生贄合評スレ[198]
2007 03/27 10:03
たもつ

対話形式で進むけれど、結局脳内会話でしかない(ように見える)から、自己完結にしか
ならない。
どこに詩の発生を見てよいのか。誰に(何に)向かっている言葉なのか。
冒頭の「ひさしぶり」という挨拶に必然性はあるのか。
再開というシチュエーションに何の意味があるのか。

あえて必然性を持たせるために推測するのであれば多重人格者の苦悩、か。
ひさしぶりに出現した人格との再開。
「芯」は人格の統合のイメージがある。人格を統合していくために、他の人格を傷つけて
いく(何かそんな映画やってたなあ)。
その作業が終わるまで、メインの人格は一時退避。で「さよなら」。
なんて、つまらない脳内解釈を披露して終わり、になりかねない勢いだけど、つまりは、
読者のそういう脳内解釈を誘発して終わりという恐れがある。

イメージの飛躍がない、ないというか木星という飛躍がつまらない、つまらないというこ
とは飛躍がないのと同じ。少なくとも僕にとっては。
そもそも木星である必然性はあるのか。いやいや、必然性なんて求めちゃいけない。
必然性がある、と思わせる何かが欠けてる、と言うべきか。
それがないとイメージの飛躍は幼稚な自己完結に見えてしまう。
そのことによって、芯ができて人を傷つけてしまう、というこの詩の核となる痛みが、た
だの絵空事に見えてしまう。
木星の絵を描いて絵葉書にするところは良かった。個人的に好きなところ。
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