ふるるさんのプロフィールBBS
2007 05/01 15:38[94]
ふるる

もう少し詳しく書きますと(自分用のメモですが)今のままだと、どうしても「これは自分の言葉なのかどうか」という袋小路に入ってしまうのです。入らなきゃいいんですが、それは自分の性格上の問題か何かなんでしょう。新しい言語を作りたいとかそういう意味じゃないです。観念で書きたくないのに、どうしても書いてしまうところがあって、今の日本語の使い方(常識をベースにして、話し言葉で書く)をしている限りはそうなっちゃう。
起承転結をつけなくちゃ、とかね。
必ず最後は何かで〆るでしょう。そういうのもなんか嫌だけど、書き「始め」があると、最後は「終わり」になっちゃう。
だからって、起承転結が分からないように、言葉をばらばらに配置するのも違う。それは最後にやる小細工だから。
でもって、観念で書くなら、私じゃなくてもいいわけです。
私じゃなくても「桜が咲きました」「桜はきれいだ」「海に行きました」「海はひろいな」と誰でも書けるわけ。いや、それを個人でぐっと深めて、その人なりの感覚で書くのが詩なのかもしれないけど、それは常識ある日本語の人という道を行く限りは常識的なことをついでに言わざるを得ない。はっきり言わなくてもいいんだけど、こっそり言っている部分は必ずある。一般人としての説教みたいな感じのこと、あるいは美しさとは、感動とはこういうものですよ、みなさん。みたいなこと。
ただ、何かをなぞっているだけに思える。
自分で自分の誤魔化しが、見える。
そりゃ、誰だって頭おかしい人が書いてるとは思われたくないものね。
でも、そういう常識ベースの書き方、考え方じゃなく、かつ、変な人過ぎない書き方っていうのが必ずあると思ってる。
とは言うものの、これからは情景詩というのを勉強しようかなと思ってる。矛盾してるかな。
例えば近代文学と心の内面というのは切っても切れないものですが、あれってだいたい後付だよねぇ。誰しも、その瞬間はぽかーんとしてると思う。「〜な気持ちだった」というのは、後から取ってつけたような気持ちのラベリングであって。その、ラベルの種類に不満がある。いや、そのラベルをつけなくちゃいけないような気になっていることが。ラベルにしても、これしかないのか・・・まさか。これだけのはずがない・・・。もっと複雑だし、単純だ。もっと盛り込みたい。あるいは、まったく盛り込まないで、全てを淡々と書ききりたい。sage