2016 08/28 13:12
ハァモニィベル
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知識という墓石にばかり目が行く者には、ソクラテスの〈考える力〉のほうは目に入らないらしい。ソクラテスが賢いのか、プラトンが賢いのか、興味深いところだが、
ソクラテスやプラトンの「性根」が問題なのだとしたら、それは読者の問題である。
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織物は横糸と縦糸から成る。死んだ筈の「作者」を問題にする嗜みの無さはまあ仕方ないとして、それでもまあ、「作品」「作者」は、知識的な横糸に関する話だ。だから、それを話題にする場合には、「なんぞ読んでいなくても」などという立場は、解っている人ならばとらない。
「なんぞ読んでいな」いのか、読めなかったのかしらないが、自由すぎる経糸だけをぶら下げて平気なひとたちをよく見かける。縦糸こそ、読者の思考力と感性の賜物だが、か細い縦糸オンリー(しかもいつも同じ様)な平板なひと程「性根」なるものもまた、読者の劣等感やルサンチマンでないか、よく思考してみるといい。
テクストは、作者が書くものなのか、読者が書くものなのか、そもそもよく考えて欲しいところだ。(そういう横糸を交えて議論をするならね)
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もっとも、私は、テクスト論も読者論も、もう旧いと思っているけれど。
ヲハリ
# 蛾兆ボルカさんの〈叡智論〉は感銘を受けました。
