生贄合評スレ[240]
2007 12/22 04:42
rabbitfighter

一口に青といっても、青にはたくさんの青がありますね。空や海の青、信号、トルコ石、地球。青々とした、なんていう概念上の青もあります。けつの青いとか、若い、幼いといった意味の。
このように、青と言う単語には、背後にとても大きな世界が広がっています。青を想像してみろといわれたときに、頭の中に浮かんでくるのはどんな青ですか?
そんな問いかけをされたように、この詩では話者の心象風景を様々な青が駆け巡る。はるか彼方の風に揺られると言う憧憬、さざなみ立つ稲田、大洋、それらもまた彼方の、憧れの景色、。ざざぁ、という風の音が心地いい、リズミカルな景色の連続。
駆け巡る景色はついに時代をさかのぼり、話者の憧憬は古代にまでさかのぼる。第4連、

遠い昔
彼らの
そして私の
先祖が泳いだ
深い海になる

ここでは、彼らの、という他者が突然現れる。この彼ら、は誰だろう。
考えられる一つは、作者のリズム感が生み出したものかもしれない。普通に句読点をつけて読むとすれば、

遠い昔、彼らの 、そして私の先祖が泳いだ深い海になる。

であろうか。これに彼らの、の部分を抜かして書くと

遠い昔、私の先祖が泳いだ深い海になる。

意味が通るように私、の前のそして、も省いたが、両者を比べてみると、前者のほうが明らかにテンポもリズムもいい。彼らの、を踏み台にしてより遠くに高く飛ぶことが出来る。ただ、初見ではこの詩のテンポのよさに流されてしまったが、何度か読み返すうちにこの場所にだけ出てくる彼らの、という他者がひっかかってしまう。もしもテンポのためだけに使ったのだったら、推敲して別の語を持ってきてもよいかもしれない。
あるいはまた別の読みも出来る。
この彼ら、がリズムやテンポという語感の部分でアクセントを与えたように、意味的な部分でのアクセントででもあるのかもしれない。この詩は全体を通して孤独である。孤高、といったほうがよりしっくりくるが、話者の精神の疾走は他人を寄せ付けることなく、最初から最後まで常に一人である。一人であることを際立たせるための他者であるとすれば、この唐突な彼ら、はやはり推敲を必要とする部分だと感じる。

総じてとてもよい詩だと思います。景色を懐かしむような、民族的な、土地に根ざした感覚、それと同時に、遠い海に憧れるような眼差し。それらが一人の人間の中で矛盾することなく存在している。やはり青という色から若いという印象を抱いてしまう。波の音も心地いい、素敵な輝きを持った作品です。
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