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批評しましょ (創作系)スレッドオペレーター:管理人預かり
 えっと、ひとの批評に対して、別の読みを書きたくても、スレッドタイプで書きこめる場所、あまりねーなー、感想スレで議論しづらいなー、と思ったのでスレッド立てました。議論OK。よっぽどの誹謗中傷でない限り、削除はしません。晒しもんにしますので注意してください。「未詩・独白」および他のスレッド会議室の発言で、作者が批評を期待していない発言への批評はなるべくご遠慮ください。
 一つの読みに対して、他の多くの異論が交わされることを願って。。。。。。
 評を書く際は、該当発言(または作品)のURLを明記してください。

[249]田代深子[2004 09/14 07:40]佐々宝砂
くそう、出遅れた。

> 244
> 外面であろうとも内面であろうともその好ましいとされている属性を規定するのは属性の
> 持ち主である女ではなくって、属性の買い手である所の男が勝手に決めているのだ、とい
> う更なる欺瞞が待ち受けている

 うん、そう。そうなんだけど、でもがらんどうさんの読みはかなり面白かった。てゆー
か痛快だった、わたし的に。ここらへんとか。

> 243
> これは「女もまた男を選別する」「男も商品である」という当たり前の事実が可笑しかっ
> たんですよね。


 さて、チアーヌさん、あははははははははーしょうがないやねー まあ山田氏の言うと
おり、作品というものは作者の手を放れてしまえばもう取りもどしようはない。持ってい
ていいのは社会的経済的利権としての著作権くらいのもので、「正読」なんてありえない
し、書かれたいきさつなんて、一部マニアにしか関係のないものなんですよ。私は少なく
ともあなた個人がどんな仕事をしていたかなどにはまったく興味がない。あなたがどうい
うつもりで書こうと、作者の「つもり」よりもっと面白い読み方を、われわれ読者は力を
尽くしてすべきなのです。だから心してお書きください。そして思い切りよく手放す。こ
こに名乗りを上げるなら、自分も一読者として解釈してみればいいだけのことで。

> 246
> 上に見るとか、下に見るとか。そういう視線だって、あるようでないんじゃないかなぁと、
> わたしは思います。そのときの状況があるだけ。場面があるだけ。

 「あるようでない」と言ってしまえばだから、「ないようである」ということもまた事
実となる。その二重性を意識することは、おそらく「倫理」のうえで重要だし、作品にもっ
と多層性を与えることを可能にするだろう。べつに倫理的になれというわけではない。こ
の倫理というやつはクセ者なのだ。なにしろ他者最優先なのだから。
 「状況があるだけ。場面があるだけ。」という自己防御の言い訳のなかに、さまざまな
暴力が隠蔽されているのだ、その隠蔽に荷担することによって、自分も暴力を行使してい
るのだということを、常に自覚していく。自覚しながら書き続けていく。それがせめて、
ものを書く人間には必要な覚悟だと私は考えているが、どうだろうか。

 たとえば「理ばかり先に立って、セックスに理屈をつけるような批評というのは、痛がっ
ている相手に無理やり捩じ込んで…」というような、いかにも情緒的な物言いで、言語化
を妨げようとする態度は暴力ではないのだろうか? たしかに山田氏のチアーヌ氏に対す
る書きっぷりは、明らかに頭ごなしでそれこそ暴力的だった。しかし少なくとも真摯に何
かを読みとり言語化していくという態度に、やんわりと素手で口を塞ぎにくるような、そ
れこそエロス的接触によるからめとりは、ものを考えるということすら罪悪のように周囲
を黙らせる。
 セックスは理論ではないかもしれない。しかし作品を読むことは作者とセックスするこ
とではない。それはどんなに望んでも言語によって妨げられる。だから、言語で作品の奥
深く入っていくより他にないのだ、ということを、私は考えている。

 これはロゴス偏重なのか。どうしてもそうなるのか。…こうしたトラップにいつも引っ
かかるから、私はフェミニストではない、といつも言うしかないのだ。

(こうしてばたばたみっともなく生きることは虚しいか? ふん。「虚しくない」と決め
るのは自分しかいないのだから、自分でそれをできなければ、ただもう虚しくなるだけだ
ろう。そうしたらもう「虚しい」なんて言葉も出やしない状態だ。指一本動かす気にすら
ならないだろう。どっちにしろ「虚しい」なんてありきたりで手垢のついたこっ恥ずかし
い言葉、冗談としてしか口にしないし、詩にも使わないけどね!)



ああ まとまりのねぇ文章だなぁ とりあえず仕事に行かねばならん
ここで書いた人! お利口さんに黙って引っ込んだりしないでよねっ
 

[247]山田せばすちゃん[2004 09/13 22:46]佐々宝砂
>>なんか漠然としてますが、こんなところで。

本当に漠然としてますこと。
で結局何をおっしゃりたいのでしょう?

たとえば三行目「この詩は」以降のこの詩の成立過程を綿々と書いた上で、で結局何なんですか?そういう過程を経ている、いうなれば粗雑な作品なのだから、大目に見ろ、とか、まさかそんなことはおっしゃいますまいね?チアーヌさんの中でどのような紆余曲折があったかなんて別に俺は興味はないので、なぜここにこんなこと書かれるのかが理解できませんでした。ひとつだけ個人的な感想を言わせてもらっていいならば、ああ、この人は人前に自分の書いたものを投稿して載せるという行為については、この程度に無責任で、この程度に覚悟のない人なんだなあ、ってところですが、むろんその感想と投稿された作品の評価を連動させるつもりもありません。

で、「解説」以降ですが、「人間」には「いろんな面が」ある、というのはチアーヌさんに言われるまでもなく、みんな知ってると思いますよ、で、だからどうだというのですか?俺をはじめ田代さんも、かの寿星さんも誰も「この詩には人間のいろんな面が書けてない」なんて批評はしていませんよ?つかそんな要求を詩にするほうが間違っている、と俺は思います。そういうのは自然主義小説かなんかの大長編でやるにふさわしい作業であって、むしろ詩はその「いろいろな面」の一部を如何に鮮烈に切り取ってくるか、というタイプの文芸なのではないでしょうか?チアーヌさんご自身も
>>この詩は、実際に何度か経験した「こういう場面」の、切り取り貼り付け切り張り、で出来上がっています。
とおっしゃっているのだし、俺はその切り貼りされたひとつの側面に関して、批評を行っているわけだし。それともチアーヌさんはそういういろんな側面があるということで、俺が「鈍感」と断罪した、詩の語り手であるところの「彼女」を擁護なさりたいのですか?それは「心の動き」は「たくさんある」でしょう、親父思考にシンクロしながら、そうじゃないことを考えている事だって容易に想像は尽きますよ、でもだったらなぜ、この部分、この側面をチアーヌさんは詩に書こうと思ったんでしょうか?どこかにこれを書くべき必然性が、チアーヌさんの中にはあったということなのではないでしょうか?その必然性の根拠をこそ、俺は見据えた上で批評書こうとしているわけですよ。話がちょっとずれますけれど、俺は最近寝しなに「鬼平犯科帳」を読みながら寝ちゃうのが癖になってるんですけど、その中で火盗改方長官長谷川平蔵は「悪いことをしながらどこかで善行を積もうと思っているのが人間だ」なんてことをおっしゃるのですが、でもそういう「いいこともする悪い人」はまさに悪いことをしたという一点で鬼平に斬られちゃうわけでね、たとえそれが一面に過ぎないとしても、「鈍感」な部分があったらそこは「鈍感」であると非難されるのは理の当然ってもんでしょう?
でさっき書いた必然性ってやつですがね、チアーヌさんはこうも書いていらっしゃる。
>>、「今日はこっちの面で行こう」と、意識はしなくても、自然に面が動いていく。
さてここですよ、「自然に」動いちゃうこと。
自分もまた「モデルちゃん」たちと同性であって、その限りにおいては「親父思考」の対象であることをきれいさっぱり忘れて「自然に」シンクロしちゃうこと、意識しないこと。そういうところをまさに俺は「鈍感」と呼びたいわけでね。

んで
>>。チャームポイントなんて、非常に流動的なもので、あるようでないんです。
っておっしゃってますが。流動的だから、ないなんていうのは明確に嘘ですね。正確には流動的だから「確固とした万古不易のチャームポイント」がないというだけで、チャームポイントなるものはその場その場にきちんとあるんです、しかも、流動的だけれど、変わらないものもある、それは、チャームポイントが男側のリクエスト、もしくは男がこれをリクエストするであろうと女たちが想定したコンセプトによって成り立っているということです。もしそれが本当はない、のならなぜ、本当はないものをあるようにして、モデルちゃんたちはチャームポイントを申告させられねばならないのですか?ない、ということと、ないのかもしれないけれどあることにされちゃってること、とは明確に状況がちがいますし、ましてや、ないのかもしれないけれどあることにされてるという状況そのものをないことにしたがっている、なんていうのは論外です。

あとね、作者だから、という理由で批評の場に踏み込んでくることはできればやめていただきたい。作者だから作品については誰よりも詳しくてその意見がどんな批評家よりも作品の本質に近い、などというのは迷妄です。批評のあるべき姿は、作者の知らなかったことまで作品の中から紡ぎだしてみせる事の成否とその手際とにかかっているのですから。
 

[246]石川和広[2004 09/13 16:40]
>>245 生きている虚しさ 虚しいのに、なんか仕事して生きる。まあ、少し、変わった現場ですが、そうでもないかもしれない。

笑いという点から、いうと、ニーチェのいう最高度のニヒリズム。信じてないものを、それでも生きるということかな?そこから、生じるなんだかなあという笑いというか。

ああ!関係ない評だったかも。そうでもない??
 

[245]チアーヌ[2004 09/13 13:49]
いちおう、この詩についてのこと、わたしからもひとこと、入れておきますね。
せっかく取り上げていただいたようなので・・・。
この詩は、ポエニークの中の即興詩のコーナー「即興ゴルゴンダ」http://poenique.jp/からお題をいただき、書いたものです。
タイトルが先で、そこからの発想で書きました。10分くらいで書いたものなので、自分で読んでも、あちこち直せるかな?直したほうがいいかな?とは思いますね。もう少し、書き込んでもよかったのかな、と。ただ、わたしとしては、それほど掘り下げたいテーマでもなかったので、そこまでするつもりはないのですけれど。書くとしたら、別のかたちで、別の詩で、似たテーマで書くと思います。

解説、じゃないですけど、わたしはむかし、こういう現場で働いていました。
この詩は、実際に何度か経験した「こういう場面」の、切り取り貼り付け切り張り、で出来上がっています。
で、そうだなあ、何から書こう。
人間というのは、いろんな面がありますよね、「今日はこっちの面で行こう」と、意識はしなくても、自然に面が動いていく。
オーディションの場での、最初のいやぁーなイジワルな突っ込み、そういう突っ込みをしちゃう面があれば、それとは別に、冷静に仕事のことを考えてふさわしい人を選ぼうとする面があって、またまたそれとは別に、この子とは友達になれそうだな、とか思う同じ女の子としての自分がいて。それは男女関係無く、みんなそうなのだと思います。ルービックキューブ(古い例えかしら・・・)をがちゃがちゃ言わせる感じでね。
上司の思考にシンクロする場合もある。ただそれは同じ仕事をするスタッフとしてね。それとは別の思考も「別の面」として同時に存在しているだけで。
最後の、「見えないところにあるんですよ」というのは、完全に冗談で、見えないところだろうが、見えるところだろうが、わたしはそんなことどうだっていいと思います。どこだっていいのです。冗談、というか、この場合「見えないところ=無い」ということがニュアンスとして伝わるといいなぁと思いました。チャームポイントなんて、非常に流動的なもので、あるようでないんです。わかりやすいところで言ったら、わたしが中学生くらいのころって、眉毛が太い方がかっこよかったのに、ちょっとしたらみーんな細い眉にしちゃったりね。化粧法なんて、すぐに変化しちゃう。体型だって、少し前までだったら「痩せすぎ」と思われていたような体型が、今はきれいに見えるでしょ。わたしだって、痩せたいし(笑)あと、内面的な面も、田辺聖子さんのエッセイで読んだのですが、戦前までの「やまとなでしこ」っていうのは、女から見ると非常に気持ち悪い存在だったようです。なぜかというと、みんなで「我慢合戦」状態になっていたから。でもその当時は、やっぱりその当時の「いい女」といわれたくて、みんながんばっていたらしいです。だから、チャームポイントの概念や価値観なんて、そんなものじゃないのかな。
男目線とか、女目線とか。そんなの影響しあって変わっていくことじゃないのかな?それこそ面をがちゃがちゃ言わせるみたいに。
だから、最後、二人とも笑ってる。
どっちも本気で尋ねてないし、本気で答えてない。男も女も上司も部下も。

「チャームポイント全調査」というタイトルから浮ぶもの。
それは「オーディション」だったんです、わたしの場合。
だって、調査しちゃうんですから。履歴書みながら。それも、普通の履歴書じゃない。めんどくさいので、詳細は省きますが。
鬼畜のような突込みだって、冷静な視線だって、気の合いそうな女の子を捜す気持ちだって、同時に存在してる。その中で「チャームポイントってなんでしょう?」
「そんなものはないんです。」(あるんだけど、ないんです。)そんな、複眼での自問自答。誰にでもある。きれいごとですまない心の動き、たくさんある。

上に見るとか、下に見るとか。そういう視線だって、あるようでないんじゃないかなぁと、わたしは思います。そのときの状況があるだけ。場面があるだけ。

なんか漠然としてますが、こんなところで。
 

[244]山田せばすちゃん[2004 09/13 02:12]佐々宝砂
243
だから俺が「シンクロ」といい、田代さんが「エロス的関係」と規定したところの、虚構の価値観を共有しているというもしかしたら一方的な、あるいはかりそめの、「合意」、という読みは落とすなよ。

「彼女にするんなら性格もよくないと」って、君もまたオーディションの持つ虚構性が俺に指摘するような二重底になっているという構造を理解できないで、男目線の内に着地しちゃうんだよな、いい加減気づけ、この虚構性はチャームポイントが外面か内面かという倫理的な着地点のまだ下に、外面であろうとも内面であろうともその好ましいとされている属性を規定するのは属性の持ち主である女ではなくって、属性の買い手である所の男画勝手に決めているのだ、という更なる欺瞞が待ち受けていることにって、そういうことに気がつかないからこそ、男は男としてやってられるんだろうなあ、などと、男にしてフェミニストという非常に不便なところにいる俺としてはそう思うのだった。
 

[243]がらんどう[2004 09/13 00:36]佐々宝砂
田代さんの読みからいくと、この語り手は「男」と読んだ方が自然な気がします。
オヤジの価値観に同化した女ではなくて。
田代さんが書くように
>(このさい上司が男で部下が女とは限らない)
わけではありますが。

>すなわちこの語り手は公的場に私的価値観を持ち込んで悦に入っている

これは「自分の女」を選別する目線ですよね。
見えないチャームポイントが、目に見えるものに優先するというのは。
「公的な選別の基準はわかってるけど、俺の好みじゃないなあ」
という感じではないですか。
「彼女にするんなら性格もよくないと」

>調べたりするもんじゃないだろう

つまりは、他人から評価されるもんだろう、という。
それは「モデルとしての商品価値」を評価されるのと同時に、
「女としての商品価値」を買い手である「男」に評価されることである。
で、その買い手である男っていうのは、つねに主観的な俺であるわけで、
公的な基準がどうあろうと、オレ流なわけです。
「選ぶのはあくまで俺なんだから、俺の好みも内面も知らないお前が調べたりすることは出来ないだろ」と。
(当然、公的な選別の基準にもとづくチャームポイントは調べることが出来る、というのを踏まえた上で)

>モデルちゃんたちが帰ると
>みんなで話し合う

にしたって、
「お前はどの女が好みよ?」「ヤルだけなら3番すね」的な、
それこそ私的な方向での話し合いも同時に行われていることでしょう。

そういう方向で
>「お前のチャームポイントはどこだろう?」
>不意に話しかけてくる上司の声に、
>「見えないところにあるんですよ」
>と笑って答えてみた

>上司も笑った
を読んでみると、
これは「女もまた男を選別する」「男も商品である」という当たり前の事実が可笑しかったんですよね。
それが当たり前ではない公的な選別の場が前景に再び現れることによって。
「そりゃ、俺の商品価値は<みえないところ>にしかございませんが、ここはそういう場ではないでござんしょ」と。
 

[242]田代深子[2004 09/13 00:20]
>フェミニズムは負け犬の遠吠えとか言われちゃうんだろうって、そういう話ですかい?

いやいや そんなかたるには落ちないぜー(笑)
だって上司が男で部下が女とは限らないしさ
わたしはフェミニストでもないしさ
ここで「鼻持ちならない」し「妬ましい」のは
権威を盾にした無頓着さなんだからさ
ふふふーんだ
 

[241]山田せばすちゃん[2004 09/12 23:55]
>なるほど鼻持ちならない。
>が、これは幸せそうで妬ましいからなのかもしれない(笑)
 
わははは、田代さん、うかうかとそういうこというからさ、フェミニズムは負け犬の遠吠えとか言われちゃうんだろうって、そういう話ですかい?
 

[240]田代深子[2004 09/12 23:42]佐々宝砂
よっしゃ 乗ってみようか

チアーヌ「チャームポイント全調査」について

 「お前のチャームポイントはどこだろう?」
 重箱の隅をつつくようなことだが、あまり会社の上司が女性社員に向かって「お前」と
呼ぶことはないと思うし、この質問自体がすでにセクハラ発言として訴訟にかけられても
おかしくないものだ。まあべつに、この詩にセクハラが含まれているとかいないとかはまっ
たく問題ではなく、ある種、作者も意図していないであろう下世話な読み方ができてくる
ことに気づく。
 すなわち、この上司と語り手の部下(このさい上司が男で部下が女とは限らない)はデ
キている。

  「お前のチャームポイントはどこだろう?」
  不意に話しかけてくる上司の声に、
  「見えないところにあるんですよ」
  と笑って答えてみた

  上司も笑った

 とすると、ほら、エッチな感じに読める。「よし、見せて、付け根までね」といやらし
く突っ込みたくなる。と、いうところで、山田氏の《絶対に思考が親父とシンクロしてるっ
て。で、シンクロしてる自覚がない分、やはり鈍感なんだという結論は変わらないと思う
よ。》という指摘が効いてくる。ここで表象される「親父」は、壮年の男性を指すもので
はない(と、私が勝手に決める)。家庭や企業における主要な経済活動の担い手、それゆ
えに発言力と(建前であれ/小規模であれ)権威を有する者である。この権威者と私的エ
ロス的シンクロを果たし、その結びつきにより自らに権威を付与することができればこそ、
語り手は審査され篩にかけられる「モデル」たちを、まったく筋違いな価値観で計ること
に耽りこみ、自己肯定的な結論をつけて満足していられるのだ。
 そもそもこの「オーディション」の目的は何か。商品広告のイメージガールか、企業イ
ベントのキャンペーンガールなのか。チャームポイント「目」「足」と並んで「天然ボケ」
が登場するのは何故なのか。そのオーディションで、モデルがモデルとして職を得るため
に強調するべき「チャームポイント」は、その美的イメージなのである。それは細い足、
大きな目、また全体として醸し出される小賢しさのない雰囲気、どのようなものでも構わ
ないが、絶対にメディアの表層=平面として理解されやすい「時代的美」でなければなら
ない。

  「性格がいい」なんてことや
  「思いやりがある」なんてことは
  二の次三の次

なのは、まさに「当たり前」であり、

  チャームポイントってなんだろう
  とりあえず
  調べたりするもんじゃないだろう
  ふつうは

「ふつう」に理解される微細な「チャームポイント」である必要はない、職業的条件とし
ての「チャームポイント」なのであって、だから「キビシイ」審査の目にさらされる。
 くり返しになるが、この上司と部下はデキている、と考えるのは、語り手(部下)の職
業的・社会的無頓着さによる。すなわちこの語り手は公的場に私的価値観を持ち込んで悦
に入っているわけだが、なぜ私的価値観がモデルたちの冷徹な商業的美に優ると信じてい
られるかと言えば、彼女たちの持っていない「権威(山田氏風に言うなら親父)」の後ろ
盾を、エロス的に確保している(と本人が信じている)からだ。しかもモデルたちにとっ
ては現在まったく関係ない、内面的美によって(と本人は信じている)。
 なるほど鼻持ちならない。
 が、これは幸せそうで妬ましいからなのかもしれない(笑)
 

[239]角田寿星[2004 09/12 02:14]石川和広
わかりました。この詩から感じとったことは、ぼくも山田さんも大差はないようです。
ただ、そこからまったく逆の結論を導いていることは興味深い。

確かに前半の叙述は悪意に満ちています。ほとんど人でなしといってもいい(ゴメン
ね、チアーヌさん)。
ただ、それと上司との対話は別個だと思うんだよね、ぼくは。心に麻酔をかけるのは、
自覚的ではなくむしろ無自覚的な処世だから。優越感とか侮蔑(というよりぼくは羨望
の裏返しだと思うけど)に混ざって、「たく、なにやってんだろーなーおいらは」的な
感情もありますよ、人間なんだから。それが笑いの真相だと思います。
山田さんの仰るとおり、その二重構造を深く突っ込んで書けてはいないよね。本当の意
味では自覚はしてないのかもしれないね。

うーん、あとは、自覚してないことを「鈍感」と取るかどうかの論点になっちゃうのか
な?それはあまり面白くなさそうですね(苦笑)。ありがとうございました。
 

[238]山田せばすちゃん[2004 09/12 01:41]
俺は別にポリティカルコレクト目指して批評かいてるわけじゃないので、嫌悪感の正当性を保障してもらおうとは思わないんだが(苦笑)
いや、かの寿星さん、だったら、それぞれのチャームポイントに対する彼女の悪意とセクハラの混じった突っ込みは何なのよ?まさに親父が憑依してますって(笑)これで「モデルちゃん」を馬鹿にしてないって言うんだったら、それは喧嘩売ってるの?っていいたくなるくらい、しっかり、彼女は侮蔑してる。選別の過程を詳らかにすることで明らかに自らが選別する側にいることに変な優越感みたいにを抱いてる、じゃなかったら、「厳しい」を「キビシイ」なんてカナ書きするもんですか。
俺が言うオーディションの欺瞞の二重構造に、確かに彼女はうすうす気がついているのかもしれないし、別にはなっから「モデルちゃん」って馬鹿ねー、がこの詩のキモではないとは思うよ。でもなんていうんだろう、二重底なのかもしれないのは気がついているけれど、二重底の底まで検証してるとは俺には思えない。着地した先が見事に親父の倫理性の中にあることも、自覚的な処世術であるとは俺は思えないもん、絶対に思考が親父とシンクロしてるって。で、シンクロしてる自覚がない分、やはり鈍感なんだという結論は変わらないと思うよ。
あなたが言う「乾いた大人の笑い」も俺には「反省のない親父の空虚な笑い」に思えるし。
 

[237]角田寿星[2004 09/12 01:21]
>>236 補足だ補足。

確かに、かなりイジワルな詩ではあります。モデルちゃんに対するツッコミとか、けっ
こう品物扱いしてて、まあこりゃ「仕事だからシビアに」つーよりも、同性ならではの
ヤッカミとか、いろいろ入っていそうだねえ。
ただ、世の中を上手に渡るには、心のどっかに麻酔をかけておかないとやってけないん
だよね、実際。だから答えを合わせたり、笑ってみたり、「鈍感であることを演じてみ
せる」、そっちの方にぼくは着目したんだよね。

だから、「彼女は鈍感」つーのは言い過ぎです、山田さん。これがぼくの結論ね。
 

[236]角田寿星[2004 09/12 01:09]
>>235 反論。こういう批評は山田さんの芸風なのかねえ…。

この詩に対して、山田さんが嫌悪感をあらわにするのは正しい。
なぜなら、そういう意図を持った詩だから。

最終部での彼女と上司との笑いはけして調和的なものではなく、ヨソ行きの御愛想と皮
肉が混じった、乾いた「大人としての」笑いなんですよ。
つまり彼女は鈍感ではなくて、山田さんの言及しているオーディションの欺瞞に気付い
ているんです(アウシュビッツ云々まではよう知らんが)。
だから上司のセクハラまがいの質問に答えて「みた」んです。上司の考えてる(だろ
う)ことに答えを合わせた。それはいわゆる「結論」ではなくて、もちろんのこと品定
めをする側の優越感でもなくて、まあせいぜい、ちょっと謙遜の混じった処世なんで
す。
彼女が「モデルちゃん」をバカにしてるとはぼくは思えないけどなあ。
 

[235]山田せばすちゃん[2004 09/11 23:32]佐々宝砂
んだば、そろそろ次の詩でもやるべえか。
というわけで、チアーヌさんの「チャームポイント全調査」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=19252&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D764

のっけからもう言っちゃおう、あーやだ。

何がやだといって、モデルオーディションという現場自体がやだ。
それってまるで奴隷市場みたいなもんでさ、売り場に並んだ奴隷たちがそれぞれの用途にどれほどふさわしいかを語らされるように、「モデルちゃん」たちは自らの「チャームポイント」について語っている/あるいは語らされているわけで、それは「商品」としての「モデルちゃん」たちには至極当たり前のことではあるのかもしれないけれど、その「商品」としての美点であるそれぞれの属性、つまりは「目がきれい」だとか、「天然ボケ」だとか「足」がきれいだとか言うのは、実は彼女たちが己が身に備えていると信じている、「女」として好ましいとされる属性で、その虚構性をいちいちこの詩の語り手はさも得意げに突っ込んで見せているわけだ。でも実はこの「チャームポイント」の持つ虚構性は、「モデルちゃん」たちが自らそう思い込んでいる、あるいは自らを商品にしてしまうことでそう言わされている、というだけの問題ではなく、それらの属性が「女」にふさわしいとされている事自体にあるのだけれど、狂言回したる語り手の彼女がその点にまで思いが至ってないことは明白だったりするのでそこで俺はがっかりしちゃうんだよなあ。

「チャームポイントは」「ふつうは調べたり、申告したりするもんじゃないんだ」というフレーズから、かろうじて彼女はチャームポイントを申告させるということ自体の虚構性に気がついているようには見えるのだけれど、そこから導き出されるのは「チャームポイントは見えないところにある」というつまんねー結論だけであって、つまりは「チャームポイントは外面ではなく内面なのだ」という、虚構性をさらに誤解して、内面という「見えないところ」に美徳を求める退屈な倫理に着地するところまでしか、彼女の考えは及ばない。及ばないからこそ、彼女は「上司」が自分に向けた質問に対して笑って答えてしまえるわけだ。

要はこの「彼女」は徹頭徹尾上司=「おっさん」の思考に自らをシンクロさせてしまってるわけだな。んでもって、自分がそうなっちゃってることに対して何も考えないくらいに鈍感なんだ。だからこそ、「足」が自信の「モデルちゃん」に(よし、見せて、付け根までね)なんて、てめえがいわれたら寒気がするであろうに違いないようなセクハラまがい、いやセクハラそのものでしかないような突込みができちゃうんだろう。んでもって平気でおっさんたちの品定めに参加ができて、「世の中はキビシイ」なんておっさんそのものの感想を漏らして、着地地点は「チャームポイントは見えないところ」だなんて、これまたおっさん好みの倫理性だ。

実は構成からいうと、「上司」が「ふいに」彼女のチャームポイントはどこだ?なんて聞いてきたときに、この詩はすごい展開をすることだってできたはずなんだ、と俺は思う。

たとえばこのシーンは、アウシュビッツの収容所でドイツ兵の下働きをさせられている小利口な(でも決して利口ではない)ユダヤ人が、ガス室に連れ込まれるユダヤ人たちを一列に並ばせて選別してる場に立ち会わされて、ドイツ兵があれこれと価値判断して「こいつはガス室」、「こいつは収容所」、「こいつは農場」とか選別したのをその通りに列を作って並ばせて、「「全員足踏み。前へ進め!」なんて号令かけた後でさ、さて今日も一仕事終わりましたね、なんていってドイツ兵にお愛想笑いかなんかして見せてるときに、「ふいに」当のドイツ兵から「お前も明日からあっちの列に並べよ」って言われたに等しいんだぜ?(かなり長いたとえになったけど、ごめん)

おっさんの思考にシンクロして、おっさんと同じ品定めに参加して、で最後の最後に「お前だって女じゃん?」って当のおっさんから突きつけられてやがんの、笑ってる場合じゃないでしょう?何で気がつかないんだろう?どうして自分は「モデルちゃん」(大体この「ちゃん」付けがすでにあれだよな、小馬鹿にした物言いだったりするよな)とは違う人種なんだって勝手に決めちゃうんだろう、同じ女なのに。

これがフェミニズムの間違った到達点である「女性にも男性並みの職権を」の帰結点なんだ、とか言うと、話が大きくなりすぎちゃうのかも知れないし、どっちにしたって彼女が鈍感であることには違いはなかったりするのだ、あーやだやだ。
 

[234]山内緋呂子[09/07 22:59]
>233
>ご自身の力で乗り越えていただきたいというのはそういう意味です。

わかりました。私は口外してしまいましたが、おそらく石畑さんは私信の件で傷つかれていただろうにも関わらず、お一人で抱え込ませてしまい申し訳ありませんでした。

今後のやりとり、この件でのこと、了解致しました。
疲労させてしまい申し訳ありません。
 

[233]石畑由紀子[2004 09/07 21:57]
はじめに。スレッドの趣旨とは離れているので恐縮ですが、今時点で別の作品が批評対象として挙がっていませんので、これまでの話題との関連性・引用したい記事の都合上、雑談スレッドではなくこちらに記させていただきます。スレオペの白糸さん、どうかご了承願います。

>>231 川元さん
お返事が遅れました、失礼しました。
> 出来ればその石畑さんの周囲での状況を、私信がご無理なようでしたらどなたかあなたの信頼できる方に
> 伝言いただけませんでしょうか?
申し訳ありませんが、いたしかねます。第三者を通じての伝言は考えておりません。信頼している方はいますが、その方を川元さんとの問題に巻き込みたくないというのが率直な気持ちです。
仮に私の周囲の状況をお知らせするとなると、今回ご心配・ご迷惑をおかけした方(かつての私信の内容や事情を熟知している方です)と私とのやりとりを川元さんに口外することになります。それはその方のお心遣いを“売る”行為です。いたしかねます。
その方がどういういきさつで川元さんと私の事情をお知りになったのかはあえてお聞きしませんでした。又聞き(こんなことは成されていないと願いたいです)ではない限り、川元さんがその方に直接口外したはずです。その方が、あなたにではなく、口外されたことを知らずにいた私に連絡を下さった。どちらにしてもその方のお心遣いです。ご配慮への感謝と、本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私がこの場で川元さんに伝えられることはそれだけです。

正直、川元さんが何人の方に口外したのか私は存じません。すべての方を教えて欲しいとは思いませんし、むしろ関わらせてしまったことを申し訳なく思っています。しかしそれとは別に、“知られている”こと自体にはやはりショックを隠せません。川元さん、今後、どんな理由があっても前回の件をこれ以上口外することはなさらないで下さい。

> もし私の知らないところで、その石畑さんの周囲の多くの方々にご迷惑おかけしているのであれば、善処したく思います。
最終的に受け入れるか否かは川元さんの自由です。その上でもう一度伝えさせてください。
できることなら今後は、ご自身で起こしたことは、結果どんな状況に陥ったとしてもきちんとご自身の力で乗り越えていただきたいです。
迷惑をかけてしまった方と、いつの時も連絡がとれるとは限りません。迷惑をかけたという事実だけが残ることもあります。そういう時、川元さんが思うところの善処で、前回のようにまた誰かにお手間を取らせることにはなりませんか。また新たな既知者を作ることにはなりませんか。
あの頃と今の川元さん、月日が経っていますから変化もあったでしょう。ですが、当時の川元さんがおとりになった言動の影響が今も広がっていて、川元さん自身も感知できないところで何かが起こっている、というのは紛れない事実のようです。ご自分がなさったことの延長上の出来事としてきちんとお一人で受けとめ、お背負いください。
先日私が記した“ご自身の力で乗り越えていただきたい”というのは、そういう意味です。


正直、今回のやりとりも前回と同じくらい神経を削りました。
前回のことに関する川元さんのお気持ちは伝わりました。ので、これ以上お話がないのであれば、しばらく川元さんとのやりとりはご遠慮したいです。我がままを言いますがどうか心境をお察しください。
 

[232]田代深子[2004 09/04 14:40]佐々宝砂和泉 輪
> 229

> つまり これを作品と呼ぶのならその作品性は撮影された映像の中に
> あるのではなく、「女性が自らの生理を自らの手によって撮影した」
> という事実 その一点に集約されるのではないか。

 まさにその通りであって、だとするとその作品に対しては「完成度」云々という批判が
与えられはするでしょう。しかしそれ以前に、やはりどうしたって驚いてしまうし、その
禁忌を侵犯した行為と意識そのものを「芸術」というふうに言ってしまうことは、できま
す。
 その映像作品を私は観ていませんが、つまりそのように、端的に「血」「傷」のエクリ
チュールを多用する傾向は、しかしやはり変わってきている。むろん個々人にとって「性
の苦しみ」は常にあるでしょう。が、それは男も同様であるという、むしろ男の側からの
主張も聞かれるようになっています。
 「女が表現する女の性」について、現在と、それから80年代以前との違いを考えるとき、
最も大きな違いは女の「痛ましい性」というイメージが薄れつつあるということではない
かと思います。かつて女たちが自らうち出した「痛ましい性」の姿は、近代において作ら
れた「女の性=受容する性もしくは魔性・淫性」という幻想に対しての、諸刃の剣として
の反論でした。実際、「女が表現する」ことに対する社会的・心理的な抑圧と闘い、それ
を実行するまでには、心身ともに傷だらけだったはずです。その自画像が血と傷にまみれ
れるのも無理はありません。(本当に彼女たちはよく闘ったのです。フェミニズムが下火
になってもう長いこと経ちますが、しかし逆にフェミニズムは展開するグローバリゼーショ
ンと世界の再編成への批判の視点として、いまあらゆる分野に介在します。)
 本当の自己表現に到る前に「女の性」を意識させられ捕らわれてしまう、どうしてもそ
れを表現し克服しておかなければ次へ進めない、という時点での「女の性の表現」が、ひ
とつのモード、ムーヴメントになっていた頃があった。それが80年代頃。ようやくそれが
変わりつつあるのかもしれない、と、私も思ってはいるのです。しかし「変わりつつある」
というのはつまりすぐには変わらないということで、しかも私自身のようにかつての「痛
ましい性」…ある種のルサンチマンを、いまだ払拭しきれずにいる女がまだ結構いて(笑)
それがちょっと調子に乗ってきて「驚かせてやろうじゃん」ということになるのです。
(駄目じゃんそれ!)
 しかし本来的に「女が表現する女の性」もいずれ「男が表現する男の性」と同じように、
それぞれの生のさまざまな局面において現れる、麗しく恨めしく情けなく愛おしく暴力的
で根元的な、普通のエロティシズムに(笑)なるのではないかな、と思います。あるいは
「男が表現する男の性」に、もっと多様性が現れてくると面白いですね。

 さて、調子こいて書いてますが、私はフェミニストではなく、フェミニズムやセクシャ
リティの勉強をやめて久しいので、以上に書いたことはあくまで私見であり、誤謬が含ま
れている可能性があります。もし何かお気づきの方がいらっしゃいましたら、最新の批評
シーン情報など、がしがしご報告ください。先日もお断りしましたが「ここで」。
 では。
 

[230]山内緋呂子[09/04 12:14]
>224
石畑さん、全くよく考えもせず、公の場を乱したことは、反省しております。出来ればその石畑さんの周囲での状況を、私信がご無理なようでしたらどなたかあなたの信頼できる方に伝言いただけませんでしょうか?
勝手で未熟かもしれませんが、公の場を大切にするあまり一個人に深いダメージがあるのは好みません。石畑さんがそういうつもりであったという意味ではありません。
喧嘩ではありませんでした。もういろいろお考えをめぐらせなくて結構です。ただ端的にお知らせください。
>226

こちらこそありがとうございました。
また、もし落ち着いてお話しできる機会があれば光栄です。どうぞご自愛ください。
 

[229]和泉 輪[2004 09/03 16:43]
田代さんの文章を興味深く拝見しました。

女性が自らの性を禁忌の果実として利用する
というのは、言語作品だけに限った話ではない。
新進気鋭の映像作家を特集した番組をTVで見た
ことがあったのだが、そこで紹介されていたのは
ただ血が滴っているところを撮影しただけの映像だった。
白い画面の中で上から下に向かって血が滴っている
ストーリーも特殊な映像効果も無いただそれだけの映像。
しかしそれは作者である女性自身が、自らの生理を撮影した
ものであるという。(作者は映っていない。「血」のみ)

つまり これを作品と呼ぶのならその作品性は撮影された映像の中に
あるのではなく、「女性が自らの生理を自らの手によって撮影した」
という事実 その一点に集約されるのではないか。

撮影した女性が何を表現したかったのか(からくりを暴露して
驚かせたかったのか、或いは性の苦しみなどがあったのか)
私には断言することが出来ないが、もし前者であるとしたならば
その効果は絶大だったと言えるだろう。
 

[228]佐々宝砂[2004 09/03 15:17]
>>227
おもしろい。もっと書け。
という命令口調ではいけないな、どうか続きをもっとお書きくださいませ。
 

[227]田代深子[2004 09/03 07:40]佐々宝砂和泉 輪蒼木りんふるる
 セクシャリティのお話。
 (先にお断りしてしまうが、以下に書くのは批評ではなさそうだ。しかも思いつきだ。
御甘受あれ。もしくは無視する方向で。)

 かつて「女性詩」なるものがもてはやされて以来、ではわれわれの性のとらえは何も変
わっていないのか、というと、否そんなことはないのである。なぜというにたとえば

「奥主氏の言うように〈「やらせたくない」女とか「やりたくない」女が存在するのが別に構
わないのと同じように、「やらせてくれる」女とか「やりたい」女がいても良い〉程度のこと
は普通に言えるしあたりまえじゃん」

というような言説もまた流通しうるし、それを女が言っても、言う女を無効化する傾向の
「倫理」はもはやない。嫌悪する向きはあるであろうが、嫌悪を「倫理」にすり替えて発
言者を責めようものなら、むしろ責めた人間が「偏狭」と見なされるほどに。
 性が禁忌の領域に追い込まれたのはたかだか近代じゃねーかと怒っていたのはフーコー
だったと思うが、しかし彼が暴き、そして死に、 21世紀に到っても、詩を書く女同士の間
で性を「露わに書く」態度に対するせめぎ合いがあり、そしてそれに強い関心を抱く私(詩
を書く女)がまた存在する。われわれはいまだ近代に生きているのか。あるいはセクシャ
リティの禁忌は、やはりもっと根深いのか。 バタイユのいうエロティシズム? それは
死につながるから禁忌なのだ…というあの話を思い出す。
 どちらかというとこれは昔馴染みのジェンダーの発現だ。女が、性的描写を言語作品(と
いう言い方に逃げておく)に著すことと、自身で発語することの違いは何か、あるいは違
いなど存在するのか、ということを考える。酒の席でのエロ話はいくらでもかまわないが、
詩に性的描写を入れるのは疑問だ、という意識を持つ者がいる。逆に、作品に書くのはO
Kだがエロ話はやめようぜ(聞くに堪えない)、という向きもある。どちらも御免こうむ
るという場合も、どっちも気になんないけどなー…てか好きだけど、という場合もある。
むろんそこに善し悪しなどない(とポストモダン風に言っておく)。そして、ぶっちゃけ
どの立場であっても、所詮は近代の性享受のからくりの手中にある。というか、多くの場
合、女物書きはそれを利用するのだ。
 女の言葉に含まれる性的描写は、その内容よりも、「女によって語られる女の性」とい
う妙な磁力によって付加価値を得る。禁忌とされているがために、負の力にさからって引
きずりだされた「女の性」は、禁忌の力を得てエロティシズムを帯びる。いやむしろ「女
が(主として)語る」ということにこそ禁忌のフィルタはかけられており、語る女も、聞
く男たち女たちも、ここに産まれたエロティシズムを、中空に結ばれたエロスの幻影を、
最重要視する(だから「女教師もの」の人気が高いし女子アナはもてはやされる)。驚き
と罪悪感と隠微さ。いまとなっては、セクシャリティ発現の禁忌の各段階は、プレゼント
にかけられたリボンと薄紙のようなものだし、意外にも話題となる「女の性」のスタイル
は限定的だ。つまり私的であるような描写、日常的であり、一般的ヘテロセクシャリティ
の嗜好から大きく外れていないこと…要は市場は大きいほうがよいというネオリベラリズ
ム…「表現の自由」(笑)と引き替えに、新しい性の禁忌が産まれつつあるのだろうか。
(おかしなことに、書店にずらりと並ぶ「女が書いた架空の男の性」−いわゆるBL系−
については、多くの男は関心を示さないし、そのような女の性の発露の、さらなるねじれ
を気にしない。)

 あ、疲れた。

 自分の立場を表明しないのはフェアでないかもしれないので、ちなみに私は「言ってし
まえ」派である。からくり利用だ。驚かせてやりたいと思い、驚くという近代人の反応を
アテにしているに過ぎない。「視線」にまじる下劣さなどは、こちらも持ち合わせている
程度のもので、作品は作品として屹立していてくれれば、卑小なる私など置き去りに、エ
ロティシズムという至上の力を、わずかにでも帯びるのである。まあそんな作品を書けれ
ば、いいね、みたいな。

 いろいろ見落としていることがあるはずだ。何か思いついた方はここでご指摘ください。
この件で私信をいただいても、当方がここでまるごと曝すことを前もってお断りしておき
ます(笑)
 

[226]石畑由紀子[2004 09/02 20:08]
追記です

>>223 川元さん
> その、自分が禁じていた言葉を当時使ってらっしゃった石畑さんに、矛先を向けてしまったこと、
> 大変もうしわけ有りませんでした。

これを伝えてくださったこと、私にとって大きな救いでした。

> 今回、気をつけたつもりでしたが、他の問題で精神的に参っていたこともあり、冷静になれず、
> 石畑さんを傷つけてしまい、申し訳ありませんでした。

当初、質問の真意を誤解していたこと、私のほうも申し訳ありませんでした。雑談スレッド等での川元さんのお気遣いにも感謝します。ありがとうございました。
 

[224]石畑由紀子[2004 09/02 01:35]
>>223 川元さん

話してくださったことで、川元さんの問いかけの真意がやっと理解できました。と同時に、
> 逆に女性を辱める危険がないですか?
という問いが私の人格への中傷にあたるという見解は私の早合点だったこともはっきりと解りました。このことについては私からも謝ります。申し訳ありませんでした。

その上で改めてお願いです。繰り返しますが、こういった認識の食い違いを避けるため、今後どなたかとやりとりをする際は、ご自分の考えや伝えたいことをきちんと整理してからにしていただけたらと思います。相手を混乱させないためにも。

そしてもうひとつ。これこそ本来なら私信でお伝えするべきことなのですが、申し訳ありませんがまだ私にはその気持ちが湧きません。どうかご理解ください。
先の、私と川元さんとの間で交わされた私信の内容に関して、熟知なさっている方がフォーラム内にたくさんいらっしゃることに、正直かなりショックを受けています。そして今回の批評をきっかけにその方々に今現在もご迷惑・ご心配をおかけしてしまっていることを知り、これは放置できないことだと思いましたので伝えさせてください。
今後は、ご自身で起こしたことは、結果どんな状況に陥ったとしてもきちんとご自身の力で乗り越えていただきたいのです。私も川元さんも同じこのフォーラムに籍を置く身です。どんなことがあったにせよ、相手(この場合川元さん)があることだからと誰にも口外していなかったにもかかわらず、これだけ知れ渡っていることの意味、そして先々月『TOKYOポエケット』で上京した際、初対面の方に『喧嘩したんですってね』と言われた私の心情をどうかお察しください。川元さん、しかもあれは喧嘩ではなかったはずです。あなたからの一方的で執拗な誹謗中傷でした。

ご迷惑・ご心配をかけてしまった方々には私からもお詫びいたします、申し訳ありませんでした。そしてさまざまなご配慮いただいたこと、感謝いたします。ありがとうございました。
 

[223]山内緋呂子[2004 08/30 18:48]
>210
>狙いととられることは私が意図するところではありません。
>ちなみに、どうして書かれないのかなあ、というのは川元さんの読みを通じて浮かび上>がった疑問である

そうですね。私は「これは日記ととれる」と、断定して言うことが、怖かったのだと思います。自分の批評がつたないものであること、また、過去の石畑さんとの私信のやりとりから、使う言葉に気を使わなければならないと思ったこと。それで、「作者に聞く」という誠に方向外れな書き方になりました。また、「狙いなんですか?」という私の言葉もどこか「狙いのつもりでもそれにしてもなっていない」だとか、「日記程度のものしか書けない」というようにもしかしたら石畑さんは受け取られたのかもしれません。しかし、そういう気持ちではありませんでした。あくまで私の不安からです。

>“言葉の飛躍”が感じられないことが詩にとってよくない要素だとは必ずしも思ってい>ません。もちろん作者の個性は大きな魅力のひとつです。しかし詩作において・また読>み手としても私はそこだけに終始するつもりはないので

同感です。私も、「言葉の跳躍」が見られないことがいい詩か、よくない詩であるかに、大きく関わっているとは思いません。

>暗に表現することもあれば文字そのままを用いることもあり、さまざまです。

それは理解しているつもりです。また、「視姦」という言葉が出てきた詩が、「未詩・独白」であったこと、きちんと確かめもせずに、言及してしまい、もうしわけありませんでした。

>文字そのままであることのインパクトという点をおっしゃっているのかと受け取りつつ

そうです。

>暗に表現されたものでも現にそこに“表現”されているのならば危険は同様であると私>は考えています。

これは意見の相違です。これについては後に述べます。

>想いを言葉にする際、また構成上、作中に必要な言葉ならば私は使います。

それは私もそうです。皆さんそうだと思います。(←これも嫌味で言っているのではありません)

>衝動に任せるのではなく、できることならきちんとご自身の中で思考をまとめてからに>していただきたかったです。互いの認識が異なるままその枝葉の部分でまた議論をしな>くてはならないような状態はなるべく避けたいのです。

全くその通りです。精神的に参っていたことを理由にして申し訳ありませんが、感情的なままで、意見を述べ、申し訳ありませんでした。

少し長くなります。
>文字そのままであることのインパクトという点

これは、女性の作者が作中で「セックス」「濡れる」「ヤル」等、文脈からではなく、はっきり「性」と受け取られる言葉、インパクトのある言葉を使って書いた作品の読者の中に、
「こういう言葉を使う女はヤラせてくれる」「ヤリタイんだろ」という稚拙な感想を持つ方がいらっしゃることは事実です。そして、私が言った「女性を辱める」というのはこういう読者が「結局女というものは、エロいんだ。薄汚い」→「女なんて下劣」という狭い意見に達する読者が実際にいるのです。これは、ごく一部のことかもしれません。それで、「女性を辱める危険性がありませんか、とお聞きしたかった」という言葉を使いました。それで、「暗に表現されたもの」よりも、「インパクトのあるもの」の方が、その危険性が高いという意味で使いました。しかし今は、単に、「こういう読みをする読者もいる」というだけのことであると、私は考えています。

>確信できる要素は、しかしどこにもないのではないでしょうか。人の心とは、表現する>者の想像範囲内にいつでもあるものとは限りません。

全くその通りです。私もそう考えます。自分の作品コメントにも書いていますが、(これも、「あなたは何も読んでいない」という意味ではありません)書いて発表したら、読んだ方のものになると考えています。これも、書いたものに責任を持たないとか、修正をしないという意味ではありません。読まれた方の感想が、全く自分の範疇外であることは、とても興味深く、嬉しいものです。

また、説明する為に、私的なことをお話しなければなりませんが、ご了承ください。かって私は「書く時」に使う言葉をとても選んでいました。自分にとって許せない言葉がありました。それはとても細かいこと、例えば助詞、過去形か、そうでないか、といったものから、名詞までありました。それは、自分が書く上で、禁じていればよかったことです。ただ、石畑さんにもかっての私信でお伝えした通り、諸事情により、その、自分が禁じていた言葉を当時使ってらっしゃった石畑さんに、矛先を向けてしまったこと、大変もうしわけ有りませんでした。

前述のおかしな感想を持たれる読者のように、「作品」=「作者」と捉える方がまだまだ多いのです。そして、私自身も、「書く時」に、使う言葉を非常に選んでいたこと、また、「書かない時」でも、言葉に敏感でした。簡単な例でいうと、ラジオで好きな歌手が、リスナーに対して「うるさーい」と言うのを聞いて、もう好きではないと思ったりしていました。しかし、「書く時」はある程度作者の制限があるとして、「書かない時」の「作者」というのは「人」です。言葉は動いています。現在は、人がどんな言葉を使ったからと言って即、その人を嫌いになったり、好きになったりすることはありません。また、そう考えることで私自身も「作者」と「作品」をはっきり独立して、やっと考えられるようになり、最近では、書く時に使う言葉、言い回し、が随分自由になってきた、と自分なりに考えています。

石畑さんは、「書く人」である前に「人」です。それで、今回、気をつけたつもりでしたが、他の問題で精神的に参っていたこともあり、冷静になれず、石畑さんを傷つけてしまい、申し訳ありませんでした。
私に対する書き込みを拝見する限り、感情を高ぶらせてしまっているようで、全く、自分のしたことからによるものですが、早く、精神的に落ち着いてくれることを願います。

また、この件に限らず、何か、私の発言で石畑さんが、疑問に思うことがございましたら、遠慮なく、お聞きください。その際、私信はお控えになりたいということですし、私も私信でお答えするのは恐縮ですので、雑談スレッド等、お使いくださるとよろしいと思います。白糸さん、片野さん、度々の失礼、お許しください。
 

[221]山内緋呂子[2004 08/23 17:39]
今現在、石畑さんからの、ご返答を読み、よく考えなければいけないのですが、そちらを読む前に書いていた文章をこちらにのせさせていただきます。

なぜ私が「足」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=12200
を批評しようと思ったのか。それは「足」という作品へ向けてというより、
>それを、ふくらませたりとか、笑いに変えたりとか、で、性的なことはありふれてい
> て、もっとふくらますことで、楽しいことだったり、残酷だったり、そういうように読めれば、なんて考え
> ていました。最初にかいた、「もっとたくさんおききしたい」という中の一番おききしたかったのはここで
> あって、例えば「視姦」された女性が、その「文字」そのままを見た場合に、思い出して傷ついたり、もう
> 考えるのをやめたりするのでは?と。それで、逆に、「文字そのまま」を出すのは、逆に女性を辱める危険
> がないですか?なんておききしたかったです。
という疑問から起こったことです。

これは、私信でお聞きすべきことでした。しかし、過去の石畑さんとの私信のやりとりから、それはできませんでした。
なぜ私が「足」を批評しようと思ったのか、それは、先の疑問からなのですが、それを私信でお聞きすることができず、批評をするしかないと思いました。石畑さんによく見られる「説明的・小説的文体」であって、読後、日記のようだと思いました。私はそれを人に一番説明しやすいと考えました。つまり、私の性悪による理由からでした。
石畑さん、申し訳ございません。
同じ批評をするならば、私はまず、すばらしいと考える「上海された」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11699
を選ぶべきだったと思います。
これは、小説的文体が、5連それぞれでいかされていると思います。連という短さにその文体が凝縮されていること。その連が5つに別れていること。さらに5連通して、つながっているように読めること。

私は自分の姿勢がそうであるために、「詩は人だ」と以前、思っておりました。石畑さんの表現全体に対する私の考えは、「作品」に対するものだけれども、私信で
>逆に女性を辱める危険
> がないですか?

と、お聞きするのは、きちんと会ってお話したことのない石畑さんの人格への、中傷、脅迫になる気がしてできませんでした。
今は「詩は人だ」とは、けして断定できないと思っています。しかし否定もできません。

このような私情により、批評しましょスレッドを使ってしまい、白糸さん、片野さん、石畑さん、申し訳ございませんでした。読んでくださったすべてのみなさま、失礼いたしました。ありがとうございました。尚、私がパソコンを持たなくなった理由は、以前私信で石畑さんにお話したことが、直接の原因です。
尚、「詩は人だ」と完全に信じ切っている方に対して、また自分自身に対しても「詩は人か」について文章を書かせていただきたいと考えます。その際こちらでの私の発言を引用すること、ご了承下さい。パソコンを使える時間がわずかしかないこともあって、不十分ですが、投稿させてください。

また、石畑さんお忙しい中、詳細なお答えをありがとうございました。申し訳ありませんが、今はまだ、きちんと考えられる状況にありません。考えられる余裕のある特にきちんと考えさせていただきたいと思います。
 

[220]汰介[2004 08/23 13:25]
と言うか、何時の間にか幼児退行している自分を発見した。

振り返って見て、自分の行為創作はいかにもガキっぽい(笑)。
ガキっぽさが必要な時もあるが、始終もガキでは駄目だろう。

不思議とその中にいると分からないんですが。
感覚でふと分かった。
 

[219]汰介[2004 08/22 23:14]
>興味ないことはまるでダメですね。

興味のツボが分かれば、早いんですけどね。
何が面白いんだろう、と思っている内は、どうしてもそれが滲み出てしまう。
現実は厳しいと言い聞かせて無理にやるが、無理にやっているな、と分かっているから、なお効率が悪いし、失敗する。
どんなにケツ叩かれようが、なにされ様が、都合良いと言われようが、ワガママと言われようが、そっちの拒否の方が強い。

結果、ヤサグレテ行く(笑)。
まあ、自分自身の心の何処かにも不条理な不信感でもあるんでしょうね。

そんな気がします。
 

[217]汰介[2004 08/22 12:27]
>>215

>今そういうものってのは練習すれは直るっていうのが俺の好きな方向で

まあ、確かに練習する事で発見や良かったという事もあるんですが、
それも限度はあると思います。

現実との兼ね合いを考えると、やはり、優先順位は決まってしまいますので。
それはただ単に私自身のバランスの問題か、
あれもこれもと一度に纏めてしまうのが悪いんでしょうが。

ただ、噛みあう時間の流れと噛み合わない時間の流れはあると思います。
そこまで、甘えて言っているつもりもないのです。

まあ、世の中はデタラメと言えばデタラメなので、
断然イイカゲンを私は目指しますが(笑)。
 

[213]汰介[2004 08/22 10:41]
>>212

いい例があった。
>嫌いな課目の授業は、もう全く頭に入らないし(これは今でもそうですね)

例えば、これは今でもそうですね、とすると、
今も学生なのか?とも取れる訳で、
言いたいのは興味の無い事が今でもちっとも頭に入らない、
と、言う意味なのですが、
これをやっている内にだんだんイライラしてくる。
気にしなけりゃいいんだが、学歴などで、ピリピリしている人間は
(学歴学歴うるさいんじゃボケと言いたくなります)、
いちいちガタガタ言うのではないかと言う苛立ちもある
(単なる冗談かそうでないのか、まではネット上では判断しにくいですし、
流れるのが早いのでそれは、見当違いな事に陥りやすいのも無理はない)。

結局何が言いたいのか分からんなってしまった。
つまり、事務とか細々した事には、向いていない。

と、言う事ですな。
 

[212]汰介[2004 08/22 10:24]
>>211

>事務仕事に似ている作業は、僕にはもともと体質的にできないんだな。

これよく分かりますわ。
嫌いな課目の授業は、もう全く頭に入らないし(これは今でもそうですね)、
部屋も昔はもう凄まじかったですし。
それを支えるのだけで、他人にとっては当り前の事が倍気力を使う、と言う。
流れに乗るとか意識しなければ割合大丈夫なんですけどね。

事務的な事は殺人的に嫌いですね(笑)。
まあ世の中、事務的な事が多いので、その適正に気付いていない人が、
病気を悪化させる事もあるんでしょうし。
余計な揉め事も起きるんでしょう。
まあ、そこの感覚が分からないと、結果全体にとってもマイナスになるんでしょうね。

まあ、それを私は無理矢理やってみましたが、
やはり陰惨な結果になりましたし。

まだ、ボーっとしている方がマシ、と言う(笑)。
要は、こまごまと動きたい人は元々そう言う性格なだけで、
それが適正だし好きなんだ、と言う事で。
 

[210]石畑由紀子[2004 08/22 01:56]田代深子川村 透
> 川元さん

こんばんは。
他のかたとの話の流れからすでに川元さんの中で解決している事柄もあるかもしれませんが、今時点で私に向けられている質問にはすべてお答えしておきます。


>>133より:
> 批評と言うより作者さんに質問なんですが、脚本?と見られることは狙いかなあ?と。もし、「恋人と
> この先歩いていく」ことを言いたかったのであれば、一般的考えとして、「恋人」ならいずれいなくな
> るものであって、存在が。夫でもいなくなりますが。その存在と、これからも歩いていくのであれば、
> その難しさや、そう宣言する理由、それでも歩いていく、と読む側を納得させること、がここには見ら
> れなくて、それもどうして書かれないのかなあ、と。もしここで、それが問題ではないのなら、やは
> り、気持ちが私には伝わらなくて、日記ぽく見えます。

脚本のつもりで書いてはいませんので、狙いととられることは私が意図するところではありません。
ちなみに、どうして書かれないのかなあ、というのは川元さんの読みを通じて浮かび上がった疑問であると同時に作品の着地度に関する批評であると受けとめ、書き手として私の今後の姿勢をもって答えとさせていただきます。つまり、私自身は『あなたと歩いてゆく』の中に精神論としてのそれらを込めたつもりでしたが、結果的に川元さんには伝わらなかったようです。『この足で』という表現は確かに肉体的で紛らわしく、推敲の余地ありと感じています。


>>141より
> お三人さんに大体共通しているのは、「静謐」「抑制」であって、最終連が、飛躍していたり、詩的だ、
> と。なるほど自分の考える「言葉の跳躍」が、そう捉えると不要なのかもしれません。
> 私には、ラストに意外性が感じられないというか、女ごころだなあ、と少し共感します。それ、恋人の男性
> に言ってそれで終わっていいのでは?と。そういう意味で言葉の跳躍が感じられないと。
> そして、静謐や抑制を見せるにしても、作者独特のものを書かれる方の詩はあるので、石畑さん、これはど> う考えてらっしゃるのか、と。

せばさん、一番絞りさん、川元さんなど、みなさんの感想・批評を拝読し、考えてみて、私自身、先に書いた通り最終連には推敲の余地ありと感じました。
言葉の飛躍については、私もそういった魅力ある作品を知っていますし、川元さんも>>151で私の別作品『上海された』(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11699)を例のひとつに挙げてくれましたが、私自身は川元さんのおっしゃる“言葉の飛躍”が感じられないことが詩にとってよくない要素だとは必ずしも思っていません。もちろん作者の個性は大きな魅力のひとつです。しかし詩作において・また読み手としても私はそこだけに終始するつもりはないので、この件に関しては川元さんの見解を参考にさせていただくということで答えにさせていただきます。


>>151より
> ちょっともう体こわしたりとか、いえなくなるかもしれないので、今言っておきますが、石畑さんは、よく
> 作品の中に「セックス」「自慰行為」「視姦」「ヤッタヤラナイ」とかかれますが、私も性的なことを、自分
> の文章で書いていて、それを、ふくらませたりとか、笑いに変えたりとか、で、性的なことはありふれてい
> て、もっとふくらますことで、楽しいことだったり、残酷だったり、そういうように読めれば、なんて考え
> ていました。最初にかいた、「もっとたくさんおききしたい」という中の一番おききしたかったのはここで
> あって、例えば「視姦」された女性が、その「文字」そのままを見た場合に、思い出して傷ついたり、もう
> 考えるのをやめたりするのでは?と。それで、逆に、「文字そのまま」を出すのは、逆に女性を辱める危険
> がないですか?なんておききしたかったです。

まず、川元さんが挙げているそれらの単語を使った作品(と思われるもの)はそれぞれ下記の通りです。
・セックス……『足』(URL割愛)
・私は独りで自慰をするしかなかった
   ……『それからの孤島』http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11037
・ヤッタヤラナイ……?? どの作品のことを指しているのかわかりません、失礼
(もしかしてこれでしょうか→そもそもどこまでが「しない」でどこからが「した」なのか
   ……『誰も悪くない』http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=6359
・視姦……『あの頃』これは未詩・独白として発表しているのでここで触れるのはどうぞご容赦下さい

私は『生・性・死』を詩作テーマのひとつとして持っているので、性的な単語や表現を用いることも少なくありません。暗に表現することもあれば文字そのままを用いることもあり、さまざまです。文字そのままを出すことで女性を辱める危険がある、という件ですが、文字そのままであることのインパクトという点をおっしゃっているのかと受け取りつつ、しかしそれらは暗に表現されたものでも現にそこに“表現”されているのならば危険は同様であると私は考えています。

想いを言葉にする際、また構成上、作中に必要な言葉ならば私は使います。それと同時に、相応の覚悟もします。読み手のことを考えていないのではなく、読み手のそれらの動向を可能性として背負う覚悟がなければどんな言葉も使用できないでしょう。これに関してはもう性的表現であるか否かの問題だけには留まらないことだと思っています。
川元さん自身がおっしゃるところの『楽しいことだったり残酷だったり』という表現ならば、例えば、人の気分を害しなかったり女性を辱めないものでしょうか。確信できる要素は、しかしどこにもないのではないでしょうか。人の心とは、表現する者の想像範囲内にいつでもあるものとは限りません。文字そのものなら危険、アレンジをほどこせば危険ではない、そういう川元さんの考えかた自体が私はかえって危険だと感じます。


以上、今時点で質問いただいたことにはすべて答えさせていただきました。

ただもうひとつ、
>>167より
> Ohathさん
> 全くだ。そこを説明するには、自分が女であるんだけど、性を出すことの書いてるとき
> の暗さ、ポップさ、同じく出来て発表することのそれ。考えると非情に重く、自らこれ、
> この先私が書くことの死亡、のようになって疲れ。これをまとめてからこのスレッドで
> 言えばよかったのです。雑談スレッドから、突っ走ってしまいすみません。どうもあ
> りがとう。ちょっと待ってもらえるとありがたいです。

正直、この“まだおっしゃっていない部分”を提示していただいていない状態では、川元さんの問いの真意が私には伝わってこないので>>151に対する私の返答も川元さんにとっては非常に的外れなものになってしまう可能性があります。質問とは相手がいてはじめて成り立つものですから、衝動に任せるのではなく、できることならきちんとご自身の中で思考をまとめてからにしていただきたかったです。互いの認識が異なるままその枝葉の部分でまた議論をしなくてはならないような状態はなるべく避けたいのです。



ひとつ、川元さんに申し上げておきたいことがあります。
川元さんは、かつてご自分で私にお送りになった数々の私信の内容をお忘れですか。今、私がどんな気持ちでこれを書いているか、あなたはお解りになりますか。
もしもお解りにならないとおっしゃるのなら、この批評スレッドから離れて(雑談スレッドなどに場を移して)きちんと解るようにお話いたします。ただし、先にも記した通り私は現在オン・オフ両方で詩に関して多忙を極めており、時間的・精神的余力がありませんので具体的にお話するのは9月6日以降になります。なお、私信での連絡はご遠慮いただきます。過去の経験上、川元さんと私信でのやりとりをするつもりはありません。
 

[206]石畑由紀子[2004 08/21 21:53]
こんばんは。
8/19早朝より話題に上っている『足』(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=12200)の作者、石畑です。同日夜にこの批評に気づきましたが、当日は時間的・精神的に余力がなかったのと、昨夜より体調を崩してまして、スレッドの展開に追いついてゆけず入るタイミングを逃してしまったりと、少しの間失礼してました。
思いがけずでしたが、みなさんそれぞれの読みや言葉に対する見解をひとつひとつ拝読しました。正直、そりゃあ凹む評もありましたが、それは普段から地元の詩人会で打たれ慣れてるので(笑)。まだまだ精進中の身です、勉強させていただきました。
もっときちんとレスポンスできればいいんですが、現在オン・オフ両方で詩に関する別件をいくつか抱えてまして、真面目な話ホントにもういっぱいいっぱいなんです、本当ごめんなさい。全部ログをとっておいて今後の詩作の際の参考にしたいと思います。ありがとです。

まずはみなさんにお礼まで。

質問をいただいている川元さんには別記でのちほどお答えします。
 

[205]一番絞り[2004 08/21 16:25]
>君を見てると「前言は翻すためにある」って言うのがとてもよくわかるよ(苦笑)

いや、石川さんからの〈要請〉ととれるレスがあったので出てきたのですよ。
読んでませんか〜?
あれ〜? それとも、マッチポンプ〜?
そっと寝かせておけばいいのにねー。
ですから、
不満があったら石川さんにいったらよろしいでしょう。
なんであんな奴を起こすんだ、って。
わたしは人のために生きてますから。ボランテアが趣味ですので。はい。
石川さんをがっかりさせたくないでしょう?
固定した考え方、固定した視点、固定した在り様が大嫌いですから。
相手が天皇賛美を持ち出したくらいで唾を吐きかけたりしない柔軟性を持ってます。
おたくは、このフォーラムでは何をしてもおれと違っておとがめなしのようだが。(こちらも苦笑)
ま、友情は美しいよ。(爆笑)
それより、相変わらず人の揚げ足取りが好きだね。
素朴な詩ばかり選んで、簡単に大根斬りしてないで、大物をいっぱつどうですか。
たまには。
 

[204]山田せばすちゃん[2004 08/21 13:16]
>>185
>>202

君を見てると「前言は翻すためにある」って言うのがとてもよくわかるよ(苦笑)
 

[202]一番絞り[2004 08/21 09:52]
>うつむいて
>うつむくことで
>君は私に問いかける
>私が何に命をかけているのかを
>よれよれのレインコートと
>ポケットからはみ出したカレーパンと
>まっすぐな矢のような魂と
>それしか持っていないものの激しさで
>それしか持とうとしないものの気軽さで

>「詩集・うつむく青年/巻頭歌第一連」

>この詩集に特に強く感じられることだと思うのですが、谷川俊太郎には、運命と
>対決するスタンスが常にキープされていると思う。
>それが彼の「幻」のありかたの、不思議な優しさに繋がっているのではないかなあ、
>と思うのですが、僕にはまだ、きちんと語りきることはできません。(ボルカ)

ぼくはこの詩集読んだこと無いので、目の前にあるフレーズからのみお手軽な感想を述べさせて
もらうと、この詩は一言で言って「劇画」です。
若いひとがこういう劇画的美学に惹かれるのが悪いとか、バカだとかいっているのではなく
事実をいってるだけですので誤解なきよう。
「何に命をかけているのか」と他者に問いかけることは、これはかなり相手のプライバシーに
踏み込んだ問いかけです。
もし、見知らぬ相手にこんなきついことを問いかけたりすれば冗談じゃない、脅迫めいたことを言うな、と
無視され突っ返されるでしょう。
ですから、「私」に向かってこのような問いかけをする相手は、「私」にとってただの他人ではなく、
なんらかの関係にあるものでしょう。
仮にその関係を「私」=詩人の谷川、という設定にしてこれを読めば、うつむく青年は谷川の
熱烈な読者ということがひとつ考えられる。
「おまえ、真面目に詩ぃ書いていんのかよー」
「おれたちの気持ちわかってんのかよー」
「真剣に読んでんだけどよ、おまえ、真剣に生きてんのかよー」
ま、わたしのようなカラミタイプのファンてとこです。(笑)
これが「私」(いちおう谷川)の設定した想像上のファンであっても構わないし、現実にそういう
青年がいたとしても構わない。
いずれにせよ、「私」はそう「問いかけられている」と感じている。
しかし、その「問いかけ」は「激しい」けど、結論としては「気軽」なんだ。
なんとなれば相手はカレーパンしかもっていない立場から「問いかけ」ているのだから。
「私」のように社会的立場があり複雑な人間関係の谷間に閉塞してないかわりに、責任も義務も少ない、
貧乏な青年の問いかけは「激しい」けれど、「お手軽」なんだと、言っている。
よれよれのレインコートを着て「うつむ」いてしか、ということはほぼ黙っている青年に
そういう態度をとらせる立場にある「私」は
そういうことを連想し感じている。
そういうメッセージです。
それがボルカさんのいうように、どうして「運命と対決するスタンス」になるのか? 
そこは詩集をとおして読んでないのでわからないけれど、
フレーズの選び方、転換の仕方、改行のし方などからある種の青春アクション映画ないし
劇画調に意図的に構成している感はまぬがれない。そこに若い人は一種の美学を感じてしまうのだろうけど
しかし、このような設定、カレーパンとよれよれのレインコート、うつむく青年...は谷川が仕掛けた
もうひとりの自分、つまり自分を見つめている自分、として設定していることは十分わかっているつもりだけど。
(だから、表題の青年が、どうして「うつむい」ているのか、そこに谷川のなんともいえぬ、うしろめたさみたいなもの
を感じるのだけど...)
で、このあとボルカさんはカレーパンとわたしの詩もどきにあるアンパンとを対比しているわけだが。
その前に、こんなことを書いている。

 ところで、このスレッドには、一番絞り氏の「マンドリン」がアプされているけれ
 ども、彼がこのモデルを「すねかじり」と呼んだのは、別スレで、自分と対立する
 論を展開しているモデル氏が学生である、ということ知った瞬間でした。
 すなわち、氏にとっては<学生=すねかじり>なわけで、それ以上の人格を彼に認め
 る必要を氏は少なくともその瞬間、感じなかったわけです。
 こういうスタンスは、谷川のこの詩集における青年への語りかけとは好対照をなし
 ているように僕は思いました。

マルクスもどき批評をすれば経済的土台関係が観念的上部構造を規定するわけで、ほんとかどうかしらないけど(笑)、ぼくは基本的に学生というのは社会人ではないから、「スネカジリ」です。「スネカジリ」が社会人に大きい口を開くときは、それなりの礼儀をわきまえろということです。そういう古風な儒教観がまだあるものでね、ぼくは。
で、谷川のこの「青年」への語りかけは、このフレーズを見る限り、自分自身への語りかけでもあるわけです。ほぼ、自己弁護の。最終行で青年のその質問が「気軽さ」に拠っていると述べているわけですから。ま、どーでもいいですけど。

  このサイトには彼の「あんぱん」がアップされているけれども、わずかに塩見の利い
  た、しかし基本的に甘いアンコの味が空腹にもたらす優しい自己肯定と、引用した
 「青年へ」の青年がポケットに突っ込んだ、カレーパンのオイルまみれの辛味は、これ
  もまた好対照を成すものだ、と僕は思います。

あんぱんのアンコはそっとなめて甘みを味わうものですが、カレーパンはまさに丸かじりする類のものです。
前者には品があります。後者は生活そのものです。
脂臭くて手が汚れるカレーパンは詩には不向きです。


 あるいは一番絞り氏は、自己肯定のアンコを片手にしか、青年であることができなかっ
 たのかもしれないし、それはあえてカレーパンをポケットに突っ込む青年より、厳し
 い状況にあったということなのかもしれない。

 そういうことは僕には分からないけれども、僕はアンパンを<自分のために>もつ旅行
 者より、カレーパンをポケットに突っ込んだ青年の方が好きです。

 谷川の「青年へ」というこの詩集がサンリオから出版されていることは僕を別の連想へ
 誘うのですが、あるいは砂漠をゆく飢えた旅人に、アンパンを、<僕を食べて>と差し
 出すあの有名なヒーローの方が、一番絞りさんより詩人だと、僕は思います。

この『青年へ』はなかなか面白そうだよね、たしかに。
今度読んでみますよ。
 

[201]一番絞り[2004 08/21 09:01]
どーでもいいけどよー、ここはいちおう「批評しましょ」トビだぜ。
で、このトビで、「単純でお手軽」といえども、しこしことまじめに批評をしていたのは
おれと
あと数名だけじゃねーか。
あとはぐだぐだとわけのわからにゃい抑圧的な横ヤリばかり。
てめえら、能書きばかり言ってないで、たまにはちゃんと批評してみろよ!
その上で、抑圧的横ヤリを許容してやるよ。
もっともおれもおまえらの程度のひくい批評をぼろかすに横槍してやるしね。

*それから有井さん、あなたが何をいわんとしていたか、よくわかります。
そして、その程度の基本的なものごとすらわからない人たちが詩にかかわっている。
わたしを含め。そういう現実があります。
ま、わたしにいわせれば、噛み砕いて話して聞かせる努力すらしんどい連中です。
あなたは、たぶん、わたしを含めてこういった連中に泥まみれ覚悟で
つまんない話題に分け入ってこられたのでしょう。
しかし、見てのとおりです。
矮小な戯画です。
もう、こんなつまんない連中を相手にするのはやめてください。
あなたさまが穢れます。
 

[200]一番絞り[2004 08/21 08:48]
>あなたは、大切なことを見失っている。(石川くん)

余計なお世話だよ、ブーケ。鏡に向かっていえよ。
しかし、ここはもう、ダメだな。
フォーラムを開いた努力は認めるが、他者を抑圧しょうとする輩の跋扈を許し、
それと同じ精神の持ち主が主催しているのだから、もう終わっているよ。
 

[198]いとう[2004 08/21 08:23]
>>197

んー。難しいなぁ(笑)。どう答えるのがベストかようわからん(笑)。
196の文章は、基本的に、「足」という作品に対するコメントであって、
すべての詩作品に対するものではありません。
逆に言えば、「足」という作品から、批評することをためらわせるほどの、何か強いものを感じていることになるのかな?
で、その部分こそが、俺が、この詩を好きな理由なのです。

と、ちょっと言葉足らずですが、とりあえず。
 

[196]いとう[2004 08/21 07:53]
>>171
「批評すべきものではない、あるいは批評しても意味のない作品」という点について。
もう少し丁寧に説明したほうがいいと思ったので書いとく。


まず、「足」が、改題されたものであることから触れる必要があると思う。
原題は「貴方というひと」であり、「文字書きさんに100のお題」という企画から発生している。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8014/poem100_main.html
この流れから、「足」という作品の内容が実話をベースにしたものだと、ほぼ確信しています。

それを考慮して読むと、作者にとって「足」の中には、詩として提示すべき要素や提示すべきとする衝動から、“外れた”もの、もしくは逆に(あるいは同時に)、それこそがこの作品を成した、成そうとした要因であるものが含まれていると感じています。
実際、他の人はどうか知らんが(笑)、俺は読んでいて、(話者ではなく)作者の、恋人に対する親愛、誇り、(もっといろいろ、言葉にできないようなものも)などを、痛切に受け止めている。
そして、そういったものに対して、批評という行為は、無為に終わるのではないか、と考えるわけです。

ここで強調しておきたいのは、「実話だから批評しない」と言っているのではなく、「この作品を、実話をベースとしたものであることを考慮して読んだときに受け止めることのできる作者の心情、じゃないな、思い、んー、上手く言葉にできませんが、なんかそんなもの、に対して、作品の批評は意味を成さない、あるいは批評の内容や仕方によっては、それを冒涜する行為につながる可能性がある」と思っているということです。

もちろんこれは、俺自身のスタンスから帰結するものであって、他の人がこの作品を批評することを批判しているものではありません。
作品として提示されている以上、その、作品の部分において、批評されることを拒めないと考えているし、その考え方はひとつの考え方として、支持しています。
そして、その考え方を、自身の中での切迫した衝動、矜持、焦燥などとして持っている人たちがいることも理解しています。
(蛇足で言うと、批評の内容の良し悪しの判断とその考え方の支持は、また別物です。
 そして、上記の“なんかそんなもの”を考慮しながら行われる批評に対して、最大級の賛辞を贈ります)
 

[194]いとう[2004 08/21 05:40]
おはようございまーす。

>>191
どもです。
「このタイミングであの内容を書きこんだ決意」は、んー、すみません。そこまで考えてません。
タイミングとかは考慮せずに、書き込みの内容に対してのポイントです。
(内容をどう把握したかは前述なので割愛)
なので、んー、俺はNGなのか(笑)。
 

[193]佐々宝砂[2004 08/21 03:45]
>>有井さん他みなさん 特に>>184 >>163

まずは懺悔します。>>163の有井さん発言に「激しく同意」したのは我ながら早計でした。よくよく読むと「激しく同意」はいたしかねるのですが、私は自分の文章を削除しない主義なので、「激しく同意するスレ」への投稿も削除せず、ポイントも取り消さずおきます。おもしろがらせてくれたのは確かなので、御礼はせねばなりません。ええ、文章として面白く読んでしまったがために、読み流してしまったところがいくらかありました。私はイキオイと迫力に騙されやすいたちなので、こういうことになりがちです。しかしそれは別に有井さんが嘘つきという意味ではありません。

>>163
>批評っ?てゆうか、詩を読みこめない方が偉そうに言わないでほしいのよねぇ。あんたたち、それぞれの自閉の地平で、世界と当たって、触ってみて、コトバにならないものをコトバにしてゆく格闘や思考を続ける姿勢がみられないわ。その姿勢がない限り詩人とは言いません。あんたたち詩を書く行為においても批評する上においても凡そ社会の隔絶したところの世界で、地に足がつかないままね。

私は石畑さんの「足」という詩について言及せずにきました。私にとっては不得意な分野の詩なので、きちんとした批評などできないと自覚があったからです(いまもきちんと読み込めないだろうと思っています)。詩を読むにもバカの壁があるというなら、まさに私にとってのバカの壁がそこにありました。わからんものはわかりません(「バカの壁」という言葉は、バカには言葉が通じないという意味ではないので念のため。この場合、私が「バカ」なのです)。私は性的な表現におもしろみを感じないたちで、無機的なものに惹かれます。私が「足」のような体験を実際にしたとしても、私はこのようなかたちでは詩にせず、足洗人形くんと足洗われ人形ちゃんの自閉した人間不在の詩にしてしまったんではないかと思います。それも、どこかできいたようなSFガジェット的な言葉を予定調和的に配置して、です。私は、おそらく、そのようなかたちでしか詩を書けませんし、また、世界に関われません。それでも、私は私にしかできない方法で(触わりはしないにしろ)世界と関わろうとしているのであり、たとえ贋物しかつくれないとしても地に足がつかないとしても、詩人ではないと断言されたくはありません。

詩人ないし詩はかくあるべきだ、という言説は、常に危険を孕みます。私が憂慮するのは、レベルや権威の問題ではありません。「おまえのなんか詩じゃないやい」と言われた作者が凹むという危険をさしているのでもありません。詩を定義してしまうことの危険です。

>>184
>わたしはコトバで世界の実相に出会いたいと思って読む。
人が詩に何を求めようとも自由、ならば、世界の実相などふりほどきたいと思って読む、そんな人間がいてもいいでしょうし、私はそんな人間です。コトバで世界を壊したいと思って読むひともいましょうし、自分自身の「生きる日常」をスパッと断ち切って、コトバで架空を成立させようとして詩を書く人もいます。いると思います。私はそのような詩人になりたいと常日頃考えているのですが、まだなれません。

有井さんの意見、いましばらくじっくり考えてみたいと思います。
 

[190]田代深子[2004 08/21 01:41]ボッコワタナbシンゴ
石畑由起子「足」について

 あまり魅力を感じる詩ではない、というのが正直なところだ。

  二ヶ月ぶりに会って
  しばらく動けなくなるくらいのセックスをしたあと

という導入部のインパクトがすべてであろう。詩においてインパク
トは必ずしも重要ではないわけだが、インパクトを狙って書いてお
きながら、終行に到るまでそれを食いつぶすだけになっているのが、
いかにも力不足の感を抱かせる。内容の質の良し悪しではない。言
葉の力が足りないし、言葉に対する入れ込みが足りない、と感じら
れるのである。

 なぜ自分が詩を好み読むのか、また書くのか、と考えるに、詩に
は「事象に対応する正確な言語表現」を僅かずつ崩しずらすことに
よる「意味のブレ」があるから、と、ひとつ言える。こうした「惑
わされ」によって、イメージは幾重にも同時写しになっていく。そ
れが鮮やかであればあるほど、魅力的になることは確かだ。無論、
技巧的であればいいというものではない。それは技巧と言うより
も、言語に対する敏感さ、ある種の疑り深さの現れである。表現素
材としての言語に対して、尽きせぬ興味をもち、取り組めているか
どうかということだ。
 「上海された」が魅力的な作品になりえ、「足」がそうではない
ところの、それが理由であろう。



 さて、上記の詩に対する私の評価はともかく、ここでいろいろ言
われている中で、読み方として[135][139]における山田氏の謂いに
一番面白さを感じている。詩とはまた、読むにおいても意識の敏な
るを要するということか。しかし山田氏もちと要らぬ言の多いこと
だ。その韜晦によって時折きわだつ物言いがあるにせよ、できれば
一度、がっつり評など読ませていただきたいものである。
 

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