雑談スレッド2[131]
01/02 22:21
いとう

Fiorinaさんの発言に沿って、
スタイルと内容が不可分であるという意見に対し
自分のスタンスを明確にしていなかったので述べておきます。


んー、と言いつつ、少しややこしいんですよね(笑)。

不可分であると同時に、それは発言者が選択した、あるいは発言者の衝動とも言うべきものから獲得されたものであるという見地において、可分であると考えています。

「内容というのは、発言者がそれを書こうとした気分(たとえば挑戦的な)とかも含めたものです。」というFiorinaさん見解には同意しています。この面から考えるなら、スタイルと内容は不可分です。内容の完成度(かな?)にとって、スタイルは不可欠であり、不可分です。このあたりの例は119の狸亭さんの発言にある喩えが適切にそれを語っていると思います。
と同時に、別の側面から考えると、
書こうとした気分によって、どのようなスタイルで書くか、あるいは書きたいか、書かざるを得ないか、
そこに何らかの意志なり選択なりが入るのではないでしょうか。
そこに意志なり選択なりが入る面において、スタイルと内容は分けて考えることができると思っています。


そう考えていくと、
「何を優先させるのか」という点においてスタンスの違いが生じているようにも感じます。

Fiorinaさんは、

「そのときの暴論は、私自身を賭けた、何か自分にも見えないものに向かっての挑戦なので、暴言という衣をまとっていたほうが似つかわしいと思い、たぶんそうなっているのではと思います。」

とおっしゃっています。
(私の言葉を使えば、)これは自分の意志を優先することだと思います。
「こういう内容の発言をしたいので、こういうスタイルが必要(あるいは不可欠、不可分)である」という意志です。

それに対して、私自身は、その私自身の意志で選択されたスタイルが他者を傷つける恐れがあると考えた場合、そのスタイルを放棄します。
これは言い換えれば、自分の意志よりもそれを読む他者の印象を優先することだと思います。

このあたりは、どちらが正しい、間違っているという次元の問題ではないと、個人的には考えています。


また、「何故他者の印象を優先するのか」という問いに対しさらに内省を進めると、
そこには、「自分が傷つきたくないから」という心情の裏返しがあるようにも感じます。
もしかしたら、その部分において、佐々宝砂さんのおっしゃった「ガスの匂い」が漂っているのかもしれません。
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