生贄合評スレ[151]
2005 06/21 20:10
大覚アキラ

今現在、いとう氏の『武装放棄』という作品には57人がポイントを入れている。ぼくもそのうちの一人だ。ぼく以外の56人がどういう理由でポイントを入れたのか知る由もないが、ぼくがポイントを入れた理由は「なんとなく、いい」と思ったから、それだけだ。曖昧でぬるくて浅い読み取り方だが、「なんとなく、いい」、それ以上でも以下でもない。
この作品は、言葉による武装を放棄せよ、という主題を言葉によって表現している時点で「貼り紙禁止という貼り紙」的な矛盾を孕んでいるし、色々と突っ込みどころもあるのだろうけれど、そんなことはどうでもいい。いとう氏は、ただその時の気分(そう、まさに気分だろう)で、これを書いたのだろうし、その気分にはロジックに裏打ちされたものがあるわけではないだろう。

ネット上での議論というやつは、しばしば議論と呼ぶには余りにもお粗末な、揚げ足取りと感情のぶつけ合いに終始してしまう。そういうやり取りを繰り返しているうちに、本来語られるべきであった主題は積み重ねられていく会話の地層に埋もれ、置き去りにされていく。そういう状況を、祭りだ何だと囃し立て煽ることに屈折した喜びを見出している人間もいるわけで、より一層議論は混乱していく。やがて議論は、ただ単に相手をやり込め打ち負かすことだけを目的に、不毛な戦いだけが延々と続けられていく。
敢えて、ネット上での議論、と書いたが、現実の世界でももちろん同じことはいくらでも起こりうる。ただ、身振り手振りや表情といったノンヴァーバルな要素がないだけに“言葉”がすべてを左右するネット上の議論のほうが、よりそういう陥穽に陥りやすいだろう。

これは推測にすぎないが、この『武装放棄』を書いたときのいとう氏の気分は、おそらくそういう不毛な議論にほとほと愛想が尽きていて、そういうウンザリした気分を言葉に定着させたのがこの『武装放棄』なのではないだろうか。ikaika氏が倫理スレで「武装放棄という詩が描き出すものはナルシズムでしかない」と語っておられたが、たしかにそうかもしれない。感傷的なナルシシズムが描き出した理想論。きっと、いとう氏は、そういうものが書きたかったのだ。
タイトルが妙に大仰で、意味深な匂いがして、さらにこれを書いたのが、いとう氏だった。ちょっと陰険な見方をすれば、だからこそポイントもたくさん入ったのだろうし、逆に、この作品そのものに対する違和感や、この作品が評価されることに違和感を感じるという声も多々あるのだろう。しかし、この作品は、別に何かの宣言でもなければアジテーションでもない。いとう氏の作品だからこそ、必要以上の意味や背景をそこに読み取ってしまう読者がそこにいるだけだ。

いとう氏が、この『武装放棄』という作品を通して言いたかったのは、「なんとなく疲れた」とか、そのぐらいの曖昧な呟きなのではないだろうか。その呟きに、ぼくはなんとなく共感できた。それだけのことだ。

#ここまで書ききって一息つきながら、日付順投稿リストから気になるものをピックアップして読んでいってたら、
#ベンジャミンさんが『たもつさん「十階の家族」を読んで(感想文)』http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=40749で
#「何となく」論を展開しておられていて、いやーんなんかかぶっちゃった^^;と思ったが、気にせずUPすることにしました。
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