批評しましょ[210]
2004 08/22 01:56
石畑由紀子

> 川元さん

こんばんは。
他のかたとの話の流れからすでに川元さんの中で解決している事柄もあるかもしれませんが、今時点で私に向けられている質問にはすべてお答えしておきます。


>>133より:
> 批評と言うより作者さんに質問なんですが、脚本?と見られることは狙いかなあ?と。もし、「恋人と
> この先歩いていく」ことを言いたかったのであれば、一般的考えとして、「恋人」ならいずれいなくな
> るものであって、存在が。夫でもいなくなりますが。その存在と、これからも歩いていくのであれば、
> その難しさや、そう宣言する理由、それでも歩いていく、と読む側を納得させること、がここには見ら
> れなくて、それもどうして書かれないのかなあ、と。もしここで、それが問題ではないのなら、やは
> り、気持ちが私には伝わらなくて、日記ぽく見えます。

脚本のつもりで書いてはいませんので、狙いととられることは私が意図するところではありません。
ちなみに、どうして書かれないのかなあ、というのは川元さんの読みを通じて浮かび上がった疑問であると同時に作品の着地度に関する批評であると受けとめ、書き手として私の今後の姿勢をもって答えとさせていただきます。つまり、私自身は『あなたと歩いてゆく』の中に精神論としてのそれらを込めたつもりでしたが、結果的に川元さんには伝わらなかったようです。『この足で』という表現は確かに肉体的で紛らわしく、推敲の余地ありと感じています。


>>141より
> お三人さんに大体共通しているのは、「静謐」「抑制」であって、最終連が、飛躍していたり、詩的だ、
> と。なるほど自分の考える「言葉の跳躍」が、そう捉えると不要なのかもしれません。
> 私には、ラストに意外性が感じられないというか、女ごころだなあ、と少し共感します。それ、恋人の男性
> に言ってそれで終わっていいのでは?と。そういう意味で言葉の跳躍が感じられないと。
> そして、静謐や抑制を見せるにしても、作者独特のものを書かれる方の詩はあるので、石畑さん、これはど> う考えてらっしゃるのか、と。

せばさん、一番絞りさん、川元さんなど、みなさんの感想・批評を拝読し、考えてみて、私自身、先に書いた通り最終連には推敲の余地ありと感じました。
言葉の飛躍については、私もそういった魅力ある作品を知っていますし、川元さんも>>151で私の別作品『上海された』(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11699)を例のひとつに挙げてくれましたが、私自身は川元さんのおっしゃる“言葉の飛躍”が感じられないことが詩にとってよくない要素だとは必ずしも思っていません。もちろん作者の個性は大きな魅力のひとつです。しかし詩作において・また読み手としても私はそこだけに終始するつもりはないので、この件に関しては川元さんの見解を参考にさせていただくということで答えにさせていただきます。


>>151より
> ちょっともう体こわしたりとか、いえなくなるかもしれないので、今言っておきますが、石畑さんは、よく
> 作品の中に「セックス」「自慰行為」「視姦」「ヤッタヤラナイ」とかかれますが、私も性的なことを、自分
> の文章で書いていて、それを、ふくらませたりとか、笑いに変えたりとか、で、性的なことはありふれてい
> て、もっとふくらますことで、楽しいことだったり、残酷だったり、そういうように読めれば、なんて考え
> ていました。最初にかいた、「もっとたくさんおききしたい」という中の一番おききしたかったのはここで
> あって、例えば「視姦」された女性が、その「文字」そのままを見た場合に、思い出して傷ついたり、もう
> 考えるのをやめたりするのでは?と。それで、逆に、「文字そのまま」を出すのは、逆に女性を辱める危険
> がないですか?なんておききしたかったです。

まず、川元さんが挙げているそれらの単語を使った作品(と思われるもの)はそれぞれ下記の通りです。
・セックス……『足』(URL割愛)
・私は独りで自慰をするしかなかった
   ……『それからの孤島』http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=11037
・ヤッタヤラナイ……?? どの作品のことを指しているのかわかりません、失礼
(もしかしてこれでしょうか→そもそもどこまでが「しない」でどこからが「した」なのか
   ……『誰も悪くない』http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=6359
・視姦……『あの頃』これは未詩・独白として発表しているのでここで触れるのはどうぞご容赦下さい

私は『生・性・死』を詩作テーマのひとつとして持っているので、性的な単語や表現を用いることも少なくありません。暗に表現することもあれば文字そのままを用いることもあり、さまざまです。文字そのままを出すことで女性を辱める危険がある、という件ですが、文字そのままであることのインパクトという点をおっしゃっているのかと受け取りつつ、しかしそれらは暗に表現されたものでも現にそこに“表現”されているのならば危険は同様であると私は考えています。

想いを言葉にする際、また構成上、作中に必要な言葉ならば私は使います。それと同時に、相応の覚悟もします。読み手のことを考えていないのではなく、読み手のそれらの動向を可能性として背負う覚悟がなければどんな言葉も使用できないでしょう。これに関してはもう性的表現であるか否かの問題だけには留まらないことだと思っています。
川元さん自身がおっしゃるところの『楽しいことだったり残酷だったり』という表現ならば、例えば、人の気分を害しなかったり女性を辱めないものでしょうか。確信できる要素は、しかしどこにもないのではないでしょうか。人の心とは、表現する者の想像範囲内にいつでもあるものとは限りません。文字そのものなら危険、アレンジをほどこせば危険ではない、そういう川元さんの考えかた自体が私はかえって危険だと感じます。


以上、今時点で質問いただいたことにはすべて答えさせていただきました。

ただもうひとつ、
>>167より
> Ohathさん
> 全くだ。そこを説明するには、自分が女であるんだけど、性を出すことの書いてるとき
> の暗さ、ポップさ、同じく出来て発表することのそれ。考えると非情に重く、自らこれ、
> この先私が書くことの死亡、のようになって疲れ。これをまとめてからこのスレッドで
> 言えばよかったのです。雑談スレッドから、突っ走ってしまいすみません。どうもあ
> りがとう。ちょっと待ってもらえるとありがたいです。

正直、この“まだおっしゃっていない部分”を提示していただいていない状態では、川元さんの問いの真意が私には伝わってこないので>>151に対する私の返答も川元さんにとっては非常に的外れなものになってしまう可能性があります。質問とは相手がいてはじめて成り立つものですから、衝動に任せるのではなく、できることならきちんとご自身の中で思考をまとめてからにしていただきたかったです。互いの認識が異なるままその枝葉の部分でまた議論をしなくてはならないような状態はなるべく避けたいのです。



ひとつ、川元さんに申し上げておきたいことがあります。
川元さんは、かつてご自分で私にお送りになった数々の私信の内容をお忘れですか。今、私がどんな気持ちでこれを書いているか、あなたはお解りになりますか。
もしもお解りにならないとおっしゃるのなら、この批評スレッドから離れて(雑談スレッドなどに場を移して)きちんと解るようにお話いたします。ただし、先にも記した通り私は現在オン・オフ両方で詩に関して多忙を極めており、時間的・精神的余力がありませんので具体的にお話するのは9月6日以降になります。なお、私信での連絡はご遠慮いただきます。過去の経験上、川元さんと私信でのやりとりをするつもりはありません。
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