生贄合評スレ[191]
2006 12/14 02:04
肉食のすずめ

失礼

動物(これは人間も含まれるのですが)の行動に意味や価値が有るだろうか?
有ることも有るだろう。無い事も有るだろう。
言葉も習慣も異なる象の、その気持ちをおもんばかる事に
意味は有るだろうか。「私」には有るのかもしれない。
でもそうすることは時として「象」を傷つけることも有る。
そして「私」は「象」を見るばかりではなくこうして言葉にして表現している。
少女がどんなに「客観的に見て」と叫んだところで「私」はただの
カメラになることは出来ないようだ。
何故「客観的に見て」と「少女」は言うのか、それは「私」と「少女」は同じ
人間だからではないかと推測する。「私」の中にいる「少女」といった感じかな。
でもやっぱりなんで「私」がそのように思うのか分からない。何か事情が有るのかも
しれない。「象」のことが好きで傷つけたくないのかもしれない。

象が楽しげにリズムを刻む

涙を流しながら

この言葉が繰り返されることはすごく怖い。
象のステップは楽しげ、かもしれないが、本当に楽しいのか。
涙を流すという行動は、どのような感情の高ぶりか、そもそも感情が高ぶっているのか。
何も分からない。象の行動に意味づけする事は象にとって何の意味もない事だ。
繰り返しが利いている。少女の声と掛け合うように。強迫されているようだ。

一つ気に入らない点。それはタイトル。

何かがはじけたとしたら、それはきっと泡だ

私には「はじけた何か」を「泡」と名づけてしまっていると感じられ詩の内容との矛盾が気に入らない。
もとい、気に入らない矛盾だ。詩は観測者「私」が勝手に定義することを悩んでいる内容だと思ったので、タイトルと違うじゃん、と思ったのだ。気に入らないのは、タイトルが
かっこいい感じで嫌な感じで矛盾をごまかされている風に感じたからだと思う。
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