雑談スレッド2[151]
01/05 04:50
ポロリ

 ああ、やばいな、横道に反らしそう。予め言っておきたいのです。スルーしてください。

 私は、皆様の議論を、「詩作と批評のより効率的な向上を擁護するのか」それとも「議論の場の健全化・適正化を優先するのか」というものととらえています。
 「暴論」は議論の取っ掛かりであり前者に、「傷つけ方」は後者に、類別されるものと考えます。議論の流れは、「暴論」「批判」は良いが、「他者を害さない」ことも大切だ、というものだと思います。そして、傷つけ方の方法論として、スタイルの話になっていたりするのだろうと思います。
 私の考える問題は、この方法論は全て自主規制いわば道徳観念の構築に当てられていることです。これでは、道徳的過ぎて「表現の効率的向上」が阻害されるのではないでしょうか。
 その思考過程は、個人がいかに振舞うかというものを決定し、それに自分が従うというものと考えます。これはいきなり直接規制を考える方式です。
 そうではなく、まず、間接規制から考えたらどうかと思うのです。つまり、同様の効果を得るために、違う方法は無いのかということです。
 私の言う「裁定者」は、議論の優劣、言説の説得性および正論暴論の別を決定する人間ではありません。私の意図する「裁定者」とは、ある言説を解きほぐす人のことです。
 議論の過熱あるいは批判的印象から受ける不快は、無理解と誤認から生じることが多いと思います。そういった、無理解と誤認が、適正化されたならば、「場の健全化」も保たれ、「表現の効率的向上」にも繋がると思うのです。机上の空論でしょうか?
 そして、そこから考えられる方法としては、文章内容を対立関係にない他者が確認(一方の言葉を、他方に受け入れやすく解釈)するというケアによるべきだろうと思うのです。

 やはり、批評はドラマチックなほうが見ていて快感です。そこを規制してしまうのはもったいない気がするのです。語り継がれる議論って暴言や暴論が必要不可欠だと思うんです。
 どうでしょう?ボルカ様?(スルーと言いつつふってみる)
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