批評しましょ[240]
2004 09/12 23:42
田代深子

よっしゃ 乗ってみようか

チアーヌ「チャームポイント全調査」について

 「お前のチャームポイントはどこだろう?」
 重箱の隅をつつくようなことだが、あまり会社の上司が女性社員に向かって「お前」と
呼ぶことはないと思うし、この質問自体がすでにセクハラ発言として訴訟にかけられても
おかしくないものだ。まあべつに、この詩にセクハラが含まれているとかいないとかはまっ
たく問題ではなく、ある種、作者も意図していないであろう下世話な読み方ができてくる
ことに気づく。
 すなわち、この上司と語り手の部下(このさい上司が男で部下が女とは限らない)はデ
キている。

  「お前のチャームポイントはどこだろう?」
  不意に話しかけてくる上司の声に、
  「見えないところにあるんですよ」
  と笑って答えてみた

  上司も笑った

 とすると、ほら、エッチな感じに読める。「よし、見せて、付け根までね」といやらし
く突っ込みたくなる。と、いうところで、山田氏の《絶対に思考が親父とシンクロしてるっ
て。で、シンクロしてる自覚がない分、やはり鈍感なんだという結論は変わらないと思う
よ。》という指摘が効いてくる。ここで表象される「親父」は、壮年の男性を指すもので
はない(と、私が勝手に決める)。家庭や企業における主要な経済活動の担い手、それゆ
えに発言力と(建前であれ/小規模であれ)権威を有する者である。この権威者と私的エ
ロス的シンクロを果たし、その結びつきにより自らに権威を付与することができればこそ、
語り手は審査され篩にかけられる「モデル」たちを、まったく筋違いな価値観で計ること
に耽りこみ、自己肯定的な結論をつけて満足していられるのだ。
 そもそもこの「オーディション」の目的は何か。商品広告のイメージガールか、企業イ
ベントのキャンペーンガールなのか。チャームポイント「目」「足」と並んで「天然ボケ」
が登場するのは何故なのか。そのオーディションで、モデルがモデルとして職を得るため
に強調するべき「チャームポイント」は、その美的イメージなのである。それは細い足、
大きな目、また全体として醸し出される小賢しさのない雰囲気、どのようなものでも構わ
ないが、絶対にメディアの表層=平面として理解されやすい「時代的美」でなければなら
ない。

  「性格がいい」なんてことや
  「思いやりがある」なんてことは
  二の次三の次

なのは、まさに「当たり前」であり、

  チャームポイントってなんだろう
  とりあえず
  調べたりするもんじゃないだろう
  ふつうは

「ふつう」に理解される微細な「チャームポイント」である必要はない、職業的条件とし
ての「チャームポイント」なのであって、だから「キビシイ」審査の目にさらされる。
 くり返しになるが、この上司と部下はデキている、と考えるのは、語り手(部下)の職
業的・社会的無頓着さによる。すなわちこの語り手は公的場に私的価値観を持ち込んで悦
に入っているわけだが、なぜ私的価値観がモデルたちの冷徹な商業的美に優ると信じてい
られるかと言えば、彼女たちの持っていない「権威(山田氏風に言うなら親父)」の後ろ
盾を、エロス的に確保している(と本人が信じている)からだ。しかもモデルたちにとっ
ては現在まったく関係ない、内面的美によって(と本人は信じている)。
 なるほど鼻持ちならない。
 が、これは幸せそうで妬ましいからなのかもしれない(笑)
スレッドへ