2011 10/08 17:49
……とある蛙
[4]の文章は岩成さんの著作のレジュメ乃至はメモなのでその点私の考えと一致するものではありません。
中川さんがお読みになった詩集は花椿賞を取ったものだと思いますが、私は読んでいません。彼自身受賞について、普段の自分の詩とあまりに違う詩集なのですこし戸惑ったというような談話がどこかに載っていました。
それはそれとして言葉の解体に関して無意味な記号の羅列とするようなことを書いたのは行き過ぎないしは不正確なぼやきだと自分も思っています。
ところで、言葉の解体に関して岩成さんの本で引用されていた詩を一部再引用しておきます。
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とらじいえあつく竈めいであつく於ろうつく
?
と奥くり 蜚かりするながら
ひとたび<最い始>、想いへ佇りいて、超えりゆく
聴し、ことり、みはく博ち、聴する億
怪かしり、かすくか檄よする破か 撼しながら
裂する訝か著し鵠しながら
悉り、識り、閃らり内らり越え、方すくかり 時創りなし、
透おり 流り 流り 握くり 思すくわ悛り
翔すかりー想すかり充り 放り、
見すわ充(み)り
慄るり 慄るり 慄るり 黙はく黙はく拍ち
搏すらり、搏すらり、み、はく黙搏ち
翔くり、みいり 翔すかすくり霜すかみりするながら
怡らり みいり震るわみりするながら
哭し、堪し、悲切し、創りする想い 交り越え 覚り 自らするな
がら/ 交くり超えり把くり 翔すかり 自ら 覚くりするながら
?
溢ふり、こぼり、……(以下省略)
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言葉の意味と構文の全壊=言葉の未聞の韻流
ということなのですが、どのように感じますか。
ある種の規則性があり、山本陽子語のような物が発生しているようです。
音韻と視覚で詩を成立させることが出来るでしょうか??
少なくとも 実験としての評価はともかく、何の感動もなく成功とはいえないと思いますが。
無意味な記号と言うのはそれ自体記号論では自己矛盾ですので、私の論述は間違いです。
記号ではなく、線描の図形と言うべきでした。言葉も厳密な意味では口頭で発語される言葉なのか、文章化された中での言葉なのかという問題があり、厳密に言えばかなり不正確なのでその点もご容赦ください。