ニューススレ[16]
04/19 18:15
ワタナbシンゴ

人質事件に関して、自己責任論を問う論調が、次々に出ているが
(政府関係者やおそらく日本人の何割かの人々、そしてここ現代詩フォーラムの雑談スレ5でも)
ぼくは、このような言説で、国家がメディアが、ひとびとが
ジャーナリストやNGO活動をする個人に圧力をかけることに危険を感じる。
その上、人質の人たちの誹謗記事、狂言説まで主に右寄りのメディアから出てきた。
冷静に彼らの今までの活動を知っていけば、(また狂言のリスクを考えれば)
狂言説がいかに暴力的な言説かはわかるはずだと思うのだが。。。
こういう説が、少しでも相手にされてしまうような環境があること自体
日本のひとびとの価値判断は、危険な状況にあるとぼくは思う。

危機管理の甘さ一辺倒で、このような個人の信念に基づいた活動が封殺されることは
全く間違っている。
危機管理の甘さが問われることと、個人の信念の行動を規制することは
またそれぞれ違う次元の話である。
もちろん、危機管理責任は問われなくてはいけない。
しかし、それがイコール「迷惑者」という図式で語られる
事なかれ主義日本の偏狭さよ。
そもそも彼らの責任を問う前に、
この欺瞞に満ちた侵略を支持した、日本政府の責任が問われるべきであり、
ぼくらは、日本の法制下に暮らす市民として、その政府の判断に責任がある。
「イラク(あるいはその他のさまざまな土地)で起こっていること」という麻痺した感覚で、
「具体的なイラク人(あるいはその他さまざまな土地の人)のひとりのひとに起こっていること」
の真実を伝えるために行動しようとするひとびとを、
誰であっても、上のような理不尽な理由で制限することなどあってはいけない。

ぼくは、このぼくらを取り巻く言説の状況に、怒りを感じるし
イラクの、そして多くの土地でも悲しい出来事を見る眼を
そういうところから閉じてしまっていることに
途方もない情けなさを感じている。


こちらも拘束されながらも真実を伝えようとした
ジョー・ウィルディング氏のファルージャでのレポート

http://www.onweb.to/palestine/siryo/jo-fallujah.html
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