感想スレ[257]
06/04 17:07
ワタナbシンゴ

>>255

OK。いつもどおり昇平ちゃん(←午睡機械さんのことです)でいこう(笑)
ちょっとここから先は、感想スレの範疇を超えそうですが、話の流れ上ここで続けますね。
(もし都合が悪いようでしたら、オペレータさん、その旨を指摘ください)

このやりとりは、昇平ちゃんとの信頼関係に基づき
彼が批評に対して真摯なことは、もちろん知っている上でのレスポンスです。
ぼくは、昇平ちゃんの肯定的な批評が好きだし、この対話を通して
お互いにとってそれぞれ見落としていた視点を気づくことができるようだったたらうれしい。

>批評に対してナイーヴすぎるひとが多い。

確かにそれはぼくも感じます。でも、人と人との関係ってとてもナイーブだから
ぼくは発言(批評)を書くときとても慎重になる。もし書くとすれば、
その人に対して責任を取れるか取れないか、ということに軸を置くと思う。
昇平ちゃんに対して、昇平ちゃんとの関係に責任をとれるかどうか。
だから、信頼関係を築けないと予想される場合は、(無視するのではなく)沈黙します。
その場合は、直接的なやり取りではなく、自分の取り組みの中で答えていくと思う。

>ただ、肯定的なものに批評の真髄があるというのはぼくも基本的に以前から思っていたことですが、果たしてそればかりでいいのでしょうか。
>ぼくが批評を擁護するのは、批評が暴力になりうるように、作品もまた暴力になりうるからです。
>批評は、批評を受けることを回避しようとするひとたちにとってはほとんどテロのようなものに見えるのかもしれない。だけどそんな見方をするなら作品だって十分すぎるくらいテロになりえます。そのひとつの「力」に対しての、何らかの批判的言及をあらかじめ受け付けない態度というのはどう考えたっておかしい。批評というのはそうしたひとつの「力」への唯一の、真っ向からの対抗力だとぼくは思うんです。

うーん、難しいところだね。今回のFiorinaさんの文章は昇平ちゃんにとってテロだった、か。
昇平ちゃんが、言葉の世界をとても大事にしていて、細部を積み重ね検証していく姿勢は
ぼくにない部分なので(ぼくはとてもアバウトやからね・笑)尊敬してるとこのひとつです。
この場合、同じような状況でのぼくの立場をいえば、
詩や批評から(無自覚的なものであれ、自覚的なものであれ)暴力的な働きかけを受けても、
そこから肯定的なものを生み出せないのならば、その暴力に対して対抗しないと思う。
それは、暴力に対抗することよりも、肯定的なものを生み出せるかどうか、それがぼくにとっての基本軸だから。
だから、暴力に対抗する動機で動かされることはない。鈍感なのかなんなのか、あまり暴力にひるまないし(笑)
ただ、昇平ちゃんの態度表明もよくわかる。それは昇平ちゃんの生き様からくることだから
ぼくがどうこういうことでもないし、自分の価値を押しつけても意味がない。(もちろんきみを信頼しているから)
ただ、そうであるならば、

>ぼくだって批評に賭けている。ぼくはFiorinaさんの文章がぼくにとって食い込んでくるものであったからこそここまで反応したし、今も以前も敬意を払っているし、ぞんざいに扱ったつもりはない。
>(もうひとつついでに。そういう力に対する批評においては、ぼくは自分の書く普段のものと区別する意味合いでタイトルのつけ方を変えています。「批判的断章」なんて、ほとんど機能的な側面ばかりを強調して批判以外の何ものにも受け取られないようにあえてしています。)

批判的断章などとしないで、もっと腰を据えて書いたほうが、より誠実だと思う。
そういう書き方をすることは、もう昇平ちゃんに必要ないのでは?
批評にかけているのならば、昇平ちゃんの読み手であるぼくをもっと唸らせてほしい。(これはぼくの思い入れだけど・苦笑)
今回はFiorinaさんの文章を受けて書かれているので、どうしても書かれ方が対抗的側面になってしまうと思うけど
もっとトータルな視点でポエジーの正体を探っていけば、バランスは今よりよくなってくると思うし
そのバランスのなかから、昇平ちゃんがどの立場を選択し、そこにどう生きているのか
よりクリアーに伝わっていくと思うんだ。
だから、対抗的な動機でかかれる文章よりも、自分の内なる肯定的な声に従って書かれたほうが
慎重で説得力のある文章が生まれてくると思うんだ。
自分の人生かけて、腰据えたものを書いてみたらどうだろう?ぼくはそれを読んでみたい。
批評にかけているのならば、昇平ちゃんが今書くべきことは、もう断章なんかではない、と思うよ。
お互い、自分が人生かけてやるべきことにどっしりとした魂を注いでいこうぜ。
ぼくたちにはまだ、人生かけるほどのことでないものに、色気を出してる暇もないしね。
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