ニューススレ[23]
04/20 17:00
ワタナbシンゴ

国家、マスメディアといった権力を持つ側が、個人に対して発言するとき
その権力の志向性について自覚的ではなくてはいけないと思うんです。
特に政府はあくまで公僕であって(「お上」なんかでは決してなく)
政府が、市民の権利を侵さない限りで、
市民の安全を最大限保障するのは、当たり前のことであって
「迷惑だ」と一方的に小泉サンが言わんばかりのことは
はっきり言って、自分の立場を勘違いしていらっしゃる。
今回の「自己責任問題」の問題の構造は、
権力側を持つもの側からによるもの、という地点でひとつの問題であり、
市民の行動を、権力者の都合で一方的に批判している、
権力者のご都合主義にもっと私たちは敏感になるべきだと思う。
過去の邦人誘拐事件、たとえばコロンビアで矢崎総業副社長が誘拐されたときと
今回の事件を比べてみてほしい。
今回は自衛隊撤退要求があったからこそ、政府はここまでおおごとに動いたわけで
市民はそんな権力者のご都合主義からの発言に左右されてはいけない。
ここで大事なことは、その構造の問題と、彼らの自己責任の問題を
きちんと分けて考える必要性だと思うのです。
(危機管理について、危険地域での取材に関しての意見は、
 ぼくの今回の論旨としている問題とずれるのでここでは触れない)

権力者のご都合主義というものは
まさにアメリカ政府を見ていればわかるもので
イラク侵略の理由は、いまだ明確な証拠が示されていない。
(あれだけ明確な言葉を侵略前は並べていた)
イラク統治が上手くいかなくなると、あれだけ拒んでいた国連主導に切り替える。
しかも悪の枢軸呼ばわりしていたイランに仲介を頼む。
これは、イラクでの土地に限ったことではなく、またアメリカに限ったことでもなく
冷戦構造下、またそれ以前の歴史においてのあらゆる戦争で、
正義は権力を持つものによって作られてきたのです。
ここで正義についての話をすると長くなるので割愛しますが
(アマルティア・センやロールズがこの問題に詳しいです)
それらの歴史から学んできた現在において正義とは、
持たざる者の立場に、拠って立つものでなければならない
というのがひとつあると思います。
先進国の人間は、やはりこの世界の不平等に関して責任を負わなければいけないと
ぼくは、自分の体験の感覚から思うのです。
その不平等の問題を無視して、すべての物事を平等に語るのはやはり欺瞞だと思うし
そういった他者に対して無関心な態度は、
自己責任を放棄していることにも繋がってくると考えます。

よって、そのひとがどういう立場から発言しているのかは
その言葉から知ることができます。詩であれ、ジャーナリズムであれ、
ぼくは何よりも、その人の言葉の出処を信用できるかできないか、
その出処に関して敏感でありたいと思うのです。

ぼくの個人的な心情としては、今の時代「個人力」というか
個人の力で行動するひとを応援したい。
そういう心意気が今の日本にもっとあっていいのではないかと思うのです。
今回人質になった方5人も、それぞれ違うスタンスを持っていると思うし
いろんな考えでイラクに行くひと、留まるひとがいると思う。
自由には責任が常にともなうもので、
その判断は、とくにジャーナリズムなどにおいては、非常に難しいものがあると思う。
ただ、そこに自覚的であれば、たとえ今回のようなことになったって
(こういう経験をしたからこそ)今後も、その「個人力」を応援したいのです。
そして、彼らの仕事に対する最終的な判断は、
ジャーナリストならば彼らが伝えた写真なり、文章で、
NGOならば、かれらの持続的活動と支援に関する評価によって
それぞれが判断すればいいことだと思う。
それを見ずして、一概に危ない、迷惑をかける、といった理由でひと括りにし
すべての活動者を見てしまう言説が、ぼくは気に食わないのです。
そういう、背後や背景を隠し、すり替えてしまうような
(特に権力を持つもの側からの)言説に対して、
ぼくは危機感を抱き、ずっと怒っているのです。

危険を冒さなければ、伝わらないこともある、できないこともある。
危険とは、真実を隠そうとする暴力(権力)が働く場所に起こる。

「どんどん個人の力で切り開いていってほしい。そしてそういうひとを応援する心意気を、ぼくは持っていたい」
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