01/04 23:27
ポロリ
>>148
管理者様が「スルー」といってるのに、まずい入り方だったなと反省(w。すいません。
>>116
から読み始め、非常に面白い議論だと思いました。
ただ、次の点が気になります。それは、「誰が裁定者であるのか」です。暴言・暴論は誰が決めるのか。その点が不明確この上ないように感じます。概念上は非常に明確ですが、実際にはどうでしょう?もちろんその点も内容とスタイルの話で出てきています。
具体的に論争や言い合いとなる場合、ある発言はどちらかに加担します。そして、その加担が増加すればするほど、対立者は不快になります。
私は真理など無いという立場です。であるので、ある議論に際してはどちらも真理で無いと予め決めています。しかし、私はどちらかの立場をとります。
ある議論はたいてい表現者の能力によって決しますが、問題は突き詰めて考えるとどちらにも容易に決しがたいことがわかります。
私は議論の争点を明らかにすることが、議論の本質と考えています。民主主義は、その決定に本質があるのではなく、議論が出来る場を作り出すことにその本質があり、よって世界的に評価された論理だと思います。
もっとも良いプロセスをたどる議論は、良い裁定者が場の均衡を保つことにあるでしょう。しかし、ネット上で常にそれは出来はしない(現実もそうですが)。そして、ネット状の議論は、垣根なく、個人が討議できることに本質があると思います。つまり、実空間に対するサイバー空間の優越点は、より広範な意見が集積されるということだと思います(正論から暴論まで)。しかし、116からの議論で明らかなように、個人への道徳観念は、その優越性を抑制することになります。
では、この優越を保持しつつ、場の均衡を図ることが出来ないか?その答えは、116でしょう。特定個人が公平な裁定者としての地位を保持して振舞うこと以外になしえはしないと私は思います。個人的規制でも、サイト管理者による規制でも、法律でもないのです。
でも、自己犠牲の精神が必要でしょうし、持続性が必要でしょうから、パワーのいることでしょうね。私には出来ないです。
Thank you