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批評しましょ (創作系)スレッドオペレーター:管理人預かり
 えっと、ひとの批評に対して、別の読みを書きたくても、スレッドタイプで書きこめる場所、あまりねーなー、感想スレで議論しづらいなー、と思ったのでスレッド立てました。議論OK。よっぽどの誹謗中傷でない限り、削除はしません。晒しもんにしますので注意してください。「未詩・独白」および他のスレッド会議室の発言で、作者が批評を期待していない発言への批評はなるべくご遠慮ください。
 一つの読みに対して、他の多くの異論が交わされることを願って。。。。。。
 評を書く際は、該当発言(または作品)のURLを明記してください。

[124]いとう[2004 08/15 09:19]たかぼボッコ
谷川俊太郎について知っていること。

朗読が巧い。
どういう巧さかというと、「定義」を読んで客を笑わせることができる。

インタビューや対談で、テープ起こしの後の原稿にほとんど直しが入らない。
つまり、喋っているときに無駄な発話が入らない。
話し言葉と書き言葉がほぼイコールになっている。

「朗読巧いですねぇ」と言ったら、
「好きと言われるより巧いと言われたほうがうれしいねぇ」と言ってた。
 

[121]汰介[2004 08/14 21:03]
要するに、珍味は本当に通の味なのか、その珍味はその味が分らん人間にとっては不味いだけだし、だから珍味は不味いとわめくのか、実は珍味と勘違いしているだけで、その実本当に不味いのか、、、、
一筋縄で行く問題ではない、と。

後、その珍味も初めは美味いと思わなくても段々美味くなるのか、
その珍味を無理矢理進められて、もう二度と食べたくなくなるのか、
だったらその珍味を食べやすくアレンジしたら食べやすくなって珍味のみでも食べられるようになることもあるだろうし、
そうしていたらその珍味自体も微妙に味自体が変わっていって、元の味が変わった、と嘆くのか、嘆く人自体の味覚が変わっていってしまったのか、、、、
 

[120]汰介[2004 08/14 20:58]
つまり、自分の素性を見せないで、
世間の、自分とはなるべく遠い様な所へ行って、
いきなり前もっての知識なく詩を読んで、
何らかの感動を与えられるか?と言う事なんですかね?

そう言った意味では、物凄い地に足の着いていない頼り無さを感じるのも、
確かに無理は無い、と思います。

言葉で難しげな事を言っていてもそれが分らん人にとってみれば、
何が言いたいんや、この人は!と言うのも仕方ない、と。

が、前も言った覚えがあるんですが、
例えば、勝負事、将棋なら、素人(私もですが)がどんなにその手が訳分らなくても、
勝負がつくので、強い弱いは分る訳です。

一方詩は、それが考え抜かれた故に訳が分らないのか、何も考えていなくて訳が分らないのか、何も考えていないのにも関わらず、訳が分る(?)人間から見ればとんでもなく深い事を言っているのか、訳が分らない、と言うのが、私にとって正直な所なのですが。
 

[119]石川和広[2004 08/14 20:55]たかぼ木葉 揺
>>117
一番絞りさん、こんばんは。僕も、大阪文学学校出身で、細見クラスに、いました。
あんまり、川上明日夫さんとか、日高先生とか、有井さんとか、固有名詞、しかも、あれは、九十九年くらいかな、細見さんが、海外での研究を終えて帰ってきたのは。
 ぼくは、細見さんの名誉も、あるので、それに自分の出たところの、講師の、誹謗とも取れる発言を垂れ流すのもおかしいと感じました。
 僕が感じるに、細見さんは、別に「権威」として、黒田喜夫や、谷川雁や、鮎川を出したのでなくて、細見さんが、詩人として自己形成した過程で読んで、感銘を受けた詩人を紹介したり、今は、知ることの少ない戦後詩の解説で、僕は、ただ、ふーん、そんな人もいたんだなあと思いました。
 僕にとってはツマンナイ詩を、細見さんが熱を込めて、語ったこともありましたが、単純に、もう一番絞りさんの言うとおり、昔、死んだ人も多かったし、特定の時代にしか、通用しなかった人もいた。

 だから、ツマンナイというのは、ふつうだと思いますが、別に、細見さんだって、その後、きちんとやっていたし、皆のことも、ふつうに、丁寧に見ていたと思う。さらに、作品も、おもしろい方もいたし、、、、、、
 それと、リーデイングの話が、何故関係するのかわかりません。

別に、谷川の話と、細見さんの話も、繋がり不明やし、、、、、

失礼ですが、何でも、権威に見えてしまうのは何故かなと。

それと、特定の人を、しかも、関係者しか知らないことを、というか、そんなに、細見さんも、押し付けてなかったし、、

やはり、これは、中傷にしか、とれませんね。

ちゃんと、その場で細見さんにいうのが、よかったのを、ここで、細見さんの見えないところで、批判するのは、変だと思います。

あとは、>>118の方のいうとおりだと思います。それは、権威からではなく、発言者としての最低限のマナーを守れていない恐れがあるということかなと思います。
 

[117]一番絞り[2004 08/14 18:14]たかぼボッコ
佐々宝砂さん、吉増はわたしも嫌いです。
てか、既成の詩人はすべて全否定してます。(笑)

ぼくは大阪の某、詩の学校に三年ほど通ったんですけど、
一年目は若手哲学者で詩人の細見和之が講師でした。
で、この学校は、もともと合評主体の授業なんです。毎回、生徒が
書いた詩を持ち寄って、批評して欲しい人が提出し、全員に配る。
それを批評したいものが批評する。そういうシステムでした。
ところがこの人は、他の講師と違ってその前に三十分ほど、
有名詩人の詩を読んで、それを解説するんです。
これがわたしには苦痛で苦痛で仕方がなかった。いらいらした。
どれほど凄い詩だ、凄い詩人だといわれても全然面白くない。
全然ピンとこない。
べつに反発しているのでもなければ、ひがんでいるのでもない。
ほんとうに面白くないのです、既成の有名詩人の詩が。
これは何故だろうと思いました。
ひとつには既成の詩人の詩は「もうすでに書かれそこにある」ということ、
それがなぜか「死体」のように思われたんです。
ぜんぜん新鮮じゃないんです。
そういう意味では、同じ教室の数十人の素人玄人入り混じった「目の前の」
人たちの、「今書かれた」詩がとても新鮮で、
それがいくら稚拙でも巧妙でも、上手さに関係なく、すべてに、
ドキドキするほどの興奮を感じました。
その興奮に比べれば既成の詩人たちの詩のなんと色褪せたことか、とぼくには映ったのです。
それはポエトリーリーディングというやつの否定にもつながってます。
すでにして書かれたものを舞台に持ち寄って朗読したって、それは演劇行為以外のなにものでも
ないよ、という考えです。
ポエトリーリーディングというのなら、ぼくが「マンドリンのスネカジリ」を書いた
ように、
その場で、即興で書かなきゃ。即興で頭に描いたものを舞台上で朗読しなきゃと思います。
だからそういう演劇行為をポエトリーなにがしといって「闘わせて」いる
谷川らの姿勢が気に入らないことも「エセ詩人」発言のなかにあったのです。
(*そういえば数年前、谷川がアメリカの詩人たちを前に演台上から「ポエトリーリーディング」した映像を見ましたが
これはまさに強烈に印象に残っているほんものの「ポエトリーリーディング」でした。
谷川は突然、演台上で即興詩の朗読を求められ、即興で詩を作りつつ謳いあげたんですが、
まるでそれは知能障害者のように
「かー。か・か・か・かっか、かー、かー」というひどくテンションの高い吃音の繰り返しでした。
ひとまとまりの詩句になってないのです。
ぼくは、「やった!」と思いました。初めて谷川が詩人をあらわにした瞬間でした。
満座は谷川が緊張のあまり気が狂ったのかと、シーンと静まりかえりました。
でも、これが谷川のほんとうの姿なんです。
書斎で気の利いた台詞ばかり書いていたひとが、即興で詩をその場で謳えと要請されて出てくるのは
ほんとうに押し迫ったぎりぎりの「圧力」だけなんです)
ともかくも、
あいや、おまえのような素人には詩がわからんのだよ、と言われれば
それまでですが、ぼくには、ぼくの詩に対する姿勢があってしかるべきだと
いまでも思っているのです。

そうですね、近々、吉増のパロディでも上梓しましょうか。
批評詩ってことで。
 

[116]一番絞り[2004 08/14 17:39]
>内容はなんでもいいですが、自分で「もうやめよう」と言ったテーマで
>発言をさらにするのは、いかがと思います。

また発言内容・態度への規制と強要かい? いい加減にしてくれよ。
どんなテーマであれ自由に発言するよ、おれは。
昼寝くんとの対話は
これ以上やっても不毛だからやめようといったんだ。
新しい内容もないし、新しい展開もないし、退屈なだけだということ。
おまえさんの出る幕ではないよ。
しかし、「世間」と「個人」の問題についてはだれがなんといおうとおれは
いつでもすきなときに自由に発言するよ。
いい加減、その世知辛いお節介くせはやめたらどうだ?
ここだから、きみのお仲間たちからそういうしつこい態度が
許容されているんだろうけど、いい加減、醜(みにくい)ぜ。

みなさん! とはね。笑っちゃうぜ。
「世間」に訴えて、ええ? 何人の人がきみの意見に同意してくれている?
こないだからずっと同一の面子ばかりじゃないか?
星を付けるのは。
山田スレでもそうだ。
要するにきみのお仲間だよ。
そういう特定のお仲間同士でだれか気に入らない相手を
しつこく、交代で文句をつけるような真似はいい加減にしてはどうだ?
恥というものを知れよ。
 

[114]佐々宝砂[2004 08/14 16:27]AB(なかほど)たかぼ田島オスカー
一番絞りさんに言いたいことは、もう、あんまりありません。
議論する気もあんまりないです。むしろ例の詩がいちばん面白かったです。

権威に対するおちょくり、ぼろくそ、貶し、悪口雑言罵詈誹謗のたぐいは、読み手をおもしろがらせないとだめだめですよ。内容の問題でなくて、おそらく技巧の問題として、内容がどうあれ、読者を愉しませないとだめです。たとえどんなに礼儀正しかろうと、どんなに言葉が汚かろうと、面白いものは読まれるし、つまらんものは無視されます。ところで世間には、礼儀正しいうえに中身も興味深い、なのに恐ろしくつまらん書物が存在します。ちなみにそれはキョーカショですよ。フォーラムの散文にもいくらかそういう文章があるけれども、ともあれ私の役には立つので、私はそうした文章を非難する気にはなりません。それでもここでちょこっとくすぐりをいれたくはなります。私はそのてーどには人が悪いのです。

それでも私は一番絞りさんを弾圧する気には、今んとこ別にならないし、ここの管理人とゆーかオーナーである片野さんも弾圧はしてないと思います。

私からの個人的な、一番搾りさんへのお願いは、一番搾りさん自身のぶっとんだ詩作品でもって権威を叩きまくることです。そういうわけで、議論を一時お休みして詩を書いてみたらいかがかしら。たとえばですが、みなさまが褒めちぎる吉増に私は感動できないので、そのへんをくそみそにした詩なんてあったら楽しいぞと思うのです。谷川俊太郎でも我が師と仰ぐ寺山修司でも私のアイドルであるジム・モリソンでもけっこうですし、安西均なんぞを叩くのも楽しいかもです。金子光晴を叩いて、面白い詩作品として成立したら、私、一番絞りさんを真剣に尊敬します。ま、そうした詩を書くにはある程度の敵に対する愛がないとできないのかもしれず、ある意味逆オマージュとでもいうべきものかもしれません。
 

[112]一番絞り[2004 08/14 14:33]
にしても権威をからかい、おちょくり、ぼろくそに貶すというのは
江戸時代じゃ庶民にとってあたりまえの行為だったのだが
いまじゃ、谷川俊太郎を「エセ」「まがい」と口端にすべらせてだけで
これだけ風圧を受ける時代になったか。
しかも「現代詩フォーラム」の掲示板で。
うーむ。感慨深いものがあるなぁ-。
これも受験システムが生んだ(権威への畏怖を示す)感性なのかもしれないが
まっこと、これじゃあー、どう転んでも粒のそろったものしか生産されまい。
どれもこれも似たり寄ったりのドングリ...。
たしか『ドングリと山猫』では、そのなかで一番こんまい、つまらないのが
ナンバーワンなんだということになった。
賢治は、天才だ。

ただ、あれだな、これしきの「世間」の風圧
(本人たちは気がついてないだろけど、いずれ人を殺す思想につながり
戦争を容認する風潮につながるだろう風圧に)
おれが参ったと思っていたのなら大間違いだと言っておく。
これからも谷川は「エセ詩人」だし「クソ詩人」であることを
どこででも、いつでも公言してはばからないことを宣言しておくし、
また、どのような社会的評価であれ、個人の評価を弾圧できないことを
念を押して宣言しておく!
 

[111]一番絞り[2004 08/14 06:57]
昼寝くん(これは愛情をこめて山田さんもあなたに言ってたよね)
いずれにせよ、もうやめないか?
つまんないよ。

わたしには、なんであれ説明を「忌避」する理由は必要ないし
「逃げる」必要も、気持ちもない。
もともとあなたが納得するまでの「説明義務」などないからだし
「逃げ」なければならないようなどんな事態にも遭遇していないからです。

あなたの偏執的な妄想のお付き合いは誠意をもって、もう十分したつもりです。
これでお開きにしましょう。
 

[110]ボッコ[2004 08/13 21:41]一番絞り
議論って難しいですよね。

全部分からせようとしますと、どんどん紛糾しますし。

議論に即効性を期待してしまうことも多いですけど、実際そんなわけにも行かないでしょうし。

ほんの少し、1割でも2割でも、言いたいことが伝われば大成功だと思います。

伝わらなくても仕方ない、もとより全然違った生き方をしてきた他人同士なんですから、

(同じ人間だから、分かり合えるはずだ、と、そういうわけにはいかないかと)

と私は思っています。(たまたま通りすがっただけの、何億分の1なんですから。)


いろんな人が居ます。


なんだろう、なんか上手くかけませんけれど、

どこまで説明するか、説明できるかは、その人、その時々で、本当にさまざまでしょうし。

意見っていうのは多分、

大抵の場合統一する必要のあるものじゃない、のかなとも思いますし、

思い思い論じたいことを論じればいい、

思い思い、それぞれの思いを交換すればいい、

そんな感じかなと、

私は勝手に思っています。



ところで、私は谷川俊太郎、これまであまり興味をもってこなかったので、

どの辺が面白いのか、素敵なのか、

いいところや作品を引き合いに出して、評論してくれる方がいたら、

嬉しいなぁとか、思います。
 

[108]一番絞り[2004 08/13 17:01]
#いろいろ書き直しましたがこれで完了です。(笑)

>107
午睡機械さん、やはり何を仰っているのか支離滅裂で、読むのに苦労しますよ。
こちらでひとつひとつ納得するのに、つまり読み込むのに時間がかかりました。

>?私は、あなたがその「説明」をなんらかの理由で忌避しているように思いました。

説明を忌避しているかどうかはともかく、
「なんらかの理由」で「思いました」とはまた、曖昧な言い回しではないでしょうか。
どうして「なんらかの理由で忌避している」と思うのか、ちゃんと説明するのが最低限の議論の礼儀でしょう。
直感からですか? 偏見からですか? 侮蔑からですか?

>?発言をするからには、説明を求められればできる限り答える、そうでなければ納得は得られない、というのは、当たり前のことではありませんか。

説明を求められれば得とくできるまで答える、そのような関係が、あなたとわたしの間にあるとは思えません。
わたしが谷川俊太郎を「エセ詩人」と感じることについて、あなたが得とくするまで答える義務も、
あなたがわたしに答えさせる関係もあなたとの間にはない。例に挙げたような上司と部下の関係でもなければ
あなたは谷川本人でもない。互いに顔も見知らぬ間柄だからというわけではなく答えるレベルには
おのずと限界があります。
それは、ほら、あなたご自身がわたしの発言に介入してきた、みずからの限界を仰っているじゃないですか。
>対外的に、マニフェスト的な主張を批判の根拠にしたところで、それでは「説明」を求めているひとにとっては
>納得のできないものなのだ、ということを述べようとしていました
のなら、むしろ一般論として、わたしの主張を例に挙げながら、あなたの論旨を展開すればいいのですよ。
そうではなく、すべてを、都合よく、自分の主張のために、わたしに語らせようというのですか?


>?、「何故その立場からなら太いラインで読み込む必要がないのか」ということのほうをいうべきだったのではありませんか

あなたがどのような立場からわたしの主張に反論をくわえるのであれ、まずわたしの主張の論旨を
大筋で読み取る誠意なしには話は進展しません。あたりまえのことです。
それはわたしの意見を「共有しろ」ということではなく、論旨と文章の組み立てとは一体のものだから
論旨を無視してことば使いの不整合性(たとえば語尾の使い方)だけを非難しても意味がないということです。
言語学の問題を扱っているのではないのですから。
 

[105]一番絞り[2004 08/12 10:19]
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=9786「ひとふさの乳房を」
[37]のつづき
 
   ひとふさの乳房を浮かべるしぐさで
   てのひらからはなれてゆこうとする浮力をもつ
   やわらかなコトバの重さの、かぐわしい

コトバには小さな抵抗が必要だといったのはだれだったか。
扉を出ようとして、上着のすそをひっかける釘のようなもの。
伸びきった裾の長さ、立ち止まった静止の姿に、外へ出る勢いが示される。
あるいは、恋人同士が噴水の傍で語り合うとき、それをさえぎろうとする車の喧騒。
それによって恋人たちが、声を聞き取ろうとしてより肩を寄せ合うことになるような抵抗。
そういうものなしには、「このわたしのコトバ」は立ち上がらないものだ。

コトバの劇性は互いに引き合う力の均衡にあるといったのはだれだったか。
そのとき、コトバはただ止っているように見えるけれども
まさにその均衡の瞬間において、
コトバは激しいドラマの只中にあるのだと。

さて、
てのひらで抱えるような重さをもつオッパイ。
その乳房のもつ重力にも逆らって、
コトバは「手のひらから離れていこうとする」。
その「重さ」は「やわらか」く「かぐわしい」。
わずか数行のあいだに転換はつぎつぎと生じ、しかも、コトバを引きとめようとする
オッパイの重力と、オッパイのために離れていこうとするコトバの浮力がある均衡をもって
引き合い、押し合い、立ち止まり、逡巡しつ書き手から離れていこうとしている。
そのようにして離れていこうとする詩のコトバへの愛着と戸惑いと未練が爽やかに綴られている。

   もちろん、意思の向かう先にではなく
   わたしをはなれ、たぶん
   雲のように、見上げる場所へ
   見上げられない場所へ
   あるいは見上げない場所へ

この詩の表題が、改稿前は『雲の城』であったことを考えれば、
近寄れば手に掴むことも見ることもできない水蒸気のかたちつくる城のような、
そのような遠い遥かな場所へコトバは離れていこうとしているのだ。

ま、ここまでは何の問題もない。ただ、目を閉じてさわやかに味わえばよいのだ。
どこにもないことばの魔術に酔えばいいのだ。
とにかくこの一、二連、これまで読んだどんな詩のなかでも
一番好きなフレーズですねんのねん。
(つづく)
 

[104]一番絞り[2004 08/12 09:45]
>この人の発言は
>「みんな」読んでないと思うよ。反応してる人たちって優しいな。見習わなきゃ。
>いつまでもお利口なお子ちゃまですみません。
[99]クリ

ひまだから、このコメントに含まれている「いやったらしさ」の本質を分析してみよう。
結論から先に言うと、
「みんな」が読んでいるか、いないかが重要だと思う感性には、かなり危ないものがあると
わたしは「思う」(笑)
もちろん、できれば自分の主張は「みんな」が読んでくれるほうがいいだろう。ぜんぜんだれも読まないよりは
できるだけ多くのひとに読んでもらったほうがいい。
しかし、たとえ一人でも読んでくれる人がいてくれるなら、そのために書くということも大事だ。
「みんな」に同化させようという空気は、それに同化できないものを排除するという点において
異者・異形排除の論理につながる。
しかし、いまの世の中では同化しない者の排除は表立ってやりにくい。
そこで「みんな」が読んではいけない奴のレスを、読んでいる人に向かってこう恫喝するのだ。
>反応してる人たちって優しいな。見習わなきゃ。いつまでもお利口なお子ちゃまですみません。
「いつまでもお利口なお子ちゃまですみません」←これは、言い換えると、
「読んでいる奴はお利口でない」=「バカだ」と言っているのだ。
暗に「読むな」といっている。
つまり最初の「〈みんな〉読んでないと思うよ」につながることばだ。
この、いやったらしい「村八分の論理」はどこかで見聞きしたことがあるだろう。
わたしは幸いガキ大将だったからイジメに会ったことはないが、いま学校で行われているイジメの
異者排除の幼稚なテクニックのひとつと相似形である。
もっといえばここで使われた「みんな」は、まさに、(偶然としても異様なのだが)
「世間」のことなのだ。

最近の自称「詩人」の方々は「世間」なしでは生きられないのかね〜?
金鐘時ともこないだ会って話をしてきたが、つくづく嘆いていたよ、最近の自称詩人には。
 

[103]一番絞り[2004 08/12 07:13]
[102]石川和広[
>別のスレッドの話を乱入させる、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、なんて。
>[102]石川和広


別スレッドOKなんでしょ、ここは。
そういうひとのためのものでもあるんでしょうに。
たとえば山田スレではそこでの批評への反論は認められていないわけで
別の場所で反論するしかない。
そういうことで開かれているんですよ。
 

[102]石川和広[2004 08/12 07:08]
>>98
私も、もう読んでないよ。けれど、優しいから、書き込んでるのでもないです。

nm6さんは、えらいというより、あまりに、ひどいから、普通に注意したのだと思う。

それと、まず、僕は、今この場で使われている、えせ、という言葉は意味不明だと感じます。
だからといって、それを論及するのも、何だかなあという気がする。
だって、何か、終わっているもの。
別のスレッドの話を乱入させる、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、なんて。

怖いなあ
 

[101]一番絞り[2004 08/12 07:06]
>「みんな」読んでないと思うよ。
[99]クリ

いや、「みんな」読んでくれてます。はい。
ここには何も書かないでもお手紙もいただいてます。
おのれの視点を「みんな」と同置させるクセは
できればやめたほうがいいね。
おそらくきみのいう「みんな」というのはこの板で馴れ合っている
「みんな」のことだろうけど、
きみの知り合いだけが「みんな」というのなら
この板、特別会員制にすればいいのだよ。
不特定多数の匿名の方々が何百人と閲覧している。
そういう人たちに向けて、恥ずかしながらコトバを発信しているのだよ。
愚にも付かないことをいって
おのれがどういう狭い料簡でものをみているか晒すこともなかろう。
 

[100]一番絞り[2004 08/12 07:00]
>一番絞りさん、あの、何であれ、もう少しことばに気をつけませんか。
[98]nm6

そりゃお互い様だと、何度も何度もいってますよ。
ガキじゃあるまいし、わたしがどんなひでえコトバを吐きかけられたかいちいち
言いませんがね。ちゃんと相手の発言も読んでから批判してくださいな。
 

[99]クリ[2004 08/12 02:00]
>>nm6さん
えらいな〜。僕、この人の発言はまったく読んでないから…。
「みんな」読んでないと思うよ。反応してる人たちって優しいな。見習わなきゃ。
いつまでもお利口なお子ちゃまですみません。

似非詩人の定義、簡単です。
「詩わない詩人」
そういう人、いるでしょ。
 

[98]nm6[2004 08/12 00:06]クローバー石川和広AB(なかほど)
横からすみません。こういうところでは基本的にはROMな自分ですが、さすがに酷いと思ったので。

一番絞りさん、あの、何であれ、もう少しことばに気をつけませんか。
ネットだから許されると思われているのか、リアルでもそういう方なのかは存じ上げませんが、
「ボケ!」と連呼してみたり、人の名前を呼び捨てるのみならず名前や作品名のもじりで呼びつけてみたり、
プロフィールを茶化してみたり、などなど、挙げればキリがありませんが、
正直、気分のよいものではありません。
少しなら面白いかもしれませんが、さすがに、やりすぎです。

あなたは、自分が言いたいように言うだけだ、とか、お前の気分を良くするために書いている
わけじゃない、とか、仰るかもしれませんが(勝手な想像ですので違ったらスルーしてください)、
なんだかコミュニケーションとして、あまりに幼稚な感じがします。
どんなに素晴らしい内容のことを書かれていても、
「太い線で」以前に、それでは読む気がおこりません。
キャラとして敢えてやられているのかもしれませんが、
山田さんのような(勝手に引き合いに出してすみません)スマートさもないため、
あまり成功しているとは思えません。

多分、同じように感じられている方も多いと思いますので。
すこしだけ気に留めていただければ幸いです。
 

[97]一番絞り[2004 08/11 19:31]
あらら、またしても珍妙極まりないご意見がみつかりました!
しかし、これは酷い! これに星印つけた方、あなた方は超天才です!

>二点目。私には谷川を擁護するつもりはありませんから、あなたと同じレヴェルで議論
>するつもりも初めからありませんでした。
>つまりどういうことかというと、互いに対立意見を述べ合うわけではないのですから、
>互いの論拠を確認する必要はないということです。
>言い換えれば、私はそもそも谷川批判or擁護の土俵には立っていません。
>ですからあなたが私について、「まずわたしの意見の大筋を理解しようとし」ていない、
>議論に望む際の最低限の条件である「相互理解」の姿勢に欠けると言ったところで、
>それは的外れな批判です。
(>93:下から5行目 午睡機械)


なんだ、こりゃ! 三段論法にすらなっていないではないか!
この程度の出鱈目なごまかし論法、恥ずかしくないのか?
このご文章の結論部分は
>?、議論に望む際の最低限の条件である「相互理解」の姿勢に欠けると言ったところで、それは的外れな批判です。

わたしの意見の大筋を理解する必要はない。的外れな意見だというのが結論。
で、その根拠はというと、

>?私には谷川を擁護するつもりはありませんから、あなたと同じレヴェルで議論するつもりも初めからありませんでした。

つまりどういうことかというと

>?互いに対立意見を述べ合うわけではないのですから、互いの論拠を確認する必要はないということです。

あらら、谷川の評価についての対立意見は述べ合ってませんけどね、確かに。
そんなことはあたりまえのことじゃないの。最初から。
わたしの主張に反論しているわけでしょう? 谷川擁護ではなく、わたしの主張が論理的におかしいといってるんでしょ。
わたしの主張に対する立派な対立意見じゃないですか?

>?い換えれば、私はそもそも谷川批判or擁護の土俵には立っていません。ですから...→?につづく。

「ですから」もくそもないでしょう。???はまったく同じ内容の同語反復じゃないですか。
三段論法でいえば
結論:?
前提:???
てことは前提から結論に至る述部がすっとんでんじゃないの!
あえていえば?に根拠らしきものがあるが、主張の非論理性を付くことは立派な「対立意見」であることは指摘したとおり。
にしても、なんという誤魔化しを平気でやる方なんでしょう!
ちみには良心というものがあるのか!

*午睡君、昼寝はほどほどにしておきなさいよ。

-----------------------------------------

>あなたのおっしゃった「詩はこういうものだと思う」「哲学はこういうものだと
>思う」……論証もないいわゆる「極私見」を展開しておいて、そのあとでこのような
>断言的批判がくるのですか。ここにも「……と思う」と何故付け加えないのですか。
(>93:22行目 午睡機械)

う〜ん、これはもう話にならんな。
なにほどかの主張を行う前に、まず自分が使う用語(今回の場合なら「詩とは」や「哲学とは」)を
自分がどのように考えているか明らかにしておかないと
あとで用語をめぐって延々と枝葉の議論がつづくことはみなさんよく体験することでしょう。
だから、まず自分の使う市販の道具(用語)の意図を限定する。
このわたしは、これをこのように思っていると。
これはみなが色々な用途に使っている道具だから、自分はどのように使うつもりか説明するわけだ。
それが「〜と思う」の語尾の意味です。
しかしその道具(一般用語)を使って生産されたものは、わたしの生産物であって一般的な道具(用語)ではない。
もちろん、わたしが「思っているもの」に違いない。だが、いちいち「〜と思う」と注釈しなければならないほど
一般的なものではない。
道具とわたしが作り出した生成物をいっしょにされてはかなわない。

> しかし、谷川は詩の形式を借りて哲学的な洞察を書くことにより、
> 哲学的にも中途半端、かといって詩も中途半端なものを書き続けてきた。
> その詩の構造はある意味で「非論理的」(な姿勢)であるといってもよい。

↑これがわたしの生成物(結論)。だから、「〜と思う」という語尾はわざわざ付けなかった。
もちろん、このように「思っている」のですがね。

*この比ゆがわからなければ、午睡君、きみとはもう議論しないよ。
あ、そうか、きみが相手にしてないんだったな。じゃあ、面倒はいらない。

#再度、書き直しました
 

[96]一番絞り[2004 08/11 16:33]
>94

ボッコさん、こんなつまらない雑文をていねいに読んで下さりありがとう。
書き込むのもたいへんだったと思います。
 

[95]一番絞り[2004 08/11 16:19]
掲示板という機能には限界があって
まとまった谷川論を展開しろと強要されてもなかなかむつかしい。
「エセ詩人」というのは心の中でぼんやり思っていたことを吐き出してしまったもので
主張というほどのものではありません。
谷川のひとつふたつの詩を挙げて詩論を展開すれば、それはまさしく谷川の固有の詩の作品論になり
かれの作家としての位置づけから逸脱してしまうことになるかと思い、
あえて具体的作品は出しませんでした。
それなら何もわからんぜ、というのならそれこそ掲示板の与太話の延長と受け止めて軽くスルーなさればいいのです。
たしかに精密な論証プロセスを欠いたものであり、正当性がないといわれればそうであることを認めざるをえない
雑なものです。しかし、
「谷川はエセ詩人」「谷川のような詩人もどき」という与太発言について大雑把すぎるかもしれませんが、
わたしなりにデッサン的な感想は書きました。
これを一読して、感じる人もいれば感じない人もいる。
その程度のものでしょう。
ピンと感じる人はああ、なるほどなと受け取って自分の知見の中で吟味するでしょうし
感じない人は「何をいってやがる」で十分でしょう。
わたしはこのような限られた板のなかで相手に完璧を強要するその姿勢が気に入りません。
もちろん、力不足もあるかもしれませんが、掲示板における感想や論理の展開というのはそれこそゆっくり、
じわーっと広がってゆくものなんです、わたしの場合は。
一週間あるいは二ヶ月かかるかもしれません。
そのとき書けるものができれば書くし、書くにはまだ熟していなければ書きません。
まえの谷川についての感想は確かに雑ですが、いわば覚書のような断片です。
これから発展してゆくところの端緒です。
それをいちいち重箱のすみをつっつくような反論を返してくるようでは応答すらできません。
まず太いラインで読み、ぼんやりした主張の要点の核心を突いた質問が欲しかった。
そうすればわたし自身にとっても勉強になったわけです。
罵声はお互いさまでしょう。ボルカが、一番絞りがどれほど酷いことを言ったか、なんてことを
いちいち持ち込んでいれば書くことそのものができません。
よって、今後とも谷川のことをここで書くとしても、山田スレの延長ではなくあくまでの自分の気分で書きます。
また、書かないかもしれない。
こういう形式で書け! と己のスタイルで書くことを強要する相手には今後とも一切関与する気はないことを申し上げておきます。

#追加

ただし、谷川俊太郎の名誉のためにも、ちゃんとした谷川エセ詩人論は書くつもりです。
 

[94]ボッコ[2004 08/11 15:23]一番絞り
横レスですみませんが。
>>93
ついでの部分を読んでいて少々気になったこと。

> 谷川が、哲学的な断章を詩の形式を借りて書くこことにより、ある意味、
> 戦後日本人に共通の
> ものごと全般に対する姿勢や態度の「あいまいさ」を
> 詩の世界にも、持ち込んでしまったと思うからだ。
> なんとなれば詩とはそもそも行と行の間に「未だ見ざるもの・あらざるもの」を創り上げる作業であり
> 行間から「未だ見ざるもの・あらざるもの」を読みとる作業だと思うからだ。
> 哲学とは、「いまだ見えざるもの」をだれにでもわかるコトバ(指示表出)によって
> 現前化させることだとわたしは思っている。                             …ここまで(1)
> 哲学は行間に言葉を埋め込むような作業ではあってはならない。
> それらは明らかにだれにでも理解できるかたちで「すでにあるもの」として現前化させねばならない。   …ここまで(2)
> しかし、谷川は詩の形式を借りて哲学的な洞察を書くことにより、
> 哲学的にも中途半端、かといって詩も中途半端なものを書き続けてきた。
> その詩の構造はある意味で「非論理的」(な姿勢)であるといってもよい。               
曖昧で大雑把ではあるんだろうけど、この文章自体はそれほど無論証的なものではないですよね。全体として、論証の形式を取っています。小前提等の部分を立証する証拠を、事細かに提出してはいないというだけの話です。

この(1)とか(2)は少しきり方が変で、引用文だけから言えば、
「詩の世界にも、持ち込んでしまったと思うからだ」までが(A)
「なんとなれば詩とは」から「読み取る作業だと思うからだ」までが(B)
「哲学とは」から、「現前化させねばならない」までが(C)
「しかし、」から、「「非論理的」(な姿勢)であるといってもよい」までが(D)
と区分した方がいいんじゃないかと私は思います。

(A)までは、谷川俊太郎が「哲学的断章を詩の形式を用いて書いた」という(一番絞りさんの思うところの)「事実」が指摘されている部分。
(B)までは、「詩」とはどのようなものであるか、という、一番絞りさんなりの「定義」が示されている部分。
(C)までは、「哲学」とはどのようなものであるか、という、一番絞りさんなりの「定義」が示されている部分。
(D)までは、(B)(C)の定義に照らして、どっちから見ても谷川俊太郎の書いたものは中途半端であり、それゆえに何れの側面からも「ある意味で非論理的」であるという「結論」を示している部分。


(B)(C)の定義に、(A)の事実を当てはめると、(D)という結論が導かれると言うわけで、論証として形式上おかしいということはないように思います。


(B)とか(C)の、詩や哲学の定義の部分について、争いが生じうることは確かですが、この辺は個々人の相違が当然に大きいところです。一番絞りさんはその点この部分について自分なりの定義をはっきりさせているわけで、議論を提起するにあたって最低限必要な誠実さは(暴言等指摘されていることは措いて、この部分に限定した「議論」としてみた場合には)示されているのではないでしょうか。それに、(B)の方は分かりませんが、(C)の方は結構普通の認識だと思います(存在と無とか、普通だったら全然気にしないようなほんの少しの単語の意味をよく見えるようにするために、何百ページもの大著を書いたりするわけですからね、哲学では)。


ということで、これに反論するには、(A)の事実認識、もしくは(B)か(C)の定義の両方或いはいずれか片方、を、論駁しなければならないわけですが、午睡機械さんの反論はそうではなくて、
「これでは谷川俊太郎の全体像は捕まえられない」という反論です。けれどもこれは少し公平を欠いているかなとも私は思います。ある詩人の全てを追及することなど、大抵のアマチュア読者には、かなり困難な仕事だからです。どんな批評をするにせよ、大抵の場合、自分が切り取った一断面を前提に、論述を進めざるを得ないはずです。そして、一番絞りさんは、(A)の事実認識において、谷川俊太郎の「どの側面」を取り上げるかを、ある意味最初から限定しているともいえるわけです。

(A)が谷川俊太郎の全ての側面ではない、という批判は勿論可能でしょう。けれども、(A)を取り上げるトピックの前提として規定し、(B)(C)の自分なりの定義が示されている限り、(D)という結論は、「論理的な」「論証」だと私は思います(哲学としても詩としても中途半端だから、良くない、というのは成立可能な批判でしょう。勿論反論は可能ですが。このどっちつかずさこそがいいんだ、とか。けれどもそれを主張するならそれにも「論証」が必要でしょう)。谷川俊太郎の他の側面もある、この他の側面について議論してくれ、というのなら、それがどのような部分なのかは、反論を提起するほうがある程度具体的に限定して、指摘する方が良い(議論をスムーズにするものでもあるでしょうし、その方が親切でしょう)と私は感じます。漠然と、「谷川俊太郎はそれだけじゃない」と言われても、それでは谷川俊太郎の全てを論じ尽くさない限り一番絞りさんは何も主張ができないことになるわけで、それはちょっと不公平かなと。何となく思いました。
 

[92]一番絞り[2004 08/11 09:13]
えーと。
あまりに幼稚で、ひどい反論なので放置しておいたら、たぶんわたしが「逃げた」と
思ったのでしょう、
答えろ! 卑怯だ! 怯んだか! などとさまざまな揶揄が跳んできた午睡機械さんの問題のレスを
ちょっと暇つぶしに、どこが「ひどい」か指摘して、わたしの議論に対する基本姿勢をみなさま
(山田スレでワンワンうるさかった方々)にこの機会にお伝えしておこうと思います。

わたしのこの基本姿勢はニューススレにもURLを示して、そこを参照し、議論の基本姿勢をご勉強くださいるよう
広くご伝達申し上げているのですが、午睡機械さんや、あほの過程、いや、あおの過程さん、ボルカさんは
ご存知なかったのでしょう。
さて、わたしの意見と午睡機械さんの反論を山田スレから引用して以下にコピーさせていただきます。
*
これほど曖昧なかたちで書かれた批判はない。こんな文章なら私にもすぐに書けま
すよ(いやな気持ちを抑えつつ、という条件つきですが
あなたは

> 谷川が、哲学的な断章を詩の形式を借りて書くこことにより、ある意味、
> 戦後日本人に共通の
> ものごと全般に対する姿勢や態度の「あいまいさ」を
> 詩の世界にも、持ち込んでしまったと思うからだ。
> なんとなれば詩とはそもそも行と行の間に「未だ見ざるもの・あらざるもの」を創り上げる作業であり
> 行間から「未だ見ざるもの・あらざるもの」を読みとる作業だと思うからだ。
> 哲学とは、「いまだ見えざるもの」をだれにでもわかるコトバ(指示表出)によって
> 現前化させることだとわたしは思っている。                             …ここまで(1)
> 哲学は行間に言葉を埋め込むような作業ではあってはならない。
> それらは明らかにだれにでも理解できるかたちで「すでにあるもの」として現前化させねばならない。   …ここまで(2)
> しかし、谷川は詩の形式を借りて哲学的な洞察を書くことにより、
> 哲学的にも中途半端、かといって詩も中途半端なものを書き続けてきた。
> その詩の構造はある意味で「非論理的」(な姿勢)であるといってもよい。               …ここまで(3)

  と、まず初めに「〜と思うからだ」「〜とわたしは思っている」というような語尾
を く用いていますね(1)。そして次に「ならない」
  「ねばならない」というマニフェストめいた断言否定命題がくる(2)。最後にそこ  を踏み台にして谷川批判を行う(3)。
  しかし(1)はその語尾からも察しがつくようにあくまであなたの主観でしかないも  のです。そしてまた(2)の断言否定もただ語勢が強
  くなっただけで、(1)で示された主観の(あるいはマニフェストの)域を出ていな  い(というか、あなたが、哲学を語るのですか?)。
  したがって、文章の核であるはずの(3)などは、その論理の土台(1)(2)において  まったく説得力がないばかりか、谷川の詩の具体的な一
  部分(あるいは詩集の題名)の引用すらないため、読者はその批判の正当性を判断す  ることができない。
  あなたの文章はそういうものになっている。私はあなたがそれを確信犯でやっている  のかどうかお伺いをたてようとして、前レス>>56
  おいて「むしろ、説得しようというおつもりはもとよりさらさらないのかも知れませ  んが、そのあたり、どうですか。」と書いたのです。

  だが、あなたはそれに答えず(というよりは私の文意がわからなかったのでしょ    う)、あまつさえ私を谷川のファンと決めつけ、まともに
  取り合わなかった。
  「あーたが腹が立とうが知ったことではありません」とのことですが、私は腹も立っ て いません。あなたに対して立てる腹などありませ
  ん。そうではなく、私はあなたの、批評における態度を問うているのです。もしもあ ら かじめ説得力を持たせようという気があなたにない
  のなら、私は今後あなたの全発言をスルーするつもりですが、もしあなたの周りがそ  んな読者ばかりになってごらんなさい、そうなればあ
  なたの批評は機能不全なものになるのではありませんか。
  (というわけで、きちんと書かれた谷川批判をお待ちします。)
*

この反論を読んで、わたしは改めて、本気で、「アホか!」と怒鳴りつけてやりたい気分なのです。実は。
しかしdisgustingなその気持ちをあえて抑えて、取り上げたくもないこの愚劣な反論をあえて取り上げ、わたしが
なぜこの反論に反応することを拒否したか説明しておこうと思います。
まずわたしは、午睡機械さんのこの反論を一瞥して、すぐにいやーな気持ちになった。
どうして人の意見を
「太い線で」読もうとしないのか?
ということだった。わたしはわたしなりにこの発言にかなり重い意味をこめている。いろいろ個人的不満がわたしにあろうと
そこを抑えて、わたしのその考え方の核をなんとか読み取ってやろうという姿勢を見せずして、
この方は最初から! 形式論理的な揚げ足取りに終始している!
曰く。
>(1)はその語尾からも察しがつくようにあくまであなたの主観でしかないものです。
あたりまえだろうボケ! おのれの主観でなくして何を言えというのだ! 犬ころみたいにおたくの気に入った
芸当をしろというのか! とわたしは内心あきれ返った。
>(2)の断言否定もただ語勢が強くなっただけ
>3)などは、その論理の土台(1)(2)において  まったく説得力がない
こういうった形式論理的な揶揄がつづく。
ニューススレで「議論のモデル」を示したように、議論というのはあくまでもその主張の妥当性を巡って
争われるものだ。日常の議論、公の場での議論、科学的議論と三つの段階があるとして
前二者は科学的議論のように数式を用いて完全な結論なり結果が実証できるタイプのものではないのだ。
〜と思う。〜と思わないレベルのものでしかない。しかしこのお方はこうのたわまく。
>読者はその批判の正当性を判断することができない。
正当性の是非? ふざけるな! と内心叫んでいたね、わたしゃ。
午睡機械さんは、まずわたしの意見の大筋を理解しようとしなかったか、出来なかった。
そのことによって、まずツールミンの議論モデルでいうところの「論拠」をわたしと共有できていない
ことがわかる。
いままで、このトビでなされた議論の文脈であえていうとわたしとは「世間」を共有していないということがわかる。
ということは、まず議論がこのままでは成り立たないから、互いの論拠の、つまりは
「世間」の確認作業から始めるという
時間のかかる対話からはじめなければ成らないということを示していた。
また、かれがどういうレベルの議論をしているか本人に自覚がないことから、議論そのものについて
懇切丁寧に教えてあげるところから始めねば成らない面倒くささがあった。
だからわたしはかれの反論を無視したのだ。
相手の意見の「大筋を理解しよう」という姿勢が見えなかったし、そのような不誠実なやからが、
わたしの不誠実をなじっているという戯画もうっとうしかった。
それを「逃げた」ととったのか
ワンワンとうるさくなったので、たまらなく、ほんとうに逃げ出した。
これらの方々に改めて言っておきます。
わたしは相手の意見を「太いラインで」読もうとしない連中から、議論を強要されるのも、返答を強要されるのも
今後とも完全にお断りします。はい。
 

[91]汰介[2004 08/10 23:23]
でも、詩はやはり、紙媒体で読んだ時でも違和感無い様に想定してなければならないのかなあ、とも思います。

紙媒体を想定した時に、なんじゃこりゃと言うのは、何かに依存し過ぎなのではないかと。
紙媒体を想定した時点で何か冷めた視点、と言う物を与えられ、
その中で通じる物が出来やすいのかなあ、とも思ってみたりします。

んな事必要無い、と言う人はそれはそれで良いんでしょうけども。

ただ、紙媒体を想定した時点で、手抜きはばれるでしょうね。
何せそれは自分の時間の中で一対一で対峙しますし。

と、言う事は、プリントアウトして見たい、と言うのが、
魅力のある詩、と言う事になりますね。私の場合。

なんで、今更こんな事を言うのか自分でも分りませんが(笑)。

それでは、オヤスミナサイ。俺はさすらい人か(笑)。菩提樹は何処だ?
 

[90]汰介[2004 08/10 22:30]石川和広
>この作品を安易に、詩だと思うなという、概念化するなという
>変な詩読み?たち、への警告と。

>そして、いろんな人に、もっと詩は、詩よりすごいもの、ここでは、自然とか
>家族への、自虐スレスレの賛歌が語られている。

しかしここをよく読むと、詩なんか読むより、生の自然や家族の方が良い、
自分はごく自然に普通に書いているのに、斜め読みするな、とも取れなくは無い。

が、でもそれでも矛盾します。
まあ、理屈で読むな、と言う事でしょうかね。
読んだ事が無いので(スイミーはあの人の作品でしたっけ?)
いまいち意図が見えにくいのですが、即物的解釈で考えて見ました。
 

[89]汰介[2004 08/10 22:20]
>>88
ゴメンなさい。「知っているふりをしているが」
実は、谷川俊太郎氏は殆ど読んだ事無いのです。

しかし、「詩人のふりはしているが」と言う言葉ははありましたね。
思い出しました。

私も色々な人の間に交じって「詩人(芸術家)のふり」をしていますが、
いったい詩人(詩人に限らず芸術家は)は、どうすれば自称で無くなるのか?

そう言う作者自身の詩に対する厳しさもあるのですかね?

「詩人のふりはしているが」
この言葉で中和されて柔らかくなって冗談にも見えますが、、、、

多分作者に直接聞いても本当の答えは返ってこないのでしょうね。

多分厳しさを隠す厳しさ、なんでしょうかね。

まあ、何れにせよ、見た目以上に複雑な感情がありそうです。
それとも、私の考えすぎか、どっちかです。
 

[88]石川和広[2004 08/10 22:01]
>>78及び>>82の方、失礼します

の引用の二行の間に「詩人のふりはしているが」
という行が入ってました。

あんまり、谷川について、こだわる方がいて、僕もそうかな。
で、議論になっているんだけど、既に、谷川や、それを取り巻く世界
について、語られていて、谷川について、これだけ、「現代詩フオーラム」
で語られているのは、すごいなあと。

谷川はすごいなあ!まだまだ、詩人だねえ。

「詩人のふり」して、「詩人ではない」という作品を書く。

この作品を安易に、詩だと思うなという、概念化するなという
変な詩読み?たち、への警告と。

そして、いろんな人に、もっと詩は、詩よりすごいもの、ここでは、自然とか
家族への、自虐スレスレの賛歌が語られている。

谷川は、詩に敬意を払っていて、暗いけど、きもちいい。
でも、そんなこともどうでもいいやって感じにさせる力が怖い。
 

[84]一番絞り[2004 08/10 18:20]
>81
石川さん。
80の続きを言うならば、〈世間〉というコトバには巧妙なカラクリがあると思うんです。
ずいぶん昔、差別についていろいろ初歩的な勉強をしているとき、
「差別とたたかうことは隣近所とたたかうことだ」ということばにぶつかりました。
どうして隣近所とたたかうことが,
ほんとうに差別とたたかうことなのか。
権力が相手じゃないのか。天皇制が相手じゃないのか。国家権力が相手じゃないのか?
そう思いましたが、そうじゃないという。
反差別を訴えるとき、アピールするとき、天皇制や国家権力などを槍玉にあげるほどラク
なことはないのです。
それをいくら批判し、非難し、ぼろくそにいっても
現代の社会構造では、相手も傷つかないし、己も絶対に傷つくことのない馴れ合いの言説なのです。
ためしに、天皇制やブッシュ政権をクソみそに非難してみなさい。いまでは賞賛が待ち受けているばかりです。
それによって急に給料が減ったり、人間関係がぎくしゃくしたり、友人をなくしたり、投獄
されるようなことはまず考えられない。
現在、一番、強烈にきつい行為とは、差別や権力に対抗するため、隣近所の無知や偏見とたたかうとき
そこに生ずる軋轢に耐えることなんです。
ふだん差別反対を唱えている人が、自分の娘が黒人や朝鮮人と結婚するとなると急にしかめつらをしだすことがある。
あるいは近所に精神障害者の施設やホームレスの避難所ができたとたん、かれらの擁護をしないで沈黙する。
かれらの擁護にまわったとたん、〈世間〉の風圧が待ち受けており、子供は学校でいじめを受けるかもしれない。
それでもこういった無知偏見に挑むことのできる反権力標榜者や反差別標榜者が何人いることか
怪しいものです。
それは、そういった〈世間〉が実はもっとも具体的に怖ろしい反撃力をもっており、じつは
それに歯向かうときに、はじめてその奥深くに生成させているところの権力や権威の反映があるからです。
これはそれこそ、骨身にしみる戦いでしょう。
だから、賢い人は〈世間〉との戦いを回避する。そして、天皇制や国家権力やブッシュを批判して
安全で無傷のまま〈世間〉の賞賛を得るという図式があるわけです。
こういった〈世間〉受けのする言説を、わたしは「ジャーナルな言説」と呼んでいます。
わたしが谷川を詩人もどきというとき
かれがジャーナルな詩人であるということが無条件に非難の要素として含まれています。
これは上記のような考え方から直感的に降りてきた知覚かもしれませんが、
ジャーナルであることには必然的に権力に擦り寄っている側面を内包せざるを得ないのではないかと思っているからです。
もし谷川が「わたしは詩人ではない」といったとすれば
(実際、あの詩を読んだ感想としても)
それは「ジャーナルな詩人」である立場を否定したかったのではないかと、わたしは受け取ったのです。

それから
>本気って何でしょうか?あなたは、ホンネとタテマエみたいなもので、言葉について考えてるの?

本気とホンネはまるで意味は違うのだけど、いずれにせよ、
「自分で問題を出しといて、途中で放り投げる」気はもうとうありません。
これからだということでは、あなたと同じ気持ちですよ。
あまり、焦らないでじわーといきましょう。
 

[83]汰介[2004 08/10 17:14]
結局何を以って「詩人」とするのか?
と言う問いなのかなあ、と思います。

どうでも良いが、雷がなってる。

地震、雷、火事、親父。
 

[82]汰介[2004 08/10 17:09]佐々宝砂一番絞り山内緋呂子
「本当のことを言おうか/私は詩人などではない」

これ自体がある種の化粧っ気とでも言うのか、詩的な表現だと思います。
かと、思うと満更嘘でもなく本気だぞ。とも見える。
或いは何らかの怒りにも悲しみにも見える。

言葉の後ろで、感情がぐるぐる動いている、と思いました。
 

[81]石川和広[2004 08/10 17:00]佐々宝砂たかぼ
>>80

そうかなあ。
太宰治がね、人から「世間は、それを許さないよ」といわれた時
間髪いれず
「世間って何だ?それは君の意見じゃないのか」

言い返したらしい、そういう記憶があるんだけど
どう思いますか?


それと
>>79
>本気
って何でしょうか?
あなたは、ホンネとタテマエみたいなもので、言葉について考えてるの?
山田さんは自白といい、あなたは告白という。
しかし、その、谷川の述べるところの、記号の受け取り方が、言葉を書くものとしては、
そんな簡単に本気だとか、嘘気だとか、今までのやり取りはどーなるとか、、よくいえますな。
そこから、谷川のことを考えるスタートじゃない?今まで、谷川は、何考えてるかわかんないとも言われてきた。だから僕は、谷川が本質的な批判者をもたないと言ったんだ。
あなたは、自分で問題を出しといて、途中で放り投げるんですか?
 

[80]一番絞り[2004 08/10 14:20]
>77
>別のスレッドでの細かいいさかいの経緯とかを持ち込まれてもよくわからないけれど、
>批評の方法とかスタンスの話として、「世間」っていう見方は面白いと思うので、
>もう少し話を続けて欲しいなぁ。

小生も細かい、いさかいの経緯抜きに、このスレッドでは〈世間〉ってものを真面目くさって云々したかった。
基本的に〈世間〉てのを、だれかが、だれかを諌めるために口にするとき、
それは自分が所属するところの権威のことなんだよね。
しかも権威てのは威力によって守られ、威力によって支えられているものだ。
つまりは権力そのものだよ。
その辺をもうちょっと展開したかったが、能力不足もあるし、
ランラン乱入者が車に乗って「ぶー」とやってきたから、ちょっと興ざめた。
ま、しかし、自業自得か。パロディみたいな詩書いてしまったものね〜。
 

[79]一番絞り[2004 08/10 14:09]
>78

ありゃあ、そうでしたねー。ありましたね。
あの詩で谷川は本気の意味で告白してますよ。
少なくともわたしはそうとりました。
とすると、こりゃまあ、いままでのやり取りはどーなるんでしょうかね。
 

[78]山田せばすちゃん[2004 08/10 13:52]いとう佐々宝砂
すいませーん
谷川俊太郎自身が「本当のことを言おうか/私は詩人などではない」と自白している、というネタはガイシュツでしょうか?
 

[77]ボッコ[2004 08/10 13:20]佐々宝砂
>>67

別のスレッドでの細かいいさかいの経緯とかを持ち込まれてもよくわからないけれど、批評の方法とかスタンスの話として、「世間」っていう見方は面白いと思うので、もう少し話を続けて欲しいなぁ。

世間の意見に一致するとか一致しないとか、べつにどっちが「正しい」っていうのを決めるのが批評の目的じゃないだろうし(一つの見方としては)。一石を投じればいいのなら、その投じ方にどのような表現方法をとっても良いわけだし(どれかのレベルの「世間」の常識を尊重しながら論じても、最初からそれに反するようなことをずばっと言ってしまっても)。色々計算した上でそれをする人もいれば、殆ど本能的にやるひとも、単にずれてるだけの人もいるだろうけれど。発言してる人が実際そのどれかなんて、ただ傍で聞いているだけの人にはあんまり関係ないし。

価値を評価して、決定するのが批評の目的だというのなら、批評はあるレベルの「世間」の暗黙の合意を探り出して、それを言葉にするだけのものになる(一つの見方としては)。そんなことなら投票制にでもしてしまった方が早いわけだし。

個人的には、作者を論じるにせよ、作品を論じるにせよ、批評の基準は「価値」でも「世間」でもないような気がする(勿論批評家として固定的な読者を得たい場合に、特定の価値の擁護者や、特定の世間の価値観に通暁することはあるだろうけど、たんにそうでないアマチュアがする場合には)。

じゃぁ何か?って言われたら、私にはよくわからないけれど。作品に対する二次創作のような形で、自分の経験とかを作品に投影して別の読み方みたいのを出していくのもありだろうし、或いは自分自身で十分明確化されてない自分の思想とか体験をはっきりさせる、それを表明するための手掛かりとして作品を読むようなことをしてもいいのかもしれない。或いは、他の作品や作者と比較して、どのへんに特徴があるのかをいかにも文「学」のように客観的に論じてみてもいいのかもしれない。或いはそんな崇高じゃなくて、もっと単に、自分の好きな作品とか売りたい作品を読んでくれる人を増やすための、CMとして、上手くその作品の良さとか素晴らしさを語りまくるような形でもいいのかもしれない。他にも何か多分あるんだろう。
 

[75]一番絞り[2004 08/10 12:25]
>70

>対話なんか全然成立していませんよ。
>品性下劣ですね、まったく。

ボルカさん、対話は成立してないというけれど、
わたしに関して、ひとつの認識に達したじゃないですか。
品性下劣。
浄土真宗では下品下性(げぼんげしょう)っていうんですね。
そういう人がだれよりも早く浄土へいけると。
とてもうれしく思います。
 

[74]石川和広[2004 08/10 11:16]
>>73
安藤さんの発言の引用を間違えました。申し訳ない。

>世間を尺度にするのでなく

でした。訂正します。
 

[73]石川和広[2004 08/10 11:10]
>>71
>世間を尺度にするのに、違和感を覚えました

そのとおり、だと感じます。

そして、また、谷川は、鉄腕アトムの作詞もしているから、世の人も、あのうたを知る人は、例え、谷川作だと知らずとも、多いと思います。


安藤さんではなく、他の論者の方が、権威主義に反感を覚えるのは、日本の世間というものが、そう動いてる部分、例えば、二世議員等、ありますから、わかります。僕も疑問がある。
 
 だけど、作品をどう味わうかは、この国の個々人、そして、わたしたちが、つくる文化に任せられていると考えます。
 もちろん、世間の影響の中に、私たちは生きてもいますが、その中で感じる思いは、ひとりひとりあるはずです。

 一番絞りさん、権威批判は、読みましたから、きちんと谷川の作品を論じてみてください。その中で、あなたが、どう感じたかを聞きたい。

 たとえば、葦書房の、「樹林」の433号に、谷川と木澤豊氏の対談が出ていて、谷川の作品の一語一語を引用しながら、質問していき、谷川の言葉に対する考えを、彼自身の言葉から、明らかにしていくという方法もあります。ご参考まで、、
 

[72]佐々宝砂[08/10 04:14]たかぼ
私は、どうしても世間のことをうまく考えられないタイプなので、レスを避けてきましたが、安藤そらさんの指摘は大切なものだと感じました。詩人そのものがエセかどうかを問題にするよりは、詩そのものを問題にするほうがいいような気が私にはします。

谷川俊太郎の詩、確か落首99に(うろおぼえ)、ニセとホンモノとどこが違うんだというような内容の詩がありました。限りなくホンモノに近いニセモノはニセモノなのか、限りなくニセモノに近いホンモノはどうなのか? そんなような詩でした。少なくとも、骨董の世界においては、ニセモノとホンモノをきっぱり決めてしまって「いい仕事してますねー」と断言しちゃう人がいます。そういう「断言しちゃう人」は世間一般というより、権威そのものです。詩の世界では、そういう権威がいるのかどうか、私には知ることができません。そもそも詩人というものは割に権威を嫌う傾向にあります。私も実はあまり好きではありませんが、ほんとに詩の権威というものがいるなら、反抗の矛先がきっぱり決められるのでラクでいいかもなあと妄想したりもします。

私個人は詩人を名乗っています。谷川俊太郎も詩人を名乗っています。私の大好きなロック・アーティストであるジム・モリソンの死亡届には、「歌手」とは書かず「詩人」と書いてあったそうです(彼自身が書いたのではないと思いますけど……)。もちろん世間認知のレベルは甚だしく違います。私なんかこのリストに載ってはいかんと思います(当たり前か)。

最近なんかやけに正直になっているのでどんどん書いてしまいますが、エセ詩人って、わるい存在でしょうか。寺山修司は、中井英夫に「贋物の金貨」と称されました。寺山は基本的に書き替え作家ですから、「贋物の金貨」と言われても怒らなかったでしょうし、もしかしたら、むしろ喜んだかもしれません。私も書き替え作家の部類なので、エセ詩人と呼ばれても別段怒る気にはなりません。「そのとーりよ」とほざいてしまいます。しかし谷川俊太郎はどうでしょうか。谷川俊太郎の詩作は、他の詩人と較べた場合、ものすごくバラエティに富みます。「ことばあそびうた」から「おまんこ」まで、「定義」のような前衛詩から「落首」のような社会諷刺詩、さらには鉄腕アトムの作詞まで。書き換え作品も多少はあると思うのですが、作品だけを読み返してみると、谷川俊太郎はエセ詩人という言葉にふさわしくないタイプの詩人のように思いますし、また、権威という言葉がふさわしい詩人とも思えません。単に知名度が高く、人気があるので、一番絞りさんのターゲットになっているような気がするのです。

ただ、私にはうまくまとめられません。さらに話がずれちゃいました。ごめんなさい。
 

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