詩ヌマデアイ詩テ[467]
2016 04/25 11:37
るるりら

蛾兆ボルカさん 真摯に作品を読んでいただいて感謝しています。
私の「喰う寝るトコロに住むトコロ」は、三篇からなるオムニバス作品なのですが、読解を拝見して別の私の作品を 思い出しました。少年よ 【三篇からなる オムニバス】という作品です。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=278470&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25E5%25B0%2591%25E5%25B9%25B4%25E3%2582%2588

同じ少年をあつかった三篇のオムニバスなのですが、二つの作品を比べると
話者に血が通って感じられるのは、「少年よ」の方です。今回の作品は、話者は 誰なのかよく解らない感じに書きました。だから、
[466]で蛾兆ボルカさんが書いてくださっている設定の混乱が読者のおひとりに沸き起こったことは、私としては 書き手冥利に尽きます。(読者には、申し訳なかったのかも)

『僕は天空だよ 』というフレーズについても、私としては「僕は天空にいるよ」であり そして「僕イコール天空」なのです。北風と太陽という童話では、北風さんと 太陽さんが登場しますが、わたしの場合は天空を擬人化する発想をしてみようとしています。北風さんであり太陽さんである存在です。死者と感じる読者もいらっしゃると 良いなあと、おもいながら書きました。 
 つまり、すべての「喰う寝るトコロに住むトコロ」という場所に対峙できる大きさのモノを、擬人化したいと私としては、考えたのでした。

さの結果、少年よ 【三篇からなる オムニバス】の話者と比べると、今回の、私の「喰う寝るトコロに住むトコロ」の話者は いろんな意味で判然していません。前者は人であり、後者は擬人でしかも地に足がついてないです。

なんでこんなトライがしたくなったかと云うと、
>>391の投稿で「星とたんぽぽ」というのがあります。>>391は、「喰う寝るトコロに住むトコロ」の前に書いた詩です。 たんぽぽを実際に観察して【中空】を書きたいと思ったのがきっかけで
空の擬人化を思いつきました。
 全体的には、中空を書くぞの意気込みで私は書いてますので、マトリューシカだとおっしゃっていただいて嬉しかったです。

女イコール穴で怒らないです。だって、その通りです。「喰う寝るトコロに住むトコロ」の前作の>>391の中芯って、女(母)イコール穴の意味で書きました。男の子が穴を発見する、というのは、特にそこに通じやすいですよね。女の子には しなかったのは、そういうことです。
 
ふと、河合隼雄という人が「古事記神話における中空性」とかいって 
日本の神話の神々はいつも三人で構成されていて、二人はキャラクターが濃いのだけど、かならず 存在意味の解らない【無】を示すような神が居ることに 着目していたなあと。おもったのです。

イザナギから 生まれた天照(アマテラス)、月読(ツクヨミ)、須佐之男(スサノオ)。
アマテラスと スサノオにはたくさんあるけれど、月読(ツクヨミ)には 言い伝えもないのに、なぜかそんな神が居る。そんなかんだの理由で『僕は天空だよ 』という、お話を書いてみました。


「仮説1 子どもの認識した世界は単純、大人のは複雑」だと思います。そして
「仮説2 その逆」も正しい

「 仮説1 子どもの世界把握は大人より本質的、または深い」だから、神の話なんかなくても子供には解っていることがあるような気がします。
でも
「仮説2 その逆」も正しい。 でないと人間は学習する生き物であるのに、子どもが大人より優れているなんて絶望です。昔の人(つまり私たちにとっても大人に該当する人たち) が、ずっと
『僕は天空だよ 』と 語りかけてくれている気がして、それで 書いてみました。
書いてはみましたが、詩文としては、表現が閉じた。内容を殺し合っている仕上がりに なりました。

精進しようと 思えました。ほんとうに、ありがとうございます。
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