これは否定したい!6(543) ながしそうめん10軒目(179) 題名だけのスレ12(757) 詩集・詩誌のスレッド(366) サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたこと(295) ぼくのわたしの美味しいカレー(121) ロックって何ですかね(791) うっかり寝落ち。 2023年4月(9) 連座 萬草庵 参軒目(245) Youtube配信スレ(301) 全自動一行物語シアター(755) 谷川俊太郎さんの好きな詩について教えてください(6) 雑談スレッド7軒目(625) ことことひとこと。その2。(886) システム関連スレ3(768) 貴方の座右の銘はなんでしょうか?(94) 恋文(699) エリオットしとりあそび(18)(637) 食べているかい?(487) 韻踏み処(21) [分類別リスト] [過去ログ倉庫] [すべてのスレッドを表示] ![]() ![]() あと、コンビニとか、病院とか、老人ホームに置いてもらったり・・・ そうこうしているうちに、自費出版本が話題をかっさらう日が来ることを 願っています。 by ルルカ new ![]() >詩とは何か感じたこと 商行為とは商人が行う行為をいう(定義①) 商人とは商行為を行う者をいう(定義②) というわけで「詩」とは何か、感じる為には 「詩人」とは何かを感じる必要があるようだ。 私は、まず、詩人についてはこう感じる。 詩人とは、詩人になりたくてなるものではない。 そういう人は、詩人ではないのだ、本質的にも根本的にも。本当は。 詩人とは、そんな者にはなりたくないけれど、どうしても なってしまう哀しい運命にある者のことなのだ。 そういう詩人の運命にある者、すなわち《詩人》が書くものは、 詩を書こうとしなくても、そこには自ずと詩があるものだ。 書いたものが、エッセイであれ、コメントであれ、そういう人が書いたものに は、必ず《詩》が宿っているし、宿ってしまうものだ。 本質的にも根本的にも詩人でない者が、逆に、詩を書いてみても そこに、詩は現れない。 そういうものなんだろう、と私は感じる。 こういう細やかなスレッドにおいても、何かが書かれ、それが文であるとき そこに、たいした《詩》がないのであれば、その書き手は推して知るべしの者 でしかない。と。 もっとも、平凡に生きられる人の方がずっとシアワセなのだろうが。 by ハァモニィベル ![]() アノ「県知事の差別発言」 時事ネタですね(笑)。 天狗猿が、 ニホン猿に向かって、 「お前たちはゴリラなんかより利口なんだ」 と言った。というねアノ。 そしたら、 別のニホン猿の群れがこぞって 「あ、サベツだ。サベツだ。エンガチョ」 と一斉に報道した。 というね、確か、そんな話だったような・・・ などと発言すると問題ですかね(笑) というか、 最早、《詩》でしょうね。 これを絵に描いて壁に落書きすれば たんなる数億円のアーティストなだけでしょうけどね(笑) * by ハァモニィベル
ピッタリするものが無かったので新規にスレッド立ち上げてみました。 このスレッドはこのサイト内の作品やひとことダイヤリーを通して詩とは何かを 一方通行ではなく、かつ論争みたいな形ではなく別の角度から書いてみることで 新しい何かを各自見つけることが出来れば良いと思うスレッドです。 要するに、サイト内の作品やひとことダイヤリーで詩とは何か感じたことを書く場所。 ひだかさん。アラさん。大町さん。 公開ログありがとうございます。 ひさびさに、もうちょっとで放心状態になる寸前でした。 現在詩なんて痛々しい詩の探索は休んだほうが良いかも です。そしてこうして、また生きながらえてしまうのも もうそういう人生を生きるしかないので、諦めています。 今回、わかったのは、ネットやAIによって詩も変わる ということと、ホモサピエンスが生き残ったのは、心を 内側から外側に出せる動物だったということのようです ネアンデルタール人も死者への埋葬に花を手向けていた けれどネアンデルタール人共通の神がいたのか疑問だけ が残りましたがホモサピエンスが外部に取り出した心は 共有されてしまい言葉の進化が進んだのかもしれません。 有史以降は外部装置により心を鎖の呪文で縛つてしまう ことで平和になっていったのならば、やはり窮屈ですね。 わかりやすい共通項を考えてお礼とお詫びを書いてますが、 かえって意味不明になってしまう。言葉は私にとっては、 とても難解です。 あたしは小説売ってるから買ってもらえると嬉しいけど。 ……それはさておき。 いつもありがとうございます。>洗貝さま。 ← 余韻 ? ↓ 何買うの? 応援だけではなく買ってください 289&288のお二人の存在はありがたい。と読みながら感じております。そうです。あなた方くらい詩評に関して物怖じせずにしっかりと意見される人は少ないからです。突き放さず、偉そうにもしない。悪魔ではない、あくまでも真摯な態度。貴重なお二人です。どんどんご意見なさってください。爺日陰ながら応援しておりまする。 敬具 足立らどみさま。 吉本隆明氏が、「現代詩批評の、問題」というタイトルでかな? 他にすることがいろいろあって読み進んでいませんが、そのなかで「僕は詩の批評も小説の批評と、同じように可能だと考える」(要約)と言っていて、さらに現代詩について「箇条書き的に」分析してみせていますが、こういう姿勢にわたしは完全に同意しますね。小林秀雄なんかは頑としてしなかったやり方ですが。大岡昇平なんかは少しそういう傾向があるかな、と。 頑張ってくださいませ。 大町さん。。 堂々巡りの「詩とは何か」に戻ってしまいますよね。これ、 以前、新潟市出身の詩人のヒグチさんのよく口にしていた、 詩の周辺で生きる処世術の会得に繋がるのかもで素敵です。 けど、AIのご登場で確信に近づいているのはその先にも 実は答えは用意されていて、詩の人たちは普段は敢えて無 にする(わかっているくせにね)感覚もオープンにしても 時代はもうすでにその先にあるのだからと言いたかったの 確かに私は詩人になれなく社会人になってから詩の周辺で このままだと、一度しかない人生を使い切るのだろうけど おかげさまで人一倍言葉を愉しんできたひとりなのかもと 振りかえりつつが我が人生に悔いなしと言ってみたくなく 別の世界で花に水をあげている人達も応援したいだけなのか どうかも曖昧模糊になりつつも生活維持の為の理想として 定年後は詩の批評家としてコメを売り歩いていきたいのかな 足立らどみさま。 ん? それは無言の詩人賛美ということでしたか? たとえば、A氏のような方は、自分では詩を書かないときでも、誰よりも詩人的ですから、他人には詩を書かせる原動力になるわけで、まああたしはそういう方を尊敬するわけですが、そういうことをトータルに考えるのであれば、提案ですが、詩ではなくて、詩的ということについて考えるのが良いのかなあと思います。。 何故加担しないか? はい、エゴイズム我意でしか無いからです。 もはや、芸術至上主義なるもの、に 未だに気付いて居ないことの…エゴえこエゴイズム なんかに…◯ あ、誤解されぬように でした。 失礼致しました。 文学のためなら人を殺す? アラーのためなら人を殺す! 芸術のためならエンヤコラっ てか… 勘違いされて居る方々が茫々にボォボォと。 少なくとも、そういう方面方角に私は加担致しません。 誤解されますように。 敬具。 大町さん。。 今さらのことかもしれませんけど、復習を兼ねて返信させてくださいませ。 文学は今も作られていく考え方は大町さんも私も同じみたいなのです。 谷川俊太郎だつたと思うけど、詩情は言葉にあるわけではないという 考え方と近いのかもしれませんね。北欧でしたか、ヨーロッパでは 詩を学んだお笑い芸人が多数いますし、きつねダンスの元歌も芸人だ つたはずで、シュールのエキスにはお笑いパウダーがかかっているの だからサンドイッチマンが「お笑いの詩人」で良いのではと思うけど、今さら、、、 私の好きな詩は自然と涙が出るようなそして歌うこともできるような みんなで幸福追求派のような作品なのでしょう。詩はあくまでも言葉 を介しているにしても脳みそのなかに生まれて今日までたくさん言葉 があるのだし、だから、沈黙の音楽があるように、言葉の無い詩も ありなのでは無いのでしょうか?詩は文学のフィールドに収まらない のは、そもそも論だと思うよ。わかっている。だから更に発展したい 今日いえることはそんな感じかな 足立らどみさま。 AIが単なるプログラムかどうかは置いておくとして、「詩を書こう」は、いい答えだと思います。皮肉も効いていますし……ただ、ずいぶん前から思うのは、詩的魂と姿勢と手法とを知っていても詩を書かない人と、詩的魂と姿勢と手法とを知らなくても詩を書く人と、どちらがより詩人らしいかな、と。極端な例は止めておきますが、「音の詩人」とか「映像の詩人」とかもいるわけですし。地元出身なので名前を挙げますが、サンドイッチマンなんかも、「お笑いの詩人」なのでは? なので、足立さまの答えは「詩的」って何? という新しい問いになるわけで、文学からは離れることになるその問いのほうが大事だという気が、わたしはしています。ずっと以前からね。。 大町さん。 一段落で閑話休題の楽屋裏でまとめると 難しいこと考えてる暇あるなら詩サイト の住民は「詩を書こう」ということですね 大町さん 塩を撒くわけでは決してないのですが、アプローチの仕方は別にしても、 AIのやっているresultは、その都度、文字をどの意図で使っていて、うんぬん、 だから、この箇所が空白で、その地帯に塔(概念)をその都度、構築 しているだけで、それを全ては一瞬で、平安時代の人の一生で出会う マーケティング情報の一千倍を現在のスマホユーザーは一日で出会っていると 以前も書きましたが、ますます、この破壊と構築が(大町さんも同意する でしょう都度都度の文学の意味が)、速くなりついていけないのがデフォルト。 昭和の末期、秋葉に行って、PCの部品を買って組み立てていたころや、 愛車が調子悪いと、ボンネットを開けてみていたころは、まだ「解っていた」。 今の時代は、「解る」というのは、「速くなりついていけないのがデフォルト」 のエジプトの砂漠か、鳥取砂丘の上に成り立っている概念のように感じて、 翻って、古き良き時代の今よりゆっくりなころも、平安時代のゆっくりさと 比較したら、理解できない土台の上に成り立っていたのか と つまり、なにが言いたいかというと、時代とともに変わる「文学」も懼れること なく、愉しめる存在だったらいいなぁ と 軽くマルッと、思いましたよ。 足立らどみさま。 なんでしょう、わたしは、文学の意味は(意義だけではなく)その時代ごとに決めなければいけないような気がしているので、……というか、まあ、このごろ頭少し病んでいるというのもあるんですけれど、時間の感覚が変で、時間遡行を起こしているように感じたり。もっとも、原理的にそれは可能なのに、あまり起きているように見えないので、時間検閲官仮説とかができただけですが、今のわたしの認識というか、知識では、過去も緩やかに変化するんじゃないかなって。そういう思いは強くあります。なので、物事が分からないのは単純に当たり前のことなんだろう、と。認知症の父と接していても思いますが、子供のようににも分からなく(このごろまた持ち直してきて、逆に驚いていますが……認知症は治らない、が定説なのにね)なっている状態が実は自然? なんていうことも思って。なので、足立様の分類する辞書詩というのも詩の一つの形態だし、光明かもしれないし、ということは前に書いた通りまだ思っているのですが。要するに平和が何かとか、正義が何かと一緒で、文学とは何かも今決めている途中なのかもしれませんね。 大町さん、追伸です。 「踏み込んではいけない領域」って難解な話になってしまいますよね。 「嘘って何なの?もう一度うその概念も壊してみ」るなかで、知らない 言葉は使用しないという感覚がある気がするのですが、「知っている」 って、何なのだろう?、貴方の詩のなかで使われている言葉を知っている? いつから知っている?そう考えると、「辞書詩」や歳時記俳句?に繋がる 部分があるのではないのでしょうか。僕が思う以上に言葉は難解なのだ 大町さん、お受けいただき感謝します。 文学が何かわからない身としては大町さんのログもひとつの答えで 良いと思っています。詩を読んでいるとほとんどすべてのワードが なんの意味かわからない領域に落ちていく感覚も愉しんでいるので わかってしまったらつまらなくなってしまうのかもしれませんけど 小説を書ける人達は流れるように感覚で書けてしまって読者を愉し ませるスベを知っているのでしょう。詩の場合は別に読者を愉しま せなくても良いわけで、詩は小説よりかはブラフマン寄りなのかも 「自己表現=自分の経験の描出ではない」というのは同感ですね。 若い純粋なネット詩人の方々のなかには詩に嘘は盛り込みたくない という素敵な方々がたくさんいますよね。けど、ちょっと待ってよ 嘘って何なの?もう一度うその概念も壊してみてますます詩の本質 に近づけるのかなと疑問に思うこともあります。とてもやわらかい 踏み込んではいけない領域の話しをしているのかもしれませんけど…… 足立様のツッコミを受けて…… 難しく考えれば、自分が所属する宇宙の秩序をありのままに反映させてするのが、自己表現? 独我の世界観もあれば、そこまで行かなくても、クオリアというものはあるわけだし、かならずしも、自己表現=自分の経験の描出ではないと、わたしも思います。 ただ「自分のことを書けば良いんだよ」という言い方のほうが伝わる層(長嶋監督みたいに身振りで伝えられるかもね)はいるわけなので、わたしはそういう層をターゲットにして話したいかなあ、ということでした。 1 2 3 4 5 6 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。 ![]() 0.13sec. ver 050714.4.0 | スレッドニュース |