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睡眠薬のんで寝ようとしたのですが、全然眠れなくて、布団の中であちゃこちゃしていたらダンナにうるさい猫と遊んでろと言われました……しかし猫も眠り猫状態で遊んでくれないのでなんか書きます。 とにもかくにも人質三人解放のニュースは朗報ですが、まだ全然「解決」してねーじゃんと思いました。すっきりしません。さっぱりしません。誰がなんのために各国の人々(日本人だけじゃないことは各ニュースで報道されてます)を拉致したのでしょうか。武装グループの実態もさっぱりわかりません。要するに私にはまだ全然わからないのですが、ひとつ、解放という朗報のほかに「よかったなあ」と思うことがありました。 人質三名が、もしアメリカの協力により武力行使のうえ解放されたのだったら、私はあんまり解放を喜べなかったのではないかと思います。それでももちろん解放は朗報だったでしょうけれど。解放の理由が、本当に「家族の気持ち」を考慮したものなのか、あるいは「日本国民の抗議」に感じ入ったためなのか、それとも宗教者の説得が功を奏したものなのか。まだ真実はさっぱりわからないのだけれど、朝日新聞によれば「宗教者委の説得奏功 スンニ派最大の指導力、存在感示す」だそう。それが本当のことで、日本人の一部にある「イスラム教こわい」というイメージが少しでも和らいだらいいな、と私には思えたのでした。 もしアメリカの協力で人質解放が実現したのだったら、「アメリカはやっぱり頼りになるねー」ということになったかもしれません。私もTAKEさんと同じく、アメリカはすごい国だと思うのですが、好きではないので、そういう展開はいやだなーと思います。いつだったかチャットで話したことがありました、アメリカは、ドラえもんのマンガの方のジャイアンで(アニメのジャイアンはけっこういい奴なので、それとは違う原作のジャイアン)で、イギリスはスネ夫で、じゃあ日本はなんだろね、と私が言ったら、日本はのび太なんだって言われて笑いました。そんなこといって茶化せる事件では、決してないのだけれど。 朝日新聞「宗教者委の説得奏功 スンニ派最大の指導力、存在感示す」 http://www.asahi.com/international/update/0415/022.html 毎日新聞でも同様のニュースを伝えていました。その記事がいちばん詳しく面白かった。日本側が身代金で話を解決したという説もあるようです。ああ真実はわからない。いろいろ読んでいて思うのは、ひとつの新聞だけ読んでいてはだめ、ひとつの局だけのニュースを見ていてもだめ、ということですね。それから、ニュースを信じるか信じないかは、やっぱり自分の判断で決めるほかない。ニュースは嘘である場合もある。誤報ならばまだよいけれど、意図的に流されたニュースなんぞは私にとって恐怖です。 毎日新聞「イラク人質解放:イスラム指導者仲介が奏功」 http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20040416k0000m030153000c.html ところでニュースの見出しには著作権なしって、最近の裁判結果です。 毎日新聞「著作権:ネットニュース「見出しになし」 読売新聞敗訴」 http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/03/25/20040325org00m300005000c.html ドラマより音楽番組よりニュースとスポーツが好きな、おっちゃん化している佐々宝砂でした。 by 佐々宝砂 三人の人質の方に自己責任とか救出費用出せとかということは本当に平和ボケだと思う。 by こん ペルー日本大使館の時やマニラの若王子さん誘拐事件なども思い出すと、世間の目(あるいはマスメディア)は民間に厳しく、日の丸に甘い傾向がある気がするな。 by 片野晃司 自己責任論についてとやかく言うつもりはないけれど。 人質になった人たち(主に最初の3人)は、日本という国にもボランティア精神を持つ人がいたことを世界にアピールし、ある意味では、はっきりと日本の国益になっています。ヨーロッパ特にフランスでは、日本にもああいう人がいたのか見直したという意見があるそうです。つまり日本のイメージアップに役立った3人なのです。かたや自衛隊はどうか。イラクに役立つことをしているのは確かなのでしょうが、不幸にも役立つことをしても、現時点では、日本にテロを呼び寄せる可能性を大きくするだけではないかと、私には思えます。自衛隊は日本のイメージダウンにたいへん貢献している。日本は今、いちおう安全なようです。しかし他国に軍隊を送っている現在、この国が確実に安全であり続ける保障はない。保障をなくしているのは自衛隊です。自衛するためにつくられた軍隊が他国に行ってることじたい、ものすごくへんだと私は思うのですけれども。 昨日の朝日新聞夕刊の高橋源一郎「人生相談−どこかの国の人質問題」ものすごく面白かったです。読め。と思ってネット検索したけどネットでは読めない模様。くしゅん。 by 佐々宝砂 国家、マスメディアといった権力を持つ側が、個人に対して発言するとき その権力の志向性について自覚的ではなくてはいけないと思うんです。 特に政府はあくまで公僕であって(「お上」なんかでは決してなく) 政府が、市民の権利を侵さない限りで、 市民の安全を最大限保障するのは、当たり前のことであって 「迷惑だ」と一方的に小泉サンが言わんばかりのことは はっきり言って、自分の立場を勘違いしていらっしゃる。 今回の「自己責任問題」の問題の構造は、 権力側を持つもの側からによるもの、という地点でひとつの問題であり、 市民の行動を、権力者の都合で一方的に批判している、 権力者のご都合主義にもっと私たちは敏感になるべきだと思う。 過去の邦人誘拐事件、たとえばコロンビアで矢崎総業副社長が誘拐されたときと 今回の事件を比べてみてほしい。 今回は自衛隊撤退要求があったからこそ、政府はここまでおおごとに動いたわけで 市民はそんな権力者のご都合主義からの発言に左右されてはいけない。 ここで大事なことは、その構造の問題と、彼らの自己責任の問題を きちんと分けて考える必要性だと思うのです。 (危機管理について、危険地域での取材に関しての意見は、 ぼくの今回の論旨としている問題とずれるのでここでは触れない) 権力者のご都合主義というものは まさにアメリカ政府を見ていればわかるもので イラク侵略の理由は、いまだ明確な証拠が示されていない。 (あれだけ明確な言葉を侵略前は並べていた) イラク統治が上手くいかなくなると、あれだけ拒んでいた国連主導に切り替える。 しかも悪の枢軸呼ばわりしていたイランに仲介を頼む。 これは、イラクでの土地に限ったことではなく、またアメリカに限ったことでもなく 冷戦構造下、またそれ以前の歴史においてのあらゆる戦争で、 正義は権力を持つものによって作られてきたのです。 ここで正義についての話をすると長くなるので割愛しますが (アマルティア・センやロールズがこの問題に詳しいです) それらの歴史から学んできた現在において正義とは、 持たざる者の立場に、拠って立つものでなければならない というのがひとつあると思います。 先進国の人間は、やはりこの世界の不平等に関して責任を負わなければいけないと ぼくは、自分の体験の感覚から思うのです。 その不平等の問題を無視して、すべての物事を平等に語るのはやはり欺瞞だと思うし そういった他者に対して無関心な態度は、 自己責任を放棄していることにも繋がってくると考えます。 よって、そのひとがどういう立場から発言しているのかは その言葉から知ることができます。詩であれ、ジャーナリズムであれ、 ぼくは何よりも、その人の言葉の出処を信用できるかできないか、 その出処に関して敏感でありたいと思うのです。 ぼくの個人的な心情としては、今の時代「個人力」というか 個人の力で行動するひとを応援したい。 そういう心意気が今の日本にもっとあっていいのではないかと思うのです。 今回人質になった方5人も、それぞれ違うスタンスを持っていると思うし いろんな考えでイラクに行くひと、留まるひとがいると思う。 自由には責任が常にともなうもので、 その判断は、とくにジャーナリズムなどにおいては、非常に難しいものがあると思う。 ただ、そこに自覚的であれば、たとえ今回のようなことになったって (こういう経験をしたからこそ)今後も、その「個人力」を応援したいのです。 そして、彼らの仕事に対する最終的な判断は、 ジャーナリストならば彼らが伝えた写真なり、文章で、 NGOならば、かれらの持続的活動と支援に関する評価によって それぞれが判断すればいいことだと思う。 それを見ずして、一概に危ない、迷惑をかける、といった理由でひと括りにし すべての活動者を見てしまう言説が、ぼくは気に食わないのです。 そういう、背後や背景を隠し、すり替えてしまうような (特に権力を持つもの側からの)言説に対して、 ぼくは危機感を抱き、ずっと怒っているのです。 危険を冒さなければ、伝わらないこともある、できないこともある。 危険とは、真実を隠そうとする暴力(権力)が働く場所に起こる。 「どんどん個人の力で切り開いていってほしい。そしてそういうひとを応援する心意気を、ぼくは持っていたい」 by ワタナbシンゴ 参照先不明 いいも悪いもねえだろ、というのが日頃の私の意見ではあるのだけど、それとは別に「こうするとたぶん問題が少ない、金もかからん」「こうすると問題続出の予感、費用莫大」というようなことに関しては、私はビシバシ文句を言いたい。善悪ではなく好き嫌いでもなく、損得だ。私は一納税者で、脱税したことはないし年金未納もしたことない。いずれも二十歳からきちんと納めている。税金滞納で怒られたことはあるが(笑)結局は払っているわけで、私は立派に国民の義務を果たしている。なので私は日本の政治に文句言う権利は確実にある。貧乏だが、電話料金も水道料金も滞納したこと一度もないぞ(関係ないな)。と威張っておいて、 >>29 >僕はフランスと言えば核実験のイメージしかないんで、その評価が嬉しいのか >どうかよく分からないですけど、別に彼らのやったことが良いことでも悪い >ことでも、危険なことには変わりはないわけで。 まー核実験のおくにとしてのフランス、私は好きではありません。あの国には欠点もあれば善意のかたまりのようなところもあります。自然を管理しすぎるところなんて私の好みではないと思うけれど、でもでもでもボードレールの人工はすてきよ(この場合関係ない)。で。昨日テレビを見ていたら、アメリカのパウエルさんも日本の3人の人質について誉めておりました。もっとも、そのあとで「だから自衛隊も誉めてね」という話に持ってくために言ってることは見え見えでしたけど(笑)。ま、フランスだけでなくアメリカも日本のボランティア精神を買ってはいるわけです。他国のボランティアのことだから、「てめーらにいくら金かかったと思っとんだあ」と言う必要がないからでもありますが。 で、費用の問題です。いつだったか筑紫哲也ニュースでやっとったことですが、サマワでは、フランスのNGOが水の供給と水の使い方についての教育を実施していたそうです。日本の自衛隊のやりかたとは違い、ちいさな浄水施設をいくつもつくる方法で、作業には現地の人を使います(サマワの人が本格的にほしがっている「仕事」がこれで供給されることになります)。自衛隊が供給する水と同量の水を彼等の方法で供給すると、試算上では4,400万円で済むそうです(正確な数字は忘れた)。一方、自衛隊にはどれだけ費用がかかっていることか。自衛隊もいくらかは地元の人を雇うことにはしたようですが、細かい目はなかなか行き届いていないのではないかと思います。あとになって自衛隊も女性を派遣したようですが、ムスリムの女性は基本的によその男と話をしちゃいけないことになっています。でもイスラムにおいても主に炊事洗濯して水を使うのは女性です。給水された水をためておくところがなく、地面にためといちゃだめということから教えていかねばならないそうなので、ひとくちに給水浄水と言っても話は簡単ではない。水を綺麗にすりゃすむわけではないのです。自衛隊がそこまでやっているかどうかはまだ私にはわかりません。まあ行った以上がんばってるでしょうし、がんばっていればいいなあとは思います。なにしろわずかとはいえ、自衛隊には私の金がかかってるんですから。 五人の人質解放までに、日本政府がどれだけお金を使ったか私は知りません。具体的な数字は知りません。ですが、確実に、自衛隊の方が金をかけてると思います。私の納めた税金は人質解放に使ってくれてかまわんです。どんどん使ってください(というほどの金じゃありませんが)。でも兵器買うのはやめてね。兵器はそのへんをちらかすので嫌いです。つーか損得の問題で、家は壊すわ環境は壊すわ金はかかるわ人は死ぬわ兵器つくって何か得ってあるのか。ということまで言い出すと話がどこかに行くので強引に戻して、まーいろんなひとがいろいろたいへんだったとは思いますが、そうじゃなくとも政治家はたいへんなもんなのです。彼等は公僕ですよ、わしら納税者のしもべであって、別にエライ人じゃありません。政治家のお仕事は「納税者のしもべ」なのです。個人じゃ難しいことをやってもらうために彼等を納税者が雇っている、と言ってもいいくらいです。納税者の権利を彼等は守らなきゃなりません。納税者の命も、です。お仕事はちゃんとやらなきゃなりません。勝手に風呂場で死にかけてる人が救急車を呼んだら、助けに行くのが救急隊員のお仕事です。迷惑だなんて言う権利は、救急隊員にはありません。なんのために救急隊員がいると思ってるのですか。なんのために救急隊員の給料が支払われてると思うのですか。ついでに言えば、自衛隊員のお仕事は「自衛」です。わざわざ他国に行って、日本にテロの危険を呼び寄せることではないと思うのですが、まあそれは、いいか。 で、もうひとつ。「危険地域に民間人は行くな」という言説の恐ろしさをなぜOhatuさんは感じないのか。そこんとこがやや疑問です。危険地域にお上だけが行くのだとしたら、私達は、お上発の、つまり大本営発表のニュースしか知らされないことになります。これは「知る権利」の阻害です。ボランティアを渡航禁止にするのはまだしも、何がなんでもジャーナリストだけは危険地域に行ってもらわなくちゃ困る。危険地域に行くジャーナリストは、もちろん自分の危険を承知で行きます。必要だと思うから行きます。たとえお上が禁止しても行きます。いえむしろお上が渡航を禁止したらなおさら行くべきでしょう。私はジャーナリストにはならなかったけれど、彼等を尊敬しているし、政府発表の意見よりも信頼がおけると思うことがあります。もちろん誤報もあるでしょうし、やらせもあるかもしれません。でも、政府だって誤報をやるかもしれませんし、やらせをやるかもしれません。今回の人質事件狂言説が政府筋によるデマだったという説もあるくらいです(書き間違っていたのでなおしました。人質事件はデマではないでしょう。人質事件が狂言だったという話が政府筋デマだったという説です。政府筋デマ説がほんとかどうか私は知りません、だいたいこの説の火種は2ちゃんねるのようです)。 私はあまり自分の国を信用していません。もちろん自分の国に愛着は感じます。愛と信頼は別物です。もっと信頼できる国になってほしいとは思います。 >飲料水の給水活動はバグダッドで450万リットル、バスラとその近郊では300万リットル、モスルとキルクークのコミュニティでは1日約200万リットルの規模で行われています。全国的に言えば、ユニセフは毎日50万人に水を提供していることになります。 上記引用文はユニセフ関係の資料より http://www.unicef.or.jp/kinkyu/iraq/2004.htm サマワで給水活動をしているフランスのNGOについては http://www.mypress.jp/v2_writers/talkingdrum/story/?story_id=307313 by 佐々宝砂 議論をする余力はないので、簡潔に。 私は、具体的な提案をある程度したつもりです。たとえば、自衛隊よりもNGOのほうが効率がいいと書き、NGOが具体的にどのていどのことをしてきたかについて書きました。行った以上お役にたってこい、と自衛隊については思っております。でもふと思い出すのは、自衛隊が派遣されるにあたって、「安全だから行く」と言いましたよねえ。日本政府は。そんなに安全ならば、NGOが行ったっていいはずですが、結局自衛隊が行きました。しかしあとで論調が変わりました。いまは「危険だから自衛隊でなくてはならない」という主張をしています。なんか、へんです。 アメリカの論調もなんか、へんです。最初は「大量破壊兵器があるからイラクと戦争する」だったはずなのに、大量破壊兵器がなかった(少なくともまだ見つかってない)ので、だんだん論調が「独裁者フセインからイラク国民を救う」に変わりました。なんでかわったのでしょうね。私にはわかりません。なんか、へんです。 素直にへんだと思うから、へんだよー、と書きます。へんなことがまかりとおる世の中は、私も純粋に怖いです。 by 佐々宝砂 >すません、ご迷惑をかけました。 えっ、そんなぁ〜、照れるなぁ(違 僕は思うに、批判 = 考えること な感じです。考えること全部が批判じゃないけど。 だから、批判しよう、批判すべし、と思って批判しているわけじゃなくて、新聞とかテレビのニュースを見聞していると自然に批判してますね。そんな感じです。 by 片野晃司 イラクでの、米英軍人によるイラク人捕虜虐待が明るみに出た。相手の国の文化を一切尊重しない国が占領軍として行動しているのだから、起こるべくして起きた事件が明るみに出たまでのことなのかも知れない。当然、日本政府は裏でこんなことがあることは黙認済での自衛隊派兵だったのだろうと思っている。米軍に国を保護して貰っているが上の、弱み、とでも言おうか。(実際、日本の首都圏上空は米軍管轄であり、そこの制空権はアメリカが掌握している。日本の上空は未だに分割統治されたままなのだ。) さてさて。今こそ日本政府は、自衛隊を撤退させるべきではないのか、と。ここでビシッと米英の行いを批判し襟を正しておくことは、アメちゃんの批判を買うに違いないが、世界からは支持される。つーか、アメリカ国内でもブッシュ批判は高まりを増していて、暴露本も連発状態。次の大統領選では敗北の可能性も高い。日本は散々と事無かれ主義でやってきていて、何かしら物事が発展しなけりゃ行動にすら移せない。もう、そんなの止めにしましょうよ。先物買いで、ブッシュは見捨てるべきです。丁度、対立候補は反戦を唱えていますし。 しっかし、以前に戦争論(小林よしのり著)の中で読んだ、欧米の占領軍人たちによる、現地人やら日本人捕虜らへの虐待・差別行為。それと同じことが、未だに行われているという事実。呆れるばかりです。さすが、無法地帯の国・アメリカ。台湾総統選挙の連戦候補(中国政府側)の醜態っぷりも見苦しかったけど、負けず劣らずです。 その昔、アメリカのここが駄目、中国のここが嫌い、って言ってたら、詩の知り合いに「貴方はどっちの国が好きなの?」ってな質問をされたことがあります。当然の如く「日本」って答えたら、そんな答えもあったのか!みたいに驚かれました。(直後、愛国主義者なのね、ってなレッテル貼りされたけど。) こんな人たちが、議員さんとかにも大勢いるんだろうなー、なんて。きっと、どう足掻いても撤退されないであろう宿営地に篭りっぱなしの自衛隊員の安否を気遣いつつ、オランダ軍も撤退しちゃったら、どうするつもりなんだろなー、とか考えているのでした。ちなみに、小泉首相の支持基盤は横須賀の海上自衛隊の関係者諸兄。皆、仕方なく自民党か、さも無くば白紙投票しています。 ――――――――――――――――――― P.S. ツインターボさん、ボルカさん、ありがとです。 拘束問題に関しましては、日和見な俯瞰ばかりで余り自分独自の意見が出せていない部分が多く、それが痛いところです。SPA!最新号の記事を読みながら、ひとり悶々と悩んでいます。 by ※ わ〜い、100げっと! ((^p^))! 奥さま、あなたさまがご指摘のさまざまなご印象。すべてわたしの不徳のいたすところ でございます。 これからも自分のやり方、語り方を変えるつもりは毛頭ございませんこともあろうことか どうか長い目で見てやってくださるよう、衷心からお願い申し上げます。 あー、でも、なんかきもちわりい。 読めば読むほど。スンません。どうしても正直に言いたくなりまして。 by ドジ 訂正。 [98]及び[105]には★を入れているのに、[99]に★を入れていない方々がいるのは何故なんだろう。でした。 by ※ >>108 [98]及び[105]には☆を入れているのに、[99]に☆を入れていない人間から回答です。 私がこのスレを見たとき、すでに[99]にはたくさんの☆がついておりました。 あえてさらにつけることないよなと思いましたので、ポイントしませんでした。 奥主さんの文章は大好きですがポイント入れず。私にはこういう性癖があります。 [105]発言はジョークに近いものですけど、短いしぱしっと決まってたからポイント。 [98]発言は、見たいとたん「うんそうだよな」と感じたからポイント。 各人、ポイントには理由があると思います。邪推は無用、というか野暮では(笑 by 佐々宝砂 命名の醍醐味増える?人名漢字見直し http://www.zakzak.co.jp/top/2004_06/t2004061103.html ニュースを、ひとつ。人名に使える漢字が増えるそうです。イラク問題で大勢の人が死に、有名人では、レイ・チャールズなどの大御所も亡くなられて。死んだニュースばかりが目立つ状態ですが、このニュースを機に、出生率のUPとか・・・無理かなぁ。 出生と言えば、皇室問題。雅子様に出産を強いるのは、41という年齢的にも厳しい。(スイマセン、もっと若いかな〜って思ってました。汗) 女帝を認めるとか、旧宮家を復活させるとか、色々と画策されているようですが、人工受精ってのはダメなんでしょうか。体外受精で受精成功した卵子を自分の胎内に着底させるとか。天皇家の人間に代理母を頼むっていう手もあると思うのですが・・・。 by ※ >>119 ※さん 皇室問題はそういう問題じゃないと思います。 まあ例えばの話として聞いて欲しいんですが、善意にせよ悪意を持ってにせよ、彼女にとっては 「女は黙って子供産めばいいんだよ。世継ぎ産みなさい」ということになるのです。 それから、これは少し違った話ですが、僕のよく知っている女性で妊娠がかなり難しい人がいます。 彼女が友人から「子供はまだなの〜」と聞かれるたびにどんな思いをするか想像できますか? 善意でさえ他人を傷つけることがあるのですよ。 ※さんの発言もそうかも知れません。ひょっとしたら僕のこの発言も。 by クリ クリさん、なるほど、なるほど。これは失礼しました。となると、やはり旧宮家の復権とか、そういった流れになるのでしょうね。。。今週号のSAPIOでは、このあたりについて深く言及されてました。八木教授の話。私としては、とても為になりました。 by ※ >>121と>>120と>>119と 私、浩宮さんちと同じ年に三日違いで結婚しまして、現在結婚十一周年、こどもなし。 流産二度。かつては、親戚ならびに近所がたいへんウルサかったです。 が、一度ウソ泣きしたらあまり言わなくなりました。 まー、雅子さんは、とりあえず一人いるから私よりいいのではないですか(笑 いないよりいいです。ずっとよい。少なくとも母としての生き方を味わえる。 日本には過去、女性の天皇がいたはずで、女性の天皇を認めない今の憲法が おかしいんではないかいなと私は考えています。 王制帝制のある先進国で女帝を認めないのは、日本とリヒテンシュタインくらいだそうで このさい女でも認めちゃえばいいじゃーん、と私は軽く言ってしまいたくなります。 今の日本の皇室を見てると、皇室側が宮内庁にクーデターを起こしてるみたいで なんだかすこし笑えてきます。美智子さんは一人の女性として、義母として、 雅子さんをいかに心配していることか、と思ったりします。 by 佐々宝砂 参照先不明 どうも話がかみ合わないと、よく考えてみたら、「皇太子皇太子妃/宮内庁摩擦」と「後継者問題」を僕がごっちゃにしたから、みたいですね。 「後継者問題」は、それほど「問題」ではないのですね。 うろ覚えだったから、さっき調べたんですけれど、女性の天皇は今まで8人いたんですね。 そのうち武家社会になってからは江戸の中期に2人、そのまえが6人、つまり古いほど多いんです。 (>>125 ミントさん 推古天皇と持統天皇はどちらも女性です。さっき系図見ました) また、実質的に執権を握っていた女性も何人かいるようです。 そういう「前例」がありますし、世界の大勢からいって、絶対に女王を認めない国は2つしかないといこともあり、 宮内庁自体大筋で「女でもいいかー」という方向に傾いていることは知っています。 問題は「摩擦」の元凶である宮内庁の精神ですね、多分。 もともとが日本の住民たち(日本民族というとややこしくなるので避けます)は、母系社会だったわけで、 父性にそれほどこだわってはいなかったはずです。 これを制度で押し付けたのが武士階級。そしてそれを実質的に受け継いだのが、 士族華族→一部の政治家、ではなくて、官僚ということでしょうか。 愚鈍な民を統べているのは賢明な俺たちだという感覚がやはりある。 そして天皇は国民のシンボルにしか過ぎないし、皇族には戸籍も選挙権もないので、国民以下、 という無意識の卑下があるように思えてなりません。 どちらかというと反体制派なので皇室擁護など、さらっさらっする気はありませんが、皇太子の発言を一言で言うと、 「僕たちにも人権というものを下さい」と懇願しているとしか考えられません。 また聞きで悪いのですが、皇太子と同級生だった男性の友達から聞いた話。 皇太子はよく「からかわれて」いたそうです。でも「決して怒らなかったんだって」とも言ってました、「そこだけは偉い」という感覚で。 そんな決して怒ることのない人が、ああいう発言をした、ということは、普通の人にしたら、 喚き散らして殴りかかっている、くらいの勢いではないかな〜、と思いましたよ。 長くてすみません。 by クリ 「女性天皇はいいけれども女系は困る」という意見もありますよね。女性天皇は前例があるけれども、女系(女性天皇の子供が天皇になる)は前例がない(はず)だから。 #僕にとってはどうでもいいことですけど^^; by 片野晃司 >>もともとが日本の住民たち(日本民族というとややこしくなるので避けます)は、母系社会だったわけで、父性にそれほどこだわってはいなかったはずです。 ? 母系制というのは、当該社会の構成員を定義するときに「この母の子供である」という定義を持ってする社会システムのことで、社会内の富の移動もそのシステムに準じた形で行われるのが普通ですが、日本のいつ頃、どこにそのような社会があったのでしょう? >>皇族には戸籍も選挙権もないので、国民以下、という無意識の卑下が・・・ 戸籍の代わりに皇統譜がありますが、まああれはわれわれ民間人の家にも伝わる家系図のようなもんですから、むしろ、戸籍などという国家の管理システムを超越し、選挙権などという近代国家との偽りの契約システムとも関係なく(笑)などという言い方もできるわけでね。 なにがいいたいかというと、そういう「卑下」から俺は在日外国人一般に対する「卑下」と同じ匂いをかいだから、ちょっとね、と。 「卑下」の主体がクリさんでないことはわかるけれど、無批判にそういう「卑下」について語るのは同罪なんじゃないの?などと。 by 山田せばすちゃん 戸籍もなく選挙権もない、という事実は事実としてありますが、その事実を「国民以下、という無意識の卑下」というときにも、俺が言うように「国家というシステムを超越している」というときにも同じようにある種の価値判断がついて回ります。まあ解釈というものは事実をある価値で判断するものですから当然なんですが、問題なのは「戸籍も選挙権もないので、国民以下」という「卑下」のあり方は、在日外国人差別につながるものがありますよ、と。その「卑下」という価値観を持ってるのがクリさんではないことも文脈からわかりますが、安易に、何の注釈も入れることなくそういう価値観をある種当然であるかのようにお使いになっていらっしゃることに関して、一言ご注意申し上げたかった、とこういうわけです。わかりやすく言えば、某SF作家が「士農工商SF作家」という文言で自分を揶揄して見せたときに、それが自らを揶揄していることは文脈から判断はできるけれども、「士農工商」が歴史的にどんな文脈で用いられてきたかを鑑みた上で、それなりの配慮の元にその言葉を使ったか否か、が問われた、というのと同じことです。 ご理解いただけましたでしょうか? ちなみに「通い婚」という婚姻形態は見かけ上の形態としては確かに母系制社会によく見られるものですが、にもかかわらず、たとえば「清少納言」は「清原少納言の娘」であることの略称ですし、「蜻蛉日記」の作者が「藤原道綱の母」、「更級日記」の作者が 「菅原孝標女 」と伝えられてるとおり、平安時代もまた母系社会ではありませんでした。 「結納」に関しては多分何か勘違いされていらっしゃると存じますが、あれは女性を「財物」として物々交換するという経済原則の象徴ですので、家父長制の産物ではあるけれど、母系制とは相容れない性格のものではないかと。 by 山田せばすちゃん 「日の丸の歌」(明日学校でみんなでうたってみよう!) 作詞 今井広史 補作詞 無名の関西ブント戦士 白地に赤く 日の丸染めて 全部染めたら わしらの勝ちや by 山田せばすちゃん 私の一個人としての意見。 なんで日の丸は反対されたりするのに、朝日新聞の社旗は変更されないんだろう。日章旗のほうが、戦争のイメージが強いのですが。 なんで公立校の教師(国家公務員)やってるのに、国歌国旗に反対して歌わなかったり破いたりする人がいるんだろう。会社員で、自社の社歌やシンボルマークに対して同じことする奴なんて居ないよ。嫌でも歌え、敬え。いい大人なんだから、公私混同すんなよな。子供が見てるぞ。 競技場で国歌斉唱の時に皆が立つのに、その儀式を無視する人がいるのは何故だろう。そういう空間なのだから。場の空気を読むべきだと思う。やるのが嫌なら自宅でテレビ中継見てればいいのに。周囲の皆も、そう思ってるんじゃないのか。これも一種の公私混同なんじゃないのかな。 私の詩の知り合いにも国歌国旗嫌いの人はいるけど、そういうところはきっちりしてる。だから私は見に行かない、そう言ってる。 by ※ 最後に、そもそもの一番の争点は「皇室問題(公私に関する)」だったこと、改めて再確認しておきたいです。 佐々さんの国歌国旗への認識等は中立の目としては至極全うなものだとは思いますが、それはやはり個人で内包すべきものであり、つまりは「私」なのだから「公」として露出させるべきものじゃないと思う。それこそ、子供が見てるんだから。正式に国歌国旗として制定されている以上、それを公の場で敬うのは当然だと思う。 by ※ おはようございます。昨日の巨人阪神戦すごかったです。 さて、僕の祖父は、先の大戦で、開戦直後、南方に、一兵卒として送られ、瀕死の重症を 負いながらも帰ってきて、母が生まれ、今僕がいます。 苦しいながら生きています。祖父はそんな目にあっても、天皇を非難しなかった。もう亡くなったから、理由はわからないけど、、 だから戦争、怖いです。祖父が死んでたら、今の僕は、ありませんから。 戦争に、天皇が関与したのは、まちがいないです。御前会議して、天皇の詔勅がでないと戦争できないし、、といって、もう昭和天皇は亡くなられたから、彼の肉声、思いは聴けません。 もちろん天皇は、難しい立場にいたでしょう。だから、この問題は、僕は間接的ではあります。 片野さんの、京都へ天皇を帰す、は、提案は自由です。ただ、その前に議論しないとまずいことが、たくさんあると思います。いろんな意見があり、歴史の見方がある、、僭越ながら、そう思います。 僕は昭和天皇が亡くなったとき、高校受験を控えていました。誕生日の一日後に、発表がありました。商店街は自粛していたのに、塾は休みじゃなかった。なにしろ誕生日の一日後で、高校のこともあり、変な気持ちがしました。町が妙に静かで、マスコミだけ大騒ぎ、気味悪かった。 ※さんの意見は、天皇個人と、天皇制とを、それぞれ、どう考えているか、聞きたいところです。佐々さんへの意見が少し乱暴な物言いになっています。 日本は、天皇制と民主政が、合体した不思議な国です。合体のさせ方、させないなら天皇の位置づけをどうするか、戦後あまり議論が進まないまま、わけのわからんことがまた起こってる感じ。 ※さんは、天皇制に重きをおきすぎてる気がします。そのことが、妙な力みになって、 民主政の基本である信条の自由の抑圧に向かってる気がする。 明治以来の歴史の矛盾が、いつもうずいていて、しかし、戦争があって、負けて、経済発展して、またちがう形だけど、苦しんでる方がいる。 もう、そういう話は、政治的にきちんと決着しないと気持ち悪い。ここで完結する話ではないですが、最低限、一人一人の意見をぼくは尊重したい。ぼくは民主政を大学の先生から教わったし、祖父のこともある。宮内庁とかあんなイジメして何がたのしいの? いじめはこわいよー! 追記、佐々さん、竹内浩三という詩人を知っていますか?戦死した方だけど、ユニークな詩を書きます。 by 石川和広 >>[165] 誰も鬱症状のまま産めだなんて、一言も言ってませんよ。病状を優先させて治すのは当然だと思います。それくらい、宮内庁でも理解してるんじゃないでしょうか。公を優先させるべきだとは言いましたが、無理を続けて男児に執着せよとは言っていない。女帝を安易に認めればいいとか、もうずっと産まなくていいよとか、そういう「私の優先」は良くない。病状を回復させながらも、全快の後には守られるべき公はある。 代理母の話も、ちと違う。確か、体外受精したあとで自身に・・・って言ってたと思うのですが。もしくは代理母を頼むとしても、それは皇室の未婚女性にって言ってなかったっけか。皇室内で血は守られる、って話を展開してました。 石川さん、はじめまして。私は、天皇制に重きを置くのは当然だろうと考えています。ましてや、その歴史の長さと重さを考えた時に、それは尚更だと思うのです。個人レベルで簡単に否定しちゃ駄目だと思う。 by ※ 初めまして。 関係あるかどうか分りませんが、 「君が代」ってなんで邦楽器の伴奏にしないんでしょうか? 今の伴奏は外国人の作曲家による編曲ですし。 邦楽器にするだけでも随分イメージ変わると思うのですが。 こういう細かい所からも日本人としての自信の喪失がちらほら見える様な気もします。 そういう自分自身が深く考えていないので何とも言えないですが、、、、、 by 汰介 >>[175] 唾、ね・・・。 山田さん、私は以前にも貴方に言いましたよね? 罵詈雑言煽り挑発その他の類は、誰も望んでいない、と。 貴方の目的は、場を破壊することですか? 意見の違う相手を汚く罵ることですか? これは、貴方の挙げている「血に縛られた産まれついての運命」など承知の上での議論です。だからこそ、極論として、それを踏まえた上でのものまで考えてみたりもした。差別は無くすべきだという考えは誰にでもあるものだと思うけど、でもまた、無くならない(無くしようのない)差別もあるものと認識しています。そして、今の時代のように差別が絶対悪ではなく、日常どこにでもある制度の一環だった頃の、そんな時代から受け継がれてきた文化というものもある。 では、それら文化が今日の世においてそのような負を孕むのだとして、その発祥は差別を目的としたものだったのでしょうか。結果としてそういう側面を抱くことになっているのだとしても、現実問題として、彼等が差別(による苦しみ)を望んでいた筈がない。 宗教があるから戦争がある、だから無くせばいい。そんな暴論は通らないでしょう。布教の側面に戦争があったとして、信仰に罪は無い。それと同じなのではないでしょうか。 私には、貴方の考えが理解できません。現代の思考で過去を裁こうとする意見に与することなど出来ない。それならば女人禁制を貫く寺社仏閣等は、例外無く女性差別者なのでしょうか。 ・・・まぁ、貴方は唾を吐きかけて絶縁を宣言したのだから、もう話す余地など無いと思われます。が、私には、貴方が差別をする側の人間に見えます。 >>[178] ボルカさん。はい、そうです。日常的な考えではないです。 遺伝子の伝達過程における劣化という側面を鑑みるならば、旧宮家の間接的な復興が望ましい、そこから次の天皇を望めば良いと、私は考えています。と言っても、そこから世継ぎを戴くのではなく、旧宮家の人間と、内親王や女王との間に男子を望む。これを行うにも皇室典範の改定が必要なのですが、やや現実的だと思います。・・・ちょっと受け売りなのですが。(無論、人権問題とは絡めないで戴きたい。) by ※ 参照先不明 参照先不明 そもそも、天皇制を差別の諸悪と見なしている時点で、意見に合い入れないところがある。繰り返すが、私が望むのは、男系の男子という今までの鉄則を崩さない(という伝統を守り続けた上での)存続。色々と考えたのですが、これはもう何を言っても水掛け論なのだなという結論に達しました。山田さん、その二点は認めるよ。貴方の視点に立った時って条件付きだけどね。差別主義者だと非難したければ、すればいい。もう、議論は終わりです。 やはり私には、貴方のほうが差別する側に見えるよ。議論を差別している。今まで彼等が守ってきたものって、何だったんだ。 天皇制度 http://www5e.biglobe.ne.jp/~kenporin/ronten/text/genri02.htm by ※ >>210、はじめまして。たとえばそのあたりの事情は、古関彰一さんの「新憲法の誕生」を読むのはいかがでしょう。 天皇制は、マッカーサーも、文化人類学者に調べさせたりして、少しの間、天皇は必要だと思ったみたい。 一応、天皇は、憲法に書いてあるけど、主権はわたしたちにあります。 今の政府では、わからないけど、きちんと手続きをすれば、システム上改正は可能です。しないこともできます。天皇を国王にもできます。 一応、日本は法治国家です。たとえば無年金者問題も、最高裁の判断が出ました。 ある意味、放置国家かな?? >>212佐々さんお疲れ様。僕は疲れてきました。竹内浩三、どうすか?いそがしいみたいだから、読むのも大変かもしれないけど、、 by 石川和広 参照先不明 参照先不明 こう、なんというのかな、詩を書く(書こうとしている)人たちって大御所も含めて どうしてこうも政治的なものごとについてはナイーブなんだろうな? すげえ詩を書く人が、政治のこととなるととても幼稚な洞察しかもっていないで、愕然とすることがよくある。 単眼なんだな。 トンボのように複眼でものが見られない。 それでよく詩なんか書いてるなと思うけど、結構いい詩書くんだな、これが。(笑) 笑ってしまうけどね。 たとえばこんかいの一連のレスで目についたのは山田せばすちゃんという人のレスだけど、これって構造的にはまったく戦時中の憲兵の姿勢だよ。 要するに思想的な内容なんてどーでもいいんだよ。ほんとうは。 政治的に、だれかのことばを見るときには、姿勢というか、発せられることばの構造がモンダイなんだ。 それはともかく山田せばすちゃんという人の発言で一番怖かったのは、 最初は「おれ」という単独の意見として発せられていたことばが、急に、なぜか、いつのまにか >俺らが問題にしているのはまさに、今、出自による差別が絶対悪である今の世において、平気で差別的な言辞を弄しているあなたそのものです。 なぞと、「俺ら」になったこと。これにはぞーっしました。 「俺ら」ってなんなのかね。この掲示板は「俺ら」が支配的に支配しているのかね。 そういう強圧的な物腰でだれかの自由な意見を排除しょうとする、それこそが「天皇制」の本質ではないのか。 ま、わたしは人を殴りながら「暴力はいかん」、暴力反対とお前がいうまでお、まえを殴り続けるぞ、という人間より 暴力、好きですと頭を垂れ正直に告白する人の方が政治的には信用できるね。 by 一番搾り 参照先不明 例えば日本刀にしてもですが、 「お岩さん」の話があるじゃないですか。一枚、二枚の。 あれって、結局その磨き抜かれた刀の真価に気付か無い人間が持つと、 結局ああいう風に人を切ってしまい、化けて出てこられる。 それも、本当に化けて出て来たのではなく、 刀の放つ光に、持つ者の精神力が追いつかずに、 精神に変調をきたしてしまう話なのだろうと思います。 文化っておいそれと近づく事が出来ないからこそ文化、と言う面もあるのでしょうか? それは、現代になっても、別な形に変容して存在しているのでしょうか? まあ、文化が内面に突き付ける「鏡」だとすれば、 日本は「神の国」ではなく「鏡の国」なのかも知れませんね。 by 汰介 何となくの印象ですが、、、、 「君が代」と言う言葉から権力的な匂いを差し引いたら? 「君」と言う言葉も、今の意味に変換して正に「君」→「貴方」=私達の世。 そうすると本当の意味で天皇も純粋に「象徴」としての存在になるかもしれないです。 「日本の世相の移し絵」として。 精神的負担は、別に天皇に限らず、社会の重要な位置を占めている人は、恐らくそれなりにかかっている訳です。悪人にせよ、精神負担が全然かからないという事はまず無い。 しかし、行動に関する制限は、多いでしょうね。ただ、かと言って、天皇家を解体して、一般市民になったとして、適応できるのでしょうか?結局は、余り変わらないと思いますが。「そっとしておいてあげようよ」が通じる位なら、始めから誰も苦労しませんし、大体「歴史」過去の記録自体が必要でないのでは?とも思います。 その辺りが揺れ動くポイントであろうと私は思います。 by 汰介 >>237 すまん、なんかそれって「東海道四谷怪談」と「番町皿屋敷」と「妖刀村正」の話がごっちゃになってるように思うのって、俺だけ? >>243 んー 「民が代」って言うのなら前にもあったけどね、「たみがよーはー」って歌うの(笑) 天皇制の代わりに民主主義よ永遠なれ、みたいな。 by 山田せばすちゃん [231]汰介さん 初めまして。 「芸術」「政治」もよくわからない....のはわたしのほうです。 ただ、今回、一連の皇室・天皇制もんだいレスを読んで、あらためておもったのは これまで、天皇制ってあまり意識したこともないし、考えたこともなかったということです。 皇室関係の法令なんかをはじめて読み齧り、みなさんの薀蓄に耳を傾けてわかったことは なるほど! 日本という国は、頭に酋長をいただく土人の国なんだな、ということ。 ネクタイを締め、車に乗り、コンクリートの箱に住む土人の国です。イメージとしては。 わたしにとってこれは日本国の新鮮なイメージです。 あたらしい発見です。 おしなべて先進国は無駄を排し、有効性、功利性、実用性、合理性を追求するわけです。 そもそも国家とは差別の体系であるわけで、それ(差別体系)にもっともらしい言い訳を与えるために宗教や法律や国家理念がある。 日本の場合も日本独特の差別体系があり、その顔として象徴天皇制みたいなものが生まれたのではないかとおもいます。 制度としての天皇制は、日本的差別体系の顔にすぎないのじゃないか。 実質的な日本的差別体系は、日常生活のすみずみに浸透しており、日本人の血肉になっているわけです。 それは、どのような現象として立ち上がってきているかといえば... 高校野球制度における最高権威としての甲子園と高野連。 進学制度における最高権威としての東大。 ブンガク制度における最高権威としての芥川賞。 おなじく詩制度における最高権威としてのH氏賞。 舞踏制度における最高権威としての宝塚。 その他....もろもろの小天皇制度。 こういった小天皇制度が日常生活の隅々に浸透し、日本人の感性をカタチ作っている。 それらからカタチ作られる意識が天皇家への賛美につながっている。 とわたしは思います。だれもこの感性から逃れているとはいえない。 それは、日本人の生活そのものですから。 これはしかし、現代ではあまり効率的とはいえないシステムかもしれない。 だいいち、天皇家の存続に費用と手間がかかりすぎる。 西洋的な合理主義的国家体系=合理的な差別体系の構築には、むしろ国歌と国旗があればいいのではないか。天皇家はもうはや邪魔だ。国歌と国旗に天皇制(日本的差別体系)を収斂させたいというのが西洋的な合理主義者の考えではないでしょうか。 そうすると今回、皇太子が訴えた「雅子がなおざりにされた...」というコトバは進歩主義者が酋長一族をおろそかにし始めている。国民のみなさん、それでは、この国はどうしょうもない合理主義一辺倒の、情の薄い、和の抜け落ちた「先進国」になってしまいますよ、それでいいのですか? という警告ではないか、 あるいはその逆で、どうしても酋長制度を維持したい宮内庁派と、西洋かぶれの皇太子の戦いかもしれません。 そういう意味で、わたしは*さんが一方的に差別主義者だとは思わないし、山田さんが一方的に反差別主義者だとは思わない。 むしろ現在の皇室は、合理主義、効率主義、実用主義的差別体系の到来に唯一反抗できるよすがに成り得るとわたしは思っています。 おそらく近い将来、国歌・国旗に天皇制を収斂していこうとする国家と、それに反発する酋長一族とその支援者との対立が見られるのではないかと わたしはひそかに期待を寄せています。 それはともかく、このようなレスは、あらかじめ胸のうちにある思念や情念を相手にぶつけるように吐き出すのではなく、 汰介さんのように、書きながら考えているのが感じられるスレが、わたしはとても好きですので、わたしもその流儀でいきたいと願っています。 by 一番搾り 参照先不明 先生は生徒じゃないだろう?まさに、その通り。先生は、あくまでも先生。生徒は、あくまでも生徒。位置が違うんだよね。 マッカーサーが、天皇様に「私は人間である」と言ってもらったのはきわめて政治的なことで、史的事実からいえば、やはり神です。神であるがために、人民に無害でした。 天皇の日常は、今でもそうですが、いかなる神主より神主で、神に仕える祭事がじつに多く、どんな神主よりも忙しいですね。少なくとも摂関政治以降は、神もしくは神主である性格がより濃厚になった。だから、いかなる戦乱の世でも京都の御所だけはおかされなかった。応仁の乱前後、京都で盗賊が横行し、あらゆる物持ちの家や倉は常に脅かされているのですが、盗賊は、壁一重の御所にだけは入らない。天皇さんだけでなく、大神主である天皇さんの眷属である公家の家にも入らない。驚くべきことです。盗賊ですら、神聖血族集団ということを認めていた。(下記より一部引用) http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/tennousei1.html#〇天皇制とは何か 司馬遼太郎 by ※ 参照先不明 ま、「被差別部落」についての一連のレスは、おしなべてどれもこれも とんでもない差別意識の露骨な発露でありましたね。 なんとなれば、差別反対論者も、一方的に差別者呼ばわりされている人も、 人間というものを決して単独者としてとらえないで、ある種の 集団、(この場合は被差別部落民の一員)として捉えて発言しているから迷路から逃れられないのじゃないのか。 人間を集団の一員とみなす発想、これこそがじつは差別そのものなんだけどね。 一個人が、「あなたがたは被差別部落というものを勝手に規定し、そこに住むわたしをそう呼び、 また部落開放同盟などという団体もわたしをそう呼ぶが わたしはそんなことは知らない。関係ない」と宣言することを、許しはしないからね。 開放同盟てなんだよ。かってにだれかを部落民と決め付け、部落仲間であることを 要請する。 それは「被差別部落」を勝手に規定し、そこの住民を差別する感性とまったく同じものじゃないかと、「仲間」が言うことを許しはしない。 本来、だれが被差別部落民であるか、なんていうことは、単独者にとってはまったく関係ないことだといえる。 そこのところをきちっと押さえれば、どこにも「部落民」なんて本来存在しえない。 また、そこからしか「部落民」なんていう発想を廃止する根拠は生まれない。 カミングアウトもくそもあるか! って態度がひつようだな。 そんな愚にもつかないことする必要なんかあるかい! てね。 なんとなれば、単独者としてのわたしは人間であることでしかありえないのだから。 こんなことをいうと いや、歴史的にね、被差別部落は厳然としてあってね....そういう差別から開放されるにはね... なんていう講釈を当事者でないものがお節介に介入して説明してくるのだろうけど、差別は あくまでも当事者である個々人の問題だし、 当事者である個々人の問題である以上、その数だけの「個人的」解決法があるということだ。だれかが勝手にだれかを被差別部落民と規定するお節介をやめれば一番いいのだ。 by 一番搾り 参照先不明 最後の意見は、非常に誤解され易い内容でした。その補記を記載して、終わりと致します。ohatuさん、助言ありがとです。でも、それだと泥沼なだけなので、このような一方的な意見発信に終始しております。 補記。 人権の面から一直線に天皇制を見た時、それは差別だ。と同時に、世界中の王制、王室、そういったものの総てが差別と断定されてしまう。王制等が今日にまで延々と続いている国家は、すべからく、差別国家と見なされてしまう。イギリス、日本、オーストリア・・・。 では、そういった諸々の国から王制を排除した時、そこには何が残るだろう。そういった国々では、王は民をまとめる為の存在であったり、国民の象徴であったり、憧れの的になっていたり、場合によっては恨まれていたりもするけれど。どの国を見ても、基本的には好かれているのが実情だ。(嫌われている場合、独裁国家という名の冠が付く。) どの王制を敷く国でも、王家はその国の歴史の中枢を担ってきた。王は善政を敷き、国民に慕われてきた。それでも人権という言葉のフィルターで覗き込む時、王制は差別の一言で排除されねばならなくなる。これは、非常に悲しくて恐ろしいことなのではないだろうか。 王が、どれだけ差別を嫌って公民に平等に接し、そうなるよう善政を敷いていたとしても、人権という言葉の前では無力なのか。王、という身分を着ているが故に、差別する側なのか。 誰だって、差別は嫌だ。無くしたい。けれど、差別という言葉の中には、排除されるべき差と、残されるべき別、二種類の差と別があるのではないだろうか。 戦争が、民族独立を目的としたものか、侵略による利権確保を目的としたものかでは、その価値に大きな開きがある。それを、戦争=悪と捉えたのでは、その民族は独立さえままならない。そうして軍事政権下に虐げられている民族がある。 戦争とは政治の一手段。かの武田信玄も、そう言っていた。それでも日本には、戦争アレルギーの人々がいる。同じだ。日本には、差別アレルギーの人間もいる、ということ。国への意識が、余りにも希薄な人が多過ぎるのではないだろうか。 以前、現代詩フォーラムにおいて、私は「人権の前に、まず、国ありき」と言った。この「国」とは、祖国のこと。これは一個人に対する家族のようなもので、これが無くては、何も立ち行かない。無国籍の人間が、どこかの国へと行けば、それは難民だ。世界中あちこちに住まう難民の願いは何か。人権?祖国?そんなものは聞くまでもない。まず、祖国。誰しもが、祖国において、人権を主張するのだ。 日本という国は、フランスみたいに市民による革命から産まれた国ではない。アメリカや中国のような、人工国家でもない。イギリスやオーストリアのように、王制が導いてきた国なのだ。そういった国では、王制(天皇制)だけは、差別からは例外視するべきだと思う。何もかもを差別という名の元に裁断することだけは、あってはならないと思う。 誰だって、差別なんて嫌だ。私もそうだ。でも、それを撤廃させようとして祖国を見失うようでは、元も子も無いではないか。 by ※ ※さんの補記へのひとりごと。 ・祖国と人権を量りにかけるような誤謬をどこかで叩き込まれたのかなあ。 ・天皇制もくそもない。国家とは、どんなに理想的な国家であれ国家であるかぎり差別体系だといっているだろうに。まだわかってもらえませんか。 ・>戦争が、民族独立を目的としたものか、侵略による利権確保を目的としたものかでは、その価値に大きな開きがある ↑そんなことがあるかい。殺される側にとっては、まったく同じ人殺しだ。人殺しに価値があってたまるか。 ・>誰しもが、祖国において、人権を主張するのだ。 ↑そんなことあるかい。祖国もくそもあるか。どのような国政下においても人間は常に人権を主張する。 by 一番搾り 参照先不明 理想だけで行けば、そうなんだけどね。ということで、午睡機械さんにポイント入れています。 by ※ 参照先不明 参照先不明 今出がけなのでょっとだけ。誤解されてもなんでもいいやというひとりごとです。 私は似非が好きです。偽善も好きです。偽悪も好きです。2チャンネルだって 直接的攻撃対象として私が選ばれることがなかったら、きっと好きです。 悪意はあまり好きではないけど、私の中に悪意があるのはしかたないやと 思ってるし、指摘されたらその通りですと言います。 私は悪意の理由なんて言いません。わたしは悪意を認めただけです。 あの(笑)には確かに悪意がありました。※さん、ごめんなさい。 「アホか」発言そのものは、もちろんいい物言いではないとおもいます。 「唾棄」にしてもそうです。でも彼には彼なりの真剣さがあると思い、 ポイントを入れました。彼はわかってやっていると思います。 自分の言葉のひどさも含めて。ついでに言えば言葉が過ぎるよと個人的に 彼に戒めておきました。言い分がいくら正しくともあれでは嫌われます。 わかっててやってるなら、みんな好きです。自覚がないのは、苦手です。 私はOhatuさんが別に嫌いではないけれど、話をするとだんだんずれるので どうも話がしにくいのです。 by 佐々宝砂 参照先不明 午睡機械さん、やはり私としては理想は理想の段階でしかないように感じています。侵略され虐げられた民族がいくら話し合いを希求したところで、どうなるのでしょうか。具体例として、どうやればチベットは独立できますか?どうやればカレン族は独立できますか?どうやればパレスチナから戦渦が消えますか?・・・理想は理想であり誰しもが望みますが、まずは現実を受け止めるのが先なんだと思います。私には、自爆テロを繰り返すパレスチナ人を責める言葉が見つかりません。 by ※ 参照先不明 「人権より国が優先」の意味が、「まず何よりも宗教や民族的アイディンティティが優先される」とは解釈されずに「国家機構は人権など踏みにじる」と解釈されていて、ああ、文章の一端だけ切り取られてるなぁ、って、がっかり。王族が国家中枢を担っている国は、汲まなく北朝鮮と同列らしい。 宗教や民族的アイディンティティといった様々なものをベースにして、人は人権を語るのにね。 by ※ 午睡機械さん、具体例に挙げた事項の解決策の希求への解答が「未来に希望を持てる話をしよう」では、それは机上の空論でしかないような気がします。今の時点がそれならば、百代先にも同じ話が繰り返されるだけではないでしょうか。 私の世界情勢を元にした詩は、音楽(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=4309&from=listdoc.php%3Fstart%3D30%26hid%3D487)にしろ、異食同源(http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=7543&from=listdoc.php%3Fstart%3D0%26hid%3D487)にしろ、悲観論で結ばれています。私には解決策が見えないから、何かしらの具体的な解答が欲しいのです。 死にはメッセージ性があります。悲しいかな、人が死ぬことで世界から注目される。そうやって世界に呼び掛けることでしか、世間の目を惹くことの出来ない人々がいる。考えてみりゃ、日本だってそうだ。ちょっと前の回転ドアにしろ、三菱のリコール隠しにしろ、死者が出て始めて改善されているものが多過ぎる。 そういえば、人類滅亡までの時間を示した世界時計というものがあったと記憶しています。今、長針はどこを指しているんだろう。 by ※ >>334 ※さんへ 人の文章はよく読んで下さい。私は、私個人のアイデンティティーを必ずしも大和民族的なものに基づくものと見なさず、キリスト教という日本ではまあ比較的少数派である宗教に基づくものであると発言しております。※さんが大和民族としてのアイデンティティーを持つことについて否定してはおりません。私が憂慮するのは、多数派のネイション(独立国家を持たない民族、宗教的集団、政治的集団、文化的集団を含む)が、少数派のネイションを数・武力・経済力などによって押しつぶすことです。世界的に見た場合かなりの多数派であるキリスト教ネイション(あえて国家といいません)が大和民族ネイション(やはりあえて国家といいません)を押しつぶすことがあるとしたら(実際あるかもしれません)、それはやはり起きない方がいい出来事であると思います。もちろん、大和民族ネイションが、アイヌ民族ネイション・琉球民族ネイションを押しつぶした過去の歴史を、私はよい出来事であったとは考えません(あえて朝鮮民族と中国については触れません)。しかし戦い(あえて戦争と言いません、武力によるものとは限らないため)は続くでしょう。どうなってゆくのか私にはわかりません。見えないところでも戦いは起きます。戦いにもならずいきなり勝敗がつく場合もあります。戦いですから、侵略があり得ます。アメリカの言語や娯楽文化が世界を制覇してゆくことも、多数派ネイションによる少数派ネイションへの侵略のひとつです。 なお、私はなんとか眠れましたので、今は元気です。 by 佐々宝砂 佐々さん、[338]に関しましては、私も意を同じとするところです。なので、ポイント。 これは一番搾りさんに向けた言葉で、そうだと記さなかったのは、私のミスです。御手数おかけしました。 by ※ >※さん 大和民族が幹なのは、大和民族に属する人間にとってだけです。天皇をあがめるネイションを幹とするのは、天皇をあがめるネイションを幹とする人々だけです。私は、日本国の国民ですが、大和ネイションに属するという強い自覚を持たず、天皇をあがめるネイションに属する自覚は全く持ちません。私は大和ネイション・日本国家の枝葉ではありますが、天皇を神とあがめるネイションには属しません。私は宗教的に別なネイションに属します。※さんが切る覚悟ができているのは、どこの枝葉ですか。それは本当に枝葉ですか。別な小さな木の幹ということはありませんか。 by 佐々宝砂 [354]追記。 切られる枝葉に覚悟はありません。私は枝の一部ですから、そのくらいのことを言う権利はあります。また、枝葉と幹のたとえを使わせてもらいますが、どちらが重要というもんでもありません。切れた枝葉がどこかに根付くこともまれにはあります。私は、それがいいことかわるいことか判断をしません。ある、と、とりあえず、述べておきます。 by 佐々宝砂 ※さんと私は、意見が相容れないというより、世界観が大きく違うのではないかと思います。 ※さんの枝葉と幹のたとえを再々度使わせていただきます。たとえとして便利ですので。※さんはこの人間社会を、森のようなものであると捉えているようです。※さんの世界観では、樹齢何千年の大きな木が何本も立ち並び覇権を争い、小さな木々も草もあってお互いが自分を守るべく争っているのではないでしょうか。そして、守らねばならぬ古木が存在すると考えるからこそ、その古木を守ろうという意志をお持ちなのではないでしょうか。 一方私は、この人間社会を、絡み合ったアケビのツタのような、わけのわからない複雑怪奇なもつれの塊であると考えています。葉も花も実もあるかもしれませんが、幹はありません。ツタばかりがあります。あるていど太いツタはあります。しかしどこにも幹はありません。ツタは激しく枝分かれし、横とからみあい、融合し、あちこち自分勝手に根を下ろし、無茶苦茶なカオスになっているため、どれが最初の根だったのかは誰にもわかりません。そのような状況であるにも関わらず、「私の属する根こそが最も重要で、最も古く、最も守られるべきものである」と主張する人々がたくさんいます。しかし実際には、どの一本の根が抜けても、もつれあったツタ全体が滅びることはありません。なにしろ根はたくさんあります。そして、どの根も、重要性は等しいのです(傍点がふれるなら、この一文に傍点ふりたいです)。この根は重要だがあの根はどうでもいいということは、ないのです。 たとえを用いるのはひとまずやめて、また※さんがどうであるかはさておくとして、私の属性について言いましょう。まず、私が人間社会に属しているのは確かです。身体的性別は女性で、性自認も女性ですが、バイセクシュアルです。年齢は36です。 国家単位で言うならば私は日本国の国民です。民族単位では、大和民族であろうとは思いますが、確証がないのでわかりません。朝鮮族の血が混じってるかもしれないし、中国系の血が混じってるかもしれません。もしかしたら、北方系の血が入ってるかも!と想像をふくらませるのは自由ですが(私はなんでか知らないけど小さな頃から北方に憧れを持っています)、私は太平洋側に住んできた漁師と商人の家系からできあがっていますから、南方系の方が確率高いように思います。まあ要するに、私の遺伝はどこからきたかわけがわからんということです。地理的には間違いなく日本の東海に属しており、そのため民俗的にも日本の東海に属します。暴れ祭をやり、遠州弁を喋り、新しもの好きのためかよく試験販売の対象になり、カツオとマグロと茶を好みます。経済的には下流で、製造産業に従事することが多いですが、サービス業も農業もやります。学歴は高卒です。政治的には、まあ左です。地方自治選挙・比例制選挙では共産党に投票しますが、共産党支持ではありません。シンパより役に立ちません。衆院選のときにはそのときどきで支持政党を変えます。今回の参院選についてはまだ決めかねています。娯楽文化的には、主に英米の音楽を好み、にも関わらずどちらかといえば米国の映画を嫌い、しかしどんな言語による文学でも(日本語に翻訳されているならば)喜んで読みます。サッカーが好きで、国際試合を見るときには徹底して日本チームびいきです。 宗教的にも、ややこしいことになります。私はクリスチャン(プロテスタント)で、でも近所との祭のつきあいがあるので神社の氏子で、また先祖の墓が寺にあるので寺の檀家です。ほんとはそういうのはキリスト教徒としてはあかんことになっていますが、日本人のクリスチャンの中には、私のような人間が少なくはないはずです。宗教的な寛容性を持つ日本人だからこそできるワザとも言えます。私は確かにいろいろなものをごまかした上で、このような存在になっています。しかし現実的な行動としては、そう悪くないのではないかと思います。争いもなく八方丸く収まります。なお、私は、民俗行事におもしろがって参加するたちなので、庚申講にも参加しますし、機会があれば、パプアニューギニアだかどこかのセックスゲームにも参加してしまう可能性すらあります(笑)。 言語は日本語です。これだけはきっぱりと断言します。私は、言語以外の点では純血ではありません。しかし、その言語すら、本当は純血ではありません。日本語自体が、ウラル・アルタイ語族に属していて孤児ではありませんし、方言を持ちます。先に書いたように、私は遠州弁を喋ります。しかも生まれは駿河なので、ちょいと駿河弁の語彙が混じります。ま、標準語を操ることはできます。ふつうに喋っても標準語に聞こえると思います。 さて、またたとえ話に戻ります。私の属性、すなわち私の根(根とはつまりネイションです)は、全部でいくつあったでしょうか? これだけずらずら並べても、おそらくまだ書き落としがあります。ものすごくいっぱいあるのです。それぞれの根の私にとっての重要性は、それぞれの根が私から遠いところに根をおろしているか近いところに根をおろしているかで決まります。私にとって日本国家は、スウェーデン(別にジンバブエでもノルウェイでもかまいません)より重要ですが、それは日本国家という根が私に近いからです。日本国家という根は、私にたくさんの水や栄養を提供してくれています。スウェーデンやジンバブエの根は私にちょっと水をくれます。遠いですが、つながってはいます。水をもらってないとは言いません。私はスウェーデンの児童文学作家リンドグレーンをこよなく愛し、ジンバブエの民俗音楽をときどききくからです。また、輸入された食べ物などで、知らないうちにもつながっています。実際に栄養をもらっているのです。そのようにつながっているとはいえ、私の視点からみれば、根の重要性には差異があります。それは認めます。 しかし、からまりあったツタ全体を眺めてみれば、どの根も等しく重要です。というか、等しく重要であるべきなのです。どれかひとつの根が強大になったとしましょう。現実で言うならば、いまアメリカ合衆国がそうした根になりつつあります。そして、そのような根は、危険なのです。なぜなら、一本の根だけが重要になった時点でその根が切れたら、ツタのからまりあい全体すなわち人類全部が一挙にダメになりかねないからです。一本の根だけに頼るとそのようなことになる可能性が高くなります。2本の強大な根がにらみ合う状況(かつての米ソ冷戦のようなもの)も危険です。戦いあってともだおれするかもしれません。多くの根があるからこそ、人類はここまで続いてきているのだろうと私は思います。 さて、最後に日本についてちょっと述べましょう。これはほんとに「ちょっと」です。この段落では、現時点での日本の領土と、そこにある文化と人のことをまとめて日本と言うことにします。地理的な意味での「日本」と、そこに発展した「文化」と「人」のことであって、国家でも民族でもありません。そんな難しい定義でもないし、この場で便宜的に使うだけの定義ですから、勘違いしないで下さいね。で、ここでいう日本は、単一民族ではありません。下手に書いて間違って細かい点を指摘されるのもいやですから、歴史的な説明はしません。とにかく日本に住む民族は、単一ではないのです。それは明確な事実です。日本の宗教もまた、単一ではありません。天皇が仏教を国教と定めても、神道はなくなりませんでした。なくなるどころか分裂して増えました。また、細かいことは面倒なのでやめますが、わりあい古くからキリスト教が伝来してると歴史で教わったはずです。もちろん現在はいろいろありですから、イスラム教徒もいるでしょうし、ヒンドゥー教徒もいるでしょうし、そのほかなんだか私の知らない宗教がいっぱいあるでしょう。一方、神道でも仏教でもない小規模な土着宗教を守り通してきた流れもあるでしょう。このわけのわからない混沌こそが「日本の現実」であって、日本の宗教がふたつしかないなぞということはないのです。現実を認めたい、と私は考えます。もう一度言います。現実問題として日本は単一民族ではありません。現実問題として、日本は単一の宗教を持ちません。現実問題として、日本の文化は一様ではありません。日本は一本の幹からなるのではありません。多数の根を持ち、多数のツタからなる塊で、他の多数の塊と複雑にからんでいます。それでも日本は、たぶん世界で一番か二番くらいに単純な構造をしています。他の塊はもっとぐちゃぐちゃです。たとえばアフリカという塊(地理的な意味で「アフリカ大陸」のことを指すと考えて下さい)は、たくさんの国家とさらにむちゃくちゃたくさんの部族があるうえに、国家と各部族は、ほとんど一致していません。 ※さんにとってどうであるかは知りません。少なくとも、私にとっての世界は、現実は、このように複雑なのです。 by 佐々宝砂 延長戦。 まず、一番搾りさんからの?〜?について。 ?彼等とは? → 例えば、パレスチナの人々とか。虐げられている民族を指す。 ?同じでは? → いいえ、人権よりアイディンティティ(=国、=権利)です。ただ、この「どっち?」ってな言い方は余りにも極端なので、非常に誤解を招き易い。人権よりアイディンティティという決断、これがどういう意味なのかは、次の佐々さんへの文章にて紐解きます。この2つは非常に似通った立ち位置に居るのですが、誰しもが「人権」という言葉の前に、思考を喪失してしまうのです。例えばチェチェンの人々。彼等はロシア政権下での人権と、アイディンティティのための独立、どっちを求めているのでしょう。求めているアイディンティティの中に、彼等は人権を主張する。いわば、この2つは表裏一体なのですよ。 ?アメリカ覇権 → そんなこと誰も望んでませんよ。というか、一番搾りさんは奴隷でいるのと反抗するのでは、そっちを選びますか?・・・これってアメリカの南北戦争ですよね?人権を求めての戦争。同じ人種、同じ宗教の人々が争ったのだから、そうです。でも、これが違う民族同士の争いだったなら?人権を叫びながら民族的アイディンティティから来る独立が浮上します。 ・・・う〜ん、説明が難しいな。ま、こんなところでしょうか。私が[376]に★を投じているのは、そういった観点からです。木も蔦も、根っこでは同じ大地で繋がっている。 ところで、人権のために死ね?誰が言ってるんでしょうね、そんなこと。私は、アイディンティティを守る為には死もいとわない、そういった趣旨の話なら、やってた憶えはありますが。 佐々さんは、ハルノートを御存知でしょうか。あれを突き付けられたら、どうしますか? 当時の日本はそれを拒み、開戦し、戦争の過程で人を殺しもしたでしょう。佐々さんの挙げた私が人を殺す可能性とは、それのことになります。ちなみに、イラクは現代版ハルノート(国連査察)を受け容れたのに、攻め込まれましたけどね。 このような場合においても、佐々さんは、自らの行いが殺人に繋がるケースについては否定する、ということですよね。それは、例え奴隷にされても人を殺さないだけマシだ、ということになります。 あと、参考程度に。 私は海上自衛官ですが、陸上に勤務しています。今の仕事内容は飯炊きで、本来のマークは経理です。階級は、一般社会でいうところの契約社員(若しくは社員並パート)です。期間内に社員になれなければ、首を切られる立場です。当然、銃を携帯する機会など滅多に無いし、発砲も上官の命令によります。 山田さんは批判したいだけみたいなので、割愛。呼び捨て、唾への言及の無さ、もはや対話しようとする姿勢ではありません。呆れた。 さて。再度、お尋ねします。現代詩フォーラムでは、独自の偏見や価値観に基づき、それを追検証することを目的として行われる詩への批評を、認めるのでしょうか。作家論という言葉で場が濁されていますが、どちらにせよ批評とは詩の中にある世界観への解釈であって、偏見や価値観を最初っから持ち込んで行うものではないと思います。いかがでしょうか。詩人の全体像に至ろうとする批評のあり方、一般としての作家論から大きく逸脱しているであろう、この行為は認められるのでしょうか。 ・・・と紐解けば、要は「為にする批評」を認めるのか?ってことなんだけどね。なんだ、同じじゃん。 by ※ 最後に、一枚の写真を紹介して終わります。 この写真には、私の木の世界観と佐々さんの蔦の世界観が、見事に投影されていると思います。 そして、この写真にある風景こそが、私たちの居る世界なんだと思います。 世界遺産・白神山地(http://yosimura.vis.ne.jp/sekai/photo/sekai0102.html) 木の側面を這う蔦。 by ※ 参照先不明 参照先不明 午睡機械さん、まず最初に私の考えるアイディンティティと人権の関係について説明しておきます。 私の考えの中では、アイディンティティとは意識するしないに関わらず誰の中にでも存在するものだと考えていまして、例えばそれが目に見えて実感し易いもの(例えば宗教や民族)であればあるほど、それを繋がりとした強固さが産まれ育まれ、そこに抑圧が重なれば重なるほど、その勢いは増す。そうした下敷きを元にして「我々は苦しんでいる」といったふうに民族保護や宗教保護といった運動を展開、納得の行く解答が得られない場合はおろか、話すら聞いて貰えないような状態に陥った時、彼等は独立(戦争)という政治的選択肢を導き出すのだと思います。そうやって抑圧されない共同体・共栄圏を保有するに至った先、さらにその中において、同族内での格差を無くそうだとか、そういった権利主張が新たに産まれて来るのだと思います。 例えばイスラム教国では法典に乗っ取ったカタチで人権その他の権利が守られているでしょう。そういった国々が一同に介した先で唱えられる人権が国際法であり、それだけ下敷きというのは大きいものです。 例として、パレスチナという国を失った時、彼等は真っ先にアイディンティティを唱えた。元は我々の土地だ!ここに住んでいたんだ!それを守る為に起きた戦争は、やがてオスロ合意でやっとのこさ見えてきた和平に向け、アイディンティティに乗っ取った人権を主張した。でも、すぐに破棄され、また彼等は下敷きの元に武器を手に取り権利を主張し戦渦を呼んだ。 人権より国、といった言い方がまずかったですね。 人権の母体としてアイディンティティがあり、その母体は国(安全圏)を希求する。だから人権よりも国(ひいてはアイディンティティ)なのだ。人権の前にはアイディンティティが、あるべき存在として存在しているのだ。そんなふうに書いておけば良かったのでしょうか。 さて。午睡機械さんの考える「それぞれの理念に基づく最大幸福の為なんだから、そういう意味では同じ」という考え。これを聞いていると、イエモンのJAMって曲の歌詞の一部を思い出します。あの偉い発明家も凶悪な犯罪者も、みんな昔は子供だった。それと大差無いんじゃないでしょうか。「要するに、どっちも戦争じゃん?」ってな具合にしか、私には届かない。ただ争うのではなく、何故争うのか。そこを見なければ、解決策も見えて来ないんじゃないでしょうか。 私が見たい百世代先の話とは、百世代先「まで」の話であり、それへと繋げる為には、現在現時点において戦争行為を繰り返す人々にも届く距離の言葉が必要だと思う。 私はアメリカによるイラク侵略を、第三次世界大戦と見ています。新たな宗教・民族・人種の戦いと見ています。レジスタンスが暗躍を止めることの無い、国家対国家ではない新しい戦争のカタチが幕を開けたのだと。それを始めたのはアメリカ、私の挙げる「利権」です。アメリカは民主主義だの何だのと表面上では権利を叫びながら、利権を求める。これは「複数系の原理」を先だって否定した、ということになるでしょう。では、否定された側はどうすればいいのか。 否定を肯定させる為の戦争行為だって、あるんじゃないでしょうか。それが最終的には和解→協議→独立、といったふうな流れを産むんだと思います。だからこそ戦争行為は手段であり過程であり時として必要になるものであり、複数系の原理を唱える上でも欠くことの出来ない必要悪なんだろうと思います。これは決して奨励などではなく、切り離せないものとして割り切るしかないんだと思います。 一方が戦力を保持していれば、複数系の原理は成り立たなくなる。この戦力とは武力に限らない。ケースによっては財力であり知識力である。資本主義の構造は、まさに、それに該当する。最後には皆平等の社会しか無いのではないのか。コルホーズ、ソフホーズの社会しか無いのではないのか。しかし、それが何を産んで来たのかを私たちは知っている。競「争」のある社会が結果として我々を裕福にしてきたことを、私たちは知っている。 保持している戦力を抑制させるだけの何かが必要だということになる。だが、保持に至る過程で、それを否定していることになるのだとも言える。かと言って、保持に至らなければ裕福にはなれない。裕福さ(余裕)が無ければ、そんなことを考える余裕も無いだろう。・・・う〜ん、原罪論の世界だ。これじゃ何も前に進めないな。 じゃあ、ホンダの社長さんの有名な経営哲学から、ひとつ。企業の利益は雇用により社会に還元すべきものであり、そうすることで皆が幸福になれる。このサイクル理論を飛躍させることが、世界平和へと繋がるのかもしれない。では、どう飛躍させればいいだろう。難しいなぁ。 (戦争も競争も、どっちも「争い」だ。戦争が強く否定されるのは、人が死ぬという副産物を有するからであり、それが無ければ戦争も競争のひとつとして認知されていたのかもしれない。つまりは、人の死なない方法さえあればいいということなのだろうか。話し合いの通じない相手が複数系の原理を破壊してきた時、どうする。その破壊に至らないようにする為には、どうすればいいのか。譲歩や妥協等、こちらからの歩み寄りには限界がある。そもそもアメリカという国は建国において侵略が基礎にあった国なのだから、その欲は留まりを知らないだろう。留まりは国家のアイディンティティの否定だろう。この、戦争と侵略を基礎とする国の基礎部分を変換させない限り、戦争は無くならない。まさに人工国家の抱える問題点だ。人工国家ということは、この国のアイディンティティも人工である。作ることを目的として作られたものであり、自然に生まれたものではない。だとしたら、これは変換させられる方法があるんじゃなかろうか。そんな気がしてきた。) by ※ 皆が一様に、アイディンティティなんてのは人命より遥かに軽いものだと思っている。それこそ現実を見ていないんじゃないだろうか。現実として、そうじゃないから世界は戦渦に溢れているというのに。そんなにもアイディンティティが軽いものだと主張するのなら、実際に現地へ飛んで言ってやればいい。民族や宗教を守ることなんて、とってもちっぽけだ。それで人が死ぬくらいなら、そんなもの捨てろよ、と。 佐々さんの言う不戦主義は国連査察の受け容れを決めた時点までのイラクだ。アメリカはフセイン大統領の亡命による無条件降伏しか認めなかった。じゃあ彼は亡命すれば良かったのか。対話の必要性は認識している。それが事実として通用しなくなってしまっている数多くの場面においての話をしている。例えばインディアンは開拓者との話し合いを根気よく粘り強く続け、どうしようもない場面においては戦争を選択してきた。開拓者は常に話し合いを形骸化させ続けた。今、インディアンは保護区という名の牢屋に隔離されている。アメリカは、今もこの姿勢を崩さない。では、どうすれば崩させることが出来るだろう。 皆、今一度>>[404]を読んで考えてみて欲しい。考えるのは何か。アイディンティティも人命も尊重したい。相対する価値観を認め合いながら、人が死ぬのを無くす方法じゃないのか。無くならない戦渦のある世界で、それを模索することじゃないのか。それが見つかって世界中に波及して行けば、最後には無くならない戦渦を現在進行形で続けてきた人々も、再度の対話という道を考え出すのではないのか。 午睡機械さんと、あするさんだけ、前向きに考えているんだなぁと思う。他の方は意見の内容解釈を通じての反撥ばかり。人権とアイディンティティの話は、もう終了してる。それを蒸し返すばかりじゃ、何も前に進めないだろう。 by ※ じゃあ、ちょっと前向きなことを申し上げましょう。※クンへの提案です。 ご自分のアイデンティティーを多少なりとも変容させること、せめてはその可能性をお考え下さい。もうすこし具体的に言いましょうか。その、偏狭で、対話を拒み、対話をすぐに終了させようとし、ご自分のアイデンティティーに深く関わるはずの事柄でさえも極めてご都合主義なかたちで誤解している、そのご自分のアイデンティティーを、変容させなさい。不要な揚げ足取りをされること避けるために、もっと本を読みなさい。哲学の本も現代政治の本も放り出して、歴史の本を読みなさい。自分の意見とはなはだしく異なる意見を載せた本も読みなさい。古い時代に書かれた歴史の本も読みなさい。キミは、あまりに不勉強です。 それから想像なさい。自分が他国に生まれていたらどうだったか。拉致被害者の子どもであったらどうだったのか。北朝鮮拉致被害者の子どもたちは、今、重要なアイデンティティー変更を余儀なくされています。彼等にとって、すでに母国語と母語は一致しません。それでも彼等は母語ではない母国語日本語を学ぼうとしています。それでも彼等は死にはしません。アイデンティティーは人命より軽いなんて、アイデンティティーを捨てろなんてことは言いません。※クン。アイデンティティーは、単に、変容が可能なのです。選択も、できるのです。変容が可能、という意味がわかりますか。 現地に行ってそれを言ってこい、というのが※クンのお得意決め台詞です。私はその決め台詞にレスすることを避けてきましたが、もうしかたないでしょう。言います。現地に行って「アイデンティティーを変容しろ」と言ってきても無意味です、なぜなら、彼等はもうすでに長い間身勝手な大国からアイデンティティーの変容を迫られてきました。その彼等にさらに言う必要はありません。彼等はアメリカから対話を拒まれています。すでにさまざまな政策で隔離を受けてもいます。彼等の立場に立って考えてみれば、アメリカ側がおかしいのです。「おまえとなんか話してやらないやーい」と決めつけられ、「おまえなんか知らない、そこにはいないんだもーん」とシカトされ、最終的にぶん殴られました。ひどい話ですが、この場合、責められるべきはアメリカであり、私が「アイデンティティーを変容しろ」と迫りに行かねばならぬ相手はアメリカです。 意味がおわかりにならない場合は、勝手な解釈をせずに、ご質問下さい。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 こりないやつだな、この「いかいか」というやつはしかし。 こ奴「やめたほがいい」の連呼だが、いったい議論の内実がなんであれ やめたほうがいいのか、やったほうがいいのか、はっきりしていらあね。 てめえは、では、どんなものなら「やってもいい」と許すのかね。 危険思想が聞いてあきれらあ。 てめえのその姿勢そのものが、まさしくそうであることに 「そろそろ気がつきなよ」 同レベルだろうと何だろうと、どんなレベルでも自由な議論を奪ってどうする? ええ? 「ばりばりの実存主義哲学教授」(爆笑)に習った厨房さんよ。 それともてめえのご自慢のばりばりの哲学的議論なら 「やってもいい」ってか。 「まず考える力と自己分析能力をつけようよ。」 それは、おめえにそのまんまおかえしするよ、あほたれ。 by 一番搾り >456 >アイデンティティなんてものは全体主義やファシズムにも変容するし あ〜、よく読むように。 アイデンテイテイってことをさかんに言っているのはお米印さんの方。 >殺人鬼を刑務所に投獄するのも、他の人権を侵害しないために 国家権力または >法という暴力をもってして行ってるわけでしょ。気づいてほしいところだけだ。 他人の人権を侵害しないために投獄するのではないですが。はい。 六法全書をよく読んでつかあさい。 法に触れたから罰を与えるだけのことです。 そこに倫理的な、あるいは犯罪予防的な意図はありません。 なぜ倫理的犯罪予防的意図がないのか。そりゃあ明らかでしょう。 たとえば六法全書に「人殺しは悪いことだ」、と書いて御覧なさい。 国家は戦争できませんよ、これは。はい。 >イラク人の人権を侵害してでも結果としてイラク人のためになればいいというプラグマテ >ィックな考えと同じ方向性にも向いちゃうよね だあからあ〜。何度言ったらわかるの「人権を侵害してでも結果として...」 ではなく、侵害しちゃいけないと言ってるでしょうに。 勝手に都合のいい仮定を設定する癖はいい加減やめなさい。 わかりましたね。 >無駄なロマンチシズムに浸ってる前にさフォーラムの議論好きなみなさん 無駄だろうが有意義だろうが本人が決めること。 おめえこそ、クソにもならないことを言ってまぜかえすのをやめろよ。 うん? by 一番搾り >俺がここで何を発言しようかは自由じゃない。貴方はそれを弾圧しようとしてるのよ ばぁか抜かせ。 てめえが議論している人たちに向かってどんなことを言ってきたか よく振り返ってからものをいえ。 あほらしい。 by 一番搾り 参照先不明 >アイデンティティという概念自体が危険なんだよ そんな馬鹿な話は聞いたことがない。 概念を用いること自体が危険ならば、それを否定することも出来ない。 >ある行為に対して刑罰を与えると、それが殺人であればりっぱな 生きるという人権を >侵害していますよね。 これ、ご文章の意味不明だよね。 ?刑罰を与えることが犯罪者の人権を侵しているのか ?殺人という行為が殺された人の人権を侵しているか どちらともとれる、ずいぶん、非論理的なご文章だ。 で、勝手にこちらで?の意だと解釈してと、 あれっ? あーたの言ったのは最初はそうではなく、国家権力の暴力の有効性について 言ったのでしょ? 人権を侵害させないために国家は暴力でもって殺人者を刑務所に収容したり、死刑に処する、の意味でおっしゃった。 だからわたしは「人権を侵害させないために」国家は犯罪者を刑務所に入れるのではなく 「法に触れたから」入れる、それはつまり有無をいわさず国家秩序のゆらぎなさを 現前化させることが目的であるからといっている。 >貴方の論理では触れるための行為というものが抜けてるんですが、正直大丈夫かと。 >社会に適応できてるのか心配です。 別に適応できなくともいいし、できても構わないと思ってるんですが、 基本的に法を侵す行為というのはこれは裁判官だけに出来る特別な行為なんでね。 裁判官が法律の条文どおりにお仕事を行わないで、 私情でもって知り合いの女性に負わせる罰則を緩めたと。そういう場合だけです。 下々の者は法を犯すことなんかできません。 抵触するだけ。はい。 >俺はガンジーの非暴力の裏にも虐殺はあったし これも日本語のご文章としては意味不明。 ガンジーの非暴力運動が虐殺を招いたのですか? 非暴力思想そのものが虐殺を招来させる構造をもっていてそのような結果を 生じさせたのですか? それとも、運動の過程で権力から弾圧をくらって、運動員が虐殺されたのですか? さっぱりわからない。 後者の場合ならガンジーの運動が虐殺を招いたのではなく、 どんな運動であれ、反権力闘争がぶちあたるものではないのかね? ちょっと意味不明だ。 >もう頼むから、誤読しまくらないでください。 それならちゃんとした日本語書いてよ。論理的なのを。 by 一番搾り 参照先不明 まあ、どんな意図の下にかかれようとしている批評であっても 批評は批評でしかないのだから、その内容を見たうえで批判すればいい。 どうせくだらない意図の下に書かれた批評なんか力を持ち得ないのだから 弾圧なんてとてもとてもおぼつかないだろう。 問題はそんなことではなく、書かれた内容をみて批判すべきものを 前もって、これこれの意図の下に批評を書くのはいかん、といった 予防的弾圧をすることだ。 あたりまえのことだが、批評は自由である。 その自由を奪う行為、言説にはあくまでも抵抗する。 ましてそれを弾圧しているのが天皇主義・国家至上主義者の※さんや 人生をまだよく生きたとはいえぬ親のスネ齧りの厨房たちだとくれば 絶対に※さんの詩の批評はやめぬ。 #...と、大見得をきったところで、鼻くそをほじくる。 #(カンベンシテヨ、アホラシクナイカイ?) by 一番搾り 参照先不明 参照先不明 参照先不明 私は一番搾りさんからのそんな迷惑な批評などされたくないし実現しちゃったらしちゃったで誰も嬉しくないと思うので再度質問させて戴く。 片野さんに、お尋ねします。彼のこのようなスタンスにおける批評を、現代詩フォーラムは容認しますか? by ※ >>[496]>>[497] いかいかさん、複数性の原理は肯定する側がその適応個所を見極めれば良い問題なんですよ。これを提示するということは即ち、提示する側が不利益を被るということなのですから。適応される側からして見れば、最初から優位に立てるとも言える。問題は、この優位性が対話の一部分ではなく或る種の上下関係に受け取られ兼ねないということなので、そのへんはハッキリさせてかなきゃいけないのですが。こういう言い方には語弊があるのかもしれませんが、犬をしつける時のような感じ?まあ、最初が肝心ということでして。 幾つものコミューンが、この原理を境界線にどう充てはめるかによりますよね。いかいかさんの挙げた排他的な原理主義宗教ってのは往々にして先祖代々の土地に執着しており、そこと、そこでの生活形態さえ侵されなければ良いとする者たちであるというのが基本でしょう。それがオウム真理教のように拡張しようとすれば、社会秩序がそれを許さないだろうし、実際に彼等がそんな道を選択する可能性など無いに等しいんじゃないでしょうか。 つまり採用しない集団が弾圧されるのではなく、採用した側がそれを採用しない側との間における緩衝材として成立させ、その維持費を自らが支払うことで争いを退けるという。触らぬ神に祟り無し、みたいなね。 by ※ 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 いかいか批判? >正直言うとさ、無駄に暴力を否定することに嫌悪してるわけなんですよ。 つまし論理じゃなく、感覚的に気に入らない、と。 >あなた方は、社会に生きてたら暴力によって守られているってことはわかるでしょ。 >国家権力も警察権力、下手すれば暴力ですよ。 >そういった面は一切見ようとしないで、 見ていないのはおたくだ。 警察が暴力だとわかっているのならなんとかしろよ。 暴力であることを容認した上で、それを暴力として批判する者を 嫌悪する? なんだ、それ。 おまえガキか。 >徹底的に暴力を否定する方に嫌悪してるんです。ね。だからそういうかたがたの意見は >信用できない。 おれが感情的に嫌悪している奴は信用できない、と言っているだけ。 ガキの世界。 はい、さようなら。 by 一番搾り 参照先不明 参照先不明 >>521 いかいかさん、あなたの挙げている排他的原理主義的一神教の及ぶ範囲内、領域内においてはそれに介入せずに、上手く緩衝を築く。それが複数性の原理の目指すところなんじゃないでしょうか。 歴史を紐解けば、戦争の火種になった要因ってのは、まさに、そこに資本主義が資源を求めて介入してきたことにあるでしょう。或いは、資本資源の為に彼等を利用した(という介入の)結果によるものです。前者はイラク、後者はアフガン。 by ※ 参照先不明 というか、前提として「百世代先へと繋げる話をしよう」ってのが在ったわけで、いかいかさんは現時点における話を求めているのだから、これは噛み合わないのは当然なのかもしれないですね。 by ※ >543 この国というのは、見えない部分にはまったく理解の触手を伸ばそうとしない国でね、 そういう意味ではぼくもひとのことはいえないんだけど、 少しだけひとよりも、影の部分、置き去りにされた部分、離された遠い場所へ首を突っ込んで、 その影に自分を重ねてみようとする傾向は強いような気がする。 ぼくは孤児養護施設で幼い頃から育ち、中卒後、東京へ働きに出たわけだけど、 すぐに失業して、十七、八からホームレスのようなことまで体験するハメに なった。 仕事はない。腹はすかす、寝るところも無い。で、深夜とぼとぼと都会をうろつき 山手線の線路脇にムシロを引いて寝たりね。あるいは、寒いので焚き火にあたろうと して、金を要求されたこともあった。 そのうち学生運動みたいなことの延長でやっている過激派の仲間に入り派手に暴れて 逮捕され、栃木にある刑務所に投獄された。 ぼくは看守に反抗ばかりしていたから、ここでの二年間は懲罰ばかりだった。 特警隊という猛者の集団がどこの刑務所にもあって、看守に反抗すると飛んできて 暴行を受ける。 ぼくはなんどもリンチを受け、ときには柔道技で絞められて気絶し、気がついたら 医務所にいて、歯が舌に食い込んで穴があいていたこともある。 懲罰房では毎日、身体検査があり、裸になって肛門まで開いて見られる。 絶えられない屈辱の日々だった。 こういうことが日本の刑務所で平然と行われていることにだれも気がつかない。 だれも知らない。訴えても刑務所出の前科者の遠吠えだ。 ま、その後、こういうところにお世話になることはなかったが、ぼくが人権とか 権力の暴力とかいうときは 若い頃にこの身体で体験した、権力の圧倒的で、無慈悲で、有無をいわせぬ力の そのおぞましい破壊力の強烈な記憶から発している。 あるとき、アフガンが「開放」された記念の日を衛星で放映しているテレビ中継を観ていて あ! と唸ったことがある。 そこはアフガンのどこかのレストランで贅沢な食いものが並び、音楽が流れアメリカ人や富裕なアフガン人が 酒を酌み交わし、ダンスを踊って「開放」の喜びを爆発させているシーンだった。 そのとき、 レストランの寒さで凍りついたような曇りガラスに、どこからかとぼとぼと歩いてきた おそらく戦災孤児であろう、アフガンの少年の顔が まるで幽霊のようにぼ〜っと浮かび上がった。 少年は中の光景をみてなんという表情を浮かべていたことか! それをぼくはどうしても説明することができない。 驚愕はあった。それから飢え死にしそうな情けない表情。それから「何で?」という表情。それから 喉から手が出そうなほどそれらの食い物がほしいのに届かない絶望的な表情。 こういう顔を窓に映して「アフガン開放」を祝っているアメリカ人とアフガン富裕層の 姿をテレビは映して出していたのだった。 人権といものは、それも振り回すと弾圧だという。 昨夜来のギロンのなかでいわれたことだ。 一度だって人権が実際に弾圧されるとはどいうことか、想像してみたこともない幼稚なガキの観念的言辞だとはわかっている。 所詮、サロンの茶のみ話だ。 かといってサロンの茶飲み話がいけないのではない。 所詮、サロンの茶飲み話であるそのことを、権力に蹂躙され、弾圧を受けている人々の側に文学的想像力をのばして 自らの位置を確認すること、そこがとても大事だと思う。 思っている。 いまも血を流し、命を奪われているひとたちは世界中にいて、いまこの瞬間にも血を流し、飢え、 殺されている。 贅沢三昧に暮らすことはいいことだ。そして、そのような悲惨に常時思いをはせることは だれにもできない。 だからこそ、人権、なんだそんな聞き飽きた概念なんかもう流行らないんだよ 人権を振り回すことも弾圧なんだよ、なんて、 観念に偏りすぎて想像力を欠如した 態度だけは用心してもらいたいもんだと願うな。 by 一番搾り 作品を批評で弾圧→作家を批評で弾圧、の間違いだな。 大体作品を批評で弾圧するなんてことはできるわけないじゃないか。 公言しちゃっていいことと悪いことがあるというレベルでいえば、お前が嫌いだからお前の作品を通じてお前がどんなに馬鹿か証明してやるっていうのは、「言わなきゃいいのに(苦笑)」というレベルのことではあるけれど。 でも考えてみれば批評から政治性を排除するのって可能なのかい?って気はするけれどね。まあこの場合のような政治性というにはあまりに低劣なレベルの「好きだ、嫌いだ」みたいな人間関係のゴタゴタをそのまま持っていくのは、いい悪い、のレベルではなく、下品、ではあるけれど。 批評が批評者の価値観に基づいて行われることを認めるならば、「口語現代詩の向上のため」であろうと「共産主義社会の建設にふさわしいかどうか」であろうと「小憎たらしい眼の上のこぶを排除すること」であろうとそのいずれもが「価値観としては等価」であることもみとめねばなるまいよ。批評者の内なる目的がどうあれ、いかなる批評も作品を弾圧することはできない、だってそれはそこにすでに書かれたものとしてあって、それに基づいて批評行為が行われるのだから、批評に対して作品は先験的にそこにあるもの、なのから。 by 山田せばすちゃん >546 星を入れたのでちょっとレスポンスします。私が考えていたのは、以下のようなことです。 言葉の暴力と、現実に身体にふるわれる暴力の間には、同じ暴力という言葉が使われていても、超えられないくらい大きな違いがあると思う。 (どちらがよくてどちらが悪いということが言いたいわけではない。) 自分の身体を他者の自由にされてしまうことは、その個人の尊厳の根幹を侵す危険性がある。肉体的暴力は勿論、拷問や、監禁や、レイプや、身体的に名誉を損なうような行為をとらせることは、極めて重大な犯罪であって、このことは、人間にとって自分の身体を自分でコントロールするということの持つ、重要性に由来している。 (例えば、体が利かなくなったとき、自分を卑下したり恥ずかしく思ったりすることが多いのも、やはりこの、同じ身体の重要性に由来している)。 身体の自由という人権は、その意味では、他の全ての人権の享有のための、大前提をなしていると思われる。そのような経験から語られる言葉にも、深く、耳を傾けるべきものがあると思う。 ここからは例えばの話だけれども、 例えば病に冒され、体が不自由になり、そうした経験を、健康な人は軽んじがちなことがあるが、そこにある超えられない経験の溝を知ること、それはそう生易しいことではないと思う。身体を陵辱される経験もそれに似ている。その限りで、今健康な立場にあるのなら、そうした身体的な苦痛の経験から語られている言葉に、慎重になってなりすぎるということはないと思う。 by もぐもぐ 参照先不明 参照先不明 >>546 「弾圧」っていう言葉は、やっぱり支配者や権力のあるものの行為と考えるのが普通だと思います。一番搾りさんには何の権力もないもの。 もしそんなことを片野さんがしちゃったり、山田さんが『投稿詩大根切り』で気に入らない発言をオペレーター権限で削除しまくったら「弾圧」になるのだろうけど。 少なくとも「批評・散文・エッセイ」に投稿される以上は一つの「批評」(意見といってもいいか)として受け入れなければいけないと思うんですよ。 そんなものが投稿されたら僕はもの凄い嫌悪感をもつと思います。でも、それも「批評」に対する評価の一つでしかありません。 ポイントを入れずに無視する、批評に対する批評を展開するという、批評者に対して対等に対抗する手段がある以上、「弾圧」とは言えないと思うんです。 by たもつ 参照先不明 >>作品の非論理性と議論の非論理性というまったくそぐわない定理を一緒くたにした上で、批評をやろうとしている、一番搾り氏の"この行為と目的"自体が問題なの。 そりゃまあそれをいってる一番搾り氏自身が非論理的だなぁ(笑) by 山田せばすちゃん >そりゃまあそれをいってる一番搾り氏自信が非論理的だなぁ(笑) ええ、まったくそのとおりで、どうしてこんなヘンな発言を論理的に受け取って みなが騒ぐのかと。 それから、まさにおっしゃるとおり、※さんがわたしに直接「やめろよ」と 言い渡せばすぐにやめますと答えたのに、 どうして頭を飛び越して、いきなり片野さんに「どう思ってるんだ」というのは ちょっとおかしいといまだに疑問に思ってるんですよ。 つまりわたしの批評をやめさせる意図なんかなかっただろうって。 一方的に口撃されている状況を変えたかったんだろうって。 by 一番搾り 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 いかいかさん、いかいかさん自身が考える未来を明るくする方法(具体案)を、教えて下さい。反論ばかりじゃなく、替わりにこうすればいいんだよ、ってな案を提示して下さい。じゃなけりゃ、何も前進しないと思います。 by ※ >>[612] じゃあ、今現実に起きている問題(例えばパレスチナ問題)の具体的解決法を、いかいかさんなりに考えてみて下さい。そして、提示してみて下さい。そこから始めましょう。私たちのやろうとしていることは、いわば逆算です。両方から意見を出して行けば、最終的には通じるんじゃないでしょうか。トンネルを掘る作業みたいに、ね。 by ※ 参照先不明 参照先不明 参照先不明 おい、アホいか、ohatuらよ。 そういう受験学問的な話するなら別スレッド立てろよ。 ここは具体的身体的生活レベルの事象(ニュース)を だれもが具体的話法でもってレスできる場所だってこと わきまえろよ。 自慢したければ、二人でメールでもしろ。 あ、それでは自慢にならないか。 別スレッド立てろ。 by 一番搾り >一番搾りさんはどう思います? >どうすれば、戦争はなくなると思います? また、戦争はなくなるべきだと >思います? 生活に追いまくられて目の前の日常に埋没しているとき、 ふと息継ぎに、ちゃぶ台に座ってテレビをつけ そこに悲惨な戦禍が映し出されていたりすると、 そういうことを考えることはありますね。たまに。 しかしそれは一瞬でして、 またあくせくした日常に埋没してゆく。 戦争とは何かとか、戦争をなくすには、とか そういうこころの動きは、そういうことでいいと思うんです。 つまり、ありていにいうと、 ぼくはあまりそういうこと真剣に考えたことないんです。 ていうか「戦争反対」をリアルに標榜するということは とてつもないことだと思っているんです。 それこそガンジーのいう非暴力。それを貫徹しなければならない。 それはいまのところたれにも不可能なことです。 それより、ぼくのいう人権、 すべての生きとしいける人が人並みに幸せになりたいという欲求を 押し出していけばいいのじゃないかと 思ってます。 自分の生活を守るためにはどうすればいいか、ってことを 具体的現実的に考えればいい。 そうすると、かなり「かっこ悪い生き方」をすることになる。 ちょっと小ずるい生き方。少しウソをまじえた生き様。 頭かきかき、上目遣いに生きるということになるでしょうね。 ぼくは人権派の弁護士とか、人権を振り回す市民団体とか一切認めてません。 つまり団体で人権を振り回したり、団体で戦争反対などの理念を叫んでいる 連中ってのは全否定してます。 それこそ「いかいか」のいうように、 それは必ず私人を弾圧するものだからです。 だからそれは国レベルでもいえるんであって、 のらりくらりとした外交をしていれば戦争に反対することに 結果としてつながる。 田中角栄あたりまではそれでよかった。 これがたとえば共産党や社会党が政権をとっていたら 案外、日本を戦禍に巻き込むのは、もっと早かったかもしれない。 現に、コイズミが「理念」を持ち出したとたんに、 日本の外交は危うくなっている。 で、ケツロン。 大きな目で戦争反対という観点からみた具体的な反戦処方は 自民党道路族を復活させること。(笑) by 一番搾り 参照先不明 >641 ハンナ・アーレントってのはシオニストがユダヤ人絶滅計画に協力したことを 批判したひとでしょう。 シオニストというのは優秀な種だけが建国されるだろう理想の国に集まればいい という優性思想をもっていて、 その点で利害が一致してかれらがナチと協力したことを批判したのだと聞いています。 ナチはユダヤ人収容計画にシオニストが協力する見返りにイスラエル建国を約束して いたのだという。 でなければ数百万のユダヤ人をわずか数千の親衛隊員で暴走もさせず、にどうして しずしずと収容所送りにさせたのか できるわけでもないし。 シオニストたちが協力したのは間違いないとぼくは思ってます。 いずれにせよ、アイヒマンがイスラエル建国にとても理解をしめしていたことを 書名は忘れましたが、なんかの本が証拠をあげて証していたのを覚えています。 反フェミニストだったというより、女が男と同じ位置に立つことを願うのはやはり 男への屈服だから 女性は女性にしかできないカタチでのあり方を探るべきだと言ったのではないかな。 ま、よく知らないけど。 とにかく、男塾、自分で立ててみればいいだろう。 閑古鳥が鳴いたって大丈夫。 山田せばすちゃんの投稿詩大根斬りをみろよ。 あれでも泰然自若だ。(笑) そんときは見習いなさい。 by 一番搾り これから一ヶ月ほど野暮用にて書き込みができないので、非礼かと思いますが 698に続いての長文投稿、お許しいただきます。 さて、じつはオリンピク男子マラソンに乱入した男のことをずっと考えていました。 世界中から非難・哄笑・罵倒の大合唱が湧き起こった出来事なわけだが、だれ一人、かの人を擁護する人はいなかった。 ふつうに考えればあのような「異常」な男の行為をかばうのは尋常の沙汰ではないだろう。 しかし、よく考えてみると、あの「元牧師」がそれほど悪いことをしたわけではないとわたしは思う。 いや、笑って結構ですよ。あまりに突飛なことをまた言い出しやがったと。 ただ、冷静にオリンピックというものがどういう性格のものかよく考えてみるのもよいではないか。 これは、四年に一度、各国国民の国家意識、国家への帰属意識をかき立てる大イベントでもある。 世界選手権とは違って、オリンピックの場合、選手は個人としてではなく国家を代表して闘う。 国家の成員として記録に挑む。 応援する各国国民は知らず知らずのうちに国家への帰属意識を高揚させられている。 国家意識というものが差別や戦争の原点にあると単純に考えるわたしのような者にとってオリンピックは忌むべき祭典だ。 そのカラクリは怪しからんと常々考えている。 個を国家に溶融させ、民族意識を先鋭化させ、われを忘れさせる。国家にとっては...どの国家にとっても (独裁国家であれ、帝国であれ、共産主義国家であれ)文句のない好都合な祭典なのだ。 その国家帰属意識高揚祭典のクライマックスである男子オリンピックの最中に突然飛び出して競技を妨げるとは、 よく考えてみると、かの「元牧師」さんは、わたしにとっては大した人物であるとしか言いようがない。 拍手喝さいだ。 聞くところによるとこの「元牧師」さんは背中に全世界へアピールすることばを書いたゼッケンをつけていたという。 「世界はもうすぐ破滅する。人はこころして主イエスの再臨にそなえよ」とかなんとか。 西欧人にはキリスト教徒が多いと聞くが、この牧師のことばに耳を傾けるものはいなかったのか。 いずれにせよ、口先では国家の無化のために、とかいいながら、具体的事例に対応できない思想家が多い。 わたしは辺見庸の抵抗精神について批評めいた雑文を別のスレッドに書かせてもらったが ほんとうをいうと かれが「残虐非道な日本対やられっぱなしの朝鮮、中国」という構図でものをいうのがとてもいやだ。 個々の国家を一種の人格として扱っているふしがある。 国家というものを無化するどころか非常に個々の国家の特質を意識した姿勢がほのみえる。 ほんとうはそれでは全然だめなんだということがわかっていない。 戦前、日本に出稼ぎにきて数年前、釜ケ崎で亡くなった金さんという無名の朝鮮人の老人に慰安婦問題について 《どう思う?》 と非礼にも尋ねたことがある。明快な返答が返ってきた。 「死んだ赤子の年を数えてもしょうがない。立場が変われば国というのはどこの国でもそんなことをするものよ」。 これを在日五十年という朝鮮人の口からわたしはしかと聞いている。立場が変わればどこの国でもやりかねない、という 明快な国家観に立たねば、永遠の憎しみの繰り返しだ。 わたしはアメリカや中国やロシアの残虐を激しく憎むけれども、それは大国という意味に抽象化されている。 国家なんてものを、独特の性格をもった忌むべき国家と、いつもやられっぱなしのよい国家なんて図式でみていない。 ところであの「元牧師」を非難できる唯一の人物がいるとすれば走行を妨げられたブラジルの選手だろう。 ところが、不思議なことにというか、奇跡的なことに、この人が一番、気にしていないのだ。 報道によると「元牧師」からこのランナーに謝罪の申し込みがあったのを快く受けたという。 「なにも気にしておりませんから、いつでも謝罪をお受けします」 とテレビで明るく語っていた。 ほんとうはこのランナーさん、こころの中では国家意識なんか皆目なくて、ただ、マラソンを楽しんでいた 真にスポーツマンというにふさわしい稀なひとだったのかもしれない。 稀に見る人同士の奇妙な出会いだったとすれば、ま、なんと楽しいことであったか。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 2004年アテネパラリンピック競技大会が終了した。 いまさらながら、もっとマニアックに、真剣に、かれら・かのじょらの競技を観戦しておけばよかったと悔やんでいる。 オリンピクの刺身のツマみたいな印象をもって斜に構えて、かの競技を眺めていた自分をちょっとなさけなく思っている。 一昨日、隣家の年老いた寡婦から、わざわざわたしの出先に電話連絡があった。 「野良猫たちが二匹死にました」 口調は平坦だったが、わたしを責めていることは明らかだった。 裏の野原からわたしの家に入ってきて寝室や居間の布団、座布団の上にな何故かひんぱんに糞をしてゆく。 それもなんとも困ったことに消化不良の液状の糞便を。 それから蚤も大量にばらまいてゆく。 とうとうたまりかねて隣の孤独なおばあちゃんに「エサをやらないで」とお願いした。 エサをやるから野良猫たちが寄ってくる。可哀相だけど、もうかなり大きくなったし そろそろ自立してもいいころだと説いた。おばあちゃんは不承不承従ってくれた。 「買っておいたエサがなくなったらもうやらないから」 それから二週間ほどもしないうちに二匹がガリガリに痩せて死んでいたという。 「それは奥さんがエサをやらなくなったからですか」(ということはわたしがエサをやらないでくれと 頼んだからですか?)」」 おばあちゃんは遠慮せずに「ええ」とはっきりいう。これにはわたしもたじろいだ。 要するにあなたのせいで子猫たちが死にましたよ、といってきているのだ。 ちょっとだけ心が痛んだけれど、だらしない野良猫たちだなあという思いも湧いた。 おばあちゃんは親猫から子猫たちを頼まれていたのだと力説した。 「あの仔たちの母猫がね、死ぬ前の日に三匹の子どもを勝手口に連れて来て、じーっと長い間わたしの顔みつめてたの」 「それは、この仔たちを頼むということですか」 「そう。わたしはね、親猫から見込まれて、わたしも引き受けたのよ」 約束があり、責任があったのよ、と隣家の孤独なおばあちゃんは言った。 とにかくわたしには生き物に対して非常に冷淡な、やさしくないところがある。 また、逆にやさしすぎるところもある。 今回はその、やさしくない部分が子猫を殺してしまった。 かつては、やさしすぎるところが人をめちゃくちゃにしてしまう原因になったこともある。 だから、わたしがさっさと消えて、死んでしまえば何事もいちばんスッキリするのだが...それはあまり 人にいったことはないけれど、このさいおばあちゃんにいっておこうかと考えていると おばあちゃんが続けていった。 「でも、一番チビ助で、臆病だった仔が、一匹だけ生き残ってましてん」 「あ...」 わたしは、あたまに電灯が点いたみたい、にぱっと気分が明るくなった。 「そうですか、ああ、そうなんですか」 何かちょっとだけ責任逃れが出来たみたいでホッとした。 「今、その仔にエサをやってます。ガリガリのミイラみたいになってましたけど、ちょっと元気になってます。 お宅の裏庭から階段上がって、二階のベランダ越えてわたしとこのべランダに来るようになってますけど、 よろしいですね」 「ええ、どんどんやってください。家の中に糞をしても蚤をばらまいてもかまいませんから」 おばあちゃんもホッとしたようだった。 「それにしても不思議なもんやわね。一番発育が悪くて要領の悪かった仔が真っ先に死ぬかと思っていたら 最後まで生きてました」 「そうですね、不思議、ですね」 ひ弱なチビの生命力に感謝だ。お陰ですくわれた。 わたしは先日のテレビで紹介されていたパラリンピックの弱視の女の子のことを思い出していた。 弱視が原因で盲学校に入り、何故か休校気味で暗く沈んでいた子が、バレーボールの中に鈴の入った ボールへ研ぎ澄ました聴覚だけでブロックに挑む競技と出会い、すばらしい才能を発揮する。 いまやその分野では世界一流の選手になって、表情も生き生きと一変した。 障害の持つ人に命を与えたスポーツとそれによってたくましく育った彼女に ひがんでものを見るくせのあるわたしが、めずらしく何年かぶりに胸がきゅんとなった。 言うことにこと欠いて何が「オリンピックは、きれいな肉体を神の前で披露する神聖な祭りだった。」だ。 おお、耐えがたき人間の条件よ。 ひとつの法則の下に生まれながら、他の法則に縛られて、 虚しく生まれながら、虚しさを禁じられ、 病むべく創られながら、健やかにと命ぜられて、かくも相反する法則によるとせば 自然の意味とは、そも何か。 フルク グレヴィル 心身に障害のあるひとは「ただ生きている人」なのではない。 外からそのように見えても「だれよりもよく生きている」人なのだということをわたしは感じている。 オリンピックのマラソンランナーだけが特別に血の吐くような努力をしているのではない。 だれもがマラソンランナーでもある。あの「元牧師」だってそうだ。 また、イチローはだれをも感動させるものではない。日本人だという同属意識がまずその感動のもとにあるのだろうに。 つまらない反論でなければおおいに話したいけれど、すくなくともたまねぎの皮一枚も向けていない 洞察でちゃんちゃらおかしいとあえて申し上げておこう。乗り合いバスの思想で、いったい何が切れると思っているのか? 9.11以降、すべての乗り合いバスの思想は無化されたってことがまだわからんか。てめえの足で考えろ! わたしに直接不満をぶつけないで、 わたしという気に入らない人間の、気に入らない意見に星をつけた人にいちゃもんをつけるという その下卑た行為、いつになったらやめるのか? いつになったらそれがとても恥ずかしい行為であると知るのか? この際、はっきりいっておく。ここでこのような恥知らずな行為をした方々には今後一切返答はしない。 ただひとこと「ああ、そうですか」。これを今後あなたがたの意見すべてへの返答とする。 また、このような嫌がらせがあればあるほど、わたしはわたしの自由な意見を変更したり沈黙したりすることは 金輪際ありえないということも宣言しておく。 出先のネットカフェより。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 参照先不明 「やれ、やれ」の、ここ何日かだったな。 これからもまた「やれ、やれ」が続くんだろうけど。 台風。地震。空爆、殺戮...処刑。 アメリカの刑務所の死刑囚担当看守が著した本に、本人による次のような言葉が帯に書かれていて 笑った。 《死はもっとも簡便にして廉価な商品である》 新潟地震と、イラクでの日本人旅行者処刑にまつわるマスコミの狂奔ぶり、間抜けぶり 吐き気のする痴呆的騒乱ぶりを、 ずばり言い当てているではないか。 これでもかこれでもかと毎日毎日、朝から晩まで、目と耳が擦り切れんばかりにヒューマンな「地震物語」を 生産するマスコミとそれを飽きもせず食い入るように「消費」する大衆。 子供の救出なんて、こころの隅で「よかったな」としみじみ温めるものであってね、まるで 大スペクタクル、手に汗の冒険映画みたいな報道にはげんなりだ。感動と汗の物語の垂れ流しに、 痴呆的に見入るものでもあるまい。 肝心な批判的報道はまるで少なかった。イラクでの青年の悲惨な出来事、こころからご両親には お悔やみ申し上げるけれども、いずれも共通しているのは「情報の孤立化」ということか。 それへの反省があってこそ、この地震をきちっと「報道」したといえるのだ。 あるいはイラク旅行青年への政府の間抜けぶり。ほったらかしぶり。 読売系のテレビ局の知り合いが新潟に取材にでっぱなしで、電話をしたら 「こっちはもう、ものすごく盛り上がってんですよ!」 おいおい、悲惨な出来事なんだろうに。それを、われをわすれて合コンのノリで嬉しそうに返事してくる。 そんなに人の死が材料になるか。救出劇がおもしろいか。 それならどうしてイラクに旅行した青年の救出に全力をあげるようアホ政府、狂人小泉に 言わない。 あれだろう? イラクはもうすぐに国民の自主的な選挙があるんだろう? 戦地じゃないから自衛隊派遣したんだろう? 外国人が旅行もできない、そんなに危険な戦地なら自衛隊派遣は違憲だぜ。国民の自主的な選挙の始まる 平和な国ってうそだぜ。 二、三日前に出た米国の学者の統計によれば米軍の空爆によるイラクの一般市民の犠牲者は10万人だ。 イラク「戦後」のことだ。 あまりにも非対称ではないか。 もちろん子供が助かったことは嬉しいし、こころの隅でしんみり「よかったな」と思ったものだが、 なんだこの報道の加熱は。命というものがあまりにも非対称じゃないか。 ひとりの子供の救出劇にそれだけの心配りをそそげるのなら、10万人の戦後の米軍空爆犠牲者に どうして一行の紙面も一秒の映像もさけない。 それができなければ、新潟の子供の救出劇が空疎になってしまうだろうに。 いのちへの意識のありようが普通じゃない。異常だよ、この国のひとたちは。そう思わないのか? つくづく腐った国。国民だと思うよ。 唯一、正常なのは案外、いまの天皇陛下ひとりではないか。 それにしても今年の「秋の園遊会」での陛下の発言は強烈な皮肉と虹彩を放っていたな。胸がすっとしたよ。 園遊会に招かれた将棋の米長邦雄永世名人が天皇に向かって 「陛下、全国の小中学校で国旗と国歌が必ず掲揚され、歌われるよう、わたしは全力をつくします」 と言った。 すると陛下は口ごもり、 「あの...あのう...」言いずらそうに、それでもやっと、はっきりと言った。 「...それが強要や強制にならないよう、要望いたします」 わはは。まるで漫画ではないか。この米長という頓馬にしろ、反戦や反核を標榜しながら 勲章をもらえるとなると 文化人を代表して陛下の前でお礼の言葉を述べた新藤兼人とかいう映画監督にしろ、 君が代は意味はわからなくても口にすると気持ちがいいと述べた詩人、おっとこの詩人の名前を出すと またあちこちから文句がくるからやめてと。 いったい世の中どうなってんの、ってことだわ。わははは。 by 一番絞り 参照先不明 参照先不明 >[759]憂治 誡[2004 11/03 18:30] >>757 >気持ちはわかる。んが。 >まぁ、アホがイラク行って殺されたのはしゃーねーやな。 >だがしかし、あれも前回の3バカのお陰で、マスコミも多少の免疫ついたでしょう。 >いろいろニュース見てみたけれど、ね。まぁ多少、止まりかもしれないけど。 「アホがイラク行って殺されたのはしゃーねーやな。」? 「おい、こら、クソ溜め野郎!」と昔のわしなら一蹴(いっしゅうだぞ、チュウボウ ひとけり、じゃないぞ)するところだが、 しかし、最近はこのフォーラムの住人のご指導によって少しはわしもニンゲンができてきた。 こういう意見もひとつの意見としてソンチョウせねばならん。 《肥溜め》は野にさらしておくのが匂いを消すのにいいのだろうが、そろそろ皆様も ふんぷんたる汚臭に嫌気がさしてきたことだろう。 かといってこんなの相手にするのは、さすがのわしでも、ご免こうむる。 で、ひとことだけ言っておく。 たしかに、かの青年の行動は軽率で無防備で思慮の足りない行為であったかもしれない。 しかし、その気持ちは、安全な巣に閉じこもっている「賢い臆病者」より何百倍も尊い。 ひとりでも、いまのイラクをこの目で確かめてみたいと思った青年がいたか? アメリカ経緯の垂れ流しの情報に目と頭を腐らせて、 これでいいんだと自己欺瞞を 代償に豚の喜びを生きているてめえに、かの青年を批判する資格があるか! いいか。賢い臆病者くん。二度とおれにレスするなよ。 字が腐る。頭が、目が腐る。 脳みそが腐る。 ったく。「批評しましょ」の書き込みの準備のために万巻の書物に読みふけっていたら この始末だ。ちぇっつ! by 一番絞り 参照先不明 >772]逆巻悪意[2004 11/13 05:03] >日本にいる以上この言葉はそっくりそのままあなたにもふりかかってくるのではないでしょうか。 >日本にいながら、様々な情報を収集して悦にひたる >安全な巣に閉じこもっている「賢い臆病者」 >はあなたのことではありませんか。 ひとの意見はちゃんと読みなさい。 安全な巣にこもっている「賢い臆病者」どころか わたし自身は「馬鹿な臆病者」だと自覚しているよ。 だからこそわしの文章が 「安全なところにこもっている臆病者」を揶揄しているのではないことは よく読めばわかるだろう。 わしは自身を含めたそういう臆病者たちが、香田さんの実家に匿名の電話を かけて陰湿に罵倒したり脅迫したりする あるいは顔の見えないこのような掲示板で「あほ」呼ばわりする そんな「資格」があるのか! と問うているのだ。んなこたあ、わしの文章をふつうに読めば 小学生にもわかることだ。 あひおらしい。 by 一番絞り >物を言うための「資格」なんてものはそもそも存在しないと思います。 >「資格」云々を言い出したら、誰も一言も発せなくなります。 >人は皆平等じゃないんですか? わからん少年だな。 「ものを言う資格」などという漠然とした資格を問うているのではない。 「亡くなった方を《あほ》呼ばわりする資格」を問うているのだ。 わしの発言はいつも具体的なんだよ。 きみの発言はいつも定型的なんだ。 そういう定型発言には、こういう具体的発言で答えることにしてんだよ。 わしは。 >僕は、どんな人であっても、どんな場所であっても、 >他人を罵倒する言葉を吐いてはいけないと思っています。 あらら。 虐殺された青年を「アホ」呼ばわりするのは構わないのかい? で、それに対して厳しく答えるといけないと。 ずいぶん都合のいい考え方だね。 わしは亡くなった青年を「あほ」呼ばわりする言説を 「肥溜め」と思ったことは事実だ。 詩人を自称するものがすることかね。 なんでもない発言に「肥溜め」と思うことはないよ。 わしの「荒い言葉」のそのまえに、どのような(隠蔽された)暴力的発言があるか考えてからものをいえよ。 それとわしに「定型発言」は通用しないよ。 さらにさらに、いまの日本人が「豚の喜び」を生きているのは事実だ。 文句があるのなら、反論してみなさい。 どこからでも日本人豚・家畜論を展開してみせてあげるよ。(笑) by 一番絞り >他人に対して「『あほ』よばわりするな」と諭すならば、 >まず何よりも先にご自身の口を慎むべきだと思います。 だぁから〜、どこまでもわからんかね? そういう血の通わない「定型句」は、わしには通用せんと忠告したろうが。 このさい君の意見はあてはまらないんだよ。 具体的には、わしは「他人に対して『アホ』呼ばわりするな」 などとは言っていない。 具体的な生身の、イラクをこの目で見ようとして虐殺された青年、 (その虐殺にはイラクに軍隊を派遣することを容認した日本人に責任もある) そのために虐殺された青年を「アホ」呼ばわりしたことを指している。 これは単に「他人をアホ呼ばわりするな」なんていうことを言ってるのではないんだ。 そんな屁みたいな、具体性のない、あぶくのような言説に興味はない。 非常に具体的な、目の前の、個別の事象を問題にしたいんだ。 いつまでつまらんことを言ってるのだい? そういう道徳論でなにかいったつもりかえ? ならば、アメリカ軍に殺された十万人のイラク人にもそう言いたまえ。 「僕は、どんな人であっても、どんな場所であっても、 他人を罵倒する言葉を吐いてはいけないと思っています。」 殺されても「馬鹿」と罵倒するなとかれらにいえばいい。 そんな道徳論はきみが豚の喜びに浸っているから言えることなんだよ。 by 一番絞り >784]不老パトラ[2004 11/14 05:08] >一番絞りさん >あなたの文章をふつうに読む限り、「豚の喜び」と言う言葉がネガティブな意味で使わ >れていると捉えられてもしかたありませんよ。 >個人レベルでのあなたのコミュニケーション能力は、恥ずかしいほど欠落しています。 >合理性がまったく感じられません 人格批判は甘んじて受けますがねー、問題の所在を隠蔽してはいけませんよ。 もともとこれまでの議論はイラクで虐殺された青年への罵倒に厳しく対応したところに端を発している。 わたしの人格なんてクソみたいなものだから、どーでもいいんだ。それよりあなた自身がまずこの問題をどう考えているのか 披瀝してから、人格や能力の個人批判をすればいい。 でと、いちおう説明しておきましょう。 この「豚の喜び」生活というのはあまりにも有名な次の著書からの引用です。 「家畜が餌を食うことは家畜自身の喜びであるからといって、それが資本の再生産過程の一環であることにかわりはない」(『資本論』マルクス) これに対して加藤典洋が『テクストから遠く離れて』の最終行で見田宗介『現代社会の理論』の発言を引用してこう答えています。 「ここでマルクスがいっていることは正しいけれども、この命題は、同じ資格で反転してみることもできる。 つまり家畜が餌を食み、生殖欲求をみたすということは、牧畜業者の資本の一環をなすからといって、 それが家畜の喜びであることにかわりはない」 見田も加藤も「家畜(たとえばわたしのいう豚)のよろこび」を肯定的にとらえています。 このような生活をわたしが反省的自覚的にとらえていることは事実ですが、見田や加藤と同じく否定的ではありません。 それよりもこのような生活がどのような感性を生み出したかの好例としてお相手をさせてもらったのですよ。 ひとことでいえば「養豚の思想」に骨の髄までどっぷりつかるとお宅らのような、そういう倒錯した考え方が出てくる。 竹田青嗣の《現実語》と《一般言語表彰》という区分の仕方で言えば、《現実語》で語るべきところを《一般言語表彰》で語り 《一般言語表彰》で語るべきことを《現実語》で語るという倒錯が起きている。 よって議論自体がとめどもなく混乱する。 たとえば、 「殺されても相手を祈りなさい」というのは、ニーチェの洞察を例にとるまでもなく裏返された憎悪ですよ。このような憎悪は、 フロイトの言う「倫理的な超自我」(理想我)が働いての現実の乗り越えであって、抑圧(エス)を内に抱えており、それが噴出すときに たとえば神に祈ってからイラクやアフガンを空爆するキリスト原理主義の大統領のようなことをやらかす罠がある。 ぼくはそこを衝いていたのです。 倫理的なことばで解決する問題とそうでない問題がある。 今回の場合は、わたしの口の悪さに問題を収斂し、それで駄目となると「育ちの違いだ」みなたな言い方で遠まわしにわたしを差別、侮蔑し 去っていったわけだけど、それこそがわたしのいう隠然とした暴力言語なんであってね、 「豚の生活」などという言い方は それにくらべて何の問題もないと考えている。 お宅もね、一方的に断定するのが好きなようですが、ま、勝手にどーぞ。 お宅がなんといおうと、わたしが腹が立った言説はいつでも自由に批判し、対応しますよ。 by 一番絞り まあ、香田さんに関する詳しい事情が分からない以上は、 表面的に分かってる事を見たら、モンゴルの草原でも見に行くかの感覚で、 イラクに行ったようにしか見えないんですよね。 まあ、見えない所で、イラクに行けと脅されてたんなら話しは別ですけど。 それを表沙汰に出来ない理由でもあるのか、 そういう意味ならば「アホ」だの「バカ」だのはいけませんね。 それについては「ドアホ」といった事については謝罪しなければなりません。 ただ、理由がわからない以上は、誤解されても仕方ないです。 空気で察せ、なんか通用しません。 世の中の空気と、自分の社会的役割の位置で悩んで、自分探しに出たのならば、 そう言う察するとか、空気自体が死に追いやったので、 その空気に文句を言うべきだと思います。はっきり言って連帯責任です。 まあ、例えばの話しですが、幸田さんが拉致された時に、 その生死を巡って金銭賭ける様な人間がいるのなら、 そういう人間こそ、是非イラクに行って欲しいですね。 どんどん行って下さい。現地の人と仲良くなれるかも知れませんよ。 まあ、生死の保証はしませんけど。自己責任でどうぞ。 by 汰介 参照先不明 Sorry guys, thats all my fault what I said in here. And, let me say thank you for you're guys.Thank you. What made me remind is these next words >>802 and >>それより建築家の卵だった香田さんが、「アメリカはビルが瓦礫になったが、アフガンやイラクは 瓦礫が砂になった」といわれる街へ行って何を見、何を考えたかを聞きたかったな I didn know that; I didn know he had a great reason. Sorry for messed him up and made you guys feelin bad. Sorry for fucked you guys up. Sorry.Really. There is no reason I can make him fool as you said. Let me apologize. What I said was too easy thought. I made a sin, what I did.What I said. Thats all my fault. My responsibility. Its not my world, not my space, not my room , not my poem, not my brain. Thats the real, thats the trueth, thats the fact.Thats it. Sorry for messed up this sled. by 虹村 凌 参照先不明 やれやれ。。。 流れ的に発言せざるをえんじゃないか。 >「劣等民族」 これは良くないな。日本人が自ら「ジャップでござい」と言うのとはまた違うだろうし。 まあ、ただ、心の中で「劣等民族」とくすぶり続けるまま、 言葉遣いだけは慇懃無礼なのよりはマシだけど。 要するに、韓国でも煽り立てて極端に日本を叩く人もいるだろうし、意見は色々あるだろうし、 そんなに簡単に割り切れる問題じゃないんだろうと思う。 日本のあちこちが空襲を受けて戦争に負けて、 おかげで今の便利な日本があるんだから戦争で死んだ人なんかとっとと忘れて、 一億玉砕なんて馬鹿な事を言ってる日本人を沢山平和の為に慈悲で殺してくれたアメリカありがとう!感謝しよーぜ、と言う様な事をあっさり受け入れるようなものだからね。 そうだとすれば、日本人はおめでたいな。病的なまでに優しすぎるんじゃないの。 優しいというんじゃないな。ただ単に媚びてるだけだね。そうだとすれば。 正に強きを助け、弱きを挫く。 本当の事を本当に知りたいんなら、 その問題の重さにしたがって、必要な事は増えるし、周りの罵声は邪魔するだけになる。 それが知性だと自分は思うけど。でなけりゃ、それ以外はエンターテイメント。若しくは芸術 エンターテイメントや芸術にだって、真実はあるが、 それと国際情勢は、いきなりすぐに結びついたりするものじゃ、ない。 それは、個人に直接届くものだが、その情感と結び付いている個人的な感情は別。 でないと、ヨン様ファンはみんなヨン様と結婚出来る事になる(笑) だから、言葉数の少ないイメージだけと言うのは個人的には本当は、あんまり好きでない。 広がって行きやすいけど、逆にどうとでも取れるし。 でもそれは、政治とは一旦切り離して考えないと。 まあ、現実にはそうはなってないのかもしれないけど。 でも、その言葉数の少ないイメージだって、 結局長々とごたごた聞くのはめんどくさいだの、難しいだの、現実を忘れたいだの、 わがままな欲求を腰を低くして仕事なら聞かなければならないから、 そう言う風に、どんどん首を締めてくる訳でしょ。 厳しい事を言うんだったら、まずその厳しさのレベルで自分が示すべきだ。 そう言う意味では、肩書きなんか信じませんよ、私は。 まあ、自分の首も締めているわけですが(笑 地位があろうがなかろうが、駄目なものは駄目。良いものは良い。 納得できなく、良いとするなら、 その良いとする理由をしっかり書くべきだ。なぎ倒す目的でなく。 もうこれは自分の中ではほぼ確定なんだが、 利害を離れた所にしか、技術の進歩や、新しい発想やインスピレ―ションと言うのは転がってません。 後のは全部何かしらのパクリ。 なんかまたわやくそ書いたかも。暴言でしょうね。大盤振る舞いですよ。多分。 by 汰介 参照先不明 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>843 それは仕方ない面もありますよ。情報が錯綜してるし、 初めからそれなりの知識をみんなが持ってるわけではないし、 色んな角度の話しが伝わるとは限らない。 特に専門家でもない限り、週刊誌のゴシップ記事や、テレビの聞きかじりで類推するしかないですから。専門家でさえ色々な意見があるのに。 イラクの青年の場合は、だから、イラクに行く前に細かい手記を残して置くべきだったと思いますね。大体幸田さんがそんな人物かなんて、私がテレビを見た限りでははっきり言って分かりませんでしたよ。 一方で国民も国際情勢の事について感心を持たなければいけないと言いますけど、 そんな評論家じゃあるまいし、一日中それにかかりっきりなんてできる分け無いでしょう。 そんなのは学生かヒマ人がやる事で。 でも、学生やヒマ人はそんな事よりも別な事にしか興味ありませんしね。 私もそうでしたね。でもそれを、学生やヒマ人が真面目にやった所で、 とんちんかんになるんですよ。なぜか。 だから、イラクに行った青年に対しても本当は手記を残すべきだったなんて事は言えないんですけどね。精々人の意識なんてそんなものです。 食い気より色気、色気より食い気ってね。 そりゃそうですよ。イラクの人だって生活でキュウキュウしてて、 そう言う感情が結局テロに結び付いてるんですし。 聖戦もクソもない。生活ですよ。それがそれぞれ安定すれば、文句なんてでる訳無い。 イラクの問題だって、仮にずっと延々続けた所で一体国民の何人が関心を持つんですか。 しばらく続けたところで、もういいこの話題飽きたよ、という感じでしょ。どうせ。 そう言う偏見を言うのも別に全く根も葉もないと言う事は無いんですよ。 例えそれが誇張された言い方としても、なにか可笑しい点があって、 それが言い表せられない状態だからある流れに沿ってそう言う表現がでるだけで。 そうでないなら、流行から一切手を引かなければなりません。 一方で流行に憧れながら、その流行の副作用について、 切腹せよと言わんばかりの、言い方にも問題はありますよ。 大体、例えばテレビのニュースで誰かが不祥事を起こして、形式的に謝罪するのも白々しいですし(そりゃ週刊誌の記事なんか見てりゃ普通に謝罪の裏を見ようとしますって。 そう言う週刊誌がどの位部数毎週売り上げてるんですか?その時点で、白々しいでしょ、明らかに。テレビの街頭インタビューでも当り障りの無い意見しか出ないですし) そんな薄々みんな分かっていると言う状態がいったい何年続いているんですか? 結局、そう言うのが好きなんでしょうね。 外では派手に言いながら、家ではささやかな地味さが好きと言う。 でこう言う様な意見が出た直後は、多少は考えるふりをするが、 結局、慣れ親しんだ元の位置が落ち着くよね、となる。 で、他の人の叫びも、うんうん、そうだよねと、言葉ッ面ではそうだが聞いてるのか、聞いてないのか、分からない返答だし、 そう言うのを欺瞞に思う奴が、たまに現れて、毒吐く訳でしょ。 それですら、形を変えた繰り返し。 で、こう言う事言うと重い、とか言われて、 そんな哲学なんか、社会では通用しないと言う論理に置き換えられるわけでしょ。 でも、社会なんて、そんな通用しないはずの論理が上から一般市民にとっては理不尽と取れる様なつかめなさで、解釈させられると思うし、そういう妙な連鎖ってあると思うんだけど。 by 汰介 参照先不明 >>845 でも、そんな事イラクの人達だってアメリカ人の人達だって思ってるでしょう。全員で無いにせよ。 こいつら馬鹿じゃねえの?と言う気持ちが無ければ、初めから戦争なんて起こりませんよ。 多少我慢のできる人が、お話しを聞こうと思って、我慢したが、どうにもこうにも我慢できない、この馬鹿が、と言う気持ちがあるからドンパチやるんでしょ。 たまたま、その本当に自分の言いたいニュアンスを正確に伝えられないから、 誇張した言い方で自己主張するわけでしょ。 でも、素直にすらすら色んな意味でお勉強できる人は恵まれてるけど、そうでない人はそれこそ沢山いるんですよ。 そのお勉強できる人は、そう言うすらすらお勉強できない人から、 搾取して、いい生活ができるわけでしょ。 真実を知ったつもりになるのは悪い事だとは思いませんよ。 そんなのは誰もが密かに心の奥底で思っている事です。 むしろ、それが覆されるから傷付くんでしょ。 例えばカラオケで、自分が気持ち良く歌っていて、 ある時自分よりも上手いと感じる人が自分の十八番を歌った時に、どうします? うまいうまい、と悔しさを隠しながら誤魔化しますか? ちくしょう、と思いながら密かに練習しますか? それとも、うーん、上手いけど個性が無いよね、とか、訴えてこないとか、負け惜しみを言いますか? いずれにしても、その蓄積は、戦いに結びつくんじゃないですかね? by 汰介 参照先不明 >>847 イラクに行った青年の場合の事は、 本当なら、細かい自分の意見を書いた手記を残して、イラクに行って、 それが公表されていれば、その青年の主張が少なくとも分かるじゃないですか。 でも、そう言う手記を残さなかった(自分の知っている範囲ではあるかどうかは知らないんですけど)と言う事は、あんまり覚悟が無くて、夢見た状態で行ったと解釈されても仕方ない面があるじゃないですか。もしもの事があった時と言うのを想定できる位、危機的な事を感じていればそう、言う遺言の様な物を残す、と思いませんか? そう言うのが無いと言う事は、そう言う事が思いつかない位の宙に浮いた状態で個人の理想を掲げて準備不足で行った取られても仕方ない面はありますよ。 でも、そう言う事は、熱に浮かされた状態では、中々分かり図らい事も分かりますし、 自分でももし、そう言う条件の状態だったなら、同じ行動を取らないと言う、保証はありませんし、それならば、不備は合っても仕方ないかな、とも同時に思う訳です。 だって、例えば地震に備えろと言われていて、ちょっと自分の本当に好きな事に没頭していて、地震が起きて、逃げ遅れて死んだ場合、その人間に対して、同時に二つの意見を持ち得ると思いますが。 たまたま、それが自分のその時の状況で、どちらかの意見を言わなければならないだけですし、それが、例えば、その人の本当に好きな事が、他のその話しを聞いた人がその好きな事に全然興味が無かったり、情報が足りなかったり、歪曲して伝えられたら、変な趣味の為に逃げ送れた馬鹿、とも取られうる、と思いませんか? by 汰介 後、自分の本当に好きな事をして、例えばそれに没頭して、地震か何かで、死んだ場合、 私の場合は、あいつは馬鹿な死に方をしたなあ、と言われてもかまわない、と思っているふしもありますし、そう言ういろんな物がからみあっている、と言う事も分かってくださいね。こう言うからみあった事は、すぐに言葉にできれば良いけど、色々なことがからみすぎて正確に伝えられない事もあるとも思いますし、過去の歴史はそう言う誤解、だとも思いますし、そう言うのを打破するには、偏見や言葉足らずでも、とにかく訴えない事には始まらないとも思いますし。 by 汰介 参照先不明 参照先不明 参照先不明 >>854 如何なる場合でも「劣等民族」などと言う言葉を、 いかにその問題に対する見識があろうが無かろうが、 そんな差別用語は許される訳が無いと、言う事でしょ。 しかも、リョウさんの場合は、明らかに一方的な偏った知識で、 激昂して煽り立てる様にそう言う言葉を使ったわけですよね。 それは、良くない、と、前に言いましたよね。 ――――――――――――――――――――――――― でも、これは世界中でリョウさん一人が勝手に思っている事だったら、 意味不明と、笑われてお仕舞いですよね。 でも、2ちゃんねるなんか見ると、それこそそう言う言葉は、たくさんあり、それはもう酷いじゃないですか。 そう言う言葉が一方で匿名なら氾濫してても良くて、こう言う公な場なら、 差別用語はまずいよ、と言うのも、それはそれで病んでませんか? だからと言って、そう言う一見差別用語を使わない議論と言うのは、 そう言う偏見にせよ、知識が足りないにせよ、 自分が実際に「お前そんな言葉を軽軽しく使ってるが、その意味を分かってるのか?」 と生にぶつけられない限りは、心の中でいつまでもモヤモヤしたまま、 くすぶり続けるんじゃないですか? で、匿名で、偏見の限りを尽くした言葉を吐きまくって本人は知らん振りな訳でしょ。 そう言う方こそ、本当は、怖いんだと思いますけど。 都合のいい事しか言わないから。 だから、本当は、そう言う問題を扱うのは、 本当にどちらの詳しい意見もあるようなものしか信用はないですね。 で、個人的には、もちろん差別用語発言は間違ってはいるが、 (特に劣等民族と言う言い方は、ファシズムに直結してしまうほど良くない言葉ですしね。気に食わないのなら、ドイツで「ハイルヒトラー!」と冗談で叫んでみればいいでしょう、その位理由はどうあれ、人の心を無条件に不快にする言葉でしょうし) かと言って、問題提起そのものに関しては、悪いとは思いません。 が、せっかくの良い意見の部分も自分で踏みつけて台無しにしてしまってますが。 (一方ドイツにだってヒトラーの遺物は残ってます、アウトバーンとか。 そう言う事にも差別思想がからんでくるので、ややこしいですけど) そういうこともあって、つい飛躍してしまいましたけど。 まあ、これは、私の個人的見解。他の人とは関係はありません。 by 汰介 参照先不明 参照先不明 私信を送った人には言った事ですが、自分は中学生の頃から劣等生でした。 正しく言えば、劣等生扱いでした。 貴方達が、「劣等」と言う言葉にどんな嫌悪感を持っているのか、俺にはわかりません。 俺は、それほど傷つきませんでしたし。自覚があったからでしょうか? 劣等だと言うならその情報を言え、と言うのでしたら、 原口さんには私信を送りましたが、例えば技術的な面。 ヒュンダイよりも本田やトヨタ。サムソンよりもソニー。 こんな事もありますね。 http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/d8fcc2ce4e0a3b7b1da788d6591c8dda 上記のサイトも全てが正しいとは言いません。 しかし、女性(日本人女性も含む)を女性と思わぬ処もあるようです。 儒教思想が強く、年上を敬うのは良い事だ。日本も見習う処はある。 しかし、年上が絶対で、年下を人とも思わぬ行動には、異常性すら感じる。 暇だからって、適当な年下捕まえて、髪切って笑いものにする。 反抗すれば殴られる。 日本でも、昔(親父が厨房や高校生だったころ)の野球部みたいに、 年上が絶対、マッサージして風呂も年上が先で。 先輩の靴もユニフォームも全部下級生がする。そんな時代もあっただろう。 しかし、今やそんな事は少なくなった。完全に無くなったとは言わない。 まだあるだろう。 しかし、その差は何だ?何時までもそれを引きずって生活するのか? 男尊女卑が根強く残っている。 それが時代の最先端なら、俺は決して劣っているなどと言わない。思わない。 年下を人間とも思わぬ行動が、時代の最先端なら俺は何も言わない。 日本だけが良い等とは口が裂けても言わぬよ。日本を愛しているけどね。 でもね、相変わらず彼らは日本国に入るのにビザが必要だ。信用されていない。 今年は一時期、ビザ解禁になるそうですね。知り合いの韓国人が日本に行くってよ。 まぁそんな事はどうでもいい。 出稼ぎで不法入国する奴が多いのも確かだし、 日本のコピー製品で荒稼ぎしているのも確かだ。 出稼ぎしたりコピーしたりするのは、何故? 生活水準が低い、自分たちでモノを創れない。だからじゃないのか? その挙げ句、日本側が盗作したと言う厚かましさを、どう処理する? ロッテなどの会社はさて置き、だ。 何度も言うが、全ての韓国人、朝鮮人がそうじゃない事はわかっている。 一方で、このような奴等もいるって事だ。 そしてお門違いな喧嘩をふっかけて来る奴らもいる事だって事実だ。 でも日本のアニメは見たいし日本の音楽聞きたいし日本のアイドル好き、 とかほざく奴もいる。実際、日本の歌のカバーも流行っている。 でも、日本は嫌い。日本は憎い。謝罪と賠償を、と延々と続く。 言ってしまえば、ハッキリと物事を言えぬ日本人もマヌケだ。 俺は、あれが削除されても、構わん。精神の殺害だとか何だとか言う気は無い。 ただ、理解も出来ないし納得も出来ませんけどね。 取り敢えず、返事はここまで。 勢いで書いたから文がぐちゃぐちゃかもね。 by 虹村 凌 こんにちは。 >869 >第三者にしてみれば、ポイントが入っている以上投票者がその表現を含めてその文書について「良かったと思った」のだろうと判断せざるをえない、と思うのですがいかがですか。 私個人について言えば、そういう判断はしません。 「この人は、ポイントを入れているけど、この表現についてはどう思っているんだろう?」とは思うかもしれませんが、その人がどういう考えでもってポイントを入れているかは、その人に聞くまでは分かりませんし、表現が良いと思っているか、何も考えていないか、間違って入れたか、表現はイマイチだが全体の趣旨は良いと思っているのか、判断もしません。 聞かないうちに判断するというのは、自分のいいように解釈してしまうこともあるからです。 ですので、ポイントをつけたことによって私が自動的に差別用語支持者だと思われるとは、考えませんでした。(良識や想像力が足りなかったかもしれません) で、私があの言葉をどう思っているかというと、差別用語だと知っていますし、表現の場で使うべきではないとも思っています。 知っているにも関わらず、その言葉を含む文書にポイントするなどもっての他かもしれません。 が・・・それについてはリョウさんは結論じゃなく、まだ道の途中にいると思うのです。 早急に「怒られたから削除しよ」とか「怒られたから謝っちゃえ」という態度をとるのではなく、きちんとタヒさんの私信に対応し、こちらでも答えを急いでいない。 多分、よっぽどの憤りが心の中にあり、まずそれを解決して、という順番が妥当だったと思うのですが、そんなソツない生き方はもっと年を取ってからすればいいのであって、 そういった心の鬱憤を晴らした、このままではいかんと感じた、いけない言葉を使った表現の仕方をした、ではどうするか、というのを見守りたいと思います。 (これ以上、スレッドを使ってよいかどうかは分かりませんが。その差別用語をここで連ね続けるのも、どういう感情を持たれてしまうか分からないし) 私が「正直でよろしい。言葉については見守りたい」からといってつけたポイントに傷ついたという方がいらっしゃったら、配慮が足りませんでしたので、謝罪いたします。 by ふるる 参照先不明 参照先不明 ポイントについては、たとえば、「最終行は変だけど、それ以外はなんかいいじゃん」と思って入れる場合もあって、それを「最終行も含めて“いい”と思ったのか」と問うても、それは違う、ということになるとおもいます。 by 片野晃司 続くようですが、見てしまった以上待つ気は無いんで。 >>877 やたらトゲがある言い方ですな。当然っちゃ当然ですが。 紳士ではありませんな。俺も紳士じゃないですけど。 あー、あと国際理解とかって、ニュアンスを全世界に幅を広ろげないで欲しいね。 オーバーですよ。俺は韓国について話しているつもりでしたが、 貴方が全世界に幅を広げて話すんなら、俺は辞めるぜ。 韓国だって国際だが、まぁ聞こえの問題だ。俺の中でのな。 うん、見てるつもり。別に韓国のアラ探しにアメリカに来たんじゃねぇし。 日本が世界で一等最高だなんて思ってねぇってのはわかってっかな?好きだけど。 日本食は世界で一等最高に素敵だとは思ってるけどね。 先進国ったって技術面でだけじゃんか。精神面は発展途上だよねぇ。それも随分な。 んな事は言われなくてもわかってる。クソみてぇな先進国だと思ってる。 だからな、俺は外人に「日本って凄い国だよね」って言われるのが恥ずかしいんだ。 恥ずかしくて仕方無い。希望を持って訪れた外人は失望するんじゃないのか? そう思ってしまう。いちいち言われなくたって、日本の悪いトコだって見てるさ。 それとも、それも全部挙げろってか? 並べてますよ。俺は並べてます。 男尊女卑などクソみてぇな考え方だ。日本もそうだね。 アメリカでは年中裁判をやって、実際に勝つようだし。 アメリカが全て正しいとは言わん。しかし、日本も随分マシになった方だろう。 韓国ほど酷い男尊女卑でもないが、アメリカ程平等でもない。 そのラインに載っけて考えていますが、問題あるでしょうか。 そしてその最先端が、(俺にとっては)異常とも思える行動を取る。 だから、「最先端がその程度なのか」と思う。間違ってるかな? 人の話聞いてる? 確かに後付けで書いたけれど、 全員をそうとは思っていない、っつってんじゃんかよ。 全員がクソだとは思っていねぇ。 だが、そんなクソみてぇな状態が続いているのも確かだ。 どこらへんが驚くべき理論かお聞きしたい。 俺は頭が悪いので、理解するのに時間がかかるのでね。 それとね、盗作の話だけどさ。 そんなモンは盗まれる方が悪いのよ。 でもね、それを盗んでおいて、「こっちがオリジナルだ!お前等が盗作した!」 などと言うのは間違いなんじゃないかなぁ、と書いたつもりだが。 by 虹村 凌 参照先不明 >>878 >『ポイントが入っている以上投票者がその表現を含めてその文書について「良かったと思った」のだろう』という解釈は、あなた個人のポイント観はさておくとしても、一般的には妥当な解釈だとお考えにはなりませんか。 うーーーーーん。私は一般的ということを考えるのがとても苦手で・・・。 一般的には妥当かどうか。全然わかりません。 ポイントに対する解釈はよくよく聞けば100人いたら100通りなのではないかと思うくらいで・・・一般的に妥当な解釈というのがあるのかすら分かりません。 申し訳ないですが、「お考えになりませんか」の問いに対しては「分かりません」というお答えしかできません。 by ふるる そうでしたか。そうとは知りませんでした。 俺は取り下げるつもりはありません。これからも。 貴方の何がそうさせるのか、俺にはわからないけれど、 少なくとも、俺には「劣等」という言葉は、騒ぐほど大した差別じゃないと思っている。 何故なら、先述のとおり、俺は中学高校で劣等生として扱われていたからである。 学校で覚えた事。俺はそれを信じているし、信じ続ける。 それと、いい加減にsageていこうぜ。 アガって無くたって、新規書き込みがあればわかるんだから。 クソみてぇな奴等が大勢いて、クソみてぇな事をしている。 鼻糞以下の反日感情持ってる癖に、「日本のアニメは見たい」と言う。 けれど謝罪と賠償はして欲しい。日本嫌いだから。 でも日本のゲームはやりたい。だけど靖国参拝はしないでもらいたい。 散々、奴等の話を聞いてきて、まとめりゃこんな事を言っている。 ハァ?と思う訳。何言っちゃってんの?と思う訳。ここまでいいですか? クソみてぇじゃない奴等もいるが、そんなのマイノリティだ。 マジョリティはモロ反日だけど日本のアニメとゲームは好きなんだ。 奴等の方が、驚くべき思考回路をしていると思っています。 そんなイカれた思考回路を持った人間が大勢いるので、劣等だっつったの。 クソじゃない人間も含めて。嫌なら国をさっさと出りゃいい。でも出ない。 結局は同じかもな。今、書いてて思ったよ。 んで。どうなの最近。俺テストで超大変。マジで。まだ課題残ってんのよ、うふ☆ by 虹村 凌 私は『劣等民族』の血を引いています。私に多くの文学との出会いを作ってくれた父を劣等と呼ばれた事に、憤りがない訳では無いです。劣等民族と呼ばれた者は、その家族や友達、その他たくさんの人たちの分まで泣かなければならないでしょう。劣等生とはまったく異質だと思います。 と書いてみたのですが、正直私には全部どうでもいい事にみえました。 by 六崎杏介 参照先不明 参照先不明 寝起き。二日酔い。 >>902んな事は一言も言ってないわい。 日本が嫌いで日本人嫌いで、謝罪と賠償をしてくれないからもっと嫌い。 韓国ではナイキ不買運動とかあるみたいですね。 実際に見た訳じゃないんでわかりませんけど。 日本のやる事なす事気に喰わん。 でも日本製品は好き。 貴方の言う、「嫌い」って感情のレベルにも依るんじゃないかな?と思う。 >>903,904 初めて理由を話してくれた。ありがとうございます。 それと、俺が学校で習った事、と、学校で覚えた事は少し違うと思っている。 前者は、学校の授業で習った事。 後者は、学校で俺が体験した事をベースに覚えた事。 まぁ、こんな事は貴方にはどうでもいいだろうけれど。 俺の話し方の矛盾は、今に始まった事じゃないしね。 何故俺が彼奴等を嫌うかと言えば、 俺の魂である剣道をコケにしさらす事が何よりも許せない。 その一点のみ。 例えどんなにボロが出ようと、納得するまで終わらせんってのはどう? と誰かが言っていたな。 泥仕合で、且つ俺の負け戦も分かっている。俺はまるっきり感情論だしね。 それでも、貴方は納得しないでしょう。貴方の友人の魂に賭けて。 (今度は逆に何が恥ずかしいのかわからんがな) でも、俺もあの発言を撤回する気は無い。俺の経験に賭けて言ったのだから。 sage進行発言については、俺の気まぐれですので、お構いなく。 by 虹村 凌 参照先不明 参照先不明 (つづきです) その前にリョウさんへ1つ苦言を呈しますと、(ごめんね) 「差別用語を使ったこと」 については、「非常識」なことをしたわけですから、 議論のネタにもなりません。と思います。 ただ、「訂正してください。」と言うのみです。 それで、言われたリョウさんがいつまでも「非常識」を止めたり訂正しないというのであれば・・・・・ 同じ常識を持っているというフィールドを、 期限はわからないけど今は放棄する、というのであれば・・・・ リョウさんは信用を失うし、 今後の発言にしても、信憑性が欠かれてしまう、 私はリョウさんの自分の体験に則した、歯に衣着せぬ感情や意見の吐露が好きですので、 それから信憑性が欠かれてしまうことは、大変にもったいないことだと思うのでした。 例えるなら、路上でスッポンポンになる人のお話を、誰も聞こうとはしませんから。 (何かを嫌うのは、非常識なことではありません。念のため あ、スッポンポンは犯罪か・・) ついでに言うなら、自らの非常識を期限付きであれ許すということは、他人の非常識も認めざるをえないということです。 リョウさんが大好きな剣道のことを「劣等民族のくだらん俸振り」と言われても 怒る権利はないし、怒っても「自分だって同じ事言ってるじゃん」と言われるだけです。 (向こうが始めにやったんじゃん。と言われるかもしれませんが、 誰かが非常識なことをしたからといって、同じ非常識でもって対応しては いけないこともご存知だと思うのです) 根本的に、「差別をしてはいけない」という「一般常識」の是非を問う、(それは膨大な作業を伴いますが)というのならまた話は別ですが。それをなさりたいようには見受けられませんし・・・。 あーもう嫌だな。えらそーで・・・。 てゆーか、その非常識にポイントした私もちょっと非常識な人(今は)なので・・・。 (リョウさんが訂正してくださるまでは、私も信用を失っています。 それは自分の意志でしたことなので気になさる必要はないですが。 基本的には冷静な目を持ったリョウさんですから、いつか、 何かの形で訂正して下さると信じていますし。) まあ、これは私の一意見で、これをどう受け止めるかスルーするかは、自由です。 なんか、お願いされたわけでも、話し掛けられたわけでもないのに、名指しで言っちゃってごめんなさいね。 つけたし・・・。 差別的発言については、私は、言われるほど差別的な発言とは思いません。自分は(日本は)誰かに比べてエライ!優れている!えっへん!とは全然言っていないから。 ただ、こういうのはダメじゃないか?と明らかに日本側に偏ったスレッドを貼りながら 言ってるだけで。 (あらぬ誤解を受ける可能性はあるけど・・・それは、まあ、感情的な文だとお断りしているし・・ね) おわりです。読んで下さってありがとうございました。 疲れたので休憩〜 by ふるる どう始めたらいいのか、よくわからない。 成長するに従って、素直って言葉を忘れていくようだ。 謝ります。すいませんでした。 全員とは違います。民族全体とは、言いません。 言い過ぎました。ちょづいてました。 大変、申し訳がない。訂正させて、いただきます。 (つづくと思う) by 虹村 凌 参照先不明 参照先不明 文脈としても変だと思いますよ。 ◆柳沢厚生労働相発言要旨 なかなか今の女性は一生の間にたくさん子どもを産んでくれない。人口統計学では、女性は15〜50歳が出産する年齢で、その数を勘定すると大体分かる。ほかからは生まれようがない。産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね、あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。(女性)1人当たりどのぐらい産んでくれるかという合計特殊出生率が今、日本では1.26。2055年まで推計したら、くしくも同じ1.26だった。それを上げなければいけない。 (2007年1月30日06時00分 スポーツ報知) 15歳から生めと? 生めないことはないですが、女性が婚姻できるのは16歳からで、 それも18歳にしよーよという提案があるくらいです。 統計上そういう数値が出ているからとしても、15歳を出産年齢とするのは若すぎです。 国際的に保護されるべきとされる年齢の子どもに子どもを生ませる気ですか? 機械発言に関しては謝ってるのでいいとして、 このへん(年齢の問題のあたり)も突っ込むべき箇所だと思うのですが。 装置の数が決まってるとゆー発言もよく考えるとへんです。 不妊治療の幅を広げたり、不妊治療に経済的援助したりすれば、 生む機械は増えるんです。 私は金がないので不妊治療ができないでいるんだけど、 金がたーっぷりあれば外国に行って代理出産してもらうことだってできる。 そうすりゃ少しでも「生む機械」が増えます。 あと、生む役割は女性が担うとしても、ですね。 妊娠させるのは男です。とゆーか、普通は両性の合意のもと妊娠、です。 育てるのは両性がやることです。 生んだ後のことも考えると、両性ともども「育てる」機械ですよ。 一応うちの地元から出た大臣なので多少弁護すると、 柳沢大臣、家に帰って自分の妻にも謝罪したとのことです。 (そのへんはまあ、偉いと思う) まあ、野党がこの発言をいいことに国会を欠席してるのはどーかなー、 柳沢発言を利用してるだけっぽいなー、 とは思います。ちゃんとせんかい野党。 by 佐々宝砂 参照先不明 参照先不明 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照 未来への参照
ニュース記事の引用だけ、は禁止。引用元明記。 事実の羅列だけの短い記事なら転載OKですが、拡大解釈しないように注意。 イラクでの、米英軍人によるイラク人捕虜虐待が明るみに出た。相手の国の文化を一切尊重しない国が占領軍として行動しているのだから、起こるべくして起きた事件が明るみに出たまでのことなのかも知れない。当然、日本政府は裏でこんなことがあることは黙認済での自衛隊派兵だったのだろうと思っている。米軍に国を保護して貰っているが上の、弱み、とでも言おうか。(実際、日本の首都圏上空は米軍管轄であり、そこの制空権はアメリカが掌握している。日本の上空は未だに分割統治されたままなのだ。) さてさて。今こそ日本政府は、自衛隊を撤退させるべきではないのか、と。ここでビシッと米英の行いを批判し襟を正しておくことは、アメちゃんの批判を買うに違いないが、世界からは支持される。つーか、アメリカ国内でもブッシュ批判は高まりを増していて、暴露本も連発状態。次の大統領選では敗北の可能性も高い。日本は散々と事無かれ主義でやってきていて、何かしら物事が発展しなけりゃ行動にすら移せない。もう、そんなの止めにしましょうよ。先物買いで、ブッシュは見捨てるべきです。丁度、対立候補は反戦を唱えていますし。 しっかし、以前に戦争論(小林よしのり著)の中で読んだ、欧米の占領軍人たちによる、現地人やら日本人捕虜らへの虐待・差別行為。それと同じことが、未だに行われているという事実。呆れるばかりです。さすが、無法地帯の国・アメリカ。台湾総統選挙の連戦候補(中国政府側)の醜態っぷりも見苦しかったけど、負けず劣らずです。 その昔、アメリカのここが駄目、中国のここが嫌い、って言ってたら、詩の知り合いに「貴方はどっちの国が好きなの?」ってな質問をされたことがあります。当然の如く「日本」って答えたら、そんな答えもあったのか!みたいに驚かれました。(直後、愛国主義者なのね、ってなレッテル貼りされたけど。) こんな人たちが、議員さんとかにも大勢いるんだろうなー、なんて。きっと、どう足掻いても撤退されないであろう宿営地に篭りっぱなしの自衛隊員の安否を気遣いつつ、オランダ軍も撤退しちゃったら、どうするつもりなんだろなー、とか考えているのでした。ちなみに、小泉首相の支持基盤は横須賀の海上自衛隊の関係者諸兄。皆、仕方なく自民党か、さも無くば白紙投票しています。 ――――――――――――――――――― P.S. ツインターボさん、ボルカさん、ありがとです。 拘束問題に関しましては、日和見な俯瞰ばかりで余り自分独自の意見が出せていない部分が多く、それが痛いところです。SPA!最新号の記事を読みながら、ひとり悶々と悩んでいます。 こちらこそ。では、これにて論議は閉幕ということで。 ですが、最後に少し発言させて頂きたいと思います。 まず、大衆は家族に謝罪を求めてはない、ということ。 求められるような社会であれば、当人にあそこまで非難が集中しなかったような気がします。そのような文化も無ければ前例も無い、けれど違和感は確かにあった。そうしたものは、どうしても鬱積してしまうのだと思うのです。過去にもそういった類の違和感を抱くに至る事象は報道され、それは時として屈折して在らぬ方向へと刃が向かったりもしたのでは、と。そして今、現状において、3人には全責任からの謝罪が(無意識にも)求められている状況なのではないかと思います。18時のニュースを見て、そういった言葉が出なかったこと、逆に「ありがとうございました」に拍手喝采の姿、を前に、新たな違和感を憶えた人も居たでしょう。私自身、何故に、あのタイミングで、あの言葉に「拍手」なのか?そう思わずには居られませんでした。現実問題として謝る責任など無いのだったとしても、謝るべき節目だった筈だろうに。そう思えてなりませんでした。 さてさて。それでは私も、これにて失礼しますね。 ボルカさん、こちらこそ、ありがとうございます。 2つの反論に、意見させて頂きたいと思います。 戦争反対!の許容に関しては、私も同感です。そういった意見を塞ぐということは中国や北朝鮮のような一党独裁にも繋がる危険な行為に値しますし、双方の意見がぶつかり合うことによって導き出される部分にこそ、答えは眠っているのだと思います。 実際問題として、彼等3人の反戦活動の内容(劣化ウラン弾の危険性を訴える、等)そのものに遺憾や不信感を示した人は、殆ど居なかったと信じています。 国が米追従の政策で参戦した以上、現地に行けば米軍憎しと同等に見られ、先の外務省職員のようなことになるやも知れぬ。渡航に際しては散々注意を促してきているわけですから、(渡航前については)これで充分な保護と言えるのではないでしょうか。 一方、日本大使館の頼りなさはフリーカメラマン等の間では有名であり、渡航後の保護への甘さには疑念が残ります。しかし、フリージャーナリスト?の勝谷さんは、彼等3人は隣国経由で現地入りする際にイラク現地の知人等に事前の入国連絡を取っていなかったと言っていました。こうした自己防衛にすがる部分にまで現地での保護に責任が課せられるかと言えば、それは違うと思います。 帰国後の保護については、これは政府側がマスコミに挙げ足を取られた格好だったな、と認識してます。と同時に、政府側の怠慢が表面化していたのも事実だったのではないでしょうか。北朝鮮拉致被害者への対応の甘さを反省しているのか?と。(保護の範囲については、まだ議論の余地がありそうですが、このへんで。) ただ、北朝鮮拉致被害者の会見を模したかのような、家族側の過度の露出には問題があったかと思います。担がれた神輿のような状況下だったのかもしれませんが、そういった部分にまで保護の範囲が及ぶのかと言えば、ちょっとどうかな、という気はします。(担ぎ手の思想の保護にまで繋がりそうで、怖いですからね・・・。) 大勢の人が抱いた不信感の噴出は、本来なら家族側に向くべきだったものが、高遠さんのイラクに残りたい発言によって向きを換えられたものだと考えています。ですから、今の彼等3人は守られるべき位置にあるということ、重々認識しております。 マスメディアは背後に民青の影とか言ってますが、民青は批判の対象になっていない。担がれた人は批判され、担ぎ手はドロン。こういった報道の姿勢こそ、非難されるべき個所だと思っています。 最後に、私の挙げている根拠とは噴出それ自体の根拠であり、村八分の現状に関する根拠ではないこと、強調しておきますね。 前レスでの書き方が、そうと誤解を抱かせてしまう構成であったこと(余談のあと直ぐに根拠では?と続けてしまった点)、お詫びしておきます。 ボルカさんの懸念されていること、分かります。勿論、悪戯に攻撃するのは良くないことだということは、当然でしょう。ただ、やはり国民みんなは、態度が悪いと「いじめて」いるわけではなく、釈然としない部分に不信感を抱いていたものが、噴出したのだと思うのです。 それは例えば、あれだけ早く12万人分もの署名を集められるのか?とか、家族側のマスコミへの過度の露出だとか、そういった諸々が引き金になっているのではないでしょうか。家族が救出を思う気持ちからの行動であるからこそ、多くの人々が共感し、生存を切に願った。しかし、そうは思いながらも不信感は消えなかったからこそ、堰を切ったように溢れ出たのでは?と思うのです。 これは余談ですが、家族が自衛隊撤退を生存・救出と並行に語っていたのを見て、覚悟して送り出した親や親友の、そういった気持ちはどうなるんだ?と、不満を述べる人も居りました。 そういった部分、根拠には乏しいでしょうか。 ちなみに、私の持論(オレオレ詐欺説)は自分から見てもも証拠不充分であり、現時点では正しいとは言えなくなりつつあると認識しています。(あとがきに記していたように、あれはあの時点での考察です。)また、これらが正しいか否かは私自身の中に留めておく問題であり、その正誤は他人に押し付けるようなものではないこと、これも、よくよく認識していること、付け加えておきます。 ボルカさん、私が言っているのは不適切な言動の有無ではなく、不信感を憶える姿勢の有無です。例え、表現の自由に保護されるべき範囲内の言動を行っていたとしても、それに伴われる行動や姿勢に「?」と思える部分があったからこそ、世論は彼等を批判したのではないでしょうか。 ちなみに、私の職場(海上自衛隊)でも、やはり3人の家族には不満の声が挙がります。が、しかし、後の2人に関しては、そういったものは一切ありませんでした。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040425-00000005-cnc-l24 「微生物投入後、ヘドロ減少し魚戻る 津の入り江「堀川」」 この記事を読むと、人によっては「へぇ、EM菌ってすごいな」と思うかもしれない。でも、EM菌についてはおよそ20年も効果のあるなしで議論されているのだ。 http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssspn/info/pdf5_sympo1996.pdf おおむね、市民団体などの検証:効果あり 大学などの研究施設での検証:効果なし という構図になっている。 で、EMを信じてボランティア活動の中でEMに関わっている人と、疑って信じない人と、どっちが気分的に幸せか、といえば、もしかしたら前者かもしれない。 EMの話ではないが、たとえばトルマリンを身近に置いて、目を輝かせながら「これ買ってからすごく体調いいんだよ」なんて言ってる人を「こんなの効果ないよ」と不愉快にするのは無粋で無情な行為だけど、無情に白黒つけてしまうのが科学者の無粋ながらもすばらしいところで、また、単なる石ころに適当な宣伝文句をつけて消費者を幸せな気分にしてしまうのもビジネスマンのすばらしさ。 僕はどっちかっていうと疑り深いほうだから、無粋なこと言っちゃうけど。 >すません、ご迷惑をかけました。 えっ、そんなぁ〜、照れるなぁ(違 僕は思うに、批判 = 考えること な感じです。考えること全部が批判じゃないけど。 だから、批判しよう、批判すべし、と思って批判しているわけじゃなくて、新聞とかテレビのニュースを見聞していると自然に批判してますね。そんな感じです。 議論をする余力はないので、簡潔に。 私は、具体的な提案をある程度したつもりです。たとえば、自衛隊よりもNGOのほうが効率がいいと書き、NGOが具体的にどのていどのことをしてきたかについて書きました。行った以上お役にたってこい、と自衛隊については思っております。でもふと思い出すのは、自衛隊が派遣されるにあたって、「安全だから行く」と言いましたよねえ。日本政府は。そんなに安全ならば、NGOが行ったっていいはずですが、結局自衛隊が行きました。しかしあとで論調が変わりました。いまは「危険だから自衛隊でなくてはならない」という主張をしています。なんか、へんです。 アメリカの論調もなんか、へんです。最初は「大量破壊兵器があるからイラクと戦争する」だったはずなのに、大量破壊兵器がなかった(少なくともまだ見つかってない)ので、だんだん論調が「独裁者フセインからイラク国民を救う」に変わりました。なんでかわったのでしょうね。私にはわかりません。なんか、へんです。 素直にへんだと思うから、へんだよー、と書きます。へんなことがまかりとおる世の中は、私も純粋に怖いです。 >Ohatuさん 感情的な苛立ちという感じを与えてしまったならば、申し訳ないです。 おそらく、ぼくの言葉不足なのだと思います。申し訳ありません。 ただ、そういう訳からでなく、 ぼくがOhatuさんとこの流れで対話を続けることに、あまり意味を見出せないのです。 この辺りの感じを伝えることは難しいのですが、 くれぐれも、Ohatuさんを否定しているわけではないのですが、 今回ぼくが言ってきた話の流れではないところを問題にされていて、 (もちろん、ぼくの言葉を受けて語られているのですが) 下の質問も含めて、どんどん違う話になっていく印象です。 だから、どう違う話になっているとぼくが感じているのか Ohatuさんに本来伝えるべきなんだろうけれども、 それを自発的に行う興味が出てきません。(無理してそれをするのもおかしな話だし) なので議論の本分が定まっていない議論をおたがいにしても すれ違って疲れるだけなので、(webという性質上、こうなると手がつけられなくなる) ここでの議論がかみ合わなくとも、それぞれの意見は書いているし その意見は、みなさんに伝わっていると思うので この状態で終わるのが、一番いいとぼくは思うのです。 議論の本分が定まっていない議論で消耗していくのを 雑談スレなどでずっと見てきたので、ここはこれで終わらせてください。 Ohatuさんにとっては気持ちのすわりが悪いと思うのですが、 申し訳ないです。よろしくお願いします。 同情は3人に、非難は家族側に。 今回の事件では、3人の家族が後に拘束された2人の家族のような姿勢を取っていたなら、ここまで叩かれたり非難されたりは無かったように思われます。 私自身、この一件を狂言だと信じていたのですが、今にして思えば、露出過剰な家族の姿に不信感を抱いたからだと。 実際には、もっともっと深い何かがあり、色々な人達が、それには気付かずに事件に便乗している状態なんだなと。 例えば週刊誌は、3人の無事がはっきりと分かった時点で「ネットで囁かれる噂」みたいな特集を組んで罵詈雑言を書き散らかしておいては、最後に一言「許せない」などと付け加える手法。日本のマスコミの一番良くない部分が出ていると思います。 当然、共産党・社会党支持の活動家やプロ市民やらも便乗していて、だからこそ、政府与党も良い顔は出来ない。そこからの不満が、自己責任論にも繋がっているのではないかと。 結局、家族側の露出も、便乗のひとつ。(〜が便乗、ではなく、〜に便乗) 何とか助けたいの一心から、上手く乗せられたのだろうか。そこまでは、分からないけれども。 すべての物事には色々な便乗が幾重にも層を成していて、重さに圧し潰された地層は肉眼では捉えることが出来ないくらいの状態にある。ちょっと今回、その圧縮が突発で、皆がその歪みに注目している。 でも、いくら後ろを辿ったところで、自衛隊派兵が悪い→アメリカが悪い→、そこから白人の歴史だとかアメリカ内部の話だとか、逆に変な地層に指を突っ込むだけで、そういった議論をネタに出版したい人が便乗して来るだけ、何も解決されない。 じゃあ、「今後は」どうしよう?「今後を」どうしよう?そういった話になるのがベストなのですが、それが(そうなるように運ぶのが)一番難しいのかもしれませんね。 日清カップヌードルのCMを見ました。国境?がカップヌードルで出来ていて、それを皆で手に取り食べることで、睨み合いが笑顔に変わり、境目も無くなるといった内容。 このCMを作った人は、偉大だと思います。答えにならない答えを、それは希望的観測かもしれないけれど、とても上手く表してくれている。 CMの中で、最初にカップヌードルを拾った少女。答えなんて、きっと、あんなちっぽけなことなんじゃないかな。そんな気がしてならない。 >Ohatuさん >すごく大雑把に言うと、僕とか国民とかは、権力と対にあるものではなく、 >僕たちも権力の一部であるし、政府というのは僕たちが作るものであるので >あーだって僕らも日本国の一員じゃんみたいなことがいいたいのです。 >悪いとこはみんなで直せばよいし、どうしたらよいかなって考えたいなってことで。 Ohatuさんが言うような上のような意見は、よくわかるし、 少し前の、小林よしのりや新しい教科書の時にさんざんされていた、 「公」論の話なんかに繋がってくると思います。 でもぼくはOhatuさんがここで書かれたような話を、自発的に今この場でしたくないし (ぼくにとって今この話をこの場でやる必要性がないので) ぼくが今回、権力の話を持ち出したのは、 ここでOhatuさんが話したがっている観点と違っています。 >僕たちも権力の一部であるし、政府というのは僕たちが作るものであるので >あーだって僕らも日本国の一員じゃんみたいなことがいいたいのです。 そもそもぼくは今回の自己責任追及の一連の発言で問題としているのは、 こういうところからの発想では、全くないのです。 そういう一歩ひいたところから出てくる感覚での話ではなくて もっとね、得体の知れないもの(権力や顔の見えないひと)からの ストレートな「痛み」に近い感覚から言葉を継ぎました。 そしてそれが、ぼくが生きていくうえで選択している自分の言葉の立ち位置です。 観念的な話ではなく、その背景となっている構造は何なのか。 そこが伝わっていない限りは、こういうweb上の制約のある形で話しても 有意義な対話はできないと思うし、 ぼくはそれが伝わっていないのが、Ohatuさんの返答からわかっているので ここで一旦この対話はおしまいにしたいと思います。 もちろん、Ohatuさんがしたいと思っている話はとても大切だと思います。 ただ、ぼくが今回話したいことの流れのものではないので あとは今までの文章を読んでもらえればと思っています。 アメリカという国のこと、私は決して好きではない。でも嫌いでもない。あの国にはいいところもわるいところもある。フランスにも日本にも、いいところとわるいところがあるように。 日本はかつて、よその国の人々にめちゃくちゃ悪いことをしました。自虐史観とかそんなんではないですよ、個人的にきかされた話からの実感です。私の母方の祖父母は満州に暮らしたことがあり(祖父は満鉄で働いたのです)、戦争終結前に満鉄をやめて日本に帰ってきたので、戦後の引き上げの苦労を知りません。知らないせいか、ひどい話をいくつかきかされました。飢えた中国人の目の前で蜜柑を食べて、わざと皮を踏みにじる。その踏みにじられた皮を拾って食べる中国人の姿が滑稽で面白かった、と祖父は言いました。そんなの虐待としてはたいした部類ではありません。でも私はその話をしながら笑っている祖父が嫌いでした。 敗戦後の混乱の中で日本に帰ってきたのでしたら、祖父の考えが百八十度変わっていた可能性もあります。そのころもう生まれていた私の母を中国において引き上げたかもしれません。もしそうだったら、私はここにいなかった。私に似た、でも絶対に私とはちがう誰かが、中国残留孤児の子どもとして中国に生きていたことでしょう。私の母は、中国残留孤児の話にすぐ涙します。自分がああだったかもしれないと思うのだそうです。母は祖父が満州に行く前に生まれたので日本生まれで、また、母自身は満州に行ってないのですけどね。学童疎開していたので。小国民としての母は、満州という国を、自分がいつか行く夢の国として認識していたのかもしれません。母は中国文学がとても好きです。中国という国のこともとても好きです。でも中国政府は嫌いなのだと言います。私は中国のことになると好きなのか嫌いなのかわかりません。すごく複雑なものを感じます。日本に対してもそうです。好きなのか嫌いなのかわかりません。すごくふくざつです。でもとにかくサッカーの国際試合で中国vs日本の場合は日本を応援するので、自分が日本人だという自覚はしっかりあるようです。 アメリカという国はよくも悪くも特別な国で、他国への影響力が強い。好きにはなれないところがものすごくたくさんあるけれど、好きなところもたくさんあります。アメリカ政府のやりかたは嫌いです。でもそれをいうなら、私、日本政府のやりかたも嫌いです。中国政府のやりかたも嫌いです。 「しょうがないよね、しょうがないなら納得したほうが幸せだね」的な生き方の人が多ければ政権も本人も楽なんでしょうけど、なかなかそんなふうには思えないな。 確証はないけど、俳人は長生きが多いですよ。 長生きしたかったら俳句俳句。 > 自衛隊派遣ですら、安全か危険か(危険にきまっとるわい)なんて議論しか > できない国だから、民間人の派遣を政府が支援するなんてこと、絶対無理だと > 思いますです。 民間人の派遣、という話でいえば、軍需系の会社からは半ば強制的な(取引を考えると従わざるを得ない)かたちで民間技術者を連れて行ってるみたいですね。職場でも誰がイラクに行ったかは秘密らしい。口止めされているそうです。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-02-13/01_03.html http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-11-09/14_1501.html http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0092940/top.html そういう、「口止めした上で無理矢理」みたいな形なら民間と協働できるみたいですよ。 大学時代、専攻は国語学で、いろんな留学生と交流があったのが、今思うと貴重な体験になっていると思う。いろいろな国の人が日本語を研究しに来ていた。 みんなで街を歩いていたときに共産党の人がビラを配っていて、韓国の留学生がそれを見て、「信じられない。母国なら逮捕されて牢獄されている」と言っているその横で、中国からの留学生がクスクス笑っていた。 ちょうど天安門事件があって、そのときに中国の留学生の幾人かは家族が心配で帰国しようとするのを、研究室の誰もが必死になって止めていた。今戻ると政府に殺されるのは目に見えているからだ。しかし、彼らは殺される覚悟で国に帰ろうとしていた。 忘年会、酒の席で、「きよしこの夜」をみんなで歌った。最初は日本語で歌って、それから中国語で歌って、韓国語で歌って、最後は英語で合唱した。20代前半、まだ若かった頃だ。そんな思い出を持っている。 >32 おっしゃる通り、フランス政府の見方にはおおいにベクトルがかかっているでしょうね。まー私にもベクトルは幾分かかっております。みなそうであるように。 サマワでフランスのNGOが給水活動をしていたのは、おそらく偶然だろうと思います。もしかしたらユニセフがやってるところに自衛隊が派遣されたかもしれないし、スウェーデンがやってるところに自衛隊が派遣されたかもしれません(と書いてから迂闊かなと思って調べたところ、スウェーデンはイラクで給水はやっとらんようです、ゴメン、今後はちゃんと調べてから書きまーす)。 つけくわえ。 日本はイラク南部のムサンナ県で給水活動をしているフランスのNGO「アクテッド」に 無償資金協力をすることに決めたそうです。(OCNニュース) この記事をみる限りでは、このNGOは給水車を使う方式のようですね。 OCNニュース「政府、イラクで給水活動の仏NGOに3900万円支援」 http://www.ocn.ne.jp/news/data/20040420/y20040420ia06.html フランス首脳は、イラク戦争でのアメリカの躓きのニュースを見るたびに大笑いしてると思いますね。なにせイラクの石油利権がフランス主導で動こうとしていたときにアメリカが戦争始めてパーになったわけだから。フランスのイラク戦争に対するコメントはベクトルがかかっていると思います。 イラク入りしている民間外国人の人数とか、民間日本人がそのうちどのくらいなのか、数字が全然わからないですけど、もしかしたら、「えっ、日本人もいたんだ」という感想なのかもしれない。 誘拐の被害者を責めるのって、レイプされた女性に「あんな場所にあんな格好で行くからだ」とか言うみたいな印象。 >Ohatuさん どうもこんにちは。お久しぶりです。お元気ですか? まずひとつ訂正を。ぼくの名前はワタナbです。 ワタナベさんも別にいらっしゃるので誤解のないよう念のため。 さて、Ohatuさんとうまく対話ができるといいのだけど、丁寧にいきましょう。 基本的にぼくの意見に対して、Ohatuさんが意見を述べている形なので 応答責任として、ぼくは、ぼくのスタンスと意見を正確に、 できるだけ正確にOhatuさんに届ける努力をします。 Ohatuさんからの意見に返答していない部分は、「その部分はそう思っています」という意です。 またぼくの意見に直接関するOhatuさんからの疑問以外の、 Ohatuさんの意見・スタンスに関しては今のところぼくから意見を述べるつもりはありません。 >ワタナベさんは、結構過激ですよね、そうでもないですかね。 たぶんぼくは、一般的なひとに比べてかなりリベラルな立場だと自分で自覚しています。 それはたぶん、ぼくがそういう生き方をして、身体で感じてきたことだから 信念として持っている部分です。政治的には、右でも左でもありません。 ただ、無自覚に権力を持っているひと、権力に対して無批判(鈍感)なひと、主義にかこつけているひと、 に対して言葉を沈黙させてはいけない、という立場です。 >> 過去の邦人誘拐事件、たとえばコロンビアで矢崎総業副社長が誘拐されたときと >> 今回の事件を比べてみてほしい。 > それは全然違う。まず矢崎総業の副社長さんじゃないし、政府としても許可してる > わけだし、犯人の性質も違うし、危険度も違うし。 まず、全然違う、というOhatuさんは、まさにぼくの思う政府の弁解を述べてくれていて、 ぼくとOhatuさんの、コロンビアの現状に対する認識の差も一因だと思いますが http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/colombia.html(ジャーナリスト益岡賢さんのHP) http://members.fortunecity.com/masayoumepress/gotrightsindex.html(友人のフリージャーナリスト後藤勝さんのHP) 政府が許可しているかどうかとか、犯人の性質とか、ぼくは、そういうところからの発言をしていなくて ひとの命を判断するのに、正にそういう基準で動くのが国家なのだから そんな権力のご都合主義に、個人は振り回されてはいけないというのがぼくの主張です。 (最終的に村松さんは拘束から2年9ヵ月後に亡くなりました) >> 今回は自衛隊撤退要求があったからこそ、政府はここまでおおごとに動いたわけで >> 市民はそんな権力者のご都合主義からの発言に左右されてはいけない。 > これは根拠が無い、極論のような気もするけど…。 たとえば、北朝鮮の拉致家族のみなさんの声も、十何年政府は無視してきた事実は周知のとおりです。 ハンセン氏病患者のみなさんの声も同じく。過去に例をとれば同じようなことはいくらでもあると思います。 大事なことは、権力とは、常にそういう志向性を持っているということで そのことに自覚的でなくてはいけないと思うのです。 そして、自分は、誰からの声を大切に生きていきたいと思うのかという判断は、 それぞれにそれぞれの想いがあるにせよ、 それぞれが違う意見の持ち主なのだから的なことを一括して言ってしまうことは 不平等を見ずに、平等ばかりを語るような気持ち悪さが、ぼくにはあります。 (侵略戦争を支持した)日本政府という単位に想いを寄せるのか。 (今回アメリカが侵略しなければ)殺されなかったはずの、 何百人という単位でしか語られることのない、イラクのひとに想いを寄せるのか。 殺さなくては殺される状況に、行くことを希望した(せざるを得なかった)アメリカ軍の一兵士なのか。 というのがぼくの言いたかった意見です。 以上Ohatuさんからの問いかけに関する、ぼくからのレスポンスでした。 いいも悪いもねえだろ、というのが日頃の私の意見ではあるのだけど、それとは別に「こうするとたぶん問題が少ない、金もかからん」「こうすると問題続出の予感、費用莫大」というようなことに関しては、私はビシバシ文句を言いたい。善悪ではなく好き嫌いでもなく、損得だ。私は一納税者で、脱税したことはないし年金未納もしたことない。いずれも二十歳からきちんと納めている。税金滞納で怒られたことはあるが(笑)結局は払っているわけで、私は立派に国民の義務を果たしている。なので私は日本の政治に文句言う権利は確実にある。貧乏だが、電話料金も水道料金も滞納したこと一度もないぞ(関係ないな)。と威張っておいて、 >>29 >僕はフランスと言えば核実験のイメージしかないんで、その評価が嬉しいのか >どうかよく分からないですけど、別に彼らのやったことが良いことでも悪い >ことでも、危険なことには変わりはないわけで。 まー核実験のおくにとしてのフランス、私は好きではありません。あの国には欠点もあれば善意のかたまりのようなところもあります。自然を管理しすぎるところなんて私の好みではないと思うけれど、でもでもでもボードレールの人工はすてきよ(この場合関係ない)。で。昨日テレビを見ていたら、アメリカのパウエルさんも日本の3人の人質について誉めておりました。もっとも、そのあとで「だから自衛隊も誉めてね」という話に持ってくために言ってることは見え見えでしたけど(笑)。ま、フランスだけでなくアメリカも日本のボランティア精神を買ってはいるわけです。他国のボランティアのことだから、「てめーらにいくら金かかったと思っとんだあ」と言う必要がないからでもありますが。 で、費用の問題です。いつだったか筑紫哲也ニュースでやっとったことですが、サマワでは、フランスのNGOが水の供給と水の使い方についての教育を実施していたそうです。日本の自衛隊のやりかたとは違い、ちいさな浄水施設をいくつもつくる方法で、作業には現地の人を使います(サマワの人が本格的にほしがっている「仕事」がこれで供給されることになります)。自衛隊が供給する水と同量の水を彼等の方法で供給すると、試算上では4,400万円で済むそうです(正確な数字は忘れた)。一方、自衛隊にはどれだけ費用がかかっていることか。自衛隊もいくらかは地元の人を雇うことにはしたようですが、細かい目はなかなか行き届いていないのではないかと思います。あとになって自衛隊も女性を派遣したようですが、ムスリムの女性は基本的によその男と話をしちゃいけないことになっています。でもイスラムにおいても主に炊事洗濯して水を使うのは女性です。給水された水をためておくところがなく、地面にためといちゃだめということから教えていかねばならないそうなので、ひとくちに給水浄水と言っても話は簡単ではない。水を綺麗にすりゃすむわけではないのです。自衛隊がそこまでやっているかどうかはまだ私にはわかりません。まあ行った以上がんばってるでしょうし、がんばっていればいいなあとは思います。なにしろわずかとはいえ、自衛隊には私の金がかかってるんですから。 五人の人質解放までに、日本政府がどれだけお金を使ったか私は知りません。具体的な数字は知りません。ですが、確実に、自衛隊の方が金をかけてると思います。私の納めた税金は人質解放に使ってくれてかまわんです。どんどん使ってください(というほどの金じゃありませんが)。でも兵器買うのはやめてね。兵器はそのへんをちらかすので嫌いです。つーか損得の問題で、家は壊すわ環境は壊すわ金はかかるわ人は死ぬわ兵器つくって何か得ってあるのか。ということまで言い出すと話がどこかに行くので強引に戻して、まーいろんなひとがいろいろたいへんだったとは思いますが、そうじゃなくとも政治家はたいへんなもんなのです。彼等は公僕ですよ、わしら納税者のしもべであって、別にエライ人じゃありません。政治家のお仕事は「納税者のしもべ」なのです。個人じゃ難しいことをやってもらうために彼等を納税者が雇っている、と言ってもいいくらいです。納税者の権利を彼等は守らなきゃなりません。納税者の命も、です。お仕事はちゃんとやらなきゃなりません。勝手に風呂場で死にかけてる人が救急車を呼んだら、助けに行くのが救急隊員のお仕事です。迷惑だなんて言う権利は、救急隊員にはありません。なんのために救急隊員がいると思ってるのですか。なんのために救急隊員の給料が支払われてると思うのですか。ついでに言えば、自衛隊員のお仕事は「自衛」です。わざわざ他国に行って、日本にテロの危険を呼び寄せることではないと思うのですが、まあそれは、いいか。 で、もうひとつ。「危険地域に民間人は行くな」という言説の恐ろしさをなぜOhatuさんは感じないのか。そこんとこがやや疑問です。危険地域にお上だけが行くのだとしたら、私達は、お上発の、つまり大本営発表のニュースしか知らされないことになります。これは「知る権利」の阻害です。ボランティアを渡航禁止にするのはまだしも、何がなんでもジャーナリストだけは危険地域に行ってもらわなくちゃ困る。危険地域に行くジャーナリストは、もちろん自分の危険を承知で行きます。必要だと思うから行きます。たとえお上が禁止しても行きます。いえむしろお上が渡航を禁止したらなおさら行くべきでしょう。私はジャーナリストにはならなかったけれど、彼等を尊敬しているし、政府発表の意見よりも信頼がおけると思うことがあります。もちろん誤報もあるでしょうし、やらせもあるかもしれません。でも、政府だって誤報をやるかもしれませんし、やらせをやるかもしれません。今回の人質事件狂言説が政府筋によるデマだったという説もあるくらいです(書き間違っていたのでなおしました。人質事件はデマではないでしょう。人質事件が狂言だったという話が政府筋デマだったという説です。政府筋デマ説がほんとかどうか私は知りません、だいたいこの説の火種は2ちゃんねるのようです)。 私はあまり自分の国を信用していません。もちろん自分の国に愛着は感じます。愛と信頼は別物です。もっと信頼できる国になってほしいとは思います。 >飲料水の給水活動はバグダッドで450万リットル、バスラとその近郊では300万リットル、モスルとキルクークのコミュニティでは1日約200万リットルの規模で行われています。全国的に言えば、ユニセフは毎日50万人に水を提供していることになります。 上記引用文はユニセフ関係の資料より http://www.unicef.or.jp/kinkyu/iraq/2004.htm サマワで給水活動をしているフランスのNGOについては http://www.mypress.jp/v2_writers/talkingdrum/story/?story_id=307313 誰にも言われてないけど私の>>15はキツイ書き方だったな、と勝手に反省。 お役人や一部マスコミががあんまりにも冷酷なことを言うもので頭にきてました。 政府が救出費用のことを言い出すなら、私の納めた税金で武器を運ばないで欲しい。 イラクの人にも、自衛隊にも、若いアメリカ兵にも死んで欲しくないから。 何か、何でもいいけど、何かを論拠として、それ以外のものを全否定する方法、そのものが、俺はなんかイヤで、たとえば自己責任云々も、俺はそういうバッシングはふざけんなとは思うけど、だからと言って、ふざけんなって思う気持ちと彼らの責任の有無の検証は全然別問題で、それと同じように自己責任を拠り所にされて法的に渡航規制みたいなのがかかって大本営発表みたいになるのはすげぇおかしいと思っているけど、そのおかしさを論拠に彼らの言動を“すべて”是認する気もない。そして同じように彼らの言動に“?”という部分があるからといって彼らの行いを“すべて”否定する気もない。 今は、ものすごく大雑把に考えると、 二次遭難みたいだと思ってる。遭難してる人がいて、それを助けようとしたら遭難しちゃって、二次遭難した人の救助にいろんな負担がありました。二次遭難した人は、救助された後も遭難者を助けたいと思っていて、負担のかかった人たちや野次馬が「それはちょっと待ってよ。こっちの苦労も考えてよ」と言ったら、「あななたちは救助するのが当然でしょ」なんて言う人もいて、「そりゃそうだけど、でも、そういう言い方はないでしょう?」と思った人たちがまた何やかや言い出して、で、一次遭難者はまだ遭難中。みたいな。 全然大雑把じゃないな(笑)。 自由と責任の関係論だけだなく、そこに謙虚さも交えて欲しいと思う。お互いに。相手の非なり自分の正当性なりを主張するときに、どちらか一方でも、「そのような要素があるからこんなふうに主張して当然」という姿勢で接していれば、それはもう、当然のように喧嘩になるよ。正しければどんな言い方をしてもいいわけじゃない。いろいろ問題になってしまってるのは、誰のどの部分が良いとか悪いとか、そういうのが原因なのではなく、それを主張するときの姿勢にあるような気がする。 もっとみんな謙虚に主張し合えばいいのに。 「らぶ&ぴーす」ってそういうことだと思ってる。 世の中の状況を見てると、 加速するやじろべぇのような。そんな印象。 あるいは均衡を取ろうとして重りをガンガン乗せ合ってるシーソーみたいな。 「我々の意見はすべて偏っている」 そういう観点から見ていくのがいいのかもしれない。 >佐々さん 高橋の源ちゃんいいっすよね。ぼくも読みました。 昔は(うるぐすに出てた頃)、競馬評論家かと思ってた(笑) ほとんど小説書かない小説家だし。 でも、彼は現代の日本の作家のなかで、もっとも信用できるひとりだと思う。 というか、ぼくがかれの発言のスタンスに共感しているからなのだけれども。 国家、マスメディアといった権力を持つ側が、個人に対して発言するとき その権力の志向性について自覚的ではなくてはいけないと思うんです。 特に政府はあくまで公僕であって(「お上」なんかでは決してなく) 政府が、市民の権利を侵さない限りで、 市民の安全を最大限保障するのは、当たり前のことであって 「迷惑だ」と一方的に小泉サンが言わんばかりのことは はっきり言って、自分の立場を勘違いしていらっしゃる。 今回の「自己責任問題」の問題の構造は、 権力側を持つもの側からによるもの、という地点でひとつの問題であり、 市民の行動を、権力者の都合で一方的に批判している、 権力者のご都合主義にもっと私たちは敏感になるべきだと思う。 過去の邦人誘拐事件、たとえばコロンビアで矢崎総業副社長が誘拐されたときと 今回の事件を比べてみてほしい。 今回は自衛隊撤退要求があったからこそ、政府はここまでおおごとに動いたわけで 市民はそんな権力者のご都合主義からの発言に左右されてはいけない。 ここで大事なことは、その構造の問題と、彼らの自己責任の問題を きちんと分けて考える必要性だと思うのです。 (危機管理について、危険地域での取材に関しての意見は、 ぼくの今回の論旨としている問題とずれるのでここでは触れない) 権力者のご都合主義というものは まさにアメリカ政府を見ていればわかるもので イラク侵略の理由は、いまだ明確な証拠が示されていない。 (あれだけ明確な言葉を侵略前は並べていた) イラク統治が上手くいかなくなると、あれだけ拒んでいた国連主導に切り替える。 しかも悪の枢軸呼ばわりしていたイランに仲介を頼む。 これは、イラクでの土地に限ったことではなく、またアメリカに限ったことでもなく 冷戦構造下、またそれ以前の歴史においてのあらゆる戦争で、 正義は権力を持つものによって作られてきたのです。 ここで正義についての話をすると長くなるので割愛しますが (アマルティア・センやロールズがこの問題に詳しいです) それらの歴史から学んできた現在において正義とは、 持たざる者の立場に、拠って立つものでなければならない というのがひとつあると思います。 先進国の人間は、やはりこの世界の不平等に関して責任を負わなければいけないと ぼくは、自分の体験の感覚から思うのです。 その不平等の問題を無視して、すべての物事を平等に語るのはやはり欺瞞だと思うし そういった他者に対して無関心な態度は、 自己責任を放棄していることにも繋がってくると考えます。 よって、そのひとがどういう立場から発言しているのかは その言葉から知ることができます。詩であれ、ジャーナリズムであれ、 ぼくは何よりも、その人の言葉の出処を信用できるかできないか、 その出処に関して敏感でありたいと思うのです。 ぼくの個人的な心情としては、今の時代「個人力」というか 個人の力で行動するひとを応援したい。 そういう心意気が今の日本にもっとあっていいのではないかと思うのです。 今回人質になった方5人も、それぞれ違うスタンスを持っていると思うし いろんな考えでイラクに行くひと、留まるひとがいると思う。 自由には責任が常にともなうもので、 その判断は、とくにジャーナリズムなどにおいては、非常に難しいものがあると思う。 ただ、そこに自覚的であれば、たとえ今回のようなことになったって (こういう経験をしたからこそ)今後も、その「個人力」を応援したいのです。 そして、彼らの仕事に対する最終的な判断は、 ジャーナリストならば彼らが伝えた写真なり、文章で、 NGOならば、かれらの持続的活動と支援に関する評価によって それぞれが判断すればいいことだと思う。 それを見ずして、一概に危ない、迷惑をかける、といった理由でひと括りにし すべての活動者を見てしまう言説が、ぼくは気に食わないのです。 そういう、背後や背景を隠し、すり替えてしまうような (特に権力を持つもの側からの)言説に対して、 ぼくは危機感を抱き、ずっと怒っているのです。 危険を冒さなければ、伝わらないこともある、できないこともある。 危険とは、真実を隠そうとする暴力(権力)が働く場所に起こる。 「どんどん個人の力で切り開いていってほしい。そしてそういうひとを応援する心意気を、ぼくは持っていたい」 自己責任論についてとやかく言うつもりはないけれど。 人質になった人たち(主に最初の3人)は、日本という国にもボランティア精神を持つ人がいたことを世界にアピールし、ある意味では、はっきりと日本の国益になっています。ヨーロッパ特にフランスでは、日本にもああいう人がいたのか見直したという意見があるそうです。つまり日本のイメージアップに役立った3人なのです。かたや自衛隊はどうか。イラクに役立つことをしているのは確かなのでしょうが、不幸にも役立つことをしても、現時点では、日本にテロを呼び寄せる可能性を大きくするだけではないかと、私には思えます。自衛隊は日本のイメージダウンにたいへん貢献している。日本は今、いちおう安全なようです。しかし他国に軍隊を送っている現在、この国が確実に安全であり続ける保障はない。保障をなくしているのは自衛隊です。自衛するためにつくられた軍隊が他国に行ってることじたい、ものすごくへんだと私は思うのですけれども。 昨日の朝日新聞夕刊の高橋源一郎「人生相談−どこかの国の人質問題」ものすごく面白かったです。読め。と思ってネット検索したけどネットでは読めない模様。くしゅん。 ペルー日本大使館の時やマニラの若王子さん誘拐事件なども思い出すと、世間の目(あるいはマスメディア)は民間に厳しく、日の丸に甘い傾向がある気がするな。 「わたしたちがイラクに行った責任は日本が取るべきだ!」なんて言っていないので、その意味で自己責任なのは間違いない。しかしながら、「彼らが日本人を誘拐したのはわたしたちの責任だ!」というわけでもない。 えーつまるところ、迷惑論、自己責任論はあんまり論じても意味のない、言葉遊びなんじゃないなかなと。 イラクの人がどう考えているかはわからないけど、銃向けられてウェルカムな人はあんまりいないんじゃないかな。 人質事件に関して、自己責任論を問う論調が、次々に出ているが (政府関係者やおそらく日本人の何割かの人々、そしてここ現代詩フォーラムの雑談スレ5でも) ぼくは、このような言説で、国家がメディアが、ひとびとが ジャーナリストやNGO活動をする個人に圧力をかけることに危険を感じる。 その上、人質の人たちの誹謗記事、狂言説まで主に右寄りのメディアから出てきた。 冷静に彼らの今までの活動を知っていけば、(また狂言のリスクを考えれば) 狂言説がいかに暴力的な言説かはわかるはずだと思うのだが。。。 こういう説が、少しでも相手にされてしまうような環境があること自体 日本のひとびとの価値判断は、危険な状況にあるとぼくは思う。 危機管理の甘さ一辺倒で、このような個人の信念に基づいた活動が封殺されることは 全く間違っている。 危機管理の甘さが問われることと、個人の信念の行動を規制することは またそれぞれ違う次元の話である。 もちろん、危機管理責任は問われなくてはいけない。 しかし、それがイコール「迷惑者」という図式で語られる 事なかれ主義日本の偏狭さよ。 そもそも彼らの責任を問う前に、 この欺瞞に満ちた侵略を支持した、日本政府の責任が問われるべきであり、 ぼくらは、日本の法制下に暮らす市民として、その政府の判断に責任がある。 「イラク(あるいはその他のさまざまな土地)で起こっていること」という麻痺した感覚で、 「具体的なイラク人(あるいはその他さまざまな土地の人)のひとりのひとに起こっていること」 の真実を伝えるために行動しようとするひとびとを、 誰であっても、上のような理不尽な理由で制限することなどあってはいけない。 ぼくは、このぼくらを取り巻く言説の状況に、怒りを感じるし イラクの、そして多くの土地でも悲しい出来事を見る眼を そういうところから閉じてしまっていることに 途方もない情けなさを感じている。 こちらも拘束されながらも真実を伝えようとした ジョー・ウィルディング氏のファルージャでのレポート http://www.onweb.to/palestine/siryo/jo-fallujah.html 三人の人質の方に自己責任とか救出費用出せとかということは本当に平和ボケだと思う。 >>9 佐々さん >日本側が身代金で話を解決したという説もあるようです。ああ真実はわからない。 逆の情報もいちおう載せときます。人質救出の仲介に対し、日本側から金の提供を申し出たという話です。真偽はやっぱりわらかんけど。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040419-00000013-kyodo-int > クバイシ師はこれに対し「われわれと討議すべき問題ではない。われわれは人道的問題を経済問題との引き換えにする気はない。ファルージャへの援助物資搬入を認めるよう米国側に要請してほしい」と告げたという。経済援助を人質解放の取引材料にするかのような日本側の言及に不快感を示した形だ。 なかなか仕事が手につかないまま、僕が一定の信頼をおいているあるネットジャーナリズムから届けられたメルマガを読み返していた。薄く甘い今の日本はいくら無自覚であろうと戦時下にあるのだった。何度も言い聞かせなければ、僕も目をそらしてしまいそうになる。日本の戦後は精算されていない、僕たちはアメリカの柔らかい占領下で生きてきた。そして僕たちは僕たち自身を人質として日本人であること、から目をそらそうとしてきた。それは成功しかけていた。けれどイラクを見ればそこに、かつての日本モデルを応用して占領されようとしているひとつのクニを感じることが出来る。どのような人であろうと、民族、歴史、伝統のはざまから立ち上がってくるクニ、というものから逃れる事は、最終的には、出来ないのではないか。超国家的に見えるグローバリズムは巧妙に言い換えられたアメリカニズムに過ぎない、と見えてきている。フランス革命を源流として民主主義を考えて見た時に、ソビエトが平等を強いるために独裁と個人崇拝に特化した過激な極北の「民主」主義であるならば、アメリカもまた、資本原理主義と多数者の専制とポピュリズムで欲望を謳歌する極南の「民主」主義であり、実は二人はフランケンシュタインのように「人工的な」兄弟なのではなかろうか。ふたつの人工的なイデオロギーの旗のもとでどれだけの血が流されたことだろうか。「民主的なるもの」は、歴史と伝統の英知の中で各々の国民性の底からじっくりと立ち上がるべきもので、流行り病にも似たグローバリズムによってその固有性、地域性、伝統性を焼き尽くすのは愚の骨頂であろう。そして数々の独裁者は、しばしば民主的な手続きの中から大衆の熱狂と人気によって頭角を現してきた、ということに注意すべきように思う。ファルージャに降り注ぐ爆弾は、まぎれもなく、「僕たちの」爆弾でもあるのだ。 “We bomb, they suffer”“They bomb, we suffer”(1) http://www.yorozubp.com/0403/040320.htm “We bomb, they suffer” “They bomb, we suffer”(2) http://www.yorozubp.com/0403/040321.htm 睡眠薬のんで寝ようとしたのですが、全然眠れなくて、布団の中であちゃこちゃしていたらダンナにうるさい猫と遊んでろと言われました……しかし猫も眠り猫状態で遊んでくれないのでなんか書きます。 とにもかくにも人質三人解放のニュースは朗報ですが、まだ全然「解決」してねーじゃんと思いました。すっきりしません。さっぱりしません。誰がなんのために各国の人々(日本人だけじゃないことは各ニュースで報道されてます)を拉致したのでしょうか。武装グループの実態もさっぱりわかりません。要するに私にはまだ全然わからないのですが、ひとつ、解放という朗報のほかに「よかったなあ」と思うことがありました。 人質三名が、もしアメリカの協力により武力行使のうえ解放されたのだったら、私はあんまり解放を喜べなかったのではないかと思います。それでももちろん解放は朗報だったでしょうけれど。解放の理由が、本当に「家族の気持ち」を考慮したものなのか、あるいは「日本国民の抗議」に感じ入ったためなのか、それとも宗教者の説得が功を奏したものなのか。まだ真実はさっぱりわからないのだけれど、朝日新聞によれば「宗教者委の説得奏功 スンニ派最大の指導力、存在感示す」だそう。それが本当のことで、日本人の一部にある「イスラム教こわい」というイメージが少しでも和らいだらいいな、と私には思えたのでした。 もしアメリカの協力で人質解放が実現したのだったら、「アメリカはやっぱり頼りになるねー」ということになったかもしれません。私もTAKEさんと同じく、アメリカはすごい国だと思うのですが、好きではないので、そういう展開はいやだなーと思います。いつだったかチャットで話したことがありました、アメリカは、ドラえもんのマンガの方のジャイアンで(アニメのジャイアンはけっこういい奴なので、それとは違う原作のジャイアン)で、イギリスはスネ夫で、じゃあ日本はなんだろね、と私が言ったら、日本はのび太なんだって言われて笑いました。そんなこといって茶化せる事件では、決してないのだけれど。 朝日新聞「宗教者委の説得奏功 スンニ派最大の指導力、存在感示す」 http://www.asahi.com/international/update/0415/022.html 毎日新聞でも同様のニュースを伝えていました。その記事がいちばん詳しく面白かった。日本側が身代金で話を解決したという説もあるようです。ああ真実はわからない。いろいろ読んでいて思うのは、ひとつの新聞だけ読んでいてはだめ、ひとつの局だけのニュースを見ていてもだめ、ということですね。それから、ニュースを信じるか信じないかは、やっぱり自分の判断で決めるほかない。ニュースは嘘である場合もある。誤報ならばまだよいけれど、意図的に流されたニュースなんぞは私にとって恐怖です。 毎日新聞「イラク人質解放:イスラム指導者仲介が奏功」 http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20040416k0000m030153000c.html ところでニュースの見出しには著作権なしって、最近の裁判結果です。 毎日新聞「著作権:ネットニュース「見出しになし」 読売新聞敗訴」 http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/03/25/20040325org00m300005000c.html ドラマより音楽番組よりニュースとスポーツが好きな、おっちゃん化している佐々宝砂でした。 >日本政府を混乱させた3人の人質事件は、発生から8日ぶりに解決した。(毎日新聞) 無事でなによりです。まだ日本人はそれほど嫌われていないという証拠でしょうか。 イラクの人質が解放されたと『報道ステーション』で聞きました。 良かったですね(^-^)。 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 スレッドを新規に作成したり、コメントを書き込むにはログインが必要です。
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