詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換 part2+α[129]
2012 05/22 16:36
……とある蛙

最近読んだ本で考えたこと。
最近俳句関連の本ばかり読んでいます。

それらに度々出てくる芭蕉の「軽み」について

俳句についての考え方は古くからいろいろ俳論という形で議論されているようですが、詩作にも参考になると思い(というか,最近自分自身が詩が書けない、読めないという状態が続き)ちょっと考えたことをざっくりまとめました。

まず芭蕉の考え方について

芭蕉の俳句あるいは芸術に対する基本的考え方は不易流行と呼ばれる。
不易とは句体の基本であり、芸術の根源である。
芭蕉は中国の詩人や茶道などの芸術感を基礎として室町以来のわびさびの境地を五七五に載せて著していた。しかし、そのままではマンネリが免れずそこには自ずから工夫による新風が必要である。これが流行と言うことができる。
奥の細道から帰った元禄3年頃から離俳志向の発句から向俳志向の発句への変化(ひさごあたりから)が見られ軽妙洒脱な俳諧性を再び連歌発句などに取り入れるようになった。

たとえば
ひさご花見の巻歌仙の発句

木のもとに汁も膾も桜かな

和歌的叙情的尚古趣味かつ現像的観念的性格の発句(っわ分けわかんない)から日常卑近的な情景から生み出される新鮮な感興を平俗な言葉で書く発句へと変化している。
この考え方の発展したさきにあるものが、晩年芭蕉の唱えた「軽み」である。日常とは生の営みの連続であるが、決して卑下するような低俗な物でなく、これを昇華して新たな観光視点で表現する境地こそ俳諧の目指すところである。
 つまり、芭蕉の余り良くない弟子の子考の著した東西夜話などに書かれた「言語は仮のものなれば……」つまり、言語の表現自体を目指すのではなく、言語の表現しようとした先(新たな視点による外界の捉え直し)を目指して平俗的な言葉で表現することこそ俳諧の目指すところだとしている。定石の域を出ない高踏な言葉は並べたところでマンネリにならざるを得ない。

猿蓑の有名な発句にもその萌芽が見られる。

初しぐれ猿も小蓑をほしげ也

晩年の五年間に芭蕉は「軽み」を深化させようとした。
つまり「軽み」とは「高く心を悟りて俗に帰」(三冊子)高い境地にありながら重々しくならないことこれを句の極意とした。
しかし、古くからの弟子其角やかけいはそっぽを向いてしまった。
結局、軽みは軽薄につながり易く扱い憎かったのではないかと考えられる???いや其角などは元より軽々と軽みを体得していたのではないか。などと思ってしまう。どこか芭蕉は教養主義的なところが鼻につく。漢詩和歌の膨大な遺産を引き継いでいるところが見え隠れてしまって鼻につく。其角は漢詩や和歌の教養が半端なくあった人ですが、洒落ていて適度の軽さがあって、嫌みでない。その分難解な発句も多いが……。其角の方が俳諧性という観点からは芭蕉より才能があったようです。

「笈日記」の中の「軽み」の深化したといわれる句をいくつか

秋の夜を打ち崩したる咄かな
秋深し隣は何をする人ぞ
秋近き心の寄るや四畳半
この秋は何で年寄る雲に鳥

軽みの深化は生の重みを軽く表現するが、生の重みを実感させるものになってゆく。このあたりは詩作の目指す高みのひとつではないかと考えられる。


参考 尾形仂著「芭蕉・蕪村」岩波現代文庫学術16
   嵐山光三郎著「芭蕉紀行」新潮文庫7399
   同 上   「悪党芭蕉」新潮社
   成川武夫著「芭蕉とユーモア」玉川大学出版部

※不易流行 軽み 作為無き句を詠むことが軽みにつながる。また、流行は作為無き新展開が必要。不易は底流としての基本であり、あえて述べる必要があったのか?誤解を避けるためにあえて述べたものかなぁ。結局四文字熟語になってしまった(笑)。
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