雑談スレッド2[121]
01/02 13:38
いとう

佐々宝砂さんの言うように、私は私の中の暴論性を把握していないのかもしれない。

読んでいて、佐々宝砂さんが例に挙げた事例と、私の前述の発言は、
私の中でどのように考えても結びつきません。
私もガス室行きはいやだし、ガス室に誰かを送り込もうとも思わない。
もちろんそういうつもりで書いた文章ではない。
そのような匂いが前述の文章のどういった点から感じられるのか、
もしできればもう少し詳しく説明したもらえると、
私自身、何か気づけるきっかけになるかもしれません。

その匂いは文章のスタイルから出てきているのでしょうか。
それとも内容についてでしょうか。
それともそれらが不可分な何かからでしょうか。


最初はなんていい意見だろうと思ったものが、「よく読んでみたら暴論だった」ということだってありえます。丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、実はおっとろしい暴論だった、なんてことは歴史上珍しくもなんともない。


これは確かにそのとおりです。
と同時に、
丁寧で優しげなスタイルで、読む人の感情を逆撫でせず、ケンカにもならず、的確な批判とわかりやすい理屈で、さまざまな視点・立場からの見解を総合したかに見える非常にまっとうだと思える理論が、そのとおりまっとうな理論であることだって珍しくなんともないと思っています。
一見暴力的な文章が内容面で正論であることだってよくあるし、見たとおり暴論であることだって珍しくもなんともないですよね。

そしてまた、暴言と暴論の違いには納得しました。
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4680
↑を見たら、確かに私は暴言と暴論を混同しています。
それに対して何か不満な点などがあるのなら、
それはすべて私のミスです。
また、その意味では、私自身は「暴論」ではなく「暴言」について語っています。
さらに、何度も書いていますが、
佐々宝砂さんの件の文章に対しては批判的な印象を持っていません。


スタイルで内容を判断するのは、私自身もそれはおかしいと思っています。

まず、私の中では、「スタイルへの反感」と「内容への反感」は同一にはなりません。
スタイルの反感はあくまでもスタイルに対してのみの反感であって、
スタイルに反感を持ったからと言って即時的に内容への反感へはつながりません。

と、前述の文章にもはっきりと書いています。
私が言いたかったのは、
スタイルにも気を遣ったほうが、
スタイルで判断する、あるいは、スタイルを重視する人にも
その内容を判断してもらえる可能性が高くてよいのでは?
という、私自身の考えです。当然それを他者に押し付ける気などさらさらありません。
これは、ガスの匂いがしますか? どうでしょう?
スレッドへ