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生贄合評スレ (創作系)スレッドオペレーター:いとう
試験的に作ってみます。上手く回らなかったら消します。

やり方。
1.作者が合評して欲しい作品のURLを貼り付ける。合評開始。
2.誰でも好きなことを好きなように。基本的に何でもあり。
3.なんとなく場が収まったら、次の生贄を待つ(笑)。

注1
合評される作品の作者は、合評内容に対してどのような発言権も持ちません。
つまり、自分の作品に対する発言は禁止。最初にURLを晒すだけ。
作者が特定の発言に星を入れるのも禁止します。

注2
合評中は、新たな作品のURL貼り付けを認めません。
合評は1作品に対してのみ、行っていきます。

[318]鵜飼千代子[2010 05/18 23:00]
やっぱり、クローバーさんがいいです。^^
お相手いただきどうもありがとうございました。

読んでくださった皆様もありがとうございました。

>他に見ている方で、批評したい方がいらっしゃるなら、作者さんのために、続けてあげてくださいね。
よろしくお願いします。^^
 

[317]クローバー[2010 05/18 22:47]
はい、〆で、OKです。

>「私はつらいのだと君は言う」を「あなた(話者)はつらいのだと君は言う」と読んでいるんです。黒葉さんと同じかしら。


はい、同じです^^、スムーズに進みました。良い経験をしたと思っています。
(あ、キリが良いとこまでいったので、名前戻しました)

他に見ている方で、批評したい方がいらっしゃるなら、作者さんのために、続けてあげてくださいね。
 

[316]鵜飼千代子[2010 05/18 22:19]
わたしも最初(何度か)読んだ時は全くわからなかったのですが、黒葉さんとやりとりをして
いる内に、見えて来たものが随分あります。

わたしは、
>>306
で書いた時には、「私はつらいのだと君は言う」を「あなた(話者)はつらいのだと君は
言う」と読んでいるんです。黒葉さんと同じかしら。

黒葉さんと、「私」と「君」でのやりとりで、同じ単語を使いながら、黒葉さんとはなんと
なく意思の疎通が出来ていてとんとんと話が進んだと思うのですが、他の人が読むと、
少しわかりにくいかもしれませんね。「話者、語り手」という言葉をはなから使って書け
ば良かったかもしれません。

わたしにとっては詩を読み解く過程が生ログのようで、有意義でしたが、rabbitfighter
さんは、何か得るものはあったでしょうか。ここに作者は書き込み出来ないから。

内容が書き辛いから、人が集らなかったのかもしれませんね。それとは別に、わからない
詩に批評を書くのは難しい。「いやいや、まだある」かもしれませんが、取りあえず〆でいい
でしょうか。^^
 

[315]クローバー[2010 05/18 22:01]
あらら、すみません。
僕の中では「私」=語り手、で考えてました。
わかりにくくなってしまいました。

鵜飼さんの、最終のとらえ方が、一番すっきりしますね。

「全てが性交のさなかの出来事」

なら、万事解決です。
なんか、そうやって読むと、ちょっと怖いな。
救いがないままに、話が終わってしまっている。
書き辛いなぁ。やるせないなぁ(これじゃ批評じゃなくて感想だ(苦笑))
こういう、暗い部分も表現しようという姿勢を僕は褒めたいです。(良いところ)
はじめの僕には、全く伝わらなかったとしても(って僕の読解力が低いのか)。
僕のような人にも、感づかせるような書き方が出来たなら
より、良い作品になるんじゃないかと思います。

はじめの考えていた詩とだいぶ違う作品に見えてきて、面白い経験でした。
 

[314]鵜飼千代子[2010 05/18 09:29]
>早足で通り過ぎていく
ですが、元作品は連分けはしていないわけですから、全てが性交のさなかの出来事と
取ることも出来ますね。

-----------------------------

ハミング/rabbitfighter

私はつらいのだと君は言う
私は不幸なのだと君は言う
誰にも顧みられない
愛されない
そうしてうつむいて
早足で通り過ぎていく
経血と精液がベットの上で混ざり合って
喜びが今産まれようとしている
悶えながら
失われてしまう
でも
産まれた瞬間に
天使になるよ
すべてが悲しみに定着して
月の周期に生と死が同期する
耳鳴りにハミングしながら
君は早足で通り過ぎていく

-----------------------------

「私」と「君」は同一で、別に話者がいるという考え方なのですが、6行目までは「君」の
言葉と様子。悲しみを打ち付けるように性急な行為。「早足で通り過ぎていく」の部分
ですね。
>>312 で「私」と「君」が同一かどうかと言っているのは、「話者」と「私と君」が同一か
の間違いです。「私はつらいのだと君は言う」ですから、「私と君」は同一であるのは間
違いない。「私と君と話者」が同一で、その他に蚊帳の外の性交の相手がいるという考
え方です。

7行目から15行目までは話者の言葉や気持ちと様子。それで最後の
>耳鳴りにハミングしながら
>君は早足で通り過ぎていく
ですが、「産まれた瞬間に/天使になるよ」という話者の気持ちを、疎ましいものと思い
「耳鳴り」がし性交自体には「ハミング」をしているのかもしれません。

そう読むのがスムーズな気がしてきました。
愛され方を間違っちゃっている、だけどそうしたい、悲しい気持ちの詩なのかもしれま
せんね。

>月の周期に生と死が同期する
はわかりにくいですが、巧いなと思いました。>いいと思った部分。

この詩ですが、「耳鳴り」がしているのは、男でも女でもありうるのではないかと思いま
した。夢見がちの(天使になれるって思う)男子は現代にいそう。場合によっては、「ウマ
い言葉」なのかもしれませんが。
 

[313]クローバー[2010 05/18 01:25]
「私」と「君」が同一説は、悪くはないかなと思ったんだけれど。

>早足で通り過ぎていく

は「君(という感情)」が「私(の中)」を早足で通り過ぎていく
だと、思ったのです。

一回目の早足は、愛されないという悲しみの感情がやってきたことを
二回目は、うーん、少し良くなった感じで、喜び(?)が通り抜けたことを。

まぁ、ちょっと無理があるような気がしますね。


>早足で通り過ぎていく

は(「私」と「君」が同一であろうと、別であろうと)どちらにしてもネックですね。

ベットにいて性交を行うなら、通り過ぎちゃまずいんですよね。
鵜飼さんの先の読み、だと、性交の部分については、性交を求めている様子で、問題はないんですけれど。
>経血と精液がベットの上で混ざり合って
>喜びが今産まれようとしている

実際に起きていることとして、書いていないなら「今」って表現するのはどうなんだろう?と思ってしまいます。

それと、最初の2行のような話をしていて、通り過ぎる、という表現は不自然な気がしてしまうのです。
言う、という表現をしていますが、そんな風な様子に見える、ということなのかなぁ。

最終の2行の
>耳鳴りにハミングしながら
>君は早足に通り過ぎていく

というのも、耳鳴りって他人に起きていても、わからないですよね?
なのに「君」に起きていることを「私(語り手)」がさらっと言ってしまう
そこの所に、なんとなく、違和感を感じてしまいます。

詩の表現は、あんまり厳密に考えるとつまらなくなってしまうけれど(苦笑)
作者はどういう意図があって「通り過ぎ」させたんだろう?うーん。

>すべてが悲しみに定着して
>月の周期に生と死が同期する

の所は、納得しました、そういうことなんだと思います。

(この作品を、作者が、わざわざ、生贄合評に載せたこと、
 と、ある程度、物語の形を取っていることから、
 何か伝えたいことがある のだろうと思うんだけれど
 僕には、やっぱり、よくわからないなぁ。)
 

[312]鵜飼千代子[2010 05/17 23:53]
黒葉さん、こんにちは。戻して戻して。
四つ葉が好きなんです。幸せをもたらすと言われていますけれど、成長点を潰さ
れて、三つ葉だったものが、そこから先四つ葉になるっていうでしょう?五つ葉は、
金運にいいらしいです。

さて、本題です。(笑)

そうなんですよね。この詩で「君」と「私」を同一だとすると、性交している相手は蚊帳
の外だろうなとわたしも思います。
そうすると

>早足で通り過ぎていく
が、今度はなんだろうということになります。
せっかちな相手だったというには、中途半端な場所に置かれている気がします。
最後の2行も宙ぶらりんになる。

>すべてが悲しみに定着して
>月の周期に生と死が同期する
ここは、1、2行目のつらさや悲しみと、中盤、喜びと引き換えに失うものへの悲し
みじゃないでしょうか。それらがひとつの悲しみとなる。生と死は、受精すれば新
たな命を授かりますが、しなければ生殖という意味合いでの性交は失敗、何億も
の(?)戦士が討死します。そういうことなのでは。

先に書いた内容で、話者は女の子で、蚊帳の外でない相手の男子がいる詩だと
わたしは読みますね。この詩で「私」と「君」を同一とするのは、少し無理があるよう
な気がします。どうでしょう。
 

[311]クローバー[2010 05/17 23:12]
あ、sageんのわすれた。。
 

[310]クローバー[2010 05/17 23:10]
鵜飼さん、こんにちは、です。名前、戻そかな。
自分を揶揄しているとはいえ、呼ぼうとする人にとっては、気分のいい名前ではないですよね。ひとまず、キリがいいとこまでは、このままで。
あと、確かに「ベット」ですね。書き取りミスった、すみません(苦笑)


「君」を「自分の感情を擬人化したもの」として読んで良いのだとしたら
「君」と「私」が同一であるとして読むことになります。
で、思ったのですが
性交しているのが「君」と「私」である必要は、ないんじゃないでしょうか。
「私(君)」とは別に性交をしている相手がいる。
と、考えれば
>経血と精液がベットの上で混ざり合って

には、一応、矛盾がなくなります。


「私」はおそらく女性ではないかと思います。
>喜びが今産まれようとしている>悶えながら>失われてしまう>でも>産まれた瞬間に>天使になるよ

産む、月の周期、などはどちらかと言えば女性の感覚でしょうし(決め付けでしょうか(汗))
語りかけているのは、うーん「君」に、かなぁ。

(「感情である君」から)喜びが今産まれようとしている
((喜びが)産まれた瞬間に「愛されないと嘆いていた感情である君」は)天使になるよ

性交の相手は、ほとんど蚊帳の外で「私」が「君」に語っている
と、考えれば、流れに矛盾は、無さそうです。

ただ、
>すべてが悲しみに定着して>月の周期に生と死が同期する

が、いまいち掴めないかなぁ。うーん。
 

[309]鵜飼千代子[2010 05/17 00:16]
黒葉さん、こんにちは。前の名前の方が良かったな。というのは、置いておいて。

「自分の中の感情を擬人化したもの」ということはありますよね。
理性の自分と、感情の自分を2者として書いたということも。
そうすると、
>経血と精液がベットの上で混ざり合って
は何の比喩なのか。ここがまたわからなくなっちゃいます。

「ベッド」ではなく、「ベット」と作者は書かれていますね。
眠るベッドのことをベットと書いたのだと思いますが、以前「ベット」の表記について、
揉めたことがあるので、この作品中では「ベット」の表記と、ちと書いておきます。

【合評】なのですが、ここの場合、自己参集のようなので、黒葉さんとわたしが書いた
ということで、取りあえず合評でしょうか。

sage
 

[308]クローバー[2010 05/16 22:49]
>話者が女の子だと考えることも出来ますね。

なるほど、と思いました。目からウロコ。
ハミングも耳鳴りに対してしているんだから、うーん。
どうしたら、より良くなるか、と思って書いてみたけれど、僕の解釈自体が作者が書きたいものとは違ってるのかも。
通り過ぎる、とは書いているけれど、途中からベッドだし「君」はもしかしたら、自分の中の感情を擬人化したもの、なのかもしれない。うーん。
sage

ちょっと話ズレます。
初挑戦するにあたり、調べたのですが
【合評】?何人かの人が集まって、ある作品・問題などについて批評し合うこと。また、その批評。
【批評】?物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。
◇「批評」は良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。(ネット辞書 デジタル大辞泉さんより)
なんだそうです。良い点も悪い点も、って、難しい。
 

[307]鵜飼千代子[2010 05/16 21:17]
話者が女の子だと考えることも出来ますね。
それなら、女の子が月経中かどうか男子が見定める必要はない。
女の子が淋しそうな男子に性交を求めているという解釈になるのですが。
その場合、男女のどちらが天使なのだろう。作者のみぞ知る、かな。

sage
 

[306]鵜飼千代子[2010 05/16 09:25]
こんにちは、よろしくお願いします。

「ハミング」なのですが、投稿されている時に読みましたが、「男女の性交」
について書かれているということはわかりましたが、引っかかる部分がありま
せんでした。こちらにURLを貼られてもう一度読んだのですが、同様でした。

今回、黒葉かものさんの批評を読んで、そういうことが書かれているのかと
もう一度読んだのですが、わかりませんでした。

それで、もう一度読んで、どの行が、どの言葉が、作品のどの部分に影響を
与えているのかという、わたしが詩を読むよろこびとは少しズレルことをして
みました。

1、2行目の「私」と「君」は、男女であると考えられますが、話者の性別がわ
からないまま読者は作品に入って行きます。3行目以降、最初の2行とは書き
方が変わって、主語がなくなりますが、「私」と「君」のどちらが男でどちらが女
と捉えたかが、読み手によってまちまちですので、ここで読者は迷うのでしょう。

そこで、1、2行目の「私は」を省いたらどうかと、読んでみました。少しすっき
りしますが、まだわかりません。そこで、連分けしてみます。

-------------------------------

ハミング / rabbitfighter

私はつらいのだと君は言う
私は不幸なのだと君は言う

誰にも顧みられない
愛されない
そうしてうつむいて
早足で通り過ぎていく

経血と精液がベットの上で混ざり合って
喜びが今産まれようとしている
悶えながら
失われてしまう
でも

産まれた瞬間に
天使になるよ
すべてが悲しみに定着して
月の周期に生と死が同期する

耳鳴りにハミングしながら
君は早足で通り過ぎていく

-------------------------------
このように連分けしてみると、圧縮されていた「行間」の部分で読み手が読む
べきものが見えて来ます。

そこで、わたしは「月経中だと見定めた淋しそうな女の子を眺めている、ある
いはナンパしている男子の頭の中で書かれた詩」ではないかと思いました。
「産まれた瞬間に/天使になるよ」というのは、「性交をすることによって男性に
とって天使になる」という意味でしょう。月経中だから、妊娠する心配もないし
というのが「月の周期に生と死が同期する」でしょう。

そこでまた疑問になるのは、本当にこの読みでいいのか、ということです。「読
みが足りない」と指摘されたい気持ちが大きいのですが、わたしが読んだ内容
でいいのであれば、作者はなぜこの詩を「生贄」に持って来たのかが非常に不
可思議です。このように、光を当てられたかったのでしょうか。

「耳鳴りにハミングしながら/君は早足で通り過ぎていく」という気分なのですが、
もっと作者にとって救いのある批評をしてくださる方がいないかなと思います。
 

[305]クローバー[2010 05/16 02:08]
批評って自分の首を絞めますね。

補足すると、この作品は「物語の形で伝える」ために書いてあると思うので、伝わるように読む人のことを考えて書く方がよい、と言っています。
「物語として伝える」ことを目的としない作品なら、違うことを言うと思います。
 

[304]クローバー[2010 05/16 01:32]
批評は初挑戦なので、お手柔らかにお願いします。

「早足で通り過ぎていく」ここが、ポイントなのだろうと思う。
一回目の「早足でー」は、つらく愛されないという「君」がうつむいた状態で行った。
二回目は、ハミングしながら。ハミングは鼻歌である。ふんふん歌いながら行った。
一回目と二回目の間には、大きな隔たりがあることが伺える。
「君」の気持ちを変化させたのがなんなのか、そこに主題があるのだろう。

「経血が精液とー」からはじまる、つまり性交を表しているのであろう部分。
これが「君」の気持ちを変化させた主題となる部分である。

一回目の「早足でー」が愛されないと、うつむいて行われていているので、性交によって愛を得て、ハミングしながら二回目「早足でー」となった、ようだ。
つまり主題は、愛、だろう。

(僕は、性交を愛だとすることが嫌いだ。性交は、愛がなくても成り立ってしまうおそれがあるし、愛があっても、性交ができない、ということもあるから。こういう書き方は問題ですらある、と思っている。しかし、それは作者の考え方であるから、まぁ考えないでもよしとする。)

この作品は
不幸な日常を過ごす「君」が「私」との性交によって「愛」を感じ、立ち直り日常に戻っていく
要約すると(僕の読解では)こうなる。

重要なところは不幸から幸福への変化である。

ひとつめの問題は、具体的な部分がないこと。
僕は、変化を起こしたのが、性交だけでは腑に落ちない。
愛を伝えたものを描写したほうがよい。
(しかし、別に行為を描写しろと言っているのではないことをわかってもらいたい。愛を伝えるのなら、性欲がない分、手をつなぐ、頭をなでる、などの方が、性交より僕は効果的だと思っている)。

ふたつめは変化を起こした「君」が語っていないこと。
「私」の独り善がりな自己満足に見えるのである。
「私」には変化の実感がない。
変化したのはあくまで「君」なのだ。
語っているのが「君」ではないため共感するのが難しい。

「早足でー」から始まり「早足でー」で終わる。
状況を変化させ、同じ描写でも違った意味を持たせようとした所は、良いと思う。

というところで、終わりにします。
 

[303]rabbitfighter[2010 05/15 02:01]鵜飼千代子
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=209356

top10じゃないけどよろしく。
 

[300]相田 九龍[11/03 14:13]
これって詩なの?
と思ったら散文に投稿してたんですね。

せめて詩にしませんか?
 

[298]光井 新[2009 08/24 00:37]
前回とても参考になりました。
またよろしくおねがいします。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=189524
 

[297]たもつ[2009 06/06 06:49]
こんにちは。
何か食い足りない。作者の「面白いでしょ?」感が見え隠れして。
もっとピシッと締めるか、もしくはこの3倍くらいのボリューム圧倒するか。
ボリュームは作者の設計図どおりで、そんな話は余計なお世話なのかもしれないけれど
食い足りない、と感じさせる時点で設計図がどこかで狂ってるのかもしれない。
 

[296]さわ田マヨネ[2009 06/05 12:48]
前回とても参考になりありがたかったです。
よろしくおねがいします。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=186605
 

[295]m.qyi[2009 04/07 15:03]北村 守通
ぼくね、このお話好きよ。まず、これが大事です、ぼくには。
たとえば、さ、光井さんがね、純粋に青くて丸い地球の住人で北極にいます。これから南極に行かなければいけません。どう行きますか?って聞かれたら面白いですか。
もし、この質問が面白ければ、光井さんの詩も面白いだろ、質問が面白くなければ、光井さんの詩の「私」は面白くないだろ思います。
光井さんの詩の中のパパママと妖精、虫と雑草、おじさんとかとってもシンメトリーで純粋に青い地球のピタゴラスです。
ぼくには一応これで批評というかそういうのは終わりです。
ただ、この質問の面白さは、青い地球というのがおもしろいなと思うんです。自分で自分の質問なんですが。白いと言わない僕がいて。この青さが光井さんの詩にはあるような気がして好きです。
そこで、質問が面白くなかった人は白い玉の上にいるんだね、きっと。そうすると「私」は困るでしょ。だから面白いとは言えない。それで、「ううううん」となるんじゃない。
ところが、さ。答えられない問いを出すことはできるそうで、答えはだせないんだけれど、行動することはできるみたい。つまり、きっと南極には行くみたいなの。生物は説明はされないけれどちゃんと生きているから。そう言うと、なんとなくそういう気になり(多分勘が働くんだろうと思う)、二重に「ううううん」となり、自分に嫌気がさし、花であしらう妖精になるということもあるのかしら。
光井さん自身がここの所をぐっと掴めないということでこういうところにいらっしゃるのかなあとも思いました。
 

[294]光井 新[2009 04/04 21:54]
どうもありがとうございました。

なんとなく場が収まったようなので、次の生贄を貼り付けさせて頂きます。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=175609
よろしくおねがいします。
 

[293]ソティロ[2009 03/31 01:40]石川和広
>>292
石川和弘さん
ぼくは石川さんの書かれたあたりのことも書きたかったんだ、と思いました。
でもその力?なかったなーと思い知りました。なぜか自殺が出てくるとどーも鼻息荒くなってしまうので、読めて良かったです。ありがとうございます。
 

[292]石川和広[03/29 21:03]
>>289

光井さんの「名前のない少女」読みました。
僕には2つの箇所が良いように思いました。屋上、少女、いじめ、自殺というとなんとなくそういう物語が思い出す方もいるかもしれません。

しかし意外とそうではないように思いました。一つは押し花のストラップです。これは男の子があげたものですが、大事に持っていた。その思いの強さが男の子をおののかせます。一見単なる片思いにすぎない。しかし、それをちゃんと身につけていることに、自分が誰かに求められていたという責任に少女が死んでから気付くのです。これは苦しい。なぜか。自分がサプライズをつまりいたずらをするようなガキなのに、思いを寄せられた一人の人間だったことが事後的に迫ってきているようです。まだまだはっきりとは書けていないとしても私はその可能性を感じたい。

また「名前のない」とはデスノートに名前がないから、少女自身は死にたくない。殺される側にまわりたくない。しかし憎んでいる。でも殺すか殺されるかの選択に陥り自らを殺すことにしてしまった。

耐え難い殺意や憎しみの中に少女もいたくない。好きな男の子も死んでほしくない。その葛藤の中でそういう世界から脱出したくて死んでしまう。男の子を置いて。

これを男の子へのいかなる感情と捉えればよいか。一生男の子の心の中にいたいという。
男の子はたぶん少女が死ぬことも、自分を好きだったことにも気付いていなかった。死んでから彼女とはじめて会えたのです。
この誰かが死に追い詰められるほどに逼迫が常態化している世界で、それを救う術があるとしたら何か。
ヒントがあるのは、名前がないというのは男の子にとって名もない少女だということで、裏を返すと誰かの存在をどこかで、感じつづけることです。
誰かが死んでからでは遅い。しかしどうしたらいいのだろう。その問いがタイトルにあると思います。

描写はシンプルで粗い感じですが、大きな骨格を読むなら実は詩のもつテーマ性自体は大切な問いだと僕は考えます。
 

[291]ソティロ[2009 03/29 10:50]
>>289
光井 新さんこんにちわ

読んでみて、まず「詩」っぽくないなと思いました。
でもそこを広げても意味薄そうだし収拾つけられないのでそれは置きます。
あっ、決して悪い意味で言っているわけではないです。

名前の無い少女 ってタイトル好きです。
名前がないということからの広がり、人間の個性について一般性について社会(この場合まず学校にあたるでしょうか)と個人について存在そのものについて、それらを直接語ることなくあぶり出る(抽象される)ことを期待しましたがそれについて満足は得られませんでした。

自殺について、現実味もリアリティ(あえてわけました)も感じられませんでした。
それらは必要ないものかもしれない。でも何かしらこちらに押し迫ってくるものがないと響かない感じがします。

細かく言いますと、
【デスノート発見→屋上に少女発見】
逆光にも関わらず
>泣きながら震えている。
のが確認出来るような高さの屋上から飛び降りて死ねるだろうか(「僕」は目がいいのかも知れない)、とか
【屋上に少女を発見する→必死で階段を上る→屋上に少女の姿がない】
この間に飛び降りたなら結構大きな衝突音がするんじゃないか(むしろおそらくその音を聞いて教師たちは駆けつけたんじゃないか)、とか
【屋上に少女の姿がない→少女の所持品を見る→ノートをチェックする】
まず屋上に着くなり地面(校庭?)を見にいくんじゃないか(明記されていないだけでそうしたのかもしれない)、そして飛び降りる直前に屋上に向かっていたのに、地面を見た時には教師が少女を取り囲んでいるのは教師が早過ぎるか「僕」がのんびりノート見過ぎじゃないか、とか
【少女の死体を教師が取り囲んでいる→菊の花落とす→涙】
きれいすぎるし涙が出るのもなにか釈然としない(これは後で触れます)、とか
そういう色々な点が気になってしまって集中できませんでした。あるいは、そういった細々したツッコミをさせない位のパワーが感じられませんでした。

この詩で書かれていないこと、例えば少女の自殺の動機に当たる部分、クラスメートの「僕」以外について死んでしまえとまで思わしめた経緯と心の動き、サプライズを企画するくらいクラスのなかで存在感を発揮する「僕」にすら名前を覚えられていないこと、少女の感じていたであろう疎外、またあるいは自殺から次の日の朝までの間にあるであろう救急車の到着や警察の取り調べなどややこしいこと、などなど、それらについて省かれているのは切り取り方なので気になる種類のものでもないですが、書かれているところにツッコミが浮かぶとどうも気が散ります。

次に行動ではなく心情についてですが、ここにもリアリティが感じられませんでした。
自殺と遭遇した「僕」の動揺は
>理解できずに怖くなった
という形で一応表現されていますが、本当にそれで済むだろうか、と疑問が生まれてしまいます。
地面をなかなか見られなかったのは「怖」かったから、という説明も出来ますし、状況を認識出来るまでのタイムラグがあった、ともとれます。
しかし、混乱しているとするならばその割に少女の所持品を見るときの目や、死体を確認した後の行動、そして涙、に冷静さを感じてしまいます。鈴女さんがご指摘の「説明的」なところがそうさせているのだと思います。少女の死に触れた衝撃が感じられません。
地面を見られない混乱があるのなら、それと冷静な状況判断は馴染まない感じがするし、混乱が収まって地面を見たなら状況を受け入れるのがスムーズ過ぎる感じがします。

涙についても、混乱がほどけて少女の死と直面した解放の涙と取るならやっぱりスムーズ過ぎる感じがします。
でも涙はそういった弛みのようなものではないと思います。
「僕」にとって「名前の無い」存在が希薄な少女を「デスノート」により発見し、屋上のストラップで思い出すことで、輪郭がはっきりしたものとなります。そして菊の花を少女の死体に投げ落とすことから、「僕」のなかで存在を取り戻した少女に対する悼みの涙なのだなと思いました。しかしスムーズさ冷静さ故にそこに重みが感じられません。

少女が存在を取り戻すまでの経緯が極限状態で凝縮されていて、しかもそれが間に合わなかった、というのがこの詩の特徴だと思いますが、その流れが上記のツッコミどころと相まって不自然に思えてしまう割合が大きいです。こちらが具体的な事件/行動からの広がりや深みのようなものを抽出する際にひっかかりがあります。

存在 と 疎外 と 死 についてというのはむずかしいですね…


少女が死んでから名前を取り戻したにも関わらず、日常の流れのなかに少女が、そしてその死までもが回収されていってしまう。しかし「僕」のなかに少女の名前は刻まれている、という救いのなさと救いは感じることが出来ました。


関係あるようで全然関係ないような動画なんとなく貼っときますー
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=nZMCCKBFk0Y&eurl=
 

[289]光井 新[2009 03/28 15:46]
よろしくおねがいします

http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=176204
 

[286]K.SATO[2008 12/29 20:47]
人があまりでてこないのに
ドラマチックです。
繊細な中にあるシリアスさみたいなものを感じました。
 

[285]葉leaf[2008 11/26 07:38]
簡単な印象ですが。

とても音楽的な詩だと思いました。散文のところでは音が密に打たれ緊張感があり、数を数えるところでクレッシェンドがかかる。行わけのところでは音がまばらになり解放感がある。そして、散文のところと行わけのところを交互に入れ替えることで生まれる、緊張・解放の独特の大きなリズムが生まれる。

音楽が聞こえてきそうな構造を持った詩だと思いました。
 

[283]氷魚[2008 11/15 15:53]白井明大
あまり役に立つことは言えないと思いますし
評価することも苦手なのですが
ピンクモスバーガーさまの作品を楽しみに読んでいる一読者として
ちょっとだけ、的外れかもしれない感想を書かせていただきます。

短い文章の中に比較的多くの視点が存在しており
はじめは、取っ付き難い作品かなとも思ったのですが

・「蜂」「子供たち」「花束」の3つの視点同士の関係
・教室の中←窓際→外など、上記の3つの視点と場所との関係
・複数の視点から共通に登場する「イェイイェー」という表現の意味

主にこの3つが、この詩においての着目しやすい鑑賞ポイントと考え
何度か読み込むと、比較的すっきりとした構造の詩であると感じました。
構造が分かると代わる代わる3つの視点に立てるようになったので
単純な表現で申し訳ないのですが、読んでいておもしろかったです。

個人的な趣味の問題かもしれませんが、とくに最初の部分に惹かれます。
最初の連は文章の接続の仕方がユニークだったため
>蜂がクラスにやってくる のストレートで分かりやすい一文が際立って
これから、教室の中に大なり小なりの波乱があるのだということを
読者に予感させる展開になっていると思います。

本当に感想だけになってしまって申し訳ありません。
不適切な投稿と判断された場合は、どなたも削除要請をください。
これからの作品も、楽しみにさせていただきます。
失礼いたしました。
 

[282]白井明大[2008 11/15 13:40]
はじめまして。
どのような詩を書いてらっしゃる方なのだろうと思い、これまでの投稿作品を拝見しました。

ことばが跳ねているような、そうした元気さを持ちながら、出てきたことばに引き出されるように新たなことばが生まれ、それらが次々湧いてきて、イメージが積み重なっていったり、逆に拡散していったりといった印象を、多くの詩から受け取りました。

投稿された順を追いながら、読後の印象を述べさせていただくなら、まず上記のような印象をもったのが「みそ しる」「くびおしめ」などです。

また「13つぶのカス」「ゆずこしょう」には、作者の異なった面をみるようでした。「みそ しる」などがことばの響きなどに心の躍動感が表されているような印象だったのに対して、「13つぶのカス」「ゆずこしょう」はことばが弾ける代わりに、意味を追いやすく、つまり散文に近いことばの流れだったということと、それゆえ書かれている抒情がただちに解される素直さを持っているということです。そのように感じました。

ことばの元気さと、素直な抒情とのバランスがその後の詩にも表れているように思います。

好きだったのはまず「月曜日の昼間」でした。この詩は素直な抒情をベースとしながら、「越し」というキーワードを軸にして、ことばの、この場合元気さではありませんが、ことばの響きが詩の動きを生み出しているように感じられました。
素直な抒情を表すために、この作者に固有の文体が生きている、といった印象をもちました。素敵な詩だと思いました。

その後も、ことばの元気さ、イメージの飛躍、拡散、展開のおもしろさが表れている詩をみることができましたが、途中である変化に気づきました。その変化に気づかされるのは、「ラブレス」以降でした。
ですがもういちどみてみると、それまでの「バックグラウンド」「つぎはぎ」などにも表れているようにも思えますが、変化を読み取ったのが「ラブレス」でした。

これ以降の詩のなかで「埋まらないタイムカプセル」「パーを出す前のグー」「キリトリ線が点滅」「ストーカーさえできない」「ハンテン」に、それまでと比べてより深いものが詩に込められているように感じられました。
しかも「月曜日の昼間」にみられたものとはまた別の、すなわち抒情を文体によって表現するのではなく、文体じたいが抒情をはらんでいるような、とでもいうような、そうした印象をもちます。

ことばの破綻の度合いがつよい「パーを出す前のグー」「キリトリ線が点滅」などは、ことばあそびや、イメージの拡散という表面にあらわれてくることばの背後に、なにか切迫した内面(あるいは心のアンバランスさ)が感じられます。また「埋まらないタイムカプセル」の「やーらーれーたー/(シャキーン)」という、ひらいたことばが、やや重みを帯びた最終連と対比的で、こちらはイメージの拡散を感じるというよりは、「月曜日の昼間」にやや近いかもしれないけれど、抒情とことばのオーバーラップ(「月曜日の昼間」ではオーバーラップというよりは交錯し展開するという数本の線のような展開を感じましたが、こちらでは乗せて乗せて行く感じ、とでもいうのでしょうか、そうした感じられ方です。曖昧で申し訳ないのですが)を感じました。

そうした変化がいちど表れた後に、さらに「地を蹴る」以降は、ことばと内面のむすびつきが、むしろ遠く離れているように受け取られました。
作者が確立したある手法を用いて、即興的に詩を書いているような、そうした印象です。拡散したイメージを展開しながら、ある特徴として、最終行が意味をつかみやすいことばでしめくくられるというのが「地を蹴る」(「それでも かわす挨拶に不自由がないのです」)、「はなし」(「そんなことを/はなすのです」)、「餅ついているうさぎは餅食われながら観られている」(「排水口へ向かうのだろう」)、「可視光線と嘘」(「僕はそこでみて、いた/きっといまも」だ」)のいずれにもあてはまるように思えました。
これはあるいは、弾けるようなイメージを展開していきながら、作者の抱えている思いは凝縮されている、といった内面の働きによるのかもしれません。あるいは短詩のかたちで表したときに、素直な抒情となって表れる可能性のある内面を、この作者らしいことばの躍動感で、このような詩を生み出しているのかもしれません。

いずれにしても、「ラブレス」以降の変化から、またさらに「地を蹴る」以降、移り変わってきたように把握することもできるのではと思いました。

こうふまえてきて「蜂」を読んだとき、いままでみてきた作者のさまざまな面の、その境界線上に位置する詩であるような、そんな印象を受けました。

◯ことばの躍動的な展開(「みそ しる」)、◯素直な抒情(「13つぶのカス」)、◯抒情を表現することばの展開(「月曜日の昼間」、◯より深いものが詩に込められる(「ラブレス」以降)、◯イメージの躍動と最終行のおさまり(「地を蹴る」以降)

これらのどれにもあてはまるようで、これらのどれ、と一概に言えない、作者の特徴に抑制がかかった詩。それが「蜂」であるように感じられます。

また詩が変わろうとしているのかもしれません。「ラブレス」以降でみせたものがいったんおさまり、また表れようとしているようにも思えます。

これ以降にどのような詩が現れてくるのか、それによって「蜂」の意味が明確になってくる気がします。
この「蜂」という詩は、また大切な位置にくる詩なのかもしれないと思いました。
 

[281]さわ田マヨネ[2008 11/14 17:07]
よろしくお願いします

http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=171026

合評を受けて推敲するかも知れません
 

[278]茶釜[2008 08/19 23:42]
敢て女性語りにする必要があったのかが疑問
「私」を「僕」に変えても成り立つ内容かと
話者が女性である以上に内容が話者の性別や年齢とかを物語れば
もっと良い作品になるかも、
 

[277]あおば[2008 08/15 16:37]
明るい光の下にいるのに、なにかおぼろげで、終戦記念日の本日に読むと、異国で儚くなった方を偲んでいるようにも感じられます。それは読みとしては外れているのですが、夏の朝霧が掛かった田園地帯で、白けながらも、これからの行く末の覚悟を決めているようにも感じます。最後の、絵の具で塗りつぶしたみたいになることを、には人の宿命を覚えます。
 

[276]れつら[2008 08/13 18:08]
落ち着いたようですね。
よろしくおねがいします。

http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=161307
 

[274]大村 浩一[07/10 06:10]
「白玉」、私はどっちかと言えば平居謙さんのバカバカしい作品のほうを思い出しますが。
 一見それっぼく書けているが女性詩、戦後詩、現代詩といったくくりかたが雑で、具体性を感じられない。
 女性が否定的反応をしているのも、表題とは裏腹に、作者の詩や性からの疎外感ばかりが伝わってしまうからだ。
 本当に好きな詩を見つけてから書けばいいのに、と感じました。
 

[272]いとう[2008 07/08 23:19]
>>271

別に削除する必要はまったくありません。
と管理者としてコメントを残しておきます。
ヘンな前例を作りたくないので。

「2.誰でも好きなことを好きなように。基本的に何でもあり。」
とあるように、好きなように書いてください。
それに対して文句あるなら最初からここに作品持ってくるなと、作者に言っとく。
ここはそういうふうに規定された場ですので。
 

[269]モリマサ公[2008 07/07 22:02]
内容が古い
スピードも熱も感じられない
行を互い違いにすれば詩になると?
 

[266]れつら[2008 06/14 14:04]あおば
偉そうなことを言うのをご承知ください。

惜しいところだなあ、と思う。
大変センチメンタルな情感が作品全体に漂っていて、
その印象を強く持たせたいのは行分けの仕方などからもわかります。
冒頭で存在していた娘のイメージが、末部で消えているというのが
この詩の持つドラマツルギーですね。
そこにどう飛躍を持たせるかがこの詩がちょっといい詩で終わるか
すごくいい詩になるかの分かれ目のように僕は思います。

さて、存在と不在の問題ですけれども、
この詩は中間部でもそこに触れています。

>だが、
>「世界は奇妙な幻想だよ」って、
>そんな間違った何かを
>卑怯にも口にしてしまう前に
>(いつか私は君にそう言ってしまうだろう)

この部分ですねー
この連の最終行で既に「世界が奇妙な幻想である」と発言すること、
話者≒筆者とみなすのであれば、
不在(奇妙な幻想)の未来を既に話者は持っていて、
そのうえで存在する「君」に語りかけているという、
ある種の循環性を持つ作品構造を示唆しているとも取れます。
というのも、次の連で

>間違っていない場所で、
>間違っていないことを
>一言でいいから
>私は君に言いたくて
>ここに君と来たのだ

ということを書くことで、話者の現在地点が「間違っていない」ということ
つまり「ここ」が確かなものであるということを上手く補強していることですね
この辺は非常に丁寧だし、
単に作品が中空に浮かんだ、ぼんやりしたセンチメンタリズムに
堕してしまわないようにするためにも必要な箇所かと思います。
上手い補強だと思います。


さて問題はこの後だと思うのですが。
どのように「不在」を描写するか、
この点においてはまだ推敲の余地があると思われます。
「存在」が「不在」に移り変わる次の連でも
全体の持つ作品のテンポ感に対して一定の速度を維持していますが、
ここは思いっきり変調があったほうがよいのではないでしょうか。
最後の

>君は遠くで
>咲き始める

という部分で、冒頭の「今にも咲きそうな桜」との
時間的な同期は取れているわけだし、
それを考えても

>君のいない、空の下の
>満開の桜の木の下にいる

という描写は微妙なズレをきたしていて違和感があります。

というわけでケツから2連目がなんか変です。
変えたほうがいいと思います。
というかむしろ、なくってもいいんじゃないかとすら思うくらいです。


ここからは余談といえば余談なんですが、

最後の「君は遠くで/咲き始める」というのが、この詩に時間的なそれだけでなく、
空間的な広がりも与えていることを考えると、
前半部の「娘」から「少女」という呼称の変化による一般化、
これってどこにでもありうる、卒業の風景を喚起するのに大事なんじゃないの
と思うし、やっぱりそうすると
(これまたどこにでもありうる)心象と具象のオーバルコースを
しっかり形作るのは大切だと思うし、
オーバルコースを何度も駆け抜け続けるには
駆動力を生み出すダイナミズムが必要なんじゃないの、
とも私は思うわけです。いかがかしら
 

[264]たもつ[2008 06/11 14:35]
子どもって親の思うとおりには行動してくれませんよね。ましてや小学校を卒業した
あたりの年頃になると。
映画や漫画のように、親としては格好良く人生を示唆する台詞のひとつでも決めたい
ところだけど。それこそ桜を見上げながら。
でも、まともに聞いちゃいないし、すぐ飽きて勝手に話をさえぎろうとするし。
それらしいことを言って悦に入るという大人の自己満足を見透かしているように。
そういう意味でのリアリティには乏しいかな、とは感じるけど、それとは別に生きて
いることの違和感、とかリアリティを感じる部分ではあるなあ、と。
「間違ってる」って何が間違ってるのかもよくわからないまま、ああ、間違ってるな
って日々感じる。もちろん、それは単なるセンチメントかもしれない。それは語り手
だって、読んでる僕だって、充分「卑怯」だとはっきりわかってることなのに。
結局少女はいなくて(生きて遠くにいるのか、もう亡くなっているのかよくわからな
いけど)、そう考えると少女の存在にリアリティを求めること自体、間違ってるかもし
れない。その不存在は「間違っていない場所」や「間違っていないこと」がある、と
いう確信なのではなく、そういうものがあって欲しい、という願いのようなものなの
かもしれないませんね。
 

[263]あおば[2008 06/11 04:21]たもつ
以下、印象にすぎませんが。

理屈では分かったつもりでも
気分が割り切れない
そのなんだか訳が分からない
どこからか湧いてくるふわふわした気分
それを美しく表現しようと試みたのだと推察するのですが、
その意図が、少し明確すぎて、少女は少し困っているのではと、
読者は読みながら日々の行為を反省させられるのではないかとも感じられる。
 

[259]いとう[2008 03/30 02:17]
age
 

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