生贄合評スレ[230]
2007 10/20 02:45
rabbitfighter

このような詩にコメントするのは難しい。事実、この詩に入っているのは無言のポイントのみだ。批評となると、さらに難しい。人の死、特に身近な人の死を語るのは勇気のいるところだから。
これはフィクションだろうかと、どうしても考えてしまう。例えば一杯のかけそばにまつわる事件を思い出してもらえば、事実であるかどうかが読み手にとっていかに大きな影響を与えるかが分かる。

そもそもこれは「詩」だろうか。
何を持って「詩」であるかという議論はうっちゃって、ここでは自分の感覚のみを頼りにするが、これを詩と言い切るのに少しの違和感が残る。
話者である女は病室で、ベットに横たわる夫に医者が臨終を告げるのを聞く。正面にいる夫の姉の目に夫の面影を感じたりするところはこの作品にリアリティを与えている。が、この文章は最初から最後まで、思い出したままをそのまま綴ったという印象を受ける。そのリアリティが、かえって僕を不安にさせる。ある詩にとってリアリティは扱いがたい代物だ。読み手が詩の世界に入るのを拒んでしまう障壁になるからだ。生半可にリアルなものよりいっそ、箇条書きで書いてくれたほうがやりやすい。
最後の二連はこの作品をかろうじて詩の形に留めている。その前の一連も強くリアリティを感じさせる部分(その技術というか、使い方のうまさは評価したいところだ)。
でもそれだけのものになってはいないだろうか。
リアリティの持つ強さが、この詩を損なってしまっていると感じる。

DEATH US NEVER DO PART、死は私たちを分かつことは出来ない
力強いメッセージだと思う。その強さで、リアリティを吹き飛ばして欲しい。
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