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ぼやき・愚痴・嘆きの野原 (雑談系)スレッドオペレーター:管理人預かり
       ぼやき・愚痴・嘆きの野原

★゜*。。*゜☆゜*。Teardrop Field 。*゜★゜*。。*゜☆


      コノサカヅキヲ受ケテクレ
      ドウゾナミナミツガシテオクレ
      ハナニアラシノタトヘモアルゾ
      「サヨナラ」ダケガ人生ダ
             ― 井伏鱒二


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べつに誰に、というわけでもないけれど、ぼやきたい、愚痴りたい、嘆きたい「ひとりごと」を自由にかきこむ場としてご利用ください。

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6. スレ主の任意(きまぐれ)でルールは改変されたり追加されたりするかもしれません。


[61]るるりら[2016 09/05 15:57]
石村さんへ。書き込みしてたのですが、いつか詩にできそうなので、削除しました。ぼやきとか、愚痴とは違うきがしたから削除しました。もし、もう 読んでおられたらごめんなさい。
 

[60]ハァモニィベル[2016 09/05 11:50]
ぼやくなら(嘆くにせよ)本音でありたいものだ。

堂々とする勇気がない、というのは本音だろう。

「詩人でいてください」は、詩人であってほしい、という他への祈りだろう。

「詩のめざすところ」は、詩がめざしてるのでなく、詩をめざしてるんだろう。

偽装して飾らないことは、めざしたいところである。

という本音の独り言。
 

[51]ハァモニィベル[2016 08/30 21:55]
石村さんご返信感謝。>>49

想定するオーディエンス について


自分の聴衆が誰なのかを明確に意識しながら詩を書いている人も当然いるでしょうが、
利用できる媒体が特定の「詩誌」かインターネットに限定されている中では、
「投稿欄の選者」か「自分が参加しているコミュニティーの人々」のみが現実の読者である、
というのが現状。すでに「デビュー」している詩人であれば「詩壇の同僚たち」でしょうか。


>自分の聴衆が誰なのかを明確に意識しながら詩を書いている人も当然いるでしょうが、

ここは、ピンと来ない感じ、ですね。積極的にも「明確に〔も〕意識」してない
というのが、むしろ私です。そういう「意識」は逆に私には驚きですね。

例えば、応募するとしたら、傾向を考慮しますが、それは「読者を」ではないですね。
(詩誌に応募したことはまだ一度もありませんが)


>「投稿欄の選者」か「自分が参加しているコミュニティーの人々」のみが現実の読者

こういう現実の読者をいちいちに想定しては、とても書けませんね逆に。


わたしが漠然と想定するのは、「ごく普通のまともな読者」というイデアなのだろうと思います。そういうイデアな彼と彼女たちに向かって書いてる意識はなんとなくあります。

そういう風に、わたしは作品を書いていると自分で内省しますが、

いわば、聖なる読者にむかって書いているのであって、俗なる読者は眼中にないですね(笑)
「眼中」にも「意識の中」にもないのは、そういう人達を具体的に一人も知らないせいもあると思いますが。




もっと踏み込んで説明してみると、こんな感じでしょうか。

これまで、わたしは、小学生くらいのころからずっと読書してきましたが、それこそ、手塚治虫、永井豪、本宮ひろ志などのマンガから、古今の文学、批評、哲学、その他(列挙したら切りが無い)にいたるまで、諸々あるわけです。それらの、偉大な作者(書き手)たちが、こちらに向かって表現しているのを読んで来て、〈彼ら書き手が 向かって書いている読者〉というものを、わたしは読みながら、どこかに感じてきたんですね。

そういう偉大な(というか私が認めるような)書き手たちが、想定してきた、読者なるもの、のイメージを、わたしも、自然にというか、勝手にというか、じぶんのイメージの中に連鎖的に持っているのだと感じています。

そういう、反射した歴史的厚みを持った〈読者〉が、わたしの想定する読者(観客)なのだ、
と言ったら、解ってもらえるでしょうか?


**

>>50 蛾兆さん コメント感謝。

むしろ文学は、精一杯負ける者にこそ微笑む哀しい栄冠のはずです。
選りすぐられた古典・名作に勝てないとすれば、その負け方で負けているんでしょう。
人生に勝つような感覚では、名作には勝てないのはそのためです。無痛分娩できるほどヤワでなく、
無痛分娩が増えるほど、滅ぶでしょう。




(補足)

オーディエンスを広く漠然と想定しているのが私ですが、

具体的な像のほうは、
コミュニティーの経験に沿って消去法のなかに具体化してきたりします。

例えば、キャッチボールの下手なヒトには読んで欲しくないなあ、
みたいに、消極的な形で、負の具体像がちょっと垣間見えたりします。


 

[48]ハァモニィベル[2016 08/30 13:10]
石村さん

「いつ来てもうまい」が変わらないために、微成長をつづける、
というのは、名人・達人たちの暗黙の法則を取り出した格言として感銘ぶかいものがありました。


劇画『ゴルゴ13』でお馴染みの作者さいとうたかを氏は、(TVのインタビューで)20年以上前の『ゴルゴ13』の頁を開いて、「この頃は、上手かった」と、まあ半ば洒落、なかば本気で、つぶやいていました(微笑み)が、

そこで、さいとうたかを氏は、こうも述べられていたのが印象深かかったです。
映画とか書籍を売るというのは、お客から先払いしてもらう仕事であるのだから、作品がそれを裏切ったら繁栄はないんだ、と。信用を重視し、みごとに仕事を成し遂げるゴルゴ13の、その作者らしい言葉だな、と私は感じました。


一定の質をわらない、下げない矜持と能力ということを考えます。


日々微向上というのは、そのために明らかに有効であろう在り方ですね。



かつて、将棋関連の本を読んでいて、二つの(考え方の違い〉を面白く思ったことがあります。升田幸三(昔の天才棋士)について訊かれて、片や、佐藤康光氏(プロ棋士)は、その当時天才であろうと、現代の最先端には何の参考にもならない。そこから得るものはない、と(けっこうハッキリした発言をしたとインタビューした記者が書いていた)。

同じ質問に対して、片や、羽生善治氏(現代の天才棋士)は、升田幸三がもし今も生きていて、第一線で我々(A級棋士)と、しのぎを削っていたら、鬼手炸裂のあの才能を、現代において発揮したであろう。我々が、その升田幸三に勝てるかはわからない。と。羽生善治氏は、升田幸三の当時の芸術的ともいえる棋譜からも(本質を)学べる、と言っていたように私は記憶しています。


本質的に変わらない質を、発現し発揮する力をもつ本質というものがあり、
それに気づかないヒトと、気づく人がいる。

どこか、本質を共有する者だけが、互いに互いを分かり合えるのかもしれません。





中学生の頃、ミュージシャンのアルバムを買うと、十数曲入っていても、いい曲は二曲くらいしかなくて、名のある人の詩集というものを、いくつか読んでみても、名作は、二本くらいしかなかったり・・・、パレートの法則が支配しているようなので、

作品が粒ぞろいだったり、出来が良くて均質だったりする人も、また二割くらいしか居ないのでしょう。

ただ、
平均が高めの人は、その作品の二割のうちに、世界的傑作を作り出す可能性があるのかもしれないし、


平均が低すぎるヒトも、二本は、普通のものが書けるかもしれない。




ある水準に達するとは何か、という問題がそこにはあるようです。

その水準を超えたものは、そこより下がらないように質を保てばよいので、
ずーと向上しても良いが、しつづけねばならないわけでもないからです。(微向上という感覚は良い指針になる)

水準を超えてないものが、質を保つとけっこう悲惨ですが、やはり(微向上という言葉は救いになる)


そんなことも思います。


 

[45]ハァモニィベル[2016 08/29 13:18]
読者(観客)を意識しない世界が、それを意識しつつも失敗をくりかえす
一時的な練習の場、稽古場であるなら、其処にあるのが、ぴんきりでも当然だし
仕方ないであろう。

しかし、読者(観客)を意識しない世界というのが、自分だけ、あるいは、
自分たちだけの垂れ流しの場であるなら、それは何か別の用途のケアホームだ。


  稽古場は嫌だが、ケアホームでほのぼのしたい(悦に入りたい、とまでは言わない)


そういう世界や心性を他人が持っていてもべつに私は否定したりはしない。
2つの世界を往復しながら細々と保つというひともいるだろうから。


しかし、(いずれにせよ)

まともな読者のいない処には、まともな書き手もいない のである。



註/
最後の文は、(読者の居なそうな処には、書き手も居なくなる)という現象があらわれるのだろう、と言い替えてもよい。大意は同じで、言及の対象が実は全然別であるが。本文のほうは、読者=書き手。註の( )内の文では、読者≠書き手。

 

[42]st[2016 08/28 18:00]
>>34 蛾兆ボルカさま

数式で書いた詩について講師の方が"これはつまらないな。"、
"もっと、・・・叡智を見せて欲しいな。"と述べられた意味を
考えてみました。
私も講師の方と同じ意見です。叡智とは哲学的なことと解釈し
ますが、数式自体ではなくその哲学的な思想を詩にするのが良い
と思います。

例えば数学の最も重要な基本的なもの、無限論や論理学です。
この分野は古くから哲学者も参加しており、現代においても尚、
未知の部分があります。

無限論においては、数学者はふつう実無限派に属します。可能無限派は
少数ですが確実に存在します。古代の哲学者もそうでした。

実無限の殆どの定理は、可能無限では意味がないか否定されるという、
ほぼ相反するものなので、数学者は最初にどちらか1つを選ぶのです。

一般の数学愛好家でも、数学の歴史に興味のある人を除いて、やはり
どちらかを選ぶのがふつうです。数式で詩を書き、公理的集合論を知り
ながら、最も重要な最初の選択である、無限に無頓着(無知なのかも)な
人間がいるようですが、驚きます。

しかし、数式を引用し、哲学的にして、まるでどなたかの引用詩のようにして
利用するのは、面白いかも知れません。どなたかも、それで興味をお持ちのよう
ですね(笑い)。
 

[41]塚本一期[2016 08/28 15:54]
名前変えたら、誰も気付かなくなった。
 

[39]ハァモニィベル[2016 08/28 14:31]
孤蓬さん

キャッチボールの下手なひとって、私は嫌いなんですが、
あなたはどうですか?


例えば、キャッチボールの下手な人は、この質問にたいして
どんな風に答えるもんなんでしょうか?


# 下手である以上に、出来ないのかも知れないけれど。
 

[37]ハァモニィベル[2016 08/28 13:12]
*

知識という墓石にばかり目が行く者には、ソクラテスの〈考える力〉のほうは目に入らないらしい。ソクラテスが賢いのか、プラトンが賢いのか、興味深いところだが、
ソクラテスやプラトンの「性根」が問題なのだとしたら、それは読者の問題である。


織物は横糸と縦糸から成る。死んだ筈の「作者」を問題にする嗜みの無さはまあ仕方ないとして、それでもまあ、「作品」「作者」は、知識的な横糸に関する話だ。だから、それを話題にする場合には、「なんぞ読んでいなくても」などという立場は、解っている人ならばとらない。

「なんぞ読んでいな」いのか、読めなかったのかしらないが、自由すぎる経糸だけをぶら下げて平気なひとたちをよく見かける。縦糸こそ、読者の思考力と感性の賜物だが、か細い縦糸オンリー(しかもいつも同じ様)な平板なひと程「性根」なるものもまた、読者の劣等感やルサンチマンでないか、よく思考してみるといい。

テクストは、作者が書くものなのか、読者が書くものなのか、そもそもよく考えて欲しいところだ。(そういう横糸を交えて議論をするならね)



もっとも、私は、テクスト論も読者論も、もう旧いと思っているけれど。

ヲハリ



# 蛾兆ボルカさんの〈叡智論〉は感銘を受けました。


 

[32]ハァモニィベル[2016 08/28 02:05]
>>30


自分を賢く見せようとする人は、ひとに無理解を投げつけ、愚かさを強要する。

まったくその通りのようですね(笑)。


「無理解」ということに、どうしても愚劣さがつきまとっている
そんな印象を覚えます。

例えば、単純に【賢/愚】という二項対立で狩りをしている者というのは、

人格を否定する奴は「ばか」だ、と言う自分自身が、

「ばか」だと人格を否定する「ばか」な奴だ、と自らを狩っていることに気づかないようです。



少なくとも、人がどれほど賢く見えようとも、また愚かに見えようとも、
人間の賢さや愚かさなど大差ない、という認識を失わないくらいの賢さは必要である。

〔…〕賢さとか愚かさという次元をはるかに超えた叡智に、
誰もが達することは可能だ、と楽観できるくらいの愚かさも、また必要である。


という靭やかなエクリチュールが、読み手の中で何ら美しいテクストも創造されず
「無理解」というゴミ箱に消えるようでは、じつに、哀しいかぎりです。



物憂さに共感しつつ、


 

[29]るるりら[2016 08/17 23:30]
了解です。独自に、深めてみます。
とても 有益な発想をいただけました。ありがとうございました。(^-^)/おやすみなさあい
 

[27]るるりら[2016 08/17 16:48]
みなさん こんにちは

わたしは 企画倒れとなった いくつかの企画を 実行するつもりでした。
たとえば、蛾兆さんの ふわゆる わからない詩企画も、私自身は 書いてみたいと思っていました。もしも、どこかでその企画を実行されるなら 私にも 是非 声をかけていただきたいものです。
わからないと わかるの ハザマに 私はいつも身を置いているような気がします。
ですから、まっこうから 「分からない詩」に取り組むことに、もしかしたら 私の伸びしろがあったやもしれません。

さて、「わかる/わからない」。それは 詩においてだけの話ではないです。
わかった気になっていた事柄に 思わぬ大穴が開いていて まったく理解などしていなかったと知ったりすることは よくあることです。
その逆に分からずにいたことを 考えて続けていたら、ほかの 打破しがたい困難にも大穴を開けることができるような機知を得ることになることもあるかもしれない。

まど みちおさんの 「ぞうさん」の話がでていましたね。私は、その詩の大ファンです。 簡単な言葉で構成されている詩ですが、「わかった」だなんて 言いたくないのは、私が あの詩が好きだからです。 蛾兆さんの紹介してくださった まどさんの お人柄がうかがえるようなお話も うかがえて、嬉しかったです。やわらかな 気持ちをいただけました。ぞうさんという詩が好きなのと 同じ 感触を感じさせていただけて 幸せでした。

まどさんのぞうさんを「わかった」と私は 言いたくないのですが、その逆に
わたしは、詩が気に入ったという理由で「わかった」と言ってしまうこともあります。
たとえば、この作品に 私は「わかる」と言いました。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=321251

でも どうでしょうか?「しゅるっ」って 感じを、ほんとうに私は理解しているのだろうか? 分かった気になった あの詩の「しゅるっ」とした感じですが、でも あの しゅるっとした感じは ほんとうのほんとうは 新体操の選手でないと わからないはずです。
人間の身体能力は不思議です。あんな動きは ほかの動物では無理。イメージする力と筋力とさまざまなもので 「しゅるっ」なのだと思います。多くの人間が体現することも無理。しかし体現はできない不可能な動きを、詩で「分かった」と 言わせている。読者に思わせている。

 簡単に分かった気持ちになるような事柄って、たいていの場合は ほんのすこし深く考えただけで わからない部分が含まれていることに気がつくもんだと私は 思います。https://www.youtube.com/watch?v=yWl_pbayZjM
(動画は、鹿児島実業の新体操演技です。この動画は なぜ 彼らの世代で なぜセブンなのかも よくわかりません♪)

心の新体操。それが 蛾兆さんの 「わからない詩企画」だったのじゃあないのかしら。
そんなことも 思うのです。
 

[26]ハァモニィベル[2016 08/17 10:55]
# (ほやきの補足)


詩人を見つけ出せるのも詩人であって、

詩人を発見できる人というのは、その人も又詩人だからです。


ただ、多くは、
その確信がもろくて揺れるひとほど凡人に近く、
その称讃の言葉が、説得力を欠いているひとほど凡人に近い

という傾向はありがちですが、そういう人であっても

全く区別のつかない、真性の凡人や、
敢えて区別を搔き消す、仮性の詩人より


確かな詩人だと思います。





真性の凡人は凡人を非凡人として選んでも平気であり
仮性は仮性を選びますが、
詩人を自信をもって見出せるのは、詩人だけです。

その評価感覚が、他人でなく自分にむけられたときもおなじ結果になります。
(それが書き上げる作品の質の違いになって現れるわけです)


 

[23]ハァモニィベル[2016 08/16 20:31]
>>22

私のような(蛾兆語で言うところの)「凡人」には、
とても書けないであろう
腑に落ちない文書に
拍手しながら、

苦笑しつつ、わたしは失礼します。


ここでは、ボツにはできませんからね(笑い)。



# 蛾兆さんの愛すべき謙虚さに乾杯。
 

[20]ハァモニィベル[2016 08/15 23:23]
>>15 >>16

「わかる/わからない」については、私は全然関心がないのですが、
まど・みちお(作詞)の『ぞうさん』にからめて、そのことになぜ関心がないか、考えてみます。


『ぞうさん』は、曲と一体化することにより、幼児向けの童謡となることで、みごとな傑作となっている作品ですが、
別段、皆さんがおっしゃるように、「わからないけど」、とは思いません。むしろ、わかりやすい良い作品であると思っています。

子どもたちは、『ぞうさん』を歌うことにより、自分の容姿などの特徴(自分の存在の仕方)が、それが醜いにせよ、秀でたものであるにせよ、親から受け継いだ自分の個性なんだ、ということに気づくわけですから。

詩人というのは、本質を直観できる者であり、優れた詩人の詩を読むと、読者も、上例の如く、その詩によって、本質を直観させれられるわけです。凡人には本質直観はできないので、そういう詩を書くことも出来ないわけです。ところが、凡人と詩人の差をどうしても認めたくないのか、ともかくも、認めようとしない為に、「わかる/わからない」が問題だ、などと言い出すのだと、わたしは思います。(悪口ではありません)

凡人が、本質直観めいた詩のようなものを書こうとして書いたとして、それをみたら、かなり惨憺たる印象が(読者には)あるでしょう。そして、それが堆積したのをみせられると、「詩」というものが本来もっている筈の価値までが、どんどん薄められてゆくことになり、「詩」が可哀想な状況・様相に堕ちこんでいく、ように(わたしには)直観されたりします。正直に言えばですが。

なので、凡人は、「わからない」わからなさ、というのを、精確に、発露していけばいいんじゃないか、と思いますね。その方が、まさに、詩になるんじゃないでしょうか。凡人による凡人のための詩ですね。

もっとも、凡人ではない詩人は、それをもっと巧く詠んだりしますが。

  「何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」(西行)



私なりに分類してみれば、

わからないけど、腑に落ちる詩 (詩人の詩)
わかるけど、腑に落ちない詩 (凡人の詩的な文書)
わからないし、腑に落ちない詩 (文字化けと同等の駄作か前衛ゲージツ)
わかるし、腑に落ちる詩 (文学的な詩)

となります。

以上の3つ目に注目すると、
これは、人間的なものを排した、無機的な表現を狙っているわけでしょうが、
そういうのは、結局、模様が連続しているのと変わらず、絵画では有効な面もあるが、
言葉の場合は、人間には退屈でしかありません。


さて、傑作『ぞうさん』について。



『ぞうさん』を、私が最初に歌ったのは、2・3歳くらい、はじめての童謡といってもいいかもしれません。
母と風呂に入ったときに、よく一緒に歌った(歌わされた)記憶があります。
そうすると、思うのは、
 なぜ、「父さんも」ではなく、「かあさんも長いのよ」なのだろう?ということでしたね。
父の方が一本長くてゾウさんに見えましたから。母は2つあってどうも象というよりウシだろう、という感じがしたからです。

まど・みちお は、五歳の頃、ある朝目を覚ますと、母親と兄妹が、彼だけを残して、父親のいる台湾に行ってしまった、
という体験をしています。その後、山口県で、祖父とふたり切りで、小学四年まで暮らしたそうです。

書き手としては、「父さん」にするか、「母さん」にするかどちらにでもできそうで、選択に迷うところです。
どちらが、書き手にはしっくりくるのか?まど・みちおにとっては、ここは「母さん」でなければならなかったのでしょう。

   ぞうさん ぞうさん
   だれが すきなの
   あのね かあさんが
   すきなのよ

『ぞうさん』の二番はこうでしたね。そして、二番こそ、こうでなければならなかったのだろうと(わたしは)推察します。

『ぞうさん』に籠められた深いマインドは、切なく孤立した者が繋がりを見つけて安心する、
そういう歌でもあるのではないでしょうか。


(以上、私見をぼやきました)
 

[17]st[2016 08/15 11:30]
>>15 蛾兆ボルカさま

なるほど、ぞうさんの詩が百年にひとつの傑作とは、驚きました。
愛とか恋の詩が多いなか、かわいいペンギンやシロクマ、アリさん
の詩が好きな方の気持ちがわかりました。今後はそのような詩にも
挑戦したいと思います。
 

[12]Lucy[08/10 09:21]ハァモニィベル
ここは優しいですね。優しさの野原をありがとうございます。石村さん。皆さんの書き込みを拝読しながら、目から鱗がおちたり、心が洗われたりの、爽やかな心境に久々に浸らせていただきました。愚痴や嘆きも、優しさやユーモアをくぐれば詩になるとのハァモニィベルさんのご意見や、石村さんの、深い悲しみや憤りも、それを刺々しいまま振りかざすのでなく、言葉で調えようとする試みから文学作品が生まれるのではないかとの考察に、深い感銘を受けました。私自身、とかくささくれだってしまう気持ちを調えることもせず、ふてくされてしまいがちな今日この頃でありましたので、このスレッドを覗いてみて本当に良かったとおもっているところです。「優しいことは強いのよ」と言った宮城まり子さんの言葉を思い出させていただきました。
 

[11]るるりら[2016 08/10 08:40]
石村 利勝さん わたしの一行日記のsosに対応してくださってありがとうございました。
渚鳥さんへ
蝶としゃぼんだまスレッドで渚鳥さんが書いておられたが削除をされた
わかるにいたるお話を興味深く読んでいました。あのときの渚鳥さんのお話しは、心をかけてくださっている方に聞いていただくことで心の中に明るいものの見方のできる変化が生まれるというお話だったと思います。
私はリアルに体現させていただいていたところだから ふかくうなづきながら読んでいました。

心境が変わったような気分になるのは 一瞬です。わたしは今は気持ちが晴れています。ただ事態が変化するのには 時間がかかる。

わかる言葉には ふたつの種類があると思う。一つは、一瞬で心が明るくなるような「わかった」と、
もうひとつは、実際に事態が良いほうに変化したとき ああこの人は問題解決の秘訣を理解できたのだなあという しみじみとした意味の二つです。

事態が良いほうに変化して初めて 物事をわかったということになるのだから、わかった気分の時も  あせってはいけない。ときかく前に進もうとしようと思っているところです。

簡単ではないので、あせらないでいようと思います。
 

[4]ハァモニィベル[2016 08/08 22:02]
ぼやき・愚痴・嘆き

もまた、ユーモアという知性とやさしさをくぐれば
文学になる。

でも、そんな強靭な余裕が持てない時やひとも、
この場所はきっとやさしいでしょう。



     なだれ(井伏鱒二)

  峯の雪が裂け
  雪がなだれる
  そのなだれに
  熊が乗つてゐる
  あぐらをかき
  安閑と
  莨(たばこ)をすふやうな恰好で
  そこに一ぴき熊がゐる



この優しい場所の開設を祝して
 

[3]深水遊脚[2016 08/08 18:10]ハァモニィベル
http://po-m.com/forum/thres.php?did=170262&did2=400

このレスのあとまだ「若い会員は」などの書き込みがあると、管理者の労苦も報われませんね。憶測は温存せずルールを読むなり管理者とコンタクトをとるなどして状況を把握したいものです。私の個人的な価値観には皆さん興味ないかもしれませんが、憶測を憶測のまま放置して恥じない発言が私は嫌いです。
 

[2]st[2016 08/08 17:56]ハァモニィベル
あれれ、"---若い会員はスレ立てられないんです。"だと思って
いたら立てられるのですね。
 

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