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生贄合評スレ (創作系)スレッドオペレーター:いとう
試験的に作ってみます。上手く回らなかったら消します。

やり方。
1.作者が合評して欲しい作品のURLを貼り付ける。合評開始。
2.誰でも好きなことを好きなように。基本的に何でもあり。
3.なんとなく場が収まったら、次の生贄を待つ(笑)。

注1
合評される作品の作者は、合評内容に対してどのような発言権も持ちません。
つまり、自分の作品に対する発言は禁止。最初にURLを晒すだけ。
作者が特定の発言に星を入れるのも禁止します。

注2
合評中は、新たな作品のURL貼り付けを認めません。
合評は1作品に対してのみ、行っていきます。

[195]とうどうせいら[2007 02/21 04:15]若原光彦
>193
詩っていうよりも、つぶやきっていう感じでした。
ところどころ、意味の通りにくい所もあったし。
と言っても、何回か読むと言いたいことはわかったので、
別に国語力に重大な欠陥があるような深刻なレベルではないと思います。
なんというかまだ詩を書き慣れてない印象を受けました。
会話文とは違って、詩で書く時にだけ出てくる独特の言い回し、があると思うんだけど、
まだそういうのを使い慣れてない印象です。
だからこの詩をちょこちょこリライトしたりして直すとか言うよりは、
とにかく今は書きたいものをどんどん書いて、読んで、
まず詩の空気に自分をならしていくことかなって思います。
多分ここに詩を貼るぐらいなので向上心の強い人だと思うんですが、
今はあまり細かいひとの評価やポイントは気にしないで、書くことを楽しんで、
その内「この一行がうまく書けたかも、えへへ」ぐらいになるまで、
書けるようになったら、またいろんな人に話をきいてみたらどうかなあって思いました。

あと、
>どこまでも図々しく明日は続く
この最終行なんだけど。
図々しいかどうかは、読んだ人が決めることで、
わたしはこの詩は別に図々しいことを特に書いているようには思わなかったんで、
遠慮なんてしないでいいと思います。
どんな偉そうなことを書いても所詮は紙の上のことなんだから。
わたしはもっともっとあつかましいことも書いていますが、
案外詩の中だとみんな楽しんで読んでくれたりします。
今は自分を謙遜することばは入れないで、
書きたいことに入り込んで自分の書きたいものをじゃんじゃん試してみることに専念したらいいと思いました。

あどけない印象はあるけれど、明るさのある詩だと思いました。
書き続けていってくれたらいいなと思いました。
 

[193]黒い鴉[02/20 21:08]

[191]肉食のすずめ[2006 12/14 02:04]
失礼

動物(これは人間も含まれるのですが)の行動に意味や価値が有るだろうか?
有ることも有るだろう。無い事も有るだろう。
言葉も習慣も異なる象の、その気持ちをおもんばかる事に
意味は有るだろうか。「私」には有るのかもしれない。
でもそうすることは時として「象」を傷つけることも有る。
そして「私」は「象」を見るばかりではなくこうして言葉にして表現している。
少女がどんなに「客観的に見て」と叫んだところで「私」はただの
カメラになることは出来ないようだ。
何故「客観的に見て」と「少女」は言うのか、それは「私」と「少女」は同じ
人間だからではないかと推測する。「私」の中にいる「少女」といった感じかな。
でもやっぱりなんで「私」がそのように思うのか分からない。何か事情が有るのかも
しれない。「象」のことが好きで傷つけたくないのかもしれない。

象が楽しげにリズムを刻む

涙を流しながら

この言葉が繰り返されることはすごく怖い。
象のステップは楽しげ、かもしれないが、本当に楽しいのか。
涙を流すという行動は、どのような感情の高ぶりか、そもそも感情が高ぶっているのか。
何も分からない。象の行動に意味づけする事は象にとって何の意味もない事だ。
繰り返しが利いている。少女の声と掛け合うように。強迫されているようだ。

一つ気に入らない点。それはタイトル。

何かがはじけたとしたら、それはきっと泡だ

私には「はじけた何か」を「泡」と名づけてしまっていると感じられ詩の内容との矛盾が気に入らない。
もとい、気に入らない矛盾だ。詩は観測者「私」が勝手に定義することを悩んでいる内容だと思ったので、タイトルと違うじゃん、と思ったのだ。気に入らないのは、タイトルが
かっこいい感じで嫌な感じで矛盾をごまかされている風に感じたからだと思う。
 

[189]いとう[2006 12/13 04:00]
#age
 

[185]よだかいちぞう[2006 11/24 02:22]とうどうせいら
こんなスレッドあったのか。(いとうさんやるね)

「鯨が枯れる」の感想

はじめ読んでなんだかよくわからなかった。
漠然と鯨が枯れるというイメージが全体をとうして、
なんとなく伝わるだけで、面白くなかった。

一つ一つの連をゆっくり読んで見ると、
いい感覚の空間と現象が起きていて、想像を膨らませると、
それなりに、面白いのだけど。

なんか鯨が枯れるというイメージを全体の連に対して吹きかけられてることで、
鯨が枯れる縛りみたいな状態になってて、
一つ一つの連のイメージの広がりが規制されて、その連の物語の可能性が殺されてる気がする。
連一つずつ、一つの詩にしたほうが、面白いのではと思った。

以上感想です。
 

[179]大村 浩一[2006 06/28 21:15]青色銀河団
 私は、文学作品の批評の目的とは、読み手と書き手に、作品への新たな視点、
読み方や価値観を示すことだと考えています。

 そうした批評の基盤となる批評者の哲学には、ある種の一貫性が必要なので
すが、その一貫性とは「あれが無いこれが無い」式の知識量的なしきいの設定
などではなく、新たな表現を求める人間的な力で統合された読解力のほうだと
私は思います。妙な基準なんて、無いほうが良い。

 それとこの作品が「詩」として掲示されなかった作者の理由は様々でしょう
が、私にはこれは散文詩としても、また小説の中の詩的な表現としても受け入
れる事は出来ます。「文章に取り組めた」と作者のコメントにある通り、ジャ
ンルへの意識より、まず詩的な描写の可能性そのものに挑んだトライアルだと
私には思える。そうした作者の姿勢に対する異議は、今回の私にはありません。

 作品じたいの話に入ります。
 花火のようにイメージの像を連発させていく詩なので、その手法に馴れない
人には難しい。私なりにこの詩のストーリーを確認します。間違いあれば御免。
 冒頭から「空気が色づき始め…」と、もののけの出現が始まります。CMの
ように急速に映像が作られていきます。幻想のなかで時計が進みだすのは、現
実より幻想の側に価値を置いた、逆説的で魅力ある表現です。
 2連目。イメージ=光の奔流が押し寄せ、もののけ=彼女が姿を現します。
 3連目、彼女の像が鮮明になるなかで、今度は幻を見ているはずの主人公の
ほうがあやふやになります。「僕だけが歪む」二度目の逆説的表現です。
 4連目。もののけに見据えられる。これは金縛りの一種であろうか、と推察
されてきます。悪夢のような一瞬の物語。

 この詩は人に、語られたことば以上のなにものかを感じさせる、イメージの
輝きを持っている。私を含む何人かは恐らく「永遠の排泄」という文節に心を
捉えられたのではと思う。少々えげつないが、この聖と俗、精神と肉体の強引
な接続はちょっとすごい。

 この輝かしい文節に目は奪われがちですが、こういう場合にはその周囲に置
かれることばのセンスを、作者は問われます。
 この詩の良さを支えたものは2つあると私は思います。1つには固定観念に
囚われない視線の良さ。幻想のなかの時計と自分が歪むという、二つの逆説。
 大地や壁のような基準や、自分自身と思っていたものがゆさぶられる。この
想像力は、ことばの可能性を拓く力そのものです。座ったままテレビを眺める
ような視線で書いた詩では、こうはいかない。
 もう1つはことばの選び方の繊細さです。「灰色の」「たゆたう」「鮮やか
な光」「白い」「赤い」「無数の線」といった、色彩や立体感をふくらませる
視覚的イメージの表現や、「舞う」「散る」「打ち抜く」「揺らぐ、揺らぐ」
とウの母音で脚韻を踏んでいく、多様で直裁的な歯切れの良い動詞群。難解な
熟語や名詞を避けながらも、シャープな印象を平易さで溶解させてしまう事は
拒んだ。なんとなく詩らしいことばを選んだのとは違う苦心のあとが、私には
うかがえました。
 敢えて批判すれば、それでもまだ蒸留の余地はあります。機関銃は良しとし
ても、寂寞、空間、真昼の夢、磁場。春は何の匂いか、時計はどんな時計か。
もっと具体的なもので読者に投げかけたほうが良かったのでは。
 あと最終連の冒頭など、因果関係がやや分かりにくい部分もある気はする。
作品を成立させるためのつくりごとは許されると私は考えます。ストーリーや
場面ごとの動静を整理すれば、一層コントラストが際立って来ると思う。

 知らない人の詩を無闇に云々するのは嫌いですが、この詩は駄作では無いで
す。これを産み出した自分を信頼して、次のテーマに進んで欲しい。
 そのとき時計はもう一度、動き始めるでしょう。
 

[178]いとう[2006 06/27 20:01]大村 浩一
※注1に則って発言を削除しました。
 

[171]虹村 凌[2005 07/24 21:33]
>>169
ワァルかったな☆
素直なのはいい事だと思う。え、俺が言うなって?
 

[168]クリ[2005 07/23 22:31]
進め方、間違ってますよ〜
 

[162](1+1)/4[2005 07/21 09:56]
はいさ、またおじゃまします・そして贄します、

http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=35315

これはどう見てもらえるのでしょうか、…
 

[157]ふるる[2005 07/01 19:10]
印象を。

夕暮れの、夜が間近い海岸で・・・
海からの風が吹いて・・・
何か懐かしくなったり、砂を握ってみたり・・・
ああ、もう夜になっちゃう・・・静かだ・・・
南の島の穏やかな海。
また行きたいなあ。
 

[155]Monk[2005 06/22 12:59]佐々宝砂クリAB(なかほど)
>>152 クリさん
僕も反応を見たいんだと思いますよ。だからとりあえず未詩なんでしょう。で、しばらくしたら「武装放棄」を元に詩カテゴリに書くものが出来上がればいいなぁと思ってるんじゃないかなぁと思います。

んで、僕もポイント入れてますな。これはたしか「こういうのにポイントが入るのもいいよね」と思ったからだな。すでにたくさんポイントが入っていたので「ああ、ポイント入るんだなぁ、こういうの」と思い、実を言えば僕もポイントを入れたくないわけだが、入れたくないと言い続けてる姿勢もそろそろ飽きたし、けっきょくウケるものが良いものだという単純な世界でもいいじゃんと思い始めてもいるので、ポイントを入れたと思う。
まぁそういうのは作者の思惑とは違うのかもしれないけど知らないふり。

確かに「青い」けど、青いから簡単に読めるわけだ。言葉で武装するな、と言ってるなぁとわかるわけだ。言葉で武装しちゃいけないんだ!と反省する人もいるかもしれない。それに対し「おいおい、待てよ」と思う気持ちもわかるが、いいんじゃないですかね。一度「言葉で武装しちゃいけないんだ!」と真に受けても。例えば本当に若い人々がそれを真に受けたとしても、考え方など変わるもので、そのつど方向修正されればいいんだろう。
だから役割としてこういう作品があるのは良いし、それにポイントが入ってるのだから成功してるんだと思う、役割として(単なる結果だけを見て僕は書いてますよ)。
 

[153]クリ[2005 06/21 22:26]Monk佐々宝砂
僕はこの詩にはとてもポイントを入れることはできない。
十代の方々が入れるならともかく、一応の「大人の詩人」がポイントを入れるレベルではないのだ。
本人が「未詩」としているように詩としての完成を少しも狙っていないし、レトリック不在だ。
レトリック必要なのか、というのならば、これはアートになっているか? と言おう。
(敢えて言えば「武装蜂起」を「武装放棄」とした「ダジャレ」の部分のみか)
百歩譲ってこれが独白だとしても、その内容の「青さ」はとても恥ずかしい。

さて、これは本人自覚の上で書いていることは間違いのないことであると思われる。
では何故書いたのだろうか。
それはたとえばだけれど、若い世代がどう反応するかみたかったのではないか、と僕は思う。
だから僕がここにこんなことを書くのはとても余計なことなのだ、本当は。
じゃあ何故余計と分かっていて書くのか、それは…。(推測がつくと思うので省略)

いとうさんの詩は、数年前と比べると少しずつ変化してきている。
たとえば扱う題材で言うと、以前は思想的なもの、イデオロギー的なもの、信条的なものをストレートに書くことはまずなかった。
むしろ嫌って避けていたように僕は感じていた。思い込みかもしれないけれど。
もうひとつおまけに邪推すると、いとうさんのこの小さな変化は、911の影響が大きいと思う。
あのとき「詩は無力ではないのか?」と思った人が何人いるだろうか。
いとうさんは実は、この類いの内容を詩に昇華させるテクニックをまだ自分のものにしていないのではないかと感じられる。
だから「未詩」にならざるを得ないが、それでも本人は「反応を見たい」のである。
別の考え方もある。
詩人たちは何を書くべきか、ということを探っていきたいんだけど、どうかな、みんな、と言っているように思えてならない。
それは若い世代に向けて発せられている。だから「青い」のだ、意図的に。そうだとして書き続けると…。

この詩の中では「言葉を捨てろ」とは言われていない。「言葉で武装するな」と言っていてるだけだ。
ここで使われている「言葉」という単語は、いくつかの他の言葉に置き換えても、この詩は成立する。
たとえば「宗教、あるいは相容れない宗教たち」、あるいは「思想、信条」あるいは「意味」。
つまり「xxxはyyy以外のなにものでもないという定義」とひっくるめて言える。それを「言葉」としたと仮定して許されるだろうか。
「言葉」は「ことのは」つまり「事の端」であり、「事のすべて」ではないのである。
「象は太い柱のようだ「象は大きな蛇のようだ」「いやいや象は鳥の羽のようだ」「いや象は固くて尖っている」
これはよくたとえに出される、暗闇で象に触ったものたちの「象の定義」の違いを表すたとえ。
すべてが正確だが、すべて間違っているのだ。
では真実に近づくためにはどうするべきか。可能な限りの意見を統合しなければならないのだ。
そのとき初めてきわめて真実に近い「象像」が浮かび上がる(ダジャレ)。
そしてそれを逆から言い換えると「言葉で武装するな」ということになる。
手中にあるだけの自分の言葉を武器としたとき、彼は真実から遠いのだ。

それを伝えたくていとうさんはこれを詩ではなく、「未詩」とせざるを得なかった、のだと思う。
 

[151]大覚アキラ[2005 06/21 20:10]とうどうせいら043BLUE
今現在、いとう氏の『武装放棄』という作品には57人がポイントを入れている。ぼくもそのうちの一人だ。ぼく以外の56人がどういう理由でポイントを入れたのか知る由もないが、ぼくがポイントを入れた理由は「なんとなく、いい」と思ったから、それだけだ。曖昧でぬるくて浅い読み取り方だが、「なんとなく、いい」、それ以上でも以下でもない。
この作品は、言葉による武装を放棄せよ、という主題を言葉によって表現している時点で「貼り紙禁止という貼り紙」的な矛盾を孕んでいるし、色々と突っ込みどころもあるのだろうけれど、そんなことはどうでもいい。いとう氏は、ただその時の気分(そう、まさに気分だろう)で、これを書いたのだろうし、その気分にはロジックに裏打ちされたものがあるわけではないだろう。

ネット上での議論というやつは、しばしば議論と呼ぶには余りにもお粗末な、揚げ足取りと感情のぶつけ合いに終始してしまう。そういうやり取りを繰り返しているうちに、本来語られるべきであった主題は積み重ねられていく会話の地層に埋もれ、置き去りにされていく。そういう状況を、祭りだ何だと囃し立て煽ることに屈折した喜びを見出している人間もいるわけで、より一層議論は混乱していく。やがて議論は、ただ単に相手をやり込め打ち負かすことだけを目的に、不毛な戦いだけが延々と続けられていく。
敢えて、ネット上での議論、と書いたが、現実の世界でももちろん同じことはいくらでも起こりうる。ただ、身振り手振りや表情といったノンヴァーバルな要素がないだけに“言葉”がすべてを左右するネット上の議論のほうが、よりそういう陥穽に陥りやすいだろう。

これは推測にすぎないが、この『武装放棄』を書いたときのいとう氏の気分は、おそらくそういう不毛な議論にほとほと愛想が尽きていて、そういうウンザリした気分を言葉に定着させたのがこの『武装放棄』なのではないだろうか。ikaika氏が倫理スレで「武装放棄という詩が描き出すものはナルシズムでしかない」と語っておられたが、たしかにそうかもしれない。感傷的なナルシシズムが描き出した理想論。きっと、いとう氏は、そういうものが書きたかったのだ。
タイトルが妙に大仰で、意味深な匂いがして、さらにこれを書いたのが、いとう氏だった。ちょっと陰険な見方をすれば、だからこそポイントもたくさん入ったのだろうし、逆に、この作品そのものに対する違和感や、この作品が評価されることに違和感を感じるという声も多々あるのだろう。しかし、この作品は、別に何かの宣言でもなければアジテーションでもない。いとう氏の作品だからこそ、必要以上の意味や背景をそこに読み取ってしまう読者がそこにいるだけだ。

いとう氏が、この『武装放棄』という作品を通して言いたかったのは、「なんとなく疲れた」とか、そのぐらいの曖昧な呟きなのではないだろうか。その呟きに、ぼくはなんとなく共感できた。それだけのことだ。

#ここまで書ききって一息つきながら、日付順投稿リストから気になるものをピックアップして読んでいってたら、
#ベンジャミンさんが『たもつさん「十階の家族」を読んで(感想文)』http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=40749で
#「何となく」論を展開しておられていて、いやーんなんかかぶっちゃった^^;と思ったが、気にせずUPすることにしました。
 

[150]佐々宝砂[2005 06/21 17:23]
「武装放棄」の批評は書かないと昨夜のRT会議室で発言したが、前言撤回して、書くことにした。私は豹変するんである。君子は豹変するものだそうだが(そしてそれはマイナスの意味ではないが)、豹変する者が君子であるかどうかは知らん。かなり疑わしい。私の倫理観などその程度であることを、改めて表明しておく。しかしながら、「武装放棄」批評を書こうと決意したきっかけは、ikaika氏の「大人はしっかりしてくれ」発言である。彼が言う意味とは違うが、私は、個々人が個々人の倫理をしっかり持った方がよさそうだと感じている。後続の者たちは、オウムより多少マシな「大きな物語」たとえばナショナリズムを必要としているように見えるが、私個人は、そのような「大きな物語」なしに人間は生きられる、個人として倫理を保てると信じてる。

>『エヴァ』はアニメを観るのをやめて現実世界に帰れと主張した。セカイ系においては、少女を媒介として世界と繋がる。同じく、批評家の東浩紀氏も、どこかに世界とアクセスする回路が必要だと考えている。ところが、押井氏と『イノセンス』の特筆すべきは、それに対して、世界とコミュニケートする必要はない、人間も世界も大したものじゃない、孤立を恐れるな、というスタンスを明確にうちだしたことです。
(SFマガジン2005.7月号 笠井潔×山田正紀対談より山田氏の発言)


「武装放棄」の、物事の真理(のように思われるもの)を断定口調で、しかも抽象的な言葉ばかりで語ったスタイルは、アフォリズムの文体であると言っていいだろう。「銃」「武器」と言ったやや具体的な言葉ですらも、私の想像力を刺激してはくれない。正直言ってすげーつまらん。RT会議室で私が「武装放棄はクソだ」と発言したのは、この作品が詩作品としては膨らみに欠けており、言葉でもって言葉の危険性を断言するという矛盾を持ち、なおかつ「すべての正義から争いが始まる」と書きながら正義を主張する欺瞞性を持っているからだ。私はこのような作品を好まない。優劣の問題ではなく、好きじゃない。

しかしこの作品が凡作であるとは思わない。アフォリズムとして読んだ場合、この作品は意外に巧くできている。正義の危険性を主張したすぐそのあとに、「すべてが正義で/すべてが間違っていることを知らなければならない」という非常に反論しにくい主張を持ち出す。この主張が本気なのだとすれば、この主張自体もまた、正義であってしかも間違っているということになる。そして、「正しいことを証明するために言葉を使ってはならない/間違っていることを責めるために言葉を使ってはならない」という部分をまともに受け止めるならば、この作品の批評者は全く何も言うことができない。この作品は未詩・独白に投稿されているが、たとえ自由詩に投稿されていたとしても、作品そのものが批評を拒む。なんといっても「武器にしてしまう者を責めてはならない」という1行こそは、この作品中もっとも欺瞞に満ちた、もっとも保身的な、しかし非常に巧妙な1行だ。この1行を受けいれる限り、読者は作者を責めることができない。

この作品の読み方は、おおまかに言って二通りしかない。一つは、この作品の主張を矛盾を含めてまるごとおのれのものとして受け止め、ああそのとおりだと共感し、自分の生き方をふりかえるという、批評ではない読み方。もう一つは、この詩の孕む矛盾や浅さに、居心地の悪さや気持ち悪さを感じる、やや批評的な読み方である。後者の読み方をする人に、私は何も言う必要を感じない。前者の読み方をする人にも、実は何も言わなくてよいと思う。よい作品だと思うなら思えばよい。共感したならそれでよい。それはそれで幸せな読み方だ。悟り、ないし「気付き」に似た幸せを提供するモノとして、この作品は優れていると言ってもよいかもしれない。

だが・・・作者であるいとうさんには言っておきたいことがある。このような作品を、生贄合評に出すべきではない。私は批評を書いたり読んだりすることが好きだが、批評しない方がよい作品もあると考えている。「武装放棄」は、批評しないほうがいい、したくない作品だと思う。作品の出来不出来が理由ではない。詩の主張をまっすぐ素直に書いたのであれば、この作品が批評を拒むものであることに作者だって気付くだろう。素直に書いてしかも作品の批評拒否に気付いていないとすれば、自分の作品がぜんぜん読めていない証拠である(それはかなりみっともない)。あるいは、作品の矛盾を明確に意識しながらロジックを操ってみたのだとしてみよう。私はそういう作品を作品として認める。ある意味で読者を騙しているのだとしても、認める。騙し方が巧妙ならば絶賛してもよいとすら思う。

しかし、騙すならば、最後まで騙し通すべきだ。私の歪んだ倫理感覚はそう主張する。読んで感心してもらったなら、それで満足しておいたほうがいい。こんな生贄合評なんかに投稿してはいけない。少なくとも私は、この作品に感想やポイントを与えた人々の思いを踏みにじるような批評しか書き得ない。そして悲しいことに私は、そのような優しい人々を踏みにじりたいわけでは決してない。私は乱暴な人間なので、特に誰とは言わないが他人を踏みにじりたくなることもままある。だが、「武装放棄」にポイントするような人を踏みにじりたくはない。そのような人のことは、そっとしておきたい。気持ちは大事なんだから。それは嘘じゃないんだから。私なんかがへたに触ると傷付けてしまう。

ほらね、こんなふうにね。あああ、やっちまったよ。


作品で人やらセカイやらと繋がりたい人々は、繋がればよい。それはそれですてきなことだ。共同体なのかどうかは、まあ、どうでもいい。仲良しになるのはいいことさ。ポイントもすてきさ。パワーゲームも面白いかもね、私は興味ないけど。私は詩によってセカイと繋がりたいとは思わない。ネットで発言することによって誰かに肯定してもらいたいとも思わない。批評してくれと頼むつもりもないが、批評も、いや、批判も悪口雑言も拒みはしない。現実の私(の身体・生活)を傷付けるものでないならば、私は、言葉によって傷付けられることを拒まない。私の言葉は誰かを傷付けるだろうし、私を守ろうとする。まあ、お互い様だ。いとうさんの言葉だってそうだ。「武装放棄」という作品に使われた言葉すべてがそうだ。

そもそも言葉なんて大したものじゃない。詩だろうが未詩だろうが、個人の独白であることに変わりはない。言葉による傷なんてたかが知れてる。身体や精神のひどい傷だって、生き延びてればやがて癒える、孤立していても、言葉なしでも、人は生きられる。宗教やなんかの問題でなく、単純に、事実として、生きられる。いとうさんだってオトナなんだから、そんなこと当然知っているだろう。頼むから大人はしっかりしてくれ、ってikaika氏は言った。彼は私と正反対の位置に立っているけれど、ま、大人がしっかりしたほうがいいのは、彼の言う通りさ。
 

[148]たもつ[2005 06/21 08:48]
言葉による武装の放棄を述べている以上、言葉によって武装されたこの詩の真意は、この
詩の中に表出している言葉にはない。
そして、その真意は行間にあるわけでもない。行間は言葉によって生み出されるものだか
ら。
試しにこの詩から言葉をすべて取り除いてみる。
何もない、荒野のようなものしかそこには広がっていない。
言葉によって表すことのできない何かがある。しかし、そのことについて作者は言明して
いない。何故なら、そこに言葉はないのだから。
ただ、そのようなものがあるような気がする。そしてそのようなものがあるような気がし
ているのは、もちろん僕なのだが、作者自身もぼんやりとそんなことを考えているにすぎ
ないのではないか。
ロジックのようなものを書き連ね、その結果何も語っていない、というのは不誠実だ。
いや、不誠実というのは失礼かもしれない。作者は自分の信じることを信じている方法で
表現するという作業を誠実に行っているのだから。
不必要に政治的な言葉で語り、この詩を肯定するもの、否定するものに不必要に小躍りを
させている、そういう意味で罪な詩だと思う。
罪な詩は嫌いではない。けれど、残念ながら、この詩が罪である、とあくまで僕は「思
う」だけで推測の域を出ない。
もしかしたら書いてあるとおりに書いてあるとおりに読むべきなのかもしれない。
そのあたりがどうにも掴みかねるし、掴みかねるような書き方しかしていないので、この
詩が好きだと今現在のところでは明言できない。
何より、そのように僕が推測していることこそ、この詩に書かれた言葉によるものだ、と
いう点において、自分自身が矛盾している。
 

[146]いとう[2005 06/21 00:18]とうどうせいら
合評の場ですので、合評をお願いします。
 

[145]佐々宝砂[2005 06/21 00:13]
>>144
ほかのことだって訊いてもいいでしょ(笑
ちゃんと関連した話だしー。
いずれにせよいとうさんのは答えになってないしー。
 

[144]ρ(=$ω\)ノ さぃきょぅ[2005 06/21 00:11]
>>141
聞いたのは「未詩独白に投稿しといてここに投稿する理由」だった筈だが?
 

[143]佐々宝砂[2005 06/21 00:08]
私信ではなく、できうれば雑談スレッドを使ってください。
私と同様な疑問を抱いてる人は多いと思います。
 

[142]いとう[2005 06/21 00:07]
>>141
個々人が個々人の判断で以ってカテゴリーを使い分けていると思いますので、
それをいちいち他人に説明するのは野暮だと考えていますが、
説明するのはやぶさかではありません。
ただし、スレッドの目的とは離れますので、ここでは説明しません。
私信等で対応してよろしいでしょうか?
 

[141]佐々宝砂[2005 06/21 00:04]
なぜ未詩・独白に投稿するかの説明にはなってないと思います。
 

[140]いとう[2005 06/21 00:03]
>>139
プロフィールを読んでいただければわかると思いますが、
「未詩・独白に投稿した自作品を批評してはいけない」などとは、
これまで一言も言っていませんし、思ってもいません。
批評されたくないから未詩・独白に投稿しているわけではありません。
このスレッドの最初の作品も、未詩・独白に投稿したものですし、
特に問題はないと思っています。

以上で説明になっていますでしょうか?


追記:
さいきょうさんの提言で、この書き込みの後、プロフィールを変更しました。
ご意見ありがとうございます。>さいきょうさん
 

[139]佐々宝砂[2005 06/20 23:46]
>>138
合評スレがあるのはいいことだと思うので、そのことに関して批判はしないけど、
未詩独白に投稿しといてここに投稿する理由がよくわからないので、
もしよかったら説明してください。
 

[138]いとう[2005 06/20 23:44]
「武装放棄」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=37600

よろしくですー。
 

[136]「ま」の字[2005 04/02 21:04]
 「さそりの心臓」について。

 申し訳ないが「ただ綺麗なだけの詩、からちょっと踏み出している(進歩している)だけの詩」というのが、初めて読んだときからの変わらぬ感想です。正直何度読んでも途中で読み飛ばし気味になってしまう。たとえば思想なり人生なり作者の主張なり、まあ他の人の詩の場合にはそれが過剰すぎて「説教くさい」「演説はよそでやれ」とか言われる要素がこの作品では足りなすぎるのでしょうか。

 たったこれだけのことを今まで書かないできた訳は、「ただ綺麗なだけの詩、からちょっと踏み出している」の「ちょっと踏み出している」部分が何なのか、ずっと分からなかったからです。正直今でも分かりません。それと「綺麗なだけの詩」も極めれば立派に名作となりうるのではないか、思想なり人生なり(以下略)がなくたって、という思いが消しきれなかったからです。で、この部分についてもいまだに分からないです。

 私は以前このフォーラムで佐々宝砂さんが「ポエム」なるものを論じているのを読んで、なるほどそういうジャンルもあるなあ、と思ったのですが、この「さそりの心臓」は、佐々さんいうところの「ポエム」(ちょっと踏み出している気がするから「高級ポエム」といった方がいいか、「高踏ポエム」とか)なんじゃないかとふと思いました。ですから佐々さんあたりのコメントもきいてみたい気がします。
 

[133]ワタナベ[2005 03/06 22:10]
「さそりの心臓」という作品です。どなたでも気軽にご意見聞かせていただけると幸いです。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=32415
 

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