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感想スレ (創作系)スレッドオペレーター:片野晃司
ここは、「批評」というほどではないけれど一言作者に伝えたい人のためのスレッドです。
ポイント、ひとことコメントに対する作者側のお礼、お返事にもお使いください。
(6/28追記)「未詩・独白」カテゴリの作品は批評しないようお願いします。

[294]片野晃司[06/28 14:56]
一番搾りさん、どうも。
もう少し説明しますと、「批評」はだめですけれど、批評ではない感想でしたらOKです。「批評ではない感想」とは、詩の良し悪しについての判断を避けた上で思い感じたところのことです。
 

[293]一番搾り[06/28 14:30]
ぼくは「短歌的抒情の否定」を打ち出した小野十三郎の系列を引く詩人の系統に属する
者でして、つまり名前を出せば長谷川龍生とか金時鐘とかがこころの師匠であり
こころの友だちです。
で、「短歌」「抒情」「否定」だけを見れば、なんか情緒を否定しているような文言にみえますが、
じつはこれ、ファシズムとか戦争とかを徹底的に見つめ、それと戦った系譜の詩人のことばなんです。
小野、長谷川、金とつづく骨太な詩の系譜です。
それはおそらく、いまのようなモダニズム全盛の詩壇ではとうてい受け入れられないことかもしれませんが、
そこの視点からわたしは感想をさせていただきました。

で、今はじめて、感想してはいけないカテゴリーのものであると知らされ、反省しきりであります。
みなさま、お騒がせしました。
 

[292]片野晃司[06/28 09:03]
すみません!うー、スレッドオペレーター失格ですな。申し訳ない。
『ヤサシイ救急車のオジサンと一緒に』
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=13260
この作品は「未詩・独白」のカテゴリに入ってまして、
http://po-m.com/forum/newdocform.php?cat=6
ここの説明にあるように、批評はしないことになってます。一番搾りさん、よろしくお願いします。
 

[291]アンテ[06/27 23:35]
こんにちわー。川村透さんの「ヤサシイ救急車のオジサンと一緒に」について、いろいろと話題になっていますね。
どうしようかと思いましたが、すこし書いてみることにしました。ただ、ここでみなさんが話し合ってらっしゃることとはずいぶん離れていますが。。

うちにも、生後1ヶ月からずっと入院したきりの子がいて、そのことで自分の詩がとても不自然(。。。うまい言葉が見つからないですが)というか無理があるのは自分でも判っていて、でも、何度もそのことを詩に書こうとしましたが、ほとんど最後まで書けた試しがありません。
そうすると、なにを書いても、そのことを避けて通っているような気がして、でも最近は逆に、自分の気持ちとか事実を、言葉で片付けてしまうべきではないと思うようになりました。今後、感じ方がどう変わっていくかは判りませんが、今まで、病院につきそっている間、詩を書こうという気持ちはほとんど感じたことがありません。

だから、と比較するわけではありません。川村さんにも、いろんな事情や関わりあいや考え方があって、そしてこの詩を書くに至ったのだと思うし、「未詩・独白」を選んだことも、学校の問題とあわせて取り上げたことも、いろんな気持ちの末にたどり着いた結果だと思います。
わたしが、ポイントをいれられないのは、自分の置かれている問題が、あまりにリアルすぎて、こんな風に、なにかとなにかを比べるような形で詩にすることが、どうしてもできない、と思ったからです。
何年かたてば、違った気持ちになるかもしれませんが。。。

感想になっていませんね。すいません。でも、うん、やっぱり避けてはいけないなと思いました。
 

[290]黒川排除 (oldsoup)[06/27 21:38]
まぁまぁ、感想スレなんだから、ここはひとつ、一番搾りさんの作品に感想を与えることでね、反論といいますか、えー……
えぇぇぇぇっ。何もないっ。

という、本気まじりの、冗談まじりの、どっち付かずの戯れ言は気にしないでいただいても結構なんですが。
そりゃあ息もしづらいってもんでしょう。じぶんの作品もない、じぶんが評価した作品もない、じぶんの軽いプロフィールすらない、すべてがない。ということはですよ、ということはです、じぶんの背景を何一つとして明らかにしておらんということではないですか。川村さんの詩が、良いか、悪いか、それに関しての背景は、一番搾りさんにも分かるぐらいに、明確なんだと。なのにその背景の明白なものに対し、じぶんは背景に隠れて意見をすると。これって攻撃の構図だと思いませんかね。ここは攻撃スレじゃなくて感想スレですからね、フェアにやろうじゃないかと。こういうことなんですが。
一番搾りさんは、じぶんと詩の関係をもってして、ぼくにとっての詩の絶滅だ、と、嘆いておられるんでしょう。おれにはその絶滅するような一番搾りさんの持ち物が何一つ見えんのです。ブッシュ?ファシズム?飽食の時代?それ以前の話をしておるのですよ。ちなみにその表明はぜひとも、感想スレ以外でやってくださいね。
 

[289]角田寿星[06/27 11:44]
川村さんの詩について。

ぼくはこの詩では、川村さんの主張は極力抑えられているように感じたよ。「小学校の移転問題云々」ってヤツね。
むしろぼくは、サツバツとした、乗り心地最悪、騒音バンバンの救急車の中で、子供を落ち着かせようと話をしたり、携帯のやり取りをしたり、いろんなことを考えたりすることにおかしみを感じた。作者の主張やらいろんな現実の考えは埋没させて、いま目の前にいる子供に集中しようとしているさまに好感を持ったけどな。
反感を持つ人は「ふーん」とか「けっ」とかですむ詩じゃないか?「人を殺す詩」ほどのドギツサは持ち合わせてないと思う。そりゃ一番搾りさんの過剰反応ってヤツさね。

あと、「レスがたくさん付く」=「もてはやす」かよ。ここ、笑っていいとこだよな?
 

[286]一番搾り[06/26 16:28]
>281の感想はとても悲しいし、何も知ろうとしていないんだな、と思えます。

何も知ろうとしないのはあなたですよ。 
この詩の「背」景は知ってますが、それとは別でしょ。詩から感受するものというのは。

もしも、今という時期が、このような詩が大多数に受け入れられるような世の中だとすれば
ぼくなんかが息を吸える場所はもう、どこにもなくなる。
ぼくにとって詩の絶滅ですよ、こんな詩がもてはやされる世の中というのは。
ブッシュの、アフガンやイラクでの大虐殺を背後で支援した米国民の情念や倫理というのは、まちがいなくこのような情念や倫理であったとぼくは思ってます。
もっとも進化した、あたらしいカタチのファシズムですよ、これは。
だれにも抗うことの出来ない価値(最愛の幼子の病気)でもって、それ以外のすべてをなぎ倒すことが可能になるわけですから。
(じじつ、この詩を読んだ多くのひとたちは市長の言い分や、モンダイの冷静な検討を抜きに、この最愛の幼子の病気という一事によって
なんとなく市長が悪い、工場移転が悪い...じっさい悪いかどうか知らないが...という心情になってしまっているでしょう?)
この詩に得点を付けた方々の心情というのはおそらく9.11にマンハッタンの川辺にキャンドルをもってあつまり、死者に慰霊を捧げた人たちの心情と同じものです。
最愛の隣人の死。
それはすなわちブッシュにより、すべての疑わしき者たちを殺戮し、絶滅することを容認する前提になる価値基準や倫理と似通ったものですよ。
ま、それがわかるには、あまりに豊かな社会に生きてますけどね、ぼくたちは。
たぶん理解されないだろうとは思いましたが、
ぼくが徹底的に戦わなければならないのはこういうファシズムだから。
 

[281]一番搾り[06/26 13:43]
>『ヤサシイ救急車のオジサンと一緒に』川村 透


いかんよ、こういう詩は。
こういう詩がもてはやされ、得点されるようなことでは。
どうしょうもなく暗愚なことだよ。
これは、
ほんとうは.....人を殺す詩だよ。
おそらく、そのことに気がつくには、この豊穣で飽食の時代を
通過せねば、たれにもわからないことだろうが。
 

[280]小池房枝[06/26 11:26]
クリさんの「いつか王子様とお姫様が」、http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=14784
最近ちょっとだけお話しする機会があってうれしかったのですが、添えられた最後の一行に
自分の名前を見つけて目が丸くなってしまいました。慌てて何度も何度も読み直してみて、
この作品の通奏低音はなんだろう、この表現はつまり望ましいコトと望ましくないコトとの
どっちの比喩だろうと、今までにこれほど真剣にひとの詩を読んだことはありません。

時には王子様あるいはお姫様だったりする方々と常にそんなんじゃない方々と、共に幾久しく
幾山河乗り越えてとっぴんぱらりのぷうでありますように。いつかきっと「昔々ある処に」の
「おじいさんとおばあさん」になられますように。

御両親、かに座生まれでいらっしゃるとのこと。お誕生日が近いのですね。私は六月の双子座です。
投稿されたものでしたので、私信ではなく此方に。
 

[279]たもつ[06/23 12:55]チアーヌ望月 ゆきいとう山内緋呂子
生田さん「模写」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=14565&from=listbyname.php%3Fencnm%3D%25C0%25B8%25C5%25C4
現実の境界線がぼんやりとしている。その輪郭をなぞることでしか、現実を認識
することはできない。全体に漂う「死」のイメージ。それをたどることで、今生
きている現実が微かに、ぼんやりと浮かび上がる。
情景描写に「模写」というタイトルが小さな鼓動を付与している。
 

[277]片野晃司[06/22 17:52]石川和広クリまんぼう佐々宝砂
Ohatuさんの「ルールについて」http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=14579
>例えばよその国や自分の国を、こういう場所で批
>判するのははたして、ルールに則った行動と
>言えるのか僕には分かりません。
「こういう場所」すなわち現代詩フォーラムでは、日本および皇室、日の丸、君が代について批判することを禁止しません。また、日本および皇室、日の丸、君が代について礼賛することを禁止しません。諸外国についても同様。それがここのルール。
 

[273]アンテ[06/13 00:48]たもつ佐々宝砂
幸運にも、同じ県在住ということで、今日、最果タヒさんの個展におじゃましました。
(神戸の元町です)ご本人にもお会いできました〜(きらりん)
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=731
言葉のならびかたとか、感覚とか、あっそうそうこうなんだって、波長がとてもあって、
どの詩もすごく好きなので、今日はとても嬉しかったです。
なんだか、自分でもなに言いたいのかわけのわからない(舞い上がった)会話でしたが。。
(って、だれも判りませんね)
会場では言えませんでしたが、詩の並べ方のレイアウトとか、良かったです。
得した気分〜(というかほんとに得しました)いいでしょー。
 

[272]ワタナベ[06/10 17:14]
ミチヨさん
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=599
の「おっさん」という詩
何度も読みました。
好きです。
 

[270]川村 透[06/10 08:43]たもつ佐々宝砂
血を吐く世界で
船田 仰  さん
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=13700&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D684
ポイントのコメントにも書いたのですが。

あたらしいのに、なつかしい
確かにかつて僕もこんな世界に棲んでいた。あるいは澄んでいた。
いつまでもココにいたい、と思いながら、柑橘系のにくしみを覚えるほど、ココじゃないドコカへ。憧れていた。17歳。

船田 仰さんの詩に、何か大切なものを感じる今日この頃。
季節、だからこそ、普遍であり「個別」であるようななんとも言えない感じ。
かけがえのない空気ごと瓶詰めにしてくれて、僕たちはその瓶の底でカラカラ
と音をたてるビー玉の色が生きているように雲のように移り変わって行く様に
心奪われている、みたいな。
 

[269]サダアイカ (aika)[06/10 08:05]
こちらこそ、ごめんなさい。なんだか、私、いじわるっこみたいだな
片野さんがかわいそうだよと思ったのでした。
なんだか、わざわざ書くことでもなかったのですよね。
ごめんなさい。
反省。さきほど、私信でお願いいたしましたように、削除くださいまし。
ごめんなさい。
 

[268]片野晃司[06/10 07:43]
アイカさん、ごめんなさい、そうだったですか。
なるほどなるほど。。。
「だっけ」って、僕もあんまり自信なく言ったのでして、ご勘弁下さい。
 

[267]サダアイカ (aika)[06/10 07:39]
こんにちは。ポイントくださった方々どうもありがとうございます。
そして、読んでくださった方々ありがとうございました。

ところで、リアルタイム会議室ログ6月5日で「きぐるみ」とりあげていただきましたが
片野さんより『親指を隠すのは、ほんとうは、霊柩車とすれ違ったときだっけ。』
とありましたが、霊柩車だけでなく、救急車でも同様の迷信があります。
迷信は地方によって異なるのでしょうから、霊柩車だけという土地もありますよね。
ただ、私は霊柩車と間違えてそう書いたのではありません。
そのことをここに記載いたします。

どこに書いたらいいのか迷ったのですが、こちらに。もし、違う場所へ書いた方いいか、私信で送るべきものであるのならば、片野さんのご判断で削除してくださいまし。よろしくお願いいたします。それでは、またです。失礼いたしました。
 

[266]たもつ[06/09 17:31]ワタナベ湾鶴
バンブーブンバさんの『「迷いというもの」返信/午睡機械さんへ』に出てきましたので
リンク貼っておきます。
オンライン詩集「春だから全員集合」
http://tkagechan.at.infoseek.co.jp/zenin.html
フォーラムでおなじみの方も多々おられます。
 

[260]ワタナbシンゴ[06/05 12:27]いとう
午睡さんの批評で知ったのですが、
あみさんの詩 http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=62
あくまで生活感のなかの、自分の輪郭の内側と外側が
こういう風につながっている作品って好きだなと思いました。
外側は、飛躍でもなく、言葉の脱線のおもしろさに衒うこともなく、内側はノスタルジーでも、自己超克でも、感傷寄りすぎでもなく
内側も外側も一貫した「現在」の皮膚感覚を持った語り調子が、
いくつかの作品で、とても新鮮でした。

中でもぼくは、「つつましやかに中華」と「六月の桜(仮題」が好きです。
特に「六月の桜(仮題」には、こんな詩も書いてしまうんだと、強く惹きつけられました。
 

[259]ワタナbシンゴ[06/05 11:38]
>>258

考えてみたらこうやって昇平ちゃんとオンライン上で対話したのはじめてかも。
まあ、文字だけのやり取りも味気ないので、またゆっくり飲みましょ。
どうもありがとう。

Fiorinaさんさん、午睡機械さんのこれからの作品も楽しみにしています。
 

[257]ワタナbシンゴ[06/04 17:07]いとうワタナベ佐々宝砂
>>255

OK。いつもどおり昇平ちゃん(←午睡機械さんのことです)でいこう(笑)
ちょっとここから先は、感想スレの範疇を超えそうですが、話の流れ上ここで続けますね。
(もし都合が悪いようでしたら、オペレータさん、その旨を指摘ください)

このやりとりは、昇平ちゃんとの信頼関係に基づき
彼が批評に対して真摯なことは、もちろん知っている上でのレスポンスです。
ぼくは、昇平ちゃんの肯定的な批評が好きだし、この対話を通して
お互いにとってそれぞれ見落としていた視点を気づくことができるようだったたらうれしい。

>批評に対してナイーヴすぎるひとが多い。

確かにそれはぼくも感じます。でも、人と人との関係ってとてもナイーブだから
ぼくは発言(批評)を書くときとても慎重になる。もし書くとすれば、
その人に対して責任を取れるか取れないか、ということに軸を置くと思う。
昇平ちゃんに対して、昇平ちゃんとの関係に責任をとれるかどうか。
だから、信頼関係を築けないと予想される場合は、(無視するのではなく)沈黙します。
その場合は、直接的なやり取りではなく、自分の取り組みの中で答えていくと思う。

>ただ、肯定的なものに批評の真髄があるというのはぼくも基本的に以前から思っていたことですが、果たしてそればかりでいいのでしょうか。
>ぼくが批評を擁護するのは、批評が暴力になりうるように、作品もまた暴力になりうるからです。
>批評は、批評を受けることを回避しようとするひとたちにとってはほとんどテロのようなものに見えるのかもしれない。だけどそんな見方をするなら作品だって十分すぎるくらいテロになりえます。そのひとつの「力」に対しての、何らかの批判的言及をあらかじめ受け付けない態度というのはどう考えたっておかしい。批評というのはそうしたひとつの「力」への唯一の、真っ向からの対抗力だとぼくは思うんです。

うーん、難しいところだね。今回のFiorinaさんの文章は昇平ちゃんにとってテロだった、か。
昇平ちゃんが、言葉の世界をとても大事にしていて、細部を積み重ね検証していく姿勢は
ぼくにない部分なので(ぼくはとてもアバウトやからね・笑)尊敬してるとこのひとつです。
この場合、同じような状況でのぼくの立場をいえば、
詩や批評から(無自覚的なものであれ、自覚的なものであれ)暴力的な働きかけを受けても、
そこから肯定的なものを生み出せないのならば、その暴力に対して対抗しないと思う。
それは、暴力に対抗することよりも、肯定的なものを生み出せるかどうか、それがぼくにとっての基本軸だから。
だから、暴力に対抗する動機で動かされることはない。鈍感なのかなんなのか、あまり暴力にひるまないし(笑)
ただ、昇平ちゃんの態度表明もよくわかる。それは昇平ちゃんの生き様からくることだから
ぼくがどうこういうことでもないし、自分の価値を押しつけても意味がない。(もちろんきみを信頼しているから)
ただ、そうであるならば、

>ぼくだって批評に賭けている。ぼくはFiorinaさんの文章がぼくにとって食い込んでくるものであったからこそここまで反応したし、今も以前も敬意を払っているし、ぞんざいに扱ったつもりはない。
>(もうひとつついでに。そういう力に対する批評においては、ぼくは自分の書く普段のものと区別する意味合いでタイトルのつけ方を変えています。「批判的断章」なんて、ほとんど機能的な側面ばかりを強調して批判以外の何ものにも受け取られないようにあえてしています。)

批判的断章などとしないで、もっと腰を据えて書いたほうが、より誠実だと思う。
そういう書き方をすることは、もう昇平ちゃんに必要ないのでは?
批評にかけているのならば、昇平ちゃんの読み手であるぼくをもっと唸らせてほしい。(これはぼくの思い入れだけど・苦笑)
今回はFiorinaさんの文章を受けて書かれているので、どうしても書かれ方が対抗的側面になってしまうと思うけど
もっとトータルな視点でポエジーの正体を探っていけば、バランスは今よりよくなってくると思うし
そのバランスのなかから、昇平ちゃんがどの立場を選択し、そこにどう生きているのか
よりクリアーに伝わっていくと思うんだ。
だから、対抗的な動機でかかれる文章よりも、自分の内なる肯定的な声に従って書かれたほうが
慎重で説得力のある文章が生まれてくると思うんだ。
自分の人生かけて、腰据えたものを書いてみたらどうだろう?ぼくはそれを読んでみたい。
批評にかけているのならば、昇平ちゃんが今書くべきことは、もう断章なんかではない、と思うよ。
お互い、自分が人生かけてやるべきことにどっしりとした魂を注いでいこうぜ。
ぼくたちにはまだ、人生かけるほどのことでないものに、色気を出してる暇もないしね。
 

[256]ドジ[06/04 13:39]
>山田さんのスレができたときに巻き起こった議論には過剰な反応が含まれていなかったとは言い切れないと思う。

はあ? だれが議論が「過剰」反応かどうかを決めるんですか?
ほどのよい議論てはなんなんですか? 「愛」のある議論ですか?
たとえば批評にとって一番大事なのが愛だと思っているのなら、
決して「批評にとって一番大事なのは愛だ」とは言明しないで、愛をもって
ただ黙々と人はそれを書くでしょう。
そうではなくて、そのことを指示表出するというのはいったいなんでしょう?(笑)
わたしには理解できましぇ〜ん。

だいたいこれまでの経緯を読んだけど、リンゴがすきかバナナが好きかというハナシに
終始している。
Fiorinaさんは「わたしは詩的時間を蓄積している」という思い込みを表明なさっているだけだから、
「はあ。そうですか」としか本来反応できないことだ。
午睡機械さんも要は「ポエジー」という語彙が気に入らんといっているだけ。
これも「はあ。そうですか」が正しい反応。それ以外に何をいえるのか?
TAKEさんにいたっては何をいっているのか、ぱっぱり理解に苦しむ。共同幻想って
あの、ラベルでしょう?
 単なる。そのラベルの意味とかを云々してもそこに盛られた
思想内容を云々したことにはならない。
ワタナbシンゴさんの「肯定的なものに批評の真髄がある」も何の意味内容も言いあてていない。
これもただただ「はあ、そうですか」というよりほか何をいえというのか?
そもそも、批評ってものはバナナが好きかリンゴが好きかってものではなかろう。
そういうことに終始するこれまでの一連のお話のなかに、いきなり山田さんのコーナーに
噛み付いた人たちの件を持ち出しても的外れもいいところだと思う。
 

[254]ワタナbシンゴ[06/04 05:19]いとう
午睡機械さん(なんかこう呼ぶのよそよそしい気がするけど、午睡ちゃんじゃ変だしね・笑)

うーむ。再掲示がどうのこうのの事情はよくわからないけれども、
>一番の重心は、再掲時に新たに追加された、TAKEさんの一連の作品あるいは文章の賛美の部分でしょう。
というよりは、むしろそれらの作品を通してFiorinaさんが体験した
「詩的時間の蓄積」が述べられていることが、文章の主眼で
ぼくが受け取った、「詩的時間の蓄積」の「詩的」という部分は
午睡さんが受け取ったようなポエジーの話とはずれがあると感じました。
そして、午睡さんの批評の感想としては、Fiorinaさんの批評について、ポエジーを切り口にして読むことは
読めないこともないけれど、ぼくにとっては、説得力がなかった。
もちろん、あったというひともいると思うし、ひとそれぞれといってしまえばそれまでだけど

>あの文章をぼくが恣意的に読み替えて(=自分の問題にしたい文脈に引き付けて)批判しているというご指摘は、逆にあの文章は恣意的に読み替えられうるということを追認しているだけに過ぎないと思います。ぼくに読み替えられるなら他の誰かにもそう読める可能性があるということです。特に、詩に、あるいはわれわれに関係のないひとたちにとっては、なおさらでしょう。

という問いに対しては、
>しかしいまだ明らかでないのは、「詩的時間」と、「そうでない時間」の差異だ
という午睡さんの問題提起(視点提示)の説得力を、
ぼくが午睡さんの批評文から感じられなかった、ということで述べています。
Fiorinaさんのいう詩的という言葉を、ぼくは午睡さんのように受け取れなかった。
午睡さんのように受け取れる可能性は少ないとはいえないが、
バランスとして、かなりの確率でそう読まれる程のことではない、と思うので
慎重に考えて、ポエジーというひとつの切り口だけで語ってしまうには、ちょっと強引かなという感想でした。

ぼくは、Fiorinaさんが感銘を受けた作品に同じような感銘を受けていないので
Fiorinaさんの真の批評文が待たれるところですが(批評の力でその作品に対する感銘の手がかりを得たい)
少なくとも、Fiorinaさんは「詩的」なことに賭けてるんじゃないかな。
ぼくは、そこまで「詩的」なことに賭けていないから「詩的」とは呼ばないけど
「ブルース的時間の蓄積」となら、同じような意味で使うと思う。
でも、ぼくが「ブルース的時間の蓄積」というときに
擦り切れた「ブルース」や「ブルース的」なことをマニアに語っているのではなく
むしろそういうものを、自分が動かされたブルースの体験を通して撃ちたいのであって
「すべてのものにブルースが宿る」と思っているその意味を正確に伝えたいと思う。
そしてそれは、Fiorinaさんが詩的なものでしか現せないのと同じように、
ぼくにとっては、ブルースをやることでしか現せない。
だから、マニアなポエジーを否定するところは、午睡さんの意見とは同じなのだけれども、
違うところは、Fiorinaさんの「詩的」(ぼくにとってはブルース的)の解釈を
午睡さん的な視点よりも、Fiorinaさん側の感覚で読んだんだ、ということです。
おそらく、その真偽は、Fiorinaさんの今後の批評で明らかにされるだろうし
その姿でしか明らかにはならない。

ぼくは、肯定的なものにこそ、批評(批評に限ったことじゃないけど)の真髄があると思うんだ。
自分がout of 眼中(否定的)に思うものなど、ほうっておけばいいと思う。
音楽(恋愛)でいえばさ、たとえば、ゆず(ひろみ)はこういうところが面白くないとか、くるり(みか)はこういうところがつまんないとか
そんな自分が惹かれていないものを語る暇があったら、
ゆず(ひろみ)やくるり(みか)を引き合いに出すことなく、ジュニアウェルズ(スーザン)の素晴らしさをぼくは語りたいし、
サニーボーイ(たまこ)のこういうところはジュニアウェルズ(スーザン)も至らないけど、
明快なセクシーさは圧倒的なんだ、とかさ。(スーザンって誰だよ・笑)
自分が、本当に動かされたものを批評する姿勢で、
自分が真に肯定的に動かされたものを語っていれば
out of 眼中(否定的)なものなどわざわざ語らなくても、お釣りがくるくらい
読み手は、ほんものを見る選択眼を持っていくのだと思うよ。
out of 眼中(否定的)なものに時間を割いて、ひとの心が動くくらいならば
自分が信じる、肯定するものの強度で、ひとの心が動いてくれればとぼくは思う。
もしひとの心が動かなければ、それは自分のそのものに対する肯定的な強度が足りないからだと。
肯定することとは、厳しい過程を経てたどり着くものだと思うんだ。(たとえば恋愛なんかを考えるとわかりやすいよね)

否定がいけないとかいう次元の話ではなくてね。
やっぱり、愛だよ、愛。(対象に対する愛があってはじめて、否定も肯定もできる)
自分を動かすものも、結果的にひとが動かされるものも
愛がなくてはだめなのら(笑)
おいらは、愛じゃなくてずっとエロばかりだからよくわかる(笑)
どんなに言いたいことがあっても、そこまでまだ愛せない作品、愛さない人を語ることは
とがってしまうし、まず愛のない状態の自分の眼を疑ってしまうから
慎重であるべきだと思うんだ。

とにかく、これらのやりとりを経て、Fiorinaさんが書かれる新たな文章が
一段と濃度の濃いものになって、ぼくらの心をとらえることになれば、
みんながうれしい、とぼくは思っています。
現代詩フォーラムに参加するひとりとして、そのような場所であって欲しい、そうありたいとも思っています。
 

[248]ワタナbシンゴ[06/03 12:15]いとうたもつ
Fiorinaさんの
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=13378
を受けて上文を批評した午睡さんの
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=13450&from=menu_d.php?start=30
と、おそらく午睡さんの反応の仕方の焦点のずれを指摘したと思われるTAKEさんの
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=13471&from=menu_d.php
を読みました。

率直な感想としては、たぶん午睡さんは自身の問題意識として大きいポエジーの話に
かなり強引に引き付けて、Fiorinaさんの文章を解釈してしまっているな、
という感じを受けました。
純粋にポエジーについての批評としては、うんうん、とうなずけるけれども
その題材にFiorinaさんの文章を使ったことは、
ちょっと素材として適切じゃないんじゃないかなと。

>しかしいまだ明らかでないのは、「詩的時間」と、「そうでない時間」の差異だ

この午睡さんのFiorinaさんに対する一番重要な問題提示は、
ポエジーを念頭に置いているからこそ生まれた問いかけで
Fiorinaさんが述べている文章の主眼は、平たくいえば
「時間をかけないと身につかない感覚がある」という、えらく当たり前のことだと思う。
(お手軽に自分の感情をマスターベーションする書き手読み手に対する警句ともとれるが)
Fiorinaさんは詩を文学のジャンルという意味で用いていないようだけど
まあ何でもいいや、うまい鮨に詩を感じても、小野のゴールシーンに詩を感じても。
たとえば、鮨づくりを、サッカーを長年厳しく継続している一流のひとたちは(だらだら時間だけ長くやっているだけのひとは別よ)
Fiorinaさんがここで「詩的時間の蓄積」と呼ぶものと同じことをやっているだろうし
鮨が好きで食い続けているひと、サッカーが好きで見続けている人は
やはり、より広く深い味わいを得ることができることも確かだと思う。
(これがジャンルに閉塞したオタク的なものに行きつくことがある、というのもまた難しいところだけれども)
(ポエジーの話も、その辺のことをついたという意味では、ナットクなんだけど、Fiorinaさんの文章の主眼はそこではないと思うんだ)
だからこそ、そういうひとたちが為す事に「詩」を感じることがあるとも思うし、
Fiorinaさんが文中で「詩」と呼ぶのは、Fiorinaさんの動機がそう言うことであってことで
Fiorinaさんの文章の根本は、ポエジーうんぬんよりも、
「継続の力(鍛錬)がなす普遍的な感覚」というものが書かれている。
それをFiorinaさんがこだわっている詩の話で語っているということではないでしょうか。
そう読むことが一番自然なような気がするのです。

TAKEさんの言葉は、至極まっとうなことが書かれていて
ぜんぜん話は変わるけれども、
共同幻想っていうのは、公私問題なんかを考えるときに、
それは確かに幻想なんだけど、意外と実はその幻想を生理的なものとして
ひとは生きてるんじゃないかって最近は考えていて
(国家は今や当たり前のように幻想だって言えるけど、その幻想がとても生理的なものなんだよね)
幻想自体よりも、その生理化されたものをどう超克していくのか、という問題意識は重要だと思う。
午睡さんが批判するポエジーのことなんて、まさにこの生理化された幻想のことで、
その生理化された幻想を受けてに、ニーチェやベルクソンじゃないけど
ひとつのものの取り組みから体現的ひらかれていく普遍的な身体感覚
っていう、幻想とは違う普遍的可能性について考えたりします。
そして、この話はFiorinaさんの話にも、午睡さんが批判の先に言いたかっただろうことにも近いと思う。
2人の向けている視線は、ちょっと午睡さんの批判でややこしくなったけど
同じところを向いているとぼくは思っているぜ(握手)

あ、なんかちょっと話がしりきれとんぼ。
 

[245]nm6[06/02 11:33]佐々宝砂ワタナベ湾鶴
菅井亮さん、気になります。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=657
短いなかで言葉が思わぬ方向へドライブしていく感じ、瞬発力で書いている方のように想像しますが、着地させるところがセンスあるなあ、と。たのしく読ませていただいています。

最近のこのスレの使われ方、当初の意図とは変わってきてしまっているのかもしれませんが、凄くいいですよね。投稿数が多くなるにつれ、その全部を読んでいる方はほんとうに一握りだと思いますが、>242でクリさんが書いていらっしゃるように同じ人のものばかり読んでいても広がらないし、新しく入ってくる面白い人に気づかないままになってしまうので。半分「この人が気になるスレ」化していること、ぼくは全面的に肯定派です。
 

[243]石畑由紀子[06/02 02:03]ワタナベ
最近特に気になってるのが、四方亮輔さん。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=11
私はフォーラム参加が今年の1月からで、それ以前の作品も少しずつ読むようにしてるんですが、
四方さんの『私は絶えず臭い』
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=358&from=listbyname.php%3Fencnm%3D%25BB%25CD%25CA%25FD
を見つけた時にすげーすげーとなり、どんどんハマって今に至ってます。
5月からまた数多く発表されてますね。
個人的には実は決して読みやすいと感じるタイプの詩ではないんですが、詩からただよう空気に惹かれました。

あと、詩と全然関係ないけど、プロフィールの写真が怖美しい・・・:crying:

#>>242 クリさん
#シャッターコーンさん、いいですよね。私もジャブ打たれました。
#阿呆かーとまでは言いませんが(笑)個人的にはこの先も注目のかたです。
 

[242]クリ[06/02 00:08]石畑由紀子ワタナベいとう
シャッターコーンさんが素晴らしい。まだ2作だけだけど。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=904

なんでポイント入んないんだ。みんな阿呆か?
同じ人のばっか読んでたら腐るぞ〜。
…と誰かが言ってました。:razz:
 

[241]いとう[06/01 14:24]チアーヌ山内緋呂子nm6みい
ジュリイさん。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=894

どうもこのテの詩には弱い。跳ね回る感じ。
制約がないというよりは、「制約」という概念がないみたいな。
かなり好みです。
 

[240]nm6[05/22 19:47]ミサイル・クーパー
石川さんの作品が気になります。
雰囲気がとてもいい。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=443
 

[239]いとう[05/18 10:59]チアーヌたもつnm6山内緋呂子川村 透からふ望月 ゆきワタナベれつら
最近になってつとむさんをみつけた。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=680
なんか、才能だなぁと思う。
 

[238]山内緋呂子[05/13 12:34]
oldsoupさん「発光する窓」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=10586&from=listbytitle.php%3Fenctt%3D%25C8%25AF%25B8%25F7%25A4%25B9%25A4%25EB
冒頭「わたしは疲れている」で、共感を呼ぶと思うんです。でも、「疲れている」のは、「よたよた歩く老人」を「見ているわたし」なんです。「よたよた歩く老人」が疲れているのは「わたし」もわかってんです。居酒屋で、「おれも変わってるけどお前も変わってんなー」と共感しあうサラリーマン等に、これを読んでほしいです。
3連目からは、どんどん想起させられます。私、「老人の部」があったら、こちらが大賞受賞されるといい、と思います。
 

[236]佐々宝砂[05/12 00:46]
>>235
わっはは、と笑って終わりにできますので気にしないよーに(w
ほめてくださってたのは覚えております。まことにありがとです。
私、2ちゃんでは「紗々宝紗」とかいう贋物にスレをつくられちゃいました。
あれはいったい誰だったの???

>>233
私はやたらに反省する人なのです(笑。
で、「議論や攻撃の的」という言葉は、なんというか実際になったことがあるので
事実を書いたまで。たとえば上に書いたがごとく、私の贋物が出没したことも
あったりするわけなのです。ま、あの程度なら面白いですけどね(笑

たいした話ではないので
sage
 

[232]佐々宝砂[05/11 22:13]
>>231
「多少ポイントが高く」という発言をしたのは、フォーラム内でわかりやすいことを言おうと思ったからに過ぎません。変な話だけれど、私にしてはずいぶん遠慮しておりまして、フォーラムでは滅多に旧作を載せません。他の人に関しても、遠慮していることを感じますよ。ポイントだけでないことはもう重々承知です。とにかくポイントだけの問題では、ないんです、ポイントは、ただわかりやすいひとつの指標としてもちだしたのです。かえって誤解されやすかったのかもしれず、私はまた反省しなくてはいけないようです。

念のため申し上げておけば、私個人は特にポイントにはこだわっていません。むしろここでのポイントのせいではなく、他のいろいろな理由で、私は議論や攻撃の的になったのかもしれません。自分に問題があったという自覚はあります。他の場所での私の活動や私個人の発言のしかたのせいもありましょうが、実際問題として、私は攻撃を受けた経験を持ちます。ここでは変な私信をもらうことはありませんが、個人メールの方でしたら、わけのわからないメールを受け取ることが毎日です。「おまえの詩は私のことを書いたのだろう」とメールをよこす人もいます。たもつさんについては、書いていいかどうかわかりませんが書いてしまいましょう、「たもつにポイントをいれるやつはアホだ」という趣旨の発言をなさった方もおります(もっとも、その方の発言は真に受けない方がいいです、そういう人の発言です)。そういういやがらせは有名税だと言われたこともあります、しかし私なんて、有名といえるほど有名な人間ではありません。有名ならば詩集を売り尽くしてとっとと次の詩集をつくってるはずです(笑)。

現代詩フォーラムのポイントでごちゃごちゃ言うのは、私の文章の主旨に反しますので、このあたりでやめておきますけれど。
 

[230]たもつ[05/11 19:08]
佐々宝砂さん
ありがとうございました。
佐々宝砂さんの答えを読んでほっとしました。
「権力闘争」も「膿」も僕はもっとひどいことを想像していました。

「批評」でもって権力の道具としているからかもしれないからです。私も加害者であり
得ます。ただ、私は匿名で批評をすることは決してありません。私は常に「佐々宝砂」
で批評をします。返す刀は私によこせ、というつもりです。

こういう毅然とした態度は好きです。最後三行も同意です。
 

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