ふるる
しばらくお休みいたします。

出すのも自由、何か書かれるのも自由、それで凹むのも自由ということです。

現代詩フォーラムは、詩の投稿サイトなのに全然読まれないというほっとかれ感がすごく好きで、サイトのデザインやシステムも素晴らしいと思っています。ずっとあって欲しいです。片野さん、いつもありがとうございます。


文芸エム13号に……







イラハポ「視線」を掲載していただいております!!ありがとうございます〜!!!

Amazonでも販売しております。

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4年ぶりの同人詩誌『反射熱』13号もよろしくです。




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『さみしさで貧血』少年話者を集めました。書き下ろし4編↓
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『ベストオブにんじん色』不思議テイストを集めました。書き下ろし4編
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『遠くにいる』恋愛詩っぽいものを集めました。書き下ろし1編。
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『彼女は一冊の詩集を抱えて』抒情詩というか心象風景を描いた抒景詩たちです。書き下ろし2編。
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『書くことを恐れてはいけないと誰かが言った』暗めで真面目な詩を集めました。書き下ろし4編。
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近江詩人会の山本英子様より、詩集『花・深い日傘の』を頂きました。なななんと、表紙に私のイラスト(イラハポ)を使っていただいています。





北海道にて詩誌『阿吽塾』を主催されている綾子玖哉様より、阿吽塾の現代詩コンペの選詩集を頂きました。コンペは選外でしたが、表紙に以前作ったイラハポを採用していただきました。
本体表紙(少女)とカバー(少年)となってます。




------イラハポについてはこちら↓-----

言葉とイラストの融合詩イラハポについて|ふるる|note(ノート)
https://note.com/penpenmaru/n/n499a22f5bd74

Twitterアカウント名は@fururuusaです。

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BOOTHという、イラストに特化した販売サイトにて、2010年に自費出版した詩集を販売中です。

詩集『空き箱』



↓こちらにて。
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息子のイラスト集も見てくだせえ。
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2007年頃、サナギという名前でも投稿していました。当時は複数アカウント大丈夫だったので…
男性ぽい話者で書いてみたかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩はいつも時流の先導に立って、来るべき世紀の感情を最も鋭敏に感知するものである。(中略)即ち詩は、発表することのいよいよ早くして、理解されることのいよいよ遅きを普通とする。(中略)
詩を作ること久しくして、益々詩に自信をもち得ない。私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔に過ぎない。
萩原朔太郎詩集『青猫』の序より。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・試験の答案のような作品はまだ作品とは呼べない。なぜなら試験は設問者がいて、彼が考えた問いであり、彼には答えが用意されている。
作品と呼べるのは自分が考えた設問があり、それに自分が答えたものであるはず。


舟越桂著『個人はみな絶滅危惧種という存在』より


プロフィール詐欺と言われたので説明しますと、萩原朔太郎氏のは、そういう詩を目指すという意味ではなく、自分はわけわからない詩をよく書くので「意味わからない」と言われてもめげないようにしよう。という気持ちで揚げています。
舟越桂氏のは、「自分で考えた設問」とは、「自分は本当に何が好きなのか?という問い」だと思っています。私は、「イラハポ」という、言葉とイラストの融合詩というのを考えて追求しています。「試験の答案のような作品」というのは、世間一般で「良い」とされているものを指すのだと思います。でも一通りはそこを通らないと何が好きか嫌いかはよくわからないですが。
とはいえ、ここは何を出してもいい場所なので、上記の文言から外れているようなものでも、好きなように出します。詩集出してるからってこの場所に毎回ちゃんとした詩出さないとだめってことはないと思うけどな。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

過去の活動?

http://po-m.com/forum/profbbs_thres.php?hid=571&did2=360
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホームページ「ふるるの詩の置き場」はソネットのサービスが終了で消えました。。。
https://po-m.com/forum/profbbs_thres.php?hid=571&did2=706



























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ひとことダイアリー(10)

[120]ふるる[2007 06/20 14:36]北大路京介
(下の続き)
私が思うのは、男女入り混じった職場というのは、やっぱ気が散るんじゃないだろうか・・・なんて・・・。下手すると、家族よりも長い時間を共有しちゃうわけですし。職業を性別で分けるのはどうかと思うけど、フロアーを分けてみてはどうでしょうか。。無理だよね。そもそも、性別っていっても男性の中にも女性性が、女性の中にも男性性があるんだし。厳密には分けられない。sage
 

[119]ふるる[2007 06/20 14:07]北大路京介
最新のフェミニズムが男と女に分けて何かを論じているのか、それはもう時代遅れなのかどうかは知らないけど、男女で一緒に暮らして長くなると、どっちがどっちか分からなくなることって多いと思う。外見上とか生理的なものは確かに違うんだけど、それ以外のものは男女の区別がなくなっていく。ただ、どっちかが得意なほう、好きな方へ流れているだけで、性別によって役割が決まっているわけではない。だって日常の事細かなことに、いちいち性別つけてられないもん。できる人ができることをしてるだけだ。(うちは特に・・・私がガサツなもんで)だからそんなに目くじら立てなくても、二人で話し合っていけばいいじゃんと思う。社会が決めたにしろ、本能にしろ、自分の好きな方を選べば。「どっちが何を分担してもいいんだ」ってことだけおさえておけば。桃太郎だのミスコンテストだのは、ファンタジーで、それはやっぱ必要だと思う。ファンタジーをそのまんま現実に適用しようとするのは間違ってるってことだけ分かっていればいいと思うけど。
ただ、社会はまだまだ男性色で動いているから、もうちっと女性色も入れて欲しいですねー。イコール育児休暇や企業保育に力を入れて。イコール女性の身体に合わせた企業組織なり形態なりにしてって欲しいってことなんだけど。難しいよね。女性が近くにいるってことは、オスとしての本能がムラムラというのもありますし、いい方に働けば和気藹々の職場になるけど、そればかりではないでしょうしね。sage
 

[118]ふるる[2007 06/20 13:08]北大路京介
ある経験を経て、私は「AかBか」「正か負か」「善か悪か」という物の見方を捨てました。すべては、自分と、相手や物の関係がうまくいってるかどうかであるし、うまくいかなくても、それはそれで経験値としての意味、考えのとっかかりとしての意味があると。そうすると、何でもありありで、何が何だか分からなくなる時があります。つうか疲れるんですよ。こういう物の見方は。いい時もあるけど。
すると、迷いが生じる・・・何か一つに価値観を絞ってしまいたくなる。すると、すべてがダメに思える時がある・・・そこで一発「Aだろ!」「Bなんだろ!」と渇を入れてもらうと、「やっぱニュートラルでいくわ」となれます。なんか、最近迷いがふっきれた。
ニュートラルな時の判断基準って、「人様のために」だった。結局は「情けは人のためならず」なので。sage
 

[117]ふるる[2007 06/20 00:04]
(画像がありません)
岡部淳太郎さん主催の同人誌「反射熱」第2号です。(実際の表紙の色は一色です・・・)
ポエケットで出店(というのかな)しますので、是非お手に取ってみてください。
宣伝宣伝。
 

[116]ふるる[2007 06/05 23:55]
今やろうとしているのは、書くときの癖を取り除くということ。
書くと、読者受けするようなオチ、比喩、哲学、いい話、を手軽につけてしまう癖がついていると感じ始めたので。(実際どうかは置いといて)
もちろん読者あっての詩だから、読者サービスは下にも置かないおもてなし精神でいかないといけない(と思う)。でもそれは、咥えタバコでするようなもんじゃなく、読者をナメていいってことでもなく、誠実さがなくてはならない。それが読んでもらう時の礼儀だと思うし。詩の神様にも、そうしないといけないぞと思う。そして、読者のためであるけれど、自分の好みからブレてはならない。せっかく自分の理想郷を作るのに、他から流用するような、あるいは安易に手に入れられるような吟味なき材料であってはならない。

なので、最近の詩は味気ない感じになっちゃって。まだオチがついてるけど。まあぼちぼちやっていきます。sage
 

[115]ふるる[2007 06/05 11:31]
もういっこ貼っとこう。有名なラッコのやつ。
なごみますねえ〜
http://www.youtube.com/watch?v=epUk3T2Kfno
sage
 

[114]ふるる[2007 06/05 10:51]
http://www.youtube.com/watch?v=OICSVujrtJU

you tube動画を推薦してみました。
Valentina Lisitsa というピアニストが普段着で。
姿勢とか後ろのカーテンとか、一枚の絵のようだなと思いました。
しかもものすごいテクニックとあの弾き方!ピアノ燃えちゃいそう。
おうちの人が撮っているのか、鼻をすするかすかな音も・・・
それも何かいいなと思ったり。sage
 

[113]ふるる[2007 06/03 00:03]北大路京介
みなさんの作品を読むのは好きです。勉強にもなりますし・・・
でも、落ち込みますねー。読めば毎回です。
トラックマラソン1周遅れ!とか、みんなは頂上にいるのに、まだ三合目!とか、うわさのあの味を体験してないのは、私だけ!
つうか、私が書かなくてもいい人いっぱいいるよ〜!!あっちにもこっちにも〜!
という感じ。

でも、やめられないのは・・・・

Mだ・か・ら♪

いえ、読んでくださる方がいらっしゃる限り・・・

sage
 

[112]ふるる[2007 05/27 14:36]嘉野千尋士狼(銀)北大路京介
↓なんと、謝礼が出ることになったそうです。
ワーイ。
お金も嬉しいけど、みんなが話し合って大事な経費から出すと決めてくれたというのが嬉しかった。苦労を認めてくれたというのが。
sage
 

[111]ふるる[2007 05/24 14:06]士狼(銀)北大路京介
やーーっと終わったーーー!!!
ボランティアで描いていた手遊びその他のイラスト。
100カット以上あった・・・・
燃え尽きた・・・・
もう二度とするもんかー!

はじめは楽しかったんだけどね・・・sage
 

[110]ふるる[2007 05/22 18:26]
もう退会なさっている某さんの詩が、禁止事項に引っかかっていたらしい。
「長期的反復的に同様の趣旨内容の投稿を行っていると判断したものについては」禁止。
むう。
長期的反復的に同様の趣旨内容の投稿を行うことに意義があったのかもしれないんだけどな。
だめなのか・・・・。よそでやれってか。それと退会には関係があるのかないのかは分からない。注意を受けたことについても、また別の理由があるのかな。(私が見たことあるのでは、ある方の詩へのコメントに「適当ですか」と書いていた。人の書いたものに向かって適当だとは、、、コメントの内容について、管理人さんから注意を受けていたように記憶している。もういらっしゃらないので分からないけど。)
なんかいきなり赤い字で「誹謗・中傷が含まれているので、文章直して下さい」と言われて非表示になっちゃったり、厳しくなったですよね。
細かくは面倒見切れない、争いでスレッドや散文カテゴリを邪魔されたくないというのもわかる。片野さんだって暇人じゃないし裁判官でもない。
さくっと勧告・聞き入れなければ削除が一番てっとり早いのは確か。
もたもたしてたら、異論反論がわらわらと出てくる。
うーーん。人が多い場所だから、しょうがないのかな・・・。ここも変わっていくということですよね。
私も全部を知ってるわけでないし、管理人さんの所へ、誰かかから苦情の私信なんかがどのくらい行っていたのかは分からない。
基本的には、ガチガチした管理人さんではないと思っています。sage
 

[109]ふるる[2007 05/18 15:21]すぬかんながぐつ。 
詩でも、日常でも、

すべては言い方ひとつ。sage
 

[108]ふるる[2007 05/17 19:27]
これはみんなが言ってることだけど、数よりも誰がポイントくれたかということが大事。大事というか、気にする。初めて投稿した詩に、初めてポイントをくださったのはたもつさん。ネットの詩を検索して、たもつさんのHPを知って、そこからフォーラムに来て、超ドッキドキで投稿したから、すごーくすごーく嬉しかったです。
(詩が200個くらいたまった時点でほとんどよそに移したのでここにはないです)sage
 

[107]ふるる[2007 05/16 23:09]
私もここに来て詩を書き始めた頃はポイント数を重視していました。だって詩って短歌や俳句や歌詞とは違って、全然ハウツー本とかないし。難しいのを書かないといけないという固定観念もあったし。何がどうなれば詩となるのか、どういうのがいい詩なのか、全然分からなかった。今は、自分なりの基準値がわりとはっきりしてきたからいいけど。しかも、それは詩人が書いた「詩とはなんたらである」という抽象的なことばっか書いてある本ではなくて、記号論の本を読んで分かった。これって自分で考えて考えて、悩んで調べて、基準を決めるしかないのかなあ。どっかにはっきりと書いてあるんでしょうか?sage
 

[106]ふるる[2007 05/16 22:55]すぬかんながぐつ。 
ポイントと言っても、誰にどのくらい読まれるかは運まかせ、(実際、川に笹船を流すようなものでしょう)どんな気持ちでポイント入れたかもよく分からないんじゃあ、作者の書く原動力として捕らえる以外に意味はないと思うけど。実際、嬉しいし、もっと書くよーという気持ちにもなるもん。でもポイントゼロだって、落ち込むことはない。題名にインパクトがないとかで、たまたま誰も読んでないだけかもしれないじゃん。
ポイントの数なんかでは、自分の詩の価値を計れない。その詩が作品として成功しているかどうかは、自分が決めるしかないと思うし、常に満足なんかしてられないと思うし、それができないなら、できるように自分の目を肥やしていくしかないんじゃないかなあ。
あるいは、自分が神様のように思っている作品があって、それに一歩でも近づけたかどうか、とか。
ポイントにこだわりすぎると、書く物が「フォーラム受けする」ものに偏っちゃうと思うし。それが目的ならいいけど。sage
 

[105]ふるる[2007 05/15 09:49]すぬかんながぐつ。 
注意:痒くなるので、アレルギー体質の方はご遠慮下さい。

「胸キュンランド」

私のカレは胸キュンランド
二人で飛び乗る
LOVEジェットコースター
上に下にと大騒ぎ
最後は快楽の池へドボン!
二人で浴びるキラメキ☆シャワー

カレはすごい腹筋を見せて言うの
ハニー、戦いは終わっちゃいないゼ
ヤー!ター!トウ!
カレはわたしの秘密のヒーロー
さあよい子のみんなヒーローショーが
はじまるよ!
おねえさんと一緒に呼んでみよう!
だけど悪者がやってきてわたしをさらうの
ああオトメの大大大大大ピンチ!
(以下略)

昨日からこんなサブイボな詩みたいのが頭から離れません。
どうやら、悪者にさらわれる編、恋のライバル編、カレが浮気!?編、気になるアイツ編、秘密のバレンタイン編、ドキドキバースデー編、プロポーズ大作戦編と続くらしい。
sage
 

[104]ふるる[2007 05/13 12:07]嘉野千尋
ところで、日本語は母音が主体の言語ですが、その音の波形って、自然音の波形に似てるんだって。日本語が人工の音楽ではなく、自然音に近いのなら、川のせせらぎ、梢の揺れる音、風の音、波の音、みたいな感じで朗読なんかを聴いたらいいんじゃないかな。それだと単調なリズムで音で、というのもうなづけるし。sage
 

[103]ふるる[2007 05/13 11:44]
いわゆる難解な詩は、「意味の読解」「作者が何を言いたいのか」という点では理解し難いものもありますが、「リズム、音、見た目、喚起されるイメージ、はっとさせられる」という視点で読めば、日本語が読めるのなら難しいことはないです。
音楽を聴いて「意味が分からない」という人はあまりいませんね。つまり詩も、意味はとりあえず置いといて、音楽を聴くのと同じように流れに身を任せて読んだらいいのかなと。
・・・ということを、「意味の読解という点では難解な詩を書く人」が「詩は好きだけど、なんか難しそうで入っていけない人」にもっと言っていったらいいんじゃないかなと。
思ったり。
あれですよね、国語の授業でさんざん読解をやらされてるから。あれは、「日本語を普通に読む」「こういう風に書いてあったら、普通はこういうことを言いたいんだと分かれ」の訓練、コミュニケーションツールを使う基本的訓練であって、詩を読むのにはあんまり役に立たない。詩を読むと言うことは、正しく受け取るのではなく(まあそれも大事だけど。あんまり曲解しすぎてもどうかと)、自由に作る、その言葉に対するイメージ力がどんだけあるの、ということだから。
sage
 

[102]ふるる[2007 05/12 15:09]
手遊びの〜カットをまだ描いてる〜70カット描いてもまだ終わらない。
同じようなのばっかりで、吐き気が・・・。
sage
 

[101]ふるる[2007 05/12 15:03]たりぽん(大理 奔)



だから暗黒物質だって。sage
 

[100]ふるる[2007 05/11 15:56]
(画像がありません)
りんごっ子sage
 

[99]ふるる[2007 05/05 21:15]
>>98佐々さんへ
そうですね、資料集めをするのは、形や色を参考にしたいというのもありますが、見た時の気持ちを思い出しながら描くと、最後まで楽しく描けます。
片目の少年は片目同盟の文字からふーと降りてきたので描いたんですが・・・。
見たいなー・・・佐々さんのデザイン。
 

[98]佐々宝砂[2007 05/05 20:58]
>>97
絵を描く人もそんなふうにいろいろと下調べというか材料集めをするんですね。
いま贋パルプマガジンの表紙を自分でデザインしているのですが、うまくいかずくさってました。絵が下手だからだよと思っていたのだけれど、よく考えたら資料集めが甘いだけのような気もしてきました。
 

[97]ふるる[2007 05/05 00:15]あおば士狼(銀)


このイラストを描くために、色々なお花屋さんの写真を(隠れて)撮ったなー・・・
と思い出したので。sage
 

[96]ふるる[2007 05/01 16:35]
それで、自分に対してはそういうこと色々思うんだけど、人様の作品に対しては全然思わない。
言ってみれば自分はカレー粉でラーメンを作りたいみたいなことを思っているので、カレー粉でカレーを作ることには何の問題もないです。当たり前のことながら・・・sage
 

[95]ふるる[2007 05/01 15:42]
そんな自分に一言。

か・ん・が・え・す・ぎ。

色々考えてること自体すでに観念の虜じゃないか・・・。

うじうじ考えてるなら書けばいいんじゃよ。sage
 

[94]ふるる[2007 05/01 15:38]
もう少し詳しく書きますと(自分用のメモですが)今のままだと、どうしても「これは自分の言葉なのかどうか」という袋小路に入ってしまうのです。入らなきゃいいんですが、それは自分の性格上の問題か何かなんでしょう。新しい言語を作りたいとかそういう意味じゃないです。観念で書きたくないのに、どうしても書いてしまうところがあって、今の日本語の使い方(常識をベースにして、話し言葉で書く)をしている限りはそうなっちゃう。
起承転結をつけなくちゃ、とかね。
必ず最後は何かで〆るでしょう。そういうのもなんか嫌だけど、書き「始め」があると、最後は「終わり」になっちゃう。
だからって、起承転結が分からないように、言葉をばらばらに配置するのも違う。それは最後にやる小細工だから。
でもって、観念で書くなら、私じゃなくてもいいわけです。
私じゃなくても「桜が咲きました」「桜はきれいだ」「海に行きました」「海はひろいな」と誰でも書けるわけ。いや、それを個人でぐっと深めて、その人なりの感覚で書くのが詩なのかもしれないけど、それは常識ある日本語の人という道を行く限りは常識的なことをついでに言わざるを得ない。はっきり言わなくてもいいんだけど、こっそり言っている部分は必ずある。一般人としての説教みたいな感じのこと、あるいは美しさとは、感動とはこういうものですよ、みなさん。みたいなこと。
ただ、何かをなぞっているだけに思える。
自分で自分の誤魔化しが、見える。
そりゃ、誰だって頭おかしい人が書いてるとは思われたくないものね。
でも、そういう常識ベースの書き方、考え方じゃなく、かつ、変な人過ぎない書き方っていうのが必ずあると思ってる。
とは言うものの、これからは情景詩というのを勉強しようかなと思ってる。矛盾してるかな。
例えば近代文学と心の内面というのは切っても切れないものですが、あれってだいたい後付だよねぇ。誰しも、その瞬間はぽかーんとしてると思う。「〜な気持ちだった」というのは、後から取ってつけたような気持ちのラベリングであって。その、ラベルの種類に不満がある。いや、そのラベルをつけなくちゃいけないような気になっていることが。ラベルにしても、これしかないのか・・・まさか。これだけのはずがない・・・。もっと複雑だし、単純だ。もっと盛り込みたい。あるいは、まったく盛り込まないで、全てを淡々と書ききりたい。sage
 

[93]ふるる[2007 05/01 15:02]
最近、詩への関わり方を変えてみようと思い立ち。
例えて言うなら今までは絵の具、絵筆、紙、はいどうぞ、っていう感じだったのを、粘土とか・・・彫刻とか・・・布とかに変えてみるとか、正面からしか見てなかったのを横や裏からも見てみようかなとか。
今までのやり方が頂点に達したからというのではなく、ありていに言えば、飽きたんだと思う。いや、今の自分の力ではこれはここまでしかいけないな、というのが分かったのかな。sage
 

[92]ふるる[2007 04/27 19:53]
私にとって絵は・・・癒し。幼稚園の頃から桜の花の写真の模写などを描いていた。喘息で苦しんでいる自分を慰めるために。自分の描いた絵に癒される奴って・・・。
音楽は・・・なんか、切なくなる。ピアノで弾いていて、あーもうなんだよー!こんな悲しくするなよーこんちくしょーと想うことが多い。練習は楽しいものじゃなかったし。
本は・・・娯楽。ウキウキ。
詩は・・・まだよく分かんない。sage
 

[91]ふるる[2007 04/27 19:40]
最近絵は・・・描いてます。忙しく。
絵本読み関係で、手遊び歌の図解とか、絵本の絵を新聞紙大に描き起こすとか。60枚も描いたんだよー。今日もまた注文が来て、だいたい50カットくらいでしょうか・・・・
もちろんタダ働き。でもお金もらうと好きなように描けないから、いいの。絵を描いてお金を貰ったのは高校生の頃。知り合いのイラストレーターの方にお仕事を貰った。年賀状のイラストを30カット描いて10カット採用だった。それで、まあ、めちゃくちゃ大変なんだなと・・・分かりました。sage
 

[90]ふるる[2007 04/25 14:13]
お正月に買った洋服の福袋で、春や夏の服も入っていて、その時着てみたら「なんか、ばかみたい・・・」という感じだったのに、今来て見たら大丈夫でした。
不思議だなー
ばかになっちゃったのかしら。
sage
 

[89]ふるる[2007 04/24 00:20]すぬかんながぐつ。 
分からない人には分かるように言ってあげるのが、何かを教える人の最低限の心構えだと思う。
分かってる同士にしか分からないような話をされても、ねえ。
で、「この人はこのくらいまでは分かってるな」っていうことくらい分からないようでは、何かを教えることなんて・・・できないっしょ。sage
 

[88]ふるる[2007 04/19 22:28]
じゃあ、視覚詩は?方法詩は?音響詩や映像詩は?となると分からないけど・・・。
視覚詩は意味が分からないようで、人気はない・・・。人に食べてもらうのに、きれいに盛り付けをしていないってことか・・・。
それは、視覚詩が悪いんじゃなくて、私の書き方が悪いんだと思ってる。
綺麗に生けられた花、ひとりでに咲いている花もいいけど、ゴミ箱に捨てられた花を見てもハッとすることはあるでしょう。
人気は薄くても、意味は分からなくても、ハッとするということを、大事にしたい。
sage
 

[87]ふるる[2007 04/19 22:21]
詩とポエムのことを思うと、抽象主義と写実主義を思い出す。前者は目に見えないものを、後者は見えているものを、描くと言われている。
目に見えないものを描く方が困難に思えるので、抽象主義者は写実主義者を低く見るだろう(かどうかはわからないけど)
けれども、目に見えたままを描く、というのはそれほどたやすいことではない。人間は写真機とは違う。
網膜に映っているものと、脳で再構成された映像とは、違う。
抽象主義者も写実主義者も、実は同じもの(脳内で再構成された映像)を描いているんだろう。
詩とポエムも同じく。ただ、書き方が違うってだけで、脳内で作られた映像なり情感なりに優劣があるわけじゃない。(大人っぽいか子供っぽいかの区別はあるかもしれないけど)ポエムがくだらないという風潮はあるのかないのかはしらないけど、まあ確かに、何にも考えないで、読んでくれる人のことも考えないで書くのは、「料理は人に食べてもらうときはきれいに盛り付けよう」っていう常識の範疇を守ってないってことで、ポエムという形式が悪いわけじゃあ、ない。sage
 

[86]ふるる[2007 04/17 10:19]すぬかんながぐつ。 
昨日、祖父が亡くなりました。
15日に会いにいったのが最後。
ずっと一緒に暮らしていた、私にとっては父のような存在の。
どうか安らかに。
sage
 

[85]ふるる[2007 04/13 13:40]
詩は大昔は、劇だしリーディングだし歌だし物語だし歴史だしだったんですよね。
それがだんだん分化していって・・・・。
今あるのはなんだ。残りカスか。抽出されたエキスか。
じゃあ作家や音楽家や舞踏家や歴史家は、詩の「分家」ってことでいいですかね?
sage
 

[84]ふるる[2007 04/13 13:31]すぬかんながぐつ。 
「詩」というものは「伝達そのものよりも、伝達に鳩や瓶や花束を使うことに気持ちがいっちゃってるもの」であると私は認識しているのですが、もちろん伝達の内容も重要です。それがなきゃ始まらない。でもって、あなたが欲しい。だけならいいけど、それは相手に向かって直接言えばいいだけで、わざわざ瓶に入れて流してどうする、つまり詩の伝達事項にはならないと私は思っています。伝達事項になるのは、「私はあなたが欲しいと思ってこんなに悶絶しているんですよ、みなさん」というようなことでしょう。しかしそれを正確に伝える手段が、この世にはあんまりない。愛なら花束でいい。でも悶絶は・・・?中には、そもそも、悶絶しているのは「私」の理性か本能か?社会にイデオロギーに踊らされてるだけじゃないのか?そもそも、伝達手段として使われる言葉とは何なのか?などとと悩み始める人も・・・・いる。そして言葉じゃだめだと悟り、絵や音楽や踊りや演劇に行く人もいるだろう。sage
 

[83]ふるる[2007 04/13 13:05]
そうなら、「ポエム」は詩を読んだことない人にもちゃんと意味が分かるものだし、そうでなくてはならない。逆に「詩」は詩を読んだことない人だと比喩とかの詩のきまりを知らないわけで、意味がよく分かりませんとなるだろう。
花束=愛の告白、という決まりを知っていなければ、「何で花なんかくれるの?意味わかんない」ってなるのと一緒で。
ラブレターには「詩」を書かないようにね・・・意味わかんない人多いから。sage
 

[82]ふるる[2007 04/13 13:01]
思うに、「ポエム」は「メッセージの伝達」が目的で「詩」は「伝達に鳩を使うか、瓶に入れて海に流すか、はたまた花束に託すか」が目的なような気がするなっと。直接「好き」と言うか、そんな一言じゃ言い表せないから花束に託して、という違いかな。前者は伝達についてあまり悩みがないタイプ(言いたいこともシンプルで、きちっと伝わる自身がある、伝わらなくてもいいやと思える)、後者は伝達について結構悩むタイプ、(言いたいことは複雑で、きちっと伝わる自信がない、またはきちっと伝えないと気がすまない)とも言えるかな。
「ポエム」は「甘いメッセージの伝達」が目的だとしたら、「かわいいイラストつき」や「少女漫画において何かを言うために」使われるというのが分かる。恋にトチ狂った乙女が書くのは、この切ない想いを伝えたいということであって、鳩や瓶や花束はどうでもよいわけで。sage
 

[81]ふるる[2007 04/13 12:41]
少女漫画では「ポエム」は永遠のお笑いアイテム。昔は平気でポエムを入れていたくせにー!
いや、でも、最近読んだ「満月をさがして」はポエムのような歌詞満載の漫画でした。七五調も健在で。
意味不明だったのは「小鳥のパイの近道とか」という文。
小鳥のパイって・・・ヒナ鳥のパイかなぁ・・・その近道って何だろう。sage
 

[80]ふるる[2007 04/13 11:24]石畑由紀子
ところで、
画家、作曲家、作詞家、舞踏家、作家、小説家、とみんな家がつくのに、なぜ詩人や歌人は詩家、とか作歌家、じゃないんだろう・・・。
家出人、苦労人、旅人、などの仲間なのだろうか・・・・?sage
 

[79]ふるる[2007 04/04 17:08]
もちろん絶対に体験も想像もできないからって、手を差し伸べてはいけないということじゃない。でも最低限の礼儀として、「この私のしょうもない手を差し伸べさせて頂いてもよろしいですか?」とは聞くべきだろう。そして援助したということを、ことさら褒め称えるべきじゃないだろう。それは、誰に強制されたわけでもなく、本人がただやりたいことをやっただけなんだから。歌いたいから歌った、くらいのものでしょう。傍から見たら「私にはできないわ」ということでもね。sage
 

[78]ふるる[2007 04/04 17:05]
よく、「食べ物が充分にない子もいるのよ」と言って食べ残しをさせないようにするけど、それって傲慢だなーと思う。
そいうい子の気持ちになることは絶対にできないし、絶対にできないことをさせようとすることや、想像でその子の気持ちになろうとするのは、とても失礼なことじゃないかと。全然違う気持ちかもしれないのに、ぬくぬくとした部屋で「こうじゃないかな」なんて考えるなんて。迷惑だよね、きっと。sage
 

[77]ふるる[2007 04/04 17:00]すぬかんながぐつ。 
残念なことに、人は既に持っているもの、苦労なくして手に入れたものについては、ありがたみや持っている幸せを感じることができない。
服を着ること、食べること、トイレに行くこと、全部何百回も根気良く教えてもらって習得できたことなのに。
言葉、食料、全ての原料、自分で作った物は1つもなく、全部与えられたものなのに。
口では感謝を言うことはできるけど、苦労して手に入れたのと同じような気持ちを、実感はできない。絶対に。sage
 

[76]ふるる[2007 03/30 22:42]
また推薦してみたyou tube。
アイスダンスのマリナ・クリモワ&セルゲイ・ポノマレンコ組。92年のアルベールビルで金メダルを獲った演技。
やー、今見ても美しい。そしてずっと動いてる。どれだけ大変か。なのに指先まで優雅〜
http://www.youtube.com/watch?v=UIaWf7_X3M8
sage
 

[75]ふるる[2007 03/30 13:34]
経験を重ねることでしか分からないことがあります。

自分の限界値。

がんばっていい時と、がんばったら折れる時、それが分かると結構楽です。
でも、何回か折れてみないと分からないんだなーーー
でも、折れるのを怖がっていたら、ここまではいける、という距離が分からない。それももったいないしね。
あと、折れてもいいからがんばる時、というのもたまにあって、その場合は折れた時対策というのを立てておけるし。そうこうしているうちに、前はだめでも、数年たってからだといける範囲が広がっていたりして。限界値を知ってもそれはストッパーじゃなくて、あくまでもめやす、越えたい目標値、ですね。
sage
 

[74]ふるる[2007 03/29 00:41]
you tubeの映像を推薦できるようになりましたね。ある方に教えて頂いた、リトルガールジャイアントを推薦してみました。
もうかなり有名なのかな・・・?sage
 

[73]ふるる[2007 03/28 20:16]
私は全然恋愛というものをしないたちで、結婚はしないんだと思っていました。25歳になるまで。
今、ベッドが二つ並んでて、いっつも隣にねむる人がいる不思議さありがたさよ。
ちなみに両親は私が7つの時、結婚13年目くらいで実質離婚しちゃったので、それは越えたい・・・。今のところは大丈夫そうだけど。離婚が悪いとは言わないけど、子どもが親を、パートナーの代わりに支えなきゃいけなくなるからね。sage
 

[72]ふるる[2007 03/27 00:49]銀猫
何でもかんでも作者の本気の本音と思っていたら身が持ちませんよね。
でも、話法や言葉使いというのはある種の「覇権を有する」わけで、読んでいる人はその「覇権を持つ者になりきる」か「覇権を持った者に何か言われている」の思い込みから逃れることは難しい。そのことを知っていないと、特に。
つまり「お前らはクズだ。」と書いてあったら、「自分のことをクズと言われたんだ」とほぼ自動的に思ってしまう。
これが女言葉で「あなたがたはクズですね。」だった場合は、また印象が違うし、(多分、この女何をヒスってるんだ、または、女の私は言われてる対象じゃないわね、という印象だと思う)
「そなたたちは、クズじゃのう(笑)」だったら、一緒に笑うこともできる。
作者がそれを知ってその話法を駆使するか、間に「これは虚構ですよ」とそれとなく入れておくか。
は、何を言いたいかによると思うけど。

実際には、本気の本音なんて、自分ですら本心なのかどうかよく分からないし、信じている者同士でも(演技や遠慮が入っちゃうから)滅多に聞けないんだけど。sage
 

[71]ふるる[2007 03/24 23:49]
ああ、つぶやきを読んで下さる方がいて。

ありがとうございます。sage
 

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