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批評しましょ (創作系)スレッドオペレーター:管理人預かり
 えっと、ひとの批評に対して、別の読みを書きたくても、スレッドタイプで書きこめる場所、あまりねーなー、感想スレで議論しづらいなー、と思ったのでスレッド立てました。議論OK。よっぽどの誹謗中傷でない限り、削除はしません。晒しもんにしますので注意してください。「未詩・独白」および他のスレッド会議室の発言で、作者が批評を期待していない発言への批評はなるべくご遠慮ください。
 一つの読みに対して、他の多くの異論が交わされることを願って。。。。。。
 評を書く際は、該当発言(または作品)のURLを明記してください。

[188]石川和広[2004 08/21 00:04]佐々宝砂なを
>>185
一番絞りさん、こんばんは。

有井氏が、出てきたら、サヨナラしちゃうなんて、あなたのこれまでの、あなた自身の言動は、一体何だったの?

つたわらなさは、誰でも持っていて、それと、戦っているのは、どれだけ愚かでも、言葉に関わろうとしているすべての人間だ。
もちろん、ダメさもあるだろうけど、ダメさからも人はその気になれば学べる。

大事なのは、有井氏が、真摯に、述べていたとしても、それは、有井氏から見た世界であって、それとの摺り寄せや、対立や、一致は、無視ですら、それぞれがやることである。

私は、よく読みきれていないし、かなり圧倒的な状況なので、あまりコメントしたくない。有井氏の発言に関して。

ただ、私は私の位置を、そんなに動かす必要はないだろうとは、思う。直感的に。
有井氏によって私も批評されてるのかもしれないが、強がるわけでもなく、反発するでもなく、ただ、彼の言葉を聞いた。私が失敗をしてても。

有井氏に頼って、どこかへ、行こうとするあなたは、勝手に、有井氏を、あなたの権威に致しました。

というわけで、あなたは、他者である有井氏に、「伝わらない相手に」といってるが、有井氏には、有井氏の伝えたい人やことがある。

とにかく、ただ単純に、彼とあなたは、別の人間である。

他者を発見していくこと、批評にとっては、大切なこと。

あなたは、大切なことを見失っている。
 

[187]有井いずみ[2004 08/20 23:47]
>たとえば、僕は武者小路実篤が、言葉で勝負しているとはまったく思いませんが、
>彼の詩が好きです

それって隠喩とか直喩とかの文体の問題ではないのね。
武者小路実篤は、2割打者だけど、打ったらホームランになる巨人?
強いコトバというものと現代詩の有り様とを同じ次元で語るのは
わたしにはとてもムツカシイお仕事ね。
多分、荒川さんだったら、おもしろいねって言うと思う。
 

[185]一番絞り[2004 08/20 23:08]
>184
有井さん、ごくろうさま。
伝わらない相手に伝えようとすること、
オリンピックの水泳選手よりしんどかったんじゃないですか?
反省しきりであります。
ま、わたくしめも、コンゴ、簡単お手軽批評は、ひかえることにいたしましょう。
とうぶん、雲隠れだ。
 

[184]有井いずみ[2004 08/20 22:56]一番絞り川村 透
>別に詩である、と他者に認められようが認められまいが
>いっさい気にする必要はないと思います。

おっしゃる通りね。
みなさんが書かれたものが、良いとか悪いとかを
書いたのではありません。また、これは詩で、これは詩では
ないというようなことを不遜にも決めつけているのでもありません。
わたしもみなさんと同じく、書くことに精進している一人です。
もう少し、わたしは親切に書かなければなりませんね。少し
反省して、少し丁寧に、できる限り分かりやすく
書きましょうか。
---------------------------------------
作品において、ほんとうに心に残ったり居座ったりするコトバと、
出会うということは実に幸せなことです。ぜいたくを言えば、
日々、生きる上においても、浮かんでくるようなコトバはもっと
ステキね。それだけのことです。

現代詩の将来が明るいとか暗いとかは、まったく別問題なので
あって、それほどに難しい話ではないでしょう。
谷川さんがダメとかいいとか、さぁ、どうなんでしょう?わたしは
わたしの詩的な空間を広げてくれた詩人として、その仕事は
尊敬するものがありました。大阪文学学校近くの「すかんぽ」や、
東京のある集まりで、何度か真正面から議論したこともあるけれど、
大した詩人です。詩のコトバの広がりを確実に広げた、詩史に残る
お一人なんでしょうかね?否、そんなことも恐らく関係している
のですが、否、そうかな、やはり真剣に考えれば、大いに関係の
あることではないかしら。まぁいいや、長い話になるもん。
誰をも責めるものでもないのに結局、
わたしを憎っき「酷評おばちゃん」のように思う人もいたりして、
それは、冗談じゃないわって思う。
詩に、何らかの「レベル」や「基準」のようなものがあると
勘違いしているのは、ひょっとして実は、
貴方たち(ここで誰とは言いません)なのではないかしら?
わたしはコトバで世界の実相に出会いたいと思って読む。
それだけなのに。

「自閉の地平で、世界と当たって、触ってみて、コトバにならない
ものをコトバにしてゆく格闘や思考を続ける姿勢がみられないわ。
その姿勢がない限り(詩)詩人とは言いません。」と書きました。
それが言いたかったのに、「と思う今日この頃」のところばかり
話題になって、そんなもんかしらね。

誰もが、それぞれの人生をこの世界に生きている。
ある人は平平凡凡に生きていると言うかもしれない。またある人は
辛く、苦しくそれこそ生死をかけて日々を生きるのが精一杯かも
しれない。いろんな人が生きている。どこかでは泣いてる人が
いる、またどこかでは笑う人がいる、いろんな人が生きている。
あの空の下や、あの窓の部屋。
そんな中で人は、コトバにしたい。コトバにせざるを得ない。
コトバを発する唯一の生き物です。で、本題。
-------------------------------------------
どうしてこうも似たような箱庭を不用意に作ってしまうのだろうか
と思う。閉じられた箱庭の中で、コトバをのっぺらと平らかに、
あるいは予定調和的に納めてしまう理由はどうしてなんだろう?
類型的な意味と、文脈で、無理矢理継いで押し込んで、
何をそんなに急いでいるのでしょう?ステレオタイプとも言いがたい。
説明描写ばかりに力が入るのね。あるいは過剰な情緒を額縁のように
提示して、退屈やメランコリを、少しだけ神経症的・人格障害的に
(わたしも精神疾患や人格障害の傾向を多少持っていますが)に
書くと、それらしいコピーライティングの平面に定着できると
思うのでしょうか?それに誰もが安易に共感できると思うので
しょうか?如何なんでしょう?いえ、共感できるなら、それは
それでいいじゃないですか。それはあなたの共感ですね。
ただ、この複雑で巨大な現実世界に、この厳しい現代社会に耐えうる
コトバとして誰のこころにも居座るようなコトバに成り得るので
しょうか?大袈裟な話を持ち出せば、飢餓に苦しむアフリカの人や、
不条理なエイズの感染者や、イラクで死んで行く、イラク人の子供
たちやアメリカ人の若者たちの中で、脳天気に歌える詩のコトバ
なのでしょうか。戦争反対の詩を書けなんて云ってないのよ。
いえいえ、リアルに感じられないならば、もっと身近で、隣にいる
苦しみや喜びの渦中にある人のこころを揺さぶるようなコトバなの
でしょうか?
わたしの詩のコトバは、到底、それらの人たちにとっては読むに
耐えないヘタレ詩です。けれどもわたしは数十年来の自分のこころを
圧してきた何か分からないものの姿を、または越えることのでき
ないわたしの世界の壁を、手探り、まさぐり、コトバに表わさざる
を得ない何かを拾い集めるようにして、コトバを叫び、コダマする
コトバをまた紡いで、投壜のように押し込めて流してきました。
その結果、見ての通り、屈折して、さっぱり分からないものに
なってしまうわけね。有井の書くものは、なんだかさっぱり
わからんから、放っておけてなことで、だれもその投壜を拾うもの
さえいないじゃないか?ってコトバも聴こえますが、ま、そういう
こともあるのね。(一人ツッコミのお笑いね。負け惜しみ言ってる)
でも、わたしはありふれたコトバや借り物のコトバで書けません
でした。わたし自身の苦しみや喜びや、ことあるごとに頭を
ぶつける世界は、ありふれたコトバではわたしの中で不満ばかり
募るんです。
でもそれって、誰もがそうじゃないの?誰もがそれぞれの生を
コトバにするのに、それぞれにぶつかる世界をコトバにするのにさ、
ありふれたアユの歌のような一節で満足できるのかしら?
(アユでもなんでもいいんだけど。)
ご自分の生やアイデンティティーを獲得するのに精一杯の中で、
一人一人が、自分のコトバで世界をあたり世界に表さざるを得ない
ことがあるものよ。
それで歌っていていいのでしょうか?それじゃわたしたちの生や
世界が、すなわちコトバが、不自由で仕方ないでしょうに。。。
既成の、商業メディアの、トレンドに乗るのは全て悪いとは言わ
ないけれども、その中に溢れかえるコトバのコピー的なコトバと
なんら変わるところのない、既視感をおぼえずにはいられない。
それらは、現代の複雑で巨大なシステムに対して、力強い詩の
コトバになり得ない。そうした意味で、
お手軽な「現代詩」(多分、批判され易いキツイ言い方?)は
痛々しい。それを「詩手帖」風に批評するのもなんだかね。
余程、規範や体制に無頓着か従順なんでしょう。あなたのコトバを
解き放ってみたいとは思いませんか?思考されないから薄っぺらで
ぺちゃんこで、貧しく、品がなくなるのかもしれない。打ち破って、
もっと立体にひねり出したいと思うの。じゃあどうしたら良いの
だろう?時には、ひん曲げてみるのもいんじゃない?屈折はないの
でしょうか?逆立ちしてみたり、男の人だったら大きくて勃起する
ばかりで、行かせられると思ってたら大間違いよ!足の踝を後頭の
窪みとショートさせるとかさぁ。コトバのアクロバットが良いなんて
思っちゃいないけどさ。そうしてみたら外の見え方も、そのコトバ
を当たる手つきも変わるんじゃないかしら。って思うのです。
これがもっと切実に圧し出されて切羽詰ってくると、
ひん曲がらざるを得ない、多少なりとも複雑ではないでしょうか、
わたしたちの生きる世界は。あるいは世界の実相とよばれるものは。
ご免なさいね、好き勝手云って。

芸術の高踏なんかじゃないわよ、批評も、理論も、読む行為も、
詩作も、みんな【書くこと】に関わる切っても切れないこと。
【書くこと】と【生きること】の連続に生きること、その思考へと
牽引する【生きる日常】なんだと思う。たぶん、
詩のコトバは幅広い。言い換えるとポエジーは歌の中にも、ある。
それを否定するものではありません。けれども近代以降の現代詩へ
の歩みは、わたし今、お勉強中なの。
生きる中で、幅広く、深く読んで、書く、生きる、読む、
若い詩の書き手のみなさんたち、
ここの片野さんたちが、どんな思いをして、どんな努力をして、
あのFPOからNIFTY現代詩フォーラムを経て、そしてこの
サイトづくりに尽力されてこられたのか、思いを至らせたことが
おありでしょうか?
わたしも、どんな詩も一編一編の詩を、たいせつに、たいせつに
扱い、読ませていただいて、育てられ、連なってきた一人です。

このフォーラムで「批評」している人たちへ、感じることを
書き手として、書いてみただけ。
 

[182]一番絞り[2004 08/20 22:54]
>[180]ボルカ

ボルカさん、おたくもう子供じゃなく、一人前の大人でしょ?
どうして、自分の意見としてでなく○○さんの意見に賛成で、××さんに反対
というような言い方しかできないの?
これじゃあ、口うるさい主婦の井戸端会議より臭いよ。
さらには
>一番絞りさんみたいに読みもしないで嫌いだとか言ってないから、その点はセーフだったんだけど
おれはちゃんと読み込んでるよ! だれよりも。
あの詩はね、作者が自分の主張どおりに登場人物をロボットみたく動かしていて、内部に自立的な動きがない
とちゃんと指摘しているよ! だから詩なんかじゃないと。
だれかさんが言った様に、一種の台本だあね。おたくや山田と同じ意見だったらかえって困ります。
 

[179]一番絞り[2004 08/20 21:58]
>僕は、有井さんのコメントに☆をつけた人の面々を忘れない。
>彼らが何をもって詩とし、詩としないか、今後の作品や発言を
>注意深く、多少の恨意をもって見ていくつもりです。(Ohatu)

こんなねちこい脅迫なんかしないで、有井本人に正面から挑めよ!
もっともおたくの今のような批評の技術、批評の視点では相手にされないだろうが。
だからといって、星を入れた人を脅迫するなんて、
まったく気がしれねえよ。

>繰り返しになりますが、僕にとって詩人とは「詩を書ける人」ではなく
>「詩を見つけることができる人」のことです。

よくわからん。それこそトンチンカンだ。同じことを別の言葉でいってるだけじゃないの。
こういう誤魔化しはあまり感心しないな。
 

[178]一番絞り[2004 08/20 21:50]
>結局、詩が嫌いなんじゃないの? なんか書いてることトンチンカンですよ。


その文脈を使うと、
結局、おれが嫌いなんじゃないの? なんか書いてることがトンチンカンだ。
てことになるが。
あーた、大丈夫?
 

[177]一番絞り[2004 08/20 21:43]
>172
塚本いちごさんのコメント、はじめてこの掲示板でまともな意見を読んだ気がした。
これまでは、あまりに凄惨すぎる。あまりにどろどろすぎる。
また、そのことに本人たちが気づいてないことが、あまりにひどすぎる。
有井さん、つまんねえ発言にコメントすることはないすよ。(ま、わたしの発言も含めてだが)

にしても、いちいち星印を入れた理由を開陳しなければならんような、そういう雰囲気をつくる
そういう輩たちによる掲示板のあり方ってどうかと思うよ。
暗黙の脅迫に屈しないで、星印を入れた理由なんか開陳することないよ。
 

[174]佐々宝砂[2004 08/20 19:34]
簡潔に書きます。

私が有井さんの意見に☆を入れたのは、それが「面白かった」からです。ためいきさんが指摘した部分には、正直「激しく同意」しかねるものを感じました。でも有井さんのあの文章、芸として面白いんだからいいのではないか、と考える程度に私はろくでなしなので、Ohatuさんの恨意は受けておきますね。
 

[171]いとう[2004 08/20 19:09]ボッコ木葉 揺
>>170

さてさて。
ポイント入れましたが、別に、有井さんの言うところの「詩」に、
全面的に賛同しているわけではありません。んー、違うか?

んと、上手く言えないな、
有井さんの発言は、ある面から見て正論であると思っています。
少なくとも自分の詩作スタンスの“ひとつ”として、
できているかどうかはともかく、念頭にあるものです。

で、ダブルスタンダードなんですよ。結局。
他の人の詩を読む場合に、それをあてはめてどうこうしているわけではありません。
そして、有井さんの発言も、誤解を受けやすい言い方をしているとは思いますが、
これが詩でこれが詩じゃないと区分して非難するのが発言の本意ではなく、
詩の言葉、というものをもっと大切に扱いましょうという、提言であると、
俺自身は把握してます。だからこそポイントを入れました。
そのへん、わかっていただければ幸いです。

ちなみに、俺は、「足」、好きです。
そして、この詩は、批評すべきものではない、あるいは批評しても意味のない作品だと思っています。
そういう部類に属する作品も、あると思ってる。
 

[169]片野晃司[2004 08/20 17:59]石川和広
>>168 うーん、ツッコむか、放っておくか。。。
結局、詩が嫌いなんじゃないの?なんか書いてることトンチンカンですよ。
 

[168]一番絞り[2004 08/20 17:49]
>みなさん、わたしたちもっとお勉強がたいせつだわね。

それはそうだけど、どういう勉強をするかが大事だと思う。
大学でチシキとして教えているような批評理論を、いくらチシキとして学んでもザルみたいなもんだ。
網の目から大事な、小さなものが、ことごとくもれていく。
あなたがいうように、稚拙な、日記のような詩らしきものにはまるで使えない。
それは象牙の塔で教えているさまざまな批評理論が悪いのであって、稚拙な詩や批評が悪いのではない。
詩人として通っている谷川俊太郎の詩でも、おしなべて、鉄腕アトムみたいな作詞と同じレベルじゃないか。
現代詩といっても劇画チックなものばかりだ。
象牙の塔ではぐくまれた批評理論を
勉強することによってますます権威や権力の構造に組み込まれていくことになり、結果、少々の異和や異変を
許せなくなる。ここがいい例だ。
フェミニズム批評だってそれをぎゃーぎゃー言ってる女ってのが東大という権威のなかで言ってちゃね。
戯画だ。
そんなことなら、勉強しても意味がない。むしろ、勉強の仕方から始めるべきざんしょ。

それよりあなたの詩、三連目あたりで、読み込むのにとても日数がかかってる。
ヒントが欲しいんだけど、「水尾のしぶく..千切れ方云々」って、ひよっとしておしっこのときの、しずくの切れ方のこと?
 

[167]山内緋呂子[08/20 17:45]
休むって言ったけど頑張る!

>Ohathさん
全くだ。そこを説明するには、自分が女であるんだけど、性を出すことの書いてるときの暗さ、ポップさ、同じく出来て発表することのそれ。考えると非情に重く、自らこれ、この先私が書くことの死亡、のようになって疲れ。これをまとめてからこのスレッドで言えばよかったのです。雑談スレッドから、突っ走ってしまいすみません。どうもありがとう。ちょっと待ってもらえるとありがたいです。

有井さん有井さん
本当にどうもありがとう。
自分はまだまだいろいろと足りず、批評とかそんなの言う時に、こうだ!と確定することの恐れ、とか「まだわかんないんですけど」と言うことが許されていると言うか、もっとちゃんとした方ならきっと、こうだ!と確定しなければならなくなるのでしょうね。
日記ノーサンキュー。加えて言えば、出来れば言いたくないが、私は自分のサイトの日記も、人様向けに面白くしているつもりです。最近出来てないんですが。
ありがとうございました。

安藤そらさん
携帯からだとポイント入れられないですが、そういう読みもあるのですね。共感はしませんけども。
皆様ありがとうございました。
 

[166]一番絞り[2004 08/20 17:38]
>私はこう思いますが石畑さんはどうお考えで書いているのですか?と聞きたかったのです。

いや、あの聞き方は、すでにしてひとつの暗黙の非難、圧力になってますよ。
白く塗った墓みたいな言い方は感心しません。
 

[165]一番絞り[2004 08/20 17:28]
>極端にレベルの低い意見にはツッコミ入れておかないと、この場所全体まで同レベルに見られちゃうので書いたまでデ〜ス

だからずっとそうなのだよ。
いつも世間体や体裁を気にしている。
それなら、気心の知れた仲間でやれよ、会員制で。
そりゃ極端にレベルの低い詩から批評、感想いろいろあるよ。
色々あるのが世の中だよ。
どうしてそう「みんな」(=世間)と少しでも違う異見や姿勢を嫌うのだい?
どうして少々の異和を許容できないんだ?
掲示板には何かしら呪いがかけられているんだよ、そんなもの相手にするな、といって慰めてくれたひとがいたが、
ひょっとしてモラリストの最後の逃げ込み場所になってるのかい? ここは。
そうだとすれば、もはやここで言われている「現代詩」なんてものは絶滅すべきものだよ。
 

[163]有井いずみ[2004 08/20 16:05]佐々宝砂いとう一番絞り片野晃司ボッコ木葉 揺
大きなお世話で言うと、
詩の最終行に「と思う今日この頃であった」という一行を付加すれば、石畑さんのも、ほかの方々のも、単なる感情吐露、事実や風景の過剰描写なのだから、日記の1ページよね。
川元さんが言うように、世界と当たって、新たな発見や認識をコトバにしたものや展開にしたものではないものね。コトバも立たない。発見も展開もない。
詩だと思ってまことしやかに、しかも偉そうに評論とか批評をしてるって、息巻いてるのおかしいね。わたしもこれをどういうつもりで書いたのか、聞いてみたかったわ。もう聞くつもりはないけど。
詩の最終行に「と思う今日この頃でった」という一行を付加して、成り立つものは、詩ではありません。と言っているのは、わたしだけが言っているのではありません。入沢さんも言っているわけ。明治大学の講義やユリイカ投稿欄や、いろんなことで言ってらっしゃるの。。反論があったら、どうぞ真正面からお受けしますけど。それほどわたしもヒマじゃないので、まともな方としかお話するつもりはありませんけど。
批評っ?てゆうか、詩を読みこめない方が偉そうに言わないでほしいのよねぇ。あんたたち、それぞれの自閉の地平で、世界と当たって、触ってみて、コトバにならないものをコトバにしてゆく格闘や思考を続ける姿勢がみられないわ。その姿勢がない限り詩人とは言いません。あんたたち詩を書く行為においても批評する上においても凡そ社会の隔絶したところの世界で、地に足がつかないままね。ウラサビシイ話だわ。また、もう一つしつこく、踏み込んで言うと、
歌うことと、詩のコトバを書く行為は根本的に異なります。敢えてどれも詩だといってかまいませんが、既視感のある退屈なコトバ、世俗に塗れたコトバ、韻律に支配されたコトバ、よね。わたしたちは、もっとわたしたちの言語を解放しなければならないはずです。それが近代以降の詩の歴史でもあったはずでは?そういった意味では、
一番搾りさんの言ってらっしゃる「権威とか権力」というのは、コトバが既存の規範の体系から解放されない不自由なものであることを言いたいのでしょうね。その自由を獲得するためには、ちょっと、あんたたち、命がけなのよ。ま、言っても、多分、認識できないわね。コピーライターのコピーみたいな詩だと称する詩や、オバカなタレントが余技に書いたような歌詞のような詩を詩と称するのを、まともな詩論や比較文学的手法で批評できるわけないじゃん。それらは文学の対象ではなく社会学の対象ね。
みなさん、わたしたちもっとお勉強がたいせつだわね。
 

[160]山内緋呂子[08/20 15:00]有井いずみ石川和広
確かに石畑さんがどんな性的な言葉を書こうが、一番絞りさんの言うように余計なお世話かもしれませんがそれではそこで終わってしまいます。展開がなく、やはりお互い書いてる訳ですから、私はこう思いますが石畑さんはどうお考えで書いているのですか?と聞きたかったのです。
石畑さんにその書き方やめろ、とは言ってません。
多くの方、意見きけたら嬉しいです
 

[159]佐々宝砂[2004 08/20 14:59]
>>157につけくわえ
山田せばさんもね。
 

[158]片野晃司[08/20 14:56]
>>153
「思う」で終わってる文章が「好み」の表明に見えてしまうというのはどこかまずいんじゃないかと思いますが^^;
極端にレベルの低い意見にはツッコミ入れておかないと、この場所全体まで同レベルに見られちゃうので書いたまでデ〜ス
 

[157]佐々宝砂[2004 08/20 14:38]
>>一番絞りさん
もうすこし、読者の気分がよくなる文章を書いてくださいませんか。
罵詈雑言は面白けりゃいいと思うけど(そう思わない人もおりますが)
最近の一番絞りさんの文章は、読んでて面白くないしスカッとしません。
これは一読者としての希望であって、ひひょーや佐々の言葉ではありません。
 

[156]石川和広[2004 08/20 13:29]佐伯
<<154

川元さんの言うのは、モラリズムではなく、女性における表現上の難しさだと思います。別に、かばってるんじゃないよ、あなたとちがう読み方の存在もあるよってことです。
 

[155]石川和広[2004 08/20 13:23]
>>142
別に、落としてはないよ、山田さん。ただ、連と連との関係が、想像力を掻きたてるよりも、もうひとつ、ひとつひとつの行のつながりと、断絶と連なりが、詩的な光景を、浮かび上がらせるのが、少し、光景の連なりと著者の地声が、凸凹が多いもんで、さらに僕は男なので、感情移入しては読みきれない。
 気持ちが先にたちすぎでは?一見、丁寧な叙景、実感だし、彼と歩こうという発語もしたいのだだろうけど、かなり、読み手側に補わせるし、だなと。
 読み手の補い方は自由であるから、僕のような読みも出てくる危険性は、ないとはいえんだろうと。
 しかし、川元さんが、他の作も出してきたので、少しずつ読んでみるのも、本人が嫌じゃなかったら、可能だと感じます。
 

[154]一番絞り[2004 08/20 13:16]
>不毛。
川元緋呂子さん、
不毛といっちゃえば不毛になるんですよ、なんでも。
つまり、まずあなたの場合、不毛があるんです。

ことばをもっと大事に使ってください。

それから石畑さんが性的なことばを頻発しようが大きなお世話だと思いますよ。
そういうモラリズムを振りまく御仁がたくさんいるけど、詩のなかの言語でしょ。
ちょっとは考えてくださいよ、余計なお世話ですよ。

 「視姦」された女性が、その「文字」そのままを見た場合に、
思い出して傷ついたり、もう読まなくなったりするのでは?と。
それで、逆に、「文字そのまま」を出すのは、逆に女性を辱める
危険がないですか?なんておききしたかったです。

冗談じゃないよ、ったく。詩表現への弾圧だよ、これは。
 
 

[153]一番絞り[2004 08/20 13:03]
>ある作品を評価するにあたって一番レベルの低い(つまり他者に通用しない)意見は
>「俺の好みじゃない」という意見だと僕は思う。

だからね、この意見も「思う」に終わっているわけでしょう?
てめえの好み、主観をまず表明している。
「俺の好みじゃない」ということを最初に表明することが、どうして一番レベルの低い意見になるのか、
論理的に説明もしないでね。
天に唾をするようなものだ。
わたしゃね、こう見えても佐々さんに宣言したとおり、いやなやつの退屈な詩でも
いま、一生懸命読み込み中なんだ。
あまりに短絡じゃねーの?
しかし、余計なチャチャが好きだね、おたくも。
せっかく「自由」さを感じさせてくれるスレッドがあったので気に入っていたら
早速やってきて、当人がいうところの一番レベルの低い意見を吐く。
困ったものだ。
 

[152]一番絞り[2004 08/20 12:57]ボッコ
>いんや、そういう「地に足をつける」風なリアリティならいらない。

この「足」という作品の場合、どこかにリアリティを求めなければ、男は
「足を洗うロボット」ということになってしまいますよ。「愛を証す」ロボット。
つまり、わざわざ詩の形式を借りなくても、形式論理でいいことになる。
恋人が相手の「足を洗う」シーンが登場すれば「愛の証」と読み込んでくれる人たちが
いるのだから。つまり、

 女Aと男B、二ヶ月ぶりのセックスをする。
 女Aと男B、セックスのあと休息する。
 女Aと男B、休息のあとお風呂に入る。
 男B、女の足を洗う。
 女Aと男B、お風呂のあと軽い夕食をとる。
 女Aと男B、無言で微笑む。
[スローガン]
 この先を
 私はあなたと歩いてゆく
 この足で

これでいいことになる。
登場人物に「哲学的ゾンビ」を使っているからとうぜん「飛躍」はない。
しかし、ここまで徹底的に形式論理的に書けばかえって面白かったかもしれない。
 

[151]山内緋呂子[2004 08/20 12:40]
>140静謐や抑制を見せるにしても、作者独特のものを書かれる方の詩はあるので

どういうのがそれなのか、わかりにくいですよね。今、浮かぶ例として、そういったものですごいなあと思うのは、
horohoroさん「夏の水族館」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=16648

sekitaさん、「車窓」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=9263

あまり的確な引用ではないかもしれませんが、淡々と描写でも、オリジナリティがあるというか。あまりここでも言うと、こちらの作品の批評になってしまい、何と申したらよいかわからなくてすみません。

石畑さんの他の作品
「上海された」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11699
これはすばらしいと思いますよ。「上海される」という即ゴルさんからの意味つけにくいお題だから、というわけではなく、ありえない設定だからそこに「言葉の跳躍」がある、と言ってるのでもなく、5連、別々のお話なのに、つながっているよう。
ちょっと今会社の昼休みで書いていて、つたなくてすみません。で、考えすぎて、家に帰ってからだと携帯からになるので、多分疲れて寝ます。ちょっとおやすみ。2日ぐらい。もう脳みそのアッパーカット。部位によるカットアップ。おいしいのはどこだ?

ちょっともう体こわしたりとか、いえなくなるかもしれないので、今言っておきますが、石畑さんは、よく作品の中に「セックス」「自慰行為」「視姦」「ヤッタヤラナイ」とかかれますが、私も性的なことを、自分の文章で書いていて、それを、ふくらませたりとか、笑いに変えたりとか、で、性的なことはありふれていて、もっとふくらますことで、楽しいことだったり、残酷だったり、そういうように読めれば、なんて考えていました。最初にかいた、「もっとたくさんおききしたい」という中の一番おききしたかったのはここであって、例えば「視姦」された女性が、その「文字」そのままを見た場合に、思い出して傷ついたり、もう考えるのをやめたりするのでは?と。それで、逆に、「文字そのまま」を出すのは、逆に女性を辱める危険がないですか?なんておききしたかったです。
 

[150]片野晃司[2004 08/20 12:12]石川和広
ぼーっとしている間にずいぶん進んでしまったけれど、
>>130 の件。
ある作品を評価するにあたって一番レベルの低い(つまり他者に通用しない)意見は「俺の好みじゃない」という意見だと僕は思う。
>>130 の意見はまさにそれで、意見として終わっているし、詩の評価としてはなんの価値もない。
 

[149]山内緋呂子[2004 08/20 12:12]白糸雅樹
ちょっといいですか?
>147 そういわれると思ってすぐに消しましたよ。ご発言の前に。

一番絞りさんはそれがいけないんだと思いますよ。消してばっかり。そう言われると思ったから消したってどういういいわけですか。不毛。
 

[148]山田せばすちゃん[2004 08/20 10:12]
>どうして詩を書く人というのはそういう観念的なもの(たとえば聖書)へと目線がいくのかな。
いや、そりゃ、俺と俺の愛人ちゃんの話だけしたって格好つかないからだろうよ(苦笑)
俺は別に格好なんかつかなくったって、今更失うものは何もないけどよ(笑)それでもこういうこと書いてると「奥さんと子供がいるのにあーたらこうたら」となんだか知らないが倫理的に人を断罪しようって手合いが多くってよ、余計なお世話だって言うんだよな、まったく(笑)
そういう手合いを黙らせるのに聖書は有効だったりもするんだよ。もっとも、これとてあなたの疑問に真に答えてるわけではなくって、じゃあ、どうして詩を書く人でそういう「人の作品を内容の倫理性で判断しようとか言う連中」は観念的なものに目がいくのかという疑問は相も変わらず残ってるわけだが、そんなやつらのことは俺の知ったこっちゃねえや。
 

[147]一番絞り[2004 08/20 09:58]
はは。そういわれると思ってすぐに消しましたよ。ご発言の前に。
山田さん、どうして詩を書く人というのはそういう観念的なもの(たとえば聖書)へと目線がいくのかな。
ほとんど病いといってよいかもしれませんな→足を洗う叙述が出てくれば「愛の証」。
「足を洗う」。これはヤクザの隠語にだってありますよ。
まさか、昭和前期の博徒が聖書を知っていたのかともおもうんだけどね。
ま、あなたが「足を洗う」をどう解釈しようがあなたのご自由です。
しかし、それじゃあたりまえすぎて面白くないんです、わたしは。
それだけのことです。
 

[146]山田せばすちゃん[2004 08/20 09:42]
>>145
痴人の愛とはまた、老人性というてめえの土俵に引っ張り上げやすい映画出してきたもんだ、さすがに喧嘩慣れしてるわ(笑)
ところで、今「足を洗う」で映画がなんか引っかかってこないかググってたんだが「犯罪、組織、やくざ、ギャング、マフィア、稼業」を除くとか言う検索条件でがんばってみたんだが、足を洗う恋人同士の映画はとうとう一件も引っかかってこなかったぞ、くそ、時間の無駄だった。

話は余談だが、>>139書くのに、「足を洗う 聖書」でググって見たんだが(俺って誠実だなあ、どうでもいいけど)キリストが弟子たちの足を自ら洗ったというヨハネ伝13章の解釈は
>この教えの解釈としては、人に対して、何かをしてあげることだけでなく、されることも考えよ、ということであろう。たとえば、介護が問題になっている。我々は介護をする側ことを主に考えがちである。しかし、介護をすることだけでなく、介護をされることも考えよ、ということではないだろうか。

・・・なんかスカタン(笑)
 

[145]一番絞り[2004 08/20 09:20]
>144

そおか〜? もう少し映画を沢山見ることだな。仕事に精を出すのもいいが。(笑)
最近ではちょっと気取った映画やドラマにはこの手のシーンは枚挙にいとまがないほど
出てくるぜ。
スケベ男が女の足を洗うシーンを別にすれば。(笑)
 

[144]山田せばすちゃん[2004 08/20 09:18]
>>143
どっちの解釈が妥当だ、なんて俺は言い争う気はさらさらないけれどさ。
>セックスのあと、風呂に入って足を洗い向かい合って簡単な食事をとり、無言で微笑みあう。
俺はこんな映画見たことねえや(笑)
 

[143]一番絞り[2004 08/20 09:13]
>142

えっ、
愛の証として洗われたのかい? 書き手の足は。
たんなる相手の男のスケベの発露としか思われないな〜、おれには。
それも
幼児返り的老人性の。
足を洗うくらいで、かんたんに愛の証なんて安っぽい解釈は、おれはそんなワンパターンはとらない。
それより、ここにあるわざとらしい演技性のほうが注目だし、面白いと思うがな。
映画なんかでも必ずあるパターンだしね。フランス映画あたりで。最近は日本の映画も真似しだしたか。
セックスのあと、風呂に入って足を洗い、向かい合って簡単な食事をとり、無言で微笑みあう。
どこにでもみかける映画的光景だし、これをかっこいいと思えば現実にそれを
なぞってみるだろう。
でも、こういう演技の裏にあるものってとてもさびしいものだろうと思うよ。

最終の連が余計というより、それまでの雰囲気を台無しにしているのは、やはり、倫理スローガンのなかに
中規模の演技性を埋没させちまったてことだろう。
最後にしめくくるというのは、あまりにNHK青年の主張コンクール的で興ざめてこと。
 

[142]山田せばすちゃん[2004 08/20 01:26]ボッコ
>>140
うわぁ、えらいところにまで落とされてるぞ、イシハタ氏(笑)
男は君のこと一人前の人間だと思ってなくって「物神」「人形」として「しか」愛してないのに、それを愛だと感じたいほど絶望的に愛されたいのか、と来たもんだ(笑)それってほとんど中島みゆき「捨てるほどの愛でいいから」じゃん(苦笑)

「足を洗う」という行為の解釈の多様性といってしまえばそれまでだろうが、俺はイシハタ氏の足を洗ったことはないけれど、うちの愛人ちゃんとお風呂に入って、愛人ちゃんの足を洗うことはあるよ。うちの愛人ちゃんも俺の足洗うの好きみたいだし。んでもって俺たちはそういう時にはそれこそこの詩のようにボディソープの泡を丁寧に立てて足の指の間まで丹念に洗ったり洗われたりしてるんだけれど、そこに石川氏の言うような「フェティッシュ」=「物神化」みたいな感覚は少なくとも俺にはないな。もちろんキリストが弟子の足を洗ったり、マグダラのマリアがキリストの足を洗ったりという聖書の出来事をもじっているほどに、俺たちはクリスチャンでもなんでもないのだけれど。やはりそこにあるのは「いとおしさ」という感覚で、俺は自身のその「いとおしい」感情をこの詩に呼び起こされながら読んでいて、
なかなかお互い時間が取れなくってそれこそ
>二ヶ月ぶりに会って
>しばらく動けなくなるくらいのセックスをした
なんていう冒頭フレーズなんて、泣くほど身につまされちゃったりしているのだけどね。
(今月末に会うのよー、なんて俺の近況はこの際どうでもいいけれど)

で、だ。
この詩に出てくる「あなた」と「私」が俺と愛人ちゃんの関係に準じているのかどうかはアレなんだけれども、あくまでも俺はその線で読み込んじゃってるので、どうしても最終連が邪魔なのだ。ごめんね、愛人ちゃん、一緒に歩くのは君と一緒にいるわずかな時間だけなのよ、それ以外の時間って俺は夏休みの宿題を見てやって、工作なんか半分以上俺が作っちゃうような三児の父だし、お布団干し組み立てて頂戴といわれたら二つ返事で庭に出て夏の日差しの下でステンレスパイプ製の布団干しを汗だくになって組み立ててる夫だし、そういうの全部かなぐり捨ててきみと一緒に歩いていくわけにはいかないのだよ、もちろんきみだって、家に帰れば貞淑な人妻なんだろうしさ。ずっと一緒には歩けないから、今こうやって一緒にいられるときだけは互いのいとおしさで精一杯愛し合う二人でいようね、なんて、そろそろ誰に向かってなに書いてんだかあやしくなってきちゃったぞ、おい(笑)

石川氏も川元氏もそれぞれがそれぞれの理由で、この最終連に引っかかっているみたいだけれど、それってつまりはこの最終連がそれまでの一連の詩の構造から突出してしまっているってことの証明だと、俺は思う。一連の構造があるからこそ、読者はそれぞれの解釈を一連のものとして成立させている=それぞれの充填したい内実を作品の空隙に充填していくのだろうけれど、どうしてもみんな最終連でひっかかってる=一連の内実をそこに充填できていないってことは、この最終連がそれまでの一連のこの詩の構造とは違うってことなのじゃないかな?
俺は、だから、あえてこの最終連は不要だ、なんて思い切ってしまいたいところではあるのだけれど。
 

[141]山内緋呂子[08/20 01:08]nm6
お三人さんに大体共通しているのは、「静謐」「抑制」であって、最終連が、飛躍していたり、詩的だ、と。なるほど自分の考える「言葉の跳躍」が、そう捉えると不要なのかもしれません。でも私には、ラストに意外性が感じられないというか、女ごころだなあ、と少し共感します。それ、恋人の男性に言ってそれで終わっていいのでは?と。そういう意味で言葉の跳躍が感じられないと。
そして、静謐や抑制を見せるにしても、作者独特のものを書かれる方の詩はあるので、石畑さん、これはどう考えてらっしゃるのか、と。
#せばさん、批評って書きなれてなくて、紙媒体なら作者、と言ったかもしれないけど、何だかネットだと近しい気がして、「さん」つけた気がします。いや、その前に「作者」なんて言葉用いて批評みたいなこと言ってる自分に違和感。ほんのすこし自責。「さん」つけてもつけなくても同じだ!
 

[140]石川和広[08/20 00:26]
石畑由起子「足」 [http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=12200]について。最後の連が鍵だと思った。私はこういうのもありふれた関係の一コマだと感じ、あるフェテイシュも感じた。男にとり、多分この女体は物神だが、つまり人形だが、それを愛の時と感じる所に絶望的に愛されたいのかと感じた。しかし人形になり愛撫される感覚も快楽なのかも。ただ、そういうツルツル滑る愛の行為の後奇妙に生活がある。だが、最後でいきなり飛躍。胸が熱くなるのが、妙に迫る。多分こんな幸せもあるだろう。
 

[139]山田せばすちゃん[2004 08/19 23:25]いとうボッコ
>>138
いんや、そういう「地に足をつける」風なリアリティならいらない。
タイトルが「足」で、男が「私」の足を洗うという行為を詩の中心に据えるのなら、繰り返しになるけれど、その「愛の証」として洗われた足はけして地に触れてはならない。マグダラのマリアに足を洗われ、香油で清められたイエスキリストの足は、湖を渡ってもけして濡れることはなかったのだから。

川元緋呂子の指摘する(どうでもいいけど川元よ、作者に「さん」をつけるのはやめてくれ、いやそれは単なる個人的な好みだけれども)「脚本的」「淡々とした描写」は、俺としては「足を洗う」行為を象徴として描くために意識的に抑制しているのだ、と捉えたい。「足を洗う」行為は、「二ヶ月ぶり」の「しばらく動けなくなるほどのセックス」に勝るのだ。いや、勝っているからこそこれは「詩」なのだ。
 

[138]一番絞り[2004 08/19 22:36]
石畑由紀子「足」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=12200

これにリアリティをもたせるため、ぜひ、お風呂から上がったあと
男の血圧を測ってほしかった。
「ケ、ケツ圧、きょうはな、なんぼあったぁ〜?」
と男にいわせてほしかった。
せっかく静謐な香り漂う詩篇に、無粋なしちゅえーしょんは興ざめかもしれないけれど、
そもそも女の足を洗うというのは、これは、この男性の精神はかなり幼児化していることを
ぼくなんかにはうかがわせるものでして。
人の足、とくに足の裏というのはこれはもっとも身体で敏感なところでして、
ゴマ粒ほどのものでも、すぐにわかるほど感受性が強い。
そこは本来なら大地といつも接触している。そういう器官です。
いわば地球的な生命を感じる器官です。
こういうところに女体への関心が下がっていくというのは、これは、もう〈老人〉といってよい。
〈若い〉ときには、むしろ関心は上へ上へとあがってゆくのじゃないかな。
ま、いつまでもヘソの下あたりにとどまっている者もいるようだが。
この男性は、ほんとうに老人かもしれない。だからセックスのあと夕方まで腰が立たなかったのかもしれない。
とすると男の血圧はかなり上がっていて、最後の見納めに相手の女性の足に関心がいったのかもしれない。
にしても夕食がカルピス入りの牛乳とは、歯の悪い老人とはいえ遠慮しすぎだ。
もっとも、このようにしめやかなセックスと休息とお風呂のあとで老人が牛丼など食らえば
この書き手がつくり上げようとした静謐なふたりの世界はだいなしだろう。
しかし、「みつめあって笑う」のは、だれかが書いていたようにあまりに映画のシーンを意識しているので
この二人の演技性がかえって将来、危うく思えるしね。
きれいきれいにしてもらった足で、きれいきれいに歩いていってもらいたいのだが。
どーかなー。うーん。血圧だな、モンダイは。
 

[137]石川和広[08/19 20:31]
こんばんは。136の発言のような回答が、帰ってくるのではないかなと考えてたところでした。 一番絞りさん、こんばんは。僕も知人や様々な人たちと、合評をしたり、そこなどで朗読を聞いたりしました。ただ、僕は貴方とは感覚が違うのでしょう優劣ではなく。戦後詩も、面白いものは散見されるなと感じてます。だから少なくとも私には、生きてるものもあろうなと。死体紹介も僕には少しタメになりました。朗読は自分の生の感覚からしか生まれないけど何かのコツはあるなと。それを普遍性としか今の僕には呼べないけど
 

[136]一番絞り[2004 08/19 15:28]ボッコ
石川さん、わたしの>>117の発言は講師の授業方法を否定しているのではなく
そのやり方が単にわたしにとって苦痛であったことを、次の何故? につなげる
ために事実を叙述しているだけであって、どこにもあの講師のやり方を批判した
部分はありません。
また、有名な過去の詩人の作品が「すでに書かれてそこにあるもの」「死体」と
比ゆしたのは、その「場」での、有名過去作家の作品の位置づけです。
その「場」というのは、せっかく呼吸をして今、ぼくの目の前に生きている
他者という不思議な存在があるのに、それを無視する手はないという意味です。
それに比べれば有名過去作家の作品が「死体」にみえるといったのです。
ちゃんと読み込んでいけばわかるはずで、あとでこんな解説をするのは
つまらんのですが、またぞろ、だれかから逃げたとかいわれないようにと
思いまして。もっともなんといわれても構いませんが。しつこいのは困る。
家に帰って、暇なときに個々人が好きな詩を読めばいいと思ったのですよ。
あの学校は、そこらの大学や専門学校みたいに受験のためのチシキをえるため
あるいは、卒業してどこかに就職するため集まるところではないのですから。
血の流れている見知らぬ他者と面付きあわして「生きること」を交換できる、
そういう時間と場がたもたれている、
わたしにとっては大事で貴重な「場」だったということです。

そういう固有の時間と場においての有名過去作家の作品の位置づけです。

いつも「死体」と、とらえているわけではありません。
たとえば、ふだん、暇なときには山本太郎なんかを読みますしね。
ただ、あなたがあの文章を読んで講師批判だと解釈するのは自由です。
自由ですが、あなたには単調な読み取り方が目立つような気がします。
 

[135]山田せばすちゃん[2004 08/19 15:15]
>>133
洗われた足は歩くためのものではないのだ。
つか俺が洗った足ではないけれど(笑)その足で、「歩く」なんて当たり前のこと、実用的なことをしてほしくない、と俺ならばそう思う。
 

[133]山内緋呂子[08/19 06:24]佐伯
雑談スレッド5の540からこっちへ移ってきました。石畑由紀子さん「足」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=12200


起こっていることの、ずっと描写だなあ、と思いました。淡々と描写、それも作者さんのオリジナリティだ、と考えれば、そうなんでしょうけれども、言葉の跳躍が見られないというか。
途中、「飛ばした思いが~かえってくる」と、話手の気持ちに戻りますがそこにも話手の考えがあまり私には伝わらなくて、私から見て、脚本ぽいと。

批評と言うより作者さんに質問なんですが、脚本?と見られることは狙いかなあ?と。もし、「恋人とこの先歩いていく」ことを言いたかったのであれば、一般的考えとして、「恋人」ならいずれいなくなるものであって、存在が。夫でもいなくなりますが。その存在と、これからも歩いていくのであれば、その難しさや、そう宣言する理由、それでも歩いていく、と読む側を納得させること、がここには見られなくて、それもどうして書かれないのかなあ、と。もしここで、それが問題ではないのなら、やはり、気持ちが私には伝わらなくて、日記ぽく見えます。

他の作品についてもおききしたいことがたくさんあって、また書かせてください。
 

[132]石川和広[08/18 23:47]
内容はともかく、とは、一番絞りさん 内容が、問題だと思いますよ。 僕は、一番絞りさん。やはり、手もつけてないのに、吉増を批判した後、買うのも変だなと思う。 まあ、僕は、あなたに、詩をかくものとしての資質を疑われたわけですが、 あと、詩の言葉の生きてる感じを大切にする旨は、賛同しますが、詩の言葉も歴史をもつこと。例えば八十や白秋の歌は、今も歌われてますが、あれらも死んでいますか?どうですか?
 

[130]一番絞り[2004 08/18 21:36]
つくづく批評するというのは怖いものだ。
おのれのアホさ加減がぜーんぶ出てしまう。
等身大のおのれが、すっぽんぽんになって、あらわになる。
そこが詩や詩論と違うところじゃなかろうか。
薄みっともない裸をさらし、人さまに笑ってもらう覚悟がいる。
わたしの場合は、批評なんてものじゃない、批評もどきだが
恥じ知らずに書いている。
それでも、ときに赤面することしきり。穴に入ることしきりだった。
そういう意味で批評をしたOhatuさんやボルカさんは勇気があると思った。
内容はともかく、その度胸には心底、賞賛を禁じえない。

小生は吉増剛造、読んだことがなかったので今日のお昼買ってきた。
『吉増剛造詩集』(ハルキ文庫)。760円也。ブックカバーは付けてもらわなかった。
「付けますか?」なんていわないで「できれば付けたくないんですけど」と言えばいいのに。
おれはやさしいのだ。相手のいわんとするところを酌んであげる。
「頭脳の塔」の「朝狂って」を一読。「合わない!」と思った。
ぼくの趣向とはまるで合わない。ぜんぜんつまんない。意味もわからん。
味もそっけもない。これを批評するとすれば、これは大変だぜ。
うっとおしいぜ。
ただ、あれだな、すぐにピンときたのはこの人の孤独は精巧にできた
作り物の孤独だなってこと。
それこそ詩篇の表題とおり「頭脳の塔」だ。頭によって精密につくられた孤独だ。
こんなものは、もう、うんざり。
戦後、偏差値教育、受験システムの申し子たちによって量産されてきた詩に
表現を競いあった作り物の孤独や絶望や夢や反戦などがある。
もう、いいよ、って感じだ。
これに比べると中原中也なんか、ほんとうの孤独の中にいて、
シュールだけど人の心をつかむ詩を書き、それゆえに、ふつうの読者を獲得したのじゃなかろうか。
よくわからんが、そんなことを思った。

吉増剛造詩集、ひとつ効果があった。数ページも読まないうちにうとうとして
ぐっすり昼寝したことだ。いや、夕寝か。
 

[129]一番絞り[2004 08/18 11:43]白糸雅樹
お盆休みも終わった。
それにしてもくそ暑かった。
ひとつ発見したのは「ダイエットビール」という発泡酒。
ロング缶でわずか25?カロリーしかないのだが、どうやら個人的にかもしれないが
便秘効果がある。てか、排便効果というべきか。
前の晩、ビールのあとに食ったものが翌日の朝あたりにぜーんぶ、出てしまう。
これは快調なり、快腸なり! 団扇ぱたぱたと、これまで一番搾り一本やりだったのを
発泡酒に転換。
安くて、快腸で、お味もさっぱり爽やかとくれば、たまらない発見でし。

*ほかのひとにも同じような効果があるかどうか。
たぶん、小生だけだと思う。買って、飲んで、騙されたとの
苦情を受けても
関知せずである。
 

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