04/24 00:28
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同情は3人に、非難は家族側に。
今回の事件では、3人の家族が後に拘束された2人の家族のような姿勢を取っていたなら、ここまで叩かれたり非難されたりは無かったように思われます。
私自身、この一件を狂言だと信じていたのですが、今にして思えば、露出過剰な家族の姿に不信感を抱いたからだと。
実際には、もっともっと深い何かがあり、色々な人達が、それには気付かずに事件に便乗している状態なんだなと。
例えば週刊誌は、3人の無事がはっきりと分かった時点で「ネットで囁かれる噂」みたいな特集を組んで罵詈雑言を書き散らかしておいては、最後に一言「許せない」などと付け加える手法。日本のマスコミの一番良くない部分が出ていると思います。
当然、共産党・社会党支持の活動家やプロ市民やらも便乗していて、だからこそ、政府与党も良い顔は出来ない。そこからの不満が、自己責任論にも繋がっているのではないかと。
結局、家族側の露出も、便乗のひとつ。(〜が便乗、ではなく、〜に便乗)
何とか助けたいの一心から、上手く乗せられたのだろうか。そこまでは、分からないけれども。
すべての物事には色々な便乗が幾重にも層を成していて、重さに圧し潰された地層は肉眼では捉えることが出来ないくらいの状態にある。ちょっと今回、その圧縮が突発で、皆がその歪みに注目している。
でも、いくら後ろを辿ったところで、自衛隊派兵が悪い→アメリカが悪い→、そこから白人の歴史だとかアメリカ内部の話だとか、逆に変な地層に指を突っ込むだけで、そういった議論をネタに出版したい人が便乗して来るだけ、何も解決されない。
じゃあ、「今後は」どうしよう?「今後を」どうしよう?そういった話になるのがベストなのですが、それが(そうなるように運ぶのが)一番難しいのかもしれませんね。
日清カップヌードルのCMを見ました。国境?がカップヌードルで出来ていて、それを皆で手に取り食べることで、睨み合いが笑顔に変わり、境目も無くなるといった内容。
このCMを作った人は、偉大だと思います。答えにならない答えを、それは希望的観測かもしれないけれど、とても上手く表してくれている。
CMの中で、最初にカップヌードルを拾った少女。答えなんて、きっと、あんなちっぽけなことなんじゃないかな。そんな気がしてならない。