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雑談スレッド2 (雑談系)スレッドオペレーター:管理人預かり
えー、バグなんですが^^;前スレがちょっと壊れまして、過去ログ倉庫に移動しました。雑談用の新スレです〜

[167]いとう[01/06 20:58]
>佐々宝砂さん
一連の発言が118に対する批判であるなら、
128にて、

「ぶつかりあって怪我をしたりものごとが滞ったりということも、時には必要な気がします。」
という見解には大いに同意します。
というより、このようなスタイルの文章のやりとりであっても、ぶつかりあって怪我をしたりものごとが滞ったりということは往々にあると思っています。

とすでに応えているつもりですが。
また、152においても

さらに、そういう言い方を心がけても、
「大きなお世話」とか「あなたに言われたくはない」とか「馬鹿にしてるの?」とか
そういうことはよく言われるし(笑)、
そんな風に言うのだってとても勇気がいるし、
言ったことで(望んでいなくても)いろんな諍いが起こることはある。という感じかな?

と同様の内容のことを別の表現で述べています。
さらに、118においても

そのほうが、物事がスムースに動くと思っています。

と書いていますが、
問題が生じないなんてことは一言も述べていません。
私自身はそれが何故批判になるのか皆目見当がつきません。

それと、
人を怒らせておいて自分で「そろそろ話を収束させてもいいんではありませんか」と述べるのもすごく暴論だと個人的には思っていますが?
と言いつつ、収束させるのにやぶさかではありません。ご随意に。


でまぁ、
俺が「みんな仲良く喧嘩せずに」なんてタマじゃないのは昔から知っているクセに(笑)。

怒りもありますが、楽しんで読んでいた(つきあっていた)のは確かです。
(もちろん↑の文章は別に喜ばせるために書いているのではありません。事実として。)
 

[166]佐々宝砂[01/06 20:27]
と思ったのですが、まだ弁解が足りなかった。

父性的・母性的守護については、確かにまた別な問題です。「暴言」から自分を守ったり他人を守ったりするためには、母性的父性的守護の話が不可欠になると思うのですが、まあ、「暴論」とは別な話といえば別な話ではあります。

でも私、そろそろ別な話がしたかったのでした。そろそろ話を収束させてもいいんではありませんか。これ以上やっても、私がいとうさんをよりいっそう怒らせてしまうだけです。
 

[165]佐々宝砂[01/06 20:20]
ええと、まずは。いとうさんはおそらく私に対してお怒りになってると思います。それも当たり前だと思います。私は、いとうさんを怒らせるような内容を、比較的丁寧なスタイルで書きました。しかも、いとうさんがご指摘したように、いとうさんのお書きになった文章(このスレの文章でなく他の場所での発言)まで持ち出し意図的に混同し一緒くたにしたうえで、批判しました。また、わざわざ「傷つく」という言葉をことさらにとりあげ、若干感傷的な意味合いをこめて使用しました。自分でいうのもなんですが、私のこういうやりかたは非常に汚いです。この点では深くおわびいたします。たいへんに申し訳ありませんでした。

私は、ただ、いとうさんに理解……というよりも、体験していただきたかったのです。スタイルがどれほど丁寧であっても、今回のように問題は生じます。私の一連の発言(120〜138)は、その発言内容スタイルすべて揃ったうえで、いとうさんの118発言に対する批判です。

……とタネをばらした以上、私は、いとうさんに謝る以外にやることがありません。全く、申し訳ありませんでした。ごめんなさい。
 

[164]いとう[01/06 19:19]
再び
>佐々宝砂さん
もしかしてこのスレッドでの発言についてでなく、
別の場所での発言についてでしょうか?

心当たりがあるのは
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4680
↑これですね。
ここでナーバスだとか傷つくだとか散々言ってますが(笑)、
これは、佐々宝砂さんの
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4652
を受けてのものです。
でなければ、こんなにあからさまにナーバスだとか傷つくなどの表現は使いません。
そのあたりをご理解いただければ。
(というか、理解したうえで敢えて言って反応を楽しんでいる気もしていますが)

そして、もしそうであるなら、
スレッド上での発言のつらなりと混同する可能性があるので、
できれば分けた形で発言していただけると助かります。
私自身は、まったく別の論点で発言していますので、
一緒くたにされても困りますし、
ここでの話がそれていくだけだと思います。
さらに言うなら、私自身このスレッドで「傷つく」という言葉は、
感傷的な意味合いを含める意図で使用していません。
そういう意図が含まれるように感じるのなら、
違う表現を用いても全然かまいません。
また、父性・母性的な守護について論じているつもりもまったくありませんので、
もしそのように受け取られているのであれば、
私の意図するところがまったく伝わっていないと思われますので、
非常に残念です。
 

[163]いとう[01/06 18:11]山内緋呂子
昔、萩尾望都の「半神」という漫画を素材に詩を書いて発表したところ、
とある方からパクリじゃないのかとご指摘をいただいたことがある。
自分にはそういうつもりはまったくなく、
口調も少し強めで、
最初にその指摘を見たときには一瞬不快だったが(苦笑)、
発表時に注記も何も入れていなかったので、
確かにそのように受け取られる可能性があると思い、
自サイトに乗せるときには注記を入れておいた。
その指摘にはとても感謝している。
何より気を遣ってもらったと思ったのは、
それが「パクリである」と断定する表現ではなく、
口調はきついが可能性の提示として表現されていた点だ。

これがもし、断定した形で、
しかもこちらを断罪するような表現で書かれていたらと思うことがある。
自分の性格上、おそらく、「そんなつもりで書いたのではない」と釈明するだろう。
そしてそれをもし、言い訳と捉えられたら?
「だってパクリになっているじゃないか」と言われていたら?
同じ内容の指摘でも、ずいぶん違う結果になっていたと思う。
最悪の場合、
その場所で、もう詩を発表できなくなるところまで追い込まれていたかもしれない。

重ね重ね言うが、その指摘にはとても感謝している。
自分で気づかなかった点を気づかせてくれた。
それは批判であり、私から見て口調もきついものだったが、
その内容を汲み取れる余地が私に与えられていた。
断定されていた場合も、それが批判であることに変わりない。
でも、同じ批判でも、何か違う部分があると思っている。
 

[162]いとう[01/06 18:10]
>佐々宝砂さん

オイラ、「自分が傷ついた」とは一言も言ってない気がしますが(笑)。
(というか俺の論点とは話がずれている)
ともあれ「いとうハラスメント」ありがとうございました(笑)。楽しんで読んでます。
 

[161]佐々宝砂[01/06 16:38]佐伯いとう
>ボルカさん
レスするの忘れていたけど、「バクロン」というルビ。かなり気にいりましたです。
個人的にタイムリーヒット、満塁だったので一点入りました模様。
しかしまだ走者?名、走者一掃のホームランを打つのは誰か?
(一掃しちゃだめだってばあ)

さて。

TAKEさんのお書きになったこと、特に下記のあたり、

>常々私は思うのだが、「傷つく」という言葉は、それ自体にはほとんど意味がなくて、溜息のようなもので、可愛いとか、悲しいとか、そういう感嘆調の表現ではないかと思う。

私はとても納得しました。おっしゃるとおりです。でも、まあ曖昧で不正確な言葉もときには必要な場合がある。ため息ついてそれで気分がおさまるならいくらでも吐け吐け、と思います。「傷ついた」「悲しい」「寂しい」好きなだけ言えば? なんなら「やりたい」とか、一見具体的なようで実はまるきり具体的でない不正確な言葉でも。言いたいことは言いたいだけ言えばいいんではないか、と最近の私は思います。TAKEさんの姪御さんにしても、いじめの初期に「傷ついた」という言葉を使わなかったとしたら、誰にも自分の感情を伝えることができなかったかもしれません。必要な場合には「傷ついた」と言うべきです。

私自身は、本来、あまり、傷つくの傷つかないのということを言いません。ただ、ときたまわざと使います。「傷ついた」という言葉は、傷ついた経験を大切に抱きしめてるような、トラウマの自覚がある相手にむかって使うと効果的です。ちゅーかそういうひとは、私が使うまえに向こうから「傷ついた」という言葉をつかってきます。私はオウムのように「傷ついた」を使い返すだけです。単純に考えてくださってわかると思いますが、人を傷つけた自覚のない相手にむかって「私は傷ついた」「おまえのせいで傷ついた」「おまえのせいであるひとが傷ついた」と言ったら、言われた方が傷つきますね。だから私は相手を傷つけるつもりで、「傷ついた」を連発する相手に「私は傷ついた」「私も傷つきたくない」というたぐいのことを言います。さよう、私は、嘘つきなうえに言うこともぐらぐら変化する、性格悪いいじめっこなのです(笑

とはいえ、私は、ほんとうに困った羽目に陥っている子どもや、現実的実際的に弱い存在をいじめる趣味はありません。大の大人が言い訳めいた口調で「傷」がどーたら言ってると、いじめたくなるだけです。つけたにしろ、つけられたにしろ、傷は自慢になりません。隠す必要もないけど、あえておおっぴらに「傷ついたー」と叫ぶ必要もないでしょう。TAKEさんの姪御さんに比べたら、私たちは大人だし強いし自分で自分の面倒をある程度はみられるはずです。病気もトラウマも無知も不幸な生い立ちも自慢にゃなりません。甘えてんじゃねえってーの、というわけで今回の佐々宝砂は、かなり意図的に「いとうハラスメント」をしてしまいました。申し訳ないです。すみませんです。が、言いたいこと言えましたので個人的にすっきりしました。ありがとうございます。いとうさん。しかしこのへん見事に「オマエモナー」でありまして。「傷」がどうたらとか「私はAC」とか「私は鬱病」とか、言わないようにしようとこれは私の新年の決意。

ま、男だって女だって甘えてもいいんですがね、甘え方にもいろいろありましょう。私は少なくともあなたの母親ではないし、あなたは私の父親ではない。私は別に守ってもらわなくていいし、守ってやろうとも思わない。父性・母性的な守護は、真剣にガス室の匂いがします。でも守護って必要なんですよね、ときには。理不尽な(意味のわからない)攻撃が突然空から落ちてくる世の中では。

ガンジーのごとく無抵抗主義を貫きたい、と思うこともあります。私がほんとうにたったひとりで立っているならば。でも私はひとりではない。そこらへんがむずかしいのです。
 

[156]佐々宝砂[01/05 15:32]
もしかして、ほぼ、同じ話題なのではないかと思いますよ、冗談抜きで、
Fiorinaさん。

私はもともと人間じゃなくてアメーバ(笑)、でなければバクテリア、
前の職場でのあだなは「ベム」だったというひとなので、
はやく人間になりたいと思っていました。
で、いろいろあって幸か不幸か望んだのでなく2ちゃねらー化してきた私ですが、
変な話、われながら、ずいぶん人間ぽくなってきたように思います。
2ちゃんねるには人間がいますよ、まちがいなく。

最近の私の悩みは、人間になっていいのだろうかということです。
 

[155]いとう[01/05 13:14]
2chに参加するのはストリートパフォーマンスに似ていると、
以前、都立家政さんという方がおっしゃってました。
 

[153]ポロリ[01/07 14:11]
 それって、「面のよろしくない人が自分の顔を不細工だと認識している」例ですよね?そして、「容易には直せない」例でもありますよね。
 詩や表現物の場合いかがでしょう?作者が必ず認識しているとは限りませんし、また、直す(推敲する)のも容易でしょう。なので、まったく同列には論じられないと思います。また、TPOも、例より限定されていると思います。
 でも、笑いました。(考慮しなければならない要素はたぶんに含まれていますね。)
 当然、一般常識の枠内で考えて、禁止されていることはあり、どうにも争いを回避できない状況はあると思います。しかし、この場合はある特定の個人の感情にとらわれるべきではなく、あくまで「表現の効率的向上」の側面を重視すべきだと思います。被害者の放置であれ、行為者の強制退場であれ。
 

[152]いとう[01/05 05:17]ポロリ
たぶんTPOなんだろう(笑)。

他の人と話していて、喩え話で出てきて、的確だと思ったので、
自分なりに消化して使わせてもらうけど、

不細工な人に、
「ブス!」と吐き捨てるように言ったり
「ブスのクセに街歩いてるよ!」とか揶揄するのはやっぱまずいでしょう。

で、
「あなたは不細工だ」と述べるのは、暴論かもしれないけれど、一面を突いている。
それを受け止められるかどうかは言われた人次第、あるいは、
言った人と言われた人の関係性次第なんだろうな、と。
初対面の人やよく知らない人に「あなたは不細工だ」といきなり言うのは、
俺はやっぱまずいと思う。

んで、
「あなたは不細工だけれど、ここをこうするともう少しキレイになると思うよ」とか、
「あなたは不細工だけれど、別のこんなステキな面を持っている」とか、
そういう言い方を俺はしたいなぁ、と。
傷つけたくないからと言って「あなたは不細工じゃありません」などと言うのはおかしい。

さらに、そういう言い方を心がけても、
「大きなお世話」とか「あなたに言われたくはない」とか「馬鹿にしてるの?」とか
そういうことはよく言われるし(笑)、
そんな風に言うのだってとても勇気がいるし、
言ったことで(望んでいなくても)いろんな諍いが起こることはある。という感じかな?
 

[151]ポロリ[01/05 04:50]いとう
 ああ、やばいな、横道に反らしそう。予め言っておきたいのです。スルーしてください。

 私は、皆様の議論を、「詩作と批評のより効率的な向上を擁護するのか」それとも「議論の場の健全化・適正化を優先するのか」というものととらえています。
 「暴論」は議論の取っ掛かりであり前者に、「傷つけ方」は後者に、類別されるものと考えます。議論の流れは、「暴論」「批判」は良いが、「他者を害さない」ことも大切だ、というものだと思います。そして、傷つけ方の方法論として、スタイルの話になっていたりするのだろうと思います。
 私の考える問題は、この方法論は全て自主規制いわば道徳観念の構築に当てられていることです。これでは、道徳的過ぎて「表現の効率的向上」が阻害されるのではないでしょうか。
 その思考過程は、個人がいかに振舞うかというものを決定し、それに自分が従うというものと考えます。これはいきなり直接規制を考える方式です。
 そうではなく、まず、間接規制から考えたらどうかと思うのです。つまり、同様の効果を得るために、違う方法は無いのかということです。
 私の言う「裁定者」は、議論の優劣、言説の説得性および正論暴論の別を決定する人間ではありません。私の意図する「裁定者」とは、ある言説を解きほぐす人のことです。
 議論の過熱あるいは批判的印象から受ける不快は、無理解と誤認から生じることが多いと思います。そういった、無理解と誤認が、適正化されたならば、「場の健全化」も保たれ、「表現の効率的向上」にも繋がると思うのです。机上の空論でしょうか?
 そして、そこから考えられる方法としては、文章内容を対立関係にない他者が確認(一方の言葉を、他方に受け入れやすく解釈)するというケアによるべきだろうと思うのです。

 やはり、批評はドラマチックなほうが見ていて快感です。そこを規制してしまうのはもったいない気がするのです。語り継がれる議論って暴言や暴論が必要不可欠だと思うんです。
 どうでしょう?ボルカ様?(スルーと言いつつふってみる)
 

[149]ポロリ[01/04 23:27]
>>148
管理者様が「スルー」といってるのに、まずい入り方だったなと反省(w。すいません。
>>116
から読み始め、非常に面白い議論だと思いました。

 ただ、次の点が気になります。それは、「誰が裁定者であるのか」です。暴言・暴論は誰が決めるのか。その点が不明確この上ないように感じます。概念上は非常に明確ですが、実際にはどうでしょう?もちろんその点も内容とスタイルの話で出てきています。
 具体的に論争や言い合いとなる場合、ある発言はどちらかに加担します。そして、その加担が増加すればするほど、対立者は不快になります。
 私は真理など無いという立場です。であるので、ある議論に際してはどちらも真理で無いと予め決めています。しかし、私はどちらかの立場をとります。
 ある議論はたいてい表現者の能力によって決しますが、問題は突き詰めて考えるとどちらにも容易に決しがたいことがわかります。
 私は議論の争点を明らかにすることが、議論の本質と考えています。民主主義は、その決定に本質があるのではなく、議論が出来る場を作り出すことにその本質があり、よって世界的に評価された論理だと思います。
 もっとも良いプロセスをたどる議論は、良い裁定者が場の均衡を保つことにあるでしょう。しかし、ネット上で常にそれは出来はしない(現実もそうですが)。そして、ネット状の議論は、垣根なく、個人が討議できることに本質があると思います。つまり、実空間に対するサイバー空間の優越点は、より広範な意見が集積されるということだと思います(正論から暴論まで)。しかし、116からの議論で明らかなように、個人への道徳観念は、その優越性を抑制することになります。
 では、この優越を保持しつつ、場の均衡を図ることが出来ないか?その答えは、116でしょう。特定個人が公平な裁定者としての地位を保持して振舞うこと以外になしえはしないと私は思います。個人的規制でも、サイト管理者による規制でも、法律でもないのです。
 でも、自己犠牲の精神が必要でしょうし、持続性が必要でしょうから、パワーのいることでしょうね。私には出来ないです。
Thank you
 

[148]ポロリ[01/04 22:35]
はじめました(w。
>>145
>>146
金持ちと貧乏人がいるように、下劣な人間と高貴な人間はいるでしょう。ようは定義の問題ではないでしょうか。同じ言葉を使うとどうしても、自分の固定観念でものを考えてしまうでしょうが、そこは一歩退いて冷静になられてはいかがでしょう。ときには、相手の言いたいことをしっかりと理解することも必要では無いでしょうか。たとえ時間がかかっても。この場が相手をやりこめる場であるならば、別でしょうが。
>>142
ひかる様は、たとえば、「麻原が罪も無い人を傷つけてよいことにはならない」という趣旨のことしかおっしゃっていません。
「下劣」とは、たとえば麻原の卑劣に対する怒りの表現であり、「高貴」とは、「多くの」からもうかがえるように、殆ど全ての人間をさすものだと解釈すべきでは無いでしょうか。
それらを、総合すれば、「傷つける」方式に対して、一定の配慮を欠いてはならぬという趣旨と私は考えましたが、皆さんはいかがでしょう?
Thank you

追記:言葉を操る人間が、その武器にあまりに教条主義的になるのはいかがなものかと、思ったり。
 

[146]片野晃司[01/04 09:42]
人間に下劣も高貴もないゆえ、142はスルーの方向で。 sage
 

[145]からふ[01/03 23:54]
>>142 ひかるさん、その発言は高貴な人々が下劣な人間を傷つけてよいということになっていませんか?だとしたら不快の意を表します。
 

[144]片野晃司[01/03 21:53]
僕は、たとえば会話などでつい、「僕は、この詩は面白いと思うんですけれども、一般受けはしないんじゃないかな、と思いますねぇ」などと言ってしまう。「僕は〜思う」という表現は正確そうではあるけれども、それは嘘を言っていないという前提のもとでしかない。もしそれが嘘であるときは、それは単なるご機嫌取り。
 

[141]佐々宝砂[01/03 15:54]
まあ、でも、体力ないときの殴りっこはやめましょう・・・
 

[138]佐々宝砂[01/03 13:18]いとう
だから、私はダブルスタンダードを提唱したんですよいとうさん。
ずいぶん前の話ですけど。

私は相手を傷つけるようなことを(なるべく)言わない。
でも私は傷つけられても(なるぺく)耐える。

前者に(なるべく)が入ってるのは、批評そのものの持つ残酷性を忘れたくないから。
後者に(なるべく)が入ってるのは、私がそれほど強い人間じゃないからです。

私が単純に考えると、そういうことです。
 

[137]いとう[01/03 12:45]
さて。頭を使った後は反動で物事を単純に考えるようにしている。

相手を傷つけるようなことをしてはいけない。

というのは、当たり前のことじゃないのか?
すくなくとも俺にとっては当たり前で、
そういうふうに言われて育ってきて、
なるべくそういうふうにしようと思っている。

単純に考えると、そういうことだ。
 

[135]佐々宝砂[01/03 09:54]
>いとうさん
>また、「何故他者の印象を優先するのか」という問いに対しさらに内省を進めると、
>そこには、「自分が傷つきたくないから」という心情の裏返しがあるようにも感じます。

ええ、私もいろいろ考えて、そのあたりにポイントがあるんだろうと結論を出しました。「傷つきたくない」というのがやばいのではないか、と。私は、いとうさんと同様に、他人に配慮したほうがいいと思ってます。私もやっぱり傷つきたくないですから。でも胸に手ぇあてて考えてみると、私が傷つくのは、相手の言う内容が間違っている場合や、相手がひどいスタイルをとっている場合とは、限りません。ごく丁寧なスタイルで、非常に正しいことを言われたって、傷つくときは傷つくんです。時によっては、相手の言うことが正しければ正しいほど腹が立つことだってあります。

古い話ですが、フロイドが、イェンゼンの小説『グラディヴァ』を精神分析の手法で読み解いた例があります(『文学と精神分析』、うちにあるのは角川文庫版、解説は安田一郎)。フロイドは、イェンゼンの小説から作者自身のトラウマめいたものを推理し、その一部は確かに正しかったのだと文庫解説にあります。フロイドの文章が文学批評と言えるものかどうか私は疑問に思いますが、ある意味おもしろい批評だし、内容がものすごく間違っているわけではない(むしろ一部はこのうえなく正しい)し、スタイルはもちろんかなり丁寧です。でも、イェンゼンはフロイドの文章を読んで腹が立ったことでしょう。作者自身が知りたくない部分を、フロイドが暴いているからです。

いま私は「暴く」という言葉を使い、そしてふっと気づきました。私がほしい「暴論」は、何かを強引に引きはがして暴いてしまうという意味での「暴論」です。そういう意味での「暴論」は、おそらく、私が近づきたいと思っている「批評」への一歩になるはずです。
 

[134]佐々宝砂[01/03 09:38]
朝から箱根駅伝を見ながら書いていたり。私はけっこうスポーツ観戦が好きです。きっぱりと勝ち負けが出るから。そして国語よりも歴史が、歴史よりも地理が、地理よりも理科が好きです。地理や理科は、答が歴史や国語ほど曖昧でないから。

そういう性格なので、私は断定が好きです。でも私は、できるだけ文章の最後に「思う」だの「考えます」だのをつけることにしています。主語もなるべく省略しません(私、「日本語に主語はない」派の考えに同調してまして、主語を省略しない書き方は好きでないのですが)。かつては「と私は思う」をつけなかったのですけど、インターネットに入ってつけるようになりました。むしろ「私は」をつけた方が責任の所在がはっきりするように思うからです。私の文章の責任はもちろん私自身にあります。他の人にはない。それは当たり前のことなんだけれど、そんな当たり前のことがこのネット世界では通じないのかもしれないと思い始めています。自分の文章に責任を持たないひとびとのたくさんの文章が、世にはあふれています。また、「私は」という主語を省くと、文章の内容を誤解するひとがたくさんいます。かつて、私が何を書いても「私のことを書いている」と誤解してメールを送ってきたひとがいました。「と思う」をつけないで書くと「世の中みんながそうだというか!」と噛みつくひとがいました(もっとも、噛みつくひとは、私が何を書いても噛みつきます)。このように、「と私は思う」という簡単な言葉ひとつとったって、その内容とスタイルは不可分です。と、私は思います(笑)。
 

[131]いとう[01/02 22:21]
Fiorinaさんの発言に沿って、
スタイルと内容が不可分であるという意見に対し
自分のスタンスを明確にしていなかったので述べておきます。


んー、と言いつつ、少しややこしいんですよね(笑)。

不可分であると同時に、それは発言者が選択した、あるいは発言者の衝動とも言うべきものから獲得されたものであるという見地において、可分であると考えています。

「内容というのは、発言者がそれを書こうとした気分(たとえば挑戦的な)とかも含めたものです。」というFiorinaさん見解には同意しています。この面から考えるなら、スタイルと内容は不可分です。内容の完成度(かな?)にとって、スタイルは不可欠であり、不可分です。このあたりの例は119の狸亭さんの発言にある喩えが適切にそれを語っていると思います。
と同時に、別の側面から考えると、
書こうとした気分によって、どのようなスタイルで書くか、あるいは書きたいか、書かざるを得ないか、
そこに何らかの意志なり選択なりが入るのではないでしょうか。
そこに意志なり選択なりが入る面において、スタイルと内容は分けて考えることができると思っています。


そう考えていくと、
「何を優先させるのか」という点においてスタンスの違いが生じているようにも感じます。

Fiorinaさんは、

「そのときの暴論は、私自身を賭けた、何か自分にも見えないものに向かっての挑戦なので、暴言という衣をまとっていたほうが似つかわしいと思い、たぶんそうなっているのではと思います。」

とおっしゃっています。
(私の言葉を使えば、)これは自分の意志を優先することだと思います。
「こういう内容の発言をしたいので、こういうスタイルが必要(あるいは不可欠、不可分)である」という意志です。

それに対して、私自身は、その私自身の意志で選択されたスタイルが他者を傷つける恐れがあると考えた場合、そのスタイルを放棄します。
これは言い換えれば、自分の意志よりもそれを読む他者の印象を優先することだと思います。

このあたりは、どちらが正しい、間違っているという次元の問題ではないと、個人的には考えています。


また、「何故他者の印象を優先するのか」という問いに対しさらに内省を進めると、
そこには、「自分が傷つきたくないから」という心情の裏返しがあるようにも感じます。
もしかしたら、その部分において、佐々宝砂さんのおっしゃった「ガスの匂い」が漂っているのかもしれません。
 

[129]いとう[01/02 18:11]
ん。一箇所佐々宝砂さんに対する敬称が抜けてました。すみません。
 

[128]いとう[01/02 18:08]
>佐々宝砂さん

「ぶつかりあって怪我をしたりものごとが滞ったりということも、時には必要な気がします。」
という見解には大いに同意します。
というより、このようなスタイルの文章のやりとりであっても、ぶつかりあって怪我をしたりものごとが滞ったりということは往々にあると思っています。

同様に、「読者に「批判的な印象」を持たせる文章」を書いてはいけないとも考えていません。
私自身が書きたくないと考えているだけです。
もちろんそれは批判的な印象を持つ文章を書きたくないだけであって、
批判を書きたくないわけではありません。批判は私もときどきします。
ただ、「批判的な印象を持たせない批判文」は成り立つと考えています。あるいは目指しています。
また、「批判的な印象」と「嫌悪感」などとは、また別のものです。
そういう意味では、佐々宝砂さんの一連の文章は、私にとって、
「批判的な印象を持たせない批判文」であるのかもしれません。

で、ご指摘のところですが、んー、
これは俺がナーバス過ぎるからかもしれない。
>>120の、「お断りしておきますけど、〜 限らないのです。」のブロックに引っかかってました。
まず、口調が他の部分より多少強い点、そして、
私自身は118の文章を書いている時点で佐々宝砂の文章についてはまったく念頭に入っておらず、
あくまでも奥主さんの発言に対しての文章を書いていたのですが、
それに対して、わざわざ佐々宝砂さんが自身の文章と関連付けた内容の発言を
私への文章に対して持ってくるのは、そこに、佐々宝砂さん自身の中に、
何かわだかまりがあるのからではないか、
あるいは機嫌を損ねていたりするのではないかと推測し、
<仮にそのような印象を佐々宝砂さんが持っているのであれば、そのような意図を以って書いたものではありませんし、それは私の望むところではありません>
という意図を込めて、
「佐々宝砂さんの件の文章に対しては批判的な印象を持っていません。」
という断り書きを入れました。
もちろん喜ばせようとして書いたものではなく(笑)、
見解の相違がもしそこにあるのなら、誤解を解いておきたいという意図によるものです。
書き方がまずかった可能性はあります。





少し話をまとめます。
自分の考えを整理してみます。

まず、
奥主さんの、「発言の内容によってこそ評価されることが望ましい」という見解に異論はありません。
ですが、それが拡大解釈されて、「どんなに相手を傷つけるようなスタイルで書かれた文章でも、その内容が評価されるべきものであればかまわない」という意見がでるのであれば、それはおかしいと、私自身は思います。
それは「スタイルによって内容を判断する」ことがおかしいと思うのと同様の感覚です。

もう1点、
内容の前にスタイルを重視する人もいます。これは確かです。私自身もそうです。
そして、スタイルを重視する人すべてが、スタイルによって内容を判断するわけではないことを述べておきたい。
私自身、スタイルに対する批判もしますが、それはあくまでもスタイルに対するものであり、内容と連動するものではありません。
そしてもちろんスタイルへの批判は無意味だと考える人もいると思っています。

さらに、これは佐々宝砂さんとの絡みで考えた(考えている)点ですが、
佐々宝砂さんのおっしゃるガスの匂いのするスタイル(あるいは文章)、に対する危険性、危惧は、
当然考えるべき、考慮すべき点であると思います。
と、同時に、そのようなスタイルであるからといってその内容に対して批判的に捉えるのは、
別の意味で「スタイルによって内容を判断する」ことになりかねない可能性も有していると思います。
それはやはり、スタイルではなく、内容によって判断されるべきのものであると考えています。
 

[125]佐々宝砂[01/02 15:38]
>いとうさん
>スタイルにも気を遣ったほうが、
>スタイルで判断する、あるいは、スタイルを重視する人にも
>その内容を判断してもらえる可能性が高くてよいのでは?

おっしゃる通りです、私もそう考えています。だからこそ私は「私はいとうさんと同じ手法をとっている」と書きましたし、今現在もこうやって比較的ていねいな言葉遣いで書いているわけです。この書き方はおそらくまずくはないと思います。

で、またもや謝らないといけないのですが、実は、ガスの匂いのもとがどこにあるのか、私にもよくわからないんですよ。よくわからないんだけれど、暴言はなるべく吐かないようにしてものごとスムースに動いたほうがいいよねと考える私の、またいとうさんの文章には、ガス室の匂いがなんとなくする、と思うのです。鼻がぴくぴくするのです。うまく言えなくてほんと申し訳ない。世の中スムースに進むほうがらくちんだとしても、ぶつかりあって怪我をしたりものごとが滞ったりということも、時には必要な気がします。かつて私が痛い目にあったのはなぜだろうかと真摯に悩んで、こういう考えをもちはじめましたが、まだ未発酵でぜんぜん理屈になっていません。ごめんなさい。今のところ私自身悩んでいることなのです。

ただ、ここらへんじゃないかな?というのはありますので、指摘させていただきます。たとえば、「佐々宝砂さんの件の文章に対しては批判的な印象を持っていません。」ということをいちいち断るいとうさんのスタイル。なんだか私の鼻をぴくぴくさせます。なーんか変だと思います。私は別にいとうさんをいじめようと思ってるわけでもケンカしたいと思ってるわけでも反感を買いたいわけでもなく、またいとうさんに対して腹を立てているわけでも機嫌を損ねているわけでもないのでして、でもいとうさんの発言に対する批判はしたいと考えているのです。なので、「批判的な印象を持っていない」と言われても嬉しくないです。とゆーか読者に「批判的な印象」を持たせる文章って、悪い文章なのでしょうか。書いてはいけないのでしょうか。私は書いてもいいと思っていますし、実際にある程度は書いているつもりです。もしかしたら佐々宝砂は、いとうさんの反応をおもしろがってるだけかもしれませんよ(笑)。
 

[124]いとう[01/02 14:11]
追加。
ユニクロは嫌いじゃないですが、GAPのほうが好きです。
そしてベネトンが大好きです。
 

[123]いとう[01/02 14:10]
>あざれあさん
笑った(笑)。
ユニクロ、じつは嫌いではないです。
みんながみんな、ユニクロだったら気持ち悪いですけど(笑)。
 

[121]いとう[01/02 13:38]
佐々宝砂さんの言うように、私は私の中の暴論性を把握していないのかもしれない。

読んでいて、佐々宝砂さんが例に挙げた事例と、私の前述の発言は、
私の中でどのように考えても結びつきません。
私もガス室行きはいやだし、ガス室に誰かを送り込もうとも思わない。
もちろんそういうつもりで書いた文章ではない。
そのような匂いが前述の文章のどういった点から感じられるのか、
もしできればもう少し詳しく説明したもらえると、
私自身、何か気づけるきっかけになるかもしれません。

その匂いは文章のスタイルから出てきているのでしょうか。
それとも内容についてでしょうか。
それともそれらが不可分な何かからでしょうか。


最初はなんていい意見だろうと思ったものが、「よく読んでみたら暴論だった」ということだってありえます。丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、実はおっとろしい暴論だった、なんてことは歴史上珍しくもなんともない。


これは確かにそのとおりです。
と同時に、
丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、そのとおりまっとうな理論であることだって珍しくなんともないと思っています。
一見暴力的な文章が内容面で正論であることだってよくあるし、見たとおり暴論であることだって珍しくもなんともないですよね。

そしてまた、暴言と暴論の違いには納得しました。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4680
↑を見たら、確かに私は暴言と暴論を混同しています。
それに対して何か不満な点などがあるのなら、
それはすべて私のミスです。
また、その意味では、私自身は「暴論」ではなく「暴言」について語っています。
さらに、何度も書いていますが、
佐々宝砂さんの件の文章に対しては批判的な印象を持っていません。


スタイルで内容を判断するのは、私自身もそれはおかしいと思っています。

まず、私の中では、「スタイルへの反感」と「内容への反感」は同一にはなりません。
スタイルの反感はあくまでもスタイルに対してのみの反感であって、
スタイルに反感を持ったからと言って即時的に内容への反感へはつながりません。

と、前述の文章にもはっきりと書いています。
私が言いたかったのは、
スタイルにも気を遣ったほうが、
スタイルで判断する、あるいは、スタイルを重視する人にも
その内容を判断してもらえる可能性が高くてよいのでは?
という、私自身の考えです。当然それを他者に押し付ける気などさらさらありません。
これは、ガスの匂いがしますか? どうでしょう?
 

[120]佐々宝砂[01/02 10:15]いとう
奥主さんの意見を読んで、ふむなるほど、そういうこともあるのだろうから私はもっと発言の奥をくみ取らなくちゃな、と反省しました。とりわけ「発言の趣旨を汲み取ろうとする方は汲み取り、スタイルへの反感といったことで相手の意見を拒否してしまう人は、何がどうあろうと拒否するものなのだなと感じたからです。」という発言にものすごく納得し、私は猛省しなくちゃならんと考えます。

しかし、いとうさんの意見には、どことなく気持ちの悪いものを感じます。方法論的には納得しますし、私もいとうさんと似たような手法をとっているのですが、なんか気持ちが悪いのです。

お断りしておきますけど、私が「吐け」と言ったのは「暴論」です。「暴言」ではありません。一般常識からかけ離れた感覚でもって、普通は思いもよらないような視点で、乱暴に世界をぶったぎるような暴論、脳みそフル活用で考え込んでからでなくては書けないような暴論です。ひとがいやがる言葉をひとこと吐き捨てれば済む「暴言」なんて、そんなもの、世の中にはあふれかえっているでしょう? そんなもの、詩人でなくても吐けますよ。私のいう「暴論」は、別段「暴言」スタイルをとっているとは限らないのです。

最初はなんていい意見だろうと思ったものが、「よく読んでみたら暴論だった」ということだってありえます。丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、実はおっとろしい暴論だった、なんてことは歴史上珍しくもなんともない。暴論の具体例は、戦中の新聞雑誌のたぐいを読むといっぱいでてきます。今現在の新聞にも載ってます。人殺しなんかしないよ、という顔をして。発言する本人ですら、自分の発言の暴論性に気づかずに。

狸亭さんのおっしゃるようにスタイルと内容は不可分だと、私も思います。いとうさんがおとりになる、また私自身も実行しているどこか気持ちわるいスタイルは、どんな内容をはらみ、どこに続いていると思いますか。なんとなく、ガスの匂いがしてきませんか。私は、自分自身の過去の文章を読んでガスくさいなあと思うことが多くなりました。ガス室行きはいやです。ガス室に誰かを送り込むのも、いやです。なんとかこのガスの匂いをとりのぞきたいのですが、うまくいきません。私は自分のスタイルを変えなくてはならないと考え始めています。
 

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