ニューススレ[11]
04/17 02:14
川村 透

なかなか仕事が手につかないまま、僕が一定の信頼をおいているあるネットジャーナリズムから届けられたメルマガを読み返していた。薄く甘い今の日本はいくら無自覚であろうと戦時下にあるのだった。何度も言い聞かせなければ、僕も目をそらしてしまいそうになる。日本の戦後は精算されていない、僕たちはアメリカの柔らかい占領下で生きてきた。そして僕たちは僕たち自身を人質として日本人であること、から目をそらそうとしてきた。それは成功しかけていた。けれどイラクを見ればそこに、かつての日本モデルを応用して占領されようとしているひとつのクニを感じることが出来る。どのような人であろうと、民族、歴史、伝統のはざまから立ち上がってくるクニ、というものから逃れる事は、最終的には、出来ないのではないか。超国家的に見えるグローバリズムは巧妙に言い換えられたアメリカニズムに過ぎない、と見えてきている。フランス革命を源流として民主主義を考えて見た時に、ソビエトが平等を強いるために独裁と個人崇拝に特化した過激な極北の「民主」主義であるならば、アメリカもまた、資本原理主義と多数者の専制とポピュリズムで欲望を謳歌する極南の「民主」主義であり、実は二人はフランケンシュタインのように「人工的な」兄弟なのではなかろうか。ふたつの人工的なイデオロギーの旗のもとでどれだけの血が流されたことだろうか。「民主的なるもの」は、歴史と伝統の英知の中で各々の国民性の底からじっくりと立ち上がるべきもので、流行り病にも似たグローバリズムによってその固有性、地域性、伝統性を焼き尽くすのは愚の骨頂であろう。そして数々の独裁者は、しばしば民主的な手続きの中から大衆の熱狂と人気によって頭角を現してきた、ということに注意すべきように思う。ファルージャに降り注ぐ爆弾は、まぎれもなく、「僕たちの」爆弾でもあるのだ。

“We bomb, they suffer”“They bomb, we suffer”(1)
http://www.yorozubp.com/0403/040320.htm
“We bomb, they suffer” “They bomb, we suffer”(2)
http://www.yorozubp.com/0403/040321.htm
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