ふるる
しばらくお休みいたします。

出すのも自由、何か書かれるのも自由、それで凹むのも自由ということです。

現代詩フォーラムは、詩の投稿サイトなのに全然読まれないというほっとかれ感がすごく好きで、サイトのデザインやシステムも素晴らしいと思っています。ずっとあって欲しいです。片野さん、いつもありがとうございます。


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イラハポ「視線」を掲載していただいております!!ありがとうございます〜!!!

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近江詩人会の山本英子様より、詩集『花・深い日傘の』を頂きました。なななんと、表紙に私のイラスト(イラハポ)を使っていただいています。





北海道にて詩誌『阿吽塾』を主催されている綾子玖哉様より、阿吽塾の現代詩コンペの選詩集を頂きました。コンペは選外でしたが、表紙に以前作ったイラハポを採用していただきました。
本体表紙(少女)とカバー(少年)となってます。




------イラハポについてはこちら↓-----

言葉とイラストの融合詩イラハポについて|ふるる|note(ノート)
https://note.com/penpenmaru/n/n499a22f5bd74

Twitterアカウント名は@fururuusaです。

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BOOTHという、イラストに特化した販売サイトにて、2010年に自費出版した詩集を販売中です。

詩集『空き箱』



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息子のイラスト集も見てくだせえ。
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2007年頃、サナギという名前でも投稿していました。当時は複数アカウント大丈夫だったので…
男性ぽい話者で書いてみたかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩はいつも時流の先導に立って、来るべき世紀の感情を最も鋭敏に感知するものである。(中略)即ち詩は、発表することのいよいよ早くして、理解されることのいよいよ遅きを普通とする。(中略)
詩を作ること久しくして、益々詩に自信をもち得ない。私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔に過ぎない。
萩原朔太郎詩集『青猫』の序より。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・試験の答案のような作品はまだ作品とは呼べない。なぜなら試験は設問者がいて、彼が考えた問いであり、彼には答えが用意されている。
作品と呼べるのは自分が考えた設問があり、それに自分が答えたものであるはず。


舟越桂著『個人はみな絶滅危惧種という存在』より


プロフィール詐欺と言われたので説明しますと、萩原朔太郎氏のは、そういう詩を目指すという意味ではなく、自分はわけわからない詩をよく書くので「意味わからない」と言われてもめげないようにしよう。という気持ちで揚げています。
舟越桂氏のは、「自分で考えた設問」とは、「自分は本当に何が好きなのか?という問い」だと思っています。私は、「イラハポ」という、言葉とイラストの融合詩というのを考えて追求しています。「試験の答案のような作品」というのは、世間一般で「良い」とされているものを指すのだと思います。でも一通りはそこを通らないと何が好きか嫌いかはよくわからないですが。
とはいえ、ここは何を出してもいい場所なので、上記の文言から外れているようなものでも、好きなように出します。詩集出してるからってこの場所に毎回ちゃんとした詩出さないとだめってことはないと思うけどな。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

過去の活動?

http://po-m.com/forum/profbbs_thres.php?hid=571&did2=360
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホームページ「ふるるの詩の置き場」はソネットのサービスが終了で消えました。。。
https://po-m.com/forum/profbbs_thres.php?hid=571&did2=706



























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[70]ふるる[2007 03/24 17:31]石畑由紀子
結局、「自由にしたい」「自由に生きたい」というのは、何も逸脱したいとかルールを破りたいとか言うわけじゃなく、「自由にするというルールに従いたい」ってことなんだなー。まるで好き勝手とか、伸び伸び晴れやか〜というイメージだけど、そうでもないっすよね。
「自由にする」ルールこそ、どんなルールよりも厳しく、難しく、強固であるという気さえしてきますよん。自由にしすぎたら牢屋に入れられちゃうし、牢屋に入らないためにはルールを良く知って、頭をフル回転させなきゃいけない。
とか、「自由にしてる」人を見ると、なんか色々邪魔しようとする人が多いから、邪魔が入らないように考えないといけない。
親が「自由嫌い」だったので、何とか合法的に家を出る方法はないかといつも考えてました。追いかけてこられたり、毎日電話されたりしたら面倒だし。
私はわりと、「自由に書く」を信条としていますが、ある意味「厳しいルールに従って書く」と同義です。sage
 

[69]ふるる[2007 03/24 16:58]
自分の幻想の城だって。
自分が一体何でできているかと言いますと?
自分は元からある言葉を借りて生きている。
元からある価値観にさらされて生きている。
元からあるシステムに従って生きている。
自分の格好や反応は誰かの反応に照らし合わせて作られている。
自分の好みは外部のものを見聞きして作られている。あと本能か。
じゃあ自分の幻想のお城は、元からあるものや外部のものを寄せ集め、システムに合わせ、誰かの反応に合わせた結果に他ならず。
逸脱なんて、どんなに頑張ってもできようがなく、元からあるブロックで、設計図どおりに何かを作っているだけなのかも・・・。
そんならそれは、私と、あなたと、彼と、彼女と、彼らと、みんなが住める、お城に違いない。sage
 

[68]ふるる[2007 03/22 00:13]佐々宝砂
幻想の共有ということを考えていたら、奇しくもある方がそのようなことを投稿していらっしゃる。そうであってもなお、ここに投稿し、い続けるか。あらたなる幻想共有の場を求めて、模索するか。そもそも、幻想と分かっていながら続けていけるのか。
いける。
幻想こそが現実だから。たとえ私しか住めないようなものでも、自分の幻想の城を築きたいと思う。sage
 

[67]ふるる[2007 03/21 00:15]
時々、こんな風に感じることがあります。
前歯が奥歯で、奥歯が前歯。目は後ろについていて、後ろ向きでパソコンを使っているって。もちろん右左も逆。
えーと、歩く時は、後ろに向かって歩けばいいんだよね、などと思う。変かな。変だよねえ〜。sage
 

[66]ふるる[2007 03/17 00:08]
どうも自分には物事をニヒルに考える癖があるようで。
もっと人や言葉の力を信じよう。
何度裏切られても気にするな、という話はどなたから聞いたのでしたっけ。
sage
 

[65]ふるる[2007 03/16 20:57]
起承転結がある物語風や気持ちを歌う詩やお説教風というのは伝統という気がします。もちろんそこにも詩は宿る。
そうじゃない印象を述べた詩というのはまだ新しい・・・のかな?
私はどっちかと言うと印象詩が好きなんだな。
印象って人それぞれだから、音楽を聴いて「これは赤だね」「いやレモンの匂い」「女性の髪の肌触り」まあ色々です。
印象を持ち、述べるだけではだめだ。音楽を聴いた印象を述べるなら、それをじーっくり観察し、もう一度そこからその音楽が立ち上るようでないとだめなんだ・・・。いやだめってことはないか。sage
 

[64]ふるる[2007 03/16 11:41]
字ばっかり・・・・

自分用のメモです。

ああ、つぶやきにお星様。ありがとうございます。
 

[63]ふるる[2007 03/16 11:33]北野つづみ
夫婦の会話って、その幻想を共有していくのが目的なんじゃないだろうか。
違う人間だから、全てが違うんだけど、「これについてはこれで行きましょう」って合わせていく。例えばダンナはプールや温泉が大嫌い(きもちわるいんだって)で、私にはどうしてもその感覚が分からないんだけど、(自分だって汚いじゃんと思うから)色んなたとえ話をしてもらって、まあ「分かったつもり」にはなって、プールとか温泉はあんまり行かないようにしようね、となっているわけ。めんどくさくもあり、面白くもあり。
sage
 

[62]ふるる[2007 03/16 11:19]
コミュニケーションにしろ、何かを読むにしろ、すごく複雑で矛盾なことをしているんだと思う。
まずは、「この言葉はこういう意味に違いない」という定義をしっかり作り(本当は定義なんか曖昧なんだけど)、「こういうことを言っているに違いない」と解釈する(それは想像の域を出ていないけど)ということをしている。感じ方も考え方も全く違うのに、「この人の言っていることは私がした解釈と同じだろう」と思い込む。それは神様を信じるがごとく強固に。なのに同時に「人それぞれで感じ方は違う」ということも信じている。信じる度合いは違うけど、自分と全く同じ人間がいないということはみんな分かっている。
ある所では「同じだろう」と思いある所では「違うだろう」と思う。同じならやっぱりな、だし違ってもやっぱりな、だ。同じで違う。いや、同じってことは本当はないのかな。一応そのルールに従いますよ、ってことで。鬼ごっこのルールに従っているということだけは同じだけど、あとはばらばらだ。
しかし、鬼ごっこを「楽しむ」というルール、これは誰かが決めたのじゃなくて、わりと本能的な喜びから来るんじゃないかな。
食事を共にすれば、「美味しい」は同じで、「やっぱり同じ」ということが分かる。だから、好きな人とはご飯食べたい。
結局、コミュニケーションできた、読めた、理解できた、解釈された、読み込んでもらった、というのは全て思い込みなのかもしれない。みんながその思い込みを信じて生きている。「あなたと私は同じである」という幻想を。あるいは、「違う人間なのに分かり合えた」という幻想を。私は、自分の脳内で作り上げた幻想の中で生きているのかも。別にいいけど。sage
 

[61]ふるる[2007 03/16 09:00]
自分が感じている「わたし」という感覚は、日々繰り返される他人との言葉や感覚の違いについての修正やすり合わせをしていく時、頭がおかしくならないための、帰って行って休む場所なんだと思う。そこで、自分自身と呼べる何か、思い出なりお気に入りなり本能が満たされた充足なりに浸る時間が長い間ないと、脳はショートするんじゃないだろうか。アメリカ人が自己主張が激しいというのは、色々な価値観や言葉の中で、自分を見失わない(ショートしない)ための防御策なんだろうなー。逆に日本は表面上は同じをふるまうのが上手だから、あんまり疲れない。深く付き合えば全然違うって分かるけど、とりあえずは同じを演ずる。面白いのは、触れ合っても混乱だけど、まったく触れ合わない独房みたいなところでも混乱しちゃうんだろうということ。一定の振動がないと定位置にいられないボールのような。振動がありすぎでもだめだし、なさすぎてもだめ。sage
 

[60]ふるる[2007 03/16 08:39]
言葉って、不確かなものだと思っていたけど、最も不確かなのは個人個人の感じ方や考え方で、言葉はそれを固定することができるんだなー。なんか不思議。言葉という曖昧なものが(「みかん」が「めかぽ」ではいけない理由はなく、何かの理由である日突然そうなるかもしれない、音や文字や意味が永続すると言う保障はどこにもない)、感覚や思いという曖昧なものを名づけ、固定し、みんながあいまいなルールにのっとってそれを使っているというのが。
それはもう何千回と繰り返される修正とすり合わせの毎日だろう。sage
 

[59]ふるる[2007 03/16 08:34]
「意味が分からない、もっと分かりやすく」VS「読み込む能力がないのだ」というのは要するに「慣れてない人」VS「慣れてる人」ということなのかもしれないな。どっちかだけというのじゃなく、どっちの傾向が強いか、というだけの話だと思うけど。sage
 

[58]ふるる[2007 03/16 08:31]
「自由」というのは、私の場合は受動的か能動的かという比較があって、能動的な場合に「自由だった」と思う。それは癖みたいなもので。もちろん、突き詰めれば人は本能や無意識下の情報などによって支配されているから本当の「自由」なんてないわけだけど。
支配されていて、それが嫌だった人は「能動的」というのを好むだろうし、放っておかれて構われたい人は「受動的」というのを好むだろう。多分。
「能動好き」だったらより読解を必要とする難解と言われるものを好むだろうし、「受動好き」だったらライトなものを好むだろう。どっちがいいという話じゃなく。
とはいえ、基本的には何かを知覚するというのは脳が行っている能動的な行為だ。だからして、一見受動的に見えるというのは、ぼんやりしてるっていう意味じゃなくて、意識的に「受動」を選び、「人に合わせる」を選んでいるのだと。
そう考えると、受動と能動にさほど違いはないみたい。ただ見た感じが違うってだけか。それが読むものの好みに反映されるかどうかは、勝手な結びつけだったかな。むしろ、慣れている人はより難しいものを好むようになるってだけの話か。sage
 

[57]ふるる[2007 03/12 16:48]
本屋で「トワイライト」(ステファニー・メイヤー著)というのをパラっと立ち読みしたら・・・やめられない止まらない・・・なのにどうして、4巻だけがないじゃないの〜!
気・に・な・る!愛した人はヴァンパイヤということで、少女漫画のノリだけど。
sage
 

[56]ふるる[2007 03/10 17:50]
情報や意味は我々に伝えられるのではない。我々はコードや慣習の複雑な相互作用により、積極的に作り出す。
http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/index.html(初心者のための記号論「はじめに」より引用です)

「積極的に」かな?「受動的、自動的に」じゃないのかな。詩の特殊な言語の結びつきや比喩は、「受動的、自動的に」を阻止するけれども。
私達ははじめから意味を共有しているわけではない。伝えたいという気持ち、伝えられたいという気持ちあってこその、意味の伝達。
受けてが、積極的に意味を作り出し、伝えられたと思わせる何か。何かってなんだろう。。。sage
 

[55]ふるる[2007 03/07 21:28]
(画像がありません)たっち

お友達に描いてって言われて描いたもの。
何かに使うんだそうで・・・sage
 

[54]ふるる[2007 03/07 21:27]
(画像がありません)はいはい
 

[53]ふるる[2007 03/07 21:27]

おすわり
 

[52]ふるる[2007 03/07 21:27]
(画像がありません)ねんね
 

[51]ふるる[2007 03/05 22:40]
C言語で詩を書いている方がいらっしゃる。
すこうし調べたら、ヌル文字なるものが。ヌルって。しかもヌルとは「空欄の値。ゼロではなく、なにもない(空値)こと。」だって。うわぁ怖い。こんな怖いことよく普通に書けますねぇ。なにもないこと。なんて。こわーい。嫌だー。ヌルには罪はないけれど。コンピュータのすごいところは「はいここまでで終わり。何もなしね。」と言われたら本当に何もないという世界がそこにはあり、それでも怖くもないし、何の疑問も持たないことでしょう。わかんないけど。怖いのは私だけか。アホか。sage
 

[50]ふるる[2007 03/05 22:07]
職人と芸術家ということもよく考える。画家バルテュスは「私は芸術家という言い方が嫌いだ。自分は職人だと言いたい」と言っていた。多分、表現ばっかり気にして、観る人のことを考えてないという意味での芸術家と言っているんだと思う。詩人田中冬二は言いました「詩は芸術であって、職人芸であってはならない」と。多分、ルーチンワーク的にもう分かった手順で何かを作るという意味で職人と言ったのだと思う。やはりでも、どちらも極めていけば職人は芸術家に、芸術家は職人になっていくだろう。謙虚さが素晴らしいものを生み出していくという意味で。道の追求が、全ての癖を知り尽くすようになっていき、完成された型、色、音、の無駄なき発露になっていくという意味で。(真面目モードだなー)sage
 

[49]ふるる[2007 03/05 13:54]
絵本を読む会ですら、伝えることと表現ということは言われる。
「このお話面白かった」はいいけど「このおばちゃんのお話面白かった」はダメなんだって。
つまり、お話の面白さを伝えるのが目的で、おばちゃんがいかに面白く表現できるか、は二の次だと。
でも、伝えることと、表現。これって相反するものかと思っていたけど、そうではないみたい。
つまり、伝えることを一生懸命やると、それがその人独自の表現という風になっていく。
職人さんが、使う人のために一生懸命になると、やがて芸術の域へ達する、というのに似ているかも。あるいは機能的なものほど美しいとか。伝えることと表現と、アプローチはどっちからでもいいんじゃないだろうか・・・。いつかはドッキングするんじゃないだろうか・・・。sage
 

[48]ふるる[2007 03/02 22:12]
でも、伝わる伝わらないっていうのは受け取る側の状態によりけりだと思うけど・・・。
状態いかんにかかわらず伝わるもの、人と人とを電線のようにつなぐものを後世に残る芸術というのかもしれないな。
ベートーベンは「わたしの音楽は貧しい人にこそ必要なのです」と言いました。
ベートーベンを聴いて死ぬのを止めたという人の話を3例ほど聞いたことがある。sage
 

[47]ふるる[2007 03/02 22:06]
そして伝えたいことというのは突き詰めたら自分の主義主張なんかではなく、できればこの発見、この喜び、この嬉しさ、このつらさ、一緒に体験したいんですが・・・というような、手をつなぎたいという気持ち、他のシナプスと繋がりたいという生物的な欲求なのだと思う。sage
 

[46]ふるる[2007 03/02 22:04]
ほんとうに伝えたいことがはっきりとあるとして。
伝えるために四苦八苦するべきであって、自分自身の表現、表面的な満足を得るために四苦八苦するべきではないのかも・・・。
そして、伝えるためには直接的な言葉は必ずしも有効ではない。
百の言葉を尽くすよりも、ただだまって側に座っている方が伝わるということ、多いもん。無言でやるものを有言でやることの難しさよ。
謙虚さと読者や鑑賞者への愛情なくしては、何も伝わることはないだろう。
なんつって。sage
 

[45]ふるる[2007 03/02 21:59]
「オルセー美術館展」に行ったら、入場するだけで40分近く待たされた挙句、絵なんか人だかりで全然見れないし・・・・人ごみの毒気(失礼!)がすごすぎちゃって(失礼)ダメでした。
それで、気を取り直して隣の普通の人が出品できる「日本アンデパンダン展」に行って、ガラ空きの中をぷらぷらと楽しんでいたら、(5階分も見る所があった)話し声が。

「いや、言いたいことは分かるけど、もっと消化しないとダメだよ。最初のイメージをひねってひねって、それで出さなきゃあ。」
ふんふん。
「小さい方がいいよ。大きいと、表現にばっかり目がいくし、自分もそっちばっかりになるから、ほんとうに伝えたいものが伝わらない。」
ほほう。

見ると、話している二人は先生と生徒さんというおもむき。先生は真っ白な髪とひげから察するに70代、生徒さんは60代と見た。
このお二人さんは話し方といい歩き方といい、若々しいんだわ。

どなたかは存じませんが、勉強になりました。
 

[44]ふるる[2007 02/28 15:19]
http://butlers-cafe.jp/
執事喫茶というものがあるらしく。
覗いてみたらば、日誌がありまして。
すごいなー
よく書けるなー
面白いなー
sage
 

[43]ふるる[2007 01/30 23:22]


光るトイレ…未知との遭遇。
 

[42]ふるる[2007 01/30 18:48]士狼(銀)
心の病とか言わないで、魂が拗ねちゃってるって言うのはどうだろうか・・・。
拗ねんぼうの魂はいたずら好きで・・・・
えーい眠れなくしちゃえ〜食べれなくしちゃえ〜
クク、困ってる困ってるヤーイヤーイ。
なんて・・・。
案外、本人の苦悩、身体の苦痛とはうらはらに、魂はすっごく意地悪な気持ちでウキウキしちゃってるんじゃないだろうか。
 

[41]ふるる[2007 01/30 13:55]水中原動機
魂っていつまでたってもヒヨコって感じがする。だからショックを受けたりしたら、ほっておいたらかわいそう。いつでも、よしよしってしてあげるのは自分しかいない。
仕事が忙しかったりすると、うえーんご飯食べてないよー遊んでないよーもう・・・やる気出してやんなーい。プイ。となっちゃって、その後は大変。中々ご機嫌を直してくれない。ほーら、前好きだった映画だよー。プイ。ほーら、美味しいご飯だよー。プイ。
 

[40]ふるる[2007 01/30 13:54]
心と身体はすごく連動している。心が疲れているなら身体も疲れている。でも心の疲れって気づきにくい。限界まできて、身体がもうだめじゃ〜となって初めて気が付いたり。歩くっていう行動で心が歩き出すということも中にはある。心じゃなくて魂か。魂ってものを意識したらいいんじゃないかと思う。魂も眠るし、ご飯食べたいし、遊びたい。身体だけ眠って、ご飯食べて、遊んで、じゃだめなんじゃないかな・・・・。
 

[39]ふるる[2007 01/10 23:52]
最近あまり歩いてないな・・・
 

[38]ふるる[2007 01/08 15:57]
昨日は美術館に行って来ました。
マチスの「ジャズ」というマチス直筆テキストつき画集の絵が展示してあって、テキストはマチスおじいちゃんから若き芸術家への進言が色々と。
「名声の囚人・固定したスタイルの囚人であってはいかん」とか「謙虚に謙虚に」というようなことが書いてありました。「昔の偉大な日本の芸術家は名前を何度もかえたそうだが、彼らは自由でありたかったのだ」とも。偉大な芸術家って誰?写楽とかかな?
 

[37]ふるる[2007 01/05 01:44]砂木
(画像がありません)
同人誌「反射熱」の表紙の絵です。
アラゴナイトという鉱石です。
同人誌の詳しくはこちらへ。
http://po-m.com/forum/hami.php?did=4125
 

[36]ふるる[2006 12/22 14:49]砂木木立 悟
何かのきっかけでまた、悲しみを強く感じるけれど、嬉しいことも思い出します。心配して、声をかけて下さった方。とても優しい言葉。再び「ありがとう」を言わせてください。
 

[35]ふるる[2006 12/22 09:09]
「イーオンフラックス」をDVDで観ました。黒いライダースーツの女戦士ってもう見飽きた・・・。不二子ちゃん、キャットウーマン、マトリックスあたりでもういいじゃないか。次はピンクでお願いします。衣装はおしゃれでよかったですが、実験室が漫画っぽくて笑えました。あんな実験室じゃあ治療薬開発に400年かかるのもうなずけます。日本やアジアのテイストが入っているのはブレードランナーへのオマージュですかね。
 

[34]ふるる[2006 12/05 00:00]PULL.



サンタさんに何たのもっかなー
 

[33]ふるる[2006 12/05 00:00]たたたろろろろ銀猫



だっこしろーー
 

[32]ふるる[2006 11/17 11:12]佐々宝砂



魚・・・
 

[31]ふるる[2006 11/14 09:31]砂木木立 悟PULL.


実りの・・・
 

[30]ふるる[2006 11/13 15:09]砂木
いつも途中で読むのをやめてしまう「カラマーゾフの兄弟」を新訳版で読んでいます。順調です。新しいので、ページがしっかりくっついていて、開くたびにぺりりり・・・と音がします。
 

[29]ふるる[2006 11/10 23:55]嘉野千尋砂木たたたろろろろ銀猫士狼(銀)



魚を描いても頭は・・・よくならないです

いつもお星様をありがとうございます。
 

[28]ふるる[2006 11/09 09:49]佐野権太砂木PULL.石畑由紀子たたたろろろろ銀猫士狼(銀)


ミュシャが好きだった頃の。
 

[27]ふるる[2006 10/30 19:06]嘉野千尋砂木PULL.石畑由紀子たたたろろろろ銀猫


むかーし描いたものです。クリムトが好きで・・・クリムトの映画やるそうですね。
 

[26]ふるる[2006 09/17 15:28]PULL.砂木ルナク佐野権太木立 悟銀猫
ぼちぼち復活しました。
 

[25]ふるる[2006 09/07 21:04]砂木PULL.
またしばらくお休みします。
ご心配には及びません。
 

[24]ふるる[2006 09/06 19:39]
銀猫さん〜♪
わーいわーい
うっれしっいな〜♪
 

[23]銀猫[2006 09/06 19:38]
お月見のうさぎちゃんが可愛い〜♪
すごく可愛い〜♪
 

[22]ふるる[2006 09/05 23:16]嘉野千尋たたたろろろろ


おだんご。
 

[21]ふるる[2006 09/05 23:07]砂木


月見ってことで。
アンダーワールドという映画を観ました。
画面が暗くて、みんな黒装束で、分かりづらかった・・・。2も観ないと。
しかし女は強し、ですなあ。
 

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