生贄合評スレ[264]
2008 06/11 14:35
たもつ

子どもって親の思うとおりには行動してくれませんよね。ましてや小学校を卒業した
あたりの年頃になると。
映画や漫画のように、親としては格好良く人生を示唆する台詞のひとつでも決めたい
ところだけど。それこそ桜を見上げながら。
でも、まともに聞いちゃいないし、すぐ飽きて勝手に話をさえぎろうとするし。
それらしいことを言って悦に入るという大人の自己満足を見透かしているように。
そういう意味でのリアリティには乏しいかな、とは感じるけど、それとは別に生きて
いることの違和感、とかリアリティを感じる部分ではあるなあ、と。
「間違ってる」って何が間違ってるのかもよくわからないまま、ああ、間違ってるな
って日々感じる。もちろん、それは単なるセンチメントかもしれない。それは語り手
だって、読んでる僕だって、充分「卑怯」だとはっきりわかってることなのに。
結局少女はいなくて(生きて遠くにいるのか、もう亡くなっているのかよくわからな
いけど)、そう考えると少女の存在にリアリティを求めること自体、間違ってるかもし
れない。その不存在は「間違っていない場所」や「間違っていないこと」がある、と
いう確信なのではなく、そういうものがあって欲しい、という願いのようなものなの
かもしれないませんね。
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