、わかりませんでした。 それで、もう一度読んで、どの行が、どの言葉が、作品のどの部分に影響を 与えているのかという、わたしが詩を読むよろこびとは少しズレルことをして みました。 1、2行目の「私」と「君」は、男女であると考えられますが、話者の性別がわ からないまま読者は作品に入って行きます。3行目以降、最初の2行とは書き 方が変わって、主語がなくなりますが、「私」と「君」のどちらが男でどちらが女 と捉えたかが、読み手によってまちまちですので、ここで読者は迷うのでしょう。 そこで、1、2行目の「私は」を省いたらどうかと、読んでみました。少しすっき りしますが、まだわかりません。そこで、連分けしてみます。 ------------------------------- ハミング / rabbitfighter 私はつらいのだと君は言う 私は不幸なのだと君は言う 誰にも顧みられない 愛されない そうしてうつむいて 早足で通り過ぎていく 経血と精液がベットの上で混ざり合って 喜びが今産まれようとしている 悶えながら 失われてしまう でも 産まれた瞬間に 天使になるよ すべてが悲しみに定着して 月の周期に生と死が同期する 耳鳴りにハミングしながら 君は早足で通り過ぎていく ------------------------------- このように連分けしてみると、圧縮されていた「行間」の部分で読み手が読む べきものが見えて来ます。 そこで、わたしは「月経中だと見定めた淋しそうな女の子を眺めている、ある いはナンパしている男子の頭の中で書かれた詩」ではないかと思いました。 「産まれた瞬間に/天使になるよ」というのは、「性交をすることによって男性に とって天使になる」という意味でしょう。月経中だから、妊娠する心配もないし というのが「月の周期に生と死が同期する」でしょう。 そこでまた疑問になるのは、本当にこの読みでいいのか、ということです。「読 みが足りない」と指摘されたい気持ちが大きいのですが、わたしが読んだ内容 でいいのであれば、作者はなぜこの詩を「生贄」に持って来たのかが非常に不 可思議です。このように、光を当てられたかったのでしょうか。 「耳鳴りにハミングしながら/君は早足で通り過ぎていく」という気分なのですが、 もっと作者にとって救いのある批評をしてくださる方がいないかなと思います。 by 鵜飼千代子 黒葉さん、こんにちは。戻して戻して。 四つ葉が好きなんです。幸せをもたらすと言われていますけれど、成長点を潰さ れて、三つ葉だったものが、そこから先四つ葉になるっていうでしょう?五つ葉は、 金運にいいらしいです。 さて、本題です。(笑) そうなんですよね。この詩で「君」と「私」を同一だとすると、性交している相手は蚊帳 の外だろうなとわたしも思います。 そうすると >早足で通り過ぎていく が、今度はなんだろうということになります。 せっかちな相手だったというには、中途半端な場所に置かれている気がします。 最後の2行も宙ぶらりんになる。 >すべてが悲しみに定着して >月の周期に生と死が同期する ここは、1、2行目のつらさや悲しみと、中盤、喜びと引き換えに失うものへの悲し みじゃないでしょうか。それらがひとつの悲しみとなる。生と死は、受精すれば新 たな命を授かりますが、しなければ生殖という意味合いでの性交は失敗、何億も の(?)戦士が討死します。そういうことなのでは。 先に書いた内容で、話者は女の子で、蚊帳の外でない相手の男子がいる詩だと わたしは読みますね。この詩で「私」と「君」を同一とするのは、少し無理があるよう な気がします。どうでしょう。 by 鵜飼千代子 よろしくお願いします。 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=182688 こんな感じの作品をまた書きたいと思っています。 by 光井 新 参照先不明 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=318170 よろしくお願い致します。 by 梓ゆい 参照先不明 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=322835 よろしくお願い致します。 by 梓ゆい 母方の祖母宅に帰省した時に食品庫の菓子鉢にいつもピーナツチョコレートが入っていたのを 思い出しました。祖母宅では好きでいつも食べていたのだと早合点していたのですが、帰省し たらすぐに食品庫にダッシュする孫へのおもてなしに祖母が帰省する度に準備しておいたのだ と後年母から聞いてじんわり来た事を思い出しました。 全部読んだら意味はわかるのですが、一読目は初っ端少しもたつくかな。いっそ1行目をラス トに持ってきて調整するのもありかなと思いました。 孫からの視線で書かれていてその点では成功しているのですが、おばあちゃんの立場であれば もう少し控え目に書いて欲しいことはなかろうか。その辺り、詩の深みになりそうな部分かな と思いました。経験していないと考えもしないこともあります。忘れたくないこと、書いてい きたいですね。 by 鵜飼千代子 http://po-m.com/forum/thres.php?did=320890&did2=61 ベルさんの主催するスレでの企画に提出したモノです。 夜のパリ プレヴェール(小笠原豊樹訳)の後のシーンを想像して書きました。 これを提出したあと この詩の問題点について 自身で なんどもかんがえたのですが 私自身以外のご意見が頂戴したく こちらに提出させていただきます・ もしよろしければ 忌憚のない ご批判を よろしく おねがいします。 ちなみに ベルさんにご意見がうかがいたかったのですが、わたしのせいで 上手に ご意見がうかがえませんでした。このスレならば 私の返答は いかなる場合もしない約束となっておりますので もしかしたらご意見をいただけるかもと 思っております。 "完全な闇" 心の溝を覗くとき 淵に足をすくわれそうな思いにかられるとき わたしには あのときのマッチ箱がある 町はあのころとちがって賑わっている ティファニーの宝石のようなともしびが 凱旋門に つななっている こんなに明るくとも わたしの心には完全な闇がある ダイヤモンドは暗がりでも輝くのだろう でも わたしには完全な闇こそが 輝くのだ ポケットに あのときのマッチ箱があるかぎり by るるりら 未来への参照 未来への参照
やり方。 1.作者が合評して欲しい作品のURLを貼り付ける。合評開始。 2.誰でも好きなことを好きなように。基本的に何でもあり。 3.なんとなく場が収まったら、次の生贄を待つ(笑)。 注1 合評される作品の作者は、合評内容に対してどのような発言権も持ちません。 つまり、自分の作品に対する発言は禁止。最初にURLを晒すだけ。 作者が特定の発言に星を入れるのも禁止します。 注2 合評中は、新たな作品のURL貼り付けを認めません。 合評は1作品に対してのみ、行っていきます。 ごめんなさい。。。やり直します。。。(-。-;A 自分しか認める者のいない詩人の 生贄です。。。ヾ(笑)ゞ どうかお手柔らかにお願い致します。。。m(_ _)m http://www6.ocn.ne.jp/~manabe/syun.pdf 個人を箱に擬え、 動きがリアルで話に奥行きもあり面白いのですが、 タイトルの「物書き」が説明的で散文的に感じました。 >>244 この作者の作風として、主題(テーマと言ったほうが良いだろうか)をかなり明確に据えて書くということがあると思います 一貫して、主題に対する記述と、それを修飾する詩的な方法と、これが境界露わな2層構造でできあがっている、というスタイルで書いているようです 境界露わな、というのは端的に言ってしまえば融合していない、ひとつの世界を創れていない、と言うことでしょう。相田さんのコメントはとても理解できます。 さて、今作の主題は、創造と破壊、あるいは、破壊に至る創造、というように感じました。恋愛詩という感じは、あまりしません。表現、文字になる手前まではうまく行っているような気がしますが、文字にするときにどうも考えすぎているように思えます。 気の利いたことも言えませんが、真に文字にして顕したいことが何か見つめ、削ぎ落とす作業をすることで劇的に良くなるのでは無いかと感じます。 皆様、申し訳ありません。 >>246 他の作品に対する発言のあった20分後に 自分の作品を貼り付ける行為自体がよくわかりません。 説明に「3.なんとなく場が収まったら、次の生贄を待つ(笑)。」 とありますが、あなたにとって発言のあった20分後は すでに場が収まった状態のことを言うのでしょうか? 私にはまったく理解できません。 作品の投稿はもう少し待ってください。 とりあえず244の合評を続けます。 #きつい口調でたいへん申し訳ありませんが、 #こういう、状況を読まないのか読めないのかどちらかわかりませんが、 #そういった場を乱すような行為に対しては、 #個人的に、またスレッド管理者としても、非常に嫌悪感を感じます。 一口に青といっても、青にはたくさんの青がありますね。空や海の青、信号、トルコ石、地球。青々とした、なんていう概念上の青もあります。けつの青いとか、若い、幼いといった意味の。 このように、青と言う単語には、背後にとても大きな世界が広がっています。青を想像してみろといわれたときに、頭の中に浮かんでくるのはどんな青ですか? そんな問いかけをされたように、この詩では話者の心象風景を様々な青が駆け巡る。はるか彼方の風に揺られると言う憧憬、さざなみ立つ稲田、大洋、それらもまた彼方の、憧れの景色、。ざざぁ、という風の音が心地いい、リズミカルな景色の連続。 駆け巡る景色はついに時代をさかのぼり、話者の憧憬は古代にまでさかのぼる。第4連、 遠い昔 彼らの そして私の 先祖が泳いだ 深い海になる ここでは、彼らの、という他者が突然現れる。この彼ら、は誰だろう。 考えられる一つは、作者のリズム感が生み出したものかもしれない。普通に句読点をつけて読むとすれば、 遠い昔、彼らの 、そして私の先祖が泳いだ深い海になる。 であろうか。これに彼らの、の部分を抜かして書くと 遠い昔、私の先祖が泳いだ深い海になる。 意味が通るように私、の前のそして、も省いたが、両者を比べてみると、前者のほうが明らかにテンポもリズムもいい。彼らの、を踏み台にしてより遠くに高く飛ぶことが出来る。ただ、初見ではこの詩のテンポのよさに流されてしまったが、何度か読み返すうちにこの場所にだけ出てくる彼らの、という他者がひっかかってしまう。もしもテンポのためだけに使ったのだったら、推敲して別の語を持ってきてもよいかもしれない。 あるいはまた別の読みも出来る。 この彼ら、がリズムやテンポという語感の部分でアクセントを与えたように、意味的な部分でのアクセントででもあるのかもしれない。この詩は全体を通して孤独である。孤高、といったほうがよりしっくりくるが、話者の精神の疾走は他人を寄せ付けることなく、最初から最後まで常に一人である。一人であることを際立たせるための他者であるとすれば、この唐突な彼ら、はやはり推敲を必要とする部分だと感じる。 総じてとてもよい詩だと思います。景色を懐かしむような、民族的な、土地に根ざした感覚、それと同時に、遠い海に憧れるような眼差し。それらが一人の人間の中で矛盾することなく存在している。やはり青という色から若いという印象を抱いてしまう。波の音も心地いい、素敵な輝きを持った作品です。 はじめまして。まだレスがついていないのでお粗末ながら書いてみます。 書いていく内に、 終盤になって書きたいものが見えてきた印象を受けました。 始めのテンションと、終わりのほうのテンションが だいぶ違うなあと思いました。 >そもそも出口はあるのかないのか の連から後のほうが、イキイキしているように個人的には思います。 >絶叫した この行が独立して一行になっていたりして。 「この表現を見せたい」という作者さんの意識を感じます。 「そもそも」まで、ちょっと文章が説明過多な感じがします。 構成的に説明に割いている部分が長い。 平易な路程ではなかった ある時は出口を求め走りに走り… 廊下は変わらず続いているし 私は歩いていかなければならなかった… これらの過去の経緯についての説明は、ラストシーンの、血だらけの足で、 もう、わかるのではないかなあと思いました。 あと、説明過多っていうのはワンセンテンスの長さにも表れてて、 >私はただ延々と諾々と無言で歩いている 「ただ」「延々と」「諾々と」「無言で」はどれかいっこがあれば、 大体同じような意味合いを兼ねるので4つの修飾節はいらないと思います。 >出口があると >信じて >信じられるように、信じて これも「信じる」の同じ単語の繰り返しで、ちょっとくどさを感じます。 多分、 きちんと読む人に全部説明したい親切な性格の作者さんなんだろうけど、 ちょっと気を回し過ぎて意味がわからなくなってる気がします。 ・同じような意味の連は整理する ・何回も出てくる同じような表現については再考する とかして、 シンプルになるように見直しすればいいんじゃないかなと思いました。 (わたし自身、推敲する時もまずそこから直すのですが) それさえのぞけば、わかりにくい部分っていうのは特になかったです。 壁の向こうにも歩いている人がいるところや、 人一人分しかない真っ白い道を歩いているところに、 「おや。なんでだろう……」 っていうふしぎさを感じました。 歩いている人達や、この真っ白い場所は、 最後まで明るみにされない謎の部分で、そこにファンタジーを感じました。 PVの中に出てくる風景みたいで、意味深だなあと思いました。 あと今回の評とは関係ないけど、 一応、一人称の詩だけど、 俯瞰でものごとを見てるみたいな客観視のできた書きかたをされるので、 そのクールさを生かして、 いつか三人称で詩を書いてみたりしたら意外と合うんじゃないかなあって思いました。 携帯アドレスのようですのでPC用に http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=138883 レルンさん、はじめまして。 批評にはあんまり慣れていないのですが、生け贄、ということで。うしし。 冒頭2行、公園がすでに夕焼けの中に入り込んでいます。公園が「どこまでも続く」というのは本来ありえないことですが、どこまでも続く夕焼けに「なっている」公園ならば、どこまでも続いていける。そのような風景に女の子は溶けこんでいる。いわば彼女の内面は向こう側の夕焼けの世界に行ったままでこちらに帰って来ることができない。向こう側とは、夏休みに象徴されるある種の遊園地のような世界で、ちょっと常套的すぎる比喩かと。 2連、落ち葉は、「小さな手」とあるのでカエデだと思います。背後で合唱が聞こえる。これは場面としては、小学校の音楽室から聞こえる幼い声、あるいは夕暮れの公園で、かーごめーかーごめーとかやってるイメージ。ぐああ、私のイメージもステロタイプすぎ...。さて女の子はもうその合唱に加わらない。以前加わっていたであろうけれど、もう一緒に歌うことはない。ひとつの成長を暗示するものと思いました。 3連、はい、わかりきっています、というか使い古されていることばなので、よほど注意深く用いないとただのノスタルジー。 最終連。秋晴れの青い空は、すきっとした感じでしょうか、あるいはレルンさんは北欧がお好きみたいなのでそのへんかな、、研ぎすまされていて言語化できない色と頭上のひろがり、それをひと言で「秋晴れ」と言われてしまうのには抵抗がある。しかしながらそれを忌みきらいながらも将来そのことばを使うであろうという「自分」のことをかなり冷静に予測。 この予測している、ということに着目したのですが、この予測しているのは誰か?女の子と仮定すると、どうも納得いかない。ええと、状況のただ中に、すなわちここでは女の子が成長する直前の状態で「そこ」にいる場合、将来に起こることなんてよくわからないんですね(私の経験上ですが)。閾値のようにひょいと次の段階に来ていて、後からああそうかと気づくことが多い。あるいは近い将来なにかしらの変化がある予感がしてもその時期を「予測する」というのは、予知能力がない場合不可能。えてして曖昧なものなんです。いわば彼女は夕焼けのある向こう側の世界にとけ込んだままであって成長前の段階にあり、外界が見えない。見えないということは、その外側、彼女がやがて到達するであろう外の世界を明確につかんでいない、はず。しかし、文脈からみるに、将来確実に訪れるであろうことへの冷静な視線がうかがえる。 「不憫に思う」。この語を使う場面としてはどんなものがあるでしょう。「あの子は父親がアル中で母親もアル中であの子もやっぱりアル中で不憫だ。よよよ」とか「あの子はまだあんなに幼いのに両親を助けるために奉公に出てて不憫だ。よよよ」と、立場上やや上に立っている人が使うことが多いと思います。要するにここにはやや上方からの視線が入り込んでいるのです。 では、その簡単にひと言で「秋晴れ」と片付けられてしまうことを「不憫に」思っているのは誰か?それは女の子ではなくて作者でしょうね(言い切ってしまった)。 結論として、作中の女の子に仮託して作者に内包されるかすかな成長の萌芽を提示した作品、ではないかと。 #あのー、ちょっとアルコール入っているので、飲み屋でぐるぐるくだまいてる程度に聞いてくださればと。あなかしこ。 このような詩にコメントするのは難しい。事実、この詩に入っているのは無言のポイントのみだ。批評となると、さらに難しい。人の死、特に身近な人の死を語るのは勇気のいるところだから。 これはフィクションだろうかと、どうしても考えてしまう。例えば一杯のかけそばにまつわる事件を思い出してもらえば、事実であるかどうかが読み手にとっていかに大きな影響を与えるかが分かる。 そもそもこれは「詩」だろうか。 何を持って「詩」であるかという議論はうっちゃって、ここでは自分の感覚のみを頼りにするが、これを詩と言い切るのに少しの違和感が残る。 話者である女は病室で、ベットに横たわる夫に医者が臨終を告げるのを聞く。正面にいる夫の姉の目に夫の面影を感じたりするところはこの作品にリアリティを与えている。が、この文章は最初から最後まで、思い出したままをそのまま綴ったという印象を受ける。そのリアリティが、かえって僕を不安にさせる。ある詩にとってリアリティは扱いがたい代物だ。読み手が詩の世界に入るのを拒んでしまう障壁になるからだ。生半可にリアルなものよりいっそ、箇条書きで書いてくれたほうがやりやすい。 最後の二連はこの作品をかろうじて詩の形に留めている。その前の一連も強くリアリティを感じさせる部分(その技術というか、使い方のうまさは評価したいところだ)。 でもそれだけのものになってはいないだろうか。 リアリティの持つ強さが、この詩を損なってしまっていると感じる。 DEATH US NEVER DO PART、死は私たちを分かつことは出来ない 力強いメッセージだと思う。その強さで、リアリティを吹き飛ばして欲しい。 向き合ってみました。 相変わらずとんでもない読みで申し訳ありませんが。 まずは内容から。記号で区切られていたので、それ毎にまとめてみました。 ・1 初連、夕日は捕らえられ、「私たち」は解決を諦め、閉じた時間の輪の中から 外側を巻き込もうとしている。夜へ。 二連目、「何かとても嫌なもの」を認めない小人は、まさに私たちそのものであり、 ミサイルを美しいと称え、祈る。これ以上強くなりませんようにと。 弱いまま生きていられますように、と。 えりくすま、えりくすま、夜であることを選り、 くすみのように影を落とした、あるいは既に人ではない、「魔」としての。 ・2 一連目、このミサイルはやはり標的を持って飛行していることが示される。 ブラウン管を通して、しかし私たちは標的にあまり関心を示していない。 二連、始まりと終わりが重なる。ミサイルはただ飛行しているのだ。 打ち上げられることも着弾することもなく、 始まることと終わることが等号で結ばれるように飛行する。弔われた結果たちが、 ミサイルの存在を僅かに隠す(が、当然それを終わらせることはできない)。 三連、かつて私たちであった小人が祈っている。荘厳さはそこにはなく、 ただ茫洋とした「美しさ」に満たされている、神話ではなく御伽噺。 るーまてっく、るーまてっく、室内(room)から、 光を(illuminate)見る(そこにlunaはないというのに)、かつて技術(tech)であった者へ。 ・3 最初の連で「潰す者は幸いなり」が登場する。このあたりから、「私たち」と「小人」、 そして「ミサイル」の存在の相互の壁が崩れていく。 二連。作中で唯一独白の形式を取っている。ミサイルは「焼き」、 そして輪郭をかたどって行く。 三連目。私たちはそろって落下していくが、 どちらかといえば無限に上昇を続けるミサイルを書いたものであるように思った。 潰す者は幸いなり、潰す者は幸いなり。 幸いなのはミサイルか、それとも、かつて私たちであった、小人の輪だろうか? 最終連、ミサイルは視界から消えている。流れ星に祈りを捧げるように、 再び祈りの対象となり、恐らくは別のブラウン管にその姿をうつすまで飛び続ける。 めれっせん、めれっせん、めりこむ者として、烈しくある者として、 あるいはより劣った、より小さい(lesser)者としての。 作中の時間の輪は、2⇔3で閉じていて、そこに特定されない1→2が絡んでいる、 という感じでしょうか。既に全ての始まりである「私たち」がミサイルを打ち上げるシーンからも、 全てが完結するはずのミサイルの着弾シーンからも、独立してしまった閉じた時間軸のものがたり。 「美しい」という語句が大抵の場合引っかかりになるのだけれど、 どちらかといえばこの詩において、ミサイルは私たちにとって美しくあるしかなかったのでは。 自分たちで打ち上げたものに、どうしようもないくらい蹂躙されて、 ならばもうそれをしたのは「美しいもの」ということで自分たちを諦めさせるしかなかったのでは。 そんな気がします。 だから弔いの祈りはきっと自分たちのための物で、 (祈りと言うのは大抵、自分たちのためのものという前提を踏まえても)小人は、私たちは、いやらしい。 そして妊婦は怯えている。未来をその身に宿したひとが、怯えている。 ミサイルが本当は美しいのかなんて、これだけで充分わからなければならなかったのに。 月見里司 拝 ちわー。 なんか難しくて重苦しい感じの詩で、 がんばってもわたしの読解力では読み取りできなかったので、 批評でも感想でもなくわたしの感覚をただ言うだけですが、 なんか「美しい」ということばが、 「美しい」という字のかたちの、「がらんどう」に見えました。 遊園地の廃墟に、「美しい遊園地」とか看板がかかっていて、 灰色にくすんだまま誰も来ないでぼーっと建ってあるような感じです。 そんな遊園地、こっけいで虚無で怖いです。 昔はそうだったのかもしれないけど、今は違うよ、 誰も来ないしぼろぼろだよ、ってツッコミたくなるけど、 遊園地はその看板をかけたまま今も無人の観覧車やティーカップといっしょにそこにある。 「美しい」という言葉を使う時、書き手は、 書き手なりの美意識を文中に発揮して、 「自分はこれがこういう感じで美しいと思った」とかを、 さりげなく匂わすと思うのですが、 この詩は「美しい」がどう美しいのか、 どういう点に心ひかれる美しさなのか、 クールビューティなんか?愛らしいのか?ひたむきなのか?大和なでしこなのか? 全くイメージが語られてなくて、 でもどんどん「美しい」「きれい」などの言葉が並んでいき、 読んでて怖いと思いました。 安部元総理の、「美しい日本」を聞いた時の違和感にすこし似ているけど、 「美しい」ということは全く内容が説明されないととてももやっとした感じが残る。 「ミサイル」は人殺しの武器というイメージがあるので、 「美しいミサイル」とは、 形状が美しいということなのか? それともミサイルをとばす行為やこころざしそのものが美しいと感じているということなのか? いろいろ推察しようとすると可能性が広がり過ぎて、 「美しいミサイル」をとばす小人が不気味で怖いです。 「弱いまま生きていられますように」と発射されたミサイルは、 着弾した時「他の弱いもの」を殺してるのでは?って思って怖かったです。 この詩の中で「美しいミサイル」は何回も発射したり突き抜けたりしていることを書いてあるのに、 最後どこに着弾し、どうなるのか、には一切触れられない。 どこに向かってなにに飛ばしているのか、 なにを「美しい」と思っている「わたしたち」なのか、 読んでいて全くわからない。 わからないというかはっきりとは書いてないから伺い知ることができない。 ううう。 でも、文章全体が重いトーンで、今のわたしには読解できないけど、 底流に「なにかある」のは感じます。心霊写真みたいに、 なにか写っているけどなんなのかわからない、 それが怖いという感想でした。 (……ってこんな文章でもイイんかな〜??(・u・;)) 最近読むばかりなので、所感などを。 あー なんやろねぇ、どこまでが私でどこからが私でないのか。 どこから始まりどこに終わるのか、その始点も終点も定かではない閉塞された輪。要はその先になにが見えるのかってところなんやろけども。 何も見ようとしないのならば、それは盲目ともいえるかもしれないし、 老成とも、あきらめとも。 邪推すると、詩書いてる人たちへの問題提起のようにも思えるかな。 あなたはその先になにを見ますか、みたいな。 私と公があやふやなまま話されてる印象もちました。 あるいは私がどこにもいない印象かな。 だからこそこの詩になんらかの問いかけをしたとしても ちょっと無限ループにはまっちゃう気がします。 面白いかなぁ、この詩、俺はあんまり面白く感じなかったけれども。 こんなにすごいじゃんて意見があったら是非聞いてみたい。 アイテムの配置も際立っているようにも思えないし。 あー でも、もしかしたら核のほうはすっごい面白くて、 語りのほうがまずいのかもしれないなぁ。 そこらへんがばっさり斬って捨てられない所以。 なにかが欠如してる、でも人間ってそういうもんやし。 この世に答えなんてものは存在しなくて、すべてが問いでできている。 とかくこの世は問いだらけ。 ミサイルが「美しい」ということだけが 唯一ぼくに与えられた手がかりであり、生きる糧なのかもしれない。 てなことで、失礼をば。 等身大な感じが、好感もてました。 >頭の中の細胞が死んでいく を >脳細胞が死んでいく としないところが今風なのかなぁなんておもったり ここらへんに、話者と詩との距離が顕著にあらわれている気がする。 あるいは話者と自分の肉体、五感の感じる世界との距離、かな。 頭の中の、とすることで、少し間合いを計っている印象をうけました。 最後の淋しげ からもそういったところが伺えたかな。 あえて淋しさ、としなかったところ。 そういう距離のとり方が浮遊感をもたせているのだろうし。これはこれでそれなりに評価されるべき作品なのではないかなぁと感じました。 俺は残念ながら興味がありません。 失礼します。 糸が出てくるのが、イマジネーション豊かで、独創的でいいと思ったので、 おもしろそうだと思って最後まで読みました。蚕みたい。。。(笑) 一連のしどけなさが色っぽさと少女性が同居してていいなあと思いました。 熱っていう言葉が高鳴るような恋の不安感を感じさせて、 「好き」とか「愛してる」とか書いてないけど、 体感覚で読み手に想いのつよさを伝えてきて、いいと思いました。 男性が読んだらまた変わるかもですが……。 わたしゆるい詩が好きなのでこういう浮遊感のあるの好みです。 (いいなと思ったので評じゃなくてほとんど感想になっちゃいました) わりと衝動的に、合評されてみたくなりました。 初めてなので緊張しますが・・・。 よろしくお願いします。 「寄り添う夜」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=109299 少しばかり叙情をかもそうとするライトノベルのプロローグ。 という印象を受けるのみだった。 特に5連目は説明に汲々とするばかりで、なんの言葉の面白みもない。 「なんとなくきれいな」「ちょっとかっこいい」言葉ばかりを集めても、 よい詩になるわけではないと、この作者には心してもらいたい。 「エア」という作品を読ませてもらったが、そちらのほうが俄然よい詩だと思う。 青、白、赤のトリコロールカラーっていうか。。。 色ごとのイメージがよく生かされてて、 円、球といった、 形にもソティロさんの背負わせたオリジナルな役割があって、 いいなあと思いました。 青の未完成な儚さ、 たくあん色の月ではない昼間の白い月のおぼろげながら確かな存在感、 この詩の中でひとつだけきりっと強い感情を放つ、赤いうさぎの目、 それぞれが危ういのだけど淡くきれいだと思いました。 特にうさぎの目が好きですね。前に「もくせい」が出された時も、 自分の生活から出てきた言葉で書いているのがいいとわたしは言ったのですが、 やっぱりこれも、気取りのない自分で選らんだ言葉で、書いていて いいと思いました。 インパクトという点では、他の作品と負けてしまうかもしれませんが、 淡いたたずまいが心地よいなあと。 あと最後に、作者さんなりの解決策っていうか、新しい道、 円を青く塗る、っていう……それが提示されていることで、ほっとします。 これはこれなりに完結して閉じているというか。。。 その閉じ方が、好きな人には好かれると思うけど。自分は好きです。 わたしは「もくせい」よりも、透明感が増したなあって思いました。 作意が感じられないですね。前よりもずっと。 いいなと思ったので、 思いついた感想をだららーと述べるだけに留まっちゃいましたが……。 1.2.3連を読まずにいきなり4連目から入って読んでみると題名の「球の描き方」というのが効いてくる。青の説明はぎゅっと絞って、平面と立体と更にそこに重なる色という三つの世界をもっと削りだしてみたらどうだろうか。そこに二人の関係性も見えてくるように思う。「ねえ」「あのさ」という呼びかけは捨ててみてもいいかも。もしくはもっと違う呼び名で。 素晴らしい作品だとうっとりして読んでしまいました。 ぎごちないところもあってそれはそれで、うまく表現できない状態を表しているようにも感します。 いくら考えても分からない青に対する嗜好へのひとつの回答のようでもあり大変印象に残ります。 こまかい考察は苦手なので、単なる感想になってしまいました。 ざっと読んで寸評。 あー、パステルカラーの詩ですね。1,2,3連とそれぞれ色は明らかに 青ではないにもかかわらず青と書くことによって、読者の中ではイメージできない。なにを言いたいんだろうって思います。まぁこちらから歩み寄って読むのならば、1,2,3連でグラデーションを加味していきたいのかなぁとは思いましたけれど、それをひとくくりに青で表してしまうのは無理です。 でも、青ってことばで表さないとこの作品自体成り立たないんですね。英語にしてみたら簡単なんです。多分3連目までいっちゃうと、夜空の色をblueという単語で表す外人は一人もいないのでは。わからないけれどw 1,2,3連はこちらから歩み寄れば言いたいことはわかりますが、表現としては読者にはつたわりませんというレベルです。で、1,2,3ときて 4,5連が薄いです。多分1,2,3連の「起」からの「承」あたりのもりあげがうまくいってないこと、4,5連自体の表現がつたないこと、問題としてそれらが挙げられるとおもいます。うさぎの目 「赤」は若干良かった。それで「転」がこけてしまったために、「結」が結局全体の流れにのった結論になっていない。読者になにかしらのイメージやメッセージを伝えることに失敗してしまっている。姿勢は買いますが作品としては失敗だと思いました。アドバイスとしてはまずどちらかひとつに絞ってみてはどでしょう。青という色に対する自分のありよう、自分に対する青という色のありようを描くか、または、円やら球やら、次元の違い、俺にはなんのことかはわかりませんでしたが、作者の中での思考を言葉にしようと努力する。 多分、その2パターンを混ぜて最後にひとつに収束させようとしたのだろうけれど、まぁぐだぐだです。良いところもちょこちょこ見られるので、罵倒をエール代わりにさせていただきます。 以前は「もくせい」合評ありがとうございました またよろしくお願いします べこべこにお願いします。 「球の描き方」 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=127817 最終連がなかったらよかったなって思いました。 >存在の交感 >邂逅の奇跡 これらの言葉が上滑りな印象を覚えました。租借がされてないというか。 奇跡という言葉がだめなわけじゃないんだけど、 使う時に自分の作品に対する必要性を感じられないと、 「地球にやさしくしましょう」みたいな感じで軽くなってしまう感じがしました。 一連目 >私の中に夕立がある。・・・ と心象風景の暗喩でファンタジーの世界が始まっているのは好きですが、 最終一連で、観念的にまとまってしまい、なんか淋しいなという印象です。 これは作者の頭の中にあるテーマなんだと思いますが、 全部テーマを言い尽くしてしまうと着ぐるみからにんげんが出てきちゃったみたいで、 ちょっとテンションが下がってしまいました。 八重さんは、非常にイマジネーションや語彙の豊かな人で、 喩の愉しみを教えてくれる人やと思います。 さよならをさよならとダイレクトに書いてしまうのではなく、 さよならをファンタジーのフィルターにかけて喩で見せて欲しかったかもです。 たとえばわたしの中の夕立、がだんだん小止みになって虹が出てくるとか。 蝋のように透けていく自分が完全に溶けさってしまい、 新しい姿になるとかです(思いつかない。。。 この詩の中で気に入ったところはいくつもありますが、 最初に読んですごいと思ったのは、 >涙を流す。 >誰か居ますか。 >雫は足元に染み込み誰の手にも触れない。 ここです。涙が一滴地にしみ込み、誰も触らない。 その表現だけで、生まれて消えるまで誰にも知られない深い孤独が伝わるなあと思いました。 わたしは、水滴が落ちるのを目にしたことは何度もあるけど、 地に落ちる水滴の孤独について思いをめぐらせたことはなかったです。 八重さんはふだんから非常に観察力のある人なんだと思います。 そして水の一滴のきもちにもなりきれる繊細な人なのでしょう。 だからこの観察力や着眼点を生かして、 自分の感覚、ことばで、地道に作っていかれるのが、いいような気がします。 今は、きれいにまとめようとして、なにか薄くなっている感じがしています。 耽美な作風なので、周りの人も語彙の豊富さや文章表現を中心に、褒めて下さるとは思うし、 それは武器の一つだと思うので、大事にすべきだと思います。 でもきれいな単語を並べるだけやったらまだ表現ではないとも思います。 今わたしは踊りをしているのですが、 文章表現がきれいとかこんな珍しい言葉を知っているっていうのは、 踊りの美しい衣装の部分で、 ほんとはその衣装を身にまとった時ダンサーがなにを踊り表現したいのかが、 その人のオリジナリティのような気がしてます。 炎をあてると、ろうのように透けていくわたしのからだ、に対し >もう誰も触れないのだからいいと思う。 とひとりつぶやく、内閉されていく淋しさ、 息を殺して隣にそっと座っている絶望感、こういう繊細な表現を、 翼とか月とか光とか神秘とか熱愛とか哀切とか、の おおざっぱな単語に将来置き換えて欲しくないなと思いました。。。 (うううそういうの書いてるひともし見てたらすいません。。。) それが作品にどうしても必要ならいいんだけど、 これ書いとけばきれいな詩でしょうって感じのはやなのです。 (でもそういうのに点がいっぱい入ってるし専門誌とかにも載っているので、 わたしの感覚は少数派なんかもしれませんが。。。(汗) 自分にしか持てない感情を忘れないようにして欲しいと思いました。 評というよりは読み手としての個人的な欲望の羅列になってしまいました。 すいません。なんだかんだ言って嫌いな作品ではないのだと思います。 長文失礼しました。 >>204 印象を述べます。残念ながら僕には「切実さ」が伝わってこないようです。ひとつひとつの言葉が、別の言葉では言い換えられないところまで追い込めていない印象です。身体に響いてこないのです。具体的には「、、ような」の多用に現れています。 >うなる様な、モーターの、打ち明けるような、 残念ですが、言葉をつむいでゆく手つきが悪い意味で「自動的」に見えます。散漫な印象です。フォーカスが合わないのです。かといって、不安をかきたてるような読者の半歩先を行くひらめきはなく、読み進めるためのエスプリに欠けています。論理の関節をはずす、のでもなく、音韻によるベクトルでドライブするという方向性、たくらみもなく、中途半端に感じます。 方向性がわからない。 どちらを目指して書いているのか。 前半、言葉の選択や配列はいわゆる「現代詩」風なものであり(「現代詩」とは何ぞや、 というところはあるのですが、少しぼやぼやとしたイメージで)、食傷気味である、とい う感じがする。 それでも、そのまま書き進めれば、それなりになった感じもするけれど、「雑踏にまぎれ て」あたりから何となく進む方向が違ってきて、これも微妙な言葉の定義で申し訳ないの だけれど言葉の選択が「歌詞」に近くなってきている気がする。 北海道を目指して歩いていたら沖縄に着いちゃった、みたいな。 そういう居心地の悪さ、みたいなものがあって、居心地の悪さ、それ自体は否定されるも のではないけれど、多分一番の問題点はその居心地の悪さがこの詩の「魅力」になりきれ ていないところ、かも。 ははははじめまして。 2、5連目は良いなあって思いましたが、 >202れつらさん仰るとおり 「不安で」はぼくも引っかかりました。 そこから3連目にひきつづき、 もう一歩踏み込むというか もう一段階すっとばしてこの意味を現せたらもっといいものになるかも とぼくは思いました。 ぼくには >だから、 から >べきではなかった のところがこの作品の核に見えたのですが、 そこを「そのまんま言ってしまっている」のが勿体無く見えました。 核をそのまんま言うのがいい場合もあると思いますが、 うまく働いていないように思います。 「君を失った後悔」 それが占めすぎていて個人的にはそこからもう一歩引いた視線が欲しいのかなー折角 >人間っていうのはさ と広げているのに。 (そしてそこにおじちゃんと目玉焼きが絡んでいるのに) とも感じました。作品として昇華しきれていないように見えます。 あー一般論にしろってことじゃあないんですけどね。 次へ進むときなんだと思います。 どうも。なんか他人の作品にぐちゃぐちゃ言いたい気分になってます。 「ねえ、君」って書いてあるだけでMonkさんの「君に宛てて」を思い出してわらけてしまうのは俺だけでいい。 感情を簡単に言葉に置き換えすぎではないか、と思います。 そりゃまあ「不安で」とかって言ってしまえばなんとなく話は早いですが、 早いだけで結局話を進める機能しか果たさなくなります。 それでいいときもあるんですけど、今回はそれだと いちばんおいしいところを取り上げられてるかんじです。 それから、3連目。なんかわかりづらい。 説明的なのにいまいち理解できないのは、 唐突だからというのもあるし、 似たような抽象的な単語がごろごろ並んでるからだと思います。 あと、4連目は別にいらないですよね? 説明に成り下がっている気がします。 最後の連はよかった。 イメージの連絡とかはとてもうまくいってると思うので、 もったいないもったいない、って感じです。 しょうゆの詰まりながら流れるかんじと涙と、 いいマッチングなんだけどなあー。 >196 おお、わたしはこういうの好きです。ゆる〜い感じの作風が好きです。 アンガールズみたいなだめだめな感じが好きなので、 いいなあと思って読みました。 >ぼくに芯が出来たんだよ。 >へぇ、それはよかったね。それについて何か話がしたいの? (話がしたいから来たんだろっ) >ていうか、木星って住めるんだっけ? >それは行ってみないとわからないよ。 (ここのおつむのゆるそうなところがつぼでうふふとわらってしまいました) >きみには絵はがきを出すよ。木星の絵を描いて、それから写真も… から、 >大丈夫だよ、機種変したし、FOMAだし。ほら見て、アンテナだってすごい伸びるんだ。 まで。 (ナンジャコリャって感じのゆーるゆるな会話が続いてほのぼのしました) 文章の感じがほわわーとしてて星の王子様みたいでよかったです。 幼稚園の子どもの会話みたいでした。。。 オリトスさんのほかの詩も読ませてもらいましたが、 他のは哲学的というか道徳的というか……どっかで聞いたような言い回しが多かったです。 この詩は思想的に難しい濃い内容は感じられなかったけど、 無駄なゆるさが満載で(注:褒めてます)、 どっかで読んだ言い回しではなく自分の生活の中に浮かんだ言葉だけで書いているので、その感じが好感持てました。 おとぼけな味わいを大切に。 難しいことを難しく書くのは誰でもできるので……。 ただ、難点があるとすれば、 「芯」はオリトスさん的に何の比喩であったのか、 それがこちらから読み取りにくかったことです。 「芯ができたこと」がこの詩の起点になるできごとで、 それがなにを指しているのかがわからなければ、 この詩そのものの意味がぼやけてしまう。 なので「芯」とはなんであるかを匂わせるような文章をすこし加筆してもいいかなと思いました。 主題に関わる部分だけはもうすこしだけ丁寧に書いた方がいいかも。 終盤の「さみしい」と「さよなら」は、 やっぱり「芯」がなにかわからないため唐突に終わってしまった印象で、 しっかり作品の中で生きていないような、気がしました。 でも、ほのぼのした文体とさみしさの組み合わせ、は合っていると思う。 ムーミンの最終回みたいな……。 作者の心の中では何を書きたいかっていうテーマをしっかりと持っておいて、 表現はこのままやさしくゆるーい感じになったらいいと思いました。 わたしもゆるいのいくつか書いてるのですが、書いてると、 「ゆるい」けど「意味がある。オチがちゃんとある」っていうバランスの取り方がすごく難しいジャンルだと思っています。 アンガールズもムーミンもただだらら〜ほよよ〜としているように見えて、 ここで笑わす、ここで泣かす、こういうのを伝えたい、っていうのが、 なんとなく伝わってくるような作品作りになっているので。 ゆるい文章でひとをひきつけるのは実は結構むつかしいと思います。 でもがんばったらいけそうなので……しばらく頭の中で練ってから書くということを、 繰り返してけばいいと思います。 あ、あと、 生贄スレに行ってみなさいよほいほいって書いたのの数人の内ひとりはわたしですね。 すっかり忘れていて、 今「出直してこいなんて、なんて偉そうなやつ〜」と思ってました。 わたしじゃん。あはは 「ほしのこえ」というアニメを思い出した、感想としてはそれだけ。 たとえばFOMAとかという商品名が「もくせい」というイメージを目の届くひどく狭い 範囲にとどめてしまっているように思えるし、それが狙いだったとしても「ぼくの芯」と いう内的なものとのずれに、あまり魅力的な気付きを感じることもできませんでした。 対話形式で進むけれど、結局脳内会話でしかない(ように見える)から、自己完結にしか ならない。 どこに詩の発生を見てよいのか。誰に(何に)向かっている言葉なのか。 冒頭の「ひさしぶり」という挨拶に必然性はあるのか。 再開というシチュエーションに何の意味があるのか。 あえて必然性を持たせるために推測するのであれば多重人格者の苦悩、か。 ひさしぶりに出現した人格との再開。 「芯」は人格の統合のイメージがある。人格を統合していくために、他の人格を傷つけて いく(何かそんな映画やってたなあ)。 その作業が終わるまで、メインの人格は一時退避。で「さよなら」。 なんて、つまらない脳内解釈を披露して終わり、になりかねない勢いだけど、つまりは、 読者のそういう脳内解釈を誘発して終わりという恐れがある。 イメージの飛躍がない、ないというか木星という飛躍がつまらない、つまらないというこ とは飛躍がないのと同じ。少なくとも僕にとっては。 そもそも木星である必然性はあるのか。いやいや、必然性なんて求めちゃいけない。 必然性がある、と思わせる何かが欠けてる、と言うべきか。 それがないとイメージの飛躍は幼稚な自己完結に見えてしまう。 そのことによって、芯ができて人を傷つけてしまう、というこの詩の核となる痛みが、た だの絵空事に見えてしまう。 木星の絵を描いて絵葉書にするところは良かった。個人的に好きなところ。 >数人にここ行って出直して来いと言われました。 というんであればその数人にやってもらえばいいんじゃないかと思った。 ましてやここ行って出直して来いとも言ってないおれが何か批評をするの はおこがましいような気もするけど、つーかその数人というのは最近の批 評に対してコメントしてるひとたちなのかなと推測したりでも出直して来 いとは言ってないなと考え直したり。 ここまで書いておいて書かないのも失礼かなと 何だろうかやりたいことを全部やってる感じがするなあ。口語形式ちゅーか対話形式で改行がやたら多い。抽象的な表現幻想的な距離感のことを書いているのに郵政民営化とか携帯がフォーマだとか。ついでに批評を一読してあそこまでわかってるならいちいち詩がアレコレだなんて書く必要はないつーかおれもよくわからんが少なくとも内容が幕の内弁当で散漫で何を伝えたいのかがいまいち分からない。笑点が、アララララ、焦点が絞れてないし、かといって抽象を売りにしてるわけでも無いしどうしたいんだ君は乱れ撃ちか軍曹というような趣です。 まあ別に書きたいこと全部書いてもいいんだけどメールの内容が幕の内だ と女子高生からもろくに返事来ませんよって話ですよ。テレビで前言って たよ。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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