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批評しましょ (創作系)スレッドオペレーター:管理人預かり
 えっと、ひとの批評に対して、別の読みを書きたくても、スレッドタイプで書きこめる場所、あまりねーなー、感想スレで議論しづらいなー、と思ったのでスレッド立てました。議論OK。よっぽどの誹謗中傷でない限り、削除はしません。晒しもんにしますので注意してください。「未詩・独白」および他のスレッド会議室の発言で、作者が批評を期待していない発言への批評はなるべくご遠慮ください。
 一つの読みに対して、他の多くの異論が交わされることを願って。。。。。。
 評を書く際は、該当発言(または作品)のURLを明記してください。

[381]佐々宝砂[2005 04/11 21:11]朝倉キンジ虹村 凌
>>380
うーん、「批評しましょ」ではスレちがいではないかしら。

内容にはいくらか反論がありますが複雑な話になるのでさておき、
表面的なことだけ言います。
(ただし、基本的に私はレイプを許しません、念のため)

まず、カラ改行が多すぎると読みにくいです。

> (その手の雑誌に読み老け出す彼女
この部分、字がまちがってます。「読みふける」という字が正しいです。
ま、ひらがなを使って「読みふけ出す」と書くのがいいのでは。
「読み老け出す」という言葉自体はおもしろですが、
そのたぐいの面白さを追求する詩ではない、と思います。

>開いた時間はパチンコばかり
時間は「開く」のではなく「空く」のでは?

>まだかなり傷口痛いしと 話てるうち
間違いというほどでもないけど、「話してる」が正しいかと。
 

[379]クリ[2005 04/11 18:52]
>377
そこまでばっさりと…。僕にはそんな勇気はないです…(笑
ええと、僕が管理している板だと、広告まがいの書き込みは問答無用で削除します。
機種依存文字や半角ひらがな、半角カタカナで書き込まれたら、「使わないで下さい」と注意します。
そしてもしブラウザが表示できない文字で書き込まれても「使わないでくれ」と言います。
不愉快だからではなく、マナーの問題です。…と僕は思っている訳で。
確かにマナー違反していなくても消したくなる書き込みはありますけどね(笑
ま、僕が管理人ではないんで、やっぱりどっちでもいいです。佐々さんにならえっと。
 

[378]佐々宝砂[2005 04/11 17:31]
本文も名前を使われたことも不愉快だとおもわんのですが、
「女史」ってのだけちょっとイヤです(w
できうれば「佐々宝砂氏の顔」にしてほしい。という権利はあるかなあ。
まあどっちでもいいです。
 

[377]片野晃司[2005 04/11 12:03]piyococco浅見 豊ピッピ
中身はぜんぶ一緒(読者が受ける印象は一緒)なので、題名しか意味はないんですが。
題名に名前を使われた方は、不愉快なら不愉快だと、取り下げてほしければ取り下げろと言う権利はあると思います。まあ、そういう取り上げられ方しかされない程度のものだと思いますね。
 

[375]佐々宝砂[2005 04/11 03:55]虹村 凌
URL忘れてた。
佐々宝砂女史の顔
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=35523

私もex.人間氏を非難するつもりはないです。

私の猫のは、横着してhtmlを作ったので改行がちょっと違います。
どうやっても見られないと思います。
(いやソースからなら写真に戻るかも、よくわかんないけど)
どうやって作ったかというと、jpgのファイルをテキストエディタで開き、
コピペしただけです。
そうやって変換した自分の写真と、ex.人間氏の本文とを見比べて、
ほとんどかわらんので、ああこうして作ったのねと思いました。

エディタに本文をコピペして拡張子をjpgにしても、うまく開きませんでした。
 

[374]クリ[2005 04/11 03:29]
>373
エディタに本文のみコピペして、拡張子をjpgかtiffにするんやないかと…。

ex.人間氏を叩く気持ちはありません。単なる警告です。悪しからず。
 

[373]虹村 凌[2005 04/11 03:24]
>>732
Winやけど見られんよ(笑
俺もようわからんけど。見られる人いるのん?
 

[372]クリ[2005 04/11 03:14]佐々宝砂
>371
うん。さらに、多分WIN以外の人は(僕もそう)、内部文字コードが共通でないので、どうやっても見られません。
こういうことはやってはいけないと思う。
機種依存文字使うのと同じようにタブーです。
特に目の不自由な方にはとても失礼です!
手法そのものを非難はしませんが、誰にでも感知できるように努力するべきです。
 

[371]佐々宝砂[2005 04/11 02:57]クリ
どこに書こうか悩んだけど、ここにしときます。ex.人間氏の、
誰それの顔シリーズ(しりーずかな?だよな)。
一度なら面白いかもしんないけど、二度三度やると退屈であります。

ちなみに下のリンク、うちの猫ね。
ここのサーバスペースを使うのはやめて自分とこに置きました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~sasah/nangi.html
 

[370]山内緋呂子[03/21 23:04]六崎杏介佐々宝砂半知半能白糸雅樹piyococco石川和広ふく
兎の毒さんが帰って来た!いやーよかったよかった。
 

[367]れつら[2004 12/28 00:13]ピッピベンジャミン
>364
>365
スレ違いとは知りつつも、期待age
批評がここにあるとするなら、それはわずかな期待とそれよりもっとわずかな絶望によって、残りの創作への熱狂を満たすことである、という仮定。
 

[366]佐々宝砂[2004 12/27 23:56]山内緋呂子
首洗っとけ。sage
 

[365]山田せばすちゃん[2004 12/27 23:40]れつら山内緋呂子
再登場した挙句に俺の首を取ってくれ(w
 

[364]片野晃司[2004 12/27 17:43]ベンジャミンたいにぃぼいすれつら瓜田タカヤ山内緋呂子ふく半知半能
来年、兎の毒さんがものすごい秀歌をひっさげて炎のように再登場する、に千点。
 

[363]佐々宝砂[2004 12/27 16:29]ベンジャミンピッピ佐伯たかぼれつら北野つづみ山内緋呂子半知半能
兎の毒さん退会で、半ばがっくり、半ばあきらめ。こういう事態になるかもなあと予測していたので、なんだか鬱になってしまった。私は、兎の毒さんの詩を悪いものじゃなかったと思う。短歌を知らずに短歌カテゴリに投稿したのも、決して悪気があってやったんじゃないと思う。そして、私は不運なことに、やませばが悪役であるとしても悪人ではないこと、実際には無神経な人間では全然ないことを知っている。はっきり言や、私の方がずっと無神経ですな。と考えると余計に鬱になるのでやめて、

ええと。

最近私は黙ってるほうがいいのかもなあと思い始めている。今年の秋くらいまでならともかく、いま、2004年12月27日現在の現代詩フォーラムにおいては、批評はもう必要なものではない、むしろ余分なものかもしれないとすら、考え始めている。私は詩人を育てるために批評をしようと思っているのではない。批評の書き手である私の欲望を満たすために批評をしようとしているのであって、作者側の感情など本当ならば考えたくもない。私の批評対象は作品であって、作者ではない。あるいは、作者であるとしても、それは作品と作者名をもとに私の頭の中で再構築された「幻の作者」であって、現実の生身の作者そのものではない。私にとって、作品と作者は不可分な存在ではない。

しかし、現代詩フォーラムは会員制をとっているから、誰かが退会するとごっそり作品が消える、発言も消える。それはシステム上いたしかたないことだと思っているし、自分の発言・作品を管理しておきたいと思う作者もいるだろうから、退会と同時にすべての発言や作品が消えるこのシステムは別に悪いものではない、作者に親切なシステムだと思っている。しかし誰かが退会するたびに、私は、否応なしに、「作品と作者は不可分ではない、かしれない」という疑いを抱いてしまう。そのたびに揺らぐのは、現代詩フォーラムのシステムではなくて、私の信念の方だ。

ま、どんなに信念が揺らいでも、ネットでものを書く「佐々宝砂」としての私の息の根を止めるのは、きっと、とてもむずかしい。私の作品がタフでないとしても、私はわりとタフだ。批評屋としての私は、幸か不幸かさらにタフだ。ふと気付くと、誰かの首を絞めかけていることがある、ただじゃれているつもりで、そんな程度のことで、誰かが死ぬとは思わなくて。作品が、きつい批評に耐えうる強度を持っていたとしても、作者がそれだけの強度を持っているとは限らない。そして、その逆もまた、真。

昔自分で書いた、有名な箴言のパロディを思い出す。

>タフでなければ批評できない。優しくなければ批評する資格がない。

私は上のを冗談で書いたし、今も冗談だと思っている。でも下のは冗談でない気分だ。

>批評を書きながら、かう考へた。知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに詩サイトは住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 

[362]山田せばすちゃん[2004 12/26 13:31]
佐々よ。
そういうあんたのほうが無神経です、という返しはやめようよ、足元すくうようなこといいあってたってなんの解決にもならないもの。

兎の毒氏についていえばさ、「音数律に従う/外すという行為の緊張感」についてぬ様が言及してるのに「大体あってればいいんだろ?」はないだろうよ(苦笑)まあそれを無神経というのか無邪気というのかは人それぞれの価値観というか、人間観ってもんだろうけどさ。つーか俺は彼のその前の発言>>353の「今後、自由や未詩独白以外の場所で投稿はしません。」とかいう発言がすげえ印象悪いんだよね。なんか悪びれているというか、開き直ってるというか、すねてるというか、さ。だって誰もそんなこと言ってないわけじゃん、お前は短歌に投稿すんな、なんてさ。
個人攻撃はいくらやってても何の解決にもならないのでこの発言を最後ににやめておくけれども。
 

[361]佐々宝砂[2004 12/26 03:28]クリピッピ
禁句が多いと俳句書けなくて困るよなあと思うワタクシであります。

>>359
せばさんよ、「無神経な輩」と人を呼ぶアナタもけっこう無神経だと思われまっせ。
定型短詩人口増やすためにも、丁寧に解説しましょうよ。
どこが無神経なのかも、きちんと言いましょうよ。
辞書で「短歌」を調べたのは、それなりにやる気があるからと思われます(たぶん)。

短歌や俳句のような定型短詩の面白さは、ぬさまが言うように、
>音数律に合った歌は合う快感を味方につけて歌の力をアップさせ、音数律を外れる時にはそこに生じる軋轢を詩の力とする、
ところにあるのだと私も思っています。短歌よりさらにルールが面倒臭い俳句は、
季語というものが持つ力との闘いが快感を呼びます。季語を使うならば、
季語に負けないような言葉を使わなくてはならないし、季語を使わないとしても、
やっぱり季語に負けない力のある言葉を使わなくてはならない。

でも、最初のうちは「なんとなくこういうルール」という認識で作ってもいいと思いますよん。
 

[359]山田せばすちゃん[2004 12/25 00:04]
佐々よ。
ぬ様の
>>音数律を逸脱する場合にも、5句および/または31音はきびしく意識されていて、音数律に合った歌は合う快感を味方につけて歌の力をアップさせ、音数律を外れる時にはそこに生じる軋轢を詩の力とする、ものだと常日頃私は思っていて、わたしゃまあへたくそなヒデェ歌書いてますけどいちおうその軋轢を自分なりに楽しみながら苦しみながら書いていて、人のを読む時にも、その律に沿った快感、沿わない快感、両方味わいながら鑑賞してるんですけど。
という書き込みにたいして
>>音数律5句31音というのはなんぞやということで見てきました。とりあえず読んでみると音数律多少オーバーしても(多少足りなくても?)57577にほぼ沿ってればいいのですかね?でもお陰さまで何となくこういうルールなのか、ということがわかりました。どうもでした。
と返してくる無神経な輩には、「俺は短歌を書いてみたらいかがでしょうか。」なんてことは勧めないほうがいいと思うぞ。
 

[358]佐々宝砂[2004 12/24 14:23]本木はじめ
>357
私は短歌でなくて俳句の方のヒトなので、短歌の説明にはなっていませんが、一応、参考までに。5と7でできている日本の定型詩の説明にはなっていると思います。

俳句の非ジョーシキ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=8594(2004.12.24追記)
 

[356]佐々宝砂[2004 12/24 11:00]山内緋呂子本木はじめ
>>355
じゃあ、これを奇怪に、じゃなかった機会に、短歌を書いてみたらいかがでしょうか。妙な入り口から入っても入ってみたら中が面白かった、なんてこともあるわけなので。
 

[354]山田せばすちゃん[2004 12/24 09:44]佐々宝砂山内緋呂子佐伯
>>353
いやむしろ、なぜ俺はこれら一連の作品を兎の毒さんが、「短歌だと思って投稿したのか」のほうに興味があるなぁ。
ぬ様の書き込みは決して「何も知りませんのに、足を踏み入れてすみません」とかいう謝罪を求めているわけでも、「カテゴリ変え」ろと要求しているわけでもないんだと俺は読んだね。
 

[351]たかぼ[2004 11/30 22:54]ピッピ佐々宝砂半知半能ふくたりぽん(大理 奔)
>345

一番絞り様、たかぼと申します。
このたびのご意見に一部問題があると思いましたので
一言申し上げます。

>ぱんぱらぱんに分裂してるじゃないの。
>これを精神病理学では「統合失調症」という。

言いません。
これだけのことで統合失調症の診断は下せません。
統合失調症の診断基準というものがあります。
しかも医師免許証を持っている医師だけが診断を下せます。
「分裂」という言葉だけで連想されたのでしょうか?
もしそうだとしたらそれは間違っています。

>それはきみと同じく「統合失調」にかかっていると思わざるをえないね。

これも人によっては差別的な意見として強い不快感を抱く場合もあり
誤解を招く発言だと思います。
 

[345]一番絞り[2004 11/22 22:25]
ここは「批評しましょ」だ。
具体的な文章を、具体的に取り上げて、実際に批評するところだ。
で、だ。
早速だが、下の>>342 を俎上にのせてちょっとやってみよう。
まともな人なら、あほらしくて相手にしない文章だけど、星もついていることだし
ちょっとやってみましょう。

まず、いくら比ゆとはいえ、車の評価と詩の評価を同列に扱っているが
いくらなんでもこれは無茶苦茶な話だろう。
車の価値は機能性・機動性・価格・デザイン・安全性・居住性などに重点が置かれている。
すべて物理的・経済的・エロス(欲望)的な要因が購買者の価値観を決定する。
しかしだな、
なんで詩に車のような、なんらかの有用性─効果を求めなきゃならんのだ?
詩はどうして「有用」「実用」じゃなきゃならんのだ?! うん?
詩にどうして車のような「効果」を期待するのだ? 
まず詩は、もともと売買が目的でかかれるものではない。
また、詩は、必ずしも公開を前提に書かれるものでもない。
詩の批評にも同じことがいえる。
詩と批評は不可分のものだ。というより、書くという行為がその両者のせめぎあいだ。
いったいだれのために、なんのために「効果」を前提にしなきゃならんのだ。
だれかの詩や批評に感動するのは、結果であって、前提ではない。
んなことはあたりまえのことだ。アホでない限り、わきまえている。

というより、おたく分裂してんですよ、意識が。あるいは精神が。

自分の文章の支離滅裂さをその目でちゃんとみつめてみなさい。
みつめられないのなら、指摘してあげましょう。全文が異常です。
まず、>>340冒頭。
>詩の効果」とは何でしょう。
>批評には、当然尺度があって、それに照らし合わせた
>ものでなければならんと思うのです。

「詩の効果」とはなんでしょう? と問いかけておきながら、次の行では「批評には尺度が...」
とくる。
いったい、何ですか、これは? おたくは詩の効果のことが言いたいのか、それとも批評の尺度のことを言いたいのか?
ぱんぱらぱんに分裂してるじゃないの。
これを精神病理学では「統合失調症」という。

で、次の連。
>間違っても「私には面白くないが、他の誰かには面白い
>かも知れないのでいい詩だろう」というのは、日本語では
>批評といわないのです。

「私には面白くないが、他の誰かには面白いかも知れないのでいい詩だろう」なんていう異常なことを
おたく以外のだれが言ったの?
こんな分裂したおかしなことを、おたく以外のだれもいう人がいるわけないじゃない。
言ってる人がいれば、指摘して挙げてごらんなさい。
自分で捏造して、つまらないことをいうものじゃないよ。
「日本語では批評とはいわない」って、
何もしらないくせに、何を偉そうな修辞だけを振り回してんだよ。

>つまり、批評をするときは、明示的であってもなくてもいいけれど
>「どの効果」を尺度とするか、示さねばならんのだと思い始めた
>わけです。

はあ? どの尺度って。どの尺度?
「どの効果」ってどの効果?
いったい何をいってるの? おたく結局、何もいってないじゃないの?

次、ばかばかしいけど、>>342

>批評者は自分の批評基準、つまり
>詩のどんな効果を尺度にして批評するか、ということと照らし合わせて
>どの詩を批評するか、ということも、自らの良識と相談して決定する
>必要があるんだろうと思う。

車のような物的な「効果」を詩に求めている者がどうして「良識」を持ち出すんだ?
なんの脈絡もないじゃないか。

>例えば、小さなコンパクトカーを批評するのに、「遅い!フェラーリの
>半分しかスピードが出ないじゃないか、バカだ、アホだ、こんな車は
>くずだ」と言ってもしょうがないよね

これまたそんな言い方をするのはおたくだけだよ。
フェラリーの半分しか速度がでなければ「遅い」というだけだ。「バカ」とか言う人がいたらここに連れて来たまえ。
それはきみと同じく「統合失調」にかかっていると思わざるをえないね。

ああ、こちらがおかしくなりそうだ。で、三連目。、
>「感動させる」のだって立派な効果
>だと思う。つまり、感動させうるか、驚かせることができるか、心に
>留めさせることができるか、ということも尺度になりうると思う

だーら、感動させる「効果」なんか詩には関係ないよー、ってんの。
そういう有用性、実効性で詩が書かれているわけじゃないから
統一的普遍的な価値基準になんかなるわけないだろう。
あたりまえのことじゃないか。

>しかし、定性的な評価は、共有できない。

あたりまえのことじゃないか。
好き嫌いはだれにだってあるし、それを批評とはいわない。
なにをごたいそうな物腰でいってるんだ?

>批評家がインプレッションを書くことは、詩の世界に限って許されない
>のだろうか。

はあ? 勝手に書けばいいじゃないか。

おたくね、いったい、何がいいたいの?
これ以上、恥をさらすのなら、ここでなく、きみのお友達のれいの大根切りで書けばいいでしょう。
あまりに愚劣。あまりに自分勝手。あまりに無知。
いいですか。わたしも無知だしバカだ。しかしわたしはそのことを知っている。
という昔からのパラドックス。これをよくかみ締めたまえ。

あー、つかれた。
 
 

[344]一番絞り[2004 11/22 18:18]
#これはどうも批評ではなさそうですので移動します。ごめん。
 

[343]一番絞り[2004 11/22 14:00]
おたくらね、ここは「批評をする」ところなんだ。
批評の仕方を強要するところじゃないんだ。
そういう話なら「雑談スレッド」でしたまえ。
それがいやなら、おたくらのいう批評の方法で、具体的な詩なり
批評文なりを具体的に取り上げて実際に批評してみたまえ。
能書きはそれから。


#追伸

だれの文章のどの部分を批判しているのか曖昧なままのたわごとは
卑怯なだけでなく
批評をしょうとしている人の邪魔になる。
実際、邪魔になっている。
 

[338]一番絞り[2004 11/22 00:30]
>>337

おまえよ、おれにもう関わるなよ、ほんと。もううんざりだ。
おまえ、あたま悪すぎるよ。ほんと。
おまえなんか相手にしているとこっちまでおかしく思われる。
とにかく今後は一切、返事したくないからね。おたくには。
 

[336]一番絞り[2004 11/22 00:20]
>>335

あいかわらずわけのわからんことを言ってるね。
もう、おたく、おれに関わるなよ。

有井さんの詩の批評、発言の批評があなたの詩の批評に関わって
出てきてなにがおかしいの?
いったいぜんたい他人の批評の仕方のどこをどう制限したいの?
おまえ、ほんとうのバカか?

たとえばさ、わたしの詩が「立派な詩」だというのなら
「どこがどのように」そう思うのかはっきり指摘すること。
それが最低限の礼儀だろう。
田代さんでもわたしに言われる前にさ、
どうして有井さんの名前をだすことがいけないか論理的に説明する
そういう努力ひとつせず、つっかかてくる。
いまのおたくもそうだ。
ひとの詩が「立派」だのどうの、
それこそ乞食に銭を投げ入れるみたいに簡単にいってのける。
おい、ふざけるなよ。
おまえのクソみたいな詩を評するにもそれなりの時間と精力を
費やしたうえでおれは言ってるんだ。
そういう努力も吟味もしないで、なにをとぼけたこと言ってるんだ。

てめえ、二度とおれに関わるな!
こっちが汚れるわい。
 

[334]一番絞り[2004 11/21 20:34]
>>323

>そういう堅い話を抜きにして、>>322 をあなたの自由な言論活動と読んだうえで、ひとつ指摘したいことがあります。
>つまり詩についての真面目で対等な議論として。
>それは「と言う一日だった」と言う言葉を私の詩につけてもそのテクストは日記にはならない、
>という事です。あなたの詩につければ日記になるけど。

ボルカさんはなにか誤解されてますよ。
わたしはあなたの「車」という詩をとても面白く思っているんです。
詩の評価としてはそれほどではありませんが、
あの詩のおかげで、とくにオノマトペ(擬声語)について考えさせられました。
例の「ぶーっと走る」というやつです。
そのためにかなりの詩論や言語論、脳科学の先端理論を読み込みました。そのために一ヶ月も
掲示板への書き込みができないくらいに集中しました。
おかげでひとつ詩のたまごも書きました。(今日投稿した「ちんちん」)
これはすべてオノマトペで書いています。一度読んでみてください。
そういうったことを、これから詩論の続きのなかでふれようと思っていた矢先だったんです。
その矢先にヘンないちゃもんがついた。で、話の腰穂を折られた。

面白いデーターがありまして、(これは何も上から教えを説いているのではないですよ)
オノマトペというのは頭の発達には非常に有効だと。
左右の側頭葉が「ぶーぶー」だとか「わんわん」だとかいうオノマトペを聞いたときに活発に働くのだそうです。
これは擬態語ですから、比ゆと動物や車の音声の両方の意味を含んでいる。
だからそのどちらであるかを聞き分けようとしてたくさんの脳細胞が働くそうです。
ひょっとしたら人間のもっとも最初に語った言葉はオノマトペだったかもしれない。
孤独な原始人はオノマトペでなにかを語っていたかも。
そう思って今日投稿した詩を書きました。
ほかにもね、あなたのあの詩を批評するためにたくさんの本を読んでとても収穫を得ました。
たとえば「詩の短さ」の問題。
どこまで詩は短くてもいいのか、というアホのような問題提起ですが
そのために秋山基夫の『詩行論』から山田美沙なんかの近代の定型論の論文へとわけいりました。
ここでもかなりの収穫がありました。
せっかく、ゆっくり本論を展開していこうと思っていたのに、とても残念です。
ちょっといやになった。もうやめます。
いやになったけど、あなたの詩に感謝していることはまちがいありません。
 

[333]一番絞り[2004 11/21 20:14]
>>330
佐々さん、教えてくれてありがとうございます。
その点に関してはわたしに誤解があったかもしれない。
謝ります。

が、それはわたしが問題にしていることでいえば枝葉のことです。
わたしの指摘している問題の要旨ではありません。
この板の管理人である片野さんの「とるに足らない者」への蔑み、差別、不公平発言を
問題にしているのですよ。
それをパッパラパーなアホが茶化す。冗談ではない。こちらは真面目にいかっているのだぁー。
なーにが「明快に批判してくれるわよ」だ。
明快に批判するのなら何も問題はないのだ。てめーの個人的好悪、嗜好、差別意識を管理人であることを利用してだな
投稿者につきつけているじゃないか。あるいは陰湿ないやがらせを容認しているではないか。
いったいわたしのぶんしょうのどこを読んでいるのだぁー、といかっているのですよ。
うん? アホリーナさんよ。
 

[332]佐々宝砂[2004 11/21 15:39]
「詩の定義」に関する私の意見として、URLを示しておきます。

「詩の境界線」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=5738

今年の一月時点で更新が滞っていますが、現時点で考えはまだそれほど変わりません。
つーか考えるヒマがあんまりないのです。
 

[331]一番絞り[2004 11/21 15:21]
>>323

ボルカさん、ちょっと冷静に考えてみると、いかにわたしがあなたのことを
頭からバカにして書いてないと言い張っても、現にあなたがそう感じている
ことは事実ですから、わたしはなんらかの態度の変更を迫られるとおもいます。
で、どうすればいいでしょう?
わたしにはその気持ち(上から見下したアドバイス)がなくても、わたしが書くとそう感じる
あなたがいる以上、わたしはこの掲示板に書き込むのをやめればいいのでしょうか?
あるいはこのフォーラムを退会すればいいのでしょうか?
 

[330]佐々宝砂[2004 11/21 14:07]ピッピ
同じ文章を違う板にコピペするのは、その文章がいかなるものであれ、あまりよろしくないことではないかと思われます。マルチペーストと呼ばれてネチケットに反します(どうでもいいけど私個人は「ネチケット」という言葉が嫌いです)。

で、同一人物が続けて投稿すると、その板はトップにあがりません。誰が投稿しても同じ仕組みです。それから、sageと入力すると、その板はトップにあがりません。なのでこの発言を投稿してもこの板はトップにあがりません。批判はよろしいかと思いますが、サイトの仕組みはきちんと覚えておくべきでしょう。

sage
 

[329]一番絞り[2004 11/21 13:15]
何度も言う。
ここの管理人は「とるに足らないもの」への差別、偏見、侮蔑に満ちている。
そのことを具体的事実をもとに取り上げている。
しかるにそのことに目をつむってきみたちは一体何をつまらん言いがかり
ばかりつけてくるのかね?
目に見える口の悪さより、慇懃な冷笑、粉飾された罵倒の構造こそ
ことばに親しむものの嫌悪すべきものではないのか!
恥を知れ!
 

[328]一番絞り[2004 11/21 11:25]
>>327

はいはい。

あ、そうだ、例によって評論コーナーにお宅の文章、移したらどうですか?
ついでに。

このコーナーはわたしが書き込んでもトップに移動しない差別的なコーナーでね。(笑)
しかし、アホみたいないちゃもんは、すぐにトップに移動する。

感心して見ているんだけどね、自称詩人のそういう芸当を。
 

[327]田代深子[2004 11/21 10:12]
>325
これはこれは当方の不見識たいへん失礼いたしました
有井さんに関わる批評の途上とは まったくもって 気づきませんでしたので
理解力のなさも甚だしいものですねぇ お恥ずかしい限りでございます
当方が傲慢にも差し出口をいたしましたのは
当方も有井ファンでございまして あの方のお名前が出てくると神経質になってしまい
現在このフォーラムに1編も作品を置いておられない有井氏の発言について
まるで さも 俺は完全に理解している と ゆーよーな
固有名詞とそれに伴うイメージの私物化 を感じてしまったわけです
ええ 当方の不見識により
いやいや ほんとうに失礼いたしました
ふかぶかと陳謝いたしまして 差し出口の始末とさせていただきます
重ねて申し訳ございませんでした
 

[326]一番絞り[2004 11/21 07:11]
>私にはあなたの「上からの」アドバイスは不用です。

また、おかしなことを言ってるね。
わたしの文章のどこが「上からのアドバイス」と受け取ったのか指摘してください。
話はそれからです。
 

[325]一番絞り[2004 11/21 07:07]
>324]田代深子[2004 11/21 01:56] 
>>一番絞りさん
>どのような意味合いがあるのかはわかりませんが
>ことあるごとに有井さんのお名前を引き合いに出すのはどうかと思われます

それはどう意味でしょうか?
わたしは目下、有井さんの詩も発言も批評の途上にあります。
わたしは彼女のファンですからね。
そして作者─作品─読者(わたし)という直線的ラインで評するのがわたしの
批評の仕方です。
テクストなんていう概念はわたしにはない。
それにあなたの口の挟み方は失礼ですよ。
わたしは方法としてことあるごとに作者「有井」さんを出さなきゃ批評にならないから
だしているわけだけども、
それがいけないなら、その理由を添付してこれこれだからいけないと言うべきでしょう。
自分の思うことは
相手も思って当然だという傲慢さには
あきれかえりますね。
これはアメリカなんかがタリバンの文化を野蛮としてアフガンを爆撃した感性と同じだ。
そもそもお宅の批評にたとえばわたしが
いかにも大学出たての修辞的な批評の仕方が鼻につくから「やめろ」といったら
お宅どーすんの?
おたくは「どう? わたしって批評うまいでしょ」と悦に入っているかもしれないけどね。
そういう失礼なことをおたくは平気でわたしに言ってるわけだよ。
ったく。
どこぞの口うるさいばあさんみたく横から余計なお世話だ。

有井さんが注文をつけられるならやめますがね。、
 

[324]田代深子[2004 11/21 01:56]佐々宝砂
>一番絞りさん
どのような意味合いがあるのかはわかりませんが
ことあるごとに有井さんのお名前を引き合いに出すのはどうかと思われます
 

[322]一番絞り[2004 11/16 21:59]
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4402



4つタイヤがあって

ぶうっと、
走る


これはボルカさんの作品です。
ボルカさんがこのフォーラムに投稿されたさいしょの詩です。
べつにこれといってどーってこともない、衒いも気取りもない詩です。
読んでおもしろいかと問われれば、
うーん、....
わたしが鈍いせいかもしれませんが
とくにおもいきり感嘆するほどの詩ではない、でしょう。
ただ、この作品は、わたしにとって「いいところ」が、ふたつばかりあります。
それは「短い」ことと、「わかりやすい」ことです。
ごかいしないでもらいたいのですが、わたしが「わかりやすい」というのは
表面上書かれてある事がらを
字面とおり理解するのにそれほど苦労しないですむというていどの意味です。
でも、短くてわかりやすいのに、この詩を批評するとなると、とても難しいものを感じてしまう。
どうしてだろう。
たぶん、作者がある作品を「詩」として押し出すことのなかに、その難しさのみなもとがあるのではないか。
と、わたしはにらんでいます。(にらむほどのことではないですが)
たとえばどこにでもある道路の標識をもってきて、フォーラムに発表してもいいのです。
「題名:標識/作者:一番絞り/内容:横断注意」。
道を歩いていて「横断注意」という垂れ幕なり標識なりをみても、それを「詩」ではないと断定するのはたやすい。
(いや、ちがうな。まれに詩人はそれを「詩」と感じるかもしれない。それは一応棚上げということで)
しかし、フォーラムに発表された、たった一行の「横断注意」という作品を「それは詩でない」と決定するのは
なかなか骨の折れることだ。
まずもって作者によって「選択」が行われ、発表するという「決断」が行われている。
そして発表された「場」が時代の最先端をゆく「現代詩フォーラム」であるとすると....。
ひとこと。「あ」でも、やはり現代詩ではないか? ということになる。
あ、こんなことを言っていると、おまえは、なにをごちゃごちゃいうとんのやと叱られるかもしれないな。
そんなたわごとをいうてるひまがあったら、さっさと詩を吟味せんかいと。
「テクスト」を解読せんかいと。
このさいはっきりいっておくけど、わたしは「テクスト」なんていうコトバは決して知らないのです。
いまのところ決して知る必要にも、せまられていないようなんです。
「シニフェ」だの「シニファン」だの「エクリチュール」にも興味なし。
わたしはあくまでも詩の作者と詩作品と詩の読者(わたし)を直線でつないだ批評しかしたくないし、それ以外のやりかたは
いまのところわたしには考えられていませんのです。ご容赦。
で、なにをくどくどしゃべっているのかというと、じつは有井泉さんが詩について、こういうものは詩とは認めませんという発言をした。

《詩の最終行に「と思う今日この頃でった」という一行を付加して、成り立つものは、詩ではありません。》>>163

この発言に、少なからずはんぱつがあった。
>別に詩である、と他者に認められようが認められまいが
>いっさい気にする必要はないと思います。
というような怒りの声もかえってきた。また、
>誤解を受けやすい言い方をしているとは思いますが、
>これが詩でこれが詩じゃないと区分して非難するのが発言の本意ではなく、
>詩の言葉、というものをもっと大切に扱いましょうという、提言であると、
>俺自身は把握してます。
と有井発言をフォローすることばもあった。

しかし、果たして、そうだろうか?
「題名:標識/作者:一番絞り/内容:横断注意」。
という詩がべつに他人に認められようが認められまいがいっさい気にする必要はないのだろうか。
詩でないとか詩であるとかいう区分はないのだろうか。
わたしたちが詩を書くとき、素朴に「詩とは何か」なんてことを考えていないのだろうか?
いや、そもそも「詩」を書こうとして「机にむかう」ときにすでにしてそれは考えられているからわたしたちは
「詩」を書けるのじゃなかろうか?
詩を書く行為のなかに、すでにして「詩とは何か」があるはずだ。
べつのことばでいえば「詩でないものとは何か」が必ずあるはずだ。


(ビールの酔いがまわってきたので、《つづく》)

だから、みなそれぞれ「おれは詩ってものをこう考える」
「あなたはそういうものを詩とおもわないけど、おえはこういうものを詩とは思わない」
そいう議論になればよかったのだろう。
ところが「なんでも本人が詩といえば詩なんだ」みたいな感情的なところに走った。
冗談ではないでしょう。
なんでも詩だと言えば詩なら、詩はそこで水溜りのように死んでしまいますよ。
成長も発展もない。べつに成長も発展もなくてもいいけど、詩の新鮮さというものは確実になくなる。
有井さんはあえて、勇気を出して詩でないものに言及した。それは大事なことです。
 

[321]一番絞り[2004 11/13 00:42]
詩の批評といっても、直感批評だけに頼ってきた。
で、ここは一発、改心して、それに接するのが死ぬほど気持ち悪かった、テ...ああいやだ「てクスト批評論」ってものに
生まれて初めてあたってみた。読んでみた。
なんかねー、どうみてもお百姓さんが革靴をはいて歩いているようなちぐはぐさだね。だれかが
「テクスト」とか、なんだっけ「エクチュエール」?とかいうたびに、正直、お尻がむずがゆくって
うへーっとしていた。もう、なんていうか、西洋かぶれの田舎者って感じでね、おすぎとピー子の世界じゃない。
「まあ、おたくデリダで攻めてるの。でもね、少しフーコをまぜてみたら?」
「あら、バルトをちょっと拝借しているの、わからない? いやだわ」

さて、詩の批評のためにずいぶん本を読んだが、結局、いままでの「批評」ってのがなんとつまらないか
なんとつまらない批評をしてきたか、骨のずいまで思い知らされた。
なーにが「作者の死」だ。
なーにが、テクストだ。
原点に帰ります。原点でものを考えます。
とにかく作者、大いに結構。作者に還元しても結構。しなくても結構。
出てきても結構。でなくても結構。「作者」なんてところに批評の重点は、ない。
「読者」なんてところにも、ない。もともとなかった。わたしには。
迷う必要はなかったんだ。
 

[320]一番絞り[2004 10/15 14:48]
みなさま、近日中に詩の批評再開します。
予定ではボルカさんの詩を材料にして「短い詩」とは何なのか?
詩の長さ、短さ、その意味するところのものを、書きながら即興で考えていきたいと思っています。
あ、それから★は結構ですよ、またしても異常なストーカーから五月蝿くつきまとわれるでしょうから。
読み流してください。では、乞うご期待。
 

[318]一番絞り[2004 09/29 12:08]
[316]ボルカ
>私の言うべきことはすでに言ったし、私へのあなたの意見は、<私のことはあなたの
>念頭にはなかった>ということも含めて、それできちんと示されたわけです。
>これ以上、距離を縮める為の作業(=議論)はいらないと私は思います。

なにを仰ってるんですか、ボルカさん。
わたしが漫談形式の批評を書くにあたって「あなたのことは念頭になかった」というのは当たり前であって
特定個人への人格攻撃が問題意識としてあったわけじゃないからです。
それにしても、
あなたは最後までわたしの提起した問題に付き合う気はなかったわけですよ。
わかりませんか?
そもそもわたしの提起した問題意識を共有できないのであれば、それをめぐっての批判的なやりとりはできないはずです。
語られたことを批判するには、内容を読み取る必要があり、それにはその文章が何を問題にしているのかということを
太いラインで読み込む姿勢が必要ですしね。
だがあなたはわたしの問題意識を共有し、それをめぐってわたしに批判的に対応するという気はなかった。
レスを読む限り
わたしという腹立たしい存在への嫌悪感だけだったということを、あなたはここで公に公表された。
ボルカさん。あなたや石川さんのやり口を見ていると、わたしの提起した「内閉」というコトバの意味が
具体的・現実的好サンプルとしてわかってくるのですよ。
あなたがたが「内閉」のいい見本です。
少しは自分自身を外から見て、いったいどんなことを書き込んだか、自分の文章をよく吟味してみてください。
他者の目で。

ところで、あなたがどうしてそうしつこく「人格攻撃」に終始されたのか。
これは、わたしも一緒に考えてみる値打ちがあると思っています。
ひとつ想像できるのは、ぜんぜん正反対の言い草になりますが、あなたがわたしの問題提起を
真正面から受け取っていたのかもしれない、とも思えるのです。
わたしの一連の書き込みから、
「おまえはダメだ」とわたしから宣告されたと思い込んだのではないか。
もしそうならばあなたの内閉的な空回りの情念にわたしも責任があることになります。
しかし、いままでのあなたの文章を読んだ限りでは、いまのところ、[やはりダメだ]
と思います。悪いですけどウソはつけません。
ただね、ほとんどのひとは「ダメ」だといわれても平気なんです。ましてわたしごときに言われてもね。
しかし、どうしてあなたの場合はそこまで気になるのか。ほとんど憎しみに近い感情を抱き、
できればこのサイトから追放したいくらいに嫌悪感を抱いているとしか思えない偏執。
その理由はわたしにはわたしなりにわかっているつもりですが、ここでは言いかねます。
それこそ吉本の『ボケ異論』じゃなかった『母型論』でも読んでみると面白いでしょう。
偏執的妄想や憎しみの起源をとてもわかりやすく説得的に解き明かしています。
そういう意味で、吉本はまだまだ自分のことばで語っている日本では数えるほどしかいない思想家の一人であることは
間違いないでしょう。

ご自分を外に立たせて、少しは内省してみてはいかがでしょうか。
 

[315]一番絞り[2004 09/28 19:58]
ボルカさん、わたしにあの「対談」もどきを書かせたモチーフは
世界中で大量虐殺の犠牲になっているこどもたちへの同情と、そのようなところへこどもたちを
追いやったもの(わたしも含め)への怒りですよ。
それはいったい何なのか、あなた、考えたことありますか?
あるのならそれを聞かせてください。
ないのなら、それを考えている人のことばにできるだけ真摯に耳を澄ますことです。
どういうわけかあなたは前回のいざこざを持ち出してきましたがあなたのことはまるで念頭にありませんよ。
とにかく外のことを考えてないのならよく考えてください。
岩成という詩人だって自分のことをいっているのではないこともわかってくるでしょう。


石川さん、わたしが漫談で槍玉にあげていた内部(健全さ)と外部(極悪)の構造というのはね、
ふつうに読めばその指弾する内容がだれにでもわかるものであって
あなたがいうような大衆社会批判なんてのんきなものではありませんよ。
>「ただ生きている人」への視点が見失われがちになり
ってあなたはいうけど、「ただ生きている人」ということを、わたしたちができなくしてしまったことに気がつきませんか?
「ただ生きている人」は素晴らしいですよ。それはとくに無辜なこどもがそうです。そういうものを
そのようにあるように、あーた何か考えましたか?
わたしたちの内閉性が、生物レベルでの生き様が、逆にそのようなものを奪ってしまった皮肉に言及しておいたはずです。
ふー子、いや違った、フーコだのオルテガ・イ・ガセットだのマルクスだのご大層な思想家の名前をいくら振り回しても考えたことにはなりません。
「ただ生きている人」を守ることにもなりません。あーた「他者のことば」を撒き散らしているだけじゃないの。
ここでも、よそでも。そんなことで、
あなたご自身の内閉性も国家的な世界の内閉性もびくともしないわけですから、できれば、あなたご自身のことばで語ってくださいな。
どんな難解な書物を読破しょうと、わたしが取り上げている問題とはあまり関係ないとおもいますよ。
むしろ小中学生のための政治入門とかね、『高校生のための実践演劇入門』(あ、これはこないだおれが読んだんだ)
とかのほうがよほどいいでしょう。
ちゃんと読んでくだされば、かなり突出した問題を提起しているわけで、自分のことば、自分の手、
自分の足でなければだれも手探りできない、そういう問題を提起しているつもりです。

*それから余談ですが、
わざわざ否定するのもおかしいんだけど、わたしはサーフィンとラグビーが趣味で、自閉どころか
、家にいるのが小さい頃から何より苦手ですよ。
読書も苦手。
自閉というか、『方丈記』の隠居のようなものには憧れているのですが、性格的にいまだできません。
わたしが自閉だなんてね、だれかが聞いたら、泡を吹いて転げまわるでしょうな。
 

[314]石川和広[2004 09/26 20:51]
>ですから僕も、谷川がお父さんの死に触発されて書いた詩集・「世間シラズ」は読んでいて、その深い自己批判の痛みを僕なりに受け取っています。

わかりました。私も、自分なりにこの間、まとめて考えたことを書いたわけで、世間批判の危険性に注意を促しつつ、もちろん、以前の文脈とは、重なるところもありますが、あえて、誤解を招きやすい「世間」という語彙の難しさを感じながら、市井、や大衆という言葉を使いました。オルテガを出したのもその為。

フーコーが、吉本の対談で言っていて、印象深かったのは、様々なイデオロギーに覆い隠されてしまった(ある種の反体制思想の犠牲者も含まれると思いますが、彼はマルクスだけではなくマルクス主義批判も行ったので)死者や、たくさんの人々の声が世界に響いて欲しいと願っていたところです。

夜の様々な爆音や、車の音の蔭に、そういう指弾したりするだけではない、様々な声が響いていると感じるのは、私の妄想でしょうか?失敗もしながら、たくさんの声を聴く、上手くいえないが、そのことも詩を豊かにすると考えます。sage
 

[311]石川和広[2004 09/26 10:22]エズミ
一番絞り氏の、308〜310に渡る労作拝読しました。

ずっと、書き込むのを迷っていました。
私は、辺見庸氏の三部作は、読んでないので…
だから、辺見さんの論点には、さしあたり一番絞りさんには、あなたなりの読み方があるだろうし、危機の表明だとして、読みます。私は、辺見さんのものを読んでない。ただ、「架空」という言葉を使っているので、独立した批評作品として、読んでみたいと思います。
>他の多くの異論が交わされることを願って。。。。。。

というのが、このサイトの趣旨でもあることですし

さて、私が注目したのは、辺見さんの見解は、それなりに、世界の現状を危惧していることが、伝わり、辺見さんをあまり、読んでいないものとしては、単純に勉強になりました。「座談会」には、そういうことをより広く発信したいという一番絞りさんの切実な思いがこもってると感じました。

ひとつ気になったのは、大衆社会批判と云っていいのだろうか、その扱い方のようなものです。
吉本が、ダイエーに関して、現地を見てもないのに、なにを云うとか、筑紫哲也も、震災の現地に行って、「まるで温泉場のようです」云々の発言をした時には、正直ふつうに、何云うてんのと腹立ちました。うちも兵庫ではないが、大分揺れたし、知り合いも兵庫の奴がいたからね。

だけど、それと、あなたの文に大衆が共犯関係に立っているというニュアンスがあり、もう少し、そのあたりを、丁寧に解かないと、一番絞りさんも、市井の人から、どんどん遊離して、危機を唱えて回る危険がありやなしやと、こうお節介ながらも思ったわけです。
どれだけ、あなたが、正当であるとしても、それが伝わらなくて、かなりきつくなりそうな予感がする。

というのはね、僕も、以前「世間」という言葉がでてきたりした時に、嫌な思いをしたですよ。ぼくは、世間でも、大衆でもない、まあ別に、純粋無垢でもない、ただのおっさんとか、にいさんがいて、巨大な資本主義社会にまぎれて、生きていて、この巨大な条件は
なかなか変わらないし、いまのところ、有効な代替システムも見つかってない。だから

>辺見庸がこの本で描いて見せた、いまの国家世界の有り様てのはとてもグロテスクなイメージだよね.外部に向かって毒針のようなものを伸ばし、さかんに小生物を攻撃して栄養を吸いとっている強固な殻があって、その中に、痛覚を麻痺された卵の黄身のように柔らかい液状の「健全なる」モノが、へその緒のように養分を補給されながらかろうじて息をしている。これがわたしたちなんだけど、そういうイメージなんだよ。もう、これだけでも鬱陶しいかぎりなんだけどね。

これは、わかるの、あんまり気持ちいいと思ってないしね、なんかドグマ的な教説を持ち出しても、かなり無効だよな。だから、そういう中で、特権的な位置があると思ってる人を見るとイライラするのもわからないではない。

しかし、少し忠言しときたいわけです。

?大衆社会批判は、ファシズムや、スターリニズム、アメリカの大量消費社会への、危機意識から、生まれたが、いうた人、例、オルテガ・イ・ガセットに見られるように、「たくう、大衆は馬鹿だ」という、それ自体、貴族主義的な位置に立ってしまい、大衆をただのかたまりや、危機意識のない馬鹿どもにしか、みられなくなり、「ただ生きている人」
への視点が見失われがちになり、それほど、批判相手と変わらない、硬直度合いを示してしまいがちなこと。でも、最後の方で、そういう危険を一番絞りさんが、きずきかけているから、僕の杞憂なのかなということ。
>(一) ぼくがこんな架空座談会を開いたのは、有井さんの「詩の最終行に「と思う今日この頃であった」という一行を付加して、成り立つものは、詩ではありません。」という言葉の意味をいまだに探っているからなんです。
(辺) しつこいね、きみも。

この突込みには、なにか健全なものと、自己破壊的なもの両方があるなと感じました。ぼくは、ここに傷ましい魂を読み、また、傷つきやすい魂は、ぼくもそうかはわからないが、「和やかな」自閉とは別の、荒れ狂う苛立ちの通じなさからくる頑なさを持つだろうと歴史から、「身の回り」から学びます。オルテガも誇り高き立派な学者でした。
全く、違う水準から、自閉症の人と三年ほど関わったときも、彼らが、感覚が過剰に鋭敏な余り混乱して、暴れたり、常同行動に走ったりすると、大変でした。もちろん一番絞りさんが自閉症だというのでなく、私は、彼らに人間の傷ましいヒリヒリした魂の極限形を
見たわけです。

私が大変感動するのは、かれらの意図せざるユーモアです。暴れているのを止めて、落ち着くように体の力を抜くように、肩を揉んだりさすったりしたら、一時間くらいで、寝ました。
ある方が、「人といるのがこころよい体験だということもあること、それを少しずつ感じること」これが、様々な世界に対する感覚の痛みを持つ最大の処方箋だというような話を読んだとき、ここから、世界のルールに出会う以前の、世をただ、遠ざけるのではなく、
参加し自分でせかいを変えていく手がかりを得ていくのかなと思いました。これは、自分に深く刺さって抜けない棘です。だから、他に実作を試みる方々も、一見歩みは遅くとも
世界に参加する、自分の感受の仕方でそうしようとしている方もいる予感がするので、「外」とか「今日この頃であった」は、「詩」ではない、とかは、それ自体理があると感じるけれども、この世界で起こってる事柄に果たして届いてるのかな、届いているとしたら、良かったけど、もう、そこから少しずつ書き始めようとしているのではないか、そういう予感を感じたりもするわけです。

?最後に、今の吉本は、というか、あの人の世界観はもう何かについて行けてない気がするけど、初期の吉本の「マチウ書試論」の関係の絶対性の提示は、一番絞りさんの、自閉からの突破という問題系と近いものを感じます。違ったらごめんなさい。
初期吉本は、張ったりも多く、花田清輝の倒し方も、花田のスターリニズム体質は許せないとしても、独自な批評家の良い部分まで、壊そうとした気がする、でも、先の大戦で、何が市井の人を戦争に動員させたのか、そして、何故、高村光太郎も含め、急に手のひらを変え反省したのか、これらの知識人の変節の時代迎合振りを問うたのも吉本でした。
そういう吉本もあるし、今の弛緩した吉本は、なんなのか大いに問題なので、そこは、なかなか、知らせてくれてありがとうという感でした。

ちなみに、エリアンの手記は好きです。

長文失敬!
 

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