批評しましょ[190]
2004 08/21 01:41
田代深子

石畑由起子「足」について

 あまり魅力を感じる詩ではない、というのが正直なところだ。

  二ヶ月ぶりに会って
  しばらく動けなくなるくらいのセックスをしたあと

という導入部のインパクトがすべてであろう。詩においてインパク
トは必ずしも重要ではないわけだが、インパクトを狙って書いてお
きながら、終行に到るまでそれを食いつぶすだけになっているのが、
いかにも力不足の感を抱かせる。内容の質の良し悪しではない。言
葉の力が足りないし、言葉に対する入れ込みが足りない、と感じら
れるのである。

 なぜ自分が詩を好み読むのか、また書くのか、と考えるに、詩に
は「事象に対応する正確な言語表現」を僅かずつ崩しずらすことに
よる「意味のブレ」があるから、と、ひとつ言える。こうした「惑
わされ」によって、イメージは幾重にも同時写しになっていく。そ
れが鮮やかであればあるほど、魅力的になることは確かだ。無論、
技巧的であればいいというものではない。それは技巧と言うより
も、言語に対する敏感さ、ある種の疑り深さの現れである。表現素
材としての言語に対して、尽きせぬ興味をもち、取り組めているか
どうかということだ。
 「上海された」が魅力的な作品になりえ、「足」がそうではない
ところの、それが理由であろう。



 さて、上記の詩に対する私の評価はともかく、ここでいろいろ言
われている中で、読み方として[135][139]における山田氏の謂いに
一番面白さを感じている。詩とはまた、読むにおいても意識の敏な
るを要するということか。しかし山田氏もちと要らぬ言の多いこと
だ。その韜晦によって時折きわだつ物言いがあるにせよ、できれば
一度、がっつり評など読ませていただきたいものである。
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