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[152]……とある蛙[2017 11/20 10:55]★5
土曜日は参加できずに申し訳ございませんでした。土曜日は私がメンバーとして入っている合唱団の定期演奏会が、午後、外神田の複合施設の多目的ホールであり、その後打ち上げに参加したためゆけませんでした。大変残念でしたが、もし、、また、機会があれば万難を排して参加したいと思います。
[44]……とある蛙[2017 09/08 11:05]★2
実は当日男声合唱団の定期演奏会があります。ただ、演奏会場が外神田で秋葉原地区なので、終了後の打ち上げに少し参加してから、そちらに向かえば、夜は何とか参加できそうな感じです。中途参加が可能か可能であればもちろん参加したいと思っています。
[24]……とある蛙[2017 09/01 14:42]★1
20周年おめでとうございます。
片野さんの現代詩フォーラムの維持管理大変なことだと思いいつも参加者としては感謝しております。
最近はなかなか投稿できなくて申し訳ありません。
オフ会はおもしろい企画だと思います。
参加可能であれば参加したいと思います。
[392]……とある蛙[2015 02/17 22:53]★1
最近つぶやきを書くことにしています。
ドウデモイイコッテス。何かを感じてくれれば。
[173]……とある蛙[2014 07/16 20:31]
二度書かんと理解不能だからな!!
[172]……とある蛙[2014 07/16 20:29]
あぁ楽しかった。書いてはいけない箇所に書き込んで認めながら削除しない知り抜けにはちょうど良い絡みかも。もう最後の言い訳が追い込みかけられた債務者のようだな。「趣旨的には興奮しないでください」^ - ^きちんとした反論せず相手がなに言ったか問い返すやり口!あぁ言えば上祐だよな^ - ^
[171]……とある蛙[2014 07/16 20:29]
あぁ楽しかった。書いてはいけない箇所に書き込んで認めながら削除しない知り抜けにはちょうど良い絡みかも。もう最後の言い訳が追い込みかけられた債務者のようだな。「趣旨的には興奮しないでください」^ - ^きちんとした反論せず相手がなに言ったか問い返すやり口!あぁ言えば上祐だよな^ - ^
[382]……とある蛙[2014 07/16 18:19]
花形さ〜ん!ほんとに正真正銘のバカはいるもんだなぁ!
[166]……とある蛙[2014 07/16 18:16]
半可通なやつほど知り抜けのくせして他人を半可通と言う馬鹿馬鹿しさ^ ^
[894]……とある蛙[2014 03/14 11:41]
23年間も通っていた明神下のピアノバーが閉店した。
開店日が23年前の3月11日だった。開店20周年が東日本大震災だった。
むちゃくちゃ洋酒の種類の多いとこでした。
たまに呑む僕のためにスロージンなど(他には誰も呑まない)を用意してくれた。
錦糸町のスナックか居酒屋しか呑むところがない。
残念です。
[888]……とある蛙[2013 10/25 08:45]
私のスマホの検索履歴に「いま秋葉原です。帰ります」というのがあります。
[885]……とある蛙[2013 10/04 23:22]★1
眠いよね、、?ごめんなさい。(^○^)
[850]……とある蛙[2013 08/21 16:25]
>>848 奧主さん
小沢さとるさんって、サブマリン707の作者ですか?
黄色い零戦というのも読んだかも知れないです。
ただオノマトペがなかったかどうかはまったっ記憶にありません。
[161]……とある蛙[2013 07/24 13:22]
うんとMEMO
文学と言語機能1
言語とは何かという問いに対して
その機能面から考察すると、
まず、言語は事実や思想の表現・伝達の手段であると定義づけうる。
しかしながら、言語は伝えるべき情報の伝達手段、媒体の機能を持っているだけではない。
それ以上のナニカである。
そのナニカとは言語自体に内在する創造的意味作用の可能性
→美的あるいは詩的な機能とでも呼べるものがある。
言語が、伝達手段つまり客体ではなく、言語それ自体が主体となる機能も担っている。
(メモ)
1文学作品の記号性
?文学は言語を素材とする→絵画や彫刻とは異なる...
[705]……とある蛙[2013 07/06 23:47]
偉そながんこは誰からも相手をされなくなる。
[154]……とある蛙[2013 05/17 15:01]
はなもとあおさん はじめまして。
>詩が何かわからないで詩を続けるのもどうかと思うので
ふ〜ん分かっているのですか。たいしたものですねぇ。
みんな悩みつつ、あーでもないこうでも無いと言って書いているのではないかと思っていましたが。自分だけですか。こんなこと考えているのは。
ところでちょいと思いついたことが出来たのでメモ風に書いておきます。
詩と散文の区別はどこでするのかという話で、分けのわからんポエジーと言うことを言う人がいます。ポエジーと言ったところでその定義が人それぞれで他人には意味不明です。勝手に自分でああだこうだ言って悦に入っています。ある意味馬鹿馬鹿しい。
結局、根底に歌があるのが詩で、根底に語りがあるのが小説を中心とした散文ではないでしょうか。そう考えた場合、混合したものも可能で、かつ詩人と呼ばれる碌でなしどもは歌物語みたいなものをもっと書くべきではないかと考えます。私はやらないですが(笑)
[148]……とある蛙[2013 05/13 13:17]
最近詩って奴が分からない。ギンズバーグは「主観的真実が読者あるいは鑑賞する者を得て客観化して初めて詩という名に値する芸術が成立する」としている。
そのように考えたとしても客観化啜るには何人鑑賞者が必要か不明である。結局、鑑賞する者は一人でも良いのか、極端な話、読む側としての自分一人ではどうかという話にもなりかねない。結局不明である。
言葉というやっかいなものを扱う詩という文芸は、素材自体に意味があるため問題なのである。
素材自体意味を持たない たとえば 粘土、絵の具、音あるいは空気の振動に意味を持たせるのはなんであろうか。創作者の表現対象、モチーフなどとその構成であると考えられる...
[476]……とある蛙[2013 03/14 11:55]★1
>475 梅昆布茶 さん
デレクトラックスはオールマンブラザーズバンドでもやっていたようです。そこのドラムスがそもそもブッチトラックスですが(笑)、親父ではなくおじさんらしい。
ブルースにスライドギターはつきもののようになっています。BBキングはスライドギターができないのでチョーキングが上手になったなんぞという伝説があるくらいです。
サニーランドレスは圧巻です。ライクーダーはいろいろやっている名手ですが、余り聴いたことはありません。失礼。
Bob DylanのDesolation Rowはマイケルブルームフィールドがアコースティックギターを確か弾いていたはずです。
[471]……とある蛙[2013 03/12 10:42]★2
サニーランドレスのスライドギターについて
いわゆるボトルネック奏法でスライドギターを弾きます。
ブルースギターなのですがUberessoなど圧倒的な疾走感
CDではどのように弾いているか謎
歌声は男性的でホワイトブルースの典型ですが
なぜかビートが効いていてロック的です。
DVDを見ているとボトルの着いている指以外の指の使い方が物凄い。フィンガリング、スライドバー、ハーモニクスの組み合わせが物凄い。まさに名手の凄みといえます。
一度聴いて見るに値します。
大きなレコード店のブルースコーナーにおいてあるはずです。
サニーランドレス!!!!
デレク・トラックスというスラ...
[585]……とある蛙[2012 12/21 23:38]★1
最近なに書いてもなに読んでも面白くない。みんな幸せな奴らだ(^◇^)
[548]……とある蛙[09/11 08:43]★1
>>547
尊厳あれば糞でもいいや!!はい!σ( ̄▽ ̄;)はうんこです。
[431]……とある蛙[09/06 23:34]
>>430
昨晩、女房と娘が食べていた。σ( ̄▽ ̄;)は遠慮した。彼女ら激しく後悔していた!たまに正しい判断も出来る親父でした(笑)。
[527]……とある蛙[09/04 13:56]★4
何か書きゃ称賛も罵倒もツイて回るの当たり前。嫌なら他人様に見せなけりゃよい。
[504]……とある蛙[08/02 09:05]★1
恥は何年も前に忘れた。それが証拠にここに詩を投稿している(笑)σ( ̄▽ ̄;)。
[253]……とある蛙[07/19 08:29]
馬喰町バンドの「自由落下」が良い。ジャンル不明。acousticなトリオ。郷愁を感じる音色σ( ̄▽ ̄;)。
[137]……とある蛙[06/17 19:39]★2
読者について考えてみることの意味を理解されなくて残念です。まぁ私の書き方の問題もあるかな(笑)。
もちろん現代詩フォーラム内のみでの読者について考えることはまったく無意味です。その意味ではKETIPAさんの言っていることは間違ってはいないのですが、読者論ではないですね。ほとんど参考にならない散文です。
自分が書いているものが仮にも文芸という物だと意識している以上、その享受する側を無視することは傲慢過ぎると思います。
一般的に読者の意味を考える際、読者側(受け手)からの意味と、作品側からの意味の両面から考えるのは当然想定される前提です。これまであまり繋げて論じられていない受容理論と批評理...
[17]……とある蛙[06/17 12:38]
一仕事終えて梅雨空憂さ曇り
[136]……とある蛙[2012 06/11 11:40]
読者論は非常に難しいテーマなので余り深入りしなくとも良いとは思います。私自身が考えたのは、単純に詩を余り読まないというか授業以外で読まなかった人の視点が完全に欠落している。それが今の詩でそれを補っているのがはやり歌などの世界ではないかとふと思ったからです。
古本屋で入手した現代詩手帖の「松本隆の世界」という特集号を読んだとき北川透が馬鹿馬鹿しいくらいくだらない視点でしかも偏見だらけで書いていたので(彼の「私的レトリック入門」や評論集など読んでいたので)ちょっとがっかりしたからです。
つまるところ、面白い、つまらない、感動したしかいいようのない読者でも良いかという問題(物言わぬ読者ですね)そ...
[322]……とある蛙[06/07 18:17]
聞きたいことは聞けないのがここナンだな(笑)。自分が頭良いとか思いたい能無ししか集まってないのかなぁ。おれ頭悪いから教えてよ!詩の良い読者って(笑)。
[130]……とある蛙[2012 06/05 10:45]
ノースロップフライなど「文学作品は読者と作者の共同作業によって成立する」などと言っております。読者概念自体曖昧ですが(笑)。ところでこのサイトの訳の分からない他人非難の方法として、ろくに詩を読んでいないとか詩をきちんと読んでいないとか言う人たちもいます(もっともその人たちが何を読んでいるかは不明ですが)。作品を読むとはどのようなことか忌憚のない意見を述べてくれる人がいると良いのですが(まぁ結論が出るわけでもないのですが……)。読まれなくとも良いなどと豪語してわざわざ投稿してくる人もいますが、結局作品を読まれることとはどういうことなのか考えてみませんか??
[7]……とある蛙[2012 05/29 10:30]★3
ダッチコーヒーは香、色、苦味に深みがあり、とてもおいしいです。一度お試しあれ。特殊な器具を使った水出しコーヒーのようです(詳しくはありませんが)。
[316]……とある蛙[05/25 00:02]
>>315
mixiでは昨年のオランダリーグフェイエノールト以来もう大騒ぎで、サッカーマガジン、同ダイジェストほかナンバーでも大きく扱っています。でもどういうビースとして現在の彼を使うかが問題です。結構彼は器用で右左両方変わらず蹴れるようですが。
[129]……とある蛙[2012 05/22 16:36]
最近読んだ本で考えたこと。
最近俳句関連の本ばかり読んでいます。
それらに度々出てくる芭蕉の「軽み」について
俳句についての考え方は古くからいろいろ俳論という形で議論されているようですが、詩作にも参考になると思い(というか,最近自分自身が詩が書けない、読めないという状態が続き)ちょっと考えたことをざっくりまとめました。
まず芭蕉の考え方について
芭蕉の俳句あるいは芸術に対する基本的考え方は不易流行と呼ばれる。
不易とは句体の基本であり、芸術の根源である。
芭蕉は中国の詩人や茶道などの芸術感を基礎として室町以来のわびさびの境地を五七五に載せて著していた。しかし、そのま...
[128]……とある蛙[05/19 23:22]
神保町の古本屋街で読みきれないのにとりあえず本を買って読んでいます。八木書店は評論、詩集は安い長島書店一律500円。沢口書店は品揃えがよい。などなど穴場行っていませんが、ランダムに買うので、愉しいです。
[122]……とある蛙[2012 05/14 12:40]
現に書かれた詩を朗読する場合のテクニックの問題と肉声による感動を前提とした詩作の試作との関係とは別の問題をはらんでいる気がします。
さらに言えば読み方の分からない和歌だとか俳句について今風の解釈で音を付けても良いと思いますが、どのように考えますか??必ずしも昔を再現しなくとも良いのではと思いますが。
[119]……とある蛙[2012 05/13 20:56]
岡井隆さんは詩と韻律との関係を次のように考えているようです。
現代詩は文字言語として目の前に現れる。したがって一般的にはそれを目で追って読む。詩がその発生史的には肉声として提供されていたことがあり、文字言語として読むこと自体は詩の本性とは異なる。したっがって、詩を読むことでも肉声に近いものが聴きとれねば詩としてのある要素が欠落している。
現代詩を文字言語として読んで、意味を遂っても(慣用語法からの超越も含めて)知的悦びのみで感覚的な美は見いだせない。意味と言ったところで言葉である以上韻律と共に展開する。音韻に担われた感覚的な美も詩に求められるべきである。
※参考 岡井隆著「韻...
[118]……とある蛙[05/12 00:26]
たしか、岡井隆さんが歌人らしく音数律と言葉の意味を絡めて谷川雁と吉岡実の代表的な詩を分析した文章がありましたね。今日眠いので明日詳しく書きます。
[114]……とある蛙[05/10 23:59]
黙読だけの韻文ねぇ???散文じゃないの?という素朴な疑問。自白だな(笑)。散文も朗読するけど意味が違うよな。散文の朗読はまさにみんなに聞かせるためだよね。詩が韻文である以上基本朗読します。
[477]……とある蛙[05/09 19:10]
すまきで一晩おいても生き延びた奴がいる。
[468]……とある蛙[04/12 18:19]
虚栄心を満足させるための駄文を詩という奴もいる(笑)。
[255]……とある蛙[03/11 00:04]
ほんと笑えるくらいバカバカしい。みんな死ねば。
[250]……とある蛙[03/10 18:20]
あほくさ!!死ねば(笑)。。
[993]……とある蛙[03/08 09:51]★1
あかめがくしゃみする つぎつぎ
[235]……とある蛙[03/01 18:04]
切れ痔と行分けとの関係(笑)σ( ̄▽ ̄;)。分かるかなぁ、分かんねぇだろうなぁ(笑)。
[224]……とある蛙[2012 02/17 13:50]★1
笑っちまうぜ奴は。想い出とやらを持っているらしい。しかし、語らせるとほとんどのことを忘れているらしく、時間をかけて話し出すとほとんどが嘘になって行くようだ。
[192]……とある蛙[02/09 18:57]
さぁ歌いに行くぞい(笑)。歌っちゃうのだ「あお」谷川w俊太郎作詩(笑)。
[105]……とある蛙[2012 01/04 12:44]
明けましておめでとうございます。
ちょっと書きたくなったことを書いてみます。
梁塵秘抄にある有名な今様についてです。
梁塵秘抄 359番め
1 遊びをせんとや生まれけむ
2 戯れせんとや生まれけむ
3 遊ぶ子供の声聞けば
4 我身さへこそゆるがるれ
一番有名な歌です。
梁塵秘抄考 小西甚一
「平成罪深い生活を送っている遊女がみづからの沈倫に対して身をゆるがす悔恨をうたったものであらう」とする。仏教の邪淫戒→僧侶の遊女罪業視からくるもの。法然の遊女救済の道などの前提的な考え方。
素直に読むと罪悪感とは別物。つまり「我身… ゆるがるれ」はあそびに戻ろうと...
[223]……とある蛙[12/25 16:01]
鳥を見上げる猫の背中
[763]……とある蛙[2011 12/11 10:44]★1
ジミヘン、ザ•バンド、デレク•アンド•ドミノス ディラン はて
どうでもいいや!好きな音楽。
[112]……とある蛙[2011 12/09 12:31]
スナイダーは言う「詩はいうまでもなく文書でもなく書物でもない」
イマジネーションの解放と個人の自立性の回復こそ詩の目指す方向だ。
[975]……とある蛙[12/05 17:52]★1
市蔵の札のよたかの哀しさよ
[95]……とある蛙[2011 12/05 16:15]
隠喩に関して、読んだ本の一部のメモ書き
「言葉・狂気・エロス」丸山圭三郎著 講談社学術文庫
ー第四章 深層の言葉と言語芸術ー MEMO
? 言語芸術の目的→日常の表層世界
一義化され合理化された制度
画一化された価値観
等の否定及び再構築
※深層意識の言葉の流動性こそ言語芸術の源
? 言語における多義性の回復
目的 デノテーション(外示ー最大公約数的意味)
↓
コノテーション(含意ー一回的??アウラ)
方法 ?隠喩(メタファー)類似性→語の多義性
...
[91]……とある蛙[2011 12/02 14:43]
>>86
木下牧子さんが曲をつけた合唱曲ですが、私の入っている団は混声と男声なので、歌ったことはありません。ママさんコーラスで良くうたわれる曲なので先入観としては母親と子供というイーメージがあります。ちょっと男女間だと気持ちの持ち方が少し……字面は男女のすれ違いという感じはしますが、自分には不自然に感じてしまいます。私がおかしいのかも知れませんが。
[82]……とある蛙[2011 11/28 13:17]
隠喩の問題は重要な問題だと思います。かのっぴさんに議論の展開を期待します。
ところで、詩作品と視点という問題はどうでしょうか。この問題も面白いと思いますが。
詩について発話者という視点及び概念を導入して、その構造を説明することが多い(入沢康夫など)。実際には視点が変化する場合が多々あり、、その点散文とは基本的に異なる部分がある、散文は語の意味を限定して作者が意図する作品世界を構築する。もちろん視点があり、その変化することはあるが、明確に視点の変化が場面の変化のようになされていて混乱はしない。
詩に関しては次の通り多様な変化がある。
?微妙に視点をずらす。
?主観と客観を入れ替える。
?客観の裏側から眺める世界という視点を設定する。
?主観的な視点ではあるがいろいろな視点を設定する。
?記号あるいは単純化した世界の視点
?客観的視点の中の物体などに入れ子式に主観的視点をいれる。
ex宮沢賢治など青森挽歌はリンゴの内側からの視点?
ほか
まぁ余裕があったらということで。
[92]……とある蛙[2011 11/27 18:19]
#>>90
#面白がって書いただけで反論なんかしていないのに変な具合になっています。しかし、確かに「あきばはら」が読み易いとすれば、私の書いたことはまったく意味の無い考えだとは思います。しかし、それでは自然発生的あるいは慣行として「あきはばら」という地名が定着した理由が分からない。お上が決めたのかなぁ。言い出したやつがばかでも正しくて読み易いあきばはらが定着しないのは謎だ(笑)。
なんか面倒くさいと感じている自分。
[88]……とある蛙[2011 11/27 14:44]
目力が無いのに何故か上目線。
#>>87
#別に声を大にして否定するのは勝手ですが、他人にその言葉を使うなという権限はどこにあるのでしょうか。ちょっと変だと思います。誰かに迷惑をかけているわけでなし。そんなこと書かれると私みたいな気の小さい人間は脅迫を受けているように感じます。
[86]……とある蛙[2011 11/27 13:12]
#>>85
#はい、お疲れさま。そうくるかなと思っていました。>>84は、あくまで根拠なしの読みでないということを述べただけなのですが
#面白いので少し書かせて頂きます。「あきば」が連濁からいえば正しいのは分かります。多くは「あきばじんじゃ」です。しかし、いろいろな書籍やWikipediaで秋葉原は「あきばはら」が元の読みのように書かれているのですが、本当かなっといつも思っています。とても読みにくいからです。秋葉(あきば)を前提として秋葉原を読むのであれば「あきばのはら」「あきばがはら」「あきばっぱら」とした方がずっと読み易いと思います。結局、3つの言葉を繋げた、つまり、秋葉と原をつなげたとき読み易い「あきはばら」という通常の連濁の例外のような読みが定着したのでは無いでしょうか。決してばかな奴が言い出したとも思えないのですが。
#あくまでも私の知っている範囲ですが、「あきばはら」という呼び方をする老人は知りません。「あきばっぱら」や「あきば」という人はいますが。
さらに目くじらたてる上目線(笑)。
[84]……とある蛙[2011 11/27 10:36]
#>>83
#秋葉大権現は「あきはだいごんげん」とも呼ばれています。秋葉原を「あきはばら」と読む根拠が無いと言うのはちょっと不思議な議論です。
目くじらをたてる上目線
[78]……とある蛙[11/25 19:15]
根拠の無い上目線
[77]……とある蛙[2011 11/22 10:09]
>>75
「落ち込み」「持ち直し」「足踏み」の用例は比喩ではなく可能な意味の範囲であるような気がします。輸出→輸出量(額)とすべき記事ではありますが。
[971]……とある蛙[11/18 17:13]
ホームレスが 体操をする 秋の暮れ
[68]……とある蛙[11/17 19:17]
専門外でも面倒臭いじぶん。
[74]……とある蛙[2011 11/17 12:32]
少し読者サイドと創作者のサイドの問題について、書き方の混同があったかも知れません。読者がどう解釈するかは自由です。しかし創作者側が何の意図もなく文章を創作することはあり得ないし、当然それに対する配慮も必要だと思います。これは姿勢だけではなく技術的に当然必要なことだと思います。
語の多義性と隠喩とはほとんど別物であるにも拘らず混同して議論してしまった気もしますが(笑)。
[71]……とある蛙[2011 11/15 13:00]
語の多義性について
ビルエバンストリオのポートレイトオブジャズを聴きながら、電車の中で書き始めました。スコットラファロ良いなぁ。天才です。ビルエバンスとの掛け合いがすごい。完全にソロ楽器的なものとしてベースを扱っています。
それはそれとして、語の多義性について少し思うところを述べます。
参考文献がないので記憶に基づいて書きます。
詩が言葉というそれ自体意味を持つ素材を扱う創作物であることがいろいろことを難しくしているようです。
もともと言葉は多義性を有しています(文章語に限定して書きます)。しかし、社会あるいは国家(近代においては国家が人工的に統一言語を作っているようです...
[57]……とある蛙[2011 11/12 19:00]
基本的な考え方は去年考えていたことと変わらず、次のとおりです。
何となく最近書く気がしないので、改めてに最近詩について考えていることをアトランダムにかつ文体において統一性無く書いてみます。
飯島耕一の詩集「バルセロナ」を読んで
題材は身辺の見聞、私的個人的な記憶→語法も日常的
伝達性のみの日常的な散文に近い形で書かれています。
日常に対する感想を 詩を形成する素材としています。
詩的な素材 非詩的な素材という区別がそもそも無いと思います。
詩的な言語 詩的で無い言語という区別も無いと考えます。
そんな区別が存在する訳も無い。
日常的な出来事こそ、
たとえば夫...
[56]……とある蛙[2011 11/12 18:45]
現代詩フォーラムに投稿したての頃は他の人の詩が面白くなくてもすばらしい物と思っていました。しばらくして、なぜ現代詩は自称詩人も含めて、詩人と呼ばれる人たちにしか読まれないだろうかという疑問が生じました。今では詩人にしか読まれないのが当たり前と思えて来ました。読むことより書くことの楽しさで書いていてよいのだと思うようになりました。結局中身の無い人間が、中身のあることが書けないのは当たり前だというのが結論です。書くのを楽しんでしまえと思っています。ただ書くのではつまらないからネットで公開しているのです。
文字言語と口語言語との区別、特質の理解は文学創作者に必要な資質だと思います。
※メタフ...
[52]……とある蛙[11/11 23:53]
大学の先生も含めて仲間同士で受ける詩を一生懸命書いているからしょうがないのです。何たら賞の詩の詰まらんこと、(>?<)?*もない(笑)。書きたいように書くしかない。最低限のスキルを持って。ばかばかしいけど。そんなもんだと割り切っています。ただ、上目線で芸術などと言って欲しくないとは思っています。仲間ではない人から見ると意味不明。はっきり言えばゴミみたいな物で。まぁそんな物だとおもいながら、何とか良いものを書こうと努力するしかなでしょう。自分はそんな水準では無いこと勿論です。
[36]……とある蛙[2011 10/30 12:30]
>>35
正直なところ、情報が錯綜というより基準が不明なのでますます被害者意識だけが拡大して不安だと叫んでいるのでしょうね。
ただニュースってこの程度だと自分では考えています。
新聞記事を始めとする報道記事は単なる詳しめの目次だということです。
真実の報道なんて言葉を使いますが、報道記事は所詮一つの視点から見た粗雑なノンフィクション文章と考えるべきだということです。興味があることは多数の視点で書かれた何冊かの書籍あるいは記事を読まなければ理解できません。そもそも定義すらイイ加減な記事が多いのには閉口します。興味のないことは読み飛ばしますが、興味のある記事、あるいはある程度詳しく真相を知っている事件については憤りすら感じます。注意しましょう(笑)。
[29]……とある蛙[10/29 14:19]
>>22
井戸端会議大好きですよ。それを自覚していればね(笑)。
中川さん うざキャラでOKです。
>>27
放射線量の問題はなんか政府も含め胡散臭くて仕方がない。なんか意味が分からない。
広島や長崎はどんなデータ残しているのだろうか?農産品や水産物への影響のない原爆だったのだろうか?あっという間に半減してしまう放射能だったのだろうか?
またモンスターペアレンツのようにヒステリックに携帯線量測定器持って、うろうろしている人たちがなにか楽しげに見えるのはなぜだろうか?
[21]……とある蛙[10/29 11:15]
…っで、テーマはNewsそれ自体の扱い方について?、それとも最近話題となっているNewsについて?いずれにしても現フォの投稿された物はほとんどが会議室のレス程度が多いけど(笑)。井戸端会議というか(笑)。
[11]……とある蛙[10/28 08:23]
>>10
お帰りなさい。俺が言うことじゃない(笑)。
[9]……とある蛙[2011 10/26 11:19]
写生論に関するメモ
※しゃ‐せい【写生】 [名](スル)景色や事物のありさまを見たままに写し取ること。絵のほかに、短歌・俳句・文章についてもいう。スケッチ。「梅の花を―する」「―旅行」
しゃせいせつ【写生説】
正岡子規の唱えた俳句・短歌の方法論。絵画の理論を移入し、実物・実景をありのままに具象的に写し取ること。子規以後、俳句では河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)・高浜虚子ら、短歌では伊藤左千夫・長塚節(ながつかたかし)・斎藤茂吉らによって理論的追求が行われ、散文では写生文として適応された。
客覿の景色でも主観の感情でも、単純なる叙写の内部に広ごつてゐるものでなければならぬと...
[78]……とある蛙[10/25 18:32]
今八方塞がり。でも絶望ではないような気がする。なぜだ(笑)。
[967]……とある蛙[10/23 13:28]
ここかしこ 草葉の陰にも セシウムが
[966]……とある蛙[10/21 08:25]
ふりかえり またトコトコと 秋の猫
[18]……とある蛙[10/13 18:17]
JRの振替輸送なんぞ誰がやるもんか!混んでいるだけで結局遅かったじゃないか。
[961]……とある蛙[10/09 14:38]★1
秋風や 蚊と同居する 簾越し
[8]……とある蛙[2011 10/08 17:49]
[4]の文章は岩成さんの著作のレジュメ乃至はメモなのでその点私の考えと一致するものではありません。
中川さんがお読みになった詩集は花椿賞を取ったものだと思いますが、私は読んでいません。彼自身受賞について、普段の自分の詩とあまりに違う詩集なのですこし戸惑ったというような談話がどこかに載っていました。
それはそれとして言葉の解体に関して無意味な記号の羅列とするようなことを書いたのは行き過ぎないしは不正確なぼやきだと自分も思っています。
ところで、言葉の解体に関して岩成さんの本で引用されていた詩を一部再引用しておきます。
++++++++++++++++++++++++++
...
[5]……とある蛙[2011 10/06 14:59]
文芸という芸術についてのぼやき
最近詩って奴が分からない。ギンズバーグは「主観的真実が読者あるいは鑑賞する者を得て客観化して初めて詩という名に値する芸術が成立する」としている。そうであれば鑑賞する者は一人でも良いのか、極端な話自分一人とどう違うのかという話にもなりかねない。言葉というやっかいなものを扱う詩という文芸は、素材自体に意味があるため問題なので、素材自体意味を持たないたとえば粘土、絵の具、音いや空気の振動に 意味を持たせるのは人間のリフレインを中心とした規則性の性癖ではないか。ならば、究極の芸術とは規則性を自覚した無規則なリフレインであってフリージャズ辺りだったのだろうか。
言葉...
[959]……とある蛙[10/06 08:53]
天高く 蛙はそろそろ 冬支度
[4]……とある蛙[10/04 23:04]
詩(論)を求めてMEMO
「詩の方へ」から
岩成達也著 2009思潮社刊
詩の仕組み
基本ー抒情性と行分け
言葉が素材である以上、散文になりがち
※散文→言葉の組み合わせ→意味の組み合わせ→概念の束
抒情性とは概念の表出ではないこと→感受(感情)の総体のさしだし
行分けの仕組み→行間での概念の非連続・意味の跳躍など→「内容」・「第2の意味」読み取れ
詩の成立→言葉から意味(概念)を奪う→意味を奪われた言葉の組み合わせ→第2の意味の発生
?調べによってイメージを作る
?異質の言葉の並地による第2の意味の発生
?語句や文意の脱臼によって言葉の意味を変えて行く
?言葉の意味と構文の解体、言葉の韻流化(山本陽子)
[2]……とある蛙[10/04 21:35]
復活ですか。おめでとうさん。ひとつ読んだ本のメモでも書込しようかな。
[4]……とある蛙[2011 10/02 22:27]
笑えるくらい格好の悪い親父
ふと立ち止まり
言葉をモゴモゴ
唄うでもなく、囁くでもなく
人に聞かせるためではなく
自分の内側に向かって何やら叫ぶ
[958]……とある蛙[10/01 12:04]
舞い降りる 田に水なきや 鷺の秋
[957]……とある蛙[09/30 14:21]
国芳のスカイツリー 反権力の 上目線
[983]……とある蛙[09/21 21:03]★1
余りよく分からないけど、聴衆が悪いなどという音楽の演奏家は知らない(笑)。
[938]……とある蛙[08/27 12:47]
ライオンのshampooか麦藁帽子の詩(うた)が欲しいwww。
[946]……とある蛙[08/01 13:54]
風も無し 破れ網戸に 猫潜る
[836]……とある蛙[2011 07/14 12:24]
詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2のスレ どうしちゃったんだろ??中川君何やっているのかな。変にストレスが溜まっている。
[284]……とある蛙[07/05 14:37]
嫌でも生まれちまったんだ
生きていくしかあんめぇや!!
[938]……とある蛙[2011 07/02 23:11]
葉に滴
濡れる合間の
額紫陽花
[795]……とある蛙[2011 06/17 01:01]
なんか、どこ覗いても、なに読んでもツマラナいのね。歌っている時が幸せなのね。
[59]……とある蛙[2011 05/26 15:18]
はっぴえんど好きです。風街ろまん Ipodで未だによく聞いています。松本 隆の詩で松田聖子の「瑠璃色の地球」も好きだなぁ。もちろん、高田三郎の組曲や木下牧子の無伴奏曲も好きです。音楽 基本的には何でもよく聞きます。もちろん演歌も好きです。クラッシックは東欧系の作曲家の曲が好きです。ドボルザークの弦楽4重奏曲はよく聴きます。スメタナもバルトークも好きですし、まぁ何でもよいやの世界かも知れませんが(笑)。
[56]……とある蛙[05/26 08:43]
小説は司馬遼太郎、池波正太郎くらい。詩人は石垣りん、谷川俊太郎、山之口貘。山本太郎、飯島耕一、ロバート・ブライ、宮沢賢治。ジャズはエリックドルフィー、上原ひろみ、キース・ジャレット、ジョン・コルトレーン、ジャコ・パストリアスなど。フォークは高田渡、そのほかいろいろ好きなものあるけど、列挙しても疲れる。小説はとにかくあまり読まないようです。
[43]……とある蛙[2011 05/25 12:39]
どうも何が論点なのか 皆目、分からなくなってしまいました(笑) 。
ところで、村上春樹も太宰治もほとんど読んでいません。前者はアンダーグランドという地下鉄サリン事件に関するものとジャズに関するエッセイぐらい、後者は走れメロスを教科書で読んだくらいです。学生時代は小説や文学で何か人生だの社会的事象など考える素養が無かったもので、あまり読んでいません。
特に読まなかったということで恥だとも思いませんし、見栄で何かを読むとかいうこともある時期はあったかと思いますが、おそらく知ったかぶりみたいなものでほとんど忘却しています。
[35]……とある蛙[2011 05/24 10:14]
>>27
>技巧と関係なく切り口ということであれば、多少順番を変えたり言葉をぬかしたとしても、もとの切り口が残っていれば、作品としての評価はあんまり変わんないってことでしょうかね?
ある程度の評価はされると思いますが、技巧の問題は切り口の削りだしを効果的に行うことは不可欠だと思いますし、試行錯誤すべきことかも知れません。
※合唱の話で申し訳ないのですが、「鴎」(作詩三好達治、作曲木下牧子)という合唱曲の主題とも呼ぶべき部分{ついに自由はかれらのものだ」という部分の「ついに」はどのように歌うべきかを指揮者から何回も指摘されたことがあります。この「ついに」は「自由」につな...
[30]……とある蛙[05/23 23:16]
>>27
呑んでますのでまた明日書かせてもらいまする。
ブライに関しては詩を書きはじめた当初から自分の足元の一つだったので。ある程度書きます。
[26]……とある蛙[2011 05/23 10:01]
>>24
まず、ブライ自体の詩が持っている切り口というのが、おそらくトウモロコシ畑の中の柳の木に惹かれて同化され落ち着きつつある「僕」の感覚、キジを撃つという目的を忘れて無防備になって行く「僕」という存在を掘り出してゆくというところにあると思います。この切り口がないと奇妙な行動に関する技法的な効果は感じられなくなるのではないでしょうか。
>草むらで、すわりこんで
>うんうんうなっている
何かに苦しみ呻吟している感じがして
>かかとをあげちからをこめて
>わきばらをかかえあげて
>やなぎの木の下で
>こおどりするすがた
この辺りも身体全体に力の入ったイメージがあり、...
[25]……とある蛙[05/23 08:17]
>>24
あとでまた考えます。
まだ確定的な考えになっていないのでとりあえずアップしときます。
ロバートブライは、詩に実証的な文章に使用される文章語※による表現はなじまないとし、より無意識を言葉にする際には口語の使用が不可欠だとしています。
この場合の口語を日本語における口語と考えると理解でき無くなります。
※0次のように考えると分かり易いと思います。
つまり、日本において 口語(現代語)は実証的実務的な文章に利用される文章語(文語とは違います)と心証あるいは内的状態の主観的かつ直観的に説明する言葉としての口語とに区別できます。
※1文章語は出来る限...
[20]……とある蛙[2011 05/22 14:18]
>>19
※そんなに長くないので全文引用しときます。参考になれば。人によっては詰まらんと思いますが(笑)。ブライという人韻律という言葉が大嫌いだそうです。その割には朗読とかある種のリズムを大事にしている人のようです(笑)。
トウモロコシ畑にキジを撃ちにきて
?
広い原っぱに一本だけ木が立っている。この木の何がそんなに変なのだろ?
柳の木だ。僕は周りをぐるぐる回る。
身体が妙に引き裂かれ 木から離れられない。
とうとうその下に座ってしまう。
?
どこまでも続く乾いたトウモロコシ畑に一本の柳。
葉っぱは幹のまわり、僕のまわりに散らばり
もう茶色で ...