ふるる
しばらくお休みいたします。

出すのも自由、何か書かれるのも自由、それで凹むのも自由ということです。

現代詩フォーラムは、詩の投稿サイトなのに全然読まれないというほっとかれ感がすごく好きで、サイトのデザインやシステムも素晴らしいと思っています。ずっとあって欲しいです。片野さん、いつもありがとうございます。


文芸エム13号に……







イラハポ「視線」を掲載していただいております!!ありがとうございます〜!!!

Amazonでも販売しております。

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E8%8A%B8%E3%82%A8%E3%83%A0-13-%E6%96%87%E8%8A%B8%E3%82%A8%E3%83%A0%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/491111102X



4年ぶりの同人詩誌『反射熱』13号もよろしくです。




******電子詩集のお知らせ*****

テイストが違う5冊です。







『さみしさで貧血』少年話者を集めました。書き下ろし4編↓
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%95%E3%81%BF%E3%81%97%E3%81%95%E3%81%A7%E8%B2%A7%E8%A1%80-%E8%A9%A9%E9%9B%86-%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%82%8B-ebook/dp/B0BHWY6M36#:~:text=%E8%91%97

『ベストオブにんじん色』不思議テイストを集めました。書き下ろし4編
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BJ34RV3V/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=2KO08MF7P9EAQ&keywords=%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%82%8B+%E8%A9%A9%E9%9B%86&qid=1665713369&sprefix=%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%82%8B+%E8%A9%A9%E9%9B%86%2Caps%2C215&sr=8-1

『遠くにいる』恋愛詩っぽいものを集めました。書き下ろし1編。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BKJKSD49

『彼女は一冊の詩集を抱えて』抒情詩というか心象風景を描いた抒景詩たちです。書き下ろし2編。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0BMLKRD2V

『書くことを恐れてはいけないと誰かが言った』暗めで真面目な詩を集めました。書き下ろし4編。
https://www.amazon.co.jp/%E6%9B%B8%E3%81%8F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E6%81%90%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A8%E8%AA%B0%E3%81%8B%E3%81%8C%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%82%8B-ebook/dp/B0BN96CGBW






近江詩人会の山本英子様より、詩集『花・深い日傘の』を頂きました。なななんと、表紙に私のイラスト(イラハポ)を使っていただいています。





北海道にて詩誌『阿吽塾』を主催されている綾子玖哉様より、阿吽塾の現代詩コンペの選詩集を頂きました。コンペは選外でしたが、表紙に以前作ったイラハポを採用していただきました。
本体表紙(少女)とカバー(少年)となってます。




------イラハポについてはこちら↓-----

言葉とイラストの融合詩イラハポについて|ふるる|note(ノート)
https://note.com/penpenmaru/n/n499a22f5bd74

Twitterアカウント名は@fururuusaです。

*******販売のお知らせ*******

BOOTHという、イラストに特化した販売サイトにて、2010年に自費出版した詩集を販売中です。

詩集『空き箱』



↓こちらにて。
https://fururuusa.booth.pm/



息子のイラスト集も見てくだせえ。
https://t.co/KvsFcIQxXY



2007年頃、サナギという名前でも投稿していました。当時は複数アカウント大丈夫だったので…
男性ぽい話者で書いてみたかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
詩はいつも時流の先導に立って、来るべき世紀の感情を最も鋭敏に感知するものである。(中略)即ち詩は、発表することのいよいよ早くして、理解されることのいよいよ遅きを普通とする。(中略)
詩を作ること久しくして、益々詩に自信をもち得ない。私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔に過ぎない。
萩原朔太郎詩集『青猫』の序より。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・試験の答案のような作品はまだ作品とは呼べない。なぜなら試験は設問者がいて、彼が考えた問いであり、彼には答えが用意されている。
作品と呼べるのは自分が考えた設問があり、それに自分が答えたものであるはず。


舟越桂著『個人はみな絶滅危惧種という存在』より


プロフィール詐欺と言われたので説明しますと、萩原朔太郎氏のは、そういう詩を目指すという意味ではなく、自分はわけわからない詩をよく書くので「意味わからない」と言われてもめげないようにしよう。という気持ちで揚げています。
舟越桂氏のは、「自分で考えた設問」とは、「自分は本当に何が好きなのか?という問い」だと思っています。私は、「イラハポ」という、言葉とイラストの融合詩というのを考えて追求しています。「試験の答案のような作品」というのは、世間一般で「良い」とされているものを指すのだと思います。でも一通りはそこを通らないと何が好きか嫌いかはよくわからないですが。
とはいえ、ここは何を出してもいい場所なので、上記の文言から外れているようなものでも、好きなように出します。詩集出してるからってこの場所に毎回ちゃんとした詩出さないとだめってことはないと思うけどな。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

過去の活動?

http://po-m.com/forum/profbbs_thres.php?hid=571&did2=360
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホームページ「ふるるの詩の置き場」はソネットのサービスが終了で消えました。。。
https://po-m.com/forum/profbbs_thres.php?hid=571&did2=706



























おすすめ(5744)
投稿作品(660)
データ
ひとことダイアリー(10)

[220]ふるる[2008 09/09 12:07]氷水蒸流
Tim Fortさんの連鎖アート。ジャンピングドミノ!
最後に必ず「Whoo,hoo!」って言う(^^)
動く芸術のことを「kinetic art」と言うんですね。

http://jp.youtube.com/watch?v=ZcQAgbN9EAw&feature=user
水しぶきみたい。

http://jp.youtube.com/watch?v=irw8wjRFE6Q&feature=user
カラフル〜

http://www.lunatim.com/kinart/kinetic.shtml
ご本人のサイト↑
 

[219]ふるる[2008 09/02 15:40]石畑由紀子
詩とは何か

詩とは・・・言葉に恋した者の飽くなきストーキング。

言葉の成層圏を突破しようとする無謀な試み。

誰も行った事のない世界への片道切符。

ぽろっと生まれたなにやら光るもの。

何にも侵されない自分だけの城。

ここから一番遠い場所。

嗚呼。

sage
 

[218]ふるる[2008 08/28 20:40]佐々宝砂氷水蒸流
http://jp.youtube.com/watch?v=nzUEOSeIwv8&feature=related
Theo Jansenというオランダのアーティストの作品。風力で動いているんだって。
わぉ〜
 

[217]ふるる[2008 08/28 19:02]
今更ですが「下妻物語」を借りて観ました。
色鮮やかでテンポも良くて、楽しめました。
ダンナがよく言うのですが、「女性は何着ても見栄えするよな〜」を実感。小池栄子が「女は人前で泣いちゃいけねえんだ」と言うのですが、女性がこれ以上男前になったら男性はどうすれば・・・sage
 

[216]ふるる[2008 08/26 01:38]
ポニョを観に行ってまいりました。
水がゼリー状でした。宮崎アニメはやっぱり飛んで欲しいなと。思いました。
私は「はじめてのおつかい」という番組があまり好きではないのですが(「子供って無邪気だろ?けなげだろ?かわいいだろ?ほらほら」というあの感じが)あれを見させられた感強し。sage
 

[215]ふるる[2008 08/26 01:33]
伊豆は白浜海岸へ行ってまいりました。
日本の海岸とは思えない白さでした。風が強くて波が高く、あんまり泳ぎを楽しめなかったけど、海って開放されますね〜。
帰りは箱根のターンパイクを通って帰ったのですが、霧が濃くて前後に車はないし、10キロずっと坂道で、「スピード落とせ」「事故多発」の看板がこれでもかと連立していて、恐ろしかったです。sage
 

[214]ふるる[2008 08/18 16:54]氷水蒸流mizu K
「くそったれ!少年時代」チャールズ・ブコウスキー著 中川五郎訳 を読みました。原題は「HAM ON RYE(ライ麦パンのハムサンド)」誰が見ても「ライ麦畑〜」をからかっての題名だと思われますが、この邦題は一体。翻訳って難しいね。
すごくいいなと思ったのは、作者であるヘンリー少年が嘘の作文を書くのですが、先生に「だからこそあんなによく書けているのよ」と褒められて、「そうなのか、みんなが望んでいるのは嘘なのだ。よくできた嘘。それをみんなは求めている。」と思うところ。よくできた嘘を書くのは大変ですが、彼はそれを求める人のために、詩人であり作家であったのでしょう。
彼のうちは大恐慌のせいで超貧乏、親にはいっつもぶたれるし、顔や身体にひどいおできができて青春はなし、ドイツ出身なだけで皆にはナチと言われ、恵まれている人を見ればうらみつらみねたみそねみ、自殺するなら5,6人巻き添えにしてやると平気で書く。
でも、たまにいい人もいたりして、友達もいらないいらない言ってるわりにはいたりして、読むと背中を叩かれた気になります。ちいさいことでクヨクヨするなって。sage
 

[213]ふるる[2008 08/11 23:58]
ポケモン映画を観てきました。
毎回泣かされるのですが、今回はないだろうと思っていたらまた泣いた。
うっあんな単純なシーンで・・・。
今回のポケモン映画は登場人物が少なかったです。
そして次はポニョを観に行きます。最初は「女子供ばかりがいるようなら行かない」と言っていた息子も、度重なるポニョポニョCMに負けたらしい。sage
 

[212]ふるる[2008 08/07 15:25]
ハリー・ポッターの最終巻を読み終わりました。ゼッタイにちょろっとでも内容を知りたくない方はここから先は読まないで下さい。











なんだか「死の秘宝」じゃなくて「死の悲報」だった・・・。あの人やあの人がこれでもかというくらいアッサリお亡くなりに。各巻面白かったけど、4巻目からは死を扱うようになって、どうもその扱いが軽々しいじゃんと感じました。特に、この物語全巻にわたって笑いをもたらしていたあの人をあんなにアッサリ。ひどい・・・・。せめてあの人並みにハリーが埋葬してくれと思いました。杖の話がよくわからなくて、最後の対決の感動と興奮もまったくなし。
杖を誰が持っていても、杖がその場になくても、主人対主人の勝敗により所有権は移っていくようです。そんなのアリ???話が分からなくならないように、「杖」の話にはご注目です。
作者は「死」のことを書こうと思ったんだろうけど、あれじゃあまるで「死」を恐れるなと言ってるみたい。宗教観の違いですかね。何であれ、「大切なもののために命を投げ出すのが愛で、尊い行為で、褒められる」という考え方は私は好きじゃない。それは勇気の象徴なのかもしれないけど、一番大変で、多くの勇気を示さなければならないのは、残される方だと思うんです。ハリーみたく。sage
 

[211]ふるる[2008 08/04 14:06]
「カンフー・パンダ」を観て来ました。
笑いの間がよくて、見てる人は絶え間なく笑ってました。
カンフーだからか、東洋思想が随所に見られました。西洋思想というのは「自分が主体であり、すべてを支配するのである」だけど、東洋は「自然のなりゆきにお任せ」
秘密の巻物の内容にしても、禅問答みたいな感じ。
善と悪との戦いではなく、親子間の確執っていうお話でした。親は子供につい理想を押し付けがちっていう。だからといって、親だけを悪者にするっていうのは短絡的で安易な考えだけど。結果というのは色んな要素が絡まりあって出てくるものだから。「自分を信じろ」っていより、「親は子供を信じてあげて」っていうメッセージを受け取りましたね。
ジャッキー・チェンがサル役で、日本語吹き替えのサルはジャッキーの吹き替え声優(石丸 博也)がやってました。なるほど。sage
 

[210]ふるる[2008 08/01 15:59]
子供の夏休みの宿題で、点字ボランティアを体験しました。
点字の法則が分かりました。、「あいうえお」の母音が基本で、カ行だったら母音に「k」の子音にあたる点を打っていく。とか、数字の前には数符を打つ、濁音や半濁音の前にもそれと分かる点を打つ、とか。点字にはひらがなしかありません。
・・・と思ったら、ありました。「漢点字」というのが。発表されたのは1970年。ほんの40年ほど前だ。今は点訳してくれるソフトもあるし、データを共有できるんで、すごくよくなったんだって。そうだよねー、手で打つのは時間も体力もいるし、一冊の雑誌がぶ厚いファイル五冊にもなるから、使いまわすのは大変。sage
 

[209]ふるる[2008 08/01 11:52]
「しゃぶりつくせ!ブコウスキー・ブック」ジム クリスティ を読みました。
詩でも小説でも、すごく人気があったんですと。特に詩のリーディングは大人気で、例えばドイツの会場では1200人もの人で会場が満杯で、入れなかった人は数百人だったとか。しかも美男子ではないのに超モテモテだったとか。
詩の人気はメタファーのすばらしさとかではないし、モテに顔は関係ないということがよく分かりました。
しいて言えば真似できない生き様?
彼の墓碑銘はこんなだそうです。
「Don't try(がんばるなよ)」
 

[208]ふるる[2008 07/26 23:09]
まだ読んでるブコウスキー
「パルプ」というのと「指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っ払ったピアノを弾け」という詩集を読みました。詩人だったとは。訳者はブコウスキーの詩の非メタファー性が特徴と言っているけど、メタファーがなくても詩は詩だあ。
「パルプ」も超お下品ダメ探偵ハードボイルドSFだけど、そこここに詩人の目を感じます。
「俺は一個の画鋲、一切れのリノリウムだ。」とか「さあ、今晩自分のベッドで眠りたかったらあのライム出しな。俺の酒に入れろ。早く!」なんてところ。すごく笑いってものを知ってるし。
合間に町田康の「破滅の石畳」というエッセイ・評論集を読みました。リズムとか色々、筒井康隆にすごく似ていて、でも慣れているからか筒井康隆の方がスピード感や不良っぽさはずっと上だと感じます。面白かったけど。
sage
 

[207]ふるる[2008 07/18 22:48]
チャールズ・ブコウスキー著「町でいちばんの美女」を読んでいます。こんなに下品な話がてんこ盛りとは思いませんでした。
下品が突き抜けてむしろ爽快。
合間に、ガルシア・マルケス著「予告された殺人の記録」を読んだのだけど、暑苦しいのに暑苦しいのを続けて読んじゃった・・・。でも面白かったです。みんながやばいって知ってるのに、止められない。止めない。そういうことの積み重ねで、悲劇は起こるんだ。sage
 

[206]ふるる[2008 07/17 10:11]氷水蒸流
下の続き↓
デリダの主張するように、コミュニケーションが常に誰かの言ったことの繰り返し、引用、積み重ねなのだとしたら、確固たる自分の主張というのはなくて、借りてきたぐらぐらする積み木を急いで渡すみたいなものか。
その積み木は、受け取った瞬間にばらばらになり、元通りにはできない。だとしても、発信者側の意図は残るけど、それは中心でも根本でもない一つのパーツ。つーことは、それぞれが勝手な解釈で勝手に人の言ったことを引用しながら生きていて、この世は「理解できた」「理解された」という誤解だけで動いてるのかも。言葉というのは「言いたいことをきちっと伝える」ためでなく「誤解のためのイレギュラーな装置」としてあるのかもしれませんね。sage
 

[205]ふるる[2008 07/17 09:47]
「デリダ」ジェフ・コリンズ著学芸文庫
を読んでいます。絵ばっかりなので分かりやすいかというと全然そうでもなく・・・でも脱構築というものがやっとおぼろげに分かった・・・気がします。
デリダがやったことは、言語や記号や当たり前と思われているものを疑って、ゆさぶりをかけ続けるということ。
「文字言語の本質は、距離であり、遅延であり、不透明さであり、両義牲であり、死でもある」「書かれた言葉は、無防備で惨めな状態にあるから、それに相応し、漂流・逸脱状態に追いやられる」(引用)この本を読むと、「勝手な解釈」とか「誤読だ」とか言って怒る人いるけど、誤読の方が当たり前なんだな〜っと思います。sage
 

[204]ふるる[2008 07/17 09:17]
漫画喫茶で・・・
ミッションインポッシブル3を観ながらもやしもんを読みました。
トム・クルーズがオタオタしてて面白かった。悪役が「全て私の計画通りだ」みたいなこと言うんですが、あんたの計画じゃあトムは2〜3回死んでるよ!と思いました。
もやしもんはアニメしか観た事なかったけど、「シリーズ 漫画で分かる細菌」て感じ。読むとこいっぱいありますね。sage
 

[203]ふるる[2008 07/14 19:25]
ポエケットに行ってまいりました。
ポエム王子がギンギラギンで、しかもプリンセスの冠をかぶっていたので、息子が衝撃を受けていました。
同人誌反射熱3号を買って頂いた方、お手に取って頂いた方、ありがとうございました♪まずまずの売れ行きだったようです。
色んな方とお会いできてよかったです。
あの場の雰囲気を感じて、「詩は多くの人には読まれてないし売れてないのかもしれないけど、愛されてるじゃん、残っていくな、大丈夫だな」と思いました。
少数派なだけにディープな愛なのかも。
私が作った冊子は数名の方にお買い上げ頂きました。ありがとうございました。

けど、大量に余ったこれ、どーすんだ・・・
また来年?sage
 

[202]ふるる[2008 07/10 19:35]
美容院には若い子ばっかり。それで、喋り方が面白くて笑ってしまいます。
「〜でぇ〜〜でぇ〜なんっすよ〜」
っていう喋り方。
男の子でも語尾を伸ばすんですね。
接客業としてはいかがなものなんっすかね〜。
sage
 

[201]ふるる[2008 07/08 21:36]
uminekoさん

お会いできるのを楽しみにしています
o(*^▽^*)o~♪
 

[200]umineko[2008 07/08 07:59]
たぶんいきますよー>ぽえけっと。会場で〜。
 

[199]ふるる[2008 07/07 11:20]
(画像がありません)A5サイズの小冊子を作りました。
詩と散文と短歌と・・・アホイラストです。
どのくらい作れるか分かりませんが、ポエケット(江戸東京博物館イベント会場・7月13日・13時半〜)の反射熱の場所で販売したいなと・・・買ってくださる方がいるのかどうか・・・。
sage
(画像がありません)
 

[198]ふるる[2008 07/03 12:57]
http://jp.youtube.com/watch?v=CXyB98UDmpk
エウレカセブンのMADとやらですが・・・
いい歌ですねーsage
 

[197]ふるる[2008 07/03 12:30]
以前、他へ移した詩を、また投稿してみました。なんとなく・・・・詩を書き始めて、もう4年半たったのか・・・色んなことが、ありました・・・としみじみ・・・sage
 

[196]ふるる[2008 06/29 23:42]氷水蒸流
「日本人の発想、日本語の表現 「私」の立場がことばを決める」森田良行著 を、読みました。
日本語というのは、場面依存型で、受身で、自分から見た外部、という表現をするそうです。
常に外部の状態と関係を見て、「私は、私は・・・」という表現をしていく。「私から見たら・・」が基本なので、会話に一人称はいらない。そして、一人称にしか適用できない言葉も多いから、わざわざ断る必要もない。(彼は嬉しい。とは言わない)
例えば情意的副詞が発達していて、「恐らく・多分・きっと・ひょっとすると・もしや・さぞ」「どうやら・まんざら・てっきり・あいにく・まんまと」「せっかく・どうせ・いっそ」「せめて・なまじ・とても〜ない」などなど。表現の随所で話者側の評価や把握の態度を言葉に散りばめているんだと。で、読む方や聴く方も、そういう副詞の微妙な違いから相手の言わんとすること(というか、相手がどういう立場と見方でものを言っているのか)を読み取る。
さらに、立場的には受身の姿勢で、「好きだよ」とか「春が来た」とかいう言葉も「「好きである」になっちゃった」「春が来ちゃった」という意味の、「なんか知らないけどそうなっちゃって、自分ではどうにもできない」ということかららしい。
つまり、客観的事実として自分の感情や評価を交えずに外部がどうだとか言うのはすごく苦手で、自分にとって外部との関係はこうだから、自分は(空気を読みながら)こう思っていますよ、しかも自分にはあんまり責任はないんですけどねえ、ということが得意。「私は、私は・・・」とは言うものの、決して自己中心的というのじゃなく、むしろ常に人目を気にする言語なんだって。場面によってキャラ設定をして、それを演じるために言葉を駆使する、ということかも。
でも・・・他の国だって遠まわしに言うってことあると思うけど。日本語ほどじゃないのかな。
しかも、構文もいくらでもだらだらくっつけられるものだから、始めに結論が決まっているような論理的な記述は書きにくい。
日本語の、論文の書き方とか国語教育が「まず全体を見渡して」「作者の言いたいことは」「自分の言いたいことをはっきりと」というやり方なのは、日本語はそういうの苦手だから型にはめちゃいましょう、ということらしい。
この間本屋さんに行ったら、「穴埋め式読書感想文」というのがあってびっくりしたのですが、そうするしか、筋道だった文章を書きにくいんだろうなと。外部との関係が分からないと文章作れないところがあるから、日本語の微妙な違いに慣れていない、空気読みにくい子供にはよっぽど難しいですよね。sage
 

[195]ふるる[2008 06/27 23:17]唐草フウ
お久しぶりです。
結局、お遊びだとしても・・・ささやかな願いがあるとして、許してもらえませんでしょうか・・・というような心境に至りました。(何のことやら)
ネットと詩についてもずうーと考えていましたが、ネットはやっぱり必ずコミュニケーションがついてまわり、その影響から絶対に逃れられません。それはいわば、シェフが一人で考えておいしく作ってきれいに盛り付けるのではなく、闇なべ状態・・・おいしくなってもほぼ偶然。みたいな感じかなとか。
んーとあと、視点・・・話者の視点のことも調べたりしてました。視点のことは難しく、焦点化という言葉で論じられているようですが、それも十分ではないようです。どこにいて、何を、どういう見方で見るのか、そこでほとんど決まる。らしい。ある世界を作り上げるためには、作者はそれを自在に操る技術を持たなくちゃならない。語り方によっては、読者は同時に複数の人物の心理になることができる。むつかしい。。
ところで、一説には、日本語は主語がない言語だそうです。ないというか、こだわらなくても文脈でわかるというか。わざわざ言いたくないというか。その場によって一人称も変わりますしね。私小説、キャラクター小説、ゲーム小説、携帯小説、いろんな「私」がいますけど、それぞれ役割は異なります。面白いですね。詩の中の「私」にも、何か役割があるんでしょう。
sage
 

[194]ふるる[2008 06/03 01:10]唐草フウ
(画像がありません)バナー用に・・・sage
 

[193]ふるる[2008 05/31 16:25]
「反射熱」第3号が発行されました。
今回は「リレー書簡」という試みをしています。詩の未来というものについての、各人のスタンスがはっきりと出ていると思います。そのスタンスは、詩の中で何を言うか・・言わないか・・話者の視点・・作者の世界の捉え方・・これから書くもの・・にもつながるし、読者はそれによって自分にとってはこの作者は違う、と思うかもしれないし、作者にとっては人との違いから自分を見るきっかけになるのかなと。書簡と、それぞれの詩を照らし合わせて読むのも面白いと思います。寺西さんの好きな詩人がツェランだったということもあり、ツェランの引用をしている人も(私を含め)何人か。私にとっては、今回の書簡を書くにあたりかの詩人をより知るようになり、知ることが果たしてよかったのかどうか・・・と思います。が、そうでなくてもいずれは知るようになっていたのかも。
sage
 

[192]ふるる[2008 05/26 16:41]
「夜と霧」V・E・フランクル著池田香代子訳を読みました。
原題は「心理学者、強制収容所を体験する」
難しくなく、長くなく、すぐに読めてしまうのですが、非常に多くのことを言っている、多分これからも言い続けるだろう本でした。
sage
 

[191]ふるる[2008 05/23 11:29]
ユダヤ人のことを知りたいと思い、「私家版・ユダヤ文化論」内田樹著 を読みました。まあ一冊読んだだけで○○が分かったというのは違うと思いますが、うーん、すごく色々・・・考えさせられました。初めて知ることばっかりで・・・。ユダヤ人とは国家でも民族でも宗教でもなく「反ユダヤ主義者によって名指しされた者」だったとか。つまり、「誰かいじめられ役やるやついないか・・・じゃあ、お前ね」と、不当にいじめられ役を押し付けられた人。明治期に書かれた、日本人の祖先はユダヤ人である(両者は神に選ばれた民である)という本がベストセラーだったとか、「シオン賢者の議定書」という「ユダヤ人が世界征服をたくらんだ時の議定書(捏造)」も世界中でベストセラーだったとか。
何で根拠ゼロの本が売れたかと言うと、資本主義や近代化の波におののく民衆が、目に見える敵を欲しがっていた、政治家は民衆の目をそらす為の敵を欲しがっていた、ということらしいです。
ユダヤ人がどうして酷い仕打ちを長い歴史にわたって受けるのか、「特別にとっておかれた憎悪」というのが、随分とねじくれた愛情というか欲望のせいだったんじゃないか、と筆者は言っています。
あと、ユダヤ教というのが、今まで思っていた宗教や神というものと全然違うんだなということが分かりました。ユダヤ人の哲学者レヴィナスが言うには、ユダヤの神は「神が不在である」という事実が「神の遍在」を証明するんだって。つまり、救いのために神が現れるのではなく、人間を成長させるために、色んな苦労を与えるし、人間には理解できないような遠い境地にただいるだけ、というのが神。ユダヤ人にとって「受難」とは、それで救われることを断念し、人間的に成熟するためにあるんだと。
私達は神様は救ってくれる存在だと何となく思っているけど、それは幼児の考えで、誰も救ってはくれない、一人で頑張るしかないんだ、というのがユダヤ教。さらに、ユダヤ教徒にとって未来は白紙ではなく、「遅れてきて、誰かをどかしてすいません」という有責感があって、現在はよく知らない過去の償いのためにあるんだと。
そんな宗教お断り、がんばりすぎて過労死したらどーすんの。と思うけど、その一見不条理的な神を受け入れられるからこそ、ユダヤ人は知性的だと言われる。というか、「ユダヤにおける標準的思考傾向」のことを、我々は「知性的」だと言っているんだって。
ぶっちゃけて言えば、ユダヤ人=大人、それ以外=幼児、というような感じを受けました。そして幼児は大人に八つ当たりしたり、甘えることを止めることはできない。ユダヤ人の未来学者は、「21世紀中頃、アメリカで反ユダヤ主義的暴力が激しくなり、ユダヤ人はアメリカを出て行き、アメリカ経済はダイナミズムを失うだろう」と予言しているそうです。sage
 

[190]ふるる[2008 05/13 12:57]唐草フウ
突然ですが、ネットの詩というのは、「ある「場所」」を確保するものなんじゃないかと思いました。
ブログにはブログの、投稿欄には投稿欄の「場所性」みたいなのがあって、そこに詩があるってことが、場所の確保に役立っていると。またその場所性が、詩の内容を補完してもいるのかも。詩じゃなくてもいいんですが、写真とか音楽は見えやすいし聞きやすいから、自分の自由の余地があんまりないけど、詩だといくらでも「誤解の余地」があるから。。わりと広々とした場所かと。
しかも、それはずっと変化し続けていける。
ネットがコミュニケーションとデータベースの可能性を常に持っているってことは、「いつでも単純な言葉に変換できるという可能性がある」ってこと。わりとそれって「何でも分かりやすいものがウケる」現実社会とは別に、「分かりにくくてもとりあえず置いておける=分かりにくいまま、複雑系なまま、変化が簡単にできちゃう」ネット社会なんじゃないだろうか。
紙に印刷されたもの、本だとやっぱりなんていうか「身体」って感じがしちゃうけど、ネットにあるものはあんまり身体を感じない。ネットでは、コミュニケーションそのものが「身体(リアリズムとも言えるか)」ってことで、あと、必要なのは「場所」なのかもしれない。なーんて。sage
 

[189]ふるる[2008 05/08 09:49]
「無思想の発見」養老孟司著 はとても面白かったです。日本人には思想が無いわけではなく、言葉で表せるような思想が無いんだと。何かの思想があったとしても、すべからく世間や実際の政治に還元されて、「こういう思想を持ってます」と言うことはできない。「みんながやってるんだから。私は何も言ってませんし。」と責任転嫁しがちだけど、楽にあっちこっち生き方を変えて行ける方法でもありますね。戦後、なんでそうすぐアメリカの言うことを受け入れられちゃったのか、とすごく疑問だったのですが、もとから思想がなければ何となくいけちゃうのかなと。それは仏教の無常観から来るものなんだって。日本は地震も津波も多いし、植物もすぐ生えてきて、「人間なんてちっぽけだ。何やっても無駄」観がしみついてるんでしょう。で、思想をはっきり持っていない日本人は世間を信じているわけだけど、世間が危うい、不安定だと、自分も不安定になるんだと。なるほど。だからって今更きちっとした宗教や思想を持てというのも無理な話。戦時中の一億玉砕みたいな思想があっても人が死ぬだけ。アメリカみたいに、「民主主義は絶対で、よその国にも武力で押し付けてやる」なんて思想は嫌だ。戦闘機の出すCO2は車の一万倍。環境にもよくないんですよ。その、世間ていうのは昔は「お家」単位で作られていたそうで、だから良かったのかな。今は「個人」単位だからね。私も、「個人」の集まりが世間を作るより、「家族」の集まりが世間を作っていく方がいいなと思います。家族とは、「守るべきもの」があるってことだから、無茶はしないだろう。別にいつもべったり家族でくっついてろという意味じゃなく、お互い暮らしやすいようにルールを守るとか、お互いのことに関心を持ち続けるとか、言葉はなくてもコミュニケーション図るとか、世代の違いを面白がるとか、そういうようなことをやろうよってこと。子どものやってるゲームの内容を知らないとか、子どもの見てる裏サイトや出会い系サイトの存在を知らないとか、ちょっと聞いたり関心を持てばすぐに分かることを知らないっていうのは、どうかと思うな。sage
 

[188]ふるる[2008 04/30 16:12]大村 浩一
「死と身体」内田樹著 の中のいいなーと思った一節。
「(読むときに)入ってくるのは「意味」ではないですね。・・中略・・ 意味性と意味性の有機的な連関、「テキストの身体」なんです。テキストにぼくの身体が反応している。読むと言う行為はほんとうはそこから始まる。息づかい、リズム、テキストの身体性を経由して、そのあとに意味性に到達する。」
思わず長く引用しましたが、ありますよねー。川端康成の小説を読むと、なーんかソワソワするし、太宰治内容は重いけど、どっか遠くを見るような、涼しげな感じがする。一言で言えば「文体がそうさせる」んだろうけど、文体の持つ「息遣い」って何がどうなってるんだかちゃんと分析した人っていないでしょ。それを言葉で説明するのはほとんど不可能に近い、と村上春樹も言ってるそうです。それは、作者の理想の人物が語るように書かれているのか。あるいは、集合的無意識的な声なのか。あるいは、読む側の錯覚する能力なのか。
「詩」という形や書き方が好きなのは、何か、小説とかでは味わえないような身体があるからか。なんかやらしいな。
前々から思ってたんだけど、「趣味は読書です」っていうのと「趣味は女(男)遊びです」っていうのとはほとんど同義じゃないかと・・・。読み始めるとすごい貪欲ですしね。
sage
 

[187]ふるる[2008 04/28 13:30]
「死と身体」内田樹著「無思想の発見」養老孟司著「哲学の冒険」マーク・ローランズ著を続けて読みました。
ネットと詩ということを考えてて、東浩紀氏のも読んでいたのですが、うーん、分からないことが分かった・・・ような気がする・・・・止まりです。遠くのモヤモヤが近くのモヤモヤになっただけ。
まあ、それでよしとします。どうせ答えが出たって考え続けるのを止める事はできないんだから。
一つ思ったのは、何事もアクションが大事だなってこと。
sage
 

[186]ふるる[2008 04/25 17:20]
東浩紀氏の「批評の精神分析」「動物化するポストモダン」「動物化する世界の中で」「ゲーム的リアリズムの誕生」を続けて読みました。
一言で言えば(言っちゃだめか)言葉と現実が乖離して久しいんだな、と。
または、もとから乖離していたのに気がついてしまったのかな、と。
それを何とかするためにライトノベル(キャラクターのデータベースを環境として書かれる小説)とかゲーム(ほとんど読むだけの)とかゲームみたいな小説とかケータイ小説が出てきてるのかな。若い世代にとっては、そっちの方が「現実を描いている、現実を描こうと闘っている、実生活に対応できる何かが書いてある」と思えるのかもしれない。その、現実と言葉の乖離は、ネットにアクセスできる世代とそうじゃない世代の乖離でもあるだろうし、神やイデオロギーを信じている、または信じさせて欲しいと思い込んでいる世代とそうじゃない神もイデオロギーもない不安な世代との乖離とも言えるんでしょう。。。。sage
 

[185]ふるる[2008 04/25 14:52]唐草フウ渦巻二三五
券だぞー


絵をかいてあげる券です。
子どもがかいてかいてうるさいので、一週間につき一回ということで。
かいて欲しいものがあるわけではなく、過程が見たいらしい。sage


 

[184]ふるる[2008 04/14 23:40]大村 浩一
んー・・・と考え事を色々しています。
パウル・ツェランという詩人をご存知でしょうか。その人の詩を読んでから、自分にとって書くってどういうことなのかなと考え込んじゃって。
その詩の厳しさの前では、何を書いたってただのお遊びにしか見えない。けど、そういうのしか知らないし、書けないから、それでもなお書く意味って何かなと。
まあ意味なんかなくても、好きに書けばいいのかもしれないけど。ツェランで立ち止まってるなんて青いって言われちゃうかもしれないけど。
詩集や詩論集や評伝を色々借りて読んだり、その他のを読んだりして。
コミュニケーション志向型のメディアであるネットに書いたものを出す意味って何かなとか。
少し、何か分かりかけているような・・・気が・・・sage
 

[183]ふるる[2008 04/08 13:44]
http://www.hirokiazuma.com/texts/character.html哲学者東浩紀氏の「存在論的、広告的、キャラクター的」を読んで思ったこと。
詩に関して言えば、ネットの詩はネット上にあるがゆえに、ゲーム内のキャラクターやハンドルネームと同じような、受け手側が(発信者側も?)オーラ、「特別感」を必然的にくっつける気がする。(キャラ萌え世代はね)。例えば作者が特異なキャラクターであるとか、自分と個人的なつながりがあるとか。ネット内やゲーム内では、発信側もそうだけど受け手側が、どうやって「自分の特別なもの」にしていくか、が前提になってきているから。例え誰でも書けそうなお手軽ポエムであっても、作者と個人的繋がりがあって、自分にとって共感できるものならば、それは「自分にとってかけがえのない詩」だと言える。(ゲーム内のキャラクターに感情移入するように)
だからどうってわけじゃないけど、ネットの詩のレベルが低く見えるのは、「独特なストーリーや技術(読むのに時間かかる、作者の世界で他にどうしようもない、二次小説作りにくい)」よりも「萌える内容(ぱっと見分かりやすく、押さえどころを押さえている、自由度も高い)」が「受け手側に」重視されているからじゃないか。あるいは書き手側も??
けど、キャラ萌え世代じゃない詩を書く人は、詩にはそういうお手軽なものになって欲しくない、エロや下世話な要素に触れさせたくない、箱入り娘にしておきたい、みたいな感覚が、少なからずあるんじゃないかな。(私にはある)sage
 

[182]ふるる[2008 03/26 15:16]mizu K
スパリゾートハワイアンズに行ってまいりました。
水着!?やばい!ダイエット!と思い、リセットダイエットというのを一週間やりましたが・・・0.5キロしか減りませんでした。ダンベル持って踏み台昇降なんかもやっていたので、筋肉で重くなったんだと・・・思いたい・・・。
炭水化物を断つというダイエットなのですが、一週間ぶりに食べたご飯のなんと素晴らしく美味しかったこと。ありがたやーーー。でも日本人が米を一週間一粒も食べないというのはかえって精神衛生上よろしくありませんね。よく調べたら体験者がリバウンドしましたよって書いてあったし・・・。
ハワイアンズは、流れるプールの流れが激しいところが面白かったです。
あと、ポリネシアンショーの燃えてる棒をぐるぐる回すやつ。見ごたえありました。
ずーっと飲んでみたかったやしの実ジュースを飲みました。実の中にたっぷりジュースが入ってて、実の内側の果肉?みたいなのもこそげとって食べました。


sage
 

[181]ふるる[2008 03/22 21:52]
ネットがつながらなくて困ってました。
やっとつながったどーー
 

[180]ふるる[2008 03/11 09:31]
映画「ライラの冒険 黄金の羅針盤」を観て来ました。3部作のファンタジーで、第一部でした。その世界では自分の魂は動物の形をして自分に寄り添っているという設定。
ヒョウやオオカミはかっこいいですね。ヘビって・・・どうなんだろ。
ファンタジーものってあれよあれよという間に話が進んでいって、気楽に見れるというか、映画だと早すぎて覚え切れないというか。真実を示す羅針盤を見れるのは嘘ばっかりついてるライラだけ、というのが面白い。実際ライラは口八丁で毎回ピンチを乗り越える。言葉は剣よりも強しか。sage
 

[179]ふるる[2008 03/11 08:58]簑田伶子
村野四郎著「わたしの詩的遍歴」を読んでいます。
さすがは詩人の文章、しゅてきな比喩がわんさか出てきますが、好きなのはこちら。
「いま天国から生捕られたばかりといった風に、ぽかんとしていた。」
箱入り娘だった奥さんと結婚した頃のこと。奥さんのこと、天使みたいに言うのっていいじゃないですか〜その後に続く文も、「しかしその方が、かえって私には幸せであった。」ですからね。
もう、何のろけてるんでしょうかね。sage
 

[178]ふるる[2008 02/21 23:30]氷水蒸流
「フィネガンズ・ウェイク」という本を

読もうと思い立ち、借りて開いてみたら漢字ひらがなカタカナさらにルビの洪水で、すごいこってりでした。とんこつラーメンの上にステーキと牛丼が乗っかっているようです。
もちろん意味も不明だし、だめだーと思い、訳者が書いた「フィネガン辛航紀」とパロディの「船が州を上へ行く」(清水義範)を借りてきました。
それで分かったのは、作者のジェイムズ・ジョイスという人は、終わらない本を書こうとしたんだなと。終わらないで、一語一語が開かれている、続きがある、というの、入沢康夫の「わが出雲・わが鎮魂」に似ているなと思いました。あれは、詩の巻末に、その中の語に関する注釈がすごくいっぱいついていて、一つ一つの言葉は歴史を背負っていて、どこにでも開いてるんだと思わせる。
「フィネガンス・ウェイク」の最後は、まるで続きがあるように、theで終わっているらしい。それってすごい好き。
「この言葉には、この意味とこの意味とこの意味をもたせて、これとこれとこれを連想させる音にした」っていう訳者の意図は説明されないとさーーっぱり分かりませんが、訳するにあたってあてられた川の名前だけ見ても膨大で、とにかくすごい。天才か、おかしい人なのか。
あと、漢和辞典で古い漢字をこれでもかと言うくらい調べて使っているから、今まで日の目を見なかった漢字たちは喜んでいることでしょう。
でも読まないかも・・・ちらっと遠くから眺めるとか。こってりしすぎ・・・。
パロディは面白かったです。「柳瀬買いである」(やな世界である?)と訳者を褒めつつ嫌味入りの文があったり、原文と同じくtheで終わってたり。sage
 

[177]ふるる[2008 02/05 15:21]唐草フウ北大路京介砂木


切り紙おもしろいです。
余ったのをペットボトルに貼り付けて・・・
変な貯金箱を作りました。
・・・何やってるんだろう・・・sage
 

[176]ふるる[2008 01/29 15:14]PULL.mizu K唐草フウ石畑由紀子士狼(銀)銀猫


温泉いきてー!!
 

[175]ふるる[2008 01/29 15:04]
(画像がありません)
描きました。絵本を読む会をやっていて、6年生に、今まで読んだお話一覧表を渡すので、その表紙を描いてと言われて。
後ろの切り絵風の絵は、桃太郎や赤頭巾がモチーフとなっております。雰囲気を調べるために、切り絵の本を2冊も買っちゃった。(このためにというか、立ち読みしてたら欲しくなり・・・かわいいんだ)sage
 

[174]ふるる[2008 01/21 15:30]
珍しく忙しくしております。
小学校卒業生のためのイラストを数個・・・ピアノの先生が引っ越すのでお別れ会用の曲の練習(サザンのTSUNAMIにしたけど、よく考えたら夏の曲か)・・・子ども会役員の引継ぎや総会資料作成や歓送迎会の準備・・・全て2月末までにやらなきゃだ。合間に素話を覚えてる。屋敷こびとっていうロシアのお話。同人誌の表紙と詩もありました。あうう。sage
 

[173]ふるる[2008 01/09 23:56]佐々宝砂簑田伶子
斉藤美奈子著「物は言いよう」を読みました。フェミ・コード(言動が性差別にならないかどうかの基準)やジェンダーフリー論について言いつつも面白い読み物でした。ぶっちゃけて言えば、公の場での発言マナーのお話。
ジェンダーフリーについての論争って女性が男性を攻撃するというイメージが強かったですが、今はそうじゃなく、多様性を認めて欲しい派と、無意識または意識的にそれを認めていない派の争い(というか摩擦)なんだと分かりました。
あと、早急になんとかすべきは生命や人権に関わること(性的虐待とか、被害者側も悪いんだ、男は本能で仕方ないんだ、みたいな考え方)で、ひな祭りだの色の好みだのはおいといていい。そんなのは好き好きのうちに入るし。つうか、多様性を認めて欲しいというのがジェンダーフリー(性差の呪縛から逃れる)の本来の主張なんだから、男らしく、女らしく、というのも排除せず、そうありたい人はあればいい。(女だから男の命令に従え、従う、というような間違った「らしさ」のことじゃないですよ)「女扱いしないで下さい」あるいは「女性扱いして欲しい」という人にはそうしてあげたらいい。あげなくてもいいけど。それは、お酒嫌いな人にはお酒を勧めない、好きな人には勧めるのと似た感じでしょう。けどそういうのって、その人との関係によってコロコロ変わるよね。sage
 

[172]ふるる[2007 12/30 11:39]
ある方に教えていただいたポップンミュージックというゲームの中の曲。かわいい〜
http://www.youtube.com/watch?v=xEulQJkc9UE
このゲームのことを始めて知りました。
ボタンもすごいいっぱいある。
↓めちゃくちゃ早い人!
http://jp.youtube.com/watch?v=sWu3I6Dbtv8
 

[171]ふるる[2007 12/26 23:06]
映画「サーフズ・アップ」を観て来ました。
話が凡庸でつまらないという前評判だったのですが、こてこてハリウッドよりも、あっさり系(ダラダラ系?)のこっちの方が好きでした。
最後も、愛は勝つ!とか夢は叶う!とかじゃなくて良かった。sage
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 

 
Home 戻る